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 COLUMN 1−D NO690

                                平成19年7月10日 記

      
        好きな花「グラジオラス」
 
〜一昨日、持ち帰ったジャガイモの味はグッドです〜


 7月8日、百姓学校に行ったとき、花畑のグラジオラスを切花してきました。
 どこかで、5年前から始めたと書きましたが、よくよく考えてみましたら6年前でした。

 当初は西側の畑(野菜ばかり)がありました。 が、6年前休耕田になっているところを、近くの方から2反(約600坪=2000平方メートル)借り受けました。 当初はササや大株のススキで覆われていました。 
 
 借り受けたからには、管理をしなければなりません。 年に2回ほどは草刈をしなくてはならないのですが、手が回らずで、地主さんが見かねて(というよりは、自分の所有地でもあることからして)、草刈をしてもらいました。
 翌年になって、そのうちの30坪=100平方メートルを開墾し(少しオーバーな言い方かな)、花畑にしました。

 自宅の庭に咲く花の種をまいたり、誰でも・何処でも栽培できる花を植え込んでいました。
 立派な花は咲きませんでしたが、耕地面積は毎年広がってゆきました。 
 高山の親戚から菊の苗を送っていただいた年には立派な花をつけました。 その年はダリヤも上出来で、参加者にはご自宅で待つ奥様へのお土産となりました。

 最大の時は100坪を越えるほどになりましたが、先ほどの菊は根が残っていますので、そのまま翌年も成長させたのですが、前年ほどの出来栄えではありませんでした。
 あとで判ったことですが、菊は毎年か少なくとも2年に1回は新しい苗に切り替えないといけないということでした。
 そうですよ。1回植えたら後は何年もOKならば、苗菊の出荷農家はお手上げですから・・

 4〜5年程前から、百姓学校へ生徒の新規加入もなく、同時にバブル崩壊後10年、現役務めの方々は、休日出勤も増えてきたのでしょうか、一人・二人と減ってゆきました。
 
 毎年、花の終わった秋には、グラジオラスの球根も掘り上をしていましたが、それもおぼつかなくなり、昨年はそのまま放置しておきましたが、グラジオラスは強い花なのでしょう、数は半分ほどになりましたが、今年もそれなりに花を咲かせてくれました。
 手入れのしていない分、背丈が大きくならずで、風で倒れることもなく十数本を自宅に持って帰ることになりました。

 豪華に、『投げ入れ流』でリビングを華やかにしてくれています。

               

               

 今年の花畑は当初の30坪ほどの面積になってしまいました。 しかも、手入れはゆきとどいておりません。
 咲き誇れば、綺麗な花々であり、花畑ですが、愛情を注がねば答えてはくれません。

 それに引き換えてという訳ではありませんが、昨日報告しました「コラム 1−D NO689
”サトイモの土寄せ、ジャガイモ掘り等”の畑の出来栄えは、実に順調です。

 ジャガイモは「キタアカリ」と「男爵」を食べ比べてみましたが、どちらも美味しかったです。
 この3年ほど、サトイモの美味しさは自信がありましたし、購入していただいた方からもリピート・オーダーがあり、売れ切れになった昨年でした。

 今年はこのジャガイモならば、間違いないと自信を持ちました。 向こう三軒の方にはお裾分けをしようかなと、駐車場で乾燥させています。
 
 


 COLUMN 1−D NO689

                                平成19年7月9日 記

  人手不足で大忙しです

〜田圃の中耕、サトイモの土寄せ、ジャガイモ掘り等〜    


 7月7日に予定していました麦の脱穀が雨模様で中止。 その日、O氏は登校して、田植え約4週間後の第1回目の”中耕”をされました。
 その日の夕刻、「ジャガイモ掘りの時期になっているので、よろしく」と電話あり。

 翌日の8日、早朝N氏に電話すると、「行く予定で準備をしている」との返事。
 9時少し過ぎに到着すると、名古屋から50CCバイクで2時間かけて到着しており、既にカボチャ畑の草刈とネギ畑の草取りをしておられた。
 彼もジャガイモ掘りと聞いて駆けつけたのであるが、ジャガイモを乾す場所が無いということで、別の作業になっていた。(他の人たちのジャマイモが乾されていた)

 百姓学校の常連出席者が現在4名となり、兎に角人手不足であります。
 N氏は2時間ほどの草刈と草取りのあと、仕上げなければならない仕事があるといって、早々と引き上げてゆきました。(往復4時間、作業2時間と言う慌しさです) 

 さて、私は2週間前に草取りと土寄せをしたサトイモ畑です。 たった2週間で・・

     

 ↑ 草の中にあるサトイモ、隠れているものもあり、 ↑ 草刈後の状態

    

 ↑草を脇に取り寄せると・・・・            ↑小型耕運機で草かきと土寄せ

 その後、手作業で畝返しをします。 写真を撮っているユトリもありませんでした。

 キュウリ、トマト、ナスの収穫もしました。
 来週のジャガイモ掘りのために、既に茎が枯れて、位置が分かりにくくなり始めたジャガイモ畑の畝の草抜きを這いずり回ってしました。(この方が、太ももに負担が来ない)

 ご覧のような立派なジャガイモです。

               

 今年はほとんど”男爵ジャガイモ”↑ですが、2畝↓「キタアカリ」の収穫も望めます。

               

               ご覧の様に、とても良い出来栄えです。

 一昨年のサトイモと言い、昨秋からの野菜、本年収穫して「タマネギ」もこの10年間で最高の出来です。
 
 なぜかを考えないと進歩がありません。 昨秋の秋野菜のときは、種を蒔いた時期が良かった、その後の適度な雨、牛糞の効果、木酢のかけた時期が適切などの他に、人間は種自身の持つ力のお手伝いをするだけという、謙虚な気持ちや感謝が彼らに伝わったのではないかと思っていましたが、今朝気がついたことがあります。
 
 やはり、上記の要因も重なったのでしょうが、なんと言って土自身の力ではないかと思いました。(其処にある微生物の力も加わって)
 と言いますのは、それまでの私たちの畑は、山を削り取った後の畑でした。 拾っても拾っても、小石は混ざっています。 2年ほど牛糞をいれ、使い込んでくるとサラサラとした土に変わり、色も黒々としてきました。 既に使い始めて10年近くの畑です。

 が、花畑として始まった東側の現在メインとして使っている畑は、長い間田圃でした。(何時頃かは知りませんが、山肌を崩したもであることには変わりはありません)
 5年間ほど休耕田になり、年に2回ほどの草刈が行われるだけで、放置されて居ました。
 其処を、お借りして5年目でしょうか。昨秋から特に野菜の出来がよいのです。

 元が田圃であったころの力が蘇り、戻ってきたのではないかと考えました。
 今週の3連休の内の一日はジャガイモ掘りと麦の脱穀を予定しておりますが、なんと言っても梅雨の時期、計画通りに行くでしょうか。

        それにしても、出来栄えの良いジャガイモです。




 COLUMN 1−D NO688

                                平成19年7月6日 記

      七夕飾り、その翌朝・・・
 
 〜むせ返るような、クチナシの花の香り〜


   ありました。夢実ちゃんのお願い事。  七夕短冊に・・・
 ここに掲載すると怒られしまうかな。 昨年は恥ずかしがってか(?)どうか分かりませんが、なかなか書いてはくれませんでした。
 今年は七夕飾りを見上げながら、短冊を請求してくれました。 昨日の夕方には吊るしてありませんでしたが、今朝、洗面所から覗いてみるとありました。

       

 「はやく大人になりたい」、「大きくなったら、学校の先生になりたい」と書かれています。

 私も子供の頃、早く大人になりたいと思ったことを思い出しました。 近頃の子供は、「大人になりたくない」と方がおおいと聞いていますが、夢実ちゃんは”先生”になるという目標があるからだろうか。 私の場合は・・・?自立心だったのかな?

 隣の短冊「小町とマロの子供が元気でありますように」とありますのは、夢実ちゃん家のダックスフンドの子供達が貰われていったからでしょう。
 高校1年生のお姉ちゃんのもありましたが、掲載は止めます。


 物置の影にある「クチナシ」の花の香りがむせ返るようです。 特に今年は例年の倍以上の花をつけました。
                  

              

 上記の写真は園芸用として最も好まれると言われているアメリカで改良された八重咲きの大輪種です。 そのほかに「フクリンクチナシ」「フイリクチナシ」「ホソバクチナシ」がありますが、それらの母種は一重で小さい「コリンクチナシ」=俗称「ヤマクチナシ」です。

               
 
  ↑「コリンクチナシ」かって、我が家にもありましたが、今は絶えてしまいました。何時もの散歩道に咲いているのは、この母種のコリンクチナシです。

    

                映像テクニックを使ってみました↑
    

 





 COLUMN 1−D NO687

                                平成19年7月5日 記

       七夕飾り、3度目で晴れ


 少し早いかと思ったし、雨模様なので止めた方が良いかと思いつつ、6月29日に庭の「黒竹」に今年も七夕飾りをしました。

 案の定、翌日からシトシトと雨が落ちだし、翌朝はシッカリ糊づけしたリンクを除いて、みんな落下していました。

 7月2日、再度三等分した短冊とリンク、更に「折切子」とボンボリを吊るしました。
 翌日から雨です。 これまたみんな落下です。

 7月5日、朝から晴れました。 今日はチャンスと再再度の飾り付けをしました。

             

 残っていた短冊もその他の飾り物もほとんど無くなっており、寂しげな飾り付けですが、なんと言っても、地面に根を下ろしている竹に飾り付けをするのですから、青々と、そしてイキイキと風になびいて、清清しい朝のひと時です。

 毎年、近くの子供達が願い事を書いて吊るしてくれます。 学校から帰ってくると、何と書いてくれるのでしょうか。

 小学2年生の夢実チャンがまだ字の書けなかった頃の短冊も残っています。
 昨年はなかなか書いてくれませんでしたが、今年は7月2日に「もう七夕飾り、早いな〜」と言って見上げておりました。
 「何か書くか」と訊ねたら、「ウン」と言っていたので、キット何か願い事を書いて吊るしてくれることでしょう。





 
                            平成19年7月4日 記

  お知らせ
   〜久しぶりに、本を読んでいます。

  『魂の叡智』”日月神示” 中矢 伸一・著


 『<日月神示>を読んで感じたこと』をエッセイ B政治、経済、社会欄に掲載しました。
 
 どなたも一度は耳にしたことがある「フリーメーソンとは」「イルミナティとは」「プロトコロ(議定書)とは」に関することです。

 このところ、またまた「オオカミ爺」が頭をもたげています。
  




 COLUMN 1−D NO686

                                平成19年7月1日 記

 知多半島・美浜にて海の幸を堪能してきました

 〜このところ、晴れ男が勝利しています〜


 6月30日、知多半島の美浜町・山田海岸近くで海の幸を堪能してきました。
 旅に出る、何か行事をするといいますと、雨にたたられていましたが、昨年の後半から1週間前の予報では雨とか、時々雨とかの予報が当日になりますと、雨の心配がなくなります。 このところ「晴れ男」が勝っているようです。

残念ながら、イッパイ頂いた後のためか、写真は掲載するような出来栄えのものがありません。

 6月6日、船から上がったて1ヶ月近くが経過しますが、食べるものがすべて美味しいのです。 船中でもそんなに悪い食事だとは思っていなかったのですが、どこかで諦めていたのでしょうか。
 飲み代込みで2千数百円のチェーン店での食事でも美味しいと思えるのですから・・

 其処に、昨日は獲り立ての「タコ」「エビ」「シャコ」「ボウ・コウナゴ」と、イワシの子供が次々です。
 絶品は地元では「メジロ」と呼んでいました、『アナゴ』の稚魚です。 今が一番油が乗っているとのことですが、「うなぎ」のようにくどくなく、体長20センチメートル、直径1センチメートルを背開きにして、醤油で味付けして干物にしたものを軽く焙って食べます。
 お酒のつまみにはもってこいです。

 確か、5年前の時には、もっと大物が獲れたはずでしたが、今はダメになったということです。 
 『海が弱っている』と表現されていましたが、海が、地球環境が痛めつけられていることを目の当たりにしました。

 穏やかな、内海の天然温泉に入り帰宅しました。
 何とか映っていた写真を掲載します。

    

 日差しが強く、ブルーシートをテント代わりに。 後ろの網模様は「ハイポニカ農法のトマトハウスです。 ここでも5年前から九州で発生した「??虫」が徐々に北上、6ミリメートルの網目を通過して、トマトに付着して色々手当てをしているが、ほぼ全滅で、ゼロからやり直しですと言っておられました。

 どうも、世の中思いもよらぬことが次々と発生し、避けては通れない時代の変革が進行していることを、ここでも知らされました。
 
   





 COLUMN 1−D NO685

                                平成19年6月26日 記

  散歩道・定点観測第?地点

     〜都市緑化植物園・大久保池にて〜


 昨日(6月24日)のサトイモの草取りと土寄せ作業で両腕に疲労感と鈍痛を感じている。
 雨がダンダン強くなり、力任せに作業をしたためだろう。

 6月25日、夕方になると雨も止み、湿気の多い空気の中の散歩となった。
 船旅から帰って、毎度の散歩道を歩くのが、日常化してきました。
 昨日の定点観測地点が何番目かは分かりませんが、ここも春から夏の緑、そして晩秋の紅葉は何時も足を引き止めます。

      


    

  昨日の写真の出来栄えは例年に比べてかなり落ちます。慣れのなせる業でしょうか。
      

 




 COLUMN 1−D NO684

                                平成19年6月24日 記

  6月23日、麦刈りは終わっていました。

 〜6月24日、早朝に駆けつけて、雨の中で・・〜


 6月23日は百姓学校の定例会でしたが、急遽決定した甥の結婚披露宴に参加しました。(コラム1−D NO683)

 6月24日は早朝から車を走らせて、瑞浪に。 が、出発する頃には細い雨が走り始めました。
 昨日は、強力なメンバーとは言いがたい方が、麦刈りとハザ掛けです。 多分実施していないだろうと想像し、本日が雨ではもう一度出直しかと覚悟をしていましたら、何と麦刈りは終了しておりました。

              

     

          気をよくして、小雨の中タマネギの収穫をしました。

               

 写真でも、なかなかの出来栄えと思われませんか。 そうなんです、10年目に入った百姓学校ですが、一番の出来栄えです。
 昨秋の野菜に続いての大満足です。 大満足の理由にはもう一つ訳があります。
 
 校長の指導を離れて実施したからです。 「そんなやり方なら、もう教えない」とそっぽを向いて帰っていったのは、昨年の秋のことです。
 奥様は手伝ってくれたのですが、校長の手前か、畝幅や苗の間隔を訊ねても、「私は知らない」と答えておられました。 という、事情があったからなおのこと大満足なのです。

 自然、太陽、土、牛糞、苗を植えつけたあとの雨の量とタイミングがキットうまく言ったのでしょう。
 人間のやったことはほんのチョッピリ、タマネギの苗自身(種を購入してきて、自宅のプランター苗床で育てました)に力が備わっていた、そのお手伝いをしただけです。
 格好をつけて言っているのではありません、本当にそうなんですから・・・。 
 こちらの心根に欲や傲慢さが出ると、てきめんなんですから・・・

 その外は、夏野菜が収穫間じかになりました。 ナス、キュウリ、ピーマン、トマトの支柱の補強に、実り多くて、枝が折れないように紐で引き上げました。

     

 そのほか、ネギが周りの草に負けて、融け始めておりましたので草取りです。
 サトイモも草の陰に隠れています。 草取りと土寄せをしました。(写真を撮るユトリがありませんでした)

 そういえば、試掘りのジャガイモと先ほどのタマネギなどを煮込んだカレーは大変美味かった。
 雨が本降りになり、午後からの作業は中止としました。






 COLUMN 1−D NO683

                                平成19年6月24日 記

  甥の結婚披露宴で、京都に行ってきました

 〜真夏の太陽の下、平安神宮にお参り〜


 色々なことが重なって、急遽決まった「甥の結婚披露宴」。
 いかに、急であったかを物語るように、花嫁の実家は山梨県、今葡萄の仕事の真っ盛りで、出席できず。 私の兄弟もそれぞれに予定が入っていて、私が親族代表であった。
 (かく言う、私も百姓学校を休んでの出席だった)

 この日は梅雨の中というのに、真夏の太陽であった。 夕方の散歩が出来ないことが分かっていてので、京都駅から地下鉄で東山へ、会場に到着すると、まだ1時間あった。
 そこで、平安神宮にお参りしました。

                 

     

 この後に控えている披露宴には、なんとなく巫女さんがピッタリな感じがしました。

                

     披露宴と言うよりは、お披露目お食事会という感じ、花餅が飾られタお部屋で

                
   
                     このようなお庭を背景として

         

      実に、爽やかなお似合いカップルの微笑みに楽しいひと時を過ごしました




 COLUMN 1−D NO682

                                平成19年6月22日 記

  通学路の鉄砲ユリが満開となりました。

 〜6月20日。交通安全の日”おおとり君”はお休み〜


 6月15日、「コラム1−D No679]で紹介した、我が家の定点観測”鉄砲ユリ”を掲載しました。
 それから6日経過して、通学路に面したところだけでなく、庭の中も含めて全ての鉄砲ユリが開花しました。 満開です。

                

            

               香りは弱いですが、存在感はあります。 

 6月20日は「交通安全に日」でした。 この三叉路のもう一つ上に、時々接触事故がある交差点があり、今年の春から町内の副会長になった女房は安全の日には、安全帽子と安全旗を持って交差点に立って小中学生を送ります。

 学校は朝の8時30分始業ですので、15分までには通過することが必要ですが、”おおとり君”と名づけられたOさん宅の兄妹が時間オーバーで通過して行く段階で、終了となるのだそうですが、20日に日はいくら待っても来なかった。 
 
 時間ぎりぎりだと、親が車でつれてゆく(と言っても家から、校門までは250メートル弱です)姿を見たことがあるので、本日もそのコースだろうと帰ってきたという。

 昨日、その兄妹に会ったので訊ねたところ、風邪気味で学校を休んだということが分かった。 小うるさい小父さんと小母さんが居るので、中学生になったU君は遠回りして行く様だという。
 
 7月7日は七夕祭りである。今年も庭の生竹に飾り付けをしようと思っている。




 COLUMN 1−D NO681

                                平成19年6月20日 記

 3年ぶり、「南高梅」の収穫

 〜何と80Kgの収穫です。 嬉しくて悲鳴です〜


 今年の梅の収穫は、大変よい出来だと言う方と、不作でしたと言う方が半々です。
 私の関係している梅も「飛騨金山」は全滅でした。 
 
 後から耳にしたんですが、畑の管理を依頼している方が、どうも除草剤を蒔いているようです。 昨秋の蜂屋柿も実のつくまでは順調だったのですが、収穫時期直前から大きくなった実がポタポタと落ちてしまいました。 そのときもキチンと堆肥を施していたのにおかしいと思っていましたが、栗は例年どうりに収穫できましたので、疑うことをしませんでした。

 梅のほうは山間部なので、真冬になると小鳥達の食糧がなくなると、梅の花を食べるとは聞いていましたが、梅の木も成長し3年前には、それなりの収穫をしました。(この年は、防鳥網を仕掛けました)
 今年の2月に出掛けて見ると「ミの一つだに、なきぞ悲しき」でした。

 義姉が畑の管理をやめるように伝えたといいますから、今年から再び出直しです。
 栗は強いから平気なのでしょうか。 梅と柿、そういえばスモモも実を付けていませんでした。 花木も除草剤を蒔きすぎると、親が自分の身を守るために子(実)を落としてしまうのでしょう。 早く子孫を残さねばと実を付けることよりは、まず自分のことなのでしょうか?

 一方、木曽川の鵜飼で知られている鵜沼の梅の木は、3年ぶりに再び立派な実を付けました。
                  

    

 写真ではお分かりにくいでしょうが、一粒の平均が約50グラムです。
 和歌山県の品種「南高梅」です、同じ品種でもこれだけ大きなものはスーパーの店頭にはなかなかどころか、ほとんど登場しません。
 3年前、この梅の剪定をしました。 かなり思い切っていたしました。 太枝が込み合いすぎて日当たりが悪くなっていたからです。
 翌年も、同じような剪定をしました。 2年間、梅の収穫はほぼゼロでした。

 失敗したかと思ったり、約30年も経過した梅木だから、寿命かとも思っていました。
 昨日、義姉から梅が獲り頃になったから、来て欲しいとの電話が入りました。
 少しは収穫できるかと安堵すると同時に、ヤレヤレという気持ちもありました。

              

 それが、どうですか1本の梅の木から80Kgの素晴らしい梅の収穫となりました。
 足場が良いように、枝の剪定をしておりましたので、98%は収穫したと思います。

               

    

 汗ビッショリで2時間半かかりました。 それからですよ大変なのは、義姉は10Kgもあればよいということで、全て頂くことにしました。
 持ち帰る道中で知人に電話をするやら、女房の友達に差しあげたり、梅酒以外の「梅ジャム」「梅ジュース」の作り方を教わってくるやらですが、基本は”梅酒”です。

 結局、翌日(6月20日)の朝までも作業が続きまして、30リットルの梅酒を仕込みました。
 出来上がっている2年ものの梅酒の瓶は全てペットボトルに移し変えて、1・8リットル用ビンで十数本、2.6リットル用のビンを5本を、和室の天袋に仕舞いこみましたが、敷板が抜けるのではないかと心配です。

 1年、2年、そして3年の月日が経ちますと、飴色の美味しい美味しい梅酒になります。
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