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 COLUMN 1−D 2380

                          平成25年12月8日・記

       12月8日 犬山・農作業日記



 遅れていた脱穀、そして籾摺りも終了していますが、慣行農法で実施した田圃1号の半分が草(雑草)に覆われ、稲と一緒に刈りこんで天日干ししていた分が残っていました。

 一人や二人で作業をしたならば、『止めとけ、燃やしてしまえ!』というところですが、4人で草と稲を区分けして脱穀をしました。

 この周辺の田んぼでは私達の田圃しかハザ架けは残っていず、集中して雀さんが突いてくれた状態の空籾の稲穂も目立ちました。

  収量は籾付きで15Kgという、作業量に比較して惨めな成果です。
 
 『この米の販売価額は10Kg当たり、T万円でもお安い手間賃です』と会話しながら気温が上がって来たホッコリ空間で時間を過ごしました。

        

   ↑脱穀後、枯れ草と稲藁を燃やしました。 と言いますのも、凄く成長した草の種がビッシリと落ちているのが確認できるからです。 ↓


       

  目先成果のないこの作業が来年には大きなお返しをくれるのではないかと、慰めの言葉を交わしておりました。

 3号畑

    11月14日に散布してから3週間ぶりにエナジー水を散布。

 12月5日に収穫した秋ジャガイモ、料理が上手でもあったのでしょう、Sさんが美味しかったと言う。

 昨年からスタートした春ジャガイモは収量も極少なく、御世辞にも美味しいと言えませんでした。いやまずかった。

 今秋、種芋代金がもったいなく最小限の植え込み(、しかも腐敗菌(?)で半分枯れた)、が、この味ならば何とか及第点かと胸なでおろす。

 エナジー水が何処で、どのような効果を表しているのか因果の程は判りませんが、実績が出てくれば前向きにもなれます。

 
       今朝の犬山の畑は霜で覆われていました。

 やっと巻き込み始めた白菜、マルチシートから細々と伸びている姿で越冬するニンニク、タマネギ、エンドウに降った霜。

 耐えて春くるを待つ彼らに、ここから端境期にはなりますが、時折顔を出しますと声をかけました。



 COLUMN 1−D 2379

                          平成25年12月6日・記

      丹波の黒豆・ 一応出来上がり



 大豆の背丈は伸びましたが、未成熟の成りのままで枝は肥やしとなった  (多分、窒素過多と判断しましたが、どうでしょうか)

 諦めていた丹波の黒豆は10月の中旬以降枝豆として食することが出来ました。 未成熟な鞘が大半でしたが、一粒一粒の実は大豆に比べ大きく
 、それなりの食べ応えはありました。

 11月14日にハザ架けをする。

 11月28日、鞘のみを枝から外して、持ち帰る。
 
 その後、自宅のベランダで日干しする。 この間は天候に恵まれ鞘の水分はかなり飛んだが、それでも鞘は自動的には弾け開かなかった。

 そこで、良く乾燥したとも思われるモノのから木槌で叩き実を取りだす。

 12月4日、やっと鞘からの取りだし完了後、虫食いや未成熟なモノの第1回取り除き、再度豆のみで日干し。

        

       ↑12月6日、2度目の選別をする。不良豆の状態。

        

               ↑、良しとした良の豆。

        

     ↑が、良とした豆もアップの写真にすれば、ご覧のとおり。

 ”虫に喰われないような豆は美味しくない”と言い訳し、少々白く見えるのは成長しすぎて中身が飛び出してきていると判断しました。

   大豆の収獲は2年前に行い、最終大豆にするのに時間がかかった。

 それ故、枝豆で食してしまうことを考えていましたが、最小限をハザに架けてみました。

            案の定、手間暇がかかりました。

 日向ぼっこの老人仕事にはうってつけと思いました。 が、まだその境地には至っていないと改めて認識しました。

 上記のレベルの選別状態で800gの全収量では、手先作業のボケ防止とでも思わないことには続けられる作業ではありません。


 ところで、お借りしている畑の内、本年はギッブアップしました2号畑。

 来期は2号畑・6畝の内、2畝を大豆で挑戦しようと草刈等の整備に入っています。

 大豆ならなんとかなろうと高を括っていますが、来年の今頃はどのような報告をすることになるのでしょうか。



 COLUMN 1−D 2378

                          平成25年12月5日・記

      12月5日 犬山・農作業日記

      〜天日干し・新米を持ち帰る〜



  1号畑
 
   先週のサトイモ畝に続き、今夏のトウモロコシの畝を耕転・整備。

 有機肥料は稲藁と檜バーク堆肥、そして草のみ、来春、複合発酵ボカシを投入予定。(今夏、エナジー水はタップリと頻度も多かった)

 今夏、自己評価で及第点のトウモロコシの出来栄えであったので、サトイモの畝も時間差を持ってトウモロコシを植え込んでみようと計画している。

 この畑のみが獣害(ハクビシン?、ヌートリア?)にあっていないので、二匹目のドジョウを狙う。

 2号畑

 
今週もSさんが草刈に精を出す。 現場を踏んでいないので判らないが、
 先週も記録しましたが、年明けに一気に燃やす予定。

 3号畑

 先週はまだ青々としていたジャガイモの葉が一気に枯れた。キツイ霜。

 新規購入デジマの種芋4Kgはナス、ピーマンの跡地に植え込みましたが、ナス、ピーマンに施した複合発酵ボカシが未乾燥で施肥したため、ナス、ピーマンに続きデジマも腐敗菌(?)で、腐ってしまった。

 (上記のことは私の推測、と同時に同じ失敗をしたらしいい先輩の教え)

 新規購入西島種芋2Kgは秋ジャガイモとしては50点の出来栄え。

 西島は上記のデジマ種芋の隣の畝でしたが、収獲までに至ったと言うことは、腐敗菌説(?)も見当違いではないのかなと考えます。

 其の御隣のジャガイモの種芋は遠山郷の下栗の市販品でしたが、芽出しが遅く成長不足のまま枯れ倒れこんでしまいました。

 
 白花絹さやエンドウ、紫花絹さやエンドウは90%の発芽、実とりエンドウもOK、但しスナックエンドウの発芽が確認できない。

  支柱を施すには早いが、温かい好天に押されて一気に実施。

 来春、これらのエンドウが一気に収獲と成ったら、米の代わりにこればかり食していなければならないと一人苦笑する (取らぬ狸の皮算用)


 天日干し・新米を持ち帰る

 
11月17日、脱穀、籾すり、そして収獲祭の時、釜焚きで頂いたご飯は例年に増して美味しかった。

 今週に入りMさんが籾すり機の修理・調整をして全量の籾すりを終えていただいており新米を90Kgも持ち帰りました。

 息子たちもこの味は知っており、『今年はまだか』との声が聞こえていた。

 先程高蔵寺農協に行って精米を終えてきたので、今夜は「ゴマ塩を振りかけただけのご飯」で、新酒を頂きながら至福の時を過ごします。



 COLUMN 1−D 2377

                          平成25年12月4日・記

         タクアン漬け・完了



      昨年に続き、本年もタクアン漬けに挑戦する。

           

   ↑少しでも本物に近づこうと遠山郷のタクアン漬け名人たちが利用するだろう「炒り糠」を遠山郷から購入してきました。

        

    ↑ザラ糖、食塩、味出しようにカタクチイワシとカット昆布。

        

   ↑肝心の大根は11月28日から日干ししている大根上記の写真は干し上げる前)と12月1日遠山郷から写真の三分の一程の大きさの大根(というよりは抜き大根程度)は2日半で同じくらいに干し上がった。

        

            ↑甕だけは立派なものです。

  昨年、化成品の漬けモノパックを購入してきたが、こちらの方が本物のようでこちらを選びました。

 今月末になれば、水も上がり食することが出来るようになるでしょうか。

      なを、リンゴの皮、柿の皮も少しづつ投入しました。

      クチナシの実がありませんので、色づけは無。

   漬け始めるまでは腰が重いですが、始めれば楽しいものです。
    もちろん、本日は風もなく、小春日和の好天の下でした。


 COLUMN 1−D 2376

                          平成25年12月2日・記

   11月30日から12月1日  2日帰宅

           遠山郷・「霜月祭り」へ



      

    ↑中央高速道路、飯田IC手前、白い山並みは南アルプス
          手前の黒く見える山並みは伊奈山脈。

 11月30日の午後2時間ほど、遠山藤原学校の農園の畝の整備。
 その夜は藤原学校のスタッフとその関係者で本年最後の盛り上がり会。

 早めに盛り上がりましたので、8時過ぎには有志で、和田地区の何時もの歌えるスナック会場で更に盛りあがったと言う。


 12月1日

       

 ↑この時期、春日井や名古屋ではこんな霜を見ることはない、木沢集落。
     
         
 
           ↑旧木沢小学校の校庭の枯れ葉と霜

         

    ↑本日の祭り会場・熊野神社に向かう。会場から立ち上る煙。

   


        

         ↑禰宜様を先頭に、遠山川から若水を頂く。

        

  ↑集落の氏子が少なく、本年も藤原学校のスタッフが特別氏子で参加。

       

     ↑本日の祭り集落の一つ「河合地区」に通じる吊橋。

         

       ↑吊橋のたもと、大きな岩の下に祀られています。

              

        ↑狭い神社の庭に立て掛けられたていました。↓

         

     ↑気の出る神社として知る人ぞ知る神社、私は感じます。

        

 ところで、この熊野神社は国道152号線から20メートル下ったところに鎮座しています。

 こんもりと茂り神社らしい雰囲気を漂わせていましたが、その敷地の一部をかすめて新しい橋が架けられ始めました。


        

 ↑この橋とトンネルが開通しますと今まで木沢〜和田地区までは車で約10分ですが、5分に短縮されることでしょう。
 

        

  ↑国道152号線は静岡県・浜松市から諏訪湖の茅野市を経由して長野の上田市まで通じる三河・遠州・南信濃を結ぶ主要道路ですが、2カ所の不通区間が有り、全線開通までにはまだどれほどの時間がかかるのでしょうか。

 が、ここ南信濃では重要な公共事業なのでしょう、休むことはなくユックリと工事が進められています。

    熊野神社の神様もその変容ぶりに驚かれていることでしょう。


 12月1日、中立稲荷神社(日月神社)の祭礼「霜月祭り」にゆく。

 
熊野神社の祭礼には過去参加していますので、同日開催される「中立神社」の祭りに参加することとしました。

         

 ここは集落の人口が減少したためでしょうか、八日市場「日月神社」と中立「稲荷神社」が1年ごと交互に開催されています。

 其の為でしょうか。中立「稲荷神社」に、日月神社の雪洞が有りました。

        

      ↑女衆が外で夕食・宴会の用意をしておられました。

        

       ↑神社内・舞堂といっても、ご覧のとおりです。

     

    ↑PM6時半前、湯立ての釜を囲み、ムシロ御座を敷き詰めて、
        集落の方の持ち寄りの御馳走が並びなした。

        

   ↑勧められるままに座り込みますと、ヤカンでお燗を付けた日本酒が、左の長老の勧め上手についつい口に運んでいしまいます。

        

          ↑PM7時過ぎに神事は始まりました。↓

        

        

   ↑3代揃っての祭りばやし?遠山郷は限界集落と言われていますが、
 この地区の顔ぶれを見ていましたら、壮年期の方々も居られ若く感じた。

       

  ↑特に、PM8時になりましたら、飯田市・浜井小学校の5・6年生50人弱がゾロゾロと入場してきました。

 学校の課外学習で霜月祭りの笛の練習をされており、本日が本番の発表会ということでした。

         



 


         

 一点を見つめる子、陶酔している子、太鼓の音に必死に合わせる子。

 この子らの存在が有る限り祭りは継続し、たとえ一時この地を出てゆく事が有っても、この思い出と経験は心の奥深く永久に残ることでしょう。


 この祭り会場から飯田市に直接帰られる方の車に乗せていただいてきましたので、帰りの車は手配していませんでした。

 折よく、木沢の方にお会いして、乗せていただきましたが、軽トラックなので助手席は1人までです。

 女房を荷台に乗せるわけにもいかず、星空を眺めながら帰りました。

 最悪、歩いて帰る予定でしたが、後から考えると夜道を3時間近く歩くことになる事を免れました。

      何時も持参している「漢方の風邪薬を一服」。

    夜中に数度目覚めましたが、体調は大丈夫のようです。



 COLUMN 1−D 2375

                          平成25年11月30日・記

     昨日は干柿を親戚・知人に送る。   

     結果、夕やみ迫るってからの散歩となる



 一昨日の朝、車の中で朝食をとっていた犬山の畑の相棒に、『ハイ、デザート』と渡した干し柿を帰宅後に食した彼が、わざわざ『これは美味しい』と電話をくれました。

     嬉しくなって、少しこの柿の蘊蓄を語ってしまいました。

   昨日はまだ早いかと思われる干柿を親戚に送付しました。

 干し始めて18日、まだ柔らかいのですが中には、その柔らかいところが好きだという方もおり、少し渋味も感じますが送ることとしました。

 包装資材が不足しておりホームセンターに購入に行きますと、『プチプチですか?』と問い返されました。

 確かに、空気を内包した包装材は指で押しますと”プチプチ”と音を立てます。イライラしている時にそれを潰すと気が治まると聞いたこともあります。

 数軒のことですが、まだ柔らかい干柿を丁寧に包んでいますと時間が経過しました。

       

   出掛けにはまだ、西の空に陽が残っておりましたが、ひと廻りして来ると残照も消え、公園の街路灯の灯りに存在感が有りました。


 11月30日、本日只今から遠山郷へ出発です。 旧木沢村には私の知る限り4カ所の霜月祭りが有りましたが、1か所は既に閉鎖中。

   12月1日の熊野神社の祭礼がトップを切って始まります。

      少しばかりの御裾わけの干し柿を持参します。
            

 COLUMN 1−D 2374

                          平成25年11月28日・記

      11月28日  犬山 農作業日記 



  1号畑
 
 そのまま越冬しても問題はないのですが、今夏及第点であったトウモロコシをこの畑で再度実行しようと、本年サトイモの畝を耕転しました。。

 といっても、畝自体はそのままで、枯れ草を敷きこんでみました。↓

        

   今夏トウモロコシを収獲した畝は次回に耕転しようと思います。

 2号畑

 マルチシートを使って大豆を植えることにしました2号畑、11月14日に防火帯づくりの草刈をSさん実施、本日もSさん第2回目の草刈。

 今春1度畝作りりた所は、その原形をとどめている。来春活用できそうです。 草刈後の草焼は年明けでないと十分な乾燥をしないだろうと判断。

 、3号畑

        ハザ架けしていた丹波の黒豆を枝から外す。↓

         

   ↑今朝、軽く通り雨が有り湿気っているし、虫喰いが多そうだ。
      自宅に持ち帰り、再度干しで鞘打ちをする予定。

         

        ↑緑肥としての大麦が発芽しました。2年目です。

 複合発酵エナジー水と複合発酵ボカシ、そして檜バーク堆肥、そして草(雑草ともいう)が能天気農法の主力栄養素。

 今年は昨年蒔いた大麦の緑肥と昨年の稲藁を畑全面に敷き詰めました。
 来春には稲藁が腐り窒素分を提供してくれるようになるのでしょうか?
 
又、今秋は未熟にしか成長しなかった大豆のガラを一部通路に敷き詰めました。

         

        ↑超早生という玉ねぎを初めて植え込みました。

 確かに他の早生、中生と比較して成長が早い、 但し、今冬は気温が低いという、果たして無事に越冬してくれるのでしょうか。

         

  ↑4度の種まきした大根、早く成長したモノから収獲してきました。

      昨年、初めて遠山郷の方に教わり大根を漬け込みました。
 
 なんとか、食べられる程度のモノは出来上りましたが、人様に差し上げることは控えました。

 明後日・30日に遠山郷に行きますので、再度教えていただくと同時に、糠漬けを遠山郷・木沢のコンビニエンス・百貨店で購入して来る予定です。

         

   ↑我が家のベランダは干し柿、大根、そして丹波の黒豆です。

    何と贅沢に安心・安全な自然食品に囲まれていることでしょう。
 
 写真には有りませんが、この他姿・形は今一ですが春菊、ネギ、紅カブ、白カブ、サトイモ、水菜、キャベツが夕食の食卓にのぼる予定です。↓

         

                 ↑車のトランクの中


 COLUMN 1−D 2373

                          平成25年11月27日・記

    一昨日の強風で枯れ葉が飛び散りました  



  11月末ですから晩秋と呼ぶのでしょう。が、今晩からは再び寒波襲来と報道しています、「初冬」という季語に一気に変わることでしょう。

         

   ↑自宅の紅葉真っ盛りだった花の木の葉が一気に吹き飛びました。

         

    ↑根元に降り積もっています。長い脚の影は一本檜の影です。

         

   ↑ナンキンハゼの街路樹もご覧の通り、毎年この時期に一度春日井市の清掃車が廻ってきますが今年はまだのようです。

 近くの中学生も通学路の清掃をしてくれますが、まだ木に葉が残っておりもう一雨来るまで模様眺めでしょうか。 

         

     ↑庭に戻るとドウダンツツジが真っ赤に燃えています。

    其のドウダンツツジの上に乗っているモノは何でしょうか?

 割れた大きな壺(花瓶)です。 20数年前、瀬戸の「瀬戸物祭り」で購入してきました。 其の時から割れていました。

 その壺を制作しただろう若者が抱えるようにしていた姿を見て、『それどれほどで販売してくれる』と声を掛けると、確か『2000円』と言われ、購入してきたものです。

 それ以降、庭のアチコチに捨てられていたり、時には坪の中に花瓶を入れて一輪挿しと洒落こんだこともありましたが、捨てられず今日に至っています。

  役立たず・不用品と庭から姿を消さずにいるのは何でしょうか?


     12月1日、遠山郷・小道木・”熊野神社の霜月祭り”です。

 姉の体調の安定状態を見届けようと豊橋に行っておりましたが、有難いことに11月30日、遠山郷に行くこととしました。

 キャンピングカーもスタッドレスに切り替えていますので、足元もOK.

 「寒い、煙い、眠い」の祭りと言われていますし、事実その通りです。
 
 本年も遠山郷に何度足を運んだことでしょうか、10回は下らないと思います。「遠山郷から日本を変える」というスローガン(理念)に共感しています。



 COLUMN 1−D 2372

                          平成25年11月24日・記

       瑞浪・百姓学校の収獲祭へ   



 本日は犬山の脱穀の予定日でしたが、2000年4月から2013年の6月まで農業指導で御世話になった瑞浪の百姓学校の収獲祭に参加しました。

         

 ↑旧中山道の細久手の宿場町を越え、七曲を下ると深沢集落の百姓学校の大木欅が目に入る。

       

    ↑見慣れた大収獲祭の看板と紅葉したヒマラヤ杉の大木。

 
  世の中も様変わりしている時、15年間に渡り事務局・幹事をして来られた方が、若い世代へのバトンタッチの引き継ぎをされた。

 このところ新しいメンバーの募集もしていなく仲間は少人数でしたが、20代〜30代の方々が来期から新たな運営方法でスタートすると言う。

 又、この校長の孫息子が来期農業大学を卒業し、この地で酪農の関係の取り組みの計画もあるようだ。

              

↑本年85歳になられる校長も、益々日本農業の再生復活の持論を語る。
    その信念と情熱は一向に衰えていないどころか意気軒昂。

         

           ↑本年収穫した餅米を杵臼で搗く

  このところ市販の餅も美味しくはなったが、きめの細かさ、粘り、肌さわり、歯ごたえは比べモノとならない。 少し食べ過ぎてしまった。

      

  ↑最後は、裏山に登り、祀ってある氏神様に本年の収獲が無事終了したことの報告とお礼を申し上げてお開きとなった。

 昨日に続き、日中に気温が名古屋で16度まで上がり、当地瑞浪も日当たりのよい南向きの斜面、何時に増してのんびりした時間を過ごしました。

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 COLUMN 1−D 2371

                          平成25年11月23日・記

   12月の声を聞く前に庭の手入れを終えたい   



      ご近所の家の庭と庭木がドンドンと綺麗になってゆく。

 春日井市からの高齢者のよる人材派遣の庭師もいれば、専門業者の職人が一気に5人ほど入り、午前中で仕上げて行く家もある。

 依頼すれば片手では済まないことだろう、いや健康法だと呟いて本日で5日目、少し見通しがついてきました。

         

↑1・5坪の庭の隅の大松、生モノを捨てるので肥やしとなって生育が良い。 
 素人庭師で取り組み始めた20数年前は、怖々と剪定するので、今よりは小ぶりの松であったが8時間以上を費やしていた。

 剪定してはいけない枝を切り詰めて、ポッキリ・スッキリの姿にしてしまっていました。

 数年前からが手慣れてきたことと、思い切りが良くなり今回は3時間で仕上げる。

      上記の写真は松の天ッペンで一番苦労する所です。

         

   ↑こちらが仕上げたあとの姿です。写真の角度は違います。

         
         本日はあと一本で松は終了します。

 自宅に来た時は一番の器量よしで、姿も良かったのですが、その周りに竜の髭を植え込み、しかもその間から蕗の薹が生えてきました。

         

  ↑松の根元の竜の髭とまだ残っています蕗の葉。花の木の枯れ葉。

 蕗の薹は春に蕗味噌で美味しく頂き、蕗自体も数回煮モノで頂きます。が、松にとっては迷惑千万のことです。

 栄養が回らず、同じ時に来た他の松に比べると半分の幹回りにしか成長していないのも無理からぬことです。

             

   ↑1時間で出来上がったその中央の松、枯れ枝が目立ちます。

 アットと言う間に剪定が出来る気立てのよい子ですが、今更竜の髭をはぎ取ることもなかろうとそのままにしています。

 隣の檜を思いっきり切り詰め、藤棚の蔓も切り詰めて、今年の大物仕事は終了しました。


  
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