東海北陸自動車道を利用しする時には高鷲サービスエリアをいつも休憩場所にしていた。 その時、眼前に見える大日ケ岳にはいつか登って見たいものだと思っていました。 8月18日には後ほど紹介するように、乗鞍山麓の五色ケ原トレッキングの予約をしていたので、それとセットで登ってみようと出発しました。 山に登るには朝早くが鉄則でしょうが、午前9時にスタートというおおちゃく振りである。 大日ケ岳に登るには白鳥、高鷲、庄川の3ルートが紹介されていましたが、時間的に一番短かいダイナランドスキー場からのコースを選びました。 後から反省してみますと確かに時間的には短いのですが、その分急坂と言うことになります。 18日の五色ケ原が一番の目的と言う事もあり相方は三分の一のところでリタイアーしてしまいました。 ![]() ![]() 写真右 スキーゴンドラの終点地(1320M)から高鷲方面(白鳥方面?)を眺めたところです。 この地まで、ゴンドラで運んでくれれば楽なのですが、それでは山登りをした感激が薄まってしまう事でしょう。 さて、相方がリタイヤーしましたのでマイペースで歩き始めましたが、登山道に入りキツイ登りが何度かあり水筒の水はドンドン減っていきます。 出発前に登山登録したホテルで、「連日雷雨がきておりますのでパラッときたら無理しないように」と言われていましたことが脳裏を横切る雲行きでしたが、ここで引き返す訳には行かないと3度の大きな登り下りを繰り返してやっと「前大日」に到着しました。 ![]() 前大日から大日ケ岳を望む ここまでに、単独の男性、二人連れの若いカップルと3人連れ(男2人と女一人)とすれ違いました。 と言う事は私より1時間半前には登山口を出た事になります。 ここで問題が一つありました、弁当を持参していないのです。 沢山買い込んで来た御菓子類はリュックにイッパイ詰め込んでありますが、やはりお米が求められました。 一気に登ってしまおうと先を急ぎ頂上です。 ![]() 三脚は持ってきていませんので、方位盤の上にタオルを於いてシャターを押しました。 ![]() ![]() 往路の時はシャッターを押すユトリもありませんでしたが、復路では登山道の真ん中に根を張り通せんぼしている写真や急坂の場所のロープを振り返って撮ってきました。 ![]() ![]() 帰路は1時間半と紹介されていましたが、往路は紹介の85%で来ましたので、1時間もあればと思っていましたが、最後になって弁当のなかったことがひびきました。 エネルギー切れです。 水も(1リットル)底をついてしまいました。 次々とゼリーや飴、スナックを食べていましたので空腹感はないのですが、身体に力が入らないのです。 フラフラということはないのですが、重い足取りでした。 後から分かりました。 口にした物はベビーフードということで低カロリーのものだったのです。 一袋食べても98〜200カロリーでした。
![]() 39人(内、現地参加2人)の団体となるとさすがに目立つ。 出発ロビーの一角に集まったのであるが、通路にはみ出して他の乗客の邪魔になる。 昨日で国内線はお盆休みのピークを過ぎたようであるが、国際線は賑わっていた。 どれほどの学生が海外旅行が初めてかは知らないが、なんとなく会話の声が一段とトーンが上がっているように感じる。 皆元気で帰ってきてくれればよいが、空港で旅行中の国内側の窓口を仰せつかった。 私もツアー参加者であると思っていた学生が「あれ、行かないのですか」と言うから、私に連絡が入るような旅にならないようにと話していると、隣で正露丸(クレオソール)の匂いがする、「もう、腹の調子が悪いのか」と言うと、「朝の食パンの賞味期限が切れていたようだ。 内のお袋は平気で1週間くらいなら、賞味期限切れを冷蔵庫に入れている」などと、自慢げに話している。 「行く国は社会主義の国と言う事を頭に入れておくこと」と言うと、「あ〜、ソウなんですか。何処がどのように違いますか」と言うので「、それを肌で感じ、ベトナムの学生と接する事の意義があるんだ」と言っておいたが、戦後60年、日本がかって米英と戦争をしたと言う事すら知らない若者がいると紹介されていた。 60年と言う歳月は時間の経過による「展望」の変化によって、目に見える情景もそのイメージも質的な変化をもたらすのであろうか。 過去の出来事が忘れ去られ、反省や自戒がおざなりに成って、再び同じような過ちを繰り返してきているのが私たちの歴史であるとすれば、技術や文明をいくら発展させたと言っても、万物の霊長などと言う資格はない。 空港から高速道路〜都市高速を乗り継げば1時間半で自宅である。 これは確かに時間的には便利である。 高校野球から切り替えて、昨夜録画しておいたNHKスペシャル「戦後60年、靖国問題を考える」を視聴した。 そして今夜(8月15日)3部構成に成っているNHK番組、日本のこれから「アジアの中の日本」戦後アジアの対日感情、「じっくり話そうアジアの中の日本」の録画をセットした。 中日新聞を含む全国紙6紙の本日の社説をコピーした。 これらを参考に戦後60年を振り返り、これからの日本は如何あるべきか、残りの人生を如何に生きるのかを考えてみたい。 良いときに、小泉さんは衆議院を解散させてくれたものである。 いや、これは天の配剤なのかも知れない。 このチャンスを生かそう。
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