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                                   平成19年8月7日 記

 南信濃村(現・飯田市・上村・遠山郷)への旅支度

 〜「遠山藤原学校の図書館」に持参品、荷造り〜

 〜「英国衰亡論に学ぶ」、三度目となる?〜


  船旅帰国後2ヶ月、参議院選挙が終わり、予測通りの結果に安堵してか、それまでのパソコンに向かってひっきりなしに入力していたことにいささか疲れてか、書斎の整理や「インド旅行前の資料の整理」となった。

 インド旅行の前に国内で行って見たいところがでてきた。
 長野県の諏訪湖周辺から霧が峰、そして”オークヴィレッジ”の月間情報誌で紹介されていた松本市奈川の「奈川娯楽部。 ここには20年前、オークヴィレッジが飛騨にある事すら余り知られていない頃に納入された飛騨産の長さ3・4メートル、幅1メートルもあるミズナラの一枚板の大テーブルがある。

 コース計画を作成中に、藤原事務所の「遠山藤原学校」の開校のことを知り、その関係・関連を見たり読んだりしているうちに、ここにも是非立ち寄ろうと思いました。
 そのことは、このコラムで昨日書きました。

 エイヤーと本は閉じましたが、今度は「遠山藤原学校の図書館」の開設の記事が記憶に残っており、訪ねるならば書棚で溢れている本を引き取ってくれるかを訊ねると、「持参していただけるなら・・」との返事です。

 昭和40年1月(?)から毎月1巻で、中央公論社・発行の初版本「日本の歴史全26巻と別冊」の引き取り手がやっと決まりました。(なんと1巻450円です。 今は?)
 と言いますのも、既に2年ほど前から書棚から降ろして括ってはあったのですが、貰い手がなかったのです。 
 この間、公共と大学の3ヶ所の図書館に丁寧に断わられました(既に所有していると)。 やはりこれもご縁ですね、遠山に行くために待機していたのでしょう。

 同じ頃整理した300冊程の書籍は百姓学校に持ってゆきましたが、そのまま積み上げられているだけですので、これも積み込んでゆこうかなと思っています。
 
 話が横道に逸れます。本の話ではありますが・・・

 今朝、病院へ高血圧の検診と薬を貰いにゆく時、「英国衰亡論に学ぶ」を持参しました。
 この本は昭和60(1985)年に購入しています。 そして平成9(1997)年に再読しています。 今回で3度手にすることになります。
 その内容を抜粋紹介する事は止めます。 が、さてこれからどうするのかと言うところに立たされた私たちに多くの示唆を与えてくれます。
 衰亡しないためにはどのようにしたらよいかの答えをくれるものではありません。

 かっての”ローマの衰亡”を取上げるまでもなく、18世紀後半、第1次産業革命をやり遂げたイギリスや20世紀前半から第2次産業革命をやり遂げ、「アメリカンドリーム」を世界にもたらしたアメリカ、と対比できるほどの第3次産業革命を成し遂げたわが日本というわけではありませんが、1980年代に世界が目を見張る省エネルギー技術の開発等による産業の進展と物的に豊かな社会を構築した日本、そしてバブル崩壊。

 私たちはバブル崩壊後にどのように対処したのでしょうか。
 結果、今日の不透明感に満ちた社会の実相と人々の緊張感とストレスの中での不満と不信そして不安な日々。
 「衰亡」と呼びうるほどの世界を作り上げたかどうかは疑わしいが、多くの人々が暗く・元気のないことは間違いなさそうである。

 角度を変えてみれば、明るく、元気で、楽しい社会の到来前夜と受け止めている人々が現実には散見されます。
 が、実体はまだこれからも続くであろう「消えるものは消える、誰にも、何処にもお役立ちしないものは静かに無くなってゆく」という時点に立っています。
 ここから始まる、試行錯誤の中で今一度反省の鏡として、この「英国衰亡論に学ぶ」は意味があると思います。 
 正確で客観的な認識の上で試行錯誤したほうが、より賢明ではないかと考えるからです。

 と思って、病院から帰り、再び書棚と睨めっこしました。 ここに積読よりも「遠山藤原学校の図書館」に貰っていただいた方が、何かのお役に立つのではと150冊の書物と藤原直哉さんが14年前から実施されている、開校当時の「藤原学校(当時は牛之宮学校、その後、藤原学校)」のテープや「松下幸之助さん」直々の講演録など、200本ほどのテープ(1本平均90分?)を梱包しました。

 8月9日に出発します。 何かウキウキしてきました。
 
 このところ写真が添付されません。そこで一枚。
 
 麦の脱穀が終わりましたが、シッカリ乾燥させないと製粉の時、製粉機が正常に活躍してもらえません。 そこで各自自宅に持ち帰り天日乾燥することにしました。
 自宅で電子レンジ等で実験しましたが、天日が一番です。 汗ビッショリですが・・・

          

 日当たり最高のベランダで、しかも反射シート(銀幕張り)ですので、早く乾きます。
 スズメさんも大勢やってきますので、書斎から飛び出しては追っ払っています。
    それで汗ビッショリ。





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                                   平成19年8月6日 記

 南信濃村(現・飯田市・上村・遠山郷)に行こう!

 〜他のことにサッパリ手がつきません〜


     http://www.fujiwaraoffice.co.jp/
  上記は藤原事務所のホームページのアドレスです。
 
 その藤原事務所が長野県飯田市南信濃・上村・遠山郷に「遠山藤原学校」を開設しました。
 上記のアドレスからも接続できますが、 直接的には「遠山郷に行こう!」
 http://plaza.rakuten.co.jp/toyamago/から入っていただきます。

 数日前から上記のアドレスにアクセスしたり、遠山郷を含めて諏訪湖、霧が峰、飛騨古川等にキャンピングカーで訪問する計画を作っておりますと、他のことにサッパリ手が付けられません。

 特に遠山郷の近辺を紹介する写真に見とれています。
 書棚からかって訪問した時の記録ファイルを持ち出せば持ち出したで、改めて地図に見入ったり、各種パンフレットを開いて時間が経過してゆきます。
 
 遠山郷の有名な「霜月祭り」と私が小学校時代の「花祭り」とは異なりますが、同じ天竜川の注ぐ支流の川に沿って、約750年前頃が起源のところは同じではないかと思いますし、花祭りも霜月祭りも湯立て神事があるところから、何らかの繋がりがあるのだろうと前から想像していました。が実際のところは知りません。

 手元の資料を見ると「霜月祭り」は、この地から妥女舎人として宮廷に仕えていた人々が、当時の宮中で行われていた湯立ての舞を持ち帰り、京都男山八幡を勧招して主祭神とし、それに農耕に必要な木火土金水の五神を合祀したといわれている。

 「花祭り」の本を引っ張り出して斜め読みしてみると、花祭りも霜月の湯立て神楽がもとであった筈であるが、祭りの内容が一つ変化し、独自のものとなっている。と書かれています。  やはり出所と五穀豊穣と家内(地域)安泰を願うまつりのところは同じと思えます。
 読み出したら切りがないので、エイヤーと本を閉じてしまった。

 どうぞ、一度遠山郷を訪問してください。 「しまった」とは決して言わないと思います。
 冬場の雪の頃も良いですが、最初の訪問は、今=夏がよろしいかと思います。
 
 パンフレットの写真を撮りましたが掲載は止めます。 素晴らしさを損ねてしまいます。
 「遠山郷」で検索し、一番上段「長野県最南端 秘湯と秘境の里」にアクセスしてください。 
 「下栗の里」などは、日本のチロルと呼ばれているところで、こんなところに本当に生活しているのかという急斜面にへばる付くように家や畑があります。
 空も星も綺麗です。それに人々は自信に満ち、里を愛する気持ちは最高です。

 解説はもうしません。 私も近々行ってきます。




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                                   平成19年8月4日 記

 「一区切りついたようです」

    〜”船旅から帰って60日目です”〜


 数日前まで、パソコンの前に居る時間は平均7〜8時間ではなかったでしょうか。
 その間、知人・友人へのメールの返信や交換もありましたが、大半は船中で書き溜めた日記等の校正やそこから連動し発想した(閃いた)思いや考え方・意見を入力しておりました。

 私のこのホームページのサブタイトルにもありますように、「大体毎日、時にまとめて、休日多々あり」ですが、ほとんど、休日はなかったのではないでしょうか。

 皆さんの目に触れないものも入力しておりましたので、わたしにとっては息つく暇もありませんでした。
 一時は何時まで続くのかと、自分で訝っているほどでしたが、数日前よりパソコンの前には座りますが、入力する・あるいはしたいことが種切れになったのか、いささか疲れを感じ始めました。

 横道に逸れたり、気づけば書棚の整理とでもいうのでしょうか、関連する本を引っ張り出したり、そこからまた枝分かれして、それに関連する場所の検索を始めて、写真に見入っていました。
 何本かの行き先・計画書も出来ました。(全て、キャンピングカーによる計画ですが、計画がまとまると、それで満足して書棚の前に地図や関連資料と共に積上げられています。
 どうも、腰が重たくなったようです。前なら直ぐにでも発進していましたでしょうに・・・

 
 一昨日からは書斎の古い(現役時代ですから、香港から帰国の後の1991年ごろから1998年ごろまで)ファイル資料を取り出しています。
 タイトルは@美・健康  A飲食 B超能力 C男の魅力・ファッション、性 D男と女
 E宗教 Eトレッキング・ストレッチ Fゴルフの上達 G日本論・日本人などです。

 これらのファイルは書棚の隅に隠れていましたが、どうしたことかこの間、2回ほど手が入りました。(朝の掃除の時に気にかかっていたこともありますが・・)
 
 そればかりではなく、一番隅にはかって現役時代に一番大切というか、これだけは捨てられないと残しておいたファイルのも手が入りました。
 A)経営理念、方針、考え方、ガイドライン
 B)戦略計画
 C)基盤づくり運動の展開 (脳力開発運動)
 D)日英対比、学習用資料
 E)香港アレコレとお話記録、 UNY(H/K)新聞情報(これは1986〜5年間)

 パラパラと捲ってみれば、たいした内容でも、資料でもないのですが、やはり今回も捨てずに元に位置に戻しました。

 が、@ABCDEFGのファイルは編集し直すことにしました。 例えば、もうゴルフはすることがないでしょうし、美・健康・トレッキング・運動も当時とは体力や柔軟性も異なってきておりますし、男の魅力ファッションなども興味の対象から大分遠くになっております。

 でも、それらの中にも捨てがたい情報や今でも通じる内容のものがありますので、レ・ファイルしようと思っています。
 仮のタイトルは@生とは 死とは、そして病と老 A健康、運動、飲食 B宗教 C世界と日本論・日本人論 D憲法・平和・戦争 E地球環境・自然・水・としてみようかなと考えています。



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                                   平成19年7月30日 記

  お知らせ
  
    「参議院選挙の結果が発表されて」

 〜たった一筋の流が分水嶺を越えたところだ〜


  7月20日に参議院選挙の予測を、「分水嶺は越えた。更にハッキリとよい流れにとなる」と題しまして、このホームページの「エッセイ B 政治 経済 社会」に掲載しました。


 本日は、その結果が発表されたのを受けて、考えるところ、思っている事を掲載しましたので、お知らせします。





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                                   平成19年7月30日 記

 百姓学校 7月度定例会  7月28~29日

 〜1ヶ月遅れの麦の脱穀とジャガイモ掘りなど


 当初は6月末に予定していた麦の脱穀が、その後に続く雨の為に乾燥せず、遅れに遅れ7月となった。
 稲架に架けた麦が乾燥する為には、3日間の日照りが必要ですが、2日間と持たない雨の為にノビノビとなった。
 雨の重みに耐えまねて稲架の竹のところが折れたり、支柱が曲がったりと、穂が地面に垂れ下がったりで一向に乾燥しません。

              

 7月28日も前日が晴天のみで、二重に架けられた麦の内側は乾燥していませんが、既に一部、稲架に架かったまま麦の穂から芽が出て折、乾燥させながら実施することにしました。
              

      霞がかかっているように見えるのは、埃が舞い上がっているからです。

      午前中に半分を済ませて、後は乾燥待ちとし、他の作業に入りました。

              
 
 これまた、3週間遅れになったジャガイモ畑です。 3週前に手抜きで草取りをしましたが、ご覧の通りです。 3週前はまだ残っていたジャガイモの茎や葉は全くありません。
 まずは、草刈をしました。

              

                   草刈後の状態です

    初日(7月28日)の夕方、残りの麦の脱穀を終了しました。
 
 さて、ここからは人手不足で記録をとっているゆとりがありませんでした。
 気がついてはいたのですが、日中の気温の高さで疲れてしまい、、カメラを向ける気にもなりませんでした。
 
     その後の、事を記録しておきます。

 @ジャガイモ畑の刈り取った草を、隣のサトイモ畑にばら撒く(この結果、日が地面に届かず、草が生えない)
 Aジャガイモを掘りました。 この9年間で最高の出来栄えです。(掘る時期が遅くなり、しかも、この間、雨の連続でしたので、腐って居るのではないかと思っていましたが、これは杞憂に終わりました。
 
 なお、奥様がその後に話してくれましたが、『ここに嫁に来て、これだけのできのよいジャガイモに初めてであった。 ジャガイモは微妙で本当に難しい』と。 他の畑のジャガイモとは違います。 大きさと量です。
 
 味も私の好みから言えば、これまたいままでで最高と感じています。
 前回も書きましたが、休耕田であった田圃が、その後の牛糞堆肥等によって、畑の土の状況がベストになってきた為ではないかと思います。(その間の手入れもあります)

 Bスクナカボチャ畑の草取りと、イノシシ防御の網張りをしました。
 なお、本日初なりを収穫し、切り分け、それぞれに持って帰宅しました。
 このカボチャも、連日の雨で受粉が出来ず、今のところ収穫出来るようなものはなく、これからの天候待ちというところです。

 C今年の春から2度目のネギ畑の草取りと、土寄せですが、何時も中途半端に終わってしまいます。 昨日も、にわか雨と雷で半分しか作業が出来ずでした。

 D田圃の畦の草刈を、小雨の中終了しました。

 E夏野菜のナス、キュウリ、トマト、の他にラッカセイなどの草取りと、収穫をしました。

 午後3時に作業終了し、「日本の変革をする為に」と一言言って、参議院選挙に急ぎました。

 車にはタップリの夏野菜、タマネギ(前回収穫し乾燥しておいた)、ジャガイモ、それに約2俵の収穫麦の内の半分を、3人がそれぞれ自宅で乾燥するために積み込みました。
 来月は乾燥したものを、製粉します。

 予定していた作業を今月もギリギリ完了でき、気分は爽快でした。
 その夜の参議院選挙の開票速報を枕もとのラジオを時折つけては、安心してというか、変化の一端が始まったかと考えながら、気持よく寝入っておりました。




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                                   平成19年7月26日 記

  お知らせ
  ピースボート船旅中の講座、第3弾掲載

 中米コスタリカの平和憲法を守った
    当時大学生であったロベルト・サモラさん


 前回の第1弾、第2弾の萩原さんの講座はなかなか人気がありました。
 私たち一般市民にはない視点からの「日本国憲法」への提言でした。

 続いて、憲法テーマで第3弾は、中米はコスタリカのロベルトさんです。
 コスタリカ政府の首相と大統領が、アメリカのイラク戦争に支持表明をしたことに対し、「それはコスタリカの憲法に違反する」と提訴し、勝利した過程を語っています。

 相変わらず、誤字脱字、変換間違い多く、完全な校正が済んでいません事を、ご承知置きください。

 なお、掲載は下記のブログです。

        http://taiki.blog16.jp/です。


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                                   平成19年7月25日 記

 今朝、目覚めの時、
 
「人の育成であり、組織風土・文化の問題である」 



 「今朝、目覚めの時、「結局は人材の育成であり、組織風土・文化を如何に創りあげるかが、終局の課題である」と、口にしているところで目が覚めた。

 何でこんな夢と言うか、想いが走って目覚めたのか、その背景が解らない。
 このことを書き留めて、本日の定例のインターネット上の作業に入ります。

 (この項は後ほどに続くことになるだろうと思って、他の画面に移動します)

 ”ワインが美味しかった今朝に・・・”と題して、少し長いメールの返信をしました。
 本日の冒頭のタイトルとは、関係ありません。 
 いや、全てのことが関係あるのかもしれないと思い返しています。
 だって、細胞に包まれた精神が、想いがその場そのときに反応したのですから・・・。

 その後のこと
 
特に平常と変わりはありません。
 しいて言えば、何時もはそんなに真剣に読まない「HADO=波動」の月刊誌の冒頭、「会長の”古代の叡智に学ぶ 水の叡智に学ぶ”を熟読しました。
 久しぶりに、「水五訓」、「水六訓」を目にして、改めて水の持つ不思議な力のことを考えました。

 その一つを掲載します。

  黒田 如水の『水五訓』

 一、自ら活動して他を動かしむるは水なり。

 二、常に進路をもとめて止まらざるは水なり。

 三、障害に逢い厳しく勢力を倍加するものは水なり。

 四、自ら潔くして他の汚濁を洗い清濁に入るのは水なり。

 五、洋々として大海を満たし発しては雲と変じ霧と化す。

  凝っては玲瓏たる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり。

 最高の善とは、水のごときものをいう。 水は万物を助け育てながらも自己を主張せず、誰しも嫌う低き低きへとくだる。 だから、「道」に似ていると言ってよい。

  水、それの位置するところは、低い。 心は、深く静かである。

 与えるに、わけへだてが無い。 言動に、偽りが無い・ おさまるべき時には、必ずおさまる。        動きには無理が無い。




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                                   平成19年7月24日 記

  本日のカメラ・アイ

 「ユリの花」と「夏の高校野球・愛知・春日井球場


           

      

            室外                    室内

 ユリの花は球根を購入してきた年が一番綺麗に咲きます。 (堆肥等を入れれば2年目以降も綺麗に咲いてくれますが、大抵の場合、手入れをしない)

 このユリはその一年目です。 鉄砲ユリやその他のユリが終わった後に咲いてくれました。 しかも、黄色の色が鮮やかで、香りもシッカリしています。
 
 雨の降り続いた日には、室内一面にたなびく様に香っていました。
 梅雨明け宣言が今日にでもあるのでしょうか、強い日差しに香りはとび、花びらも色あせてきた日にやっと撮影しました。


      
 
       全国高校野球選手権大会・愛知大会の春日井球場です。

 毎年、1〜2回は自宅から10分もかからない球場に出かけます。 ネット裏がほとんどですが、日差しが強くなると芝生の外野席で観戦です。

   

                             弥富高校の応援席と攻撃中


   

                     安城高校の応援席

 プロ野球も良いですが、汗の滴り落ちる真っ黒な顔を間近に眺めるのもいいものです。
 本日はシード校・弥富高校と対戦し善戦した安城高校の活躍が目を引きました。

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                                   平成19年7月20日 記

  お知らせ

 〜お待たせしました。
   ピースボート船旅中の講座を掲載始めます


 お待たせしました。 お約束の「ピースボートでの、講座の活字化したものの掲載をボツボツ始めさせていただきます。

 と言ったものの、読み返してみますと、本人も何を入力したのやらというところがあり、一向に進みません。

 今回は取り合えず、30近くある講座の中から、比較的誤字脱字、変換間違いが少ない「憲法問題」から掲載することにします。
 と言って、完全な校正が済んでいませんから、ご承知置きください。

 なお、掲載は下記のブログです。

 http://taiki.blog16.jp/です。


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                                   平成19年7月20日 記

  「政治、選挙好きの君が何も書かないのは?・・・

 〜どうした事かとのメールありに答えて〜


 友人から”台風去って、久しぶりの夕焼けが・・”は読んだ。 選挙ポスターの写真も見たが、「一向に政治好き、選挙好きの君が、今回の参議院選挙に対するコメントや意見が聞かれないのはなぜか。」とのメールを頂きました。

 特にこれと言った理由はありませんが、他の事柄に関心が言っていたということと、船旅後の整理に追われていたということです。
 ご指摘を受けて、確かにと思わないでもありませんでした。
 ここに、続けて入力しても良いですが、一応エッセイ B 「政治、経済、社会」欄に書かせていただきます。

 では、エッセイ Bにてお会いしましょう。

 

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                                   平成19年7月16日 記

  台風去って、久しぶりに夕焼けが・・(7月15日)


  5日ぶりに、雨の心配の要らない夕方の散歩を済ました。
 
 名古屋場所、地元・岡崎の力士・琴美喜が大関昇進をかけている中日の一番も、白星で8連勝と勢いがあるのを見届けて外に出てみた。
 西の空が夕日で輝いている。 急ぎカメラを取りに戻り、ニュータウンでも一番高い低木の松とススキで覆われた地点に駆け上がる。

      

                急いだ為に、蹴躓いていた。
    
          

 一昨年から昨年にかけて造成・売り出された撮影地点隣の60数棟は、順調に完売となった。  ほとんど、30代の若い家族である。

                

 好調な販売実績だった為だろう、その隣の県営職員住宅の跡地も、同じ業者が落札をした。 今年中に建築し、販売に入ると町内会の回覧板で紹介されていた。

                

                 造成が始まった、旧職員住宅跡地
 
 造成地の道路を挟んで、向かい側の「こぶた公園」の法面に、今回の参議院選挙の候補者のポスター看板が設置されている。

                
 
 一軒4000万前後の販売価額になるだろう、新築住宅の若い購入者が、夢と希望のもてる政治、社会となるように、政党と政治家を選びたいと夕焼けの空を振り返った。

                
  
  

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                                   平成19年7月14日 記

 今朝の連想は、モッコクから始まりました

〜「糾える縄の如し」から、四柱推命の運勢判断へ
    


            

 モッコクについて

 <昭和54(1979)年、1月15日購入「庭木、生垣の仕立て方>より
・生長が早い方でなく、手入れの必要性もなく、濃緑色の光沢のある美しさを持っている。 高木10メートル以上になるが、庭木としては中木として2〜3メートルで利用する。

 この木が我が家にある経緯

・昭和53(1978)年、名古屋城公園で開催・菊の展覧会に行った折、公園内にモクモクと茂ったモッコクを見て、わが庭にも欲しいと思った。
・翌年、2月18日、恵那樹苗センターにて、エニシダ(既になし)、ゆき柳(庭のアチコチ、街路樹の周りにも分植されている元となった)と共に、一本450円にて購入してきた。
 
 敷地内の北側、家と物置と駐車場の間に定植しました、そのときの高さは50Cm.
 現在は約6mメートルトに生長し、2階の窓の上部まで来ている。この辺が限界である。

     

      二階の窓から、天辺を写す        この茂ったモクモク感が好きです。

 今朝は台風4号が近づいており、予報誌が、「水道管=梅雨前線が停滞しているところに、散水車が勢いよく水を撒き散らしている」気象状況と表現していた。
 それを聞きながら、このところ知人や友人に送った手紙やメールの中に「糾える縄のごとし」という言葉を数回使っていることを思い出した。

 昨秋の野菜、今年のタマネギの収穫などできが良く、気をよくしている。
 その上に、このモッコクも船旅から帰ってきて見上げた時、昨年より一層お気に入りの姿・形になっていることを意識した。 このように、自分の周りの自然が全て順調に育ち、生長しているので気をよくしている。
 同時に、”糾える縄の表面が続いている”と感じ、自重しなければと思っている。

 そこで、四柱推命による運勢判断の記録のあることを思い出した。
 「タイキの記録・運勢」と題されたタイトルのファイルを引っ張り出した。
 <余談・ある種の自慢
 先ほどのモッコクの記録といい、この運勢記録〜30年前以上前のもの〜が残っています。 几帳面と言うか、このほかにも色々と資料は残してあります。 が、簡単に取り出せないのが悔しい。ボケ度合い判定材料。 本日は、スムーズに取り出せました>

 その運勢判断にはイロイロなことが書かれていますが、当時も、その後も気になっている一文があります。それは『宿命の星』に書かれています。

 『偏菅〜闘争、えこひいき、不公平の星です。 敵を作り易く、感情的で、偏屈、強情、頑固な性格といえる。
 また、権力におごり、激情的であるが、一面侠気、義侠心に富んでいて、他人の世話をしたり、大業を起こすことが多い性格を持っている。
 しかし、大概は、偏った強調の性格が出やすい為、万事に障害が多くなるようです。
 
 偏菅ー病〜障害をつうじて、浮き沈みの多い組み合わせです。 
着実な人生が望まれます』 と言う、ものです。

 そのほかにも色々書かれておりますが、自己判断としてはかなりの部分で納得できるものでした。(その他、このファイルには様々な性格、能力、適正診断記録があり、読むと面白い。 今生の先が見えるので、前よりはユトリを持って楽しく読めた。
 反省し、自戒し輪廻転生、次回も可能なら修行僧として再現を望みたい)

 以上のような背景があるためでしょう、またそのような体験をしてきた為に「糾える縄の如し」と言う言葉が、時折脳裏を横切るのです。
 
 すると、このところは表の部分を進行中ということになるのでしょう。
 過去を振り返って見ると、自然にと言うわけにはいきませんでした。
 本から得た知識、あるいはさまざまな偉人・先輩の納得できる教訓・言葉を手帳にメモし、時に見開いて言い聞かせ、歩いてきたと思っています。

  縄の裏があることを怖れたり、怯えたり、暗くなったり、否定的になるよりは、明るく、元気に、肯定的に、怖れることなく、時には果敢に挑戦して今日に至ったと思っていますし、思いたい。
 
 そして、人類の歴史上でも滅多に遭遇できない、大きな変革の時代が進行している中、ここからが今まで学び、体験してきたこと、更にこれから学び・体験し、そして「宿命の星」に対する回答を出すところに来ている時点に立っていると思うこのごろであり、今朝のモッコクから始まった連想です。




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                                   平成19年7月11日 記

コラム2−N 「新聞を読んで、眺めて、切り抜いて」
 に掲載するつもりで入力した積りだったのですが・

 昨日の松藤民輔さんに続き、浅井隆さん、藤原直哉さんの会員情報レポートを読んで、思ったこと。



 私の気持ちがそうなっているから、発想がそのようであるから、同じような考えや予測に同調するのであろうが、それにしても上記の3人の方の他にも、私が勉強させていただいている数人の先生方も、大なり小なり同じような発言と予想をされている。

 船から降りて約1ヶ月強ですが、乗船中・3か月分の各種の情報資料を総合しても、乗船する2月末よりは、その表現は強まり、確信度合いがましているように感じてならない。
 挙句に、世界や日本の政治や政治家がその波を増幅させていると思わざるを得ない。

 浅井隆さんは、今回のレポートノタイトルは、「もう、自分年金を作るしかない!」と、従来からの主張を述べると共に、社会保険庁の職員は、あるいは幹部は「年金は自分達の為にあるもの」と思っているフシがあるとい言い、。また「5000万件の年金記録漏れは「まさか」の事件というよりは、「またか」の事件なのである。と言っているが全くその通りと思う

 もはや誰も信じなくなった年金制度。その仕組みは世代間扶養の仕組みであり、現役世代が納める保険料から高齢者に年金を給付するというもので、”ネズミ講”と同様だと言う

 
 若者の国民年金の納付率が30%という実体ならば、崩壊したと同じといわざるを得ない。
 これ以上紹介することを躊躇してしまう。


 また、藤原直哉さんは、松藤さんや浅井さんと同様に、冷静に時代や社会を分析・評価し警告を発していると同時に、次の時代への心構えと準備と対応をいろんな場で提案し、実践されておられる。(詳しくはhttp://www.fujiwaraoffice.co.jp/へ)

 『こういう時代は特にリーダーは
常に未来に対して積極的(常に明るい出口を目指す)で柔軟な(いくらでも回り道をする)展望を持ち、その展望に向けて日々努力を怠らず、質又は量の成長が確実になされていくように注意を払わなければならない。
 人も会社もボッーとしているとあっという間に月日が過ぎてしまい、育てるべき人を育てそこない、時間を無駄にしてしまう』 

 『世の中で一番大切なものは愛であり創造であると思っている人は、どんな時代にも恐怖感を持たず、秩序は生まれては消えてゆくものであり、一方的な贈与である愛の力で散らばったものを一つに統合することが出来れば、どんな時でも人は幸せに暮らせる。
 
 その反対が世の中の一番大切なものは美であり調和であると思っている人は、一つの秩序が崩壊すると、この世が終わるような猛烈な恐怖感を持ち、体も身も凍結してしまう。
 後者になる人は、大抵非常に真面目で・ひたむきにこの十年間を走ってきた人です。
 戦前の軍国少年少女の末路と同じような悲哀が漂う。

 大きな変化を通じて人は、自然に対する理解を一層ふかめて、自然の力と人間の力を対峙させるのではなく、統合させることで新しい21世紀を作っていくことだと思います』



  昨日に続き好きな花「グラジオラス」を再度掲載します。今日は座敷にて

     

 〜今回の参議院選挙では、今度こそ『オオカミ爺』にはならないと思い、期待し、発言しているのですが、どのような結果になるのでしょう。
 結果を待つというか、予測するよりはその後に展開する、政治情勢も、それに影響される経済も、そして社会も少なからず、いや、相当の停滞と混乱となることだろう。

 が、それは新たな時代の幕開きであり、前向きに受け入れ、対応してゆくことこそ魂の浄化の一環であると受け止める心構えは、少しは出来ているつもりですが、眼前に展開される事態に口ほどのこともなく、穴に入ることもかなわず、ただ戒めていたオロオロウロウロするばかりなのでしょうか。

 少なくとも、1998年頚椎症で入院という気づきをいただき、翌年の1999年は「ガン摘出」の体験をさせていただき、2000年6月から百姓学校で自然・土から学び始め、翌年(2001)5月9日より「四国88箇所遍路・通し打ち」したものの、「何か変化はありますか」に、「ハーッ」と答える程度。

 2002年、還暦を過ぎて少しは怒りや憎しみ、恨み、嫉みの心根と姿勢は、落ち着いたかなと思っていたが、時に「何の、何処に修行僧か」との声が脳裏を掠める。
 
 「はい、イイカゲン、ええ加減修行僧です」と言い逃れている内に5年の月日が経過して「高齢者の仲間入りと”介護保険料通知書”」が舞い込んだ。

 2007年2月26日神戸港を出港し、”101日間世界一周の船旅”で6月6日帰国。
 見たこと多く、聞いたこと多く、感じたこと多く、考えたこと多く、学んだこと多かったが、果たして、これから拓かれてゆく時代に、足手まといを最小限に、生物として残された時間でどのような考えで・思いで行動をするのか、自問しています。

 内面からの発露を怠っていれば、外からの変化で押し流されてしまう、それだけは避けたいと考えているのですが・・・・。


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