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 COLUMN 1−D NO640                      
                        平成18年12月19日 記

  マンネリになり易い、散歩道を・・


  家を出て、方向が異なる3コースの散歩道を設定しています。 そのコースからそれぞれに数本のバリエーションの道があるのですが、ついつい何時ものコースというか、車の往来のない、また比較的平坦で好きなコースに足が向かってしまいます。
 マンネリになりデジタルカメラを常にぶら提げているのですが、晩秋ともなれば枯葉の道以外に変化が少なく、そのまま帰って来てしまいます。

 昨日はその好きなコースを反対周りにするにしました。 そして、「少年自然の家」の展望台に登ってみました。 展望台といっても標高200メートルぐらいでしょう。
 それでも、何時も眺めている田圃道からの夕日とは一味違っていました。
   
           

      その夕日に照らされた、北側には春日井三山の弥勒山と大谷山です。↓

           
       左下が少年自然の家の建物。 遠くに弥勒山、右手が大谷山です。

           
        見上げたら、北の空から南に向かって飛行機雲が一直線でした。




 
                            平成18年12月18日 記

  お知らせ
〜このところ、このコラムより「COLUMN 2−D」
 ”新聞を読んで、眺めて、切り抜いて”への掲載多


  デジカメ片手に散歩には出かけていますが、感性に触れるものなし。
 
 中日新聞・一面の「中日春秋」欄、今年から、可能な限り明るい話題を取上げようとしていることが分かります。 批判めいた記事も、暗いニュースも切り込み方が異なってきています。 
 同じ事象に触れても、心の持ちようで見方、感じ方が確かに変わります。
 私も心がけなくてはいけないと思っているのですが、修行が足りません。 謝々



 COLUMN 1−D  NO639
                            平成18年12月12日 記

 直接的には関係ないのですが・・・
  昨日書きましたことと関係ありますので・・

 〜「牛之宮ウイークリー」(12月12日)を読んで〜


 本来なら分類上は「新聞を読んで 、眺めて、切り抜いて」のコラムに掲載するのですが、昨日入力した”静かで、穏やか、シットリした、文化の香りする日本」がこのコラムでしたのでここに掲載します。
 
 松藤 民輔さんが執筆されています「牛之宮ウイークリー」からです。

「貧富の格差を現すのにジニ係数がある。 数が一に近づくほど貧富の格差は大きい。
 世界の平均は0・89、米国は0・8、欧州各国は0・7から0・9. 
 日本は0・54と世界で最も格差の少ない国。 ついで中国、スペイン、韓国。(中略)

 世界の資産の32・6%がアメリカ、日本は28%で第2位、英国が5.9%、ロシ0・4%、中国は2・6%、インドは0・9%、ブラジルは1・3%という。」


 私はここで格差が少ないから、まだまだ規制改革、行政改革、自由競争経済を推し進めるべきであると言いたい訳ではありません。 これらの数字(国連大学世界会春調査所調べ)が正しいものとするならば、まずは客観的に数字を認識したいだけです。

 「小金餅を大量に生んだ日本型社会。 それは大衆社会の幕開けであり、欧州のエリート社会と対象をなしている。(中略)

 
私が興味を持ったのは、この後の話です。
 
 「各国に散らばるブテイックの最大の顧客は日本人。 中国人とどう見分けるのかと聞くと、商品の見分け方、触り方、店員に対する態度で分かるという。
 日本人は店員に対してすらお辞儀し礼をおくる、他のアジアの顧客は・・・・
 自分が買うのだからといささか尊大にして店員を見下し、商品を触った後もそのまま投げるように出て行く。」

 
さて、ここで日本人がブテイックでブランド品を買っているから豊であり、その買い方がすばらしいと言いたい訳ではありません。
 世界の人の目から見れば、まだまだ礼儀や礼が失われていない日本であるということです。 が、私はどちらかと言うと、各国のブテイックや無税を掲げる国際空港で買いあさっている同胞に疑問の気持ちを持っているほうです。
 
 何故もっと、自分の足下にある伝統や質の高い技術・技法の品々を手にしないのだろうかという疑問の方が大きいです。
 きっと、近いうちにストンと腰を落とし、膝を曲げなければならないときが来ると思っています。 
 その時からです。 こんなに身近に、こんなに素晴らしいものがあったのだろうかと気づくと思っているのです。 そして、気づいた時から、自分もその担い手になりたい、あるいはそれらを身近に置いて日々を過ごしたいと思うようになると考えているのです。

 昨日は「静かで、穏やか、シットリした、文化の香りする日本」とかきましたが、後半の表現を変更した方が良いと気づきました。
   
    「静かで、穏やか、シットリした、質の高い生活をする日本」





 COLUMN 1−D  NO638
                            平成18年12月11日 記

   昨日は息子(次男)の結婚式と披露宴

”静かで、穏やか、シットリした、文化の香りする日本”


 新郎の父親があまりコチョコチョすることは、憚れると思いましたのでカメラを長男に渡しました。
 本日、その中から何を選ぼうとかと考えましたが、これと言う作品はありませんでした。
 在り来たりに新郎・新婦の写真など掲載するのは性に合いません。  やっと選びましたのを掲載します。
              
  テーブルで青く輝いている??、さらに七色に輝く??を入れた方に記念品が
 
 久しぶりの結婚式への参加でした。 今年の夏、かっての仲間が富山で「しあわせ創庫」と言う会社名でウエデイング・プランナーをされています。 その方から、結婚式・披露宴の形も変わりましたよとは聞いていましたし、今回の結婚式・披露宴に関しては一切口を挟んでいませんでしたので、何も知りませんでした。
 4週間前に、”サンタクローズ”の役をしてほしい、1週間前になって最後に参列者に謝辞を述べてほしいと言われたのみでした。
 この手のことに関しては、大抵のことには驚きませんので想定内のことでした。

               
       長男から新郎の弟へ白バラが渡されました。 集められて新婦へ

             
            新郎と新婦のお父さんが握手をしました。 

     
         将来の花嫁候補はやはりかわいいですね。

 最後に、参列いただいた方に両親を代表しての謝辞ということになりました。
 ここでも天邪鬼の性格、通り一遍の挨拶では気に入らず、3分間の約束で話したつもりでしたが、隣の息子からサインが出て、最後は尻切れトンボになってしまいましたので、翌日ご列席の礼を兼ねて、以下のような手紙を投函しました。


 
 『お忙しい中ありがとうございました。
 皆様、ご無事にご帰宅されたことと拝察しております。
 昨日は章・淳子の結婚式・披露宴にご列席いただきまして、誠にありがとうごございました。  不行き届きのこと多々あったことでしょうが、お許しの程お願い申し上げます。

 ところで、謝辞にならない謝辞を申し上げた中で、一番大切なキーワードを忘れておりました。 これからの時代はどんな時代かということです。
 少子高齢化、格差社会などと暗い意味で表現され、明るさのない・先行き見通しのない、後ろ向き時代などといわれる方もいますが、決してそんなことはないと考えています。
 
 “静かで、穏やか、シットリした・文化の香りする日本”になると考えています。
 近代の節目と成った明治維新後の日本、あるいは復興と再建の戦後、そして高度成長期のような勢いのある日本とは様相が大きく変わると考えます。
 バブル崩壊とその後の15年で気づいたことは、ガツガツと牛肉を食することではなく、健康に配慮され美味しいものを少し口にし、環境や自然にやさしく、また破壊せず、持続可能な生活用品に包まれた質の高い・文化の香りする時代と考えています。
 
世界で一番初めにバブル崩壊した日本の役割として、混迷する世界秩序の中、新たな考え方・価値観に基づく生き方のモデルの一つを提供することではないかと考えています。
 特にどうと言うことはないのに、どうしてあの国の人々は「静かで・穏やかで・ユッタリと・のびのびと生活しているのだろうか」と、世界からその生き方の光を見に来る(観光に来る)。 そんな日本や人々の暮らし方や姿に尊敬と信頼をしていただける日本になる道を今歩き始めているのではないかと願い・思っています。
 多分早ければ10年、遅くとも20年という時間でそのことは、ハッキリしてくると考えています。 
 皆様は正にその担い手でございます。 元気に・明るく参りたいと思っています。

 今年も余すところ指折り数えることが出来る日数となりました、どうぞ健康に十分留意されお過ごしなされますと共に、“静かで、穏やか、シットリした・文化の香りする日本”の新年を迎えられますことを合せお祈り申し上げます。
 最後に、改めて結婚式・披露宴へのお運びに感謝申し上げ、これからも両人へのご助言、ご教示を重ねてお願い申し上げます。  ありがとうございました。  早々



 




 
                            平成18年12月9日 記

  お知らせ

〜今週も「新聞を読んで、眺めて、切り抜いて」を〜
     (12月4日から12月9日まで)
   コラム2−D NO221に掲載しました。


     意外でした。  纏めて掲載しましたら、反応がありました。


 COLUMN 1−D  NO637
                            平成18年12月9日 記

      今秋、撮影した夕焼け(夕日)


 この秋、何度か散歩の途中で眺めた夕焼け(夕日)を掲載してきました。
 まとめて、紹介してみましょう。
           
        9月28日、陽が沈んだ後、残光に浮かんだマンジュシャゲ
 
            
         10月26日 撮影、目に映ったものと大違いでした。

             
   その翌日 10月27日、読者要請により、夕日に照らされた稲垣さんを撮影しました。

          
  11月25日の夕焼け。私は前回と異なる夕焼けを見たつもりなのですが、ほとんど同じ。

          
               11月29日、何処に感動したのでしょうか?

            
   12月4日、私の目に夕日は見えませんが、目の前の道樹山が燃えていました。
   
                そして、12月8日です。↓
           

          

           

 連続して、眺めてみると出来、不出来がわかります。 と同時に陽(日)自体は常に常態なのでしょうが、受ける私の感覚、感情が画面に出ているようにも思えました。

 「延命十句観音経」にあります、「常楽我浄」、「徳」「徳」「徳」「徳」。
 「常徳とは不生不滅、不増不減の哲理なり。 
      常徳とは公平にして無私。 天上の月、常住不変なり。
         常徳を養うは諸行は無常、一瞬一瞬が絶対なり。
             大宇宙より見れば、不生不滅、現象は無常なり。」と教えています。
 


                            平成18年12月8日 記

  お知らせ

9・11アメリカ・テロから〜イラク戦争〜そして今

 
ピース・ボートの洋上地球大学を申し込みました。
56回の地球大学の全体テーマは『平和への架け橋>〜紛争の過去から共に生きる未来へ〜です.。                                            
 3つあるユニットの中から「ユーゴ紛争に見る”戦争のつくり方”を選択しました。        
指定図書あり、それを読んでの感想文や考え方、参加した動機は? あるいは、洋上大学で何をしたいかなどの事前質問や宿題がありります。                          
 それらに答えていましたら、イラク戦争に関して自分はどのような感じ方、考え方、そして発言をしていたのか、過去のものを拾い出してみました。                       
 それを「コラム 2−N NO220」と「エッセイーB 政治・経済・社会欄」に掲載しました。

       
 COLUMN 1−D  NO636
                            平成18年12月4日 記

  夕焼けの美しさよりも、ヤンキース


 後日詳しくは掲載する予定ですが、ピースボードの第56回クルーズ船上で「地球大学」が開催されます。  『平和への架け橋』〜紛争の過去から共に生きる未来へ〜との全体テーマの下、3つのユニットが用意されています。
 その中の「ユーゴスラビア紛争に見る”戦争のつくり方”と言う講座に参加することにしています。 
 本日事前に提出する<地球大学志望動機書>と、参考図書の指定があり、それを読んでの感想や考え方、何に一番興味を抱いているかなどのレポートが義務付けられています。
  その場で考えたこと、思ったことをメモして散歩に出かけることにしました。

           
    私の目には見えない沈む夕日が道樹山の紅葉を一層赤く染めていました。

    後ろを振り向くとこれまた、電線が夕日に輝きイルミネーションのようです。
            
 
 感激して学校帰りの野球ユニフォームに身を包んだ中学生に、指差して示したのですが、さして感激した様子もなく、私が振り返ったときには、坂を下ってゆきました。

 彼らの会話は今期ポステイング・システムでアメリカン大リーグに行くことになっている松坂選手、井川選手、それに大活躍のイチロー選手の所属するチームの話に夢中でした。

 先ほどメモした中に、「海に隔てられた小島にあって、中国・韓国経由で文明・文化が渡ってき、また、近代以降は西欧文明・文化が導入された。 
 その日本の幸運が今日を生んでいるのだろう。 そして戦後は”平和ボケ”の中で動物的感覚が失われ”感覚マヒ”になっている現状の日本。 年長者としてのその責任の一端はある」などと書いておりましたので、野球少年の会話にスッカリ、夕日の感激が薄れてしまいました。

 本日掲載しました、「コラム 2−N NO219 ”本当に、あの船井幸雄先生が知らなかっただろうか?”をぜひ、お読みください。


                            平成18年12月3日 記

  お知らせ

初めてコラム2ーN NO218
「新聞を読んで、眺めて、切り抜いて」に1週間分を掲載

 
 特に変わったことを書いたり、感じたり、考えた訳ではありませんが、一記事に一反応のコメントをするのとは、異なった感触を受けました。                          
時間がありましたら、覗いてください。           

 COLUMN 1−D  NO635
                            平成18年12月1日 記

  11月28〜30日のこと
   築水池に水戻る。 蜂屋柿は全滅。

 
 11月28日〜築水池の水が四分の一戻りました。
 NO 606(10月6日付け)で築水池の水が空になったことを書き、  NO 610(10月13日付け)で再びバルブが閉められて、貯水が始まったことをお伝えしました。
 それから50日の経過しましたが、やっと四分の一しか貯水されませんでした。
 この間、雨が少なかったことにもよりましょうが、改めて池の大きさを感じました。
         

   11月29日の夕日 ↓
         
 築水池とこの夕日の撮影場所の間には、遮る小山があります。 この夕日に照らされているのが、築水池の周りの木々と、遠くに見える道樹山、弥勒山です。

 11月30日は例年より1週間遅れで、飛騨金山に「蜂屋柿」を収穫に行きました。
 と言っても、9月末の栗拾いのとき、今年は出来が悪いことを確認していましたので、期待はして行きませんでしたが、それが何と”たった一個”だったのです。

            
         お隣の「白川茶畑」をバックに貴重な一枚を撮りました。
 
 数年前にもこんなことがありました。 そのとき買い求めたお店のことを知っていましたので、帰りの道すがら立ち寄って買い求めようとしましたが、何と売れ残りも売れ残りの小粒の蜂屋柿が30個しかありません。
 「それでも残っていただけでも良かった」と日本で50数人しかいないという、「シイタケアドバイザー」の称号を持つ叔父さんに言われてしまいました。
 
 今年は全く不作だったそうです。その上に猿が出没し、渋柿ですので、次は甘いか、次はどうかと次々にもぎってしまったということです。

 12月1日、30個の蜂屋柿を剥いて吊るしましたが、昨年は300個以上もあり、最後は剥くのがイヤになってしまいましたが、今年はアッという間の時間でした。
             

 吊るした柿の右側は「ロウバイ」の木です。 例年ならほとんど落葉しているのに、まだ青い色をして残っています。 吊るし柿にとっては、寒くなることが良いのですが・・・

 COLUMN 1−D  NO634
                            平成18年11月27日 記

  雨一時降り止んだ、ナンキンハゼの街路樹

 
 月曜日の朝、傘を差して子供達が8時前に登校して行きました。
 ごみ収集場所に本日は燃えない塵が積み上げられてゆきます。
 昨夜半から降っていただろう雨で、ナンキンハゼの葉が歩道に敷き詰められました。

        
   
                            
 午後からは雨も一時上がるとの予報ですので、歩道とナンキンハゼの葉が乾いてくると、各家の前が掃き清められます。 中にはその葉を家庭菜園用の堆肥にされる方もおられ、向こう三軒分以上に竹箒でかき集めておられる方もいます。

 上記の街路樹の景色撮影のためにカメラぶら下げて、立ち上がったり、座ったりしていましたら、塵出しにこられた10軒向こうの奥さんが「綺麗ですね、気がつきませんでした。このまま帰ってしまうところでした」と膝を折って眺めておられました。
 その後、女房と何を話しているのやら、10分間以上も長話が続いていました。

 
                            平成18年11月26日 記

  お知らせ

〜百姓学校の11月定例会(11月25~26日)
 を、エッセイ C「自然との交流」に掲載しました〜


 

 COLUMN 1−D  NO633
                            平成18年11月25日 記

        11月24日の夕焼け


 今週に入ってからの受講ノートがほとんど整理されていません。
 毎週木曜日は火曜日、水曜日のノートを整理する日にあてていたのですが、昨日は”コラム 1−D NO 632”に書きましたように、「楽しい、楽しい時間を過ごしました」ので、全部溜まってしまいました。
 朝から取り掛かりましたが、こんな時に限って受講ノートの記録量は多く、それ故に走り書きで書き留めていますので、自分の字が読めません。
 しかも、25日からは定例の百姓学校ですから、24日中に仕上げないと記憶は薄れて、さらに難度が増してしまいますので必死でした。

 フト気づくと午後の4時を廻っていました。 気分転換も兼ねて散歩に出かけることにしました。 少し小高い所からチラリと見えた沈む夕日は真っ赤です。 それをカメラに記録しようと足早に、空が開けたところまで来たのですが、既に陽は西の空に沈んだ後でした。

        
      この映像は私の眼に写ったものとはかけ離れています。
 上空に広がる黒い雲は、ウロコ雲でそこに残照が反射して、綿雲が何段にも重なり舞っている感じだったのですが・・・・
 感情や思いを持って眺め・捉えたものと、機械的に反応した違いでしょうか。
 でも専門家は、自分の心に感じたものを一枚の映像として提供することが出来るのですからたいしたものだと感心します。
 こちとらは、時折カメラの性能に助けられて、自分でも思わぬ作品になることがありますが、正にまぐれであって、プロとは常に一定のレベル以上に仕上げていることを改めて感じた次第です。
 
 その場に、数分立ち止まっていましたら、その空の下を流れる小さな大谷川に龍が降りてきたように、水面が光っていました。
        

 と、このコラムを書いたのは、25日午前5時半です。
 3時に起きだして、残っていた受講ノートを一本仕上げた後です。 
 まだ、21日(火)に聴いた講演「ホロコーストからの生還_わが母の逃亡譚」が残っていますが、今から一眠りします。 
 本日は畑のサトイモをタップリ掘り出さなければいけませんので・・・
 頭が冴えていますので、眠ることが出来るかどうかです。

 と、書き終え顔を上げましたら、窓の向こうの山は白々と夜明けを告げておりました。
        
      もう、新聞は配達されておりますので、眠ることは止めます。
 お勤めしていたら、なかなか出来ない贅沢をさせていただいております。 感謝。

 COLUMN 1−D  NO632
                            平成18年11月24日 記

  あ〜、昨夜は楽しかった、楽しかった
 〜一夜明けての、大久保池の紅葉〜


 昨日は中部大学の「ヨーロッパを知る」を一緒に受講している聴講生メンバーと、担当教授の小島研究室でゼミ生と共にコンパ(今はなんと言うのでしょうか、飲み会と言うのでしょうか)に参加しました。
 聴講生5名、ゼミ生6人、先生のお友達2人の合計14人でした。 本棚で仕切られている応接間はイッパイでした。

   

    午後の4時から始まリました。 。
 ハンガリーに長く滞在されて居られた先生が、当日の朝から用意していただいていた「ハンガリー・シッチュー」が実に美味しかったです。
 それに、あまり期待していなかった(失礼)「ハンガリー・ワイン」(ボージョレ・ヌーボーも含めて1ダース))が、これまたなかなかのものでした。

  

 話はアチコチに飛びまくりましたが、兎に角、どの会話も楽しいのです。
 一人それぞれに3人前を思い思いに持ちよりでしたが、これまた個性ありでバラエテイーに富んでいました。 テーブルに置ききれないほどです。(写真撮り忘れた)
 さぞや、残ることだろうと思っていましたが、先生のおっしゃるとおり最後は、ほんの少しのお土産分になってしまいましたが、夜食にと言って持って帰られる学生がおり、全て完売です。

 当日東京と京都に帰られる方がおられ、アッという間の4時間でした。
 最後はハンガリー・ワインのお土産までいただいて帰りました。
 次回は「年明けに、新年会を開きましょう」と言っていただきましたが、これまた待ち遠しいことです。 今回都合で欠席された方もあり、きっと次回は入りきれなくなるのではないかと、今から心配しています。


 翌朝11月24日、何時もの散歩コースの「緑化公園・植物園」の大久保池の”ラクショウ”の紅葉が朝日に照らされているところを撮影に行ってきました。

    

                         

         

 今朝の中日新聞の広告欄に、雑誌「百楽」に五木 寛之さんのインタビュー記事が載っていました。 「生きていて良かった」といえる晩節の生き方。
その中に「定年は、人生の素晴らしい黄金期の始まりであり、人として価値ある時間を過ごせるラストステージである。 この60歳からの過ごし方で、貴方の人生が豊であったか、貧しかったかという評価さえ決まる」と語っておられました。

 年が明けると65歳、統計上でも老人の年代に入りますが、「生きていて良かった」と言える日々を過ごさせていただいていることに感謝せずにはいられません。



 COLUMN 1−D  NO631
                            平成18年11月22日 記

  やっと、里にも紅葉がやって来た


 本日は「小雪」と言っても、昼の最高気温は名古屋で17度と言うことで、「小春日和」の温かい一日になるとの予報です。
 書斎から眺められる目の前の「春日井3山」も秋の気配と成りました。

          
      手前の赤の手すりは、お隣の盆栽屋さんの屋上のものです。

 ほとんど毎年ここに登場する景色ではないかと思いますが、めぐり合えるとホットするやら、やがて来る寒空を想像してブルッと背中を通り過ぎるものを感じます。

 例年より送れて庭の手入れに入りましたが、午前中一日3時間の作業で、あと4〜5時間で終了するところまでになりました。
      その庭にある愛知県の県木「ハナノキ」が色づきました。

                
 これまた、毎年書きますが、我が家に来た時には直径1センチメートル、高さが30Cmでした。 確か3度植え替えて現在地で街路樹のナンキンハゼと競い合って紅葉を楽しませてくれています。

 その隣では、大きな栗の木の下で、モミジがこれまた真っ赤に紅葉です。
                

    今日も暖かくなりそうな、変わらぬ晩秋間近の景色を眺めています。



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