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 COLUMN 1−D NO460
                        平成18年2月17日 記

      慈雨の後、庭の様子は


 放送大学面接講座の2日目(2月16日)は雨となりました。 しかし氷雨などではありません、間違いなく張るが近づく慈雨でした。
 今朝、庭に出てみました。
       
    2月9日撮影の福寿草です           2月17日撮影の福寿草
 2月9日のホームページに開花まで6〜7日と書いてでしょうか。 本日は既に8日目です。 撮影は午前9時でした、太陽が上がれば今春初めての福寿草の開花となるのですが、どうなりますか? サツキに根元からのものは後数日遅くなりそうですが・・・・

   
     チューリップ           ヒヤシンス           絹さやエンドウ 

 「絹さやエンドウ」には鳩やヒヨドリから守るために網を架けておきましたが、ボツボツ横に張った網を縦に張り替えなければならない頃となりました。 数十センチの積雪や冬を越した芽がこれからドンドン成長します。

 
           
          破れ傘                  ヒイラギ南天に架けられた巣
 「破れ傘」も新旧の葉の入れ替えが終わっていました。
 「ヒイラギ南天」の枝には、カマキリではない巣が架けられています。何が登場するのでしょうか。

                  
 上の写真は、コラム1−D NO448 2月1日に掲載した、「花餅みたいな雪柳」です。
 半月後の本日の様子は
   
 ボカシなど入れなくても十分に雪柳の命を伝えてくれています。
 
 最後は蛇足です。 我が家の庭には「ネコヤナギ」がありません。これは生け花です。
                 
                  一雨ごとに春の到来です。
  (追記)
 今朝の福寿草の色艶からして、太陽が上がれば咲くんではないかと午後3時、庭に出てみましたら、ご覧のとおりでした。
          








 COLUMN 1−D 
                        平成18年2月15日 記

 いささか、疲れました。放送大学面接講座


 今朝4時半起床、新聞を読む、ストレッチ、掃除、拝礼と何時ものとおり。 
 午前8時半家を出る。 講義は10時より拘束時間7時間半で、実質6時間の講義でした。 お話される講師も大変のようでしたが、座ったままの受講生も大変でした。
 B4のノートに14枚のメモをしました。 明日も4時間あります。 多分20枚以上の講義録となりましょう。 其の後、読み直しワープロで打ち出して見るつもりです。
 現在の時間、午後の9時です、瞼が仲良くなっています。
 おやすみなさい。





 COLUMN 1−D NO459
                        平成18年2月14日 記

 海を渡ったこともある、昭和17年生まれ
 「五月人形」(節句飾り)、昭和村寄贈なるか?


 我が家の賑やかというよりはゴチャマゼ(観葉植物、インコ、各種ぶら下げ物、等)のリビング・ルームのボードの上に日増しに雛人形の数が増してゆきます。
 長い間、隣の和室の最上部の戸棚の奥に眠っている節句飾りのことを思い出し、岐阜県美濃加茂市の”昭和村”に「昭和17年生まれの”五月人形”を引き取ってくれますか」と電話をしました。
 「写真を撮って送るか、メールで送信してほしい」との返事でした。
 暖かな午後の日差しでしたので2時間強かけて、飾り付けを終えましたが、なにぶん昭和17年(前年の12月8日が日本軍の真珠湾攻撃です)の代物です。 虫に食われているものもあれば、一部は破損しているところもあります。
 写真を撮って送りますと、一度検討してみます。と共に下記のことのお訊ねがありました。 @持参願えますか? A展示は直ぐにとは参りませんが宜しいですか B展示方法はお任せ願えますか(お客様に手で触れてもらうために)でした。
 全てOKと返事をしましたが、さてどうなりますことやら・・・
 其の前に、このホームページご覧の方に展示いたします。
 まずは、入れ物の箱からお見せしましょう。
       

     
 如何ですか、当時のままの物もあれば、箱が破損してしまっているものもあります。
 写真ではよくお分かりになれないと思いますが、ダンボール等の紙質そのものが今のものと比べようがありません。(しかし、近時省資源でビール箱の質はかなり紙質を落としたものが見られますが・・)

           
               一番痛みが激しい「御座敷幟」です

         
      中央の武者人形です           武者の前にはお供え物が

               
                       全体です。

 さて、海を渡ったこともある五月人形のことですが、それは1988年のことです。
 香港のイギリス系有力財閥「スワイヤー・グループ」が開発・運営している、今でも香港で規模、グレード、充実度でNO1、2を争う太古城(タイクーシン)=CITY・PLAZAショッピング・センターにキーテナントとして出店した「ユニー・アピタ”生活創庫”」内にある、日本レストランの入り口に展示されました。(そのレストラン、現在は存在するかどうか知りません)
 1回、1ヶ月間、2年ほど展示されて1989年に帰国していると思います。
 その帰国以来約16〜7年、一度も日の目を見ることが無かったのですから・・・
 香港で展示された証拠の品が、箱の中から出てきました。
                 
          広東語で書かれた「五月人形」(節句飾り)の紹介文です。
 
 さて、昭和村への寄贈の許可はどうなるのでしょうか。 8畳の和室に半畳ほどのスペースを占めています。 宜しかったら見に来てください。
 
 (追記))「幟=のぼり」という読みと漢字がなかなか出てきませんでした。 「旗=はた」とか「織=おり」とのイメージに縛られていたからです。 やっと「御座敷幟」と入力できました。 最初に読まれた方は「指物旗」とか書いていたのではないでしょうか。 気になって調べてみましたら、案の定でした(2月14日PM7時)。
 さらに、今朝なぜ出てこなかったかの訳を継ぎ足しました。(2月15日AM7時)
 こんなことが、今後さらに増えることでしょう。
 今から、放送大学の面接講座「ヨーロッパ中世世界とEU]です。2日間で連続で10時間の講義です。 楽しみです。
 





 COLUMN 1−D NO458
                        平成18年2月13日 記

 本日、本棚より取り出したものは・・・
           〜国家衰亡論でした〜


 本日2月13日は新聞休刊日でした。 トイレに持ち込んだのは2月11日に紹介した「奥三河1600万年前の旅」と「古代神都 東三河」でした。                                   
 
 先に手にとったのが「奥三河 1600万年の旅」サブタイトルには「設楽盆地の自然と人びとの暮らし」と書いてありましたが、地質学の本のようで期待もせずにパラパラとめくってみますと、写真や図が多く知らぬ間にひきいられました。 豊根村や隣の津具村の金山のことなど、そして鳳来町の植林や大代の千枚田など、時折参加している地名に出くわしたからでしょう。 
 それだけでなく、この地域は日本最大の断層帯中央構造線の南に位地しており、設楽盆地の地形や地質は変化に飛んでおり、そこに生活しておる人びとに様々な影響を与えていることが語られています。
 また、なぜあんな山奥に「鳳来寺山自然博物館」が建設されたかも分かり、次回鳳来を訪ねたときにはこの本を持参し、歩いてみたい、訪ねて見たいところをマークしました。
 現在、この博物館の会員で友の会会長の方も存じ上げていますので、今までにまして面白いお話が聞けるのではないかと、次回の植林の時が待ち遠し苦なりました。

 
 さて、2月15と16日の2日間・10時間コースで実施される放送大学の面接授業(集中型)科目の「ヨーロッパ中世世界とEU」が、愛知学習センター(八事・中京大学内)で受講することになっています。 
 そんなことがあるためでしょうか、本日は書棚から3冊の本を取り出しました。
 購入時期の早い順番に並べますと以下のようです。
   

 「文明が衰亡するとき」1981年(昭和56年発行、昭和57年21刷)高坂 正堯・著で、購入は1985年(昭和60年)4月3日で、裏表紙に「リトルワールド売店」にて購入と記されています。
 「英国衰亡論に学ぶ 国は内より滅びる」1985年2月1日に発行された著書で、その年の6月26日購入と記されています。 その後1997年2月2日再読とも記録があります。
 「ある通商国家の興亡 カルタゴの遺書」森本 哲郎・著は1989年6月に第1版が出されており、私の購入は1990年4月13日、HONG KONG日航ROOMにて記入(空港のラウンジでしょうか?)とあります。
 この3冊も2月11日紹介の、黒岩重吾氏の古代史小説同様、解説を読んだだけで再び書棚に戻されるのかも知れませんが、今という時代は大きな時代の転換期の中を蛇行しつつ進んでいると感じないわけにはいきませんので、たとえパラパラでも目を通してみたいと思っています。
 今日の私たちの思考と生活とは無縁でないどころか切っても切り離されない近代ヨーロッパ、其の近代にいたる前のヨーロッパ中世がどのように語られるか、大変興味が持てる集中講義の10時間です。
 
 




 COLUMN 1−D NO457
                        平成18年2月12日 記

    少年自然の家 砂防くぼ地にて
 ツブラシイを見上げたあとで、マンサクが・・〜


 今年に入りフッと思いついた時、何時もの散歩道をはずして歩いてみることにしています。 昨日も順路を変えて早々と坂道を登る少年自然の家に向かいました。
 学童が少年自然の家に宿泊して野外活動する時、雨の日外のファイヤーストームが出来ない時など、屋内で火の祭典をしている体育館の裏手で、”ツブラシイ”の看板が目に入りました。(何時もあるのですが、逆コースで歩いてきたので良く見えるのです) 砂防ダムが造られているくぼ地に向かって20メートル程下りました。 そこに、こんな看板と大木があります。
                 
    
 斜面角度が45度以上のところ、根は周りの土が洗い流されてむき出しです。 
 それでも大小の根を張ってガッチリと地面を握っています。 見上げると15〜20メートルはありそうです。        

 陽が沈んだ後の薄暗い中での撮影でした。 さて、帰ろうかと足元を見ると黄色の花が目に留まりました。「マンサク」の花のようです。
                   
 まさかと思って手にしてみると、間違いがありません。 ツブラジイの反対側の斜面の底で、押しつぶされた2〜3メートルのマンサクの木が横たわっていました。 重なるように倒木が覆いかぶさっています。 立ち上げようとしましたが、根っこが切れてしまいそうでしたので止めました。
 
 なぜ、疑ったかといいますと、昨年のマンサクはコラム1−D NO207とNO208の3月2日と3日の連続で取り上げていたからです。
 今年は全般に開花は遅れています。 そこで昨年の満開のマンサクの木のところに行って見ました。 やはり何の気配もありません。
 崩れた斜面のところで成長したマンサクはまさか最後の開花などと思って早めに咲いたのではないとは思いますが・・・本日12日、もう一度訪ねてみます。

        
  2005年3月2日春日井球場の近く      2005年3月3日築水池のマンサク

 (追記)
 「ツブラジイ」のことを調べようと、百科事典などで調べてみましたが見当たりません。
 少年自然の家の方に訊ねてみます。 その時にまた、お知らせします。



 COLUMN 1−D NO456
                        平成18年2月11日 記

 放送大学「人間の探求専攻」 日本編
  〜書棚からこんな本を引っ張り出しました〜


 放送大学の「人間の探求専攻」の内、日本編とでも言うのでしょうか様々な科目がありますが、そのうち「中世日本の歴史」(西暦967年・後期摂関政治の開始から1568年織田信長の京都入京まで)と「近世日本の歴史」(戦国時代から江戸末期・明治維新前夜まで)は既に受講しました。((試験で合格しているかは別です) 今年の上期は「近代日本と国際社会」(明治維新後〜)を受講することが既に決定しております。
 時代区分で見るならば「日本の古代」が抜けていますが、これは受講時間の関係で、今年の下期に受講する予定です。 などと考えていたためでしょうか一昨日本棚を眺めていると、黒岩重吾さんの「紅連(ぐれん)の女王」小説 推古女帝(中公文庫)を手にすることになりました。
                  
 隣にあった「天の川の太陽」(これは壬申の乱を中心とする天智天皇、天武天皇の古代史小説)と共に取り出しました。 <天翔る白日(あまかけるはくじつ) 小説 大津皇子>も揃っていました。
 「あとがき」のみ読んで、下期から始まる日本の古代史に期待をしています。

 同じ日(2月10日)、中日新聞の朝刊1ページの広告欄に「”古代神都 東三河” 日本の源流」の広告が出ていました。 確かこの本は持っているはずと探してみますと、やはりありました。初版が1996年4月25日で、購入年月日が7月11日とありました。(私はほとんどの本に購入年月日を記入しています) 私の生まれた豊橋、そしてその後中学から大学まで過ごした東三河の良く知っている地名がたくさん出てきました。
 拾い読みをしますと耶馬台国時代との関係も深く興味津々です。
                 
 その本の隣には「奥三河 1600万年の旅」(風媒社)横山 良哲さんのものがありました。(1991年10月第4刷、購入は1993年3月30日です) これが何と私の卒業した高等学校の教授でした。(曹洞宗・長篠山・医王寺住職、 鳳来寺山自然科学博物館学術委員)
                 
 今度、鳳来寺山麓で行われている「いろいろの森」(現在NPO法人「森林真剣隊」)の植樹に行った時には地元の方にいろいろお訊ねしたい事がイッパイになりました。

 と言うようなことで、またまた広く浅くの体質が表面化しました。 どうなることなのでしょう。 





 COLUMN 1−D NO455
                        平成18年2月10日 記

 パソコンで作成の「確定申告書」を持って
       勇んで会場に行ってきました。


 確定申告をする気になったのは何年振りでしょうか。 ここ数年は納付金額もたいしたことはありませんでしたし、それにも増して煩わしさのほうが勝っていました。
 2月8日に書類をもらてきて、簡単に記入してみると還付金はほとんど無しでした、が、2月9日の朝刊に「税制改正で混雑予想 〜HP活用し書類作りを〜 データ入れるだけ、計算も自動」とありましたので、遊び半分で挑戦してみました。
 ホームページは簡単に開くことは出来ましたがそこからが大変でした。 最初に注意事項や解説を読んでいる間に、面倒になってきましたので、「申告書の作成」に進むことにしました。 これが正解でした。といっても入力ミスをするやら、見落としなどでやっと3度目の出力で完成しました。 所要時間2時間半でした。もう一度同じような内容で作成するならば、30分で出来ると思います。(ただし、資料が揃っていること)

 2月10日、どうせ待たされることだろうからと読み物を持参して、午前9時過ぎには会場に到着(名神高速道路春日井ICの近く、落合公園内グリーンパレス<公営の結婚式場>・・利用者が少ないと聞いている)。 広い駐車場(2〜300台分)は8割方駐車しています。
 ところが、書類が出来上がっていれば手続きは実に簡単でした。その間5分でした。
 
               
        打ち出した申告書

               
 自信があればこの箱に入れてくればそれで終わりです。 初めてもこともあり係りの方に書類を見ていただきましたが、一言「結構です。お預かりします」で終わりでした。

 晴れ渡り、澄んだ空気で気持ちも良かったので落合公園を一周してくることにしました。

          
       フオリー(水の塔)
                 
  凍ったグランドが融け始めていましたが”グランド・ゴルフ”をされておられました。
 申告は終わったのでしょうか、この仲間に入るのはまだ少し早いなと思いました。
 申告通りならば、費やした時間に見合った還付がされることになりましょう。 それよりも投げ出さずにやり切ったことと頭の体操になったことが良かったです。









 COLUMN 1−D NO454
                        平成18年2月9日 記

 今年は春到来遅しです
          〜昨年と比べてみました〜


                           
 以上は昨年・1月29日、コラム1−D NO182(植物園”梅園の紅梅”)です。
 昨日訪ねてみましたが、蜜蝋黄色のロウバイが盛りでしたが、梅の花芽はまだ身を固めていました。
       
        アメリカデイゴ

 マメ科のアメリカデイゴはアルゼンチンやブラジルといった夏を連想させる国の花木です。 夏の間中花を楽しませてくれます。だから、今はご覧のとおりです。

 
  今朝(2月9日)庭に出ました。 一番先に咲きそうな福寿草を撮影しました。
                

 昨年の福寿草を見てみましょう。
 コラム1−D NO191とNO194(2005年2月9日と14日です)
  
        2月9日                       2月14日

  ご覧のように今年の福寿草はあと早くて6〜7日はかかりそうです。 ということは1週間以上は春到来が遅れているということになります。
 其の分、一気に春の草花が開き、芽を吹く出すということになるのでしょうか。
 
 世の中の動きも緩慢なようで、実は気がつかないところや見えないところで大きな変革のエネルギーが蓄えられているようです。 心穏やかに,しなやかに受け止めてゆきたいものです。 



 COLUMN 1−D NO453
                        平成18年2月8日 記

 散歩の途中で
  〜元気牧場と「青少年自然の村」展望台にて〜


 このところ意識して何時もの散歩道を逆周りで歩いております。 すると普段は気がつかなかったことに目が留まります。
 最初は「元気牧場」から、別に逆周りをしたからではないのでしょうが、普段は静かに、のんびりと馬草を食べている4頭の馬のうち、一番小さな木曽駒が大きなアラブ(?)馬に
絡んでゆきました。 其のうちに2頭は片道30メートルの囲い地を疾風し始めたのです。
 残りの2頭は煩わしそうに餌を食べ続けていました。 その間15分ぐらいだったでしょうか。 何枚もシャッターを押したのですが、日が暮れた後でもあり鮮明には撮影できませんでした。 
   

 翌日は久しぶりに「少年自然の村の展望台」に登ってみました。 
        
          厚い雲に被われて天辺が切れて富士山のようにも見えました。
                

 その10分後に、元気村に着きますと4頭の馬は昨日とは異なり、いつもの様にのんびりと静かに夕食の馬草を食べていました。
 馬の背の向こうに、先ほどの夕日が当に沈もうとしていましたので、シャッターを押しました。
                
 まるで当たり一面が燃え上がるようでした。 背後の岩舟神社がその夕日に映えて神々しく赤く染まっていました。 カメラにおさめることは出来ませんでした。
 






 COLUMN 1−D NO452
                        平成18年2月5日 記

  今冬5度目の積雪の日に
            ハイビスカスが咲きました


 昨夜、高蔵寺駅に着いた午後の10時半頃、チラチラと雪が舞いはじめていました。 我が家に着くころには北側の道は薄らと白くなっていました。
 今朝は1センチメートルの積雪です。 外気温が上がらず午後になっても、芝の上の雪は熔けません。
 そんな中暖房の効いた部屋ではハイビスカスが一輪真っ赤な花を咲かせてくれました。
               

     

 子どもの頃「好きな色は?」と聞かれると、直ぐに”赤”と応えていましたが、このごろは赤より”緑”がよくなりました。
 いやいや、緑だけでなく自然の草木、花々の見せてくれる色の波動ならば、どれもこれも感動させてくれます。
 今朝は窓の外の純白と室内のハイシスカスをタップリ堪能しました。




 COLUMN 1−D NO451
                        平成18年2月5日 記

   愛知森林ボランテイア交流会に参加 
   〜於(株)エステム本社   2月4日〜


 この会が開かれることは知っていたが、参加は見合わせようと思っていた。 すると昨年は2回しか参加していなかった「いろいろの森」(新城市 鳳来町)のリーダーの一人から電話が入った。 名古屋市南区の会場、久しぶりに「笠寺」までJRに乗った。
 参加者は少なかった、20人程。(何を基準とするかによるが、もう少しは参加者がいると思っていた)。
 参加メンバーからの活動状況の報告がなされなした。 其の中にかって参加をしてみようかと思っていた、”愛知大学の「緑の協力隊」ポプラの森”(愛知大学の創立50周年事業の一環として1995年からスタート)の報告もあった。 砂漠の90%は人の手が入った結果であるとの話を聞いた。 現在植林されている中国クブチ砂漠もかっては草原であった、が過剰放牧によって緑が失われたというのである。
 私も参加しているベトナムでマングローブを植林している「南遊の会」の発表もあった。

 3チームの発表のあとで、それぞれに1品持ち寄った食べ物で交流会が実施された。
 2人1組になって「あなたのこと知りたい・カード」で互いのことを訊ねあいながら、知り合い・交流をして最後に相手のことをみんなに紹介するという仕組みであった。
                  紹介のカードです

 この方法は初めての経験であったが、なかなか良い方式だと思った。
 私の相手は半田市で「アユチの会」で事務局をしておられる山川さんであった。 お酒の好きな方で、ウイスキーの角瓶を持参されていた。 「助かった」私は忘れていた。(というよりはソコソコ用意されているだろうと考えていたので) 酒飲み同士も手伝って、初めから大いに盛り上がった。
        
        山川さん                  発表しております

 いつも気がかりなのは、この関係の会に参加すると何時もの顔なじみが多いことです。
 ボランテイア活動が盛んになったといわれますが、同一人物がアチコチの会に参加しているようです。 団塊の世代が定年後にでもなれば、もっと参加者が増えるのでしょうか。 数が問題ではないとは思うもののやはり気になりました。
 しかし今回、半田『アユチの会』の山川さんにお会いできたことで次につながりそうです。 今までも、「アユチの会」の存在を知っていましたし、顔だけはお見受けしている方も数人居られました。  それ以上のお付き合いということには発展しませんでした、が1枚のカードを前に20分程の会話によって、次の一歩が始まるのでしょうか。


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