私自身の事を「オオカミジジイ」ではないかと感じ始めて10年近く立つ。 自分で怖い時が来る良いいながら、その時が到来したならば、一番初めに”ウロウロオロオロ”するのではないかと思っていたりしていた。 その時は”カッコわるいな〜”と思ったり、どうせその時は世の中全体がウロウロオロオロするだろうから、そんなこと釜って居られない、”かっこ悪い”なんて言っている暇はなかろうと高を括ったりしていた。 それどころか、そのようになった場合は私の性格を生かして、いち早く気分転換し、「さあ〜!皆さん立ち上がりましょう。 行く先居はこちらです。 しゅっぱつ〜」と声を発せられるように日ごろから勉強と心積もりをしておかなければならないと思ったり、考えておりました。 このところというか、半年ほど前よりなんとなく、その時が到来しても多分ウロウロオロオロしないのではないかと思い始めました。 何故だろうと考えたのですが、これと言って思い当たる事はありません。 強いて言えばこんな事を近頃〜この数年間のうちに学んだのでしょうか? @百姓学校の6年間・・土・自然の大切さと、その再生能力を学びました。 腐ったもでも時間をかけて取り込んでしまい、其ればかりか新たな生命を生み出すエネルギーに転化してしまいます。 其れを見ていまして、土を相手にすれば疲れ、生きる気力を失った人間も再生してくれるのではと考えるようになりました。 見えない微生物の力とでも言うのでしょうか。 A今年から「世界歴史」を学び始めました。・・・T)、歴史は時に短いスパン、時に長いスパンで変化してゆきます。(権力者の交代) 外的要因であったり、内的要因であったりします(内的要因の時が大半であるが・・)。 歴史を後から眺める事の出来る立場に立ってみると、「全てが定められた運命のようにも見えます)だから U)必要な時には必要な人(集団)が登場してきます。 V)一つの時代には誕生から〜成長〜最盛期〜斜陽期〜衰退期〜消滅とサイクるがあります。 早い遅いはありますが、そのサイクルのどこかの時点から次ぎの時代の波(流れが内包され・育まれ、用意されており、やがて入れ替わってゆきます。 W)また、特に他民族を支配する国家運営のスタイルを眺めてみますと、緩やかな支配とでも言うのでしょうか、非支配層の歴史・文化を認め・許している管理が長期的な国家を形成しております。 Bこの1年間、このホームページに掲載するために我が家の庭、あるいは近隣の草木花をデジカメを通して眺めてきました。・・・いつの間にか其れまで気がつかなかったもの、あるいは見過ごしていた草木花々が目に止まるように成りました。 その全てに何か、どこか魅力があります。 「美しい」「可愛い」「香がすばらしい」「生きているのか」「忘れていてごめん」とつい声を掛けてやることがしばしばでした。 自宅に帰って写真を眺めると、思いどうりに撮れているものもあれば、その逆もあります。 其れは、その時の私の心理・心情が反映されたものである事が分かりました。 という事は、全てその作品の出来栄えは私の心の投影という事になります。 @~Bのことや、まだ気付いていない他の事柄があいまって「ウロウロオロオロしない」という気持ちにさせてくれたのでしょう。 などと入力しましたが、果たしてその時がやってきた時はどのようになるのでしょう? 「”ウロウロオロオロ”する私をこれまた、楽しく眺めてみたいものです。」などと書いてしまいましたが・・・ まさに修行でございます。
中部大学・国際関係学部シンポジウム〜文化の壁をよじのぼる〜 「異文化との付き合う方法」と「パネルデイスカッション”他文化理解の落とし穴”」をエッセイF 講演会・勉強会に掲載しました。 話し言葉を聞き書きしたものですので、怪しいところもあります。 校正漏れがあると思いますが、あしからず。 早くにと思いまして、掲載することにしました。
中部大学・国際関係学部シンポジウム〜文化の壁をよじのぼる〜 「留学生が語るパネル討論”日本という他文化”を、エッセイFに掲載しました。 「異文化と付き合う方法」と「パネルデイスカッション”他文化理解の落とし穴”はおって入力・掲載します。
|