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COLUMN 1−D 2580
平成26年9月20日・記
↑リビングのボードの上に石の花瓶彼岸花
遠山郷・遠山川でかつて石の採取をされて居られた方が、趣味(?)で石に穴を開けました。 どのような活用を考えていられたかは判りません。
相方がそれを頂いてきて、花瓶に利用したようです。
秋の風がカーテンを揺らしていましたが、逆光です。

↑移動して、光を当ててみました。

↑もう一鉢ありました。

↑植物園の毛糸の花は今が盛りです。
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COLUMN 1−D 2579
平成26年9月19日・記
敬老の日・ リトル・ワールドへ・・その6
〜トルコ、 ハンガリー・サーカス〜
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トルコ・イスタンブールの街

イスタンブールは、古来より文明の十字路として栄えてきた世界有数の大都市です。1600年間、帝都であった旧市街地は、ユネスコの世界文化遺産にも指定されている。
ここに復元した伝統的民家とイスラームの学院の2棟はオスマン帝国時代に建設され、今もその旧市街地に建つ建物をモデルとした。
平成20(2008)年にトルコを訪れているが、イスタンブールの歴史地域よりもカッパドキア、ハムカッレ、トロイの世界遺産のことが記憶に残っている。
同時に、それらの都市を結ぶ鉄道網はなく、全てバスで訪れた。
その長いことの記憶が今でもあり、2度と行きたくないと思っている。
が、そのバスの旅の間に砂漠を通過しており、そこで食べ物もなく痩せた羊の事を良く思い出し、日本の・犬山の夏草が茂る頃になると、日本では働く気さえあれば食うことに困ることはないと教えてくれた貴重な旅でした。

↑旧市街地を模した建物、人気の国の一つであった。

↑その中でも列をなしていたのが、イスタンブールと言う料理店。

↑冒頭でも紹介されているが、11世紀頃にイスラーム世界が確立した学問は今でも世界に影響している。


↑トルコ・ブルーのタイルも忘れてはいけない。
ハンガリー・アメイジング・サーカス
「アメイジング」とは驚かすほどの、驚くほど見事なサーカスと言う意味。
9月13日から11月24日、休演日の水曜日を除いて毎日開催されています。
男女9人構成で、スピード良く次つぎと主に力技を中心に演技が披露されました。
ハンガリーと言いますと今、中部大学で受講した講座を思い出します。
10年前に偶然受講した教授はハンガリーで博士号を取得したと言う経歴で、当時の社会国時代の経験もされており、なかなか聞かせてもらえない話を聞く事が出来ました。
その教授は今では中部大学他で人気教授となり、中部大学の聴講生は抽選で当選しないと受講できないほどです。
ここ2年ほどは落選ばかりで受講していませんが、1年に1度受講生との食事会があり、そこには呼ばれて参加しております。
また、平成22(2010)年に中欧ヨーロッパを旅行していた時のこと、ハンガリーのホテルの朝食時に偶然教授とお会いすることが出来ました。
ハンガリーで特別教授をして下さいよと言ってから早、4年が経過しています。 この出会いの方がアメイジングでした。




↑女性軍も負けず劣らずの力技です。


↑輪がフラフラと揺れていました。
COLUMN 1−D 2578
平成26年9月19日・記
敬老の日・ リトル・ワールドへ・・その5
〜南米、北米〜
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ペルーの大農園領主の家

ペルーの海岸地方にあった館をモデルに、16世紀末頃から中南米で発達した大農園の領主の暮らしぶりを展示している。
平成21(2009)年にペルーを訪れているが、世界遺産のマチュ・ピチュ、クスコの市街地区、リマの歴史地区そしてナスカの地上絵等であった。
16世紀末まで当時の世界で最大級の帝国であったインカ帝国の中心地である。 それ以前形成された遺産が上記のものであっただろう。
その後、スペインに征服され植民地となった。
その植民地時代の領主の館が展示されている。

↑領主の家の略図

↑↓その前広場に大壁画が有り、良く見ると原住民と支配者の姿


↑ 建物前の広場と建物の一部、左上に教会の塔
館内に入ると

↑豊かで華麗な社交場の絵画が掛けられています。

↑リビングルームの豪華な飾り棚

↑礼拝堂の絵画


この後すぐに
「北アメリカ平原インディアンのテント」
、ペルーとのあまりに差のある暮らしぶりに写真を収めることを忘れてしまいました。
「北アメリカ ナバホの家」

ナホバは現在北米インディアン(先住民)の中で、最大の保留地と人口を持つ民族で、南西部のコロラドでトウモロコシやカボチャの栽培をと、羊の飼育をしている。
家屋はホーガンと呼ばれ、丸太と土でつくられている。
砂絵を使った病気治療をこの中で行う。
1985年11月12日と年月日が書かれた砂絵を持っており、今も書斎に飾られている。
当時、説明を聞かされていたのかもしれないがスッカリ忘れており、本日上記の開設を読み改めて知ることとなった。
確か、コンピューターで商品販売をする会社との契約でその地を訪れた。
『この地では、お土産にするようなモノはない』と言ったことを思い出す。

↑これがその時頂いた砂絵です。
これまた、早30年の月日が経過している。


アラスカ・トリンキットの家

アラスカ東南部の海岸地帯で狩猟採取漁労を営んでいた民族。
冬には一族がこの家に集まり一緒に生活していた。
高さ14メートルのトーテンポールにはワタリカラスが全面の壁にはクジラが彫られて、この家がカラスを始祖とする集団の中でクジラを祖先とする一族を表している。


↑↓、アラスカがゴールドラッシュの時代19世紀末~20初め

COLUMN 1−D 2577
平成26年9月18日・記
敬老の日・ リトル・ワールドへ・・その4
〜ポリネシア・ミクロネシア・インドネシア〜
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ポリネシア・サモアの家

南太平洋のサモア諸島、タロイモを栽培し魚をとって暮らす人々の家。
建物は独立した棟から構成され、サンゴ石の床面は円形か楕円形で壁はなく寝る時や風雨の時は簾を下ろす。

ミクロネシア・ヤップ島の家

石の基段の上に立つヤップ島の家。 ヤシの葉で屋根をふき、ヤシの葉で壁と柱を固定する。
男女の区別は厳しいヤップ社会では、母屋内を男の場と女の場に分かれている。
炊事は男女別々で、男性が自分の食事を自分で作ることも珍しくない。
未婚の娘は別棟の小屋に住む。

インドネシア・トバ・バタックの家

スマトラ島の北部のトバ湖周辺で水稲耕作を営なむ民族。
伝統的な家屋は大きな鞍型の屋根と壁一面の彫刻や絵が特徴、移築したこの家は1947年に創建されたモノ。

インドネシア・バリ島の貴族の家

19世紀に栄えたバリ王朝の貴族の屋敷を復元している。
屋敷は3つに分かれ、奥は祖先や神々を祀る場、中央は儀礼の建物や寝室などが立ち並ぶ生活の場、手前は踊りやガムラン演奏の場である。
屋敷をバリ・ヒンドゥー教に忠実に造ることは、バリ島でも少なくなっている。

↑手前は踊りやガムラン演奏の場、そこから中央の場に入る門。

↑その前の踊りや演奏の場。

↑試着体験・バリ衣装でポーズをとる。 盗み撮りしました。

↑奥の先祖や神々は祀られているところ。

↑外に出ますと、この看板と女神像↓

この後、その5で、南米、北米
その6で、トルコとハンガリー・アメイジング・サーカス
その7で、タイランド、韓国、台湾
その8で、日本、沖縄、アイヌ、山形・月山山麓
と続きます。
COLUMN 1−D 2576
平成26年9月18日・記
9月18日 犬山・ 農作業日記
〜3号畑は全ての畝整備、後は定植のみ〜
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↑自宅の生垣の下では彼岸花が満開です。
3号畑
午前7時前では上着一枚では少し肌寒く感じる。
午前10時になっても気温は26度、少々汗ばむが快適な農作業日。

↑残っていた畝を整備し、全ての新しい畝に稲藁を敷きこみました。
稲藁を敷き詰めるなどは、農協での販売価額を知っているので、贅沢な
農法です。 初期は草抑えの役を果たし、1年後には腐って肥やしとなります。
2年目の春から始めました。 丸2年が経過し複合発酵堆肥や複合発酵酵素水(エナジー水)と相まって土の色は変化し、心なしか勢いも感じます。
↑今年の種蒔き時に丁度良いお湿りがあったことのありましょうが、これまでで一番の発芽率です。 秋大根。 聖護院大根。

↑白カブ、赤カブも順調に芽出しをしました。
ただし、冬三浦大根の発芽率が10%で、本日再度種蒔きをしました。
↑9月4日に植え込んだ、第1弾のニンニクも発芽しました。
昨年は条件の悪い南西の畝でしたので、大半が小粒のニンニクしか収穫できませんでした。 今年は条件の良い舞台ですので期待大です。

最後に、久しぶりにエナジー水を散布しました。 日照りが続いていたこともあり、芽出ししたばかりの苗達が喜んでいるように感じました。
COLUMN 1−D 2575
平成26年9月17日・記
〜敬老の日・犬山のリトルワールド〜 その3
〜ヨーロッパの編〜
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ドイツバイエルン州の村

ミュンヘン南方90Km、オーストリア国境の近くの観光保養地、ガルミッシュ・バルテンギレヘンの周辺。
かつて、駅馬車のハタゴと街道の沿いの商家。 カトリックの礼拝堂をモデルにして建物を復元した。

イタリア・アルべロペッロの家

イタリア半島南部で牛やを飼いながら、ブドウやオリーブ等を育てている農家を復元した。
豊富のとれる石灰岩を積み上げてた家、とんがり帽子の屋根がいくつもある家をツゥルッリと呼ぶ。
石積みの厚い壁は厳しい熱風うや寒気を人々から守る。

フランス・アルザス地方の家。
写真を忘れてしまったようだ。
ドイツの3種の飲み比べビールとソーセージで休憩していた為か?
COLUMN 1−D 2574
平成26年9月17日・記
〜敬老の日・犬山のリトルワールド〜 その2
〜アフリカの編〜
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西アフリカ、カッセーナの家

事前に計画的な撮影をしてきませんでしたので、読めません。
そこで、少し解説、サハラ砂漠の南に広がるサバンナ地帯。
モロコシ等の穀物を栽培している農耕民族。
カッセーナの家は一夫多妻です。ひとつの敷地に兄弟・イトコ関係にある男たちと暮らしている。

南アフリカ ンデベル族の家

南アフリカ共和国の内陸部に住む人口60万人の民族。
カラフルな幾何学模様をと壁紙塔月しい民族衣装独自の文化。

タンザニア・ニャキュウサ の家

タンザニア南西部の山麓に暮らす農耕民族。
一夫多妻、妻たちはそれぞれ別な棟に暮らしている。
第1婦人の家より、第2夫人の家の方が大きい。子どもを育てている。
半年に一度床の塗り替えをする。バナナの雄花で紋様を付ける。
アフリカでは竹の住宅は珍しい。

COLUMN 1−D 2573
平成26年9月16日・記
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9月15日「敬老の日」今年は・・
〜犬山のリトルワールドの行きました〜 その1
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昨夜。女房が『リトルワールドに行きましょうか』と言っていた。聞き流した。
9月15日、朝の定例行動を終えて書斎へ。 まず、日記を開くと昨年の敬老の日は「博物館・明治村」に行くと書かれていた。
そこで、思い立ち『リトルワールドに行くぞ』と言ったのが8時半。
何時も出掛ける時には数十分は出遅れてくる女房が、何と9時過ぎには出てきた。
その間に、私はリトルワールドまでの道順と、当日の営業案内を調べて
ナビゲーターにインプットしていた。
自宅からリトルワールドまでは30分強で到着、朝一番で並んでいた方達は入り口ゲートで入場券購入の列を作っていた。
65歳以上1300円、JAFの会員でお一人様100円引き、そして敬老の日のイベントとして園内乗り放題の500円券のサービス付き。

多分20年ぶりとは言わないが、この前来た時から15年は優に経過していたと思う。
東南アジアで良く走っている改造三輪乗合タクシー(詰めれば8人乗りか)が行き先自由で巡回している。
乗り合わせた親子3人連れで、多治見から来たと言う。
「世界の肉フェスタ」で限定数量で、ワニの手の肉を提供しており、それを目当てにきたと言い、アフリカンプラザで下車していった。
なを、園内にはその他に10分毎に巡回しており、停留場所が決まっている賑やかに装飾されたバスが走っています。↓

私達は会場の一番遠いところから見学しようとネパール館まで向かう。

ネパールは昨年の2月、長い間の念願がかない訪れているので記憶に新しい。発展途上国と言うがごとく、インフラは整備されていず、主要道路すら掘り返され、これほど貧しいのかと驚いた。
日本国内なら普通30分で行けるホテルまでは、郊外にあるために1時間半以上、滞在期間中のことであるので時間のロスは激しかった。
ネパール仏教として関心があり、精神文化、その建築物等に関心を持っていたが、やはりヒマラヤ山脈が今は記憶を大きく占めてしまう。

↑そんな事を思っていたので、この建物に出会ったときは場違いを感じた。

↑が、建物の一番奥に祭られていた画像を見てやはりネパールと。

↑次の館はインド、ここで女房がサリーを着てみるという。
リトルワールド会場を殆ど廻ったが、インドサリーの他にも、民族衣装の試着体験が人気であった。
@インド・ケララ州の村、 Aアフリカン・プラザ、 Bトルコ・イスタンブールの街、 C韓国の地主の家、 Dイタリア・アルベロベッロの家、
Eドイツ・バイエルン州の村・
Fフランス・アルザス地方の家、 Gインドネシア・バリ島、 Hネパール大農園領主の家、 I台湾の農家、 J沖縄県・石垣島の家と11カ所・国が有った。
この他、国で言いますと25カ国ほどが展示されていました。
本日一気に掲載してしまうことはせず、時間の許す時に随時掲載してゆきます。
それにしても、途中の休憩が有りましたが正味6時間半、殆ど歩き続けました。 女房が弱音を言わなかった事に驚きました。
COLUMN 1−D 2572
平成26年9月14日・記
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9月14日 犬山 農作業日記
〜難問2号畑も、其の気になれば・・〜
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2号畑
1カ月ぶりに2号畑に顔を出す。予想はしているモノの腰が引ける。
「草を刈らねば種播けぬ、種を播かねば芽は出ない。」
先発隊で2号地に着いた相棒曰く『何があるか判らぬ』と。
この夏十分程に提供してくれた地這えキュウリ、もう終わっているだろうと思ったが、草刈機で真っ二つになってジャンボ・キュウリがお目見えした。
色も黄色に変色していたが、どんな塩梅か確かめるために持ち帰った。
本当にありがとうの言葉をかけて、撤収しました。

この地這えキュウリ、ネットを張って育てると普通の細いキュウリとなる。
地面を這っているのでネットのモノと重力差が出るからだろうか?

↑南側・道路沿いは背丈以上に成長している。
『これだから頭の黒いモノも、アライグマも判らなかったか?』と相棒。

↑北側は葛の蔓、桑の木を覆い尽くしている。

↑近づいて見れば、それなりに可愛い花「葛」
などとは言っておられない、草刈機に混合液を一杯入れて作業開始。

↑丹波の黒豆が浮き出てきました。まだAカップの実の入りですが、
10月上・中旬になれば丹波の枝豆が食べれることでしょう。
3号畑
本日は最小限の手の入れようです。大根、赤バブ、白カブの間引き。
ネギ、シシトウ、ナスの収獲。
田圃のヒエ抜き
そのまま帰ろうかと思ったが、帰り道なので田圃2号地に立ち寄る、『1号田は全く手が付けられぬほどにヒエが伸び、稲の穂のつき方も悪い。
稗の種が落ちる前に刈り取る。 ことしは1号田の収獲はゼロ』となる。
これで昨年に続き、稗にやれて不作。 周りの田圃の除草剤が侵入して来ない田圃は出来が悪いと言う。
3号地。4号地がそれなりの成長をしていると言うから、やり直しを兼ねて再度取り組み直し。
昼食を皆さんととることとなりラーメン店へ。 そこの店主の田圃が2号田の東となり、お借り出来ないかとKさんが声をかけておられた。
そのラーメン店が今月イッパイで閉店と表示されていた。ご主人が足腰が悪くこれ以上続けられないと言う。
国道41号の角地の大きなお店ですが、色々あっての閉店でしょう。
持ち合わせいていたチェーンソーの修理の方法等をKさんに教わり、本日の農作業は様々な収獲が有りました。

↑帰り道、尾張富士の登山道入り口に今年も彼岸が花が咲き揃った。
COLUMN 1−D 2571
平成26年9月13日・記
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名古屋・星が丘で屋敷の整備
〜 日頃の農作業が役に立つ〜
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息子の仕事の関係で名古屋・星が丘で住宅地の整備作業をする。
不動産関係の仕事をしており、仕入商品の見栄えを良くするための200坪強の屋敷の整備作業。
3週間前に100本以上の竹に枯れ葉剤を注入しておきました。

↑中には手で折れるものもありましたが、大半はチェーンソーで伐採。
まだ、完全には枯れていませんが、物件を見学に来るお客さんがいると言うことで仲介業者の方も参加しての屋敷内の整備。
昨年の11月まではお年寄りが住まわれていたと言うが、広い屋敷には手が入っていず、この夏に伸びた雑木で暗くなっていました。

↑一当たりすると、入口から玄関までの20メートルはややスッキリ。
20年前に日本園芸協会の庭園管理士の資格を取得しています。
実務は我が家の庭の枝の剪定程度ですが、それでも庭に残っている低木の取捨選択程度は出来ます。
裏庭の雑木を刈りこみますと、バブル時代に億ションで売り出されたと言う高級マンションが姿を現しました。 ↓

屋上に上がり周りの景色を眺めました。

↑敷地内と隣の敷地の竹藪が邪魔をしていますが、これを取り除くとかなりの高級感ある眺望となることでしょう。
写真の右側に見える塔は標高80Mにある東山スカイタワー134M。
午前中の作業でしたので、気温27度前後、暗かった敷地ににも陽射しが注がれて気持のよい作業でした。
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