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  チョット実験  

 
開設したブログから、このホームページにリンクする方法は成功しまたが、今度はこのホームページから「イイカゲン(良い加減)修行僧のつぶやき」へのリンクが可能かどうか、実験してみます。
   . さて成功するでしょうか?

 
只今のところ、成功していません(9月30日、午後12時)
なを、ブログアドレスは「taiki.blog16.jp]です。
 このアドレスではひらきませんネ。 どうしたことでしょう。 直します、と言ってもどうしてよいか手に負えませんが・・・



 

  COLUMN 1−D  NO600         平成18年9月29日 記

  チョット調子に乗りすぎているかな? その5
〜そんなことありません。自然と迎い合えば・・〜

 
             
 
 昨日(9月28日)飛騨金山に「栗拾い」に行ってきました。 昨年より4〜5日は遅れているでしょうか。 敷地の管理をしていただいている方も拾われていますので、前年対比の収穫量は分かりません。 昨年はこの時期約30Kgありましたが、今年は約17Kgでした。 帰って来て、今日は散歩を止めようかと思いましたが、爽やかな夕方の空に誘われて、何時ものコースを歩きました。

 「元気牧場」の馬小屋が、組み上げられていました。 毎年冬になっても、細い柱の上にトタン屋根だけです。 真冬はシートのようなものを体に巻きつけてもらっていましたが、あれで寒くないのだろうか、馬は強いものだと感心していました。(何故か、私は馬が好きです。和室にイッパイ馬の置物があることは、以前紹介しました)

           
 サラブレッド「プリンス」と木曽駒<名前??>が、新築が嬉しいのか、下の運動場で2頭並んで、楽しげに駆けっこをしていました。 人間は誰もいないのです。 この光景ははじめて見ました。
     

             

 10月1日、世界最高峰レース、フランスの凱旋門賞(パリ・ロンシャン競馬場)に出場し、欧州馬以外で史上初めての制覇が期待されている「デイープインパクト」(武 豊騎乗)とは、全く別世界の馬たちでは在りますが、毎日子供たちばかりか、大人にも心和む時を与えてくれる彼らであり、場所です。

 今週にも刈り取り行われる田んぼの土手に、彼岸花が咲き始めていました。
 「コラム1−D NO595」の我が家の庭の隅の彼岸花と比べてみてください。
 全く、様子が異なります。 一方は朝の太陽に照らされ、こちらは雲がかかった西の空に沈みかけ陽の明かりです。
  
              

           





 

  COLUMN 1−D  NO599         平成18年9月28日 記

  チョット調子に乗りすぎているかな? その4

〜「地域ホームページ高蔵寺」”ブログ一六社”に登録

 
 私のホームページ開設の切っ掛けを作ってくれた「地域ホームページ高蔵寺」が、いまや全国に200近くのFCを開設しています。 月々に加入者が増えいるようです。
 様々なビジネスモデルを開発し成功しているようです。 その一つとして、次は「ブログ一六社」の展開のようです。
 
中身が分からないばかりか、使用単語が曖昧で、理解できなかったので、直接お邪魔して勉強してきました。 インターネットの世界は更にバージョンアップなどと言う問題を通り越して、消費者(生活者)の中に確実に浸透し広がりを見せていることを前にも増して強く感じました。
 利用する人としない人では、情報の質・量とスピードに大きな差が更にハッキリして来ていると感じました。 また、世論や人心をも誘導する危険な側面をも持ち合わせている、いや、一部には既に利用されていると感じました。(世論調査、政治的誘導等)
 
 (但し、デジタル技術(社会)が進化すればするほど、人々はアナログの世界を求める傾向が強まるとも同時に感じました。人それぞれの個性・特性・価値観で行けばよいのだと、改めて思うのでした)

 
「WEB1の世界」とか「WEB2の世界」とか、ブログのビジネスの可能性、小売業におけるインターネットの活用、等ランダムに質問をしたのですが、さすがに「WEB2」の先駆者と言われるだけあって、分かりやすく・簡潔に、それでいて戦略を交えて説明をしていただけました。 ここで問題は、それなりに理解したつもりで話を聞かせてもらったのですが、実はピントの外れた質問や理解の仕方をしたのかもしれません。

 最後には「イイカゲン(良い加減)修行僧のつぶやき」と言うタイトルで、ブログ開設の申し込みをしてきました。
 その場で、マンツーマンで操作マニュアルを教えていただきましたが、果たして1回の指導で掲載できるかどうか分かりません。
 また、現在のこのホームページと、どのように差別をするかも考えておりません。
 正に、この辺が”イイカゲン(ええかげん)”修行僧の面目躍如なところです。
 試行錯誤といえばかっこいいですが、本当のところは始めれば何か答えが出てくるだろうと思っているしだいです。
 
 と言うことで、「チョット調子に乗りすぎて・その4」はブログ開設のお知らせです。

 (追記)
 「ウエブ進化論」___本当の大変化はこれから始まる」 梅田望夫・著 ちくま新書
 を頂いてきた。先駆者が4回読んで、内容が理解できたと言っておられた。
 私は何回読んだら理解できるのだろうか。 当面机の隅に積んでおく。
             
 翌日9月28日は、飛騨金山の栗拾いに行ってきました。
 日記帳の月日の記録どうり、栗は弾け飛んでいたり、イガと共に落下しているものもあります。 今回は一人で飛び出してゆきましたので、拾い甲斐がありました。





 

  COLUMN 1−D  NO598         平成18年9月27日 記

  チョット調子に乗りすぎているかな? その3

 〜秋期の受講科目が決定、スタート〜

 
 中部大学は9月21日より講義が始まった。 放送大学は25日からでした。
 今秋期はアジア、特に東アジア関係が多くなった。 既に日本史の「中世」「近世」「近代と国際社会」は終了しています。 近隣の「東アジアから見た中国史」と「韓国朝鮮の歴史と社会」も終えています。 
 加えるにユーラシア大陸の「中央アジアの歴史・社会・文化」、および「東南アジアの歴史」も受講しました。 
 
その他、「古代地中海世界の歴史」と「中世・近世そして近代のヨーロッパ」も一通り通過しました。以上は放送大学ですが、これに並行して中部大学では、「現代、東南アジア入門」、「メッカ・イスラームの世界」、「ヨーロッパを知る(特に中欧)」また「比較文化研究=ユダヤ教、キリスト教の成立からその後)も受講していますので時間だけはかなりの量になっております。

 現在、「インド学の誘い」を受講中です。(5月より始まり10月で終了。中部大学)
 ソ連(ロシア)も上記の受講中に軽く関係を学んでいます。
 
 今秋期は、放送大学で「日本の古代」と「仏教の思想」を受講始めました。
 中部大学のほうは「近代東洋思想」(主に、近代の日本の社会思想)、と「東アジアに学ぶ」(韓国を中心として中国、日本の比較文化を学ぶ)。
 昨年も受講したのですが、教授は初めて取り上げた授業と言うことで実験的だったといっておられました。そのために今年は昨年とかなり変化したものになると言っておられましたので、再び「ヨーロッパを知る」(中欧を中心として)を受講することにしました。

 この辺で止めておけばよいものを、春日井市の広報を読んでいましたら「名古屋学院大学連携講座」”新時代のアジアをたどる「東アジア回廊のゆくえ」”が、近くの公民館で開催されるとアナウンス。 申し込みましたら”OK”と言うことになり、10月7日からスタートとなります。
 ア〜もう結構と思っていましたら、中部大学の講演会の案内が来ました。
 「パレスチナを考え直す」、大変興味のある地域、内容でしたので、出掛けることにしています。

 以上のように、チョット調子に乗りすぎと言わざるをえません。
 10月中旬は、その間を潜って、小学校の同窓会、中学の同窓会、それに「ピースボード」の”寄港地の魅力大航海!!”のタイトルで、19ヶ所の寄港地と、クルーズのハイライトを紹介する会が重なって開催されます。
 稲刈りもあり、畑の収穫もあります。 知人からは、他に誘われていることもあり、どうなることでしょう。
 調子に乗りすぎ、もうこの辺にしておかねばと思うのですが、体の調子も今のところ順調ですので、行ける所までやってみようかと思っています。

 

 




 

  COLUMN 1−D  NO597         平成18年9月26日 記

  チョット調子に乗りすぎているかな? その2
 
  〜築水池の水面を眺めながら・・・・〜

 
 散歩コースの廻間町の稲が、1週間前後で刈り取りの時期になりました。

     
  
 左の写真は稗が生えています。 聞くところによると名古屋の方が、田んぼをアチコチに借り受けて、使用管理しているようです。 手不足なのでしょう。
 右は防鳥糸が仕掛けてあります。 立ち止まって眺めていました。 確かにスズメは防鳥の支柱にはとまりますが、稲の穂には降りてゆきませんでした。

               
 築水池の周りにはこのような看板が掲げられていますが、鯉を養殖していたのは、10年くらい前までです。 何方かがその後ブラックバスでも放流したのでしょう。 週末になると釣り糸をたれている光景を見ます。 
 「釣れますか」と尋ねたら、「このくらいのが・・」と言って親指と人差し指で示してくれました。 
 確か2年前、その数年前にもこの時期に池の水位が落ち、今にも池の底が見えるほどになりました。
     

 その時、水門の近くで、何処からどのように浸入して落ち込んだのか分かりませんが、小型自動車が沈んでいました。 あと1〜2メートル水位が下がると、再びその姿が見えるかもしれません。 それとも既に引き上げたのでしょうか。

  そんなことを思い出しながら、水面を眺めておりましたら、こんなことが脳裏を走りました。
 @景気回復などといっているが、実態はそんな状態ではないのではないか。
 Aユーラシア大陸の国々が新たな動きをしている、アメリカが追い出されるのではないか。地政学上、中央アジアを支配する国が地球を支配すると言うが・・・
 Bアメリカ・イギリスのアングロサクソンによるテロ戦争は敗戦が明確になってきた。
 Cイスラエルの存亡。中近東で新たな戦いが起こるのではないか。イラン対サウジか

 薄っすらとかいた額の汗が、心地良い風に冷やされてゆくのを感じながら、このところチョット調子に乗りすぎているのではと感じていますので、反省心が悲観的・後ろ向きなことを思ったのかとも思いました。 
 が、驚いたり、慌てることなく、現実を冷静にながめ、予測しして心構えをしなさいといっているのではないかと思うことにしました。



 お知らせ
   
 
エッセイC <自然との交流に>に下記を掲載しました。 
                             平成18年9月25日 記

  百姓学校9月定例会の報告 9月23〜24日
 〜初めて、枯れ草を燃やすことが出来ました〜

 

 

  COLUMN 1−D  NO596         平成18年9月23日 記

  チョット調子に乗りすぎているかな?
 〜夢診断ならどのように、判定さられるかな〜

 
 めったに夢を見ない体質?性分です。 ですから夢を見たときは珍しく、過去にもこのコラムで2回ほど、そのことを掲載した覚えがあります。
 このところ、体調は良いし、頭の回転もソコソコで、思い道理に予定が消化されてゆきます。 10月に入ると、中学校の同窓会、翌日は「ピースボードの船旅の説明会」 、その翌日は豊根村で小学校時代の同窓会と同級生の法要(約40名中、6名の法要)です。 チョット調子に乗りすぎではと気がかりです。

 1週間ほど前に見ました夢は、運転中です。 バックにギヤ−が入っており暴走を始めました。 ブレーキが利かないのです。 自分でもどうなっているのかと思えるほどに、手際よく運転を続けておりました。 終わりは記憶になし。

 昨夜の夢は、夜行列車が駅に到着しました。 田舎町の様でもあり、昔は繁栄していた引込み線が何本もある、今は寂れた駅舎の様でもあります。
 ホームから改札口は見えるのですが、遠回りして改札口に廻るように表示が出ています。
 線路を跨ぐ大きな橋を渡ってゆきました。 すると突然、橋が途切れています。 落ちそうになりました。 良く見ると橋の隅から黒く太い一本のロープが垂れ下がっています。
 それを伝って降りよと下で叫んでいます。 手にした荷物を肩に括り、ユックリと降りてゆきました。 途中から「なんだこんなことか」との気分で降りきりました。

 以上です。 夢診断の出来る方いましたら、お願いします。

 今朝、メールを開いたら妹から、『昨日のコラムを見ました。 マンジュシャゲ=彼岸花に思い出がある』と言っておりました。


 今日は今から百姓学校へ行きます。 爽やかな秋空の下で、秋野菜達との出会いが待っています。 気分最高になれると、心ウキウキです。
 行って参ります。


 

  COLUMN 1−D  NO595          平成18年9月22 記

   彼岸花=まんじゅしゃげ=曼殊紗華再び

     〜石田氏、正式に知事選出馬表明〜


 子供の頃、スーと伸びた茎の先に、あまりにも色鮮やかに、華やかに燃えるように咲いたためだろうか、大人たちは忌み嫌っていてが、私には忘れないと言うか、心に残る花の一つとなった。
 5歳の年、生みの母がなくなり、父が買ったばかりの自転車に乗せて、天竜川の支流”大入川”に架かるユラユラ揺れる桟橋に連れって行ってくれた時、対岸の岸に赤い彼岸花が咲いていました。 そこで父は「赤い花ならマンジュシャゲ、 オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてる ジャガタラお春 見練な出船  ・・・・・」とつぶやくように歌ったのを今でも、薄っすらと記憶しています。 昨年もこのことは書いたように思います。

 さて、9月19日のそれと比べてみましょう。
            
             9月19日のものです。

             
                   9月22日の朝                
          
             隣には黄色の彼岸花も加わりました。
           

 こうして、3枚並びますと、いささかキツイ感じがします。
 9月19日にはもう一枚、花開く前のものも掲載していましたのです。
           


 話変わって、「愛知県の知事選に現犬山市長の石田さんが正式立候補声明をされました。  32年ぶりの脱・相乗り選挙となります。
 石田さんは記者会見で「これまでの知事選は密室で(候補者が)決められていた。住民が参加する機会を奪われていた」。 また、「愛知が全国の地方のリーダーシップを取らなくてはいけない」と力説している。
 神田知事には「万博は大変良かった」と評価しながらも、「もちをこねたのは鈴木礼治(前知事)、杵でついたのが豊田章一郎さん、餅を食べたのが神田さん」と皮肉った。と報じられている。 
               


 〜的を得た表現であると感じている。 以前にも書いたが、真面目で正直そうな神田知事ではあるが、これから求められる県政をはじめ、地方行政は経営感覚が求められる。 受身ではダメである。 提案し、議論し、支持されて進めていかなければならない時に来ている。 国に頼っていても始まらないのであるからです。
 今の愛知県政は全国的に見ても、新たな提案をし、実行し、一つのモデを提供しなければならない位置にあると思います。
 県民の一人としてその自覚を持って、今回の知事選に臨みたいものと思います。



 

  COLUMN 1−D  NO594          平成18年9月21日 記

     「インド学への誘い」から・・


               
            
          今朝、路上に初落下した栗の潰されたものです。
 日記帳で調べてみますと、ほぼ例年通りです。 すると来週あたりは飛騨金山の栗の落下盛んと言うことになります。 栗は落下したばかりの艶がある状態のものを拾うのが一番美味しいそうですが、片道1時間半では毎朝行くわけにも行きません。
 中津川の「栗饅頭」 ほどではありませんが、なかなかの味の饅頭が毎年食べられる時期になりました。 

 この栗を写真撮影した後、昨日の「インド学の誘い」を復習、パソコン入力していましたら、前回「コラム1−D NO565」で”インド学の前半を終えて」と題して、掲載しておりますが、読み直したら面白くもない内容だなと思いました。
 前回、平成18年9月6日の講義の内容も今回入力したのですが、なかなか面白いと思いましたので、掲載することにします。

 第7回 平成18年9月6日
 インドの経済と産業  経済政策の変換
・香港、韓国、台湾→シンガポール、タイ→マレーシア、インドネシア、ベトナム→中国、そしてインド
・中国のバランスを見・学び、インド社会の問題(質と量)を考ええた時、インドは耐え切れるのか
 →止めるか、妥協するかの選択
・インドへ進出することを考えるならば、過去の例を学ぶこと
 →イギリスは300年インドに居れたことは何故?
・インドのインフラは最悪(中国と比べても)〜想像もできないくらい最悪
・イギリスは300年、良く生き延びられた→我慢するか、耐え続けるか
 →インドで生活できなかった人は、自国に帰っても生活できない
 →調整・柔らかさを持っているインド社会⇔自分を強くする
 (日本人は気にする性格になりすぎている)
→《耐えられる、耐え切れるように性格を変化させる=強くなる=気にしない性格
  なにが起こっても不思議でないと言う精神を持ち続けること

・ポスト中国のインドは特別と知るべし
・中国の人口13億、3〜4年後のインドは対策を取っていないから15億か?
・香港・台湾〜シンガポール・アセアン〜中国そしてインドとしたならば
 →止めるか、妥協するか(自己変革する)しかない。

・<中国とインドの違い>
・中国〜仏英の窓口と対日本の窓口は異なっている。 日本企業の中国参入は終えている(共産国)
・インド〜英国が300年支配した民主主義国、英国の教育受けた人多い
 ・日本企業にとってのキーポイント→「相互の努力」、相互理解、協力しようという「インド人の心」を捕まえること。それが出来れば上手に行く。
 ・自分のやり方、価値観を押し続けることはダメ
 ・スズキ自動車はイギリスの裁判所に訴えた→インド政府負けた。これは超マレナこと。
 ・勝った、負けたの問題でなく、“損して得とれ”

《余談
 今回の自民党の安倍政権の成立予想は、これまでの総選挙と異なっている。 相手に譲る。相手の勝ち戦を認めているとう状況は、この30年間見てきた自民党の動きとは異なる)

 ・比較文化的になっているが、ここで私見を述べる
・中国のリーダー達は、国民心理をコントロール出来なくなっている。
・中国のリーダー達は、幼稚園児並である。「靖国に参拝するならば会わない」と言う発言 →何の答えを出したかったのか、理解できない。
・インドも宗教(イスラム)の問題を抱えている、千年の苦しみを体験している。
・北朝鮮、中国との戦争問題は、数千年の年月でなくてはDNAは変わらない。
・北朝鮮(テポドンミサイル発射)、中国の幼稚園児並への態度に比べれば、対インド問題は将来的に望みがあると考えたい。
・労働者の反発、一度NOといったら、2度とチャンスない→インドとのかかわりゼロとなる。
 →言われたとおりにやれ、相手のことに耳をかさない。
 →現実的でない夢の実現を目指すより、インド社会の人々のレベルを見て対応(例、“世界一の品質のものを目指す”は現実的でない)〜中国ではトヨタ・クラウン車が走るが、果たして必要か。
・インド70%は、自転車も乗っていない者多数あり(電気も水もない)
 →その生活からは脱出したい気持は持っている、そのためには500年かかること知っている。
・EX
 王子製紙のTOBの舞台裏(NHK放送より)
 最悪の例を示した。 日本文化に合わない。{手土産を持って、膝突合せ語る》これを忘れていた。
・インド(MITTAL LAXML GROOP、インド?、イギリス?)の製鉄会社→新日鉄に技術の提携を申し入れた→日本の技術レベルのことを分かっていた。

・<インフラについて>
・中国のインフラはアメリカ並みに作った。「13億の民になにをせよ」といいたいのか。
 インドの哲学では分からない
・500年前のインフラは今もインフラ→500年後も今と同じだろう。
 →なぜインフラが変わらないのか→1〜100までのレベルの人々がいる。
 地下鉄は45度の気温の世界では適合している。 ガソリンは日本と同等の価額。
→インドのリーダーは、全ての国民が車を持った時、どうなるかを考えている。
・インドには高い建物がない。 今後500年もないだろう。

・<経済哲学>
・物質社会から離れ、裏社会=精神面から計画を作るべきである。
・インドの政治家、官僚、宗教家は、インドの最悪の状況を考えて非物質主義面から考え政策を実行。
・70年前の車の話
 ・スズキは750CCまでの、箱型の車を提案した←当時のインドにピッタリ
・トヨタ、日産←世界最高の車が走っている。その数は現在数千台
・インドでは、1940年代の古い車に人気あり→平均時速20〜30Km
・なぜ、そんな生活や考え方をするのか
  →「神への畏れの精神」「神の罰を畏れている」(神様がこの行動・行為をどのように見ているか)
 

 第8回 平成18年 9月 20日
 「インド社会における日本人社会  日本人はどう暮らすか」

・結論から→サクセナ・ダイヤル先生は様々に考えたが→「ない」と言う結論に達した。
 →「自分は自分、相手は相手と割り切る」 「MY WAY」「平気でNOと言えること」
・イスラムは数百年、英国は300年。 日本人も新しい道を創造する以外にない。
・問題を解決して、日常生活を確立するというようなことは考えないほうが良い。
 →ソフィスケートして自分の道を作る。EXタクシー利用、お抱え運転手で行動。(金で解決することが重要)

・<祭り。パーテイーが多い>
 →インド人にとっては楽しいが、日本人が参加すると言うことは大変である。(長い時間、話題)
・多民族、多宗教社会のインド、狭い社会で生きている、外との付き合いは少ない。
・問題だらけのインド社会故に、顕微鏡で見ないこと。
 →これが自分の生き方として自信を持って行くことが重要。
 GO MY WAY! “NO“と言い切ること。 ハッキリした行動、半信半疑はダメ
・インド人一人ならまとも、数が増える度に対立、議論になってゆく。
・日本人は一人ひとりが足し算されて1億人になった。
・アメリカは今後国としての力はダウンしてゆく、日本は上昇し、やがて世界一になろう。
 
・インドは自分のほうからぶつかって行かなければ、対立は起こらない。
 インド人はなにもしないくせに「いばっている」。世界NO1と思っているし、考えている人。

・<インド人の娯楽・映画>
・映像は70%の人を対象としている。哲学や思想ネライがある映画ではない。日本でパチンコやスロットに行くようなもの。
 →ヒマラヤ近くから、中央印度〜南インドまでの広い世界の人々をカバー
 100円で3時間楽しめる、他のエンターテイメントなし、低廉で楽しめる息抜き娯楽。 歌あり、踊りあり、喧嘩あり、演劇ありの何でもありがメイン。 心慰めるのみで、宗教、カーストは取り上げない。
 犯罪、道徳的なことは注意している。 年間400本の製作される。
・世界に輸出している。
 輸入は英国(007)、アメリカ(60年代は少ない、ロシアと友好、70〜80年代に入りハリウッド多くなる)日本(七人の侍、おしん、など人気あり。30%のインテリ社会では日本映画は好まれる)。

 
読み直していましたら、今度は「インド旅行」がしたくなりました。
 バルカン半島、トルコ、中ヨーロッパ(ポーランド、ハンガリー、 チェコ、等)そして、南アメリカ大陸と行きたいところばかりです。
 インターネットで検索し,プリントした資料がファイル数冊となってしまいました。          





 

  COLUMN 1−D  NO593          平成18年9月19日 記

   本日は中部大学・秋期開講式
 〜先輩聴講生として、こんな話をしました〜  


                
 授業始めは9月21日から、学生もまばらで何時もにぎわっている食堂前のテーブルはガランとしていました。
 
      

 秋の紅葉が綺麗な池(名前??)では、緋鯉だけが早くもコウヨウで迎えてくれました。 私の話を掲載します。

 『中部大学・開講式にて   平成18年9月19日

 1)高蔵寺ニューウタウン在住の加藤大喜と申します。
 自慢話が好きで、お聞き苦しいことを御許し下さい。
 話好きで、直ぐに横道にそれますので、書いてきたことを読み上げることにします。

 2)1年半前の2005年・春季から中部大学のオープンカレッジの聴講生になりました。
 同じ時期より、放送大学の選科生にも登録し、勉強していります。

“動機”は色々ありますが、それなりに努力をしてきたのに、どうしてこんな日本、社会になってしまったのだろうか?
 「これからどうなるのだろう」「どうしなければいけないのだろうか」「何か、お役に立つことがあるのだろうか」と考えるようになりました。
 
そこで世界の歴史を中心に約20数教科を受講してきました。 それぞれの時代、地域、国において政治・経済を中心として時の権力、権力者はどのように振舞っていたのか、その共通項のいくつかを認識することが出来ました。 が、常に庶民と言うか、弱者がやむにやまれず最後は立ち上がり、あるいは時に、静かに時間の経過を待ち、時代を前に進めてきたように感じています。

 今の時代を見ますと少し寂しいかぎり、悲観的な面が多く表面上はしているように見えますが、見方を変えてみると、既に次の新しい芽が出ていることに気づかされます。
 新しい芽=新たなものの見方、感じ方、生き方=価値観を発見できますと、希望が持て、明るく毎日が過ごせるのではないかと思うこのごろです。

 3)放送大学と中部大学の違いは、何と言っても一方的に映像と音声で流され、それを視聴すると言う学び方と生の声で目の前に姿や表情を直接受けながらの受講条件の違いです。 如何に、直接会ってコミュニケーションすることが大切かを教えられます。

 本を読むと言う活字だけではどうしても伝わらないところがあります。
 放送大学においても印刷教材があり、予習をするのですがなかなか理解できないところがあります、すると一方的とは言え映像、音声で聞くだけで一人で本を読んでいるよりは、理解でき、またポイントが分かります。
 放送大学ですらソウなのですから、教壇からの直接的な語り、講義は教授の人間性までもが加わって伝達され、数倍の面白さ、興味が湧きます。
また、一方的に講義を聴くというだけでなく、分からなければ質問も出来ますし、メールで問い合わせると、即座に返事が返ってくる教授もいます。
 気をつけないと、ついつい辞書代わりになりそうになります。

 直接コミュニケーションと言えば、子供か孫ほどの違いのある学生との会話も刺激的です。
 アルバイトにばかり精を出していて勉強なんかしているのかな。 ヘナヘナと弱弱しい話しぶりの若者に、本当にこれからの時代を切り開いていけるのだろうかと思ったりしますが、ここにおいても、先ほどの見方、感じ方にも通じますが、別な角度から彼らを観察していますと、私たちの時代には無かった「優しさや感性の豊かさ」を感じることが出来ます。
 数人の学生ですが、「こんな中部大学生もいるのか」と驚かされました。
 このことについては、昨年レポート代わりに少々辛口の中部大学と学生批評を書きましたら、学内の公式雑誌でしょうか、編集指導顧問をされている教授から、この文を“クリムゾン”に掲載してもよいかとのお尋ねをいただき、今年の12月発行予定の第3号に掲載される予定ですので、機会がありましたら目を通してください。

 また、春のスポーツ大会、これから始まる秋の学園祭にも参加されることをお勧めします。 講義では得られない何かを感じ、学ぶことが出来ます。

 5)先月「エジプトに8日間の旅」をしてきました。
 ある教授に「ヨーロッパを知るには、宗教を学ばなければ本当のところは分からないよ」と言われていましたが、5000年の歴史を持つエジプトの歴史、遺跡の中に、宗教のことが少しでも記憶にありましたので、なるほどこのことかと感じるものがありました。
 中部大学で座学をして、直接目で、足で、肌で、今度は歴史を実感することが出来ました。 このときの旅日記は、私のホームページhttp;//www.k-taiki.com/の「旅日記」を開いてください。 ページ数だけはA版で写真入43ページにもなっています。

 6)最後に、来年の2月になりますと、丸2年の聴講が終了します。
中部大学からは4年間の聴講が終了すると賞状が出ていたようですが、自分へのご褒美として、一時休学をしまして「世界一周。100日間の船旅」を計画し、申し込みました。
 素晴らしい旅になるだろうと今から期待に胸膨らませています。 
 これも、中部大学で学ばせていただいたことの延長戦として、お礼申し上げます。
 7)自慢話にお付き合いくださり、すいませんでした。

                
  
人工芝の運動場が新しく張り替えられました。秋のスポーツも楽しみです。
 今期初めて参加の聴講生の方に呼び止められ、「スポーツジムはどこか」と尋ねられましたが、キャンパスの地図を取り出し、怪しげにやっと答えることが出来ました。




 

  COLUMN 1−D  NO592          平成18年9月18日 記

 本日は敬老の日でした
 〜今朝、友人から提言と質問が来ました〜  


             
     中日新聞9月18日(敬老の祝日)の一面に掲載された記事です。

 記事の内容に関しての私の感じ方、考え方を述べるならば本来、<コラム 2ーN
”新聞を読んで 眺めて 切り抜いて”の欄となっていますが、昨日掲載した「コラム 1−D No590&591についての提言と言うかご意見と質問をメールにていただきましたので、こちらに掲載することにしました。
 なお、このメール昨夜かなりの時間をかけて、真夜中に送信されていましたことを付け加えさせていただきます。

 『加藤君は各個人の個性・特性を気づくには、親・兄弟・先生・先輩のアドバイスによって気づき・発見されることが大切で重要だと言っているが、その親・兄弟・先生・先輩にアドバイスを出来るような人生経験や人間性の高い質を持った者がどれほど存在していると思っているのか、考えているのですか。
 当たり前のことを書いているが、今の時代にあっては叶えようもない理想論、観念論になっているのではないか。 君自身は自信があるのか。」
と言う内容でした。

 〜はた!と困ってしまいました。 少しばかり頭の中に血を巡らせまして、出てきました返事は以下のようなものでした。
 ・少なくなったとは申せ、捨てたものではなく立派な言動・行動をしている方を知っていますし、見受けています。 
 特に、バブル崩壊後にあって、きっとバブル期に踊らされることがなかった方か、あるいは多くの人、企業同様にバブルの体験をし、後遺症に悩まされながらも、いち早く思いや考え方を切り替え、新たな努力の方向に変更し、地道な行動を続けられてきた方々です。 今、気をつけて周りを眺めてみたり、各種の報道の中にそれらの方々が多く存在していることを知らされています。

 ・よしんば、親・兄弟・先生・先輩に指導、アドバイスできる方が見当たらないと言うならば、私たち自身(親・兄弟・先生・先輩)が、これから巣立ち、成長してゆく方々とともに、同一視線、同一線上に立って、互いにそれぞれの持つ個性、特性を気づき、発見すべく研鑽してゆくと言うのは如何でしょうか。

 
 続いて、次のような質問を受けました。
 『A)貴君は修行僧と言ったり、遺言書を書いたり、終末医療に署名したりといっているが、本当に実行しているのか。 証拠はあるか。

 B)聞き伝えによると、生前葬儀を行うとか、会葬礼状を自筆で書いたものがあると
言うが、それは本当か。 本当ならその内容を公開してほしい。

 C)65歳・老齢期の身としてのお役立ちとは何か、どんなことを考えているのか。


 
〜A)あります。 必要ならば、簡単なものはコピーして送りましょうか。

         

 B)ハッハッハッハ〜〜、またにしましょう

 C)トップの新聞記事にもありますように、65歳以上の高齢者が遂に20%を越えました。
 調査年次に違いはありますが、イタリア19・5%(04年)、ドイツ18・6%(04年)、フランス16・2%(06年)、米国12・4%ととあります。
 日本の高齢者のうち就業している人は、19・4%、米国14・4%、英国が6・3%と言うことです。 75歳以上も10人に一人。

  さて、私の考えるお役立ちは、まだ現役で活躍している方々とは異なり、かなり受身的です。 
 →少しでも迷惑になることを減らしたい、短くしたということです。
 国民健康保険を可能な限り利用しないこと、お世話になるなら最小限したい。
 難病・高度障害者になると高額で、長期の治療になります。 そのためにと思って「終末期医療の中止をもとめる意思表明書」を書きました。
 少しばかり健康で・積極的にとの思いから、ピンピンとまでは行かないまでも、体を動かせるあいだは、テレビ・ラジオ・新聞を視聴して、勉強をし、好奇心が湧くことには飛び出て行く。 そこで感じたこと、考えたこと、学んだことをこのホームページでお伝えしてみたいと思っています。




  COLUMN 1−D  NO591          平成18年9月17日 記

   
 COLUMN 1−D  NO590

  バラバラな事がどのように繋げられるのかな?


 上記のタイトルで書き始めた<NO590>の続きです。
 バラバラの事と言うのは、以下のことです。

 1)10月15日に中学校の同窓会「∞無限の会」が豊橋で開催される。
 2)昨日の新聞で小学校時代の同級生が、豊根村の村長に3選出馬を表明した。
 3)昨日、ある会で尊厳死の話と人生の役割についての話で盛り上がった


 つづき
 
 「∞無限の会」と名づけたのは、還暦を過ぎてなおこれからも無限に続くことを願ってのことだろう。 それから、早4年が過ぎ、今年の10月15日に集まることとなった。
 豊橋の街中の学校であったから商店や工場を継ぐ者が多かった。 城下町の校区の名は「魚町」「関谷町(船着場)」「札木町(両替商?」「呉服町」「曲尺手町(建具屋、タンス屋)「鍛冶町」などと昔からの商店が多く、昭和50年代に入ると次々にシャッターが閉まっていった。
 後を継いだ彼らが同窓会の中心メンバーであったが、今年はどうであろうか。

 2)豊根村の村長に3選表明をした、小学校時代の同級生。

 一昨年11月隣村の「富山村(人口は200人強?)と1500人弱の豊根村が合併した。
「合併をまとめた責任者として、引き続き村の運営に携わらせていただきたい」と述べたとの小さな記事を目にしたが、初当選も、二期目も無投票であった。
 お父さんも村長であった。 この村の名士で、初選出の時から担がれての出馬であり、自分から名乗り出たのではないと言っていた。
 また、二期目の時も「やり手がいなくて・・」と言っていた。 そのとき私はキャンピングカーで同窓会に乗りつけだったが、「羨ましい」と言っていたのを思い出す。
 今回も心ならずもの出馬であろうか? 何処もそうであるが、地方財政の困窮振りには頭を悩ませているようであった。 
 それでも「村人のやる気を引き出す運営方法で「大入川の郷」を建設したよ」と案内してくれた。
 ご苦労なことであるが、体調に十分留意し、一層の活躍を祈りたい。


 3)尊厳死と人生の御役目(役割)
 
 この世に生を受けてきたのには、一人ひとりに何らかの御役目がある。 それに気づくか、発見できるかによって、その心構えと行動が違ってくる。
 しかも最後の時になって、その答えが出るのではないか。
  
 戦後は一律的にベルトコンベヤーに乗った経済活動(生産活動)に適した標準的・均質的な人材が求められ、そのための教育であった。 一人ひとりの個性や特性を無視したものであった。
 様々な要因が重なったであろうが、一律的・平均的な知識偏重の教育は行き詰まった。 数年前より「ゆとり教育」なる名称で取り入れられた制度も、良い面もあろうが、世界レベルで比較した時、知能指数が低下したとかで、その制度の否定面が議論されている。
 この項の冒頭でも述べたように、人にはそれぞれの個性・特性がある。 出来るならば己の成長過程において、試行錯誤の過程において自らそれに気づくか、発見する事が一番望ましいと思います。 
 が、それはかなり困難と言うか確率が低いと思います。 やはり両親、兄弟、先生、先輩が適切なアドバイスをすることによって、導かれ、気づき、時に発見する事だと思います。
 
 試行錯誤の過程の先で、適性にあった場に立ったならば、今度は十分にその役割を果たすことです。
 他人様から見て、”それは成功した、勝者となった” あるいは"それは失敗した、敗者となった”との様々な評価が下されようが、私は自己評価において自己の個性・特性を活かし、人生修行の道のりにおいて、果たすべき役割を果たしたかどうか、しかも見事にやりきったかどうかが重要だと考えるようにこのごろなりました。
 自分に嘘をつくことなく胸に手を当てて聞けば分かる事です。
 強がりで、欺瞞で、あるいは自己評価甘く、納得できる人生であったと言ったとしても、ここから先こそが本番、最大の山場が待っています。
 「生老病死」です。 「老」は日ごと増してゆきます。 「病」の確率は高まるばかりです。「死」はいつ何時、どのように訪れるか見当もつきません。
 「死」とは「生」を考えることと言った人がありました。
 確かに、ここから如何に生きるかが、最後の関門、答えを出すところです。
 
 一応、1996年3月に企画制作「ニュライフ」、発行者、日正出版の<遺言>なる一冊を取り寄せておりまして、1999年6月24日に一部書き込みました。 その後も、年に一度くらい取り出しては、「葬儀の方法」、「伝えるべき方法と相手、会葬案内文」等を付け加えました。
 また、2001年には、大野竜三・著「自分で選ぶ終末医療」を購入、医師である大野さんが書かれた「終末治療の中止をもとめる意思表明書」をコピーして、署名捺印し<遺言>書の中に挟みこみました。
 昨年には”さわやか福祉財団理事長」で弁護士の堀田 力さん推薦の「NPO法人 シニアのための財産と生活を守る会」発行の”遺言書を書こう”を購入しましたが、こちらはまだ白紙のままです。

 その時が来れば、「身も蓋もなく」わめき散らす修行僧の最後かもしれませんが、こんな準備はしていますと語ったのでした。

 来年は年明け早々に、統計上でも「老齢者」となる身。
 可能ならば、出来るものなら”ピンピンコロリ”と逝きたいものであります。
 「楽しく、面白い人生であった。 それでは皆さんありがとう」と言って・・・
 
 イイカゲン修行僧の身、到底素晴らしき観音様のいらっしゃる天国とやらには入場が許される身ではありません。再び修行の場に登場することになるのでしょう。
 「では、この辺で、さようなら」

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