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 COLUMN 1−D 2400

                         平成26年1月14日・記

        72回目の 誕生日の日に       



 中部大学・オープン・カレッジ・2013年度の秋期の講義内容は徳川時代末期から近現代に至る日本経済史の展開を、19世紀半ばにおける近代化の出発と国際経済システムへの対応と反発という観点から再検討するものです。

 全15回の講義内容ですが年が明けて2014年1月7日の第13回の講義より、当初の計画が変更され、学生、聴講生も参加する形式で簡単な質問の問いかけが取り入れた内容となりまqした。

 先週は「資本主義とは何か?」 現代に至り全てが「カネ、カネ、カネ」となっているが、果たして当初はどのようにして生まれたか?

 そして、資本主義社会の当初では考えられなかったものが現代では「擬制商品化したものはどのようなものであるか?

 当初は「土地」、「労働」、「資金」が擬制商品化されたが、21世紀になると資源の水、あるいは電子マネー、クレジットが現れた。

 あるいは医学における「腹貸し」も擬制商品と言えるのではない。

・「資本主義」と「封建社会」のどちらが良いかの問いかけには、若い学生はほとんど「資本主義社会」と答えた。

 が、では「経済学における正義”交換の正義”=市場における自由な交換、機会均を保証する正義=小さな政府

 ”分配の正義”厳しい自由競争における「結果の不平等」を保証する正義=大きな政府。については意見は分かれた。

 そして、本日14回目は「不確実性の時代-- 市場の狂喜とバブル」が取り上げられた。

 宝くじで8億円が当たりました。 当たった8億円を貴方ならどうしますか?

 「投資」はあなたにとって身近な行為ですか?

 「賭け事」は好きですか?将来貴方自身投資家になりますか?
 等の質問が続きました。


 来週は其の設問に対する学生の全体的な見解が聴けることでしょう。


 その前に、自宅に帰り復習していますと、以下の文面に出会いました。

 

----「興奮したムードが市場に拡がったり、投資の見通しが楽観ムードに包まれるような時や、特別な先見の明に基づく独特の機会がある

 という主張がなされるような時には、良識あるすべての人は渦中に入らないほうがよい。

 これは警戒すべき時なのだ。

 たぶん、そこには機会があるのかもしれない。

 紅海の底には、かの宝物があるかもしれない。

 しかし、そうしたところには妄想と自己欺瞞があるだけだという場合のほうがむしろ多いということは、歴史が十分に証明している。」

   - ジョン・ケネス・ガルブレイス

-------------------------------------------

 上記の質問に私も答えています。

 改めて、ガルブレイスの言葉をどのように生かすかの時代環境にあると考えています。

 自分のことのみでなく、ここまで生かさせていただいたならとそれなりに自問し,自戒してしたためましたが、書いたことと実際の行動はどうであろうかと再び、自問しています。



 COLUMN 1−D 2399

                         平成26年1月11日・記

            初の積雪



  例年、高蔵寺ニュータウンの中で一番高いところに位置する我が家の周辺では年に2~3度、5センチ以上の積雪が有ります。

 かつて、車で通勤していた頃して、坂道に位置しますのでタイヤチェーンを巻いて出掛けたところ、標高にして60~70メートル下った国道では雪がなく、笑われたこともありました。

   今冬に入り風花は舞いましたが積雪に至っておりません。

       

  ↑朝起きてみますと、庭のサツキに薄っすらと化粧をしていました。

       

       ↑萎れ始めたツバキの花弁は一層寒そうです。↓

       

       

    ↑一方、これからが本番のロウバイが微かに香り始めました。
 

 COLUMN 1−D 2398

                         平成26年1月10日・記

           
  冬枯れの狭い大谷川・一面に繁殖している草の名           を思いだせず。 




      

    ↑1月9日の夕方の散歩時、大谷川の一面に揺れる???


 このイイカゲン日記を書いていまして、時々写真撮影はしたけれど、草木の名前が思い出せず入力が進まないことが有ります。

 大概の場合、女房に写真を見せて解決するのですが、上記の写真の枯れた草の名が思い出せません。

 女房に訊ねると「ガマ」とか「ススキ」とか、「カヤ」とか答えますが、そんな名前でないことは判り納得できないのですが、と言って思い出せません。


  1月10日、昼のテレビ番組、小堺 一機が司会する「ライオン提供”ごきげんよう”」を視聴しています。

 其の番組の中で、当日の出演者の男優が「生足」の話をしている時のことです。 

      思い出しました足から「葦」と連想しました。

          そうなんです、「葦」だったのです。

 
 
 生足の話をされた俳優は28歳。映画撮影のメンバーの一人に16歳の少女が居り、撮影の合間に、寒空の下焚火にあたっていました。

 女性として意識することはない、そのような対象ではなかったと強調していました。

 この寒空の下、膝上までのブーツを履いているが、多分超ミニのスカートなのでしょう太股の部分を晒して、『寒い・寒い、生足だもの』と言った。

 その一言が青年の耳焼き付つき「生足、生足、生足」と繰り返すという話でした。

 唯それだけの話ですが、其の俳優は皆さんどう思われるでしょうかと番組を視聴されている方への質問です。

 ここまで本日の日記を読まれた方は、何が言いたいのだと思われたことでしょう。

 ただ単に、写真の枯れ草の名が思い出せず、番組の会話の中で気付いたと言うそれだけの話です。

 このように、行き詰まった時には、思いがけないところから思いだす、閃く事が有るものです。 思いつめていることも解決策が閃くものです。


 COLUMN 1−D 2397

                         平成26年1月7日・記

        年賀状の整理と分析



 下の表は私宛に届いた1991年そして10年後の2001年、2011年の10年単位。  それ以降は毎年の状況を示しています。
  

         1991年 2001年 2011年 2012年  2013年 2014

     宛名書ワープロ 4% 35% 54% 55%  59%  62%

           

        手書き宛名書 90% 63% 44% 45%  40%  37%

           

       宛名打ち出し 6%  2%  2%  1%   1%  05%

           

         添え文有り 60% 40%  60% 53%  48% 41%

                     宛名手書きは・・・48%

                     宛名ワープロ・・・36%           

         喪中葉書   5通  16通   11通  17通   21通  10

        
 1991年は宛名書きのワープロは4%でしたが、23年後の本年は遂に60%を超えました。

 当初から少数派であった宛名を打ち出し、葉書に張りつける年賀状は遂に1通のみとなりました。

 年々増加傾向ありました喪中の葉書は本年は減少しました。

 其の代わりでもありませんが、高年齢となり手元不如意につき今後は失礼させていただきますと一昨年頂いた方が数人。

 何の音信もないが年齢から推測して臥しておられるのかなと心配もしている方も数人おられます。。

 中には団塊の世代の方で65歳を境に年賀状を止めることとしましたと言う音信も数通あり、今後年々減少してゆく兆候が見れます。

 本年初めて宛名書きがワープロの方の「添え文」と、宛名書きが手書きの方の「添え文」を調べてみますと、手書きの方の方が「添え文」が多かったです。

 また、逆にワープロの方の「添え文」が比較的長いことも判りました。

 私自身も何度か、切りのよいところで年賀状の差出を止めようかと思いましたが、今日まで続いてきました。

 私の年賀状が届き、正月明けに急ぎ書かれたと思われる返信もあり、ご迷惑になっているのかとも気をもんでいます。

 とは言え、年に一度のこと頂いて嬉し便り、懐かしい便り、同窓会の開催の頼りと一度ならず、2度3度と読み直しています。


 COLUMN 1−D 2396

                         平成26年1月6日・記

        切干大根第2弾完成 

     〜貴重品の笊を修復しました〜



     12月24日に仕込みました切干大根が出来上りました。

 冬至が過ぎ、少しづつ陽が長くなり、日に一度手で掻きまわしているとプーンと切干大根独特の香りが漂います。

 昔懐かしいとでも言うのでしょうか、鼻腔に健康的で気持ち良い香りの流れが通過して行きました。

 年末に豊橋名産の”ちくわ”を購入してきていますので、本日は大根切干の煮物が食卓に登場することでしょう。

        

   本日は大根切干が主役ではありません。修復後の笊です。

 この笊は10年ほど前に自宅の前がゴミ収集場所でしたので、そこに処分の為に放置されていました。

  町内の方が他県に移住された時に処分されていったようです。
 
 瑞浪の百姓学校の時から、収獲物を干したり、仕分けしたり、大変重宝してきました。

 本日、登場しましたのは我が家に来て2度目の修復を行ったからです。

 技能がシッカリされた職人さんの手によるものなのでしょう、素人目にも其の作りの良さが判ります。

 2年ほど前に、農協で中国産の笊を購入してきましたが、見るすべもなく比較できるような製品のレベルではありませんでした。

 遠山郷に行くと唯一の土産物店に竹細工が展示されているのですが、なかなかの価額表示がされています。

 簡単な修復なのですが、傷みが激しくならないとなかなか取りかかれないものです
    本日の修復で2~3年は持ちこたえてくれることでしょう。

 
 そう言えば、20年以上利用しています革製のリュックの背負いのところが 切れてしまいそうです。 早めの手当てが必要です。

   手縫いなので、材料と道具が必要です。 さて、どうしようか。


 COLUMN 1−D 2395

                         平成26年1月5日・記

      岩船神社の山門のポスター 



 遠山郷の藤原学校では、遠山バンドで「手のひらに太陽を」を演奏します。
 ウィキペディアで検索してみますと、以下のように紹介されていました。

  「1961年、作詞者のやなせたかしは『木島則夫モーニングショー』の前身である『NETニュースショー』の台本構成をしており、番組内に音楽を流すコーナーがあった。

 そこで自身で作詞した「手のひらを太陽に」を、知り合いであったいずみたくが作曲し発表したものである。歌は、いずみの推薦により宮城まり子が歌った。

 作詞者のやなせは、「厭世的な気分になって追い込まれていた時のことです。暗いところで自分の手を懐中電灯で冷たい手を暖めてながら仕事をしていた時に、ふと手を見ると真っ赤な血が見える。

 自分は生きているんだという再発見と、その喜びを謳歌して頑張らなくちゃと、自分を励ますためにこの詞を作った」と述懐している。また、元々は童謡ではなくホームソングを作るつもりで書いたという[1]。なお歌詞の中でアメンボが出てくるが、これは当初はナメクジであった」

  中略

 2006年に日本の文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲といった抒情歌や愛唱歌の歌101曲を選定した日本の歌百選にもなっている。

2011年7月27日には、「手のひらを太陽に」制作50周年を記念して、「手のひらを太陽に」を含む「作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく」コンビの楽曲を収録したCDブック『手のひらを太陽に50周年記念CD 生きているから歌うんだ!』が3000セット限定生産で発売された[3]

  なお『みんなのうた』での再放送は長期に渡ってなかったが、2011年から始まった「みんなのうた発掘プロジェクト」で音声が提供され、2012年2月12日NHKラジオ第1放送で放送された『リクエスト大全集・第3夜』で1番のみが放送、そして2013年2月よりラジオのみで実に51年振りの再放送となった」


     

      ↑岩船神社の山門のと扉に掲げられたポスター

 良く眺めていると、手のひらに太陽の歌詞にある、ミミズ、オケラ、アメンボ、トンボ、カエル、ミツバチ、スズメ、イナゴ、カゲロウもいるように見える。

 其の他にも熊、鹿、狼、カエル、カメ、トンビ、イルカ、鶏、マンタ、蟹も,蛸も泳いでいます。

 
 今、インターネットで検索し、「手のひらに太陽を」を流しながら入力しています。
   心ほのぼのと「小寒」の1月5日を過ぎさせていただいています。




 COLUMN 1−D 2394

                         平成26年1月3日・記

         2014年・初夢

  〜年賀状には「パ〜とひらく」と書きました〜



        だいたい夢自体を見る体質では有りません。

 年に数回夢見ることはありますが、ほとんどの場合、朝目覚めると≪何か夢を見たようだが・・、どんな夢だったろうかと思い出せない≫

 初夢は1月1日の夜から2日の朝にかけてみるというのが通説か?

       私の初夢は3日・目覚める頃でありました。

      その内容は「家電業界、製品」のことでした。
 
 何故、この夢が登場したのか思い当たることがありません。 目覚めたあとに、過去のことや理由を考えてみているのですが・・・。


 昭和48年オイルショック後の昭和52(1977)年、高度経済成長下で規模を拡大してきた流通業界も低成長に移行し新たな成長政策が模索されていました。

 合併会社であるU社は内部問題の解決を迫られつつ、同時に新たな環境の下、消費者、地域社会からもそれまでの成長戦略からの転換が求められていました。

  
  流通先進国アメリカに学ぶべく、数年に渡り研究派遣されていました。
 
 そこで学び・発見したことは、食品を除き生活必需品全般から、耐久消費財まで扱うGMS(大型量販スーパー)の上位各社の新たな施策が実験されはじめていたことでした。

 NO1のシアーズは得意分野の耐久消費財(家電関連)に自社ブランドを中心として一層力を集中していました。
 
 一方、NO2のJ・C・ペニーは 耐久消費関連の家電を縮小し、ファッション衣料関係の売り場にスペースを拡大していました。

 其の頃から新たな業態としてディスカウント・センターのKマートが登場してきており、現在世界NO1の小売業としてのウォルマートが地方で密かに成長を始めていました。

 また、当時のアメリカではDIY(DO IT YOURSELF)の専門店を初め、おもちゃ玩具の専門店、スポーツ用品の専門店、家電専門店の展開がなされておりました。

 当時、私の所属するGMS業種・業界は上記の部門は赤字部門でした。

 そこで、今後の営業の方向性として食品と衣料、そして日用品を中心とする軽い住関連の商品以外の取り扱いが課題となりました。

 選択した政策はその分野を積極的に拡大することでした。
 
 面積にユトリのある大型店舗の店内に従来の3~5倍の面積と商品投入をした大型専門店舗を新設することでした。

      其の中でも家電部門は一番期待された部門でした。

 が、結論的にはこの部門は世界で日本の家電製造メーカーが一番強い分野であり、流通経路から価額支配権はメーカー側にありました。

 反面、日本の各地で家電大型専門店が徐々に力を付けてきており、それまでのGMSの家電部門に影響を及ぼして来ていました。

 結果は今日のように、日本での家電製品(カメラ、電子機器含む)は、上位5社でほとんど日本中を席巻する状況になりました。

 それと同時に、世界をリードしていた日本の家電メーカーが韓国を初めとする新興国にシェアーを奪われ、世界のソニー、パナソニックも3年前から窮地に追い込まれ、経営の立て直しが行われている最中です。


 思いつくままに一気に入力をしましたが、年代や記載事項に間違いが有ることでしょう。

 ここまで入力して考えましたことは、昭和20年代からの奇跡の復興と言われた日本経済は、ここに来てハッキリと一線が引かれたと言うことではないかと改めて実感します。。

 その間に組み立てられた戦後の日本社会・経済・政治仕組み・制度。
 (1940年代の戦時体制下に計画された施策が戦後の日本の高度経済成長を促したとの説もありますが・・)

 1980年代のバブル崩壊、その後に続くデフレ経済・社会はジャブジャブの政府の借金財政=錬金術によって今日に至ったと言えます。

 が、 ここに至っても、既得権益を守り、生き残ろうとしている政治家、財界、官僚、ジャーナリスト、御用学者の言動。それを許している大衆・庶民。

 最後の破綻、崩壊、破壊の一瞬まで行きつかないことには、自分だけは生き延びられるとの思いで、新たな行動が起こらないのだろうか。

 新春の正月番組からは、素晴らしい日本の伝統・技能、自然・文化遺産の数々、これらに目を向ければ一気に「パ〜と、ひらく」と感じるのだが・・。

 
   今年の年賀状には「パ〜と ひらく」と閃いて書きました。↓

         

  泥沼の底に足が着き、一気に飛びあがる時との思いからです。

 V字回復とか・成長ということではなく、権力やお金が優先する社会ではない、穏やかで・健やかで・爽やかで・陽気な健康社会のイメージです。

 私の初夢は遠くになった昭和の遺物の終わりと20世紀への決別を改めて促したものだったのでしょう。

 この夢を見たと言うことは、私自身への諭しと忠告であったのでしょう。




 COLUMN 1−D 2393

                         平成26年1月2日・記

      ご満悦な正月2日目の朝食



 2013年12月31日は前年に続き2年連続で「NHK紅白歌合戦」を最後まで視聴しました。

 明けて2014年1月1日はさぞや寝坊をすることだろうと思っていましたが、いつもと変わらぬ時間に起床。

 これでは昼間に眠くなろうと思っていましたが、「ニューイヤー第58回全日本実業団対抗駅伝大会を視聴。(この間に初詣に)

 午後からはケーブルテレビで高校ラクビーを視聴し、その後は「天皇杯全日本サッカー選手権」と続きました。

 夕方は散歩に出かけ、再びテレビにかじりつく。 一杯に飲めばバタン・キューかと思いきや、9時過ぎには「NHKスペシャル、2020年東京五輪開催・・・其の時の日本は?」を結局最後PM10時20分まで視聴。

 
     そして1月2日、再びいつもと変わらぬ時間に起床。
 
 普段はPM8時半から9時ごろまでに床に入る、その時間を越えて起きていても翌朝に変化なしと2日間続く。

 ということは、深夜に1~2度起床し、ダラダラと惰眠を繰り返していると言うことだろうかと思いつつ正月2日の朝食。

      

 ↑前夜の残し物を含めて10品近くの普段と変わらぬおせち料理(?)

 元旦は御屠蘇であったが、本日はポリフェノール、ちらつくウイスキーと御銚子・日本酒は今晩に廻すこととしました。

   この時間第90回東京箱根間往復大学駅伝を中継している。
     午後からは大学ラグビーが有り、高校サッカーもある。

     今年も正月3が日はスポーツ番組に引き寄せられている。





 COLUMN 1−D 2392

                         平成25年12月30日・記

     忽ちに立ち上がってゆく建造物  



    12月18日「高蔵寺ニュータウンからオールドタウンへ」と高齢者福祉施設の紹介をしました。

 年末までに一定の立ち上げと急ピッチで鉄骨の組み立てが終了しました。↓

        

 写真を取りそこなったのですが、大きなクレーン車でつり上げて一気に組み立ててゆきました。

 
     一方、同じ町内で家の建て直しが行われていました。

 こちらの方も3日ほど、クレーン車の姿が見えておりましたが、あっという間に建て舞(?)が終了していました。

        

   ↑敷地は100坪はあり、そこに総面積50坪ほどの家です。

 工事中の幕が取り払われると、見上げるような姿を現すことでしょう。

 

 又、自宅前の家の家主さんは関東に転勤となり、20年ほど貸家です。

       既に、10家族が通り過ぎて行った事でしょう。

 其のたびごとに、異なる生活ぶりの家族とお付き合いさせていただきました。 

 長居するこちらが気を使わなければいけないのでしょうが、私らより若い家族が来られますと、チグハグというか通り一遍の御付き合いとなってしまいます。

 オールドタウン化してゆく我が街に住む、住人自身の今一度の変革が求められていると感じつつ年の瀬を迎えようとしています。。
 


 COLUMN 1−D 2391

                         平成25年12月28日・記

        岩船神社・迎春準備完了   



        12月28日は朝から冷え込んでいます。 

 夕方には平地でも雪花が舞うと報道しています。 午後の1時半ごろからチラホラ、積もる様子はありませんが・・。

   洗車の予約を入れましたが、夕方なのでキャンセルしました。

           

    ↑岩船神社の鳥居を逆光でとらえてみました。(撮影日は27日)

           

   ↑小さな集落ですので、初詣は近隣の方達のみです。
 神社の駐車場に車を止めて、初日の出ではなく、夕陽を眺めに西高森山に登る方達がいます。

        

            ↑神社の門松も準備完了です。

          

 ↑陽光をバックにした「天照皇大神宮」の社と御札のポスター。

          本日を含めて平成25年もあと4日。


  
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