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COLUMN 1−D 2330
平成25年9月23日・記
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「イイカゲン 修行僧日記」を読み返して
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平成18年から「敬老の日」から年末にかけて「遺言書」を見直しています。
遺言書と言っても「終末治療の意思表明書」に、再確認の署名と捺印、そして新たな日付けを記入する。
もう一つは「葬儀の形式、密葬等の通知方法」を書き記したものです。
遺産相続と言っても、御蔭様で今のところ借金はなく、現在の住処ぐらいしか有りませんので、親族に心配を掛けることもないと考えています。
本日、このように思いだしましたのは、ほとんど毎日書き続けている「イイカゲン、修行僧日記」の中で、記録として残したいこと、あるいは今後生き続ける間、私自身を戒めることに関しての記述を拾い出していたからです。
今回はなんと2年近くを引き返して読むこととなりました。
昨年の3月からは豊橋の姉のこと(豊橋のこと)が多く書きしるされています。 このことは高齢者となれば他人事でなく勉強になっています。
また、農作業日記のことがこのところは半分近くをしめています。
明日から中部大学の秋期の講義が開始されます。それに伴って中部大学の記述が増えることでしょう。
一見何事もともないような世界の・日本の状況のようにも見えますが、読み直している間に、底流では新時代への備え、心構えは良いかと声が聞こえてきます。
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COLUMN 1−D 2329
平成25年9月22日・記
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9月22日 犬山・農作業日記
〜それが、戦中、戦後であったなら・・・〜
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↑9月21日・夕方の散歩時に
このところ、植物園の裏側へ登ることがなく、久しぶりに急斜面を登る。
特に変化はないが、それでも住宅が増えていることに気付かされる。
賃貸住宅の空き家があちこちにあるのに、更に新築されている。
消費税アップの前の駆け込みと言うが、今の私には考えられない。
本日の朝、室内の気温は22度、外に出ると秋の空気が気持良い。
畑3号地

↑9月19日、急遽一畝追加した所にニンニクを植え込む。
JA高蔵寺農協に種を購入に行くと既に大半は売れ切れていた。 少し離れたD2・ケーヨーホームセンターに走る。
期待して居なかったが、残りモノに福が有るとでも言うのだろうか、最後の売り切りセールであった。
そこに「沖縄の”島ニンニク”」が一袋あったので購入。普通品より強い香りがすると表示されているが、粒そのものは小さい。果たしてどうなるか。
更に、その隣にエシャロットの種がぶら下がっている。 大根、白カブ・紅カブと発芽状況が悪いので、球根なら何とかなるかと1畝分購入。
以上を終えたところで、本日は大根、ホウレンソウ、春菊、白カブ、紅カブの空き畝に補種まきをする。
この秋の種蒔きは土づくりが不十分なのに、畝の切り返しもせず、そのまま種まきをしていましたが、昔学んだ方法を取り入れて少しばかり畝返しを施してみた。 どうなることだろう。

↑大根です。3度蒔いていますので、大、中、小と不揃いな背丈です。
更に、本日これが最後だと言って、第4回目の種まきを実行。
その大根の種の名称は「野武士」です。何方かが<強く育て>と名付けたのでしょうか。それにあやかって元気に発芽してほしいと願っています。
一方、相棒は残念な結果になった枝豆(大豆)の撤収に取りかかった。
引き抜いた後、其の中からヨサゲな鞘を取り入れている。
女性のバストに比喩して、『バストAにも満たないものばかり』と言いつつ、かなりの時間取り組んでいました。
(やはりバストBは欲しい、出来るならD)いや、大変失礼しました。
その後の二人の会話は、『これが戦時中、戦後であったら、間違いなく口に入れることだろう』と頷き合った。
そんな時が来るのではないかと、心中は真面目な会話です。
COLUMN 1−D 2328
平成25年9月21日・記
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「出身地鑑定方言チャート」を実施してみました
〜本日の夢の意味合いは何だろう〜
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本日、朝のNHKラジオで、東京女子大学生(篠崎ゼミ)が開発した「出身地鑑定方言チャート」が大変好評と聞き、試してみました。
まだ、開発途中とのことですが80%の確率で当たると言うことです。
私も試してみました、≪沖縄県≫と答えが返ってきましたが、心当たりはありません。
どちらか迷う設問が有りましたので、どちらも選択してみましたが、双方とも最終的には「沖縄県」との解答でした。
このところ沖縄の方とお会いすることは多いですが、沖縄に住んだこともなく、もちろん生まれ育ったところも違います。(高校・大学時代の友人が定年退職後、10年近く沖縄の住人となっていますが・・)。
200以上の設問が有るようですが、今回私の場合は間違いでした。
「方言チャート」と検索すると、直ぐに実施することができます。
お試しになったらいかがですか。
昨夜の夢について
ほとんど夢を見ることはないですし、たとえ夢の見ても≪何か夢を見たようだ≫と微かに翌朝思いだす程度です。
が、昨夜はAM3時ごろ(?)に夢を見て、そのままトイレに行きましたので、何処かに残影が残っていました。
なだらかな斜面の山肌でキャンプをしていました。 大きなテントの中で十数人がゴロ寝しています。
雨が降り始めたので、敷き詰めてある板を点検しました。 数分も経過しないうちに、テントの隅にいた私のところに水が流れてきました、次の瞬間ドーと濁流です。
一気に山裾を流れる川の本流に押し出され流されました。 物凄い水嵩の流れです。
(私は天竜川に注ぐ、豊根村・大入川の急流で小学生の時から泳いでいました。かなり泳ぎは得意の方でした)
濁流に流されながらも冷静で、左側の急流から逃れて、右岸に移動して土手の柳の木につかまり脱出しました。
土手を這いあがり細い村道に出て、皆の居る所へと急ぎました。
そこで、夢は終わりでした。 夢判断ですとどのような意味なのでしょうか。

↑サツキの枯れた根っこです。
その後、庭で育成中の苗に水遣りをした時のことです。 1年も前に枯れたサツキを掘り起こし、庭の隅に放ったらかしていました。
何故か目にとまり、本日の日記に掲載することにしました。
COLUMN 1−D 2327
平成25年9月19日・記
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9月19日 犬山 農作業日記
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1週間農作業をしていないと、体重が知らぬ間に増加している。
猛暑日ほどの体重変化はないが、それでも1・5Kg前後の変化が起る。
7・8月より朝の集合時間を6時半にしていたが、9月も後半に入ると朝日の登るのが遅くなり寝過ごすのではないかと、目覚ましを掛けている。
また、猛暑日頃は3時間も動いているとへばりを感じたが、本日は5時間でしたが、腹は減ったがヘバリまではなかった。
3号畑
さて、本日の農作業の内容は、ニンニクの植え込みから始めました。
穴空きマルチシート畝幅5メートルで約220球を植え込んだところで、もう一畝追加しましたので、次回に200球ほど追加が必要です。
(本年5月収穫した分を種として残していましたが、200球でした)
9月5日の日記でナスが生き残ったのではないかと記録しました。
本日、なんと1個収穫できました。 花の付き具合からすると収量そのものは少ないでしょうが今後10月中頃までは期待できそうです。
猛暑日にひたすら水遣りをした努力が報われたと感激です。

↑蔓なしインゲン初収獲
初収獲と書きましたが、多分本日が最初で最後の収獲となるでしょう。
場所を変えて2畝種蒔きしました、1畝は早々と全部枯れてしまいました。
残った畝はほとんど芽立ちしましたが、花が咲く頃から一本、ニと枯れ出し、半分になってしまいました。
その後も、実の姿が確認できませんでしたが、1週間ぶりに畑に行くと本日の収獲と会いまりました。
毎週、スーパーへの買い物に同伴をしていますので、無農薬、有機肥料のインゲンの価額の高さに驚いていました。種代金分はなんとか回収?
畑周辺の草刈、あと一回すれば本年の草刈も終わりでしょうか?
大根、紅カブ、春菊等の草抜き。ジャガイモ一部土寄せ。
1号地
ヒョロヒョロの幹も18号台風でトウモロコシは全て倒れていました。
2度植えのトウモロコシですので、根の張りも弱かったようです。
それでも、前回(9月12日)の写真同様なトウモロコシを収獲出来ました。。
食欲の秋、収穫の秋ともいます。 食欲・飲欲は相変わらずですが、収穫の秋の方は残念な結果の連続です。
早くも来春で3年目の犬山3号地、「石の上にも3年」と言いますので、それなりの結果を出したいと思い、人様のお話を聞いたり、インターネットで調べたりしています。
私の性格からすると、兎に角色々と取り組み、其の中から答えを見つけると言う、良く言えば行動派なのでしょう。
が、確認(成功)と点検(失敗)という冷静な分析と評価するという思考力に問題ありなのは、年輪を重ねても成長がないなと自笑しています。
COLUMN 1−D 2326
平成25年9月18日・記
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曼珠紗華(彼岸花)のこと、忘れていた
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どちらかというと忌嫌われる花。が私にとっては想い出多い花、好きな花の一つと毎年紹介していた曼珠紗華のことをスッカリ忘れていました。
台風とその後の後始末で忘れていました。
9月18日、夕刻の散歩に出掛けると直ぐに、あるご家庭の庭に深紅の薔薇が一輪咲いていました。↓

この薔薇の花に見とれている時、曼珠紗華のことを想い出しました。
直ぐに自宅に戻り曼珠紗華の存在を確かめようと思いました。
が、いや待て、楽しみは後に回すのに限ると散歩を続けましたが、何時もより早足の帰宅となりました。

↑先ず、壁当てキャッチボールの壁の上に咲いている、白の曼珠紗華。

↑アッと言う間に蚊に刺されながら、曼珠紗華の深紅を収めました。
九州から北海道と言う訳にはいかないことでしょうが、この曼珠紗華は同じ地方ではほとんど同じ時期に開花すると言っていましたが本当でしょうか。
彼岸花とも言いますので、9月22日の御彼岸に合わせてこの地方では、咲き揃うのでしょうか?
今年もまた、この日記に掲載出来・安堵して、今夜は眠れそうです。
我が歳 亡き父母の 華より長く 虫の音リンと 闇に一声
COLUMN 1−D 2325
平成25年9月17日・記
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台風18号の上陸地・豊橋
〜自宅前のクスノキの大枝が吹き飛ばされていた〜
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9月16日・午後。
台風の余波か、豊川放水路の白い波頭を眺めながら豊橋の家に到着。
姉の話を聞くと、自宅前のクスノキの大枝が道路をふさぎ、一時交通遮断になっていたそうだ。
が私が到着した頃には応急処置で片付けられ幹線道路であるクスノキ通りはスムーズ流れていました。
一夜あけるとまさに台風一過の秋晴れ、しかも気温がグーンと下がり湿度も低く気持のよい空気の中で朝のステレッチ体操。

↑自宅前のクスノキ通りに積み上げられていた枝の搬出始まる。↓

庭の隅に吹き寄せられた小枝やクスノキの葉を拾い集める。
今回も各地で竜巻が発生し被害が出ていると報道されている。
台風通過後の景色を眺めながら・・
台風は日本列島に毎年やってくるのは当たり前と思っているが、竜巻と言えばアメリカの話と思っていたが、様子が変わった。
アメリカの属国とも揶揄されている、最近の日本。
まさか、竜巻まで進出か?その内にハリケーンとならないか?
五輪・パラリンピックの誘致成功に浮かれていることなく、無責任な原発排水問題のいい加減な発言で世界、国民を愚弄することや止めるべき。
そんなことを考えていたら、友人から『君は何故4年前に、一度破綻、崩壊しなければ世界、日本の再生への道は開かれないと言い切ったがその理由は・・』とのメールが届いていた。
13年前、「狼爺」と言われる元凶となった、”日本は崩壊”すると言った。
何年たっても崩壊に至らず、「狼爺」との名を付けられた。
そして、リーマンショックが発生した。 これで「狼爺」からの解放はされたが、私の想像する様なその後の展開はしなかった。
理屈を付けて、強弁することはできたかもしれないが、勘だけに頼った予測内容の記録は残すのをやめた。
が、新たな世界の秩序の構築は、人間の強欲な精神や知識からではなく、もっと偉大で自然で、宇宙創造をした意志によってでしか成し遂げられないと感じた。
が、強いて理屈付けをすれば、5年前のリーマンショックの時、これで世界は変わると思ったが、その1年後、世界の主要国家、地域が金を刷りまくり、ボロを出さずにやりくりをした。 そのことからまだこれは続くと思った。
そして、5年が経過した。 もうここまでとは思っているのだが、天の意志が降りるのは何時のことだろうと、改めてクスノキを見上げた。。
COLUMN 1−D 2324
平成25年9月16日・記
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パソコンのトラブルが解消しました。
今、台風18号が東海地方を通過中です
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昨日、台風の影響が出るのかと思っていましたが、時折陽がさしたり、曇ったり、時には雨が落ちてきたりと変化のお天気でした。
何度かパソコンの修正にトライしましたが、結局解決しません。
時間を置いてみると直っていることが有りましたので、期待してみましたが結局夜を迎え諦めました。
そして、一夜明けた本日、台風18号の影響が我が家にも及びます。
今月末には落下するだろう栗の木、栗の実が大きく揺れています。
その揺れ方を見ていますと、髪を振り乱した妖怪のようにも見えます。
その後、台風は豊橋に上陸したとの報道が有りましたので、自然現象の猛威を極端に恐れる姉に電話をしました。
『昨夜は心配で一睡もできなかった』と何時もより疲れた声です。
しかも、親子電話になっている携帯電話が途中で通話が途切れてしまいます。何かあったか?!! 数度試みるが通じず。
そこで、普通の電話に切り替えてみますと、通じて安心。
30分後、姉から携帯電話の呼び鈴が鳴りました。 さらに安心。
操作する場所を間違えていたようです。
その後のこと、パソコンに触れますと、簡単なミスに気付きました。復活。
雨脚が弱まってきました。風も治まりだした。眼前の山も晴れ出しました。

↑昨日の夕刻、栗の木の下で咲いていたシオン。

↑その隣には「ハナ・トラノオウ」が満開です。
今日の午後から、豊橋に行ってきます。
COLUMN 1−D
平成25年9月15日・記
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9月15日です。
只今、パソコンのソフトの一部がトラブルのようです。
昨日、入力しました「コラム 1−D NO2242」も
アップロードできません。
そこで、昨日の博物館・明治村の写真の一部を継続して掲載することとします。
トラブル解消しなければ、このことすら判らないのですが・・・。
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COLUMN 1−D 2323
平成25年9月15日・記
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博物館・明治村の後半を掲載します
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↑聖サビエル天主堂

↑天主堂・正面のステンドグラス↓


↑六郷川鉄橋の脇に備え付けられた、「尾西鉄道蒸気機関車1号」

↑蒸気機関車の運転席にて

2丁目のレンガ通りです。
この通りには@札幌電話局、A明治が体験できる「ハイカラ衣装館」の安田銀行会津支店、B京甘味処「なか井茶寮」の「京都中井酒店」
C東松家住宅 D長野県木郡大桑村 の「清水医院」、E第四高等学校物理化学教室 F山梨県山梨市の「東山梨役所」には明治村村長室とお土産が購入できるアートショップがあります。
現在、明治村は五丁目まであり、67の建物と構造物が有ります。
京都の市電も走っていますし、蒸気機関車も動いています。
これから落葉樹が紅葉し、その後落葉すると建物は良く見えるようになり、春夏秋冬の景色は変わると言う。
自宅から30分弱、近いところに良き観光地であり、近代日本の勉強が出来る施設が有ります。
明治村住民登録(年間パシポート)は大人(18歳以上)3000円、シニア(65歳以上)は2000円です。1年で何度も入場できます。
通常入村料は大人1600円ですから、お値打ち価額です。
COLUMN 1−D 2322
平成25年9月14日・記
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敬老の日を前に65歳以上
〜明治村無料 開放に出掛ける〜
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昨日、新聞朝刊の隅に名古屋鉄道関連の施設が「敬老の日」を前に6か所の施設で無料開放の記事が載っていたと言う。
相方は唯それだけの話で、私が腰を上げるとは思っていなかったようだが、このところの散歩の頻度が少なく、体重がジワジワと上げっていた。
台風18号が接近しているようだから、本日を除いてチャンスがなくなると、出掛けることとしました。
多分前回の訪問から、25年以上は経過していると記憶します。
その間、報道で新しい建物が移築されていることは知っていました。
前回は一日でほとんど廻り切ったと思うが、今回は初めから無理と思っていました。

↑正門から入り、この村内バスに乗って約10分で北門へ行きました。
(なお、このバス、停留所が9カ所あり、何度乗り換えても500円ですが、今回は片道のみでした)

↑帝国ホテル中央玄関です。中にはレストラン・喫茶も併設。
この建物から、このブロック(5ブロック有り)を2コースに分かれてボランティアの案内役がおられて依頼しました。

↑皇居正門石橋飾り電飾です。レプリカです。

↑隅田川「新大橋」全長180メートルのは八分の一の移築。
この橋は隅田川に架かる両国橋、永代橋等と並んで明治の5大鉄橋と呼ばれていたと言う。

↑山形・天竜眼鏡橋と広島・小那沙美島灯台です。
明治村は1〜5丁目に区分されているのですが、以上で5丁目の三分の一しか紹介していません。
ユックリ、シッカリ見て回ると2日間はかかると言われました。
が、ここまで歩いてきて、日中の気温は蒸し暑く高めで、汗は絶え間なく出るのですが、疲れをあまり感じません。
散策道の両脇は緑が残っているせいでしょうし、適切に変化した建築物の配置が次つぎと足を進ませるのでしょう。
さて、建物の紹介ばかりではつまらないので、この辺で終了とします。
上記の池の鯉に餌をやっていた時のこと、滅多にないチャンスに恵まれました。

↑お解りいただけるでしょうか、中央の左下のところに鳥がいます。

↑急ぎアングルをアップしました。カワセミです。 狙っています。
次の瞬間、鯉が餌をのみこんでいるところに、バッシャッとジャンプです。
次の瞬間には、元の枝に戻り、何かを銜えています。↓

↑間違いなく、4センチ程の鯉の幼魚でしょうか?銜えています。
2・3度、クチバシで向きを変えていました、スルッとのみ込みました

↑次の週間、何事もなかったように、次に狙いを付けていました。
再び、先程と同じようにバッシャッと飛び込みました。 その音にこちらは驚いき、シャッターを切る指はその動きについていけませんでした。
隣で、立派なカメラで狙っていた方も「シマッタ」と言って、追いかけてゆきましたが、今度が反対側の茂みに隠れてしまいました。
100年以上の貴重な建物ばかりが移築されてきた明治村。
近代初期の日本を象徴する建物ばかりです。 もう二度とこれほどの博物館・明治村の事業がすすめられることは多分かなわないことでしょう。
列強に押され国の存在が危ぶまれていた江戸の末期から明治維新。
西欧に追いつけ、追い越せと懸命に学び、知恵を出し、汗をかいた先人の財産ばかりです。
が、その後の日本のたどった道はどの辺から、どのような道を歩むことによって今日の姿になったのでしょうか?
日清戦争、日露戦争は受け身の戦争のようにも思えます。第1次世界大戦で漁夫の利を得た頃から様子が変化しはじめたのでしょうか?。
当時の世界の強国と比較して、また当時の世界の秩序・ルールから特にはみだしていたとも思えないのですが・・・。
切り取り自由で強いのモノ勝ちの欧米から見ると一人異色の人種の存在は、目の上のたんこぶだったのでしょうか?
其の頃の日本の満州から、そして中国本土への行動は進攻と言われるのでしょうか? 調子に乗りすぎたのでしょうか? 知恵者が止められなかったのか?
正しい歴史認識が求められていますが、敗戦国日本で戦後教育の中で成長してきた私はまだこれから勉強しなければならないことばかりです。
中部大学秋期の受講科目は戦後日本の経済見取り図から始まります。
第2次世界大戦の勃発はどのような背景から起こったのか、時の世界情勢・状況はどうであったのから説き起こされることを期待しています。
2020年東京オリンピック招致決定後の、世界からそして国内の識者から様々な視点から意見が述べられています。
自己判断基準を持ち、自分自身に納得ゆく見解を持ちたいと願っています。
博物館・明治村の訪問はその切っ掛けを一層強くさせてくれました。
COLUMN 1−D 2321
平成25年9月12日・記
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9月12日、犬山農作業日記
〜犬山で2度目の秋野菜も苦戦中です〜
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昨日、豊橋に向かう時、東名高速道路の名古屋IC上空に飛行船を見ました。↓

特別に珍しいものではありませんが、高速道路を100Km近くで走っている時、音もなくユッタリと流れるように名古屋市内の方に向かっている光景を見上げつつ、太股のサポーターの存在を意識しました。
もちろん脇道に停めてシャッターを切ったのですが、近時高速道路上の
しかも本線外での事故が発生していることを想い出して気持のよいものではありませんでした。
9月12日の犬山の農作業
3号地
・南ー1の西側にニンニクの植え込み畝を造りました。(枝豆の跡地です)
相棒が『ここの土は良くなているのではないか』と言います。
確かに、他の場所の石コロばかりの畝と比較しますと、鍬を振りおろすたびにカキーンとかガッジャという違和音はしません。
発酵ボカシを散布しましたので、植え込みは来週を予定しています。
2度に分けて定植した白菜80鉢は全て喰われてしまいました。 この地では早生の白菜は難しいのか? 自宅で晩生の苗を育てていますが、追加して種まきをする必要が有ります。
3度種蒔きした大根類は残った第1弾の物は抜き菜として十分に成長しましたが、抜き菜するほどの数が有りません、
第2弾、第3弾も発芽し、チョロチョロと背伸びをしはじめました。
白、紅カブは発芽率90%の畝と、ほとんどゼロに近い畝と混在です。
・ お借りしている畑の地主さんの本家の屋敷庭(同時に私達がお借りしている倉庫の庭でもある)の草刈をする。
多分、本年4回目である。 後1回で本年分は終了することとなろう。
1号地
4月11日種まき、4月29日定植しほぼ満足する出来栄えであったトウモロコシ、7月中旬に収獲。
2匹目のドジョウは狙って7月14日に種蒔きして、7月25日に定植したトウモロコシはその後どうなったのでしょうか。

↑本日、収獲してみました。第1弾と比較して大きさは半分です。
実のつき方も小粒です。 味は収獲してきて30分後に茹でましたので、
及第点です。
種袋には収獲まで、80〜85日間とありますので、種まきから収穫まで約2ヶ月早すぎたのでしょうか。 が、絹糸は黒色になっています。
メンバー揃って収獲に来て下さいと言うには、気の引ける収量と内容です。
それでも、昨年は獣害にも会いましたが、今年は収獲まで行きました。
この経験を踏まえて、来年は、畝の数を増やしてみようかと思っています。
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