COLUMN 1−D NO565
平成18年7月17日 記
世界の歴史を学んでゆくと、宗教を学ぶことになる
〜今、八百万の神の下の日本人は・・・・〜
ここで学んだことの一部、感じたことの一部を披露するなどという、出来もしないことを書こうとしているのではありません。
「ヨーロッパを学ぶには宗教を学ばなければ成らない」の言葉に始まった「ヨーロッパを知る」と「比較文化研究」という講座。
その宗教を学ぶにはユダヤ人・ユダヤ教の歴史から始まり、キリスト教との関係。そして時代が下がりイスラム教がどのような背景から生まれ、力を伸ばし、ヨーロッパに様々な影響を及ぼしていったかの一端を知ることによって、刷り込まれていた既成概念の大きな修正を必要としていることを強く感じさせられているということを書き留めて置かねばという事に過ぎません。
また、今年の5月より「インド学への誘い」という特別講座を受講しておりまして、その内容もさることながら、インドで生まれ育ち20数年、その後30数年日本で暮らしている担当教授の話しぶり、態度、そしてその内容からも異文化体験をしております。
7月12日で講義の半分が終わり、後半は8月23日から始まるのですが、前半を終わり「疑問、質問、これからの講義への注文があれば、提出してほしい」とのお話でしたので、このような内容の文章を書きました。
「インド学への誘い」前半戦を終えて
@回を追うごとに面白くなっている。
A参加者の顔ぶれを見ると、ビジネスに拘ることはないと思う。
前半、ビジネスのことを特別多く取り上げてはいなかったが・・後半のタイトルを見て
質問と希望
@第1回で話された、インド哲学的な話はそれなりに興味が持てた。
→生まれ変わり(過去^現在〜未来論)、存在・価値観(乞食に施す行為)
Aインドの宗教(イスラム、ヒンズー、仏教)の歴史、関係を取り上げてほしい。
Bカースト制がインドの人々の生活の中で、どのように具体的に影響しているのか。
30%3億の人々にとって、70%7億の人々にとって、それは異なるのか、同じか。
30%の人は、現代グローバル社会のビジネスの価値観で生活、行動しているのでしょうか? インドの人から見た、アメリカ、日本、インド、中国、ヨーロッパの価値観?
C過去700年のインドの歴史から、日本人の心の傷を理解しているといわれたが、
では、その700年の間にインドの人々は一番どのような傷を負ったのか?
D日本人ならばアバウト精神のインド人を変革可能といわれたが、何を持ってそういえるのか?
日本人の特徴、特性の何が、インド人の変革を可能にすると考えますか?
Eインド人は日本人にプラトニック・ラブ的な愛を持っているというが、何時頃から、どのようなところから生まれたものなのか?
どのように、今後講義の中で答えがいただけるか楽しみである。
もう一つ、イスラムに関する講義を受講している。 野町和嘉/著、カラー版”メッカ”−聖地の素顔 岩波新書を参考図書に、イスラム教の原点を多くの写真入の本の解説で学んでいる。
上記のユダヤ教、キリスト教との関連もあり、大変興味深く学んでいる。
昨年の「愛・地球博」の折、会場の何処かで「イスラーム」世界宗教の教えとその文明という小冊子をいただいて、斜め読みしただけで本棚にしまっておいたが、本日引っ張り出して再読しました。 その中で、「イスラームから見た日本社会」という項があり、このように紹介されています。
「イスラーム世界と日本の交流が盛んになり、近年では、イスラーム世界から日本を訪れる人たちや留学生も増えています。 彼らに日本について尋ねると、誰もが日本への賛美を口にしますが、特に、「イスラームの価値観と似ているものがたくさんある」という感想を聞きます。 どのようなところが似ているのでしょうか。特に話題になることもの紹介します。
(1)両親への敬愛、親孝行 (5)勤労精神
(2)家族の重視 (6)社会的相互扶助
(3)清潔 (7)j自己抑制と他人への思いやり
(4)真面目さ、誠実さ (8)宗教心の尊重
このような面を見ると、ムスリムたちが日本に対して親近感と尊敬心を持っていることがよく分かります。 これまでは互いに遠い世界だったかもしれませんが、相互理解の道は大きく開かれているのではないでしょうか。
以上ですが、如何ですか。 私は3度内容を読み返しました。 どこか気恥ずかしくなる思いになりましたが、皆さん如何でしょうか。
と言いますのも、先週15日に毎月集まっているある会で、今の日本は既に崩壊している、が新しい希望の芽も水面下で芽生えているという話をしてきたところだからです。
インド学の先生が「アバウトなインド人を改革できるのは日本人である」と言われました、日本人のどのような特質、特性がそのような言葉を言ったのか、ますます聞いてみたくなりました。
私たちには長い歴史、伝統、文化に育まれ、それがメンメンと受け継がれて、今も厳然として残っている日本人(日本社会)の素晴らしさがあると考えています。。
今のうちなら何とか成る(何とかしなければ)と思いつつも、外から見ておられる目のようには、私が強く気づいていないだけなのではないか。
この混迷深まる世界にあって、これからの時代、社会の中で、価値観・生き方の一つのモデルを示すことが出来る日本(日本人)であるのではないか、あるいは期待されているのではないかと言いつつも、確信を持って言い切り、行動していないのではないかと自戒します。
もっと、自信と使命感を持って足元から立ち上げるべきではないかと、教えられているように感じながら学んでいますが、行動が共わなければと、今日も教えられています。
八百万の神は何時、どのように私たちに、新たなる奮起をお示しになるのでしょうか。
この神はそんなことはなさらずに、自問し、答えを出し、行為しなさいと自然体でお示しになったいるのでしょう。 気づく気づかないは、私自身の問題、「君の横にある、前にいる、後ろに座っている山川草木が語っている」と。
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