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 COLUMN 1−D  NO590
                              平成18年9月17日 記

 バラバラな事がどのように繋げられるのかな?

 
 書きながら、入力しながら、どのように繋がるか楽しんでみよう。

 1)10月15日に中学校の同窓会「∞無限の会」が豊橋で開催される。
 2)昨日の新聞で小学校時代の同級生が、豊根村の村長に3選出馬を表明した。
 3)昨日、ある会で尊厳死の話と人生の役割についての話が盛り上がった。

 中学の同窓会は4年に一度開催されることになっている。 前回は皆還暦を迎えたと言うことで、初めて蒲郡の竹島ホテルにて1泊2日で開催された。 卒業時は約570名前後と記憶するが、参加者は恩師7名を入れて、総勢130強であった。「無限の会」と名づけた。
 60歳ともなると、若く見える人は50代前半と見間違える女性もいたが、中には70才を大きく越えた感じの者もいた。 昭和16年4月から17年の3月までが生まれ月、敗戦後の食糧難の時代から、戦後復興、そして昭和39年の東京オリンピック、昭和45年の大阪万博と続く高度経済成長時代を目もくれず走り、昭和48年オイルッショックを体験し、その後に続く低成長時代と言われたが、それでも緩やかな右肩上がりであった。
 働き盛りの40代は昭和50年代の後半から60年代の前半、昭和60(1985)年前後から、バブル景気に乗って有頂天であった。
 預金通帳の残高にほくそ笑んでいたら、バブル崩壊で一気に様子が変わった。 そのうち昔のように戻ると思って我慢をしていたが、一向に元に戻る様子はなし。 
 そうこうしているうちに、役職定年ですと声がかかり、あっという間に定年の60歳が忍び寄ってきた。 まだそこにあった思っていた「昭和」は遠い昔のように感じられ、平成の時代があっと言う間に二桁で、4年前に同期のサラリーマン人生の者は退職した。


  ここで突然ですが、ページの続きは「コラム1−D  No591」へ、移行します。
 と申しますのも、このページが重たくなったのか、入力してもなかなか反応してくれません。 気が短い私では、再びパソコンがストライキを起こしそうです。
 まさか、パソコンまでが上記の内容を感知して、呆けた反応をしているのではないと思うのですが・・・・・
 また、ここで昼食となりましたので、どのように文章が繋がってゆくのか、はたまた続けるのか見当が付きかねます。
 「イイカゲン修行僧」の面目と言うところでしょうか。 
            一まず、休憩です。
 
 
 なお、パシコン印刷のストライキは昨日息子によって解消されました。
 今朝より快調に、「中欧諸国、ハンガリー、チェコ、オーストリア、」そして「トルコ」をインターネットで旅してきました。







 COLUMN 1−D  NO589
                              平成18年9月15日 記

 またパソコン印刷がストライキを起こした

  →〜触っている間に、横道に入った〜

 
 エジプトの旅から帰ってきて、事前に調べてゆくことの大切さ、面白さを味わったので、来年2月からの「ピースボードの世界一周の旅」は、インターネット上では既に2回周遊することになった。
 資料を出力している間に、地中海からヨーロッパ大陸に興味が移り「中欧の各国の資料」を拾い出した。  止まらなくなり「トルコの旅」となった。
 この辺に来ると、何処の何をクリックすれば必要な情報、資料が得られるかが分かってきて、パソコンに次々と印刷指令を出した。
 機能オーバーとなりストライキを起こされた。 その日の夜(野球中継なし)と昨日で合計5時間回復に当たるも遂に降参となり、息子にSOS。
 出張手当なしの修理人は簡単には来てくれない。 気長に待つしかない。

 ということで、「お気に入り」登録を眺めていたら、指先が押し間違えて「地域ホームページ高蔵寺」をクリックした。 すると、今月からこのホームページは衣替えをしていました。 このホームページには平成12(2000)年、8月に初めて私の書いた原稿が掲載されました。 (ご興味があれば、”イイカゲン 修行僧ホームページ” のTOPページ、「日付順」
 NO124をクリックすると、NO1に行き着きます)

 その後、自前のホームページになったのが平成16(2004)年4月26日で、デジカメ写真が登場するようになったのが、その年の11月で、今日まで続いております。
 既に、6年が経過しておるのですね。 修行僧変わらず、変われずです。

 それに引き換えて、「地域ホームページ高蔵寺」を立ち上げた(私にないか書けと言った人)I社長は、今やこの業界で注目の発展、成長をされておられます。
 今回更新された「地域ホームページ高蔵寺」の”BLOGコーナー”「ブログ一六社」で、<小売業のためのブログ>を執筆されておられます。
 読ませていただくと、何とか50%ぐらいは理解できるようなつもりでいますが、実際は全然分かっていないのかも知れません。

 人にはそれぞれの特性、個性、役割、考え方、生き方があり、それに気づき、あるいは発見し、迷うことなく活動し、日々が過ごせることが大切であり、幸せなことだと思っています。
 自称修行僧も目を尖がらせ、右、左と嗅ぎ分けて、もっと儲かること、楽しいこと、美味しいことはないかとさ迷うことは止めようというレベルに何とか近づきつつあるのかなと思うこのごろです。
 パソコンを叩き過ぎてストライキを起こされると同様に、御身も大切にしなければとお告げをいただいたところです。
 見えないもの、語らないもの、過ぎ去った時間、これからやって来る時代が告げている事柄、事象から感じることの出来る感覚を持ちたいものです。

 




 COLUMN 1−D  NO588
                              平成18年9月14日 記

 『人類の文明は赤ん坊の出来上がる過程と同じ』

   〜”小さな秋”告げるドングリ君〜

 
 本来なら、以下に掲載することは、コラム2−N 「新聞を読んで 眺めて 切り抜いて」にすべきだが、何処で目に留めたのか忘れてしまったので、ここに掲載します。

 『母親のおなかの中で、赤ん坊はまず、口と肛門を結ぶ筒状の形になり、次に手足、骨格、最後に脳、神経系が出来上がり、「人間」となる。
 口と肛門への対応が農業文明、手足・骨格を助けるのが工業文明、脳・神経系に連動するのが情報文明と言うことになる』と文明論の梅棹 忠夫さんが言っているそうだ。


 
〜近頃のテレビ、新聞等の報道を見てみると、脳細胞や神経系がかなり脅かされ・イカレテシマッタごとくである。
 文明の原点に戻って、大らかに・穏やかに・健やかに・皆仲良く、助け合って食物を口にし、気持よく排泄する機能の復活からすべきではないかと思わずにはいられない。
 
 朝晩、涼しくなり爽やかな風に夏の疲れが癒され、吹き飛んでゆくように感じる今日この頃、この記事に目が留まったのでしょうか。 (感謝)


 追記
 散歩に出掛けました。 曇り空でしたが、雨上がりの路上にドングリが葉をつけたまま寝そべっていました。 拾い集めて記念撮影をしました。

                

    『アスファルト 枕に眠った ドングリ君 小さな秋の 訪れを告げ』





 COLUMN 1−D  NO587
                              平成18年9月12日 記

  我が家の庭の1・5坪の畑を整理しました
 〜廻間(はざま)の田んぼのひび割れは・・・?〜

 
 毎年、夏の終わりごろになりますと庭に目をやるのが嫌になります。
 週に1回でも庭に出て、手入れをしておればこんなことにはならないのですが、暑さと大嫌いな蚊の襲来を思い出すだけで、降参してしまいます。
 そこで、顔を背けたくなる様な庭の状態になってしまいます。
 何時頃からかは分かりませんが、庭のフイールドは女房の役割で、私が畑と生垣周りの分担となりました。 フイールド部分のアチコチに枯れ草が詰まったビニール袋が転がっています。 それには目もくれずに畑に取り掛かりました。
 
       
        正面から見た状態です           裏側からの状態です

 蚊取り線香を腰に草むしりだけで、上から下まで滝のような汗が流れ出しました。

       
 1時間後、松に生え登ったニガウリの蔓をはずし、生垣の蔓もはずし、トマト、キュウリを整理しましたら、やっと、右側のように見通しがよくなりました。

 たったこれだけの面積ですので、夏野菜も秋の大根も葉物も連作となってしまいます。 
 今年のトマトは殊の外酸っぱく感じました。 先週、高蔵寺JAのチラシに、「連作障害ザ・ストップ材”スーパーミラクルゴールド”が掲載されていました。
 同時に「JA根育て肥料」「JA葉育て肥料」も一緒に購入してきました。
 苦土石灰、と牛糞堆肥も混ぜて耕しました。
               

 最後に畝作りです。 昨年の枯葉を今春埋め込んでおきましたが、一部のところではまだ葉の形状を残したままのところもあります。 それでも、畝が出来上がると、毎度のことですが、気持のよいものです。
       

        この1週間以内に、大根と葉物の種を蒔く予定です。


 我が家ではありませんが、何時もの散歩コース「廻間(はざま)」の田んぼが綺麗に実りました。 最後の水が必要なのでしょう「築水池」の水位がグーンと下がりました。
       

  一箇所だけ、今年田植えをしなかった田んぼがひび割れしています。
                
 どんな理由があったのでしょうか。 周りが緑から黄金に代わろうとしているのに・・・・




 お知らせ

 
以下のタイトルで、エッセイーC「自然との交流」に掲載しました。
   
                             平成18年9月日4 記

   9月10日 臨時出校 百姓学校の作業内容
      ”イノシシ様に駆り出されました”

                              

                                

 

                                   平成18年9月09日 記
 お知らせ

 
下のタイトルで、エッセイーA 「日々、身の回りのこと」に掲載しました

 
 木の文化は循環文化
 〜植物園、”秋の山野草展にて思ったこと〜

 そして、その日の深夜に目が覚めて、思ったこと





 COLUMN 1−D  NO586
                              平成18年9月7日 記

  1年前に書いたことを読み直す
 ^第44回衆議院総選挙前日とその翌日〜

 そして、平成18年9月7日に思っていること

 
 『10年日記』を利用していますので、月が替わり、季節が移ろいで行くと、10年前は、5年前はそして昨年は何があったかを、読み返して振り返ることがあります。
 本日9月7日には、『藤原直哉さんの”ワールドレポート”のNO479からNO481』を私なりに編集・構築しなおして、ホームページの「エッセイ、政治・経済・社会」蘭に掲載しました、と書いてあります。
 
 その論文を読んで9月11日に実施される「衆議院選挙の予想やその後のことを予測して私の考えや思い」を掲載しています。
 続いて、日記のページを前に括ると、9月11日の小泉自民党が圧倒的な勝利を挙げた
 結果と、私の予測大敗北した理由・言い訳・弁解を長々と書き、エッセイの「政治・経済・社会」欄に掲載しています。

 読み直して、その一部を拾い出して見ます。
 まずは、平成17年9月10日、総選挙1日前に書いたものから。一番最後のまとめとして・・

 

  『これから始まる混乱の時代に・・・

 今回の選挙はバブル崩壊後15年、一時政権を離れた時はあったというものの常に政権党であった自民党、賞味期限切れ真じかのところで「自民党をぶっ潰す」と啖呵を切って目くらました小泉選挙人気総理に寄りかかって4年4ヶ月を過ごし、利用してきたが、マヤカシの改革とアメリカ追随一辺倒までは妥協してきたものの、派閥の力学無視、利権のカットと党内運営に強権で対応していると反旗を挙げた人たちによって、思いがけず分裂した総選挙となった。 
 そこからがまた小泉流である、刺客は送るし、脅しとも取れるアメムチの発言が続く。 テレビを見ているには面白ところもあろうが、時代はそんなレベルにないことは明確である。
 それ故に、国民がどのような判断をするか、結果に興味以上のものを持っております。 小泉自民党は選挙戦術として、郵政民営化に絞込み、分かりやすい白黒の選択を求め、話題性のある候補者を立て、お祭りのようにはやし立てて面白可笑しく仕立てた芝居のような演出をしたが、果たして国民はどのような判定をするのであろうか。
 
 どんな結果になっても、1800年代のアメリカ南北戦争と、それに続く50年間と同様に、1回では決着がつかないことだろう。
   混乱の時代に入るといわざるを得ない。

 国家・地方財政の行き詰まりから崩壊、年金・保険・介護の社会保障の行き詰まり・崩壊、増税に次ぐ増税でも先が見えない。 お金を吸い上げ・集め分配する中央集権構造は崩壊するしか道はない。 お金を刷りまくって名目の支払いをするだろうが、ハイパーインフレと通貨の下落で、多くの庶民の暮らしは大きく変貌し・困窮することになろう。
 それでも、戦争と異なり全が灰に帰することはないから、世界に通じる産業の更なる強化と育成、この国の歴史・伝統・文化に立脚した観光立国=地域振興、また土に根ざし、多くの人が土から、自然から学び、暮らしてゆける仕組みを再生するといったことが取り上げられ、推進される事になろう。
 
 どれも難しい事ではないと考えます。 日本人は「よし分かった」と腹に収めれば、もともとあるDNAが自然と顕在化し、立ち上がり活躍を始めると思う。
そんな中から一つ一つモデルが生まれ、リーダーが生まれてくるのではないかと考えています。 
 今までの国会議員さんは一度退陣ということになるだろう。 なかには残る方も居ろうが大半の市会議員的国会議員族が入れ替わったとき、多分早くて5年、恐らく10年単位の話であろう。 
その間まだ、平均寿命としてはお世話になっている身としては可能な限り、健康でご厄介になる率を低める努力をしなければと考えつつ、明日の投票に行くつもりです。』


 そして、平成17年9月12日付けではこんなことも書いていました。
 長々と第44回衆議院総選挙も希望的加藤の予測大外れの、弁解・言い訳に続いて・・

 『酔わした小泉首相は責められない(大いに不満ではあるが・・・。  なぜ、今一番肝心な事を語らず・示さない、戦術勝利を企んだから・・。 乗せられた方が未熟と反省するしかない)
 首相自身は勝つ算段があったかもしれないが、政治生命をかけ「郵政民営化」についての国民の賛否を聞いてみたいと言う一心であったのであろうし、そこに絞れば戦術的に勝てると踏んでいた。また、それだけの覚悟をしていた・・。 結果、首相のヒラメキ、戦術、舞台演出が圧倒的に勝利したのだと思う。
 その劇場(激情)マジックにまんまと載せられたマスコミ、そのマスコミの尻馬に乗ってバンドワゴン(勝ち戦に乗る効果)現象を出現させてしまった我々国民。 
 従来の選挙では常に持ち合わせていたバランス感覚はどうしてしまったのだろうか。 今になって“こんなはずではなかった”と言って、新たな不安と不満を口にするなんて・・・

 今回の選挙前、結果予想で書きましたように、<自公>も<民主>も過半数を取れず、不安定な政権となり、また小党分立となって混乱の時代になる。 中央=都市は権限が失われ、力が弱ると予想しましたが、結果はその大反対でした。
 では、政治は安定し、期待されるような改革がなされ、順調に国家経営は成されてゆくのでしょうか。 答えはNOです。
 新小泉政権は今後国民より全てを委任されたと思い、強権的な運営と政策決定・推進をすることでしょう。 
 がしかし、政策決定がなされるたびに置いてきぼりと感じる敗者=負け組の声が大きくなると予測します。 その声に耳をかすどころか勝者=勝ち組に押され、勝ち組の声にこたえる政策をますます推進する事になると予想します。
 其れが、新しい日本への脱皮だと疑う事なく、臆せず進めるとおもいます。 そこで国民意識・心理、現実との埋められないギャップが明確になってくると考えます。
 「自民党をぶっ潰す」公約を守り、実現しました。 これはこれで評価される事ですが、結果良かれと判断し、決断し・推し進める事が、時の経過と共に国民意識とかけ離れたものになってしまったということになると思うからです。

 その根本原因はこれほど世界の秩序が揺らぎ・変化している時に“どのような日本国家をめざすのか」、「どのような未来社会像」を描いているのかを示さず、語らずに、旧来の世界秩序とルールが続くという認識の下で政策の決定がなされて行くと考えるからです。
 グローバルスタンダードという市場原理主義の中で勝ち・生き残ってゆく者の数は知れていますし、またそこで勝ち残った者も最後は結局食べつくして終わりということになると考えます。
 
 新小泉政権は新しい時代、新たな世界秩序が構築されなければならない今、新しい日本を創り挙げてゆくという、決心と覚悟をもった認識と見識、その上にたった肝識(たんしき)をもった勇気ある行動が取れるのでしょうか。 
 過去の実績を眺めると、旧来の自民党の首相にはない派閥にとらわれない、しがらみの少ない背景を生かして改革と呼ぶに相応しいかは別として自民党内のコップの嵐を演出し、変化を起こしたことは事実である。
 が、ことの重要さはそこにあるのでなく、先送りしてきた重要課題、自分好み・あるいは約束させられた課題に終始してきたのではないかといわざるを得ない。
 いま、絶対安定多数の構造が出来、支持率を背景に、何でも国会を通過できる条件が整った。この時、時間の経過と共に流れは変わってゆく。 其れは小泉流やり方にはなくてはならない劇場演出の適当な敵役がいつの間にか見当たらなくなった。 どんな敵役を作って行けるのか。
 
 歴史的・大局的視点に立った国家観・社会像の示されないまま、ことが進められると多くの国民との間にギャップどころか、国民大衆が敵役となっていなければ良いのだが・・・
 なんと言っても、一時の酔いの間に選んだ政権といえども私たちが選んだことには違いない。 この責任を同時に背負う国民でなければ、どんなに素晴らしいリーダーが出てきても、どんなに立派な国家像、社会像が示されても実現に向けての苦労の行動が続かない事になる。
 中央があろうが、なかろうが。 中央が頼りになろうが、なかろうが、ここは私たち一人ひとりが自主・自立の精神を持ち、新小泉政権の進める政治に注目しなければならない。 いつ何時、どのような状況になろうともウロウロ、オロオロすることなく歩める人になりたい。』 以上、昨年の今頃、書いたこと。

 平成18年9月7日 記

 5年半の小泉政権がおわり、新安倍政権が誕生しようとしている。
 この1年間(平成17年9月から、平成18年8月まで)、大勝利をした小泉内閣は、その勢いをかって、それまで進めてきた政策の総仕上げとして強力に推進し、そのことが国民の思いとの間に現実問題としての大きなギャップをうみ、小泉内閣は人気が低落し、結果として国民の期待心理が遊離し、社会転換が早まるんではないのかと思っていた。
 
 ところが、新政権発足と時を同じくして、郵政民営化に伴う初代の社長に、色々と問題が取り出さされていた元住友銀行会長の西川氏を登用すると発表。    
 また、小泉政権の懐刀であって、アメリカが操っていた竹中大臣が浮き上がりだし、ライブドアの「「ホリエモンが逮捕」されるは、姉歯建築士による「耐震偽装問題」の発覚、続いて村上ファンドの解体(日銀福井総裁との関係)と小泉政権の周辺で次々と事件や不祥事が発覚して強力に政策を推進できるような状況ではなくなった。

 この間、アメリカ・ブッシュ大統領は強い絆の日米関係を取り結ぶ小泉首相との関係が、少しずづつ、小泉首相の対中韓外交に違和感を持ち始め、おかしくなりはじめていた。
 しかも、ブッシュ大統領の支持率は20%台に落ち、アメリカ中間選挙の趨勢は民主党が勝利間違いなしとの予測が出るし、イラク問題は明確にアメリカの負けとの結果になる。 それを反映したように原油値上がり、金の暴騰と紙の信用力が一段と劣化していった。
 どちらにしても、歴代の自民党内閣と比較すれば、一風変わった変人による政権が思いのほか長く続き、旧来の自民党派閥政治は一応崩壊したように見受けられる。
 多分、特に地方の支持基盤が崩れたから、元に戻ることは無いであろう。
 同時に都市の無党派の浮き投票は、今後も何処に行くか分からない。
 「官から民へ」「中央から地方へ」「自民党をぶっ潰す!」と言った、小泉劇場内閣は、ここで終焉となる。 
 小泉首相がどんなに改革と言って拳を振り上げても、21世紀に通用する政治、社会の創造は出来無かったし、無理であった。 その理念、構想が無かったのだから・・ 
 
 そして、今度の新政権であるが、誰がなったとしてもこれまでの延長線上の政治からは抜け出せないことだろう。
 民主党小沢政権が来年緒参議院選挙に勝利しても(連立内閣が誕生)しても同じことだろうが、それでも自民政治が継続するよりは、場面をゴロリと1回転させることにはなるのだろう。
 が、対アメリカのくび木から自立し、主体性を持た新たな価値観にもとずく、日本の歴史・自然・文化・伝統に立脚した国家戦略を待ち、実行に向かって行動を起こさなければ、限り21世紀に通用する新たな道を歩み始めたと言うことにはならないように考えます。
 アメリカにとって(世界にとっても)、日本が自立・自尊の主体性を持った国の方が、何でもハイハイと聞くような(あるいは、振りをしている)日本よりは、かえって真に頼りになる同盟国となるのではないかと考えますし、世界に一つのモデルを提案できることになると考えます。

 既に、新しい芽は、動きは、多くの人々によって動き始めています。 それどころか、失われたこの15年間と言われる中で、新たな道を築かれ、多くの方々に喜ばれる企業となって、軌道に載せておられる方々が数々紹介されています。
 それらの方々、グループの考え方ややり方そして生き方(質を重視し、見える顧客に対応している)を素直に参考にし、学び実践するならば道は間違いなく開けてくることでしょう。  私も遅ればせながら実践、修行したいと考えています。

 


 
                                 平成18年9月日4 記

       おしらせ 

 
 8月25〜26日の「8月・百姓学校 定例会の作業内容は、「エッセイーC 自然との交流」に掲載しました。
  
 これで、「エジプト8日間の旅日記」掲載のために遅れていました項目は、全て終了しました。 終わってしまうと、なにか物足りなくも感じますから不思議です。
 後一つありました、9月13日に開催される、中部大学のオリエンテーションで、聴講生の体験談を語ることになっていました。

 いやいや、まだ机の隅に積んでありました、『春日井市議補選の無効」記事に関するものです。 
 残っていて嬉しいやら、いや本音は「まいったナ」です。




 COLUMN 1−D  NO585
                              平成18年9月4日 記

  第56回ピースボード地球一周の船旅
    参加者 座談会に出席 9月1日

 
 来年の2月25日に船出するピースボード世界一周の船旅に応募しております。
 まだ、6ヶ月先のことですが、「船旅の経験が無いので心配」「何時頃からどのような準備をしたら良いのか?」などの悩みがあろうと、主催者が企画したものです。
 
 当日はJRセントラルタワーズ内の高島屋12Fで、参加費3000円で開催されました。
 参加者は同じ年代の方を集めたのでしょう、50代後半から60代の方が90%で、総勢18人でした。 男女比は女性が70%でした。

        
 二つのテーブルに分かれましたので、隣の席のことは良くはわかりませんが、静岡県からの方も含めて、近隣の方たちばかりです。最終的には定員約1500人乗りの船に、1000人近くになるといっておられました。

 かって、参加された方の体験談が語られ、旅の準備のコツや楽しみ方を映像を使ってお話くださいました。
 この旅を企画しているのは、元々がNGOの組織ですので、そのスタッフはボランテイア精神を持っていると言うことができるのしょう、当日お世話をしてくれた5人のスタッフ全員が気持よい対応の20代から30代前半の女性ばかりでした。 勿論男性のスタッフの方も居られるのですが、配布されたガイドブックを見ると、38名中、女性が28名と、ここでも女性が優勢です。

        

 飲み放題でしたので、昼間からビール、冷日本酒とピッチが上がりました。
 旅は出発前がある面一番楽しい時です。 既に予定寄港地の資料をインターネットより、引っ張り出しプリントをしてファイルを作りましたので、紙上で第1回目の航海を終えています。
 高血圧の治療をしていますので、係りつけの医者から、100日間OKの診断書をもらい、提出しないと乗船許可が出ません。 少しは御酒を控えなければと思っているばかりで、それ以上にはなっていないと言うのが現状です。
 
 今回のエジプト旅行記を反省して、船上から掲載する計画でいるのですが、”それは可能である”との回答は貰っているのですが、どのようなものを持ち込み、どのような知識。技術が必要か、費用はどのくらいかについては明確な返事を貰っていないのです。
 「乗船する係りの者に尋ねてください。  専門家はいませんが,分かる者は乗船していると思います」というぐらいです。
 1000人も乗船するのですから、きっとかなりの専門家が居られることと思いますので、”お尋ねか、指導希望”の張り紙を出せば、何とかなろうとタカをくくっています。

 とうことで、6ヶ月先の旅行計画を楽しんでいます。



 COLUMN 1−D  NO584
                              平成18年9月4日 記

  全く偶然のことなんでしょうが・・・


 エジプトの旅を終えて10日目なのですが、まだ時差調整が出来ないでいるのでしょう。

 私の朝は、年間を通してほぼ同じパターンが5年間は続いています。
 目覚めは午前4時半から5時半、(冬場は30分ほど遅くなります、太陽の運行=日の出の関係でしょうか)新聞を持ち込んで用足し。
 その後、約40分間のストレッチ体操です。(ここでほぼ気分、筋肉が100%活動を始めます) そして、部屋内外の掃除をして、神棚に向かいます。 この間全部で90〜110分です。
 以上のパターンが月曜日から土曜日まで続き、日曜日はお休みと決めています。(クリスチャンの日曜礼拝と異なります)。 それは日曜日の午前7時半からの、テレビの番組(竹村健一の出演する政治番組。 が、このところあまり興味が持てずにイイカゲンにしか見ておりませんが)を視聴するためです。

 昨日の9月3日(日曜日)は、その前日2日間、何時ものパターン通りに行かず、掃除をお休みしていましたので入念に行いました。
 そして、今朝も何時ものように、フルコースで対応するつもりでしたが、夜中の1時半に目が覚めてしまい、新聞が配達されそれを読みながら5時ごろまで起きていました。
 それ以後、軽く眠りに入り、目覚めたのが午前8時15分です。
 この時間になりますと、何時ものパターンで朝の時間を過ごす気にはならないので、ここから直接、赤ワインを飲みながらの朝食となりました。

 何が偶然と感じたのでしょうか?→本日(9月4日、月曜日)は、普段のパターンで始まらない(ストレッチ、掃除、神棚、食事)ことを予見できたわけではありませんが、昨日その分、入念な掃除等をしていたことです。
 たった、それだけのことですが、昨日、繰り返される日常生活に感動、感激、感謝をしなければと書いたりしましたので、その中の実に小さな変化に注目してみました。
 
 多分これは「エジプト8日間の旅」の余波で、まだ時差調整が終わっていない証拠でしょう。




 COLUMN 1−D  NO583
                              平成18年9月3日 記

  「エジプト8日間の旅日記」を書き終えて


 既に帰宅して9日が経過した。 人間(私)の記憶は日々刻々と時間ごとに薄れてゆくと言いますが、その通りを実感している。

 8月25日関空に到着したが、旅行カバンは一緒でなかった。
 8月26〜27日百姓学校へ行き、秋野菜の種まきをする。 時差調整と考えて日中の気温が30数度の中、少しきつめの作業内容で根をつめた。 
 その夜は疲労感を伴って早くに寝つき、翌朝は午前7時半まで眠っていた。(普通は5〜5時半)
 これで一気に時差調整は終わったかと思ったが、そんな訳ではなく翌日からは、真夜中の1~2時に目が覚めてしまう。 
 再び寝入るのは4~5時となり、身体の芯が重いまま、床から這い出すのは午前7時半が4~5日続いた。
 私は30~40代の頃より時差調整が下手と言うか、長引く。
 更に年齢をますごとに、必要時間が長くなっている。

  8月28日から「エジプト8日間の旅」を、エッセイ”旅日記”に掲載を始めたが、現地でメモから記録文に書き換えてあったところまではスムースに活字化出来たが、写真の選択・選別に多くに時間を要した。
 約400枚の中から選ぶのであるから、いくら機能が進歩、発達したパソコンとは言え、操作人の知識・技能の問題のあろうが、取り込んだ写真から、数秒で「これ!」と指定しても、一度400枚の写真を一巡してから画面に表示してくる仕組みになっているようで結構時間が必要であった。
 やっと、どのように操作すればよいか会得してきたのが、8月31日の4日目頃であった。 そこまでは、エジプトの一日の記録を整理、処理するのに6〜7時間かかった。
              

 現地の8月23日(第6日目)以降は、メモ記録も曖昧になっており、しかも文章化してきていないから、帰宅後7日目ともなると訪問地の前後があやふやになった。
 デジカメに残された記録はありがたく、前後はしめしてくれるが、今度は何を目的に、何を狙ってシャッターを押したのかが分からないくらいの数で困ってしまった。
 そこに知人の葬儀が加わり、時間を追って薄まってゆく記憶は更にスピードを上げていることを実感させられる。
 とは言え、以上のように纏められたので、今後パソコンから呼び出せばゼロに近づく記憶を呼び戻すことが出来るだろうと安堵している。

 旅の途中で、渡辺親子さんと、もう一組の母娘さんにもホームページアドレスを渡したから、今頃は目を通してくれているのだろうか。
 その他の参加者の方にも、添乗員さんを通して、今回のたびの記録が見れますよと連絡しようかどうか迷っている。(皆それぞれの思い出を持って帰ったから)

 エジプトの旅記録が終わったので、8月26~27日の百姓学校の秋野菜関連の記録をエッセイC「自然との交流」に掲載予定であるが、こちらの方は既に10日後くらいの整理になりそうだが、記憶は残っている自信があり、スムースに作業内容を記録・保存できそうである。  
 これは遊びがてらの作業とは言え、既に7年目に入っている百姓学校の生徒である。 と言うことは少なくとも6回は体験しているので、体のどこかに記憶が蓄積されているのだろう。

 たった一度の体験となるだろう旅は、その時・その場の感激・感動は大きいが、時間の経過とともに薄れてゆく。
 日常の繰り返される生活の中にもっと感動と感激、そして感謝をしなくてはいけないなどと理屈を言って終わりとします。
 


 
                                 平成18年9月2日 記

       おしらせ  <遅れています>
 「エジプト8日間の旅」の第6日目以降について


 エッセイD 「旅日記」に、”エジプト8日間の旅 <4~5千年の歴史、石の文化、太陽神、その上に>”と題して、掲載をしました。

 第6日目以降は、現地での簡単なメモは残してあるのですが、記録文としていないので入力がサッパリ進みません。
 400枚の写真を早く選択する方法は分かってきたのですが、今度は帰宅して1週間も過ぎると、記憶が本当に薄くなっております。
 
 タイトルと小項目だけは書いたのですが、内容が出てきません。
 旅に行く前に人様の記録を読み、プリントして第1回目の旅をし、現地で目で、足で、肌で感じて第2回目、帰宅して記録を整理して第3回目の旅を楽しんでいると言うよりは、少々苦痛になってきております。
 
 6日目以降の文字記録は大体入力を終えましたが、校正はしておりませんので(やっても間違いだらけですが・・)よろしく。
 早ければ明日(9月3日)には、写真を掲載します。
 
 




 
                                 平成18年8月28日 記

       おしらせ 


 エッセイD 「旅日記」に、”エジプト8日間の旅 <4~5千年の歴史、石の文化、太陽神、その上に>”と題して、掲載をしました。
 私は帰国したのですが、トランクがレバノンのアンマン経由でカタール・ドーハ、そして関空とは届かず、8月28日・午前現在、カメラからパソコンへの写真の取り込みが出来ていませんので、まずは活字のみを掲載します。 (トランクは見つかったとの連絡は昨夜入っています)

 今回の旅に出る前に、同じ場所を見学された方たちの記録を読ませていただいたり、プリントしました。 皆さん写真が多く、楽しく拝見できたのですが、活字での感想が少ないように思いましたので、現地で毎日記録したことを紹介します。
 





 COLUMN 1−D  NO582
                              平成18年8月18日 記

  急に慈悲深くなった訳ではありませんが・・


 コラム1−D NO580でも、散歩道で見かけた虫の死骸を取り上げましたが、昨日の散歩でも通り過ぎてから、やはり気になり戻ってカメラに収めました。

         
 何処にでもいる油蝉です。 街路樹ナンキンハゼの下で、ユックリと足をもがいていました。  が、返してみましたら、ご覧のように羽の先は切れて失われたいました。 短い地上での命だったのでしょうが、この暑い夏を十分に満喫したことでしょう。

 次は、トンボです。
      
 
 既に、息絶えていました。 ガードレールの支柱の上に拾い上げ眺めていると、アッと言う間に一匹の蟻が近づき死骸を点検し始めました。 その後のことは想像できましたので、そのままにしておきました。
                
                   アブの死骸です。
 これも、既に数匹の蟻が共同作業中で、自分の10倍以上のあるアブを動かしていました。 先ほどのトンボには少しの哀れさを感じましたが、このアブにはそんな感情は抱きません。  毎年畑でこのアブに刺されて、その後のかゆみと痛さに悩まされたことの記憶がそうさせるのでしょう。
 動物、昆虫にも悪役と好かれ役があるのでしょう。 
 良い役、悪役といってもそれぞれの役割なのでしょう。 悪役もその使命を持って、お役を果たさなければ物語となりません。
 「水戸黄門様」も悪代官がいなければ、あの御印籠の活躍する場面がありません。
 自分はどんな役回りであったのか、お役目は果たしたのか。 まだ、これからもお役があるのか、生ある間はまだお役ありと認識すべきだと思いながらの散歩でした。

 なお、散歩道で出会った脳血栓を患った方とは、一昨日お会いすることが出来、持参していた「イチョウ葉エキス」の見本と資料を渡しました。 「見知らぬ方にこんなことをしていただいて」と恐縮しておられましたが、同じ散歩コースを歩いていること自体、大いに
ご縁のあることではないかと思うのでした。

 さて、本日午後11時半、関空からエジプトです。 10日間ほど、修行僧のイイカゲン日記はお休みです。 




 COLUMN 1−D  NO581
                              平成18年8月16日 記

  相方、ベトナムへ出発
 〜エジプト行き、トランクはカラカラです〜


 出掛けても、出掛けなくてもどこかすれ違っている。 これが似たもの夫婦と言うのなら、素直に受け入れた方が良いのでしょう。
 毎週水曜日に知らずのうちに目を通している中日新聞の生活蘭に「つれあいに モノ申す」というコーナーと「妻と夫の定年塾」があります。
 本日の「つれあいに モノ申す」から・・
  『一家に一人?}
 あなた、ずっと私にのそばにいてね。 夏の夜はあなたが必要なのよ。 暑苦しいけど我慢するわ。 だって、あなたがいると絶対に蚊に刺されないんだもの』 (蚊嫌妻60歳)

 『一言あれば』
 あなたが忙しそうにしている時など、煩わしをさ感じさせないように気を使ってる私。
 なのに、あなたは私が忙しいそうにしていても、「おい、コーヒーの時間、過ぎたけど」と自己中心的。 「忙しそうだね。今日は僕がコーヒーを入れてあげよう」の一言があったら、もっとあなたにやさしく出来るのに・・・。(夫につかえるふりをしている妻、48歳)


 
つい数日前まで、中部国際空港まで旅行トランクを運んでもれえると考えていたようだ。
 ”馬鹿もイイカゲンにしておけ」、と言ってやった。 2ヶ月前に調べた時刻表を手にしていたので、インターネットで調べてみた。 案の定、お盆の時刻表に変更になっていた。
 国内、海外を問わず、ほぼ完全に私が取り仕切ってきたことが問題であった。 子供ではないが、自立心を養わせるためとの思いが、少なからず腹の底にあったので、ここ数日は口数を減らして対応していた。
 一昨日から、手荷物を出し入れしていたが、トランクの7〜8割程度の荷物になったようである。 本日午前6時49分、高蔵寺発の電車で出発した。

 玄関に、戸締り、炊飯器の始末などがメモされていた。
 普段はこんなに早くからクーラーなどはつけないが窓を閉め切って、本日は缶ビールから始めた。 ついでに冷蔵庫をチェック。 2日後に私も出掛けるので、それを考慮してかマグロの
、刺身、小女子、ヤマサのちくわ、ナスの漬物、トウモロコシなど、好物のみが並んでいた。
 明日、息子がインコを取りに来ると言うので、残り物はみんな持っていってもらうつもりである。 久しぶりに朝からのビールであったが、朝のストレッチでひと汗かいているから、スーと入っていった。 後はいつものように赤ワインとした。
 高校野球のスイッチを入れて、新聞を眺める。 スポーツ欄、昨夜は中日が広島に敗れているので、素通りした。
 靖国神社参拝問題が大きく取り上げられている。 この件については自分の考え方は固まっているので、いろんな意見、考え方があるものだとゆとりを持って読むことが出来た。
 戦争体験の無い若い人たちの意見がナショナリズム、ナショナリズム的で心配である。
 
 素材そのままと書かれた「シーチキン」の栓を開けた。 調味料も薬味もなしていただいた。
 
 追記
 ・スクナカボチャが食べられていると百姓学校から連絡が入った。 「イノシシではなさそうである」と言う。 少し収穫には早いが、良さげのものは収穫してもらうことにした。
 防網でいくら対応してもダメなのか。 隣の畑、田んぼは電柵を今年からしている。 被害は無いのかな? 電柵にするとかなりの費用が発生する。
 
 

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