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お知らせ       


1月19日、恒例の『春日井新春経済講演会」に行ってきました。 講師は、フジテレジ「報道 2001」のメーン・キャスターの黒岩 祐治さんでした。      タイトルは「2006 どうなる日本経済」でしたが、黒岩さんは昨年末、「日本の再生を目指して”マグネット国家論”を出版されました。 そのことを中心に熱の入った講演をされました。              

掲載は『エッセイ F 文化・スポーツ』です。




 COLUMN 1−D NO440      
                             平成18年1月20日 記

 現代の恐竜現れる!!
        〜一気に職員住宅を破壊する〜  


 NO438で紹介した「春日井教職員住宅」の取り壊しが始まりました。
 それは今から数万年前、地上に恐竜が現れ瞬く間にその種類と数を増して、あらゆる動植物を食い散らしていった姿はこんな風であったのだろうかと想像しました。
 私の見た恐竜は鉄筋とコンクリートできた建物をアッという間に砕き、跡形もなくしてしまいました。
       
  
                 

 恐竜を操作されていた方が操作の手を休めて、カメラを向けている私に「何かありますか?」と訊ねられました。 「いやに別の、何もありません。 すごいパワーだと眺めていただけです」というと、安心したように再び恐竜が動き出しました。
 町内会長が現場に立ち、近所の方に不便が無いか見回っておられました。
 寒空のもと、大寒入り前日の夕方陽が沈むまで、ゴーゴー、ガタガタ、ギューイ・ギューイと唸っておりました。







 COLUMN 1−D NO439      
                             平成18年1月18日 記

       「ボケの花」美しい


 平成18年1月17日の朝刊と夕刊のタイトルより
 @ライブドア捜査 子会社、回収時に偽情報か? 堀江社長近く聴取
 〜堀江氏の野望に暗雲〜 株価下落は必至
 〜堀江錬金術に「待った」 〜社長進退問題に
 〜騒然ヒルズ 想定外〜堀江流「何か裏が」 住民ら驚きと疑いと 
 〜ライブドア株 売り殺到  関連各社も値付かず(17日夕刊)
 Aヒューザー 社員の大半退職 小島社長教喚問
 「違法認識なかった」 偽装物件引渡しで(17日夕刊)
 B阪神大震災 今日11年
 教訓伝える近い新た 各地で追悼行事(17日夕刊)
 C靖国参拝なら日韓首脳会談困難「ポスト小泉も同様」
 
 D宮崎被告 死刑確定へ 幼女連続誘拐殺人 (17日夕刊)
 耐え難い差別 再犯罪率低いのに 安易な拘禁 増える恐れ(18日夕刊)
 恐慌17年 最後も極刑 「酌量の余地なし」

 1月18日朝刊より
 @ライブドアに数億円還流? 堀江社長の関与捜査
  渦中の人堀江氏 衆院選で支援 自民、他人のフリ
 A小島社長「安倍長官秘書に相談」 偽装経緯の証言拒否
  幕引き失敗 与党防戦  安倍氏「面識ない」
  生還と蜜月あらわ 業界”天下り団体”が影響力 森派などに献金攻撃
 B「風化させぬ」灯に誓う 同じ悲しみ癒安交流 JR脱線に胸痛め

 私の基準で拾ったタイトルです。
 この後、浮かんだ単語は「馬鹿」「莫迦」「頓馬」「アホ」「ボケナス」「ノロマ」「役立たず」 でした。
 「馬鹿」「莫迦」は無知の意からか。 古くは僧侶の隠語。「馬鹿」は当て字
 @おろかなこと。社会常識に欠けること。またその人。 愚。愚人。あほう。
 Aとるに足らないつまらないこと。無益なこと。とんでもないこと。
 →馬鹿と挟みは使いよう。      →馬鹿に付ける薬は無い・
 →馬鹿の一つ覚え           →馬鹿も休み休み言え


 「あほう」 「阿呆」とも書く。愚かであるさま。ばかなこと。また、そのような人・あほ。
 →阿呆くさい               →阿呆狂い
 →阿呆払い                →阿呆律儀
 →阿呆に付ける薬なし         →阿呆の鼻毛でトンボをつなぐ

 「ボケ」@ぼけること。また、その人
      A漫才で、間の向けたことを言って笑わせる役の者。


       
       ボケの花美しい               ボケの花可愛い

 その後、春日井都市緑化植物園に行きました。 バック・ミュージックには「お雛祭りの唄」「春の小川」などが流れていました。 グリンピアの中は暖かでした。
              

              








COLUMN 1−D No438         平成18年01月16日 記
 

      撤去される、職員住宅他

           
     

 
私の家から50メートルのところにある、「教職員住宅」の取り壊し作業が始まった。
 このほかにも、高森台地区では古くなった県所有の建物の取り壊し作業が、昨年末から始まっている。 人の話からすると、建替えと言うよりは平地にして、民間へ売却するようである。
 県の財政もやりくりに苦労しているから、遊休資産の売却が進められているようである。 ニュータウン高蔵寺は昭和43年5月に入居が開始された。 あと2年強で満40歳となる。
 私が当初、ニュータウン内「藤山台」に移転してきたのが昭和46年の3月である、その後現住所である「高森台」に移ったのは、昭和52年の暮のことです。 当時、この6丁目周辺では2番目の住宅でした。 翌年から住宅が次々に建てられました。 小学校に通う息子たちの校舎は間に合わず、プレハブ校舎でした。 その後に「職員住宅」が建設されましたから、築30年は経過していないと思います。 
 ご覧のように鉄筋造りですからまだ十分に使用可能と思うのですが、この数年8家族分に2〜3しか入居していない状態が続いていましたので、撤去と言うことになったのでしょう。 

 
平成10年(1998)、5月「ニュータウン高蔵寺。入居開始30周年」にあたり、中日新聞が「ふるさと高蔵寺の光と影」と題して特集を組んでいます。
  その中に『街づくりの視点の中心も、施設整備など「モノの豊かさ」から、高齢化への対応やふるさとづくりなど、「心の豊かさ」へと移りつりある。 「ニュータウン」から「成熟して街」へ』とあります。
 それから今年で8年が経過しました。 あと2年後には、誕生40周年と言うことになります。 私の住む高森台6丁目も2世代、あるいは3世代用に住宅が建替えられたりしていますが、子供会の活動はほとんど消えて、高齢者の姿が目立つ用になりました。
 
人間は建物のように取り壊し、建替えあるいは転用と言うわけにはいきませんそれぞれが生きがいを持って、元気な毎日をエンジョイしてゆくことが求められて居ます。
 いやまだまだ、もう一働きと頑張っておられる方の姿も見受けられます。
 教職員住宅の取り壊し作業をカメラを通して眺めながら、さて私はと・・・・
 












COLUMN 1−D No437         平成18年01月15日 記
 

      本日は終末=死について

 
 昨日、誕生日のことを入力したから、本日は「死=終末」についてという訳ではありません。 朝、ストレッチ・柔軟体操をしているときに、月に2回送られてきます「藤原 直哉さんの『藤原学校」の録音テープ」を聞いておりました。 
 昨年12月28日の録音です。 2005年の最後の月と言うことでもあったのでしょう、一部の生徒さんが登場されて、昨年一年間の感想や感じたことをお話になっておられました。 その中のひとつに、こんなお話がありました。
 「ガン細胞が人に取り付く。 増殖して取り付いた人間を死に至らしめれば、ガン細胞も死に至る。  ガン細胞は自分の死を賭けて、そのことを人に伝えているのだ。 取り付かれた人が、そのことを教えてもらったことに気づき、感謝するとガン細胞は消える」
と語っておられました。

 私も1999年3月に「大腸ガン」の手術をしております。 感謝をするという心境にはなりませんでしたが、それまでのどちらかと言うと上昇志向の生き方に行き詰まりと疑問を抱いておりましたので、”反省”を促されているのだとは考えました。
 術後5年間は要注意との指導を受けておりましたので、やはり気にはなっておりました。 2004年3月の健康診断で「もうこれで80%は問題ないでしょう」と言われたときは、正直少しばかり安堵いたしました。
              
                    梅のつぼみ(庭)
 この2〜3年「死に際」のことが時々頭を横切ります。 誰でも願うことですが、できることなら「ピンピン、コロリン」と行きたいものだと・・・
 が、これは簡単に望んでできるものでないと考えると同時に、並みのことではないと歳を加えるごとに思うようになりました。
 と言いますのも、父は戦前からの思想、心情とも関係があったのでしょう、戦後の生き方を私がそれなりに理解できるようになったのは30過ぎで、その”死に際、死に様”に大きな宿題をもらったと感じ、考えるようになったのは38歳前後のことでした。
 
 父の死は私の16歳の時です。私の5歳から13・4歳頃までは少しばかりお金が貯めると”楽園は近し”とか「大空に 太陽輝き 地球緑に茂り 植物栄えて 人もまた栄ゆ 地球は楽園なり」とか言って、様々な形で散在してしおったのです。 正直父が亡くなったときには「やれやれ」と思ったほどでした。
 その日は突然やってきました。 朝、薬局の調剤室に入り、「薬用のクミチンキ」をイッパイ飲んだ後のことです、
 「それでは皆さん、さようなら」と一言言って、心臓狭心症で亡くなりました。 私は何をしていいのか分からないまま、父を抱きしめていました。
 そして、年月が過ぎ、歳を加えるごとに、特に60歳を過ぎて(父は数え年60歳死去)大変な課題・宿題を残していったものだと感じ、思うようになったのです。 
 こればかりは「神のみぞ知る」です。

 庭の花木の蕾はマダマダ固いです。
   
      シデコブシ          サンシュ            沈丁花









COLUMN 1−D No436         平成18年01月14日 記
 

 本日、私の64回目の誕生日でございます

 
  『愛児の生立』と書かれた凹凸のあるアルバムの表紙には、左手に日本の旗をかざし、右手には戦車を抱えた子供の絵が在ります。 
 表紙の裏からのページは紙質が良くありません、が「大喜出生前 17年1月元旦 撮影」と書かれて、父44、母33 ・・・・・・・・ 大喜胎中とあり、 17年1月14日、午前8時30分出生」と太い万年筆で書かれています。

              
 前年の12月8日に米英に宣戦布告し、「ハワイ空襲」や「マレー半島上陸」を開始したばかりの年のことですから、その後の戦火など知る由もない幸せな家族写真です。

 さて、それから64年が経過しました。 いろいろありました。これからもまだまだ様々なことが展開されることでしょう。 
 その私に誕生祝いメールとカードが届きました。 メールはご存知の方は多いことでしょう「グリーテイングカード」会社からのものです。
 
     『HAPPY BIRTHDAY!

加藤大喜さん、お誕生日おめでとうございます!
01月14日は加藤大喜さんのお誕生日ですね。
Ynotグリーティングカードをいつもご愛用ありがとうございます。
日頃の感謝を込めてYnotスタッフよりバースデーeカードを送ります。

http://www.ynot.co.jp/info/ynot/birthday/617222550119819?b

今年一年が加藤大喜さんにとって素敵な一年になりますように。

                    Ynotスタッフ一同より』
 
 そして、カードは健康食品のサプリメント購入会社からのものです。
       

 本日は朝から久しぶりの雨です。 そのためか気温も高く、朝のストレッチ・柔軟体操では背中にシットリしたものを感じました。
 まだまだ、三寒四温にはほど遠いのでしょうが、この雨が今までの64年を洗い流し、新たなスタートに向かわしてくれる慈雨のように感じております。










COLUMN 1−D No435           平成18年01月13日 記
 

     見事に多くの花が咲きました

 
      

 以上3つの写真は昨年、1月30日 コラム1−D NO183『今、室内に咲いている花」と題して、他の花と一緒に掲載しました「デンドロデユーム 3」です。
 今年はどのようになっているかと申しますと、左右の花は顔を見せていません。
 その代わりに、真ん中のものは石油ストーブで暖められた室内で花をつけました。 しかも前年の数倍の花の数です。
 このままでは早く花時が終わってしまうと、毎朝ストレッチ・柔軟体操をしております玄関ドアー前の板の間に移されました。


   

 今朝は気温もそれほど下がりませんでしたので、難なくストレッチ・柔軟体操から冷水摩擦まで終えましたが、このデンドロデユームに眺められていると大寒に向かって、手抜きができないなと思っています。
    
 







COLUMN 1−D No434           平成18年01月12日 記
 

 春日井3山の一つ弥勒山に初登頂してきました

 昨日は放送大学の復習が順調に終了しました。 同時に届きました、中間試験の結果は5科目中3科目しか合格していませんでした。 不合格分はあと10点不足の50点ばかりでした。 前期は5科目とも中間試験は通過したのですが(ただし最終テストで合格は1科目のみでした)、よって1月26日から始まる試験は、前期の不合格分4科目と、後期の3科目をあわせて7科目となると思います。 まだ最終通知が着ておりませんので、正しいことは分かりません。
 兎に角、気分転換も含めて久しぶりに気温が上がり、晴れ渡った春日井3山の一つ弥勒山に登ることにしました。 (中央線・定光寺駅から東海自然歩道に入り、道樹山〜大谷山〜弥勒山〜内津峠と続く東海自然歩道のひとつです)
 我が家のあたりが標高120メートル前後で、弥勒山は437メートルです。

 山あいで日陰のところには昨年末に降った雪がまだ残っておりました。
 
       
 踏み固められたところは凍っていて、トレッキング・シューズでは滑ります。
 時速5Kmの歩速で登ってゆきましたら、20分とかからないうちに、額から汗が流れました。 途中の休憩小屋で一休みです。 逆光の西日が眩しかったです。
             
 下の中ほどで湯気が上がっているように見えるのは、いつもの散歩道「築水池」です。

 遠回りのコースを選び弥勒山に1時間で到着しました。 北側には樹齢30~40年の杉やヒノキが茂り、視界を閉ざしていましたが、弥勒山を愛する会の方々が山の所有者の許可を受けて、2年前(年が明けたので3年前か?)に伐採しましたので、多治見や可児方面の景色が一望です。 その向こうには南アルプス、中央アルプスが見えると弥勒山の山頂に写真パネルがおかれています。
       
         可児方面です                  多治見方面です

 追記 1月12日 午後4時 記
 本日午後、放送大学より試験通知が届きました。 結論的には試験対象科目は9科目となりました。 中間テストの基準は自分で考えていたバーより低いかったようです。
 諦めていた科目もありますので、改めて勉強し直しですが、3日間で9科目は、いささかオーバーペースです。
 試験会場は名古屋の八事です。 1時間目は午前9時15分から、最後の8時間目は午後の5時55分からで、終了は6時45分となります。 試験のない時間帯もありますので、その間八事周辺を散策でもすることにしようかと考えています。
 今から、八事周辺の散策マップを検索します。 こんなことをしていたのでは、試験の合格は見込めませんが、この辺がユトリとでもいうのでしょうか。
 






COLUMN 1−D No433             平成18年01月11日 記
 

 既に1月11日 鏡開きです。
        〜この10日間のこと〜

 
 松の内と言うのはいつまでをいうのでしょうか? 1月7日までが一般的と記憶していますが、世の中騒がしく、アクセクと稼ぎに追いまくられて居るためか、1月3日までがお正月のようでもあります。 その「三が日」も怪しい左近であ るように感じます。
 私の小学校時代は15日まではお正月気分であったし、その後子供にとっては旧正月の「花祭り」までは毎日が正月であった。 
 いつもの散歩コースの一角に、手の込んだ造りの民家があります。 ほとんど年中、正面玄関は閉ざされていますが、若い(と言っても30代)の御かみさんが花の入れ替えをしています。 正月は業者が松飾をしてゆきます。
              

 1月5日が「寒の入り」、7日に喪中をいただいた方に「寒中見舞い」を出しました。
 すると、昨夜その中の一人の奥様から電話をいただきました。 二人は社内結婚でしたので、奥様のことも十分承知していました。30数年ぶりのことです。 声だけでしたが、すぐに時間を埋め合わせることができつもりでしたが、相手様にはどうだったのでしょうか?
 そういえば、同じ10日にいただいた年賀状には娘さんが私のホームページを見つけましたとの添え書きがありました。 大学時代の知人ですので40年の月日が過ぎております。

 1月7日の「七草」はテレビ、ラジオの視聴だけで通過してしまいましたが、今年は野菜が低温、寒波のために例年の130〜180%値段が高いそうです。 百姓学校から持ち帰った我が家の野菜も、サトイモを除きほとんど消化してしまいました。 大事に食べておりました干し柿も、後数個残すのみになりました。

 そして、本日は「鏡開き」です。 神棚の鏡餅は化成品のパックに入っていますので、かっての様にカビルこともありませんので、年によっては春3月ごろまで神棚でお飾りされていることもあります。 今年の我が家の鏡開きはいつのことになるのでしょうか?
 「鏡開き」の名は、鏡餅を刃物で切ることが切腹を連想させるため、手や槌で割って開いたことからきたといいます。
 小さく割ってフライパンであぶり、醤油をつけてお菓子にしてみようかと思っています。





COLUMN 1−D No432             
平成18年01月08日 記
 

 若者とイッパイやりました 

 
 姪御の息子はなんというのでしょうか?
 16歳も年上の姉の子供の子ですから、私にとっては息子のようなものです。
 昨年末、東京に行った折、友人を訪ねて名古屋に来ると言っていたので、その友人と一緒にイッパイやろうと言っておいたら電話がありました。
 もう10年近く気の利いたところでお酒など飲んだことがありませんでしたので、ハタッと困ってしまいましたが、3〜4年前後輩が設営した場所を思い出しました。
 菊井町の民家を改造したお店です。 周りは民家ばかりでタクシーの運転手もかなり苦労して連れて行ってくれました。
 決して値段は高くはなく、気取ってもいませんが、落ち着いたお店で彼らも喜んでくれたようです。 二人とも芸術関係の学校を卒業していますので、感性は鋭いと思います。
 若いのにお酒の量もかなりいけましたので、次々に会話が弾みました。 と言いつつ、私の独演会になっていたのでないかと後で考えました。
  落語で大家さんが,タナゴに下手な義太夫を聞かすために、料理を用意したのと同じではないかと思い出し、今朝は思い出して苦笑しました。
 「次回も名古屋に来ることがあったら、連絡をしなさいよ」と言っておきましたが、もうコリゴリとおもっているかもしれません。
 
 若い方との会話は意識して造らないといけないと改めて思いました。
             





 COLUMN 1−D NO431
                         
平成18年01月07日 記
 

  「元気のもと 教えろ!!」に答えて


 今年の年賀状も昨日あたりで、返信も最後になった模様です。
 賀状数枚とメール2通に「相変わらず元気な様子、健康維持に何をやっているのか」とのお訊ねがありました。 既に2回ほど私の健康法については、ここで紹介させていただきました。 その後変化はしておりません。 強いて言うならば、その後も続けているということでしょうか。 初めての方もおられるので、間単に書きます。
 
 まずはサプリメントから、@無臭ニンニク Aチオクト酸(α-リポ酸+カルシウム) Bイチョウの葉エキス をCタヒボ茶で飲みます。

 A) 老化とはカルシウムの移動説が一番とのことです。 骨から溶け出したカルシウムの血管への移動が動脈硬化を起こすとのこと。血管に白い影が見え始める。若い血管には白い影はなくピチピチという。→Aが効果期待できる。
 B)老化の2番目は気力が衰えること。 ヤル気がなくなり活動的でなくなる。→Bに期待、脳の衰えを防ぎ活性化する効果(記憶力、ボケ)
 C)老化の3番目は頭髪が抜けたり、白髪になること。 
 これは抜けたりとか白髪どころではなく、既に禿げで、残ったものも白ばっかりです。
 ニンニクとタヒボ茶は万能薬と思っています。

 一方、心身を鍛えるほうです。
 あ)朝は自分で組み立てたストレッチと柔軟体操とヨガで、約40分前後行います。
 夏は汗でシャワーを浴びるほどですが、冬の間は冷水摩擦です。
 冷水摩擦の後は「ヒノキのエキス」を主成分としたローションンを身体全体にタップリと。
 い)夕方、約1時間前後の散歩です。(時速5・5Km前後の早足)
 気候が良くなりますと、3〜4時間の春日井三山他のトレッキングとなります。

 あとは月1回、1泊2日の百姓学校と昨年は2、3回植樹に参加したことぐらいです。
 何といっても、精神的ストレスが一番いけません、「好きなこと・納得できること」を基準に行動しております。

 最後に、これが良いのか悪いのかは分かりませんが、昨年1年間を平均しますと、朝は約200〜300ccの赤ワインと夜は日本酒に換算して約3合です。
 毎年、ホームドクターからは健康診断の度に「お酒を控えること、休肝日をつくること」の指導を受けています。 今年もその時期が参りました。 昨年と同じ程度の指導、観察で済みますかどうか。 そのときに改めて報告します。


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