COLUMN 1−D 2340
平成25年10月9日・記
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やっと、雨に降っていただけた。
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日照り続きで定植した苗も、蒔いた種も芽出しはしたが、どうなることだろうと心配していたが、やっと一安心。
とは言え台風24号が通過した日本海側や山陰・北陸はどうであっただろうか。 実りの秋故に風の被害はなかっただろうか。
自宅の庭の栗の実も弱い風であったが、一気に落下した様子。

↑夕方西の空にやっと青空を見つけた。

↑ハナミズキが色づき、目を止まらせてくれた。

↑つるべ落としの秋の暮は早く、こんな看板に足を速める。

↑自宅の電気配線を伝わった朝顔、夕方早くも萎む。
終わりに近づいた金木犀、湿った香りを辺りに漂わせている。
COLUMN 1−D 2339
平成25年10月8日・記
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『大転換期』がついにやってきたか?
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あらゆる事柄,事象が包含され、組み立てられていた社会構造、秩序。
西欧資本主義の誕生は、其の社会の中の一つであった「経済」が、「市場」という名に転換して社会構造の中から飛び出し、独り歩きしはじめた。
それから約500年、物欲・我欲の追及は是とされ、誰をもコントロール出来ない金融資本となって暴れまくっている。
このところ覗いているインターネットでは、アメリカ国債のデフォルトから始めり、福島原発の嘘と欺瞞の連続発覚、JR北海道の事故・事件等に対して多くの一般の方々が不安と不信を次々と投稿している。
良くもこのような意見、見解を述べられるものだと感心するばかり。
と同時に、ここまで来ると庶民大衆の革命的暴動でも発生しないことには
新たな時代への転換はなしえないと思ったりもする。
が、其の庶民大衆も昭和20年代後半から30年代、40年代前半のエネルギーは感じられない。
全共闘と言われた年代も、60歳半ばを過ぎあるいは迎え、可能ならば安穏とした日々を過ごしたいと願っているように見える。
そこから1代下の年代は不満を持ちながらも、経済的には豊かな時代を過してきた故か、爆発する様な愚かなことに対しては冷静のように見える。
とは言え、どう考えても何事もなく時代が通り過ぎて行くとは思えない。
人間の知恵や行動では事を解決する時は過ぎたのだろう。
神頼みではなく、神の審判を仰ぐときなのだろうか。
今から豊橋行き、豊かな流れの豊川べりを散策してみようと思っている。
COLUMN 1−D 2338
平成25年10月6日・記
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10月6日 犬山・農作業日記
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昨日は期待された雨が結局降らずじまい。
が、安城のOさんは稲刈り日であったので喜んでおられた。
10月3日に定植した苗の状況を心配していたが、一昨日入鹿池に出向いた時に足を伸ばし水遣りをした効果で元気な姿を見せてくれた。
10月3日に初獲りとなった丹波の黒豆、3日間しか経過していないが心なしか更に準BカップからBカップに近づいたように見える。
(全ての実(鞘)が大きくなっているのでなく、4割程度)
黒豆として収獲するのも嬉しいが、日干し、鞘割、分別と道具が揃っていない状況では面倒な作業が続くことも気になる。
枝豆としての収獲で食してもらうと有りがたいところです。
さて、本日の主たる作業は、今月末から始まる玉ねぎ植えの畝整備。
↑今夏、枝豆(大豆)の収獲を狙った畝でしたが、既に報告のように鞘は有れども実なしでしたので、9月22日に撤去していました。
豆科の跡地は根粒菌が形成されており、土壌微生物として地力をアップすると学んでいますので期待しての連作です。
昨年、同じ畝でしたが、市販されている玉ねぎと比較するとベビー玉が多かったので、その後の畝(土)がどのように変化しているか興味ありです。
隣の畝にはまだ丹波黒豆が成長中なので、当面3畝を整備。
大豆にとっては窒素過多ではなかったかと推測していますので、倉庫に大切に保管していた最後の発酵ボカシを薄く蒔きました。
次週17日からは田圃の稲刈り・はざ架けとなりますので、それまでに苗の植え込み可能な状態にまで仕上げたいと考えています。
この間、畑の隣の竹やぶの中で時折、バタバタ・ガサゴソと驚かされるモノ音がします。
初めは判らなかったのですが、ヤブの中の大木の太い枝の間で、2羽のハトが餌の取り合いか、あるいは愛の交歓か?を繰り返していました。
一方、頭上の電線にカラスが止まり、ガーガーがなりたてます。
10月6日というのに最高気温が30度近くなり、竹藪から伸びてきた竹の根切りをしながらの作業は体重調整になりました。
COLUMN 1−D 2337
平成25年10月5日・記
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雨雲流れ 秋と出会いに 朝の散歩
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カラカラ農地 雨待ちなのに 一粒もなし 水遣りの代わりに 朝散歩へ。

↑植物園・大久保池

↑春日井の木・ケヤキも落葉始まる。

↑植物園内にて、カラス達が朝の会話と朝食。

↑車道に広がった山栗のイガ

↑秋明菊(秋冥菊)、漢名・秋牡丹とも言う。
さて、本日は「波動の会」で名古屋でメンバーと会う。
もう、20年近く続く会である。 時間の経過とともに参加するメンバーは減っている。(スピリチュアル系は色々と揺れるのか?柱が揺れるのか?)
失われた20年とも言うが、同じ言を繰り返し語って来たようにも思う。
(知識・意見の交換ではなく、人頼りでなく、行為者でなくてはと自戒)
繰り返している間に、このままズルズルと時が流れるように勘違いする時もないではない。
が、冷静に世の中で起こって事象を眺めれば、この20年間を無駄にしてはならないと気付き・思いかえす会と本日も教えられることだろう。
COLUMN 1−D 2336
平成25年10月4日・記
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犬山・入鹿池の築造と入鹿切れ供養地蔵
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犬山の田圃は今月17日より稲刈りが始まります。
田圃の水は木曽川から引き入れたのもとばかりと思っていましたが、本日の中日新聞・近郊版で「入鹿池」から提供されていることを知りました。

↑中日新聞、近郊版、入鹿池の紹介
紹介されている冊子を取りにくれば無料にて提供とあり早速貰いに行く。
以下簡単に紹介しましょう。
・慶長16年(1611)家康が死去。 家康の第9子・義直が尾張を領有。
入鹿池は尾張徳川家に幕府から配属された「付家老」成瀬正成の領地。
・入鹿の名は藤原期以前、蘇我入鹿のの屯倉の由来から名付けらとも・。
・入鹿池築造と新田開発は、「入鹿六人衆」と言われる地元の推進力となった人々がいた。
六人衆は入鹿雨池が周囲が山に囲まれていることを目に付け、入鹿池の築造を藩に願い出た。
・河内の国(大阪)の土工の名匠と称される日雇頭である甚九郎を呼び寄せた。
・甚九郎は「棚築」(たなずき)という工法で流れを閉め切ることに成功。
・入鹿池築造236年目の慶応4年(1868)5月に、「入鹿切れ」、「やるか水」と呼ばれる入鹿池の決壊が起きた。
・「入鹿切れ」で羽黒地内、其の近隣の被害・流失家屋約400戸、死者1000余人、負傷者1500余人、浸水家屋12000戸の大惨事となった。
その後、犠牲者供養のため、何体かの「供養地蔵」が建立された。
・興禅寺「供養地蔵」、同「大地蔵」等が同寺の境内にある。
(なを、羽黒地内の4カ所の私達の田圃が有ります)
以下写真紹介

↑なんと立派な煉瓦造りの建物

壁面に表示されていました。 ↑入鹿用水土地改良区・入り口
・この建物なら少々の水害でも万全でしょう。
↑いや待てよ。このメインの堤防が破壊すると、その下にある建物は?
左上の森の向こうには、博物館「明治村」の教会の屋根が見えます。
慶応3年(1867)の大政奉還、王政復古の大号令、翌年の鳥羽伏見の戦い、五カ条の誓文と続いた江戸幕府が崩壊し天皇を中心とする新政府が成立する過程を狭義の「明治維新」とすれば、それから146年。
日本のみならず、世界が大転換期の具体的様相を示している。
いつどこで、「平成いるか池」の決壊が発生するのだろうか。
COLUMN 1−D 2335
平成25年10月3日・記
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10月3日、犬山・農作業日記
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10月の声を聞いて日中の気温は30度を超えています。
(本日は29度と予測していましたが、どうなっているか)
9月22日に蒔き、25日に発芽したばかりの野武士大根、、植え込みしたニンニクも水遣りにも行けず雨も降らないので心配していた。

↑さすがは強壮剤としての薬効もあるニンニク、30%の芽出し

↑これまた野武士大根も元気な姿を見せる

↑紅小カブも順調に成長していました。間引きをする。

↑丹波の黒豆
既に報告しましたように、枝豆として栽培した大豆は多分窒素過多で(?)、鞘はあれども実の一つだに無きぞかなしきでした。
一方、上記の豆は丹波の黒豆です。なんとかなりそうだったのでそのままにしておきました。 本日枝豆として一部収穫をしました。
十分な実りではありませんが、普通の大豆と比べ実が大きいので、なんとか準Bカップ並みで口に入りました。
その他の作業は晴黄・白菜、千筋水菜、味王キャベツの定植をしました。
とは言え、自宅での苗の生育が1カ月も経過したと言うのに十分ではなく、この後の成長が心配です。
COLUMN 1−D 2334
平成25年10月1日・記
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遠山藤原学校 9月28〜29日
〜遠山郷スタッフの農作業〜
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9月28日の午後と29日の午前中、遠山藤原学校のスタッフは農作業をしました。
今年からは遠山郷に常駐するスタッフが不在となりましたので、毎日世話をする必要のある作付けは無理となりました。
そこで、5月には雑穀類の苗を定植しました。
防鳥対策も獣害対策もしませんでしたので(電柵は設置してありますが、潜り込めます)、雑穀といえども喰い散らされているのではないかと心配していましたが、収獲できました。

↑草の中ですが、稗はその上に顔を出しています。

↑背丈15センチ足らずの苗がここまで成長しました。

↑穂の部分のみ刈り取り、手で扱き脱穀しました。
Yさんが自宅に持ち帰り、籾摺りしていただくこととなりました。
なを、8月には十分な実りではありませんでしたが、トウモロコシの収獲をしています。

↑雑穀とは違いますが、青首大根、聖護院大根、これまた、草に覆われていますが、立派に育っています。(エナジー水効果か?)
残念ながら抜き菜をしていませんので、背丈のみ大きくなりましたが、11月に入ると漬物にヨサゲな姿で収獲出来ると期待しています。
また、4年間植えっぱなしのネギを3畝、新たな畝に植えかえました。
分株し細く・堅いネギで薬味にするにも支障が有りましたが、年明けには
遠山郷の氷点下の気温の中、トン汁の薬味としても、復活してくれることでしょう。
なを、藤原先生の2回に及ぶ講演会の内容はインターネットで送られてきました、今入力しながら拝聴中です。
COLUMN 1−D 2333
平成25年9月30日・記
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遠山藤原学校 9月28〜29日
〜遠山郷・遠山谷・熊谷次郎さん宅にて〜
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今月も沖縄からのお客さんを迎えての遠山藤原学校、遠くから3泊4日の計画で来られた方々の勉強熱心さに頭が下がります。
「遠山郷から日本を変える」に共感し足を運ぶのみでなく、11月下旬には藤原先生を沖縄にお招きして2泊3日の講演会が開催されると言う。
毎回大人気の”人情の里・遠山郷”でも超一級の爽やかなオモテナシで、知らぬ間に世知辛い世の中の情勢や出来事をスッカリ・スッキリ忘れさせてくれます。
熊谷次郎ご夫妻、兄貴、そして集落の方総出の歓迎でした。
まずは、遠山郷・遠山谷の風景から


左の山が兎岳(2818M)、右が聖岳(3013M)
熊谷さん宅から、ストレートで眺められます。最高の眺望地点

↑手作りの木彫り人形が迎えてくれました。

↑熊谷さん宅の玄関先から眼下の人家を見下ろす。

↑上の写真をアップ。日当たりのよい一角を切り開いた人家。

↑大きく張りだしたベランダの下からは金木犀の甘い香りです。
この舞台装置で感無量・幸せいっぱいです。

↑カンパーイ
誰が言い出し始めたのかは知りませんが、「沖縄方式」とも「遠山スタイル」とも言います。 到着した者から「乾杯の練習」が繰り返されており、
全員揃ったところで、改めて「カンパーイ」と始まります。
特に、意識してお料理の写真は撮りませんでした。
急斜面の狭い狭いところで育てた素材のまさに手作りの品々です。

↑沖縄のリズムが流れれば、エイヤーサー↓


↑左から沖縄初・経営を学ぶ学校・日本人事の當山専務、當山社長、藤原先生、熊谷次郎さん、そして旧木沢小学校の山崎校長の皆さん。
昼の12時前から始まった、懇親宴会は惜しまれて2時過ぎに終了。
遠山谷を下り、遠山川と上村川の合流地点、
かつて森林鉄道の材木の集積場・終着駅「ていしゃば」の広場へ

↑そこでは本年春、地元方の御尽力で50メートが復活しました。 ↓

何もない遠山郷と言われていましたが、また一つ追加です。
何もないどころか、山、川、自然いっぱい、そこに人情が加わり、
媚びることなく・自然体の温かみある空気と会話で包んでくれます。
お出で下さい、遠山郷の紅葉はこれまた最高です。
COLUMN 1−D 2332
平成25年9月27日・記
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飛騨金山に栗拾い
〜9・26日記で、芽出ししたと書いた写真〜
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義理の姉から管理を仰せつかっている飛騨金山の果樹園。
果樹園といっても梅の木が5本、栗の木は今は2本(但し大木です)と蜂屋柿の木が3本という程度です。
一昨年までは9月20日頃より2回ほどの栗拾いで収獲は20〜30Kgはありました。
ところが昨年はゼロでした。 タイミングが悪かったことと、9月末でしたのでご近所の方に楽しんでもらったのだろうと思って諦めました。
さて、昨日は終日強い風が吹いていたので、さぞやたくさん落下したことだろうと思い、車から降りウキウキと坂道を登りました。
ところが、イガの山を見て直ぐに、拾われた後であることが判りました。
果樹園の番人を依頼している叔母さんが、3日間家を開けていたそうですがお帰りになられました。
曰く『今年も山からの猿等にみんな拾われてしまった』と言うのです。
そう言えば、廻りの田圃には今までは見かけなかった1・5メートルもの高さの電柵がアチコチに張り巡らされていました。
話を聞く前までは、頭の黒い猿に持っていかれたのかと、疑心していた自分が少し恥ずかしくなりました。
猿等の活躍時間は早朝ということですので、お山に帰った後に落下した栗を拾い集めることにしました。

↑なんとか800g程拾い集めました。

↑内、半分ほどの皮をむき、今夜の栗飯とします。

↑、それに引き換え、栗の木の下ではミョウガはご覧の通り、冷凍にして保存しようと思います。 刺激の強いものが大好きです。
昨年も、地下茎を掘り起こし犬山の畑に移植しました。 今年はまだ実りはありませんでしたが、来年からは収獲出来ることでしょう。
本年も昨年の倍以上、掘り起こしてきましたので、週明けには移植する予定です。
犬山・畑3号地

↑9月26日の日記で、芽出ししましたと書いた小カブの白(9・22種まき)

↑その隣では9・5火に種蒔きし順調に成長している紅小カブ

↑4回目の大根の種蒔き、「野武士」は発芽率60%で芽出しました。
COLUMN 1−D 2331
平成25年9月26日・記
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