平成18年12月8日 記 お知らせ
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COLUMN 1−D NO636 平成18年12月4日 記 夕焼けの美しさよりも、ヤンキース |
後日詳しくは掲載する予定ですが、ピースボードの第56回クルーズ船上で「地球大学」が開催されます。 『平和への架け橋』〜紛争の過去から共に生きる未来へ〜との全体テーマの下、3つのユニットが用意されています。 その中の「ユーゴスラビア紛争に見る”戦争のつくり方”と言う講座に参加することにしています。 本日事前に提出する<地球大学志望動機書>と、参考図書の指定があり、それを読んでの感想や考え方、何に一番興味を抱いているかなどのレポートが義務付けられています。 その場で考えたこと、思ったことをメモして散歩に出かけることにしました。 ![]() 私の目には見えない沈む夕日が道樹山の紅葉を一層赤く染めていました。 後ろを振り向くとこれまた、電線が夕日に輝きイルミネーションのようです。 ![]() 感激して学校帰りの野球ユニフォームに身を包んだ中学生に、指差して示したのですが、さして感激した様子もなく、私が振り返ったときには、坂を下ってゆきました。 彼らの会話は今期ポステイング・システムでアメリカン大リーグに行くことになっている松坂選手、井川選手、それに大活躍のイチロー選手の所属するチームの話に夢中でした。 先ほどメモした中に、「海に隔てられた小島にあって、中国・韓国経由で文明・文化が渡ってき、また、近代以降は西欧文明・文化が導入された。 その日本の幸運が今日を生んでいるのだろう。 そして戦後は”平和ボケ”の中で動物的感覚が失われ”感覚マヒ”になっている現状の日本。 年長者としてのその責任の一端はある」などと書いておりましたので、野球少年の会話にスッカリ、夕日の感激が薄れてしまいました。 本日掲載しました、「コラム 2−N NO219 ”本当に、あの船井幸雄先生が知らなかっただろうか?”をぜひ、お読みください。 |
COLUMN 1−D NO635 平成18年12月1日 記 11月28〜30日のこと
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11月28日〜築水池の水が四分の一戻りました。 NO 606(10月6日付け)で築水池の水が空になったことを書き、 NO 610(10月13日付け)で再びバルブが閉められて、貯水が始まったことをお伝えしました。 それから50日の経過しましたが、やっと四分の一しか貯水されませんでした。 この間、雨が少なかったことにもよりましょうが、改めて池の大きさを感じました。 ![]() 11月29日の夕日 ↓ ![]() 築水池とこの夕日の撮影場所の間には、遮る小山があります。 この夕日に照らされているのが、築水池の周りの木々と、遠くに見える道樹山、弥勒山です。 11月30日は例年より1週間遅れで、飛騨金山に「蜂屋柿」を収穫に行きました。 と言っても、9月末の栗拾いのとき、今年は出来が悪いことを確認していましたので、期待はして行きませんでしたが、それが何と”たった一個”だったのです。 ![]() お隣の「白川茶畑」をバックに貴重な一枚を撮りました。 数年前にもこんなことがありました。 そのとき買い求めたお店のことを知っていましたので、帰りの道すがら立ち寄って買い求めようとしましたが、何と売れ残りも売れ残りの小粒の蜂屋柿が30個しかありません。 「それでも残っていただけでも良かった」と日本で50数人しかいないという、「シイタケアドバイザー」の称号を持つ叔父さんに言われてしまいました。 今年は全く不作だったそうです。その上に猿が出没し、渋柿ですので、次は甘いか、次はどうかと次々にもぎってしまったということです。 12月1日、30個の蜂屋柿を剥いて吊るしましたが、昨年は300個以上もあり、最後は剥くのがイヤになってしまいましたが、今年はアッという間の時間でした。 ![]() 吊るした柿の右側は「ロウバイ」の木です。 例年ならほとんど落葉しているのに、まだ青い色をして残っています。 吊るし柿にとっては、寒くなることが良いのですが・・・ |
COLUMN 1−D NO634 平成18年11月27日 記 雨一時降り止んだ、ナンキンハゼの街路樹 |
月曜日の朝、傘を差して子供達が8時前に登校して行きました。 ごみ収集場所に本日は燃えない塵が積み上げられてゆきます。 昨夜半から降っていただろう雨で、ナンキンハゼの葉が歩道に敷き詰められました。 ![]() ![]() 午後からは雨も一時上がるとの予報ですので、歩道とナンキンハゼの葉が乾いてくると、各家の前が掃き清められます。 中にはその葉を家庭菜園用の堆肥にされる方もおられ、向こう三軒分以上に竹箒でかき集めておられる方もいます。 上記の街路樹の景色撮影のためにカメラぶら下げて、立ち上がったり、座ったりしていましたら、塵出しにこられた10軒向こうの奥さんが「綺麗ですね、気がつきませんでした。このまま帰ってしまうところでした」と膝を折って眺めておられました。 その後、女房と何を話しているのやら、10分間以上も長話が続いていました。 |
平成18年11月26日 記 お知らせ
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COLUMN 1−D NO633 平成18年11月25日 記 11月24日の夕焼け |
今週に入ってからの受講ノートがほとんど整理されていません。 毎週木曜日は火曜日、水曜日のノートを整理する日にあてていたのですが、昨日は”コラム 1−D NO 632”に書きましたように、「楽しい、楽しい時間を過ごしました」ので、全部溜まってしまいました。 朝から取り掛かりましたが、こんな時に限って受講ノートの記録量は多く、それ故に走り書きで書き留めていますので、自分の字が読めません。 しかも、25日からは定例の百姓学校ですから、24日中に仕上げないと記憶は薄れて、さらに難度が増してしまいますので必死でした。 フト気づくと午後の4時を廻っていました。 気分転換も兼ねて散歩に出かけることにしました。 少し小高い所からチラリと見えた沈む夕日は真っ赤です。 それをカメラに記録しようと足早に、空が開けたところまで来たのですが、既に陽は西の空に沈んだ後でした。 ![]() この映像は私の眼に写ったものとはかけ離れています。 上空に広がる黒い雲は、ウロコ雲でそこに残照が反射して、綿雲が何段にも重なり舞っている感じだったのですが・・・・ 感情や思いを持って眺め・捉えたものと、機械的に反応した違いでしょうか。 でも専門家は、自分の心に感じたものを一枚の映像として提供することが出来るのですからたいしたものだと感心します。 こちとらは、時折カメラの性能に助けられて、自分でも思わぬ作品になることがありますが、正にまぐれであって、プロとは常に一定のレベル以上に仕上げていることを改めて感じた次第です。 その場に、数分立ち止まっていましたら、その空の下を流れる小さな大谷川に龍が降りてきたように、水面が光っていました。 ![]() と、このコラムを書いたのは、25日午前5時半です。 3時に起きだして、残っていた受講ノートを一本仕上げた後です。 まだ、21日(火)に聴いた講演「ホロコーストからの生還_わが母の逃亡譚」が残っていますが、今から一眠りします。 本日は畑のサトイモをタップリ掘り出さなければいけませんので・・・ 頭が冴えていますので、眠ることが出来るかどうかです。 と、書き終え顔を上げましたら、窓の向こうの山は白々と夜明けを告げておりました。 ![]() もう、新聞は配達されておりますので、眠ることは止めます。 お勤めしていたら、なかなか出来ない贅沢をさせていただいております。 感謝。 |
COLUMN 1−D NO632 平成18年11月24日 記 あ〜、昨夜は楽しかった、楽しかった
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昨日は中部大学の「ヨーロッパを知る」を一緒に受講している聴講生メンバーと、担当教授の小島研究室でゼミ生と共にコンパ(今はなんと言うのでしょうか、飲み会と言うのでしょうか)に参加しました。 聴講生5名、ゼミ生6人、先生のお友達2人の合計14人でした。 本棚で仕切られている応接間はイッパイでした。 ![]() ![]() 午後の4時から始まリました。 。 ハンガリーに長く滞在されて居られた先生が、当日の朝から用意していただいていた「ハンガリー・シッチュー」が実に美味しかったです。 それに、あまり期待していなかった(失礼)「ハンガリー・ワイン」(ボージョレ・ヌーボーも含めて1ダース))が、これまたなかなかのものでした。 ![]() ![]() 話はアチコチに飛びまくりましたが、兎に角、どの会話も楽しいのです。 一人それぞれに3人前を思い思いに持ちよりでしたが、これまた個性ありでバラエテイーに富んでいました。 テーブルに置ききれないほどです。(写真撮り忘れた) さぞや、残ることだろうと思っていましたが、先生のおっしゃるとおり最後は、ほんの少しのお土産分になってしまいましたが、夜食にと言って持って帰られる学生がおり、全て完売です。 当日東京と京都に帰られる方がおられ、アッという間の4時間でした。 最後はハンガリー・ワインのお土産までいただいて帰りました。 次回は「年明けに、新年会を開きましょう」と言っていただきましたが、これまた待ち遠しいことです。 今回都合で欠席された方もあり、きっと次回は入りきれなくなるのではないかと、今から心配しています。 翌朝11月24日、何時もの散歩コースの「緑化公園・植物園」の大久保池の”ラクショウ”の紅葉が朝日に照らされているところを撮影に行ってきました。 ![]() ![]() ![]() 今朝の中日新聞の広告欄に、雑誌「百楽」に五木 寛之さんのインタビュー記事が載っていました。 「生きていて良かった」といえる晩節の生き方。 その中に「定年は、人生の素晴らしい黄金期の始まりであり、人として価値ある時間を過ごせるラストステージである。 この60歳からの過ごし方で、貴方の人生が豊であったか、貧しかったかという評価さえ決まる」と語っておられました。 年が明けると65歳、統計上でも老人の年代に入りますが、「生きていて良かった」と言える日々を過ごさせていただいていることに感謝せずにはいられません。 |
COLUMN 1−D NO631 平成18年11月22日 記 やっと、里にも紅葉がやって来た |
本日は「小雪」と言っても、昼の最高気温は名古屋で17度と言うことで、「小春日和」の温かい一日になるとの予報です。 書斎から眺められる目の前の「春日井3山」も秋の気配と成りました。 ![]() 手前の赤の手すりは、お隣の盆栽屋さんの屋上のものです。 ほとんど毎年ここに登場する景色ではないかと思いますが、めぐり合えるとホットするやら、やがて来る寒空を想像してブルッと背中を通り過ぎるものを感じます。 例年より送れて庭の手入れに入りましたが、午前中一日3時間の作業で、あと4〜5時間で終了するところまでになりました。 その庭にある愛知県の県木「ハナノキ」が色づきました。 ![]() これまた、毎年書きますが、我が家に来た時には直径1センチメートル、高さが30Cmでした。 確か3度植え替えて現在地で街路樹のナンキンハゼと競い合って紅葉を楽しませてくれています。 その隣では、大きな栗の木の下で、モミジがこれまた真っ赤に紅葉です。 ![]() 今日も暖かくなりそうな、変わらぬ晩秋間近の景色を眺めています。 前のページはこちらからどうぞ |