帰国後、妹に別件でメールの入力していましたら、いつの間にか今回の「インドの旅」の感想や印象を綴る事になりました。
まだ、写真の掲載が2日目までしか進んでおりませんが、”見て”の方は、後日「エッセイ D 旅日記」に掲載します。
取りあえず、今回のインドの旅のまとめ的なものになりましたので、ここに掲載します。
「インドの旅〜大ちゃんの感じ・見て・聴いて・学んだこと」
(帰国後、妹に知らせた内容より) 平成19(2007)年8月20〜26日
・訪問したい国であったインド
昨日早朝、インドから34時間、機内泊2日(途中シンガポールで18時間待ち合わせ)で帰国しました。
昨日は一日中ウトウトとグッスリの繰り返しでした。
旅日記はまだ書き終わっていませんが、長い間、訪問したい国と思っていましたが、ほぼその期待した通りの印象と感想をもって帰りました。
訪問したいと思い出した頃から、20年近くの月日が経過しておりましたが、私の考え方、価値の変化・向上(?)、体験や精神的な成長(?)も含めて、この時・この場を自然と選んだ(それまでは行くことが出来なかった)と、何かの必然性もあるようにも思えるのです。
多分、このタイミングでなかったら、異なる印象と感想をもってのインド訪問だったでしょう。 全ては必然であるということでしょう。
・思い違いもあったインド
・身贔屓と好みでインドを評価していたところも多々ありました。
それは私の知識・認識・あるいは評価・分析から一方的に歴史、宗教を想像し・思い込み、インド社会やインド人が持つているだろう倫理観や哲学からくるインド社会や人々の生活、価値観でした。
例えば、中国と対比して偽物が少ない、食物に関しての安全問題は少ないだろう、その他のものに関しても危険度や毒物の使用はなされていないと言うこと等です。
”偽物の卵まである”というか作っているインドでした。 ホテルで食べた卵は問題ないとは思いますが・・・(黄身の色が薄かったと後になって感じたり・・?)
・一言で言えば、資本主義社会のMORE&MORE=物と金の追求には、世界の国、人々よりも節度がある、「足るを知る心や生活」が残っているという思い込みでした。 しかし、人間の欲望は何処でも誰でも同じと言うことの再認識です。
結局は、「自制心」ということになります。 「満たされて知るのか、知って自制できるのか」 あるいは「満たされれば、満たされるほどに、手にすれば手にするだけ、更に欲は膨らむのか」、どこも大なり小なりです。
・確かに、貧しいインド社会は開放経済によって豊かさを求めての経済活動や人々の営みは活発化されてきましたが、それでも宗教観やカースト制と絡んで何処かに自制心が働いているように思いました。(思いたいのかもしれません)
それは27歳の男性ガイド・アメンドさんによってそのように感じさせてもらえたところが多かったと思います。
勿論、彼も物・金の豊かさを目指していますが、言葉の端々に歴史、伝統、宗教観、倫理観を持っていると感じさせてくれました。
彼の意見には歴史・伝統・宗教観・倫理観がべースにあり、それで現実社会を観察し、分析し、発言していると感じさせてくれました。感心するやら、教えられるやらでした。
・”ロハスな生き方”?・ ”共生社会の実体”?
・次に脳裏を走ったことは「ロハスの生き方」です。 「健康で持続可能な社会の生き方」という言葉が流行(?)し始めて約3年(?)、一気にロハス・ロハスと言う事を口にする方が多くなりましたが、では日本の日常の生活でどれ程「ロハスな生活をしているのか」と言うと、私も含めて恥ずかしい状況と考えます。
インドの実体は意識された「ロハスな生き方・生活」をしているとはお世辞にもいえませんが、表面的な貧しさを見たからでしょうか、私たちよりロハスな生活に近いところにあるのではと思ったりしました。
・また、私たちの周りで「共生社会」という言葉も氾濫していますが、では現実に共生社会とはどのような社会で、実体はどのようなものか、そのモデルを見つけることは出来るのかと言いますと、指し示すことが出来る人や実体を伴った事柄が何処にあるのでしょうか。また、会ったとしても少ないのではないでしょうか。
・「歴史、伝統、文化」と言うキー言葉が思い起こされます。 (歴史遺産、伝統芸能・技術・技能、文化遺産、宗教)
長い歴史に裏打ちされた生き方〜ファースト・ネーション=先住住民の考え方、生き方、生活もそのひとつとして注目されています。
・また、都会とは遠く、文明的な恩恵には少ししか浴していませんが、そこの住民達が助け合い、共同し、自分達の生き方、価値観に自信を持って楽しく・信頼しあって暮らしている、一言で言うと”田舎”(これは世界の各国にモデルがあるようだ)に見出せるのではないかと、気づき始めた先進的(?、21世紀のあり方を問うている、探している、創造している)人々が行動を始めていることに気づかされている近頃です。
・人口11億の民の国を観光すれば・・
・現在日本で生活している方が、今回私が訪問した地を観光すれば、間違いなく「美しい、素晴らしい、豪華だ、珍しい、美味しい」との感嘆語を発することでしょうし、満足されることでしょう。
ところが、それを求めてインドを訪問した観光旅行者は、もう半分、いや時間的・空間的にはその何十倍も見せ付けられるインドの一般的光景には、目を閉ざしていなければならないでしょう。
・そこに11億に民がいます。 大きく区分して30%と70%という比率、即ち3.3億人と7.7億人の階層が存在しております。
それは現在日本で言われているような格差社会などとは、全くかけ離れた比較対象にならない実体を目にすることになります。
30%の方たちは、私たちと同様な考え方や価値観に近いところで経済活動や日常生活を営まれているようです。
為政者はこの間、大局にたってインド社会の将来像を描き、人心を掌握し、時間的な計算のもと、政治・経済・社会の運営をされてこられたことでしょう。
それが、今日"BRIC,s"(ブラジル、ロシア、インド、中国)と言われる、経済成長著しく、注目されている国の一つになっていることに現れています。
同時に、自然災害、環境問題、エネルギー問題、国内での格差社会、保健衛生、など負の側面も大きく顕在化しております。
どのように、今後対処するかによって、全体として成長してきた「BRIC,s国家、社会」も一気に崩れ去るのではないかとも考えない訳でもありません。
が、ことインドに関しては、これまた私の身贔屓、エコヒイキかもしれませんが、やはり歴史、宗教、に裏打ちされた倫理観あるリーダーたちの下、将来に禍根を残すことが少ない国づくりをしてゆくのではないかと期待と予測をしています。
今、世界が経済恐慌などに襲われた時、(可能性はあると思っています)元気と言うか、悠然と暮らしてゆくことが出来る国の一つではないかと思うのです。
・再訪問してみたい国インド
・最後に、ガイドのアメンドさんから、来年3月に再度インドを訪問し、その時は彼の家にホームステイすることを勧められました。
旅の間に彼と交わしたインドや世界のことに関しての会話に対し、彼が言うには「インドに関しての関心の示し方、質問・疑問、カメラの向けられる先がこれまで経験した観光客とは全く違う。 こんなガイドをしたのは初めてだ」と、言ってまんざらお世辞のみではないようでした。
しかし、多分私には、空調もなく、窓もない、床に敷かれた粗末な布団の部屋では、2日以上彼の家に滞在=ホームステイすることは出来ないだろうと思います。
が、彼が「本当にインドを知るためには、一般の家庭に入り、ジックリ話を聴くことだ」という意見には、同感です。
「ロハスな生き方」、「全ての生物との共生」、「循環型社会」、「持続可能な社会」について、考え、行動するとは何か、具体的にはどのような事か、物かのヒントや実体を体験できるのではないかと考え、気持ちは半分再度インド訪問に傾いています。
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