このページ以前の
                                        コラムはこちら




 COLUMU 1−D NO720
             
                             平成19年9月28日  記

   ゆめみちゃん(家の前の小学2年生)
   
        から、お手紙が着ておりました


 朝5時、新聞受けにピンクの封筒が入っておりました。
 家の前のゆめみちゃんからです。

    

 内容はカトウサンへと書かれた女房への文面です。「いつも、おうだんほどうのあんぜんありがとう。 おうえんするよ。 早おきがんばる!!」

                   

そして、私宛には「たなばたのとき、ありがとう。 たのしかったよ!!」  ゆめみより

 封筒の表書きに、”学校で近所の人にも配っていいよということで”と断り書きが書いてあり、 <資源回収のご案内>が入っておりました。

              

 第4回目と言うことで、長い間中断されていましたが、各種回収資源の価額の高騰により、1年前から再開されました。
 一般の月4回の行政による回収と新聞配達所の回収と相まって、我が家には古新聞・空き缶、ビン類等の在庫は常に空っぽです。
 地球環境問題と関係して、日増しに意識が高まってゆくことが、家の前の資源(一般の塵も含め)回収場所の状況で分ります。

 どちらかと言うと、無口のゆめみチャンですが、子供は子供なりに(イやそれ以上に)、大人の行動を観察していることが良くわかります。


 本日より、久しぶりの東京です。  次回の掲載は10月2日以降になります。
 9月の下旬から日程が込み合って、今年はまだ飛騨金山の栗拾いにも行っていません。 暑かった夏とは言え、もう沢山の栗が待っているのではないかと気がかりです。
 
 我が家の庭の栗の木は、昨年業者に思いっきり切り込んでもらいましたので、実は例年の10分の一で、まだほとんど道路に落花しておらず、ついつい気づくのを忘れていました。 東京よりは栗の方が心配ですが、東京はこれからの世界・日本の勉強会です。 




 COLUMU 1−D NO719
             
                             平成19年9月25日  記

   友人の早き反応に、反省しました

〜今朝は好きな花の「曼殊沙華」、今年は花少なし〜


 昨夜は中秋の名月を眺めて床に就いたためか。 あるいは、戸を開けて眠り、今朝のヒヤリとした風を受けた為か、熟睡後の快適な体調であります。

 昨日このコラムのNO 718に、友人よりすぐさまの返信メールが届きました。
 
 「貴君の今年に入ってからの、特に船旅、インド旅行以後の書き物を読み、羨ましさでイッパイです。
 その上、ご自分で一皮剥けたと言い、終末医療に対する意思表明書や遺言、葬儀の手順など、アッケラカンと書き続け、それをコラムに掲載してしまう行為に、羨ましさを通り越して驚くやら、今後何が飛び出すかと当初は心待ちする気持ちでしたが、本日のコラムを読んで、私自身がとても考え、用意していなかったので、置いてきぼりを食っているような気持ちにさせられています。

 また、それ以上にご自分をオオカミ爺と言って発言されていたことが、特に参議院選挙後に、日本に限らず世界の政治・経済・社会のあらゆる側面に兆候と言うよりは、ハッキリと現象が現れています。 
 そのことがますます貴君をして将来見通しに対し、自信を持たせていることでしょう。
 この十数年幅を利かせ、大きな顔して威張っていた人たちが元気がなくなりつつあり、同時に他人事と高を括っていた多くの人々も、当面の不信や不満に加えて、この先に不安感をハッキリと持ち出したのではないでしょうか。(私=友人も同じです)

 この上は、これ以上驚かさないでください。罪なことをしないでください。言わないでください。 できることならば、苛立つことよりは心休まるお話を聞かせてください」

  
 要約すると以上のようなメールを頂きました。
 それにお答えするという用意などしていません。 また、自分のことを「オオカミ爺」と言って、ありもしないこと、起こりもしないことを大袈裟に長い間口にしてきたことは事実です。 友人・知人が戯言を又言っていると読み飛ばしてくれればよいと思いつつ書いていましたが、上記のようなメールを頂くといささか、反省しています。
 
 まずは、今朝のわが家の庭に咲いています好きな花のひとつを掲載します。 

                  

             

                

             

               そして、今盛りの「シオン」です。↓
              

 これからの5年間で、少しでも近づきたい目標を書かせてもらいます。
 同時に、途中で何か言い訳を見つけて、中止しますと言い出すことを遅らす為にも、ここに掲載し、オオカミ爺が公表した目標を忘れない為に看視の目を光らせていただきたい為です。
 まず以って、この一文を書かせてもらう気持ちにさせていただいた、友人Xさんにお礼と感謝を申し上げます。

 「人の話を聴ける人間になる」です。

 自分自身のことを振り返りますと、我儘で、自尊心高く、自慢話が大好きで、人様より半歩早く気づいて事を話したがる性格の持ち主です。
 180度までとは行きませんが、「人の話を聴く、出来うるならばその人に身になって、感情を受け止め、理解できるようになる」、と言う、私にとってはかなり高いハードルです。

 数日前、知人からこんな話を聞きました。
 「その地域では嫌われ者の老人であった。 しかし、82歳で”ワシも世間並みの平均寿命を生きたから、この辺で失礼する”といって、他界された」と言うことです。
 他界される前の数年間は、それまでの不人気の評判は大きく変化されてそうです。
 その方も、何か感じるところがあり、色々と心掛け、努力されたことでしょう。

 天邪鬼で、へそ曲りの私はそのような話を聞くと、”最後の最後まで、減らず口を叩き、棺おけに入る”と喉まで出掛かっておりますが、押さえ込むことにしました。


 以上、昨日このコラムに掲載しましたことに、すぐさま返信メールを下さったXさんに改めて御礼を申し上げます。 ありがとうございました。

 〜ここまで、書きまして、今から中部大学の聴講生で通学時間となりました〜




 COLUMU 1−D NO718
             
                             平成19年9月25日  記

  峠を越えた、一皮剥けたと感じたその後のこと
      
〜残暑少し納まった9月「百姓学校」で・・
                     9月23と24日〜


 インド旅行の為に2ヶ月ぶりの百姓学校でした。 先月、種を蒔いて頂いていた秋野菜は順調に成長していました。
 最後の収穫となるカボチャとナス、ピーマンが「取り込みを早くしてよ」と訴えているよう。 カボチャ、タマネギ、ネギそして花畑の跡地は夏草がこれ見よがしにボウボウです。

 まずは秋野菜の草むしりと土寄せ、その作業を終えようとしていた頃に、雷がなりだした。 ひと段落もついた頃だったので、雨脚が速くなる前に早めに引き上げました。
 汗を拭い、着替えて宿舎の窓を開けてビールを傾けながら、目の前の深沢の山並みにぼんやりと目を向けていました。

        

 余りに映像が暗いので、場所を移動して雲間から直接西からの陽が差す方向でシャッターを押すと、画面には普段どおりの明るさの映像です。↓

          

 元の位置に戻り、再び深沢集落を眺めておりましたら、少し眠気が襲い、同時にここ数ヶ月のことが脳裏を駆けてゆきました。

 船旅後、何処か「一皮剥けたなあ〜」と感じていること。
 参議院選挙の結果が示されて、「分水嶺は越えたな」と感じたこと。
 時を同じくして「一度は通り過ぎなくてはならない道」と題し、日米の関係の変化の時が到来、人頼りはだめ、自己責任で主体性、自主性が求められ、試行錯誤が始まる。

 インターネットを始めたころ、教えてくださった方が退職されたこと。
 十数年来、情報源としている藤原直哉さん、松藤民輔さんの最初のことろのインクが消え始めたファックス通信のこと。
 その通信文等の整理をし始めた結果、「遠山藤原学校」に本やテープを持参したこと。
 その学校が都会と田舎の接点となり活性化が始まる。 都会の人々の受け皿となり、若者の生き方や技術そして生きる勇気を学び・巣立ってゆく。

 思いつくままに好き勝手に書き、口にしている毎日に対し、少しばかり調子に乗りすぎているのではないかと、「高島暦出版の今年の運勢」を読んだこと。
 同時に、ファイリングしてある20数年前の「コンピューターによる四柱推命運勢判断」を
 引っ張り出して読み直したこと。

 最後には「親父の死に際のことを記録に残し」、自分の「終末時の延命治療に関する意思表明書」に改めて署名捺印、そのほかにも「遺言」や「葬儀の方式、その後の知人等への謝辞とお礼文」等の一式を書き揃えると、気分がスッキリし、何処からか元気が湧いて来たようにも感じていたこと。

 「オオカミ爺」が更に気楽さと無責任な発言を繰り返しているのではと思いつつも、留まらない口数。
 と思っていたら、「少し盲信的ではありませんか」とのメールを頂いたこと。
 いささか気になり「盲信」という語を「広辞苑」で調べてみたら、「わけもわからずに信じ込むこと」 「教えを・・する」 「・・して疑わない」とありました。
 
 それなりに、勉強し、考え、自分の意見・意思を持っていた積りであったが、人様にはそのように映るものかと、眼前に展開する深沢の山並みに登って行く霧雲を眺めていました。
 時間の経過と共に、薄明かりの集落の風景となりましたが、夕闇迫り何時しか視界から全てが消え、その後は深沢川の沢音がだけが聞こえてきました。
        



            
 
 ↑、翌日、持ち帰りましたスクナカボチャ、ナス、ピーマン、秋野菜(ダイコンの抜き菜、チンゲンサイ、白菜の抜き菜、ネギ等です。

     



 COLUMU 1−D NO717
             
                             平成19年9月23日  記

    
      青サギが草むらで・・・


 昨日、夕刻の散歩の時です。 いつものように築水池の周回道路に入る手前で、斜面のブッシュのところで散歩帰りの方が声を掛けてきました。
 イヤポーンを外して聞き耳を立てますと、傷ついた鳥がいると言っておられます。

 第一発見者の方は、散歩に連れてきた犬が、急に吼え始めたので気づいたと少しあわてた様子です。 
 近くの植物園では小動物を飼育していますので、何とかならないかと訊ねると、「野鳥の鳥は扱わない。 発見者の善意か、獣医の善意に頼るしかない」と言う。

 これも何かの縁かと思い、自宅まで車に乗せていっていただき、ダンボールと捕獲用のネットを積み込んで再び現場へ。
 先ほどまでは羽をバタバタしていたのに、ネットを使わなくても捕まえられダンボール箱へ。 
 近くの獣医院に連れ込む。

              

 この獣医さん、野鳥の取り扱いの許可証を持っておられると言うことで、アオサギの腹の辺りに触れていましたが、何か悪いものでも口にしたのではないかと言っておられました。
 そこで学んだことですが、獣医でも野鳥の取り扱い資格を持っていないと、引き受けることは本来出来ないことになっていると教えられる。

 後は何処で保護されたかを訊ねられ、野鳥は市民全体の宝と言うことで、これ以降は私が対応しますと言うことで引き上げました。
 たった、その間30〜40分でしたが、アオサギがドンドン弱っているようでした。

 野鳥は人間が餌を与えても口にしない、このまま明日まで様子を見て対処すると言っておられました。 
 当初は野犬に襲われたのかと思っていましたが、足をだらりと下げたままですので、車にでもはねられたかと思いましたが、どれも違うようでした。

 野鳥の生きてゆく厳しさを少しばかり学びました。
 今から、百姓学校です。百姓学校の池にも野鳥のカモが番でやってきます。
 何時もとは異なる目で眺めてみる積りです。





 COLUMU 1−D NO716
             
                             平成19年9月22日  記

    
        21年前の写真を見つけて


 数日前、朝の掃除をしていると本の間から2枚の写真を見つけました。
 特別な写真でもないので、そのまま机の上に投げ出しておきました。 が、今朝になって押入れに仕舞いこんであるアルバムのことを思い出しました。
 20冊以上あるのですが、ここ数年は取り出してみることもありません。
 アルバムの背になにやら記録がしてあるものもありますが、ほとんどは無印です。

 「終末医療に関する意思証明書」「遺言書」「葬儀の内容・手順・お礼文」などを、用意し終えましたので、その延長線上にあるかと思い直して、本日引っ張り出し整理することにしました。
 子供の頃からのアルバムを含めると3箇所に収納してあります。 大きく区分してみますと、
 A)誕生から大学の卒業までですが、この間の記録は小学生までの写真が一番多いです。 戦前から戦後の物の無い時代でしたが、写真だけは結構残っています。
 中学〜高校の頃はたまたまにある程度、大学ともなるとまったくと言っていいほどありません。  就職試験のときの写真くらいです。

 社会人になっても記録に留めて置くことなど考えもしていなかったし、また写真を頂いてもアルバムに残しておくと言う作業も全くしていなかったのでしょう。
 昭和45年、長男が生まれた頃からは、子供の記録としてのアルバムが、次男のも含め10冊以上になっています。

 B)社会人になってからを第2期としますと、上記に書きましたように多くはありませんが、それでも昭和47(1972)年から、海外視察が毎年あり、その間系の記録がかなりの量となっていました。 それ以外は思い出しても記憶には余りありません。
  そして、今回発見した、昭和61(1986)年の写真が出てきたのです。

     
     
     薪造りで、木を切っています        盆踊りです(右に1986年と見えます)

 この年から、急速にアルバムが増えてゆきます。平成6(1994)年までの、約20冊に詳しい年月と、写真内容の記録を分るように表示しました。

 増加した理由は、その年から香港に赴任しましたので、年に2回香港にやってくる家族を、近隣国に案内するようになったからです。 そればかりではなく、私が帰国した時に国内で家族旅行もしておりました。

  平成3(1991)年、香港から帰国後もそれまでの時間を取り戻したい為か、精神的な疲れを癒したいためか、気候のよい春・秋などは月に数度のドライブなどの記録が残っています。
 が、それも平成6(1994)年までで、それ以降の記録写真は、それまでの数分の一と言う量になっています。

 C)と言うことは、平成6年以降は第3期と言うことになるのでしょうか。
 早くも13年か経過していますが、特に、ここ4〜5年、私がパソコンをいじるようになってからは、撮られるより撮ることの方に興味が移っておりまして、このホームページに掲載することが楽しみとなりました。

 「飯」「風呂」「寝る」の内、今のところ飯・風呂は常に用意されますし、寝ることの布団の上げ下げは自前でいたしております。
 勿論、御酒の手配とその中からどれを頂くかの選択も私自身です。

 二枚の写真発見から、またひとつ整理が進みました。




 COLUMU 1−D NO715
             
                             平成19年9月21日  記

  ひっそり咲く 愛らしい小花 ”ナンバンギセル”

 〜厳しい残暑の彼岸の入り、スッカリ化粧換え〜  


 久しぶりに春日井市都市緑化植物園に入場しました。
 ススキの根元に寄り添うように”ナンバンギセル”が薄紫色の小さな花をひっそりと咲かせていました。

    

 この花は葉が退化キセルし自ら光合成をする能力がないために、ススキやサトウキビ寄生して育つ一年草。
 筒型の花がキセルに似ているところから名づけられた。 オモイグサとして、万葉集にも登場するそうです。
 園内ではススキの間に高さ10センチほどに成長したナンバンギセルが群生していました。 
 こうべを垂れたかれんな花が残暑厳しい中、秋の訪れを演出していました。

 園内の「グリンピアの館内」も覗いてみました。

                 

 い   

              ご覧の通り、秋色がイッパイでした。

  その後歩いた散歩道も、たわわに実った稲が、重たげに首を垂れていました。

     




 COLUMN 1−D 
                               
                                   平成19年9月19日 記

  お知らせ
  遅くなりました。 只今”遠山郷”のこと一部掲載


  ご催促ありがとうございました。
 一部、パソコン操作を間違えておりまして、遅くなりました。

 「エッセイ 旅日記」に、9月17日から18日のこと、写真満載で掲載しました。

 少しは遠山郷で秋色に見えるかと期待しておりましたが、日中は30度近い気温でした。 しかし、さすが日が沈みますとスーと涼しくなり、全く、音無しの民家で一夜を過ごしました。




 COLUMN 1−D 
                               
                                   平成19年9月17日 記

  お知らせ
  
     この1週間、お休みを頂いております


  どうと言うこともないのですが、このコラムを含めて、全ての項目に関して5日間何も掲載しておりません。
 改めて、お断りすることもないのですが、今までを振り返りますと、何も掲載せずですと5日目を経過するころから、「元気か?病気でもしているのか? またまた、入院か?」などと、友人からのメールを頂くことが多かったので、本日元気に毎日を過ごしていることをお伝えする為に入力しました。

 また、本日より「遠山藤原学校」に参加しますので、一番早くて9月20日に掲載となりますので、お断りの為に「お知らせ」とさせていただきました。

 都会と異なり、南アルプスと伊那山脈の谷間の遠山郷はさぞかし秋色を感じさせてくれるのではないかと思いつつ、只今から出発します。




 COLUMU 1−D NO714
             
                             平成19年9月11日  記

    残暑厳しい日、秋の墓参りにゆく

 〜一回り上の姉と、今後のこと気兼ねなく相談す〜  


 彼岸には少し早いが、豊橋に墓参りに行く。(9月10日)

 このところ、『遺言書』を書いたり、父の思い出や、死に際の「言葉」とその状況を書いたり、「終末医療に関する意思表明書」も書き、そのほかにも2~3通それらに関することを整理し、活字にし、書きとめたことが、早めに先祖の墓参りのお誘いを受けたのであろうか。

    

            

 市営飯村墓地は総数約1300家分の墓地であり、1家3坪(道路を含む)として、5000坪

 豊橋市内の東に位置する「飯村墓地」は、かっては国道沿いに民家は建ち並んでいたが、寂しい場所であった。 それが高度成長期の後半(昭和40年代半ば頃)から徐々に、市街地から、飯村の地である東の方向や、豊橋の南に当たる渥美半島の方向に向かって新興住宅が建ち並び、住居ばかりでなく商店関係も移動し、今は市街地は駐車場もままならずで、何処の地にもあるように郊外が発展していった。 

 私の実家も旧東海道であり、吉田城の城下町(札木町<両替町>、呉服町<呉服商>、鍛冶町<金物道具>、曲尺手町<タンス・建具>等)であったので、時代の進展と共に寂れていった。 今では通りのアチコチが駐車場となり、商店としては体をなさなくなって
 しまっている。

    

 墓地の一角に加藤家の墓=「楽園の墓」があります。 左、枯れた榊、右取り替えた後。

              

 かっては、「楽園の墓」に並んで、個別の墓が立てられたが、今後は「楽園」のみの予定


     

   「楽園」のロゴ(?)加藤丸喜・書         「楽園」のマーク、外丸は青空=空色、その内側は地球を示し・緑色、中央は太陽=赤で描かれていた。

                   

               加藤 丸喜が相続した<遠祖代々の墓>

 この遠祖は加藤家から分家した祖に、その後家督を引き継ぐものが途絶えて、加藤家本家を次ぐ・丸喜の長兄から相続を要請されて引き継いだものとの記録あります。
 年々、墓石に刻まれた文字が見えぬくくなってきた。

 その後、今も現役でピアノ教師をしている、一回り上の姉とこれからのことを話し合った。
 これまで、私の何処かに老後のことを話をすることに躊躇するものがあったが、今回は何のためらいも、気兼ねもなく、全ての事柄について5時間に亘って話が出来た。

 何度も書いているが、今年に入り、そして「101日間の世界一周の船旅」を終えた後から、私が一皮向けたように感じているが、その延長線上にあるように思った。
 




 COLUMN 1−D 
                               
                                   平成19年9月9日 記

  お知らせ

 1ヶ月強ぶりに、「ピ−スボート乗船時の講演掲載


 内容は
 @「世界を斬る映像」”日本国憲法”誕生の背景、など・・

 A「ヨーロッパ文明 〜ギリシャ文明を起点として〜 です。

 掲載は  http://taiki.blog16.jp/

 例によって、間違いだらけの入力文を、しかも3ヶ月経過後に修正・校正するのですから、記憶がアヤフヤどころか、「全く記憶にありません」という箇所がしばしばです。

 しかし、細部は別として、今読み直しても興味が湧いてきまして、もう一度聴きたい、もっと聴きたい気持ちになりまた。




 COLUMU 1−D NO713
             
                             平成19年9月8日  記

    夏野菜の残骸整理と新畝作り終了

    〜朝顔の命は2日間はあるのかな?〜


 昨日、藤原事務所のメールの中に、農園担当のTさんがAさんの尻を叩いて、タマネギの植え付けをしたことが報じられていました。

 我が家の庭の隅にある1・5坪の畑は、既に夏野菜の収穫はとうの昔に終わっているのに、この暑さの為に手が加えられていませんでしたが、上記の記事を見て腰を上げなければという気持ちになり、日が西に傾いた散歩の時間になって一気に取り掛かりました。

 大嫌いな蚊の襲撃に対処する為に、両の腰に蚊取り線香を点しました。

    


          

 1時間半後には、昨秋の落葉堆肥をすき込み、苦土石灰や堆肥もタップリ、毎度の「タヒボ茶の出がらし」、それに本年は近所の方から頂いた自然灰もすきこみました。
 出来上がった畝はご覧の通りです。 
 数日後に、ダイコンとサヤエンドウの種まきをします。


 翌日、9月8日の朝です。
 朝顔の花は一日しか寿命はないと思っていましたが、2日間はあるのでしょうか。
 と言いますのは、昨日(9月7日)は118個の花が咲きました。 こんなに咲いてしまうと本日分(9月8日)はゼロではないかと心配しましたが、9月7日と同様な花数です。


                  

            

      しかも、落花した数は、どう数えても100個には満たないからです。




 COLUMU 1−D NO712
             
                             平成19年9月7日  記

  朝顔が今夏(初秋)、最高の花数をつけました

    〜台風9号が関東を直撃した日の朝に〜  


 昨晩、神奈川県の小田原付近に上陸した台風9号は、関東から甲信越に被害を与えながら東北方面に北進中のようです。

 今回は台風進路から免れた我が家は、朝顔が今夏(今秋)最高の花数をつけました。 
  その数118個です。

         


        

 が、こんなに花数を付けてくれましたが、咲いているのはたった1日のみです。
 今朝は台風が来るのを避けていて一気に咲いたのでしょうか。
 明日からの花芽は残っているのでしょうか。 心配です。

           

                このように、1日で落花してしまいます

 そういえば、今夏は異常な天候・暑さのためだったのでしょうか、庭の花々の咲き具合に元気がありません。

 家の前の街路樹に咲き始めたと思っていた「トロノオウ」ですが、全て挟みで切り取られていました。 心優しい花ドロボウと思います。 その方もご仏前かお墓に生ける花がなかったのでしょうか。
       

             我が家の庭に咲いた、数少ない「トラノオウ」です。


 COLUMU 1−D NO711
             
                             平成19年9月6日  記

     トルコ人の知人が出来そうだ。

   〜高森台の新築工事現場での出会い〜


 このコラムNO140、149、163、174、193、202、222。平成16年12月3日(NO140)から平成17年3月20日(NO222)の合計7回に亘って、自宅から100メートルの所で工事が始まった約70棟の新築住宅建設・第1期の着工から竣工までの様子を掲載しました。

 当初は4〜5年で完成予定ですと販売責任者が言っていましたが、初めの頃は売れ行きが芳しくありませんでしたが、その後一気に完売の張り紙が張られてゆきました。
 結局、その後工事は休むことなくドンドン進められ、昨年末には2年間で全てが完売という事になりました。
 
 敷地面積約60坪、建築面積が約30坪前後で、平均が約4000万円という価額でしたので驚きました。 爺・婆の付き添っている姿は見かけましたが、購入者はほとんど30代の方で、時折その住居地の中を通過しますが、子供がほとんど幼稚園入学前から小学生低学年の子供らです。

 十字路を挟んで斜め前、愛知県の職員住宅の跡地が売り出されました。
 この地も販売成績優良であった同じ建築会社が落札をし、今年の6月より工事に入りました。

                

    

 本日、手紙を投函した後に工事現場に回り、昼休みで食事をしている方に声を掛けました。 
 外国からの方とお見受けしましたので、「Where are you from?」と声を掛け、直ぐに「何処から来られましたか?」と訊ねると、実に流暢な日本語で「トルコから着ました」との返事。

 「何年になりますか?」 「1991年からですから16年」 「バブル崩壊後からですね」「ハイ、でもその頃は今より、ずーと景気は好かったです」と話が弾みました。

 と言いますのも、来年はインドのほかに、ネパールかトルコに行きたいと思って、既にインターネットから詮索してトルコの資料ファイルは作ってあるからです。

 兄弟で来日し、家族も呼び寄せて名古屋の守山に住んでいる。 父母はトルコにいる。 黒海に面したファタッサ(Fatsa)である。
 その後、名刺を頂くと、兄弟で「イナン工務店」という住宅基礎工事の会社を経営しているようだ。(下請けではあろうが、兄弟連名の名刺であった)

    

 ここ数年、中部大学や放送大学の講座でムスリム(イスラム)のことは少し学び、私としては好印象を持っていたので、そのことを話すとニッコリ笑い、更に会話は次々と発展した。
 専門の建築の話もありましたが、どこの会社の建物は購入できるが、あそこの会社のものは買うなら敬遠すると、私の知っている会社の名前がポンポンと出てくるので面食らった。 
 が、専門家がいうのであるから間違いないだろうと思わずにはいられませんでした。

 昼休憩が終わりそうなので、一度自宅に戻ったが、カメラをぶら提げて再び彼らのところに来て、上記の写真を撮りました。

 それだけではなんとなく物足りなくて、「一度食事でも一緒にどうですか」とお誘いすると、「いいですよ、守山の自宅の近くにトルコ料理がありますから」と返事があり、名刺を渡された。 私も自宅に戻って、昔・昔の名刺に携帯電話の番号を書き足して渡しました。

 短時間に、ここには書ききれないほどの会話がまだ思い起こせます。
 特にイスラムの教えに関する彼らの受け止め方、考え方。 また新聞紙上を賑わしている私達はテロと言っている行為に関する捉え方や理解の仕方。
 
 スンニ派かシーア派かさえもまだ訊ねていません。 トルコの西と東(彼らは砂漠地帯と彼らの実家のある黒海の海と表現していた)とでは大きな違いがあると言っていました。
 次回彼らとお会いし、話を聴いた後にでも、まとめて紹介することにしましょう。

 これまたご縁ですね。 ご縁と言っても、自ら声をかけるという行動を起こさなければ始まりません。 これも近時口にしている「試行錯誤の行動の一端でしょうか」
 どのような出会いに進展して行くか分りませんが、またまた楽しい時間が持てそうです。
 
  前のページはこちらからどうぞ