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 COLUMN 1−D  NO570
                              平成18年7月27日 記

 7月24日〜26日、散歩の途中で

 
 梅雨明けが遅れています。 それでも晴れ間を見つけては散歩に出掛けております。
 7月24日、車と正面衝突でもしたのでしょうか、溝の横でアスファルトの小さな窪みに頭を突っ込み、雨水を飲むような格好で動きません。 拾い上げてガードレールの支柱の頭の上に移してあげました。

 7月25日、植物園の大谷池のカルガモは今年8匹孵化しました。 2週間後には4匹になってしまいました。 それから4週間後には、親の姿も見かけなくなりましたので、今年は全滅してしまったのかと思っていましたが、久しぶりに覗いて見ましたら、どちらが親か、子供か分からないくらいに成長しておりました。
               

 毎度のお気に入りコースの築水池から木々に覆われた日陰の山道をダラダラと下   り、横道にそれると、そこは廻間(ハザマ)の田んぼが開けております。 田植えから約2ヶ月弱、第1回目の水抜きがされておりました。
 弱弱しい苗がスッカリ株分けも終わり、青々と生長しておりました。
     毎度、毎度の春日井3山を背景に、梅雨明け前の光景です。
               

 7月26日、梅雨明け宣言はありませんが、朝から気温がドンドン上がり、35度を越えました。 水かさが増しているだろうとウグイ川を下ることにしました。
 真夏に、背筋をスーと伸ばし青々とした葉と見事にコンストラストされ力強く咲くカンナの花に出会いました。

               

   

 その帰り道では、これまた夏の花木”百日紅”が残照の中で揺れていました。
 
       

 7月27日、朝から温度計は30度を指しています。 今日も35度を越すことでしょう。
 後、数日で「梅雨明け宣言」でしょう。
           


 
                                 平成18年7月24日 記

       おしらせ 


 エッセイC 「自然との交流」に7月22〜23日の”百姓学校 7月定例会」の模様を掲載いたしました。
 



 COLUMN 1−D  NO569
                              平成18年7月24日 記

 西高森山から春日井〜名古屋駅方面を望む

 
 特別にどうのこうのということはありません、「エッセイ、自然との交流」”8月百姓学校・定例会”に掲載予定の写真を画面に表示しておりましたら、7月21日撮影の、西高森山から春日井〜名古屋駅方面の写真が出てきました。
 この時期、名古屋駅のセントラルタワーがクッキリと私のカメラで撮影できるのは珍しいことなので、掲載することにしました。 多分ほぼ1週間雨が降り続いたために、空気が綺麗になったためでしょう。 よく観察すると、今秋オープンする????タワーも見えます。
 名古屋駅前はこれで一層賑やかなことになるのでしょう。
 直線距離で10Kmぐらいでしょうか。 

 西高森山には、記帳用のノートを持参しました。

         



 COLUMN 1−D  NO568
                              平成18年7月21日 記

 地球環境の保護・再生・育成に、参加しています。

 
 毎日のテレビ、新聞、雑誌等で地球環境の保護・再生・育成について報道・記事がない日はありません。 ”こんなことで良いのかな”、”何もしないよりは良いか”と言い訳しながら、以下のようなことに参加しております。
 
 1、林野庁「国有林分収育林」、緑のオーナー制度
 2、”しれとこ=知床”100平方メートル運動の森・トラスト
 3、四万十川、「四万十ドラマ」RIVER会員制度
 4、ビーポコーポレーション、Wエコ=ゴールデンバイオチーク植林事業(インドネシア)
 5、オーク・ヴィッレジ「クールグリーン運動」
 6、「南遊の会」ベトナム・カンザーにマングローブ植林
 7、新城市・鳳来町での「いろいろの森」植林活動
 8、その他、近隣で行われる中部森林管理局の支局が実施する枝打ち等

 以上のように並べると、色々と参加、首を突っ込んでいるようですが、元を正せば、その裏には、「ヒョットしたら元が取れるかもしれない、いやそれ以上の見返りがあるかもしれない」との欲も絡まっているモノもあったと白状しなければなりません。 
 しかし、時間の経過とともに、自然相手の事業や運動は、これまでの価値観や金銭感覚の見返りは望めないことを教えられ、自分の精神レベルにいささか嫌悪を感じないわけにはいかないというのが実態です。、

 NO1の「国有林・分収育林」、緑のオーナー制度は昭和59年からの取り組みで、昨年中部森林管理局管内で始めての分収期を迎えて販売が実施された。 が落札はされなかったと報告が来ました。 仮に落札販売されたとしても、30年前に予定していた販売価額とはかけ離れた低いものであったことでしょう。
 
 NO2の「知床100平方メートル運動・トラスト」は、1994(平成6)年にレンタカーを走らせて、北海道を5日間走った時に立ち寄り、寄付したものです。 その後、知床は世界自然遺産に登録され、その運動はますます盛んになっております。 ほんの些細な寄付金額ですが、自宅の居間にその証書を額に入れて掲げています。 

 NO3の四万十川のRIVER会員も今年で11年目に入りました。 これは新聞で会員を募集していたのをたまたま目にして応募したものです。
 昨年、株式会社として民営化され、株主募集に応じました。 半期で数千万円の産物販売高なのですから、利益を出そうとすること自体が難しいというのが実態でしょう。
 それでも、今年から年に4回情報誌が送られてくる事が復活しました。 四万十川のおじいさん、おばあさんが主役の情報誌です。 知恵がイッパイ詰まっています。
 読み、眺めているだけで嬉しくなってしまいます。

 
No4はインドネシア・カリマンタン島の熱帯雨林大火災をきっかけに始まった事業です。 かってこの地で森林を伐採・輸出しておられた商社マンの方が、インドネシア政府のバックアップの元に始められた事業です。 在来のチーク材の2倍で成長し、10年で市場に出せる技術の開発がされ、投資対象としても可能になったと言っておられますが、なんといっても自然が相手のこと、さてどうなりますことやら・・・

 No5、オークヴィッレジはこのところの時代背景を受けて、代表が日本のみならず、海外にも出られて、活躍されていますのでご存知の方は多いことでしょう。

 NO6、今年の5月を持ちまして、私は一時休憩に入りました。立ち上げ創業期の役割は果たしたと考えたからです。 そしたら、今度は女房が今夏、植樹に参加することになりました。 私は賛助会員ということになりました。

 NO7、昨年は2度参加したのみです。 今年はまだ1度も参加しておりません。 片道、車で2時間は、作業の後の帰りの運転が怪しくなりました。

 NO8,新聞の近郊版をチエックしており、目に留まり時間が許されたら参加という、自由な活動姿勢です。 

 連日の雨で外に出られない、そこでパソコンに向かっている間に、上記を入力することになりました。
 と言っていましたら午後4時20分、パ〜と光が差し込んで来ました。 眼前の春日井3山にかかっていたガスがドンドン上昇してゆきます。 明日は久しぶりに好天のようです。
 今年の田植えの時、雨が降っても大丈夫と思っていましたら、当日は曇り。
 その後、もう待てませんと心配していた麦刈り・はざかけ、麦の脱穀も、天気予報が外れて無事に実行できました。 
 明日は百姓学校の定例会、予定している作業がイッパイです。 またもや、お天道様が味方してくれたようです。





 COLUMN 1−D  NO567
                              平成18年7月21日 記

 こんな情報が入りました
 〜接木のナスで記憶喪失 チョウセンアサガオ〜

 
 おはようございます、今日も午前9時過ぎにパソコンの前に座りました。
 まずは、「受信トレイ」を開きます。 毎度の事ながら、怪しげなというのか、振り込め詐欺の頭脳版か知りませんが、H推奨の連絡(メール)が数十件入っています。
 気をつけて消してゆかないと、必要なものまで消去してしまいそうです。
 本日は全部で32件の受信中、必要なものは2件でした。 その中の1件に、表題の情報が知人より入っておりました。
 読まれた方もいらっしゃるかと思いますが、珍しいというか、異常気象と相まって、何でもありの時代ですのでここに掲載します。
 これからの時代、マスコミ情報よりは個人対個人や、仲間同士の情報が信頼できる情報と成ると思っています。

  
 『こんなことがあるんですね。以下新聞記事より

   接ぎ木のナスで記憶喪失 チョウセンアサガオの毒

 2006年 7月20日 (木) 18:02

 沖縄県南部福祉保健所は20日、毒性のあるチョウセンアサガオに接ぎ木して栽培したナスを食べた沖縄県の夫婦が、一時的に記憶を失う食中毒症状に陥ったと発表した。チョウセンアサガオへの接ぎ木による食中毒は国内初の事例という。同保健所は「チョウセンアサガオの有毒性を認識してほしい」と呼び掛けている。

同保健所によると、食中毒を起こした夫(67)は趣味で自宅庭に果物や野菜を接ぎ木して栽培。昨年、観賞用のチョウセンアサガオにナスを接ぎ木して栽培できるか実験を始めた。

今春にナスがなり、妻(62)が5月15日にナスを入れたスパゲティを作って食べた。2人ともふらつくなどの症状が出たため病院で治療を受け約3時間で回復したが、その間の記憶がなくなったという。


 さて、もう1件は中部大學の受講ノートの件です。
 私の記録した受講ノートの内容の点検(間違いがないか)をお願いし、送付しました。。
 すると今朝、その教授から、「この受講ノートを公開しないか。 受講生の受講ノートの公開は大変珍しく、他の教授にも面白い参考資料になると思います」との内容で、
 教授のゼミにおいて、学生のレポートや教材を毎週、印刷して発行しているので、それに掲載してよいかとのメールでした。 
 
 「思いがけない提案です。 何かのお役に立つならば望外の嬉しさです。 教授がこの内容でかまわないといわれるなら、”て、に、を、は”、の修正や誤字、脱字、変換間違いを修正の上、掲載されるならば、私のほうは問題ありません」とお答えしました。
 来週で今春期の講義は終了です。 秋期は9月下旬からですが、今まで以上に気を引き締めて、講義に臨まなければと思っております。
 
 





 COLUMN 1−D  NO566
                              平成18年7月19日 記

 放送大学と中部大學の期末試験の頃となりました
 〜40数年前の試験を思い出しながら・・〜

 
 7月24日の月曜日から29日土曜日が期末試験の週になります。
 放送大学の方は、昨年の下期(後期)より勉強方法を大幅に修正した結果、上期(前期)より良い成績になったことをコラム1−D No478で自慢げに報告させていただきました。 その後も同じ勉強方法を継続していますので、多分大丈夫と思いますが、印刷教材(教科書)の持込が許されている教科と許されていない教科がありますので、やはり受験してみなければ結果は分かりません。

 中部大學のほうは聴講生には受験する資格はありません。 出席状況で終了証が貰えることになっております。 それでも、どんな問題が、どのような方法で出題されるのかは興味があります。 2つの事例で紹介しましょう。
 A)試験はなし、レポートのみ〜その内容は〜
 1、ユダヤ教の基本的特徴を述べよ。 その上でイエスをユダヤ教の立場から論じる。
 2、4世紀におけるローマ帝国による、国教化までの初期キリスト教について述べよ。
  各課題2000字以上、総計4000字以上

 〜講義を全部受講しているので、何を、どのように書けばよいのかは分かるが、講義はその設問に答える形で行われていないので、自分なりに構成しなければならず、しかも一貫性ある論理であることとの注釈が付いているし、自分の意見も付加することとも求められている。

 B)試験あり。 試験1週間前の本日、設問が紹介された。
 1、中近東の概略図を描き、イスラムの3大聖地を書き込め。
 2、カーバ神殿の概略図を描き、主要な場を書け。
 3、メッカの意義付けをしなさい。
 4、メデイナの意義付けをしなさい。
 5、エルサレムの位置づけをしなさい、何で第3の聖地なのか?
 6、カーバ神殿と周辺の聖跡を示しなさい。
 7、イスラムの巡礼について述べなさい。
 8、アブラハム、イシュマル伝説について述べなさい。
 9、上記課題は2〜3行でよい。上記項目のうち1つを選んで、長文で説明しなさい。

 〜これまた、講義に出ていればほとんど答えられるが、答えを丸暗記して教室で改めて書けと成ると、何かが抜けてしまいそうである。 レポートで出せばよいとも思うが、そうすれば誰かの回答を丸写ししてくるからであろうか。
 それにしても、上記の設問に答えられるように、今週はこの半年間のポイントが整理された資料が配布され、しかも解説がなされた。 実に親切である。 そのためか本日の出席者は普段の5割り増しと拝見した。
 中学生でも講義に出ていれば、パスするように思えたが・・・
 それでも、上記設問の答えを自分で整理するならば、イスラム教に付いての、一番最低限の知識を知ることになるのであろうとは思えるが・・・ 

 40数年前の、私の大學の試験も同じようなものであったのかなと、思ったりしたところです。
かんざー




 COLUMN 1−D  NO565
                              平成18年7月17日 記

 世界の歴史を学んでゆくと、宗教を学ぶことになる
 〜今、八百万の神の下の日本人は・・・・〜

 
 ここで学んだことの一部、感じたことの一部を披露するなどという、出来もしないことを書こうとしているのではありません。
 「ヨーロッパを学ぶには宗教を学ばなければ成らない」の言葉に始まった「ヨーロッパを知る」と「比較文化研究」という講座。
 その宗教を学ぶにはユダヤ人・ユダヤ教の歴史から始まり、キリスト教との関係。そして時代が下がりイスラム教がどのような背景から生まれ、力を伸ばし、ヨーロッパに様々な影響を及ぼしていったかの一端を知ることによって、刷り込まれていた既成概念の大きな修正を必要としていることを強く感じさせられているということを書き留めて置かねばという事に過ぎません。

 また、今年の5月より「インド学への誘い」という特別講座を受講しておりまして、その内容もさることながら、インドで生まれ育ち20数年、その後30数年日本で暮らしている担当教授の話しぶり、態度、そしてその内容からも異文化体験をしております。
 7月12日で講義の半分が終わり、後半は8月23日から始まるのですが、前半を終わり「疑問、質問、これからの講義への注文があれば、提出してほしい」とのお話でしたので、このような内容の文章を書きました。

 「インド学への誘い」前半戦を終えて

@回を追うごとに面白くなっている。
A参加者の顔ぶれを見ると、ビジネスに拘ることはないと思う。
 前半、ビジネスのことを特別多く取り上げてはいなかったが・・後半のタイトルを見て

質問と希望
@第1回で話された、インド哲学的な話はそれなりに興味が持てた。
→生まれ変わり(過去^現在〜未来論)、存在・価値観(乞食に施す行為)
Aインドの宗教(イスラム、ヒンズー、仏教)の歴史、関係を取り上げてほしい。
Bカースト制がインドの人々の生活の中で、どのように具体的に影響しているのか。 
 30%3億の人々にとって、70%7億の人々にとって、それは異なるのか、同じか。
 30%の人は、現代グローバル社会のビジネスの価値観で生活、行動しているのでしょうか?  インドの人から見た、アメリカ、日本、インド、中国、ヨーロッパの価値観?
C過去700年のインドの歴史から、日本人の心の傷を理解しているといわれたが、
 では、その700年の間にインドの人々は一番どのような傷を負ったのか?
D日本人ならばアバウト精神のインド人を変革可能といわれたが、何を持ってそういえるのか?
 日本人の特徴、特性の何が、インド人の変革を可能にすると考えますか?
Eインド人は日本人にプラトニック・ラブ的な愛を持っているというが、何時頃から、どのようなところから生まれたものなのか?


 どのように、今後講義の中で答えがいただけるか楽しみである。

 もう一つ、イスラムに関する講義を受講している。 野町和嘉/著、カラー版”メッカ”−聖地の素顔 岩波新書を参考図書に、イスラム教の原点を多くの写真入の本の解説で学んでいる。
 上記のユダヤ教、キリスト教との関連もあり、大変興味深く学んでいる。
 昨年の「愛・地球博」の折、会場の何処かで「イスラーム」世界宗教の教えとその文明という小冊子をいただいて、斜め読みしただけで本棚にしまっておいたが、本日引っ張り出して再読しました。 その中で、「イスラームから見た日本社会」という項があり、このように紹介されています。
 「イスラーム世界と日本の交流が盛んになり、近年では、イスラーム世界から日本を訪れる人たちや留学生も増えています。 彼らに日本について尋ねると、誰もが日本への賛美を口にしますが、特に、「イスラームの価値観と似ているものがたくさんある」という感想を聞きます。 どのようなところが似ているのでしょうか。特に話題になることもの紹介します。
 
(1)両親への敬愛、親孝行       (5)勤労精神
 (2)家族の重視              (6)社会的相互扶助
 (3)清潔                  (7)j自己抑制と他人への思いやり
 (4)真面目さ、誠実さ           (8)宗教心の尊重
 このような面を見ると、ムスリムたちが日本に対して親近感と尊敬心を持っていることがよく分かります。 これまでは互いに遠い世界だったかもしれませんが、相互理解の道は大きく開かれているのではないでしょうか。

 以上ですが、如何ですか。 私は3度内容を読み返しました。 どこか気恥ずかしくなる思いになりましたが、皆さん如何でしょうか。
 と言いますのも、先週15日に毎月集まっているある会で、今の日本は既に崩壊している、が新しい希望の芽も水面下で芽生えているという話をしてきたところだからです。
 インド学の先生が「アバウトなインド人を改革できるのは日本人である」と言われました、日本人のどのような特質、特性がそのような言葉を言ったのか、ますます聞いてみたくなりました。 
 私たちには長い歴史、伝統、文化に育まれ、それがメンメンと受け継がれて、今も厳然として残っている日本人(日本社会)の素晴らしさがあると考えています。。 
 今のうちなら何とか成る(何とかしなければ)と思いつつも、外から見ておられる目のようには、私が強く気づいていないだけなのではないか。
  この混迷深まる世界にあって、これからの時代、社会の中で、価値観・生き方の一つのモデルを示すことが出来る日本(日本人)であるのではないか、あるいは期待されているのではないかと言いつつも、確信を持って言い切り、行動していないのではないかと自戒します。 
 もっと、自信と使命感を持って足元から立ち上げるべきではないかと、教えられているように感じながら学んでいますが、行動が共わなければと、今日も教えられています。
 
 八百万の神は何時、どのように私たちに、新たなる奮起をお示しになるのでしょうか。
 この神はそんなことはなさらずに、自問し、答えを出し、行為しなさいと自然体でお示しになったいるのでしょう。 気づく気づかないは、私自身の問題、「君の横にある、前にいる、後ろに座っている山川草木が語っている」と。

                        

 





 COLUMN 1−D  NO564
                              平成18年7月15日 記

元気な歓声が聞こえてきましたので・・ 


7月14日、本年夏の最高気温が記録されました。 確か名古屋で35・8度と言っておりました。
大相撲名古屋場所の6日目の横綱朝青竜の相撲を見終えてから散歩に出掛けましたが、5分と経たないうちから汗が流れ始めました。                               
こんな時こそ、普段以上の距離を歩かなければと思っていましたが、気分が萎える状況でした。 
 が、昨日は浅井 隆氏が旗揚げした「再生日本21旗揚げ記念講演会」”志塾+市民記者のすすめ」のカセットを聴きながらでしたので、幕末から明治維新に活躍した坂本竜馬、勝海舟、西郷隆盛、木戸孝允、吉田松陰など、近代日本の夜明けを創設した人物が話の中に次々に登場してきました。 いつの間にか、話に引き込まれて、暑いだの、汗などというのは忘れてしまいました。                                                

話を聞くにつけ、今の日本は本当にどうかなってしまっているということに同感せざるを得ません。誰でもなく私たちがこのような状況を作り上げてきたのだと思います。          
 いま、幕末から明治維新に活躍したような人物が求められていると改めて感じ、何かできることはあるのだろうかと考えるのでした。 浅井さんはそのことを強く感じ、使命を持って今回「再生日本21」を立ち上げられてのだと理解しました。                       
ご関心のある方は、浅井隆「(株) 再生日本21」をクリックしてください。            

 築水池から宮滝大池を回って少年自然の家のメイン道路を登ってきましたら、野外ステージのほうから、掛け声と賑やかな音楽が流れてきました。                         そこでは、どこかの幼稚園児たちが幼稚園の先生とは異なる、専門のダンス指導の方によって足踏み鳴らし、手拍子で無邪気に踊っていました。                         

  



  

この中から、将来の坂本竜馬やおりょうさんが生まれるのでしょうか。
仲良く、御手つないだ一見素直な子達です。
少々腕白、かなり困らせ者でも良いから、バンカラで、思い込んだら志に一直線という人物を輩出する私学、(志学)がやはり必要なのではないかと思ったのです。              
自分のできなかったこと、できないことを望むのは許されないのでしょうか。
出来なかったからこそ、出来ないからこそ求めるのですが、まずはそれでも身近なところで自分の出来ることから始めなければと改めて思う暑い暑い一日でした。
 
                                              


 COLUMN 1−D  NO563
                              平成18年7月13日 記

 ”キノコ” 食べられる? 毒キノコ? 分かりません

 
 昨日、このコラムの最後は、何か特別なことに気が付いたような思わせぶりで終わりましたが、何のことはありません、梅雨時の湿気の所為でしょう、アチコチにキノコが色々な顔を出していたことを思い出したと言うだけのことです。
 多分食することは出来ない物ばかりでしょうが、通り過ぎてしまえばそれだけのことですし、蹴飛ばしてしまえば消し飛んでしまいますが、シャッターを向ければそれなりの姿を見せてくれているのではないでしょうか。 以下紹介してみましょう。 
 特別な編集はしておりません。 カメラに収まっている順番で掲載します。
 
       
     3枚同一のものです。 真ん中の写真からはどう見ても毒キノコですね。

              
       虫が食べた後があります。 と言うことは食することができるのでしょうか?

            
 傘の縁にギザギザの襞をあしらい、傘の下にはリボンをつけています。 日傘しょうか?

           
 こんな色のキノコもありました。 小学生の頃「何色が好きか」と問われると、迷いなく”赤”と答えていたことを思い出します。 「色判断」によれば、どのような性格だったのでしょうか。
 今回登場するキノコは全て、大きな木の下の日陰のところに顔を出していたものばかりです。 その中で、この赤色のキノコは一際目立ちました。 虫にも食われてもいました、虫君もこの色に惑わされて近づいて来たのでしょうか。

             
 苔が一面に密生していたところにありました。 可食できそうな感じですが、どうでしょう?

             
 この姿を見て、小学校の帰り道、強風に煽られて、傘が逆さまに開いてしまったことを思い出しました。 同時に杯のようにも思え、これで今夜、お酒をいただいたらどうであろうかと思いましたが、写真を撮った後はその場に残してきました。

 そのほか2点ほど別の種類のものがありましたが、撮影状態が悪く割愛します。
 何気ない散歩道にも、見落としてしまっている面白いものが足元にあるものだと感じさせてもらいました。
 





 COLUMN 1−D  NO562
                              平成18年7月12日 記

  久しぶりに、西高森山に登る

 
 高森山と言っても決して高い山ではありません、が前にも紹介しましたように春日井から名古屋方面が一望できる、大変眺めの良い山です。 標高は250メートルぐらいでしょうか。
 昨日は梅雨の季節というのに、名古屋駅の高いビルまでが見通せました。
 この山には10年くらい前から、記帳ノートが設置されています。 箱は私が設置しました。
 簡単に登れる山ですので、お母さんに手を引かれた幼児も登ってきているようです。
 大人用とこども用のノートがあるのですが、久しぶりに登ってみたら、ノートが品切れしていました。 無理もありません私の記帳の最後が2月26日でした。 その時は在庫がありましたので、安心しておりましたら新しい一冊が加えられていました。
 既に、大人用はNO30にまでナンバーが入っておりました。別に、子供用が8冊ほどです。
           
 
 右の写真のように掃除道具が揃えられており、何方かが小屋の周辺を綺麗にしていただいております。 初めてこの山に登られた方が記帳ノートに、「大変綺麗に手入れされており、心地よく過ごせました」などと書かれていおりますと、嬉しくなってしまいます。
 
 夏草が元気よく成長する時期です。ご覧のように頂上付近はササ竹で、通路が塞がれてしまいました。
                   
         この通路もそのうちに、毎年何方かが刈り取ってくださいます。 

 中にはこの山の頂上で顔見りとなり、連絡しあって落ち合い、食事を楽しんでおられる方たちもおられるようです。 私の家から往復で8~90分です。
 カメラ片手に登って行くのですが、シャッターを押す対象が見つからないと、感受性が鈍ってきているのではないかと、独り言です。
 卑しくも万物の霊長の端くれとして、こんなにイッパイ動植物が情報を発信しているのに、私は何も感じないのかとの独り言です。
 汗イッパイで登り口に帰ってきたとき、あれを撮って置けば良かったと思ったものがあります。 明日もう一度出掛けて見ます。







 COLUMN 1−D  NO561
                              平成18年7月 9日 記

   ギリギリのところで、好天に恵まれる
 〜予定より2週間遅れの、麦脱穀を実施〜


 昨年末からの異常気象が続いています。 日照不足で全ての作物に様々な影響が出ているようです。 私たちのジャガイモは収量は少ないですが、それでもメンバーが持ち帰ることができる程度にはできました。 別なメンバーにもお裾分けができました。
 稲の苗の成長が悪く、田植えは1週間遅れました(6月10日)
 当初、6月10日に予定の麦刈りは、2週間遅れの6月24日、その日もいささか諦めぎみの気分でしたが、前日から天気予報が外れて好天に恵まれました。 そして、麦の脱穀は昨日実施しました。(カラスが毎日つつきに来ておりました)
 
 昨日も天気予報では怪しげでしたが、何と朝から薄日が射す好天となりました。 湿度が高くムシムシです。 とはいえ小雨や曇りよりは余程好条件です。 麦を結束する結び目のところはまだ湿り気がありましたが、実施しました。

   

   収量は約80Kgです。 昨年とほぼ同じです。これだけあれば十分です。
 予定より参加メンバーが多く順調に終わり、稲の中耕を年初の計画どうりに実施しました。

         
 中耕には尿素とカリの混合肥料をパラパラと撒いた後に実施しました。 稲が伸びる過ぎると、先端を傷めてしまいますので、今週がベターでした。(22^23の定例に予定していた)

 今年は早めのイノシシ対策です。 サツマイモ、カボチャの畑には定例会の折に、もう1柵網張りをする計画です。
         
 草刈をしてから、防網を張り巡らします    スクナカボチャこんなに蔓を伸ばしました。

 と言うことで、用事があり早めに引き上げたメンバーのいましたが、予定以上の作業が完了しました。 と言うものの2週間も来ないと、畑は夏草がイッパイです。
 7月22〜23日の定例会に予定される、内容を書き出してみました。
@収穫予定
 ・ごぼう、 メークイーンジャガイモ、  トマト
A草引きと土寄せ等
 ・サツマイモ、 サトイモ、 ネギ、 人参(間引きと土寄せ)
Bその他
 ・草刈  ・イノシシ防網第2弾 ・キュウリ・ナス支柱 ・
 ・麦乾燥→製粉
 ・メークイーンジャガイモ収穫後、耕転(秋野菜の準備?、生石灰・苦土石灰?堆肥は?)



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