COLUMN 1−D 2360
平成25年11月7日・記
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遂に、判明しまた
春日井都市緑化植物園の閉館の曲目
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本日は「イイカゲン修行僧の日記」の題材もなく、朝からの雨も上がりましたので散歩に出かけました。
クラシック音楽など全くご縁のない私ですが、永年、春日井都市緑化植物園の閉館を告げるバック・ミュージックには耳を傾けていました。
と言いますのは、26・27年前頃、香港で勤務していた時、日本の担当者が編集して送ってくれた店舗でのバックグランド・ミュージックの中に入っていたモノと同じだったからです。
その曲は香港では3年ほど続いてのですが、知らぬ間に耳に焼き付居ていたのでした。
特に、春夏秋冬がハッキリしない香港ではありませんが、湿気を孕んだ雨季から、乾季へと変化するのが11月の今頃からでした。
夏が過ぎ、何かモノ悲しさは漂ってくる夕暮れ時はセンチな気分になり、 この曲が流れると望郷の念にかられたものでした。
(もちろん、全編が流れているのではなく、店舗のバックグランド・ミュージックとしてふさわしい部分の編集でした)。
さて、本日も植物園の閉園時間の30分前から流れ始めました。
何度か、この曲名は何かと訊ねて見ようと思っていましたが、其のままでした。が、本日はスーと足が向かったのです。
案の定、出て来られた方は判りませんと頭を掻きつつ「少し待って下さい」と奥に引き込みました。
その30秒後です。「この方がこの曲を選んだ方です」と紹介されました。
多分、このセンターの責任者の方でしょう、50代後半の方でした。
そして、教えていただいたその曲目は
「チャイコフスキー・交響曲第6番『悲愴』の第一楽章」でした。

↑閉園まじかの園内をバックグランド・ミュージックと共に。↓

何か、ひとつ肩の荷が下りたような感じがしています。
COLUMN 1−D 2359
平成25年11月6日・記
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11月6日 犬山・農作業日記
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明日・11月7日、軽く農作業をしようと思っていました。
本日・11月6日、豊橋からの帰りのラジオで、明日は雨が降るとの予報に変更になったのを聞きどうしようかと迷った。
春日井ICに近付くと約1Km先から、出口への測道が渋滞していました。
これは本日中に作業を終えときなさいとの啓示と判断し、小牧ジャンクション経由して小牧東IC廻りで犬山へ。
畑3号地
・人参の抜き菜〜テンプラで頂くつもり
・野武士・大根の抜き菜〜虫に食われて惨め,固そう。
・ニンニクの草引き〜早いうちの草引き、簡単
・エシャロットの土寄せ〜芝系の草が伸びてきている。
・遅くに芽出しを始めたジャガイモの土寄せ(果たして収獲まで行くか?)
・11月3日に終えた玉ねぎの活着率は90%以上
・千筋水菜の収獲(4株)〜11月3日収獲し卵綴じで頂く、時期がジャスト なのか美味しかった。千筋水菜の栽培は初めてでした。

↑右から千筋水菜、人参の抜き菜、野武士大根の抜き菜
畑1号地
成長が悪かったサトイモ、今月末ギリギリまで待って収穫しようと思っていましたが、なんと既に葉が全て枯れてしまっていました。
根元の茎は残っていますので見付けることはできましたが、今週から冷え込むとの予報、根元が腐らないうちに掘りだす必要あり。
但し、15株ほどなので作業的には心配なし。
今年、自己判定及第点のトウモロコシ、肥料喰いなのに肥料なし、檜の葉・バーク堆肥とエナジー水のみでの収獲でした。
獣害を考慮するとこの畑この位置しかなく連作となるがどうしたものか?
草刈は終え、畝に被せてあるので越冬させれば来期も期待できるか?
畑1号地の周辺の田圃はまだ刈り取りが終わっていない所もあり。
私たちも11月10日に最後の刈り取り(1号田圃)、1号田圃の5畝分は既にハザ架けして3週間以上が経過している。
脱穀も並行して実施することになります。天候が気になります。
COLUMN 1−D 2358
平成25年11月4日・記
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里にも紅葉が・・・
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↑自宅のコンクリート・ブロックにつたわって伸びたツタ

↑自宅前のナンキンハゼの街路樹も紅葉始まる。


↑定点観測の大久保池・ラクウショウ。

↑植物園内を流れる小道に沿った小川と落ち葉。
COLUMN 1−D 2357
平成25年11月3日・記
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11月3日・犬山・農作業日記
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畑3号
本日、タマネギの植え込み300本、10月24日より始まった玉ねぎの植え込みはトータル1250本で終了。
なを、タマネギの苗代は10月28日飯田IC「リンゴの里」にて、50本330円と350円で購入してきましたが、高蔵寺JAは50本300円でした。
苗自身の質は変わらないと判断しましたので、高蔵寺に軍配。
とは言え、1本当たりの単価は白玉ねぎで6〜7円、赤玉は30本単位で300円だから10円となります。
来年は苗づくりから挑戦しようと思ってますが、マトモナ苗となるだろうか。
田圃1号の稲刈り
急ぎの畑の作業は特になかったので、田圃1号地の稲刈りに合流。
1・1反の田圃の内6畝は事前に草抜きをしてあり、10月13日に稲刈りを終えていました。
が、残っている5畝はバインダーで刈り取る事を躊躇するほどに草が生えています。
そこで、手刈りして、草を選りどり、紐で縛り、ハザ架けするという手順。
3時間ほどの作業でしたが、脱穀し、籾すり、精米すると、御茶碗何杯分となるでしょうか?
残り3畝、それ以上の草のところはギブアップしました。
次回、稲と草も一緒に稲刈り機で刈り取りハザ架けし、脱穀したらと提案するつもり。
かつて、瑞浪で同じような状況になった時、草の種は既に落ちていましたので、籾のみを収獲にすることが出来た経験を持っています。
他のメンバーが賛同してくれるかどうか判りませんが、そのまま田圃に捨て置くか、刈り取り後田圃で腐らすかよりは良いのではと思っています。
一度、適切な手当てとその後の管理が行き届かないと大変なことになることを改めて認識させられました。
遅れていたお隣りさんの田圃も昨日(?)の刈り取り、本日は田に寝かせたままの状態から、一気に脱穀をされていました。
こちらも10月の収獲時に雨に祟られ、非常時の収獲となったようです。
周辺の田圃の稲刈りは終了しており、私達の3畝の田圃のみが、黄金色を残しながらも草と添い寝をしたように傾いています。(寂しい)
COLUMN 1−D 2356
平成25年11月2日・記
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柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
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毎年のことですが、11月の声を聞くと同時に、豊橋から次郎柿が送られてきました。
私の御先祖様は豊橋の石巻・萩平で「次郎柿」の産地です。 戦争で一族の直系の跡とりが亡くなり、其の地は途絶えました。
大きな敷地は人手に渡り、一面が柿畑に生れ変わっています。

↑送られてきた柿です。
大嫌いな蚊もほとんど出没しなくなり、大きな柿に線香供え御苦労さん。
11月1日・午後、前日の農作業の疲れが残っていましたが、青空に誘われて散歩に出かけました。
田圃の刈り取られた稲株を眺めながら気持良くユックリと散策していますと、正に秋の釣べ落とし、陽が西の空に沈みます。

風の向きが良かったのか、ニュータウンにある円福寺の鐘の音が届く。
そこで一句、「柿食えば 鐘が鳴るなり 円福寺」

11月2日、本日はほとんど疲労感も感じません。 午後から波動の会です。 20年ほど続いている会ですが、時間の経過とともに参加者が減少。
多分、今回の参加者も数名のことでしょうが、時に他の会のメンバーも加わっての意見交換は新たな視点からの発言が有り刺激になります。
時進み、時代転換を五感が、六感が感じさせます。
共有できる価値観の友を持つことを感じずには居られません。
COLUMN 1−D 2355
平成25年11月1日・記
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自家製の大根切干
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10月末の遠山藤原学校の時、旧木沢小学校の裏手の農園で収穫した大根。
1月に一度しか手を入れないので、抜き菜もなく青首大根はせめぎ合って細々と上に向かって伸びていました。
そのままにしておけばボツボツ霜が降る頃、ノビノビと成長出来るほどに間引きしました。 12月の霜月祭りの時はオデンの具になるでしょうか。
持ち帰ったのは良いですが、漬けモノにするには早すぎます。
そこで大根切干にして見ようと、小さいものを選んでサカガケして干した。

↑干して4日目の状態、この笊に2杯分がこれほどに干し上がりました。
しかも懐かしい切干大根の香りがします。
これなら間違いない出来上がりになるだろうと、残しておいた少し大きめの大根も切干にすることとしました。

↑ご覧のようにまっすぐに伸びたモノはありません。

↑サカガケした状態。
太陽の熱と温かさに改めて感謝、3日の日曜日以降は一段と気温が下がると言う。 冷たい寒風が吹いてくれると甘さが増すことだろうと期待。
簡単な作業ですが、子供のころに体で覚えた動作は忘れていませんでした。 体験してきたことは何時まで経っても役に立つものです。
COLUMN 1−D 2354
平成25年10月31日・記
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10月31日 犬山・農作業日記
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10月28日、遠山郷からの帰り飯田ICの側の「リンゴの里」に立ち寄りました。
毎朝、地元の農家の方々が朝どりの野菜を持ち込みます。 新鮮な上に春日井のスーパーの価額の半値というお値打ちさです。
そこで、タマネギの苗を見つけました。 植え込みまで3日間あるのでどうかなと思いましたが購入。
(価額はまだ調べていませんが半値とはいかないと思います)
新聞紙にくるみ、タップリと水をやりました。 その夜のことです、夜中に目覚め「あんなに水を掛けると腐ってしまうよ」との声が聞こえました。
真夜中の3時でしたが、飛び起きて新しい新聞紙に包み直しました。
畑3号地

↑10月24日早生310本、本日、中生650本を植え込みました。
次回は晩生の苗を300本植え込みますと、終了です。
トータル1200本強ですが、果たしてどれほど活着することでしょう。

↑収穫の秋という程でもありませんが、大根、キャベツ、紅カブ

↑千筋水菜も収獲時期に入りました。隣の白菜も大きくなってきました

↑どうなるかなと心配していました芽キャベツもここに来て順調に成長。
今夏の惨めな夏野菜の結果よりは、少し息を吹き返しています。
種まき
一番過酷な畑(中央の島・開拓地)に3畝、30株分。
夏野菜で唯一活躍した(といっても秋野菜として)ナスの跡地に、実とりエンドウを2畝、25株分。
稲刈り 田圃4号地
本日は遅れている稲刈りも有り、4畝の稲刈りとハザ架けをしました。
まだ、 猛烈な草に攻められた1号地の田圃、5畝が残っています。
10月13日・1番刈りのハザの稲は脱穀の時となりました。
平均・週一農作業、雨にも祟られて時間に追われています。
明日はもう11月です。 お盆を過ぎると本当に足早に時が流れます。
いつの間にか、ハロウイーンという祭り?行事?が定着してきたようです。 明日からはジングルベルのメロディーが流れることでしょう。
COLUMN 1−D 2353
平成25年10月30日・記
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焼夷弾に焼かれた地の金木犀が咲く
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私の実家・豊橋は1945年6月19日、米軍機B29の延べ136回の空襲=焼夷弾の投下によって徹底的に焼きつくされた。
豊橋は明治17(1884)年、軍国日本の「歩兵18聯隊」が設置、明治41(1908)年には「第15師団」置かれ、「軍都」と称されることとなった。
姉に聞いた話によると、現在の住所より100メートル程離れていると言うが、戦後の区画整理で当時の道筋は全く判らない。
が、井戸の周りの土を掘り返すと10センチも満たないところから、赤茶けた瓦礫や焼け爛れた土が掘り起こされる。
30数年前、家を建て替えた時、狭い庭でも緑が欲しいと数種の花木を植えました。
モッコク、花ミズキ等の数種は枯れてしまい、今はその姿は見えません。
その中に金木犀があったのですが、一向に花を付けることはなかった。が、数年前から姉が米の溶き汁を与えると少し花芽を付けるようになった。
しかし、あの金木犀独特の香りは鼻を押し付けないと匂わなかった。
先週豊橋に行った折、眺めてみたが、代わりばえもせず今年も同じことだろうと思っていましたが、今週、これまで見たこともない開花をしていました。


焼夷弾に焼かれた赤茶色のガレキの地から黄金色の金木犀が開花。
今の時代、当地には焼夷弾の投下こそありませんが、これまでの世界の地政学上の秩序や金融体制は崩壊の危機に直面して居ると認識します。
どのような事変や衝撃が襲ってくるのか実感としての想像はできませんが、戦後68年瓦礫の地に咲いた金木犀の香りに癒されました。
COLUMN 1−D 2352
平成25年10月28日・記
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10月26~27日
本年最後の 遠山藤原学校
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台風27号によって、沖縄からの参加者のフライトを心配しましたが、10月25日無事に中部国際空港に到着の報入る。
その折のこと、沖縄から来られなくとも『他の参加者が一人でもあれば開催します』と藤原先生の一言。
「遠山郷から日本を変える!!」と言った先生の本気度というか、真摯な姿を再確認しました。
沖縄からの8名の参加者、他に山梨からの2名の参加者も含めて開催。
沖縄からの参加者は兎に角、今回もお酒も飲み、踊りもし、盛り上がりもしますが本当に勉強熱心です。

多分初めてのことと記憶しますが、26日・27日で8時間の座学でした。
世界は今、大転換期から始まり、アメリカ・サウジ・イスラエルVS シリア・イラン・北朝鮮の戦いの実態と今後の展開予測。
五族共和の理念は誰の発想であったか。その日本とアジアの戦前からの関係と今日の情勢。
して、これから課題解決は、二宮尊徳の教えと行動と多岐に渡りました。
私は 全ての講演(講義)には参加できませんでした。
今回の日程は犬山の稲刈りと重なってしまい迷いました。
が、遠山郷・旧木沢小学校前の小さな花壇の世話を女房がしており、半月前に花の苗を発注しており、届けなければ成らない事情もあり、
私の方も遠山藤原観光農園に手を入れなければならず、雑穀の収獲、大根の収獲、草刈と畝整備し、その後玉ねぎの植え込み、エンドウ類の種蒔きと追われ、講演(講義)の方には半分以下しか出席できませんでした。
本日(28日午後)、既に其の時講演(講義)内容が録音され、インターネットで送られてきており、後日拝聴することになります。
今回で遠山藤原学校としては今年最後となりますが、、12月には小道木・熊野神社、そして木沢・八幡神社の「霜月祭り」と繋がってゆきます。

↑10月28日の朝は本年の最低気温で校庭の木々が紅葉です。↓


今回、参加スタッフが少なく、写真を撮っているユトリが有りませんでした。
COLUMN 1−D 2351
平成25年10月24日・記
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