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 COLUMU 1−D NO750
             
                             平成20年1月5日  記

    桜草が一番花、福寿草が芽を出しました


   本日、日中の最高気温12度までに上昇すると報道されました。
 風も穏やかです。 外に出てみると迎えの旦那さんが洗車をされていました。
 そのお隣さんの奥さんが買い物から帰って来られたのでしょう、「明けましておめでとうございます」と新年の挨拶をされます。 両手を膝にして深々と頭を下げられます、こちらもつられて頭のした毛糸の帽子に手をかけて、「おめでとう」です。

 毎年卒業式頃から入学式には満開となります「桜草」の第一輪が数日前に咲きました。

        

        真横からの撮影                 真上からの撮影

                

     二番花です。 数日この気温が続けば一気に次々と咲き始めそうです。

       

                

              庭では福寿草の芽が11個顔を出していました

                

          福寿草の芽の一つを「万華鏡」の効果で処理してみました。
 寒の入り前というのに、早くも春の足音です。温暖化の為なのかと気にしながら・・






 COLUMU 1−D NO749
             
                             平成20年1月4日  記

       やはり新年の成せる事か?


 自他共に認める悪筆で乱暴な字体(書体)の私です。  その私が正月2日に筆を手にしました。
 筆を手にしたのは、平成13年に「四国霊場88箇所遍路」をしました時に、納経の為に平成12年から約2年かけて「般若心経」を2百数十枚書いて以来のことです。
 
 十数年前に中国に行ったとき親戚の書を嗜む方から硯を依頼され、当時としては高額な硯を購入してきました。 その折、観光地でうるさく説く押し売りやさんに,根負けして購入してきた硯が常に書棚に放置されていますした。

 平成15年・年末から平成16年の正月に、船で中国の杭州、上海、無錫、蘇州の旅をした折に、場所は忘れてしまいましたが書をする国々の著名な方々が集まるという地の展示場で出合った一枚の書を購入することになりました。
 その書はそれ以来、我が家の床の間に架けられています。 「道」一字です。
 

        丸4年見続けていた結果、以下の様なものが書けました。

               

 敢て、当時中国の書家文化協会の副会長様の作品と教えられた作品は掲載しません。
 書体自身は全く異なりますし、増してや・・・・・

  迷い道、曲がり道、悪路道、素直道、千里道、仏の道、神の道、天の道、道々道。
 道を付ける、道を切る、道を開く・・・・・・   ・・・
 
                     さて、修行道は・・・・
 





 COLUMU 1−D NO748
             
                             平成20年1月3日  記

       予備の年賀葉書が不足する


 ここ数年は230枚の年賀葉書を購入しています。 
 年末までに19枚の喪中の葉書を頂きましたが、宛名を書き終えてからのものが2枚でこれも想定内。 
 書き損ないが数枚発生しますが、予備を数枚残しておけば、出そうかどうか迷った相手先(2〜3年、お出ししても返信のない方にはストップをする)や思いがけない方からの賀状にも対応可能してきたのがこれまででした。
 が、本年は正月3日目に届いた分で不足することになりました。

 例年、喪中の葉書を頂いた方には正月7日後に「寒中見舞い」を出します。
 年賀状は朱色を使って「おめでとう」とプリントゴッコで印刷していますが、寒中見舞いは朱色のところを紫色で「寒中お見舞い」といたします。
 急遽、用意していた寒中見舞いの葉書で代用しようと考えましたが、どうみてもお正月らしくありません。 
 「寒中見舞い」の紫色に被せるように「賀正」とピンクの蛍光ペン書き添えました。
 何とか、年賀状らしくなりました。

 思いがけない方からの年賀葉書は10年ぶりの方からのものです。
 転移先が分らなくなり2年後、友人から教えていただいたその方の実家に平成13年から15年まで3回お出ししていましたが、何の音沙汰もなくその後は音信なしでした。
 その方が、昨年末実家にお帰りになり、そこで平成13年の年賀葉書を手にしたとの内容の賀状が届きました。 
 確か当時小学生だったお嬢様にお子様が誕生し、孫を持つ身となりましたとありました。

 喪中の葉書には実父・母、義父・義母の名が多いのですが、其れに混じって奥様、旦那様、兄弟、時には息子さんや娘さんの名を目にして、「寒中見舞い」にさて何と書き添えようかと困惑します。
 
 大学対抗箱根駅伝、テレビの前に釘付けの2日間が終わりました。
 さて、明日からは通常のパターンに戻ります。

 





 COLUMU 1−D NO747
             
                             平成19年12月31日  記

   大寒気団が日本列島を覆っています

 〜太平洋岸側の平野部でも積雪との報道です〜


 岐阜県の北部山間部では昨夜来の雪で十数センチメートル積もっているとのことですが、東海地方の平野部は青空が広がっています。
 お隣のベランダではお蒲団が干され、年内最後の洗濯物も風に揺れています。

 特に書くことも、書きたいこともないままにパソコンの前に座りました。
 昨年や一昨年の大晦日には何を書いているのだろうかと、拾ってみました。

 コラム1−Dには平成16年には、我が家の新春を迎える神棚が飾り終えられています。
 平成17年は、暮れの31日に義兄の葬儀で急遽東京に出向いております。
 そして、干し柿の写真が掲載されております。
 平成18年、昨年は「吉永小百合」のブランドの「さゆりの微笑」という焼酎を購入してきたことと、それに続いて私の酒暦がかかれています。

 コラム2−Nの平成17年は「名古屋市長選挙」で、民主党の河村たかし衆議院議員が出馬を断念したという記事とともに、私の落胆した気持ちが書かれています。

 そして、昨年は時々”新聞を読んで 眺めて 切り抜いて”で紹介します、「藤原直哉さんのワールド・レポート」のことが取上げられており、藤原さんがその年の終わりに翌年のキーワードを「漢字一文字」で表しており、その紹介です。
 
 ワールドレポート平成17年末は「叛」でした。 人々がサカライ、ソムクという意味です。
 18年は「」でした。 世の中の全ての事柄が流れるということでしょう。
 そして、このようなことが書かれています。
 『世の中は急速に世界大恐慌の様相を呈し始めています。日本以外の各国は過去15年ほどの間に日本が経験したすさまじい経済・政治・生活破壊の荒波に襲われることでしょう。 ・・・極限状況のなかから本格的な21世紀社会の形を創っていくことでしょう』

 以上の流れの中から平成19年末、20年度を予測したキーワードは「」です。
 解説として『多くの人々が、見通しがとんでもなく暗転してしまった。とんでもない期待はずれが起こったといって騒ぎ出すのは、平成20年度になってからでしょう。(平成19年は一部の人が気づいているだけ)。
 
 それは直接的にはこれまで時代を率いてきた政治や行政や経営のリーダーが破綻でお手上げになって退き、一気に今までの権威が喪失するところから始まると思います。
 おまけに物価が高いままでの景気悪化と資産喪失ですから、人々は急速に生活難に直面してしまうのです。
 其れも人々を怒りへと駆り立てる大きな原動力になると思います。』


 年の瀬に希望のない暗いことを書いてしまったかと反省。 もっと明るく・前向きで・積極的な姿勢で生きてゆくことが一番大切なことと考えています。 
 
 が、今という時代は生易しい時代だとは到底思われません。 厳しく・耳にしたくない話を聞き、少しでも心構えをしておけばなんかの役に立つのではないかと思っています。
 
 ”人頼りの精神”や”成るように成れ”、”成るようにしか成らない”と放り出していては、イザの時にうろたえてばかりの修行僧になってしまうのではないか自戒しての年の瀬です。
 
      大寒気団も”身を引き締めて・・”の大応援団なのでしょう。





 COLUMU 1−D NO746
             
                             平成19年12月29日  記

  年の瀬、一時雨降り止んで ・・・・ 


 今朝の新聞に「素ロウバイ」が咲きましたと紹介されていました。 我が家のロウバイも10日ほど前に数輪咲いているのを確認していました。

 昨夜からの雨が一時降り止んでいましたので、久しぶりに庭に出てみました。
 ロウバイを初めサンシュ、ハナノキなどの落葉が”龍の髭”や”姫芝”の上で蒔き散らかしたように雨に濡れています。 いささかこのまま正月を迎えるのは気が引ける状態です。

               

                

 11月下旬に成ってから枝透かしをしたツバキ、時折蕾を切り落としてしまい、「シマッタ!」と声に出しながらでしたが、透かした甲斐合って例年以上に今が盛りと咲きそろっています。

               

              






 COLUMU 1−D NO745
             
                             平成19年12月28日  記

  平成19年12月 今年最後の百姓学校
                 12月26~27日  


 年末から年始にかけてはお天気が崩れるとの予報が出ていますが、この2日間は好天に恵まれました。
 ネギは霜が降りても平気ということでそのままにし、大根の最後の収穫をしました。
 4年前までは草ボウボウの地でしたが、今年は春野菜、秋野菜とも満足の出来る内容の収穫となりました。

               

              人参の収穫もご覧のような出来栄えでした。

    

 持って返れないほどの量となり、埋め込み越冬です。→翌朝は霜が降りておりました。

              

     27日の朝、西の空には18日の月(下弦・4日前の月)が残っておりました。

          

 前夜はオリオン座もカシオペア座も輝いていたそうですが、静まり返った深沢集落の朝

        

               車のガラス窓はご覧のような状態です

    

       朝日が昇り、霜が解け始めた頃より御餅を搗きました。
 子供達が参加する餅搗きは、29日を予定しており大人ばかりの静かな餅つきでした。

                

 百姓学校の年末の餅つきもこれで9回目と成りました。 自分達で作った餅米で納得の行くまで搗き込んだ御餅は事のほか美味しく感じられます。
 
 この間、精米に失敗したり、蒸不足だったり、水の入れすぎだったり、伸し餅の形が崩れたりと数々の事柄を思い出します。 一度注文を下さった方からのリピートオーダーもありますが、本物杵つき製造では体力との関係からこちらからの注文取りはほとんど中止の状態です。
 それでも、搗き上がった柔らかさが残る切り餅を、その日の夕刻にお裾分けすると喜んでいただけるのも楽しみの一つです。
 今夜は次男夫婦が取りに来るとのこと。 人参、大根、サトイモ、ネギ、そして「うるち米」に「餅米」も紙袋に積みこめられ、玄関先でデンと待機中です。





 COLUMU 1−D NO744
             
                             平成19年12月18日  記

  「江本勝先生が語る「HADO」 12月16日
     〜波動の会・東海地区主催で開催〜   


 「波動とは」について私が解説しますと、的が外れますし、一層意味不明になりそうなので割愛します。
 ただし、私の理解はすべての事柄、物性は「波動」によって成り立っており、其れは「震動」であり、「エンルギー」です。
 音声も、光りも、文字も、米粒も、味噌も細微の世界まで溯れば震動=波動=エネルギーということに成ると考えています。

 思いは言葉となって発せられ人に伝わります。 明るく清い言葉は明るく清い波動=震動=エネルギーとなって相手に伝わります。
 明るく・清い波動=震動=エネルギーを受信した人は明るく・清い波動=震動=エネルギーに触れて明るく・清いとなります。
 その情報の媒体になるのが、私達になくてはならない「水」です。
 故に、「水」は宇宙のすべてのことを知っているということになると思っています。
 「水」なくして人間は、生命は生存できません。 その水の価値、存在に私はどれ程、意識と感謝をしているのでしょうか。 当たり前に口にしている毎日です。
 其れにつけても、ペットボトルのお水しか口に出来なくなりつつある現状に反省です。

 江本先生が約120分間語られたことは紹介できませんが、ご関心があれば連絡ください良くお話できる方や関係先を紹介します。

              

 東海地区の波動インストラクターが前座の担当をしました。ハイポニカ農法で「トマト栽培」をしています、南知多の大美インストラクターです。

              

  世界各地での講演活動の疲れから入院、2ヶ月ぶりの講演となった江本先生です。

 
 私は口数が多く、直ぐに横道に入り余分なことを話すことを怖れて、以下の様な内容を活字にし読み上げさせていただきました。

 「波動との出会いとその後」    平成19年12月16日       
 全国に幾つかあった「波動インストラクターの地区会」が、曲がりなりにも継続しているのは、この東海地区のみのようです。  
 多分、派手さもなく、特に行動力があるということもなく、この地のもつ辛抱強さや律儀さが今日まで続けてこられた背景にあるのではないでしょうか。 また、名古屋・榮・伏見という好立地にインストラクターの方が所有するマンションがあり、無料開放していただき、月に一度三々五々郊外から町の空気を吸いにくるという欲求も満たしてくれていることも継続している要因と思います。

 今回は、江本会長のお声掛りで講演会を開催できる運びとなりました。   今や世界各地で注目され、期待され精力的な講演活動等を実施されている、江本会長の行動にまつわるお話やその後の研究成果をお聞きするとともに、いささか趣向を変えて、当地区のインストラクターが前座を仕るという集会にさせていただきました。
 最初は「“波動時代への序幕”に魅せられて」と仮の題をつけました。 
 これは
18年前、江本会長が出版された「波動時代への序幕」と言う、今現在も売れ続けていますこの本に出会い、それがキッカケで波動インストラクターに応募した者達が話をさせていただきます。 
 それぞれに異なるキャラクターと経歴の持ち主ばかりですが、私がトップバッターをしましょうとしゃしゃり出ましたので、お役を務めさせていただきます。
 自慢話好きの性格、聞き苦しいところもありましょうが、お付き合いください。

・1973年(昭和48年)第1次オイルショック後、満33歳の昭和50年前半に「MORE&MOREの終焉」=“物的豊かさの追求の社会”は終わりを告げるという書物に出会いました。
・その後、昭和54年の第2次オイルショックを切り抜け、昭和50年代後半38歳のとき、組織の中で一定の地位につきました。 ヤレヤレと後ろを振り返りました。 階段を駆け上ってくる「団塊の世代」の人々の群れがひしめいていました。
 このまま、走り続け・成長・発展を追及すると、世の中どうなるのかなと「疑いの念」も持ちましたが、目の前で繰広げられる勝ち負け、損得の展開にのめり込み、“物的豊かさの追求社会んの終焉”のことについてはそれ以上の考えは進展しませんでした。

・1986年(昭和61)年、香港へ転勤、3年後にはストレスからと自己診断しました頚椎症を発病、中国医治療を始め、あらゆる治療を試みながらも、時間の大半は新規事情を軌道に乗せるべき、神経をすり減らす毎日でした。
・香港滞在5年経過した1991年(平成3)、頚椎の負担を減らすために痛々しく包帯リンクを首に巻いて、帰国することになりました。
 その後、2年間は休息に近い時間をすごし、再び第一線の責任者として就任しました。
 ・その事業は、正社員は全体の10%余りの70人、他は30代から50代を中心とした離婚経験を持つ生活をかけた方、と子供が手を離れたから何かして見たいという個性豊かで、オシャレ気も旺盛なご婦人方が主役の「叔母様向け、ファッション衣料」の専門店でした。

・出来高払いというか、成績によって給与が決まるという、良く言えば「実力主義」ですが、実体は「お客を取った、取られたの」、「あの人とは仕事は一種にやりたくない。辞める、辞めない」と隠れた、時には表面化した諍いの話が耳に入る連続の毎日でした。
 しかも、健康に不安を持つ年代で、他人を意識しての神経を使う職場ですから体調の優れない方がひっきりなしという状況で、責任者としても常にプレシャーがかかるビジネスでした。
 店内にヒーリング・ミュージックを流したり、直接のコミュニケーションをとる為に現場巡回を頻繁にしましたが、そんなことでは納まるような状況ではありませんでした。

・そんな折、平成7(1995)年、波動のMRAの機器による健康診断=「波動測定」が出来ることを知ることとなりました。
 私がその操作をできるようになれば、健康のことでお客様にも、従業員にもお役に立てるのではないかと「波動インストラクター」に応募しました。 
 平成8(1996)年、5月に波動インストラクターの認定を受けました。
・研修会初日、私はこの機器の操作をすることには向いていないと分りました。
が、「波動」の考え方そのものについては意識し、20年前の「MORE&MOREの終焉」と言う一語と何処かで絡み合って、関心を持ち続けていました。

・経営を引き継いだ会社はバブル時期の成功体験を引きずりジリ貧状態でした。そこで、思い切った減量経営に乗り出すことにしました。 
 一方、働く方々もこのままでは、会社がなくなるのではという危機感を背景に団結した行動と努力により経営数字は急速に上昇し軌道には乗ってきました。
 が、狭い店舗内の競争をベースとした、人間を競わせるという仕組みまでには手が付けられず、その後、「空白の10年間」といわれますように、時間経過と共に厳しくなってゆく経済・社会変動の中、組織内に日ごと弊害が増してゆくのを感じないわけには行きませんでした。
 そんな時、平成9(1997)年、冬場に差し掛かる頃より、納まっていた頚椎症の症状が表面化してきました。

その少し前頃より頃、東海地区の「波動の会」が開催されるようになり、思い出しますと、この会に出席した私は、自分の不満をぶちまける場と勘違いするほどの態度であったと思います。 
 会社では許される態度や発言ではなかったのですが、「波動」に関心を持っている仲間であるとの安心感と、見えないものの世界、あるいは「神」と言う単語を使用しても何等違和感を持たない仲間や会の雰囲気がさせたものだったと思い出します。

 ところが、平成9(1997)年の年末に入り、頚椎症の痛みが除除に増し、平成10(1998)年の2月後半には、もう耐える気力も失せておりました。 かかりつけの医師に、入院させてほしいと依頼し、手術ではなくリハリビテーションを中心とする治療に専念することとなりました。
 3ヶ月弱の入院治療によって、痛みは和らぎましたが、職場復帰する条件は既に失われており、その年(平成10年)の5月末に退職となりました。 

 その翌年、平成11(1999)の春、再び前年と同じ病院で春の桜を病室から眺めることとなりました。
 今度は大腸がんでした。 その原因は想定できました。 そこに至る数年間の内に積み上げられてきた、怨み(うらみ)、妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、など負の感情が入り交ざり、精神の安定を欠いていたことが要因だったのです。
 しかも、負けず嫌いの性格から、人様には感づかれないようにとの思いが、更にストレスとなって積み重なった結果であると容易に想定できたのです。

70日間後に退院、入院中にこれまで付き合ってきた組織や集団、そして人間関係をゼロに戻してスタートしようと考えていました。
 愛知、岐阜などの低山に登る、JRの「さわやかウオーキング」にはほとんど参加しました。
 地元の文化講演会や地域の文化活動に参加するなど、それまでとは全く異なった時間をすごすこととなりました。
 この間も、月1回開催される「波動の会」には必ず参加しました。 その会に参加すると非常に心が落ち着きましたし、楽しい時間を過ごせました。

波動の会の仲間から紹介された岐阜県瑞浪市で開校されている「百姓学校」には平成12(2000)年から参加しましてので、今年で8年目です。
 翌年、平成13年には「四国八十八箇所の遍路」も、38日間で打ち通ししました。
 残念なことですが、この頃になりますと各地の「波動の会」の活動はほとんど聞くことがなくなりました。

これで「波動の会」も終わるのかと思っていました頃、平成11(1999)年、6月に初版発行された「水からの伝言」が、一般書店では発売されませんでしたが、発行と同時に各地で口から口へと伝わってゆきました。
 翌年になると、国内はもとより海外からも関心がもたれるようになりました。 2001年には「水からの伝言 NO2」も発行され、国内はもとより海外でも関心が高まり、各国で、多言語での発行となったことは皆さんご存知の通りです。
 
 1年前、私のホームページに、再び『スピチュアルな時代の波、到来』、あるいは『波動ブーム』、『見えない社会への関心』が高まると言う、一文を乗せたことを思い出します。

 また、数年前から、「ロハス発想」=「健康で、持続可能な社会」、「循環可能な社会の到来、全てのモノが共生する社会の実現」ということに、多くの人々の関心が高まり始め、同時に活動が盛り上がりを見せております。

本年2〜6月、私は「ピースボート」で船旅世界一周をしてきました。  様々な国の実情をこの目にしてきました。 船上で十数カ国の人々の話も聞きましたし、討論もしてきました。
 その前の約10年間、時代は変わる、天地がひっくり返る時代が目の前に来ているのだと、言い続けた結果、知人・友人からは「オマエはオオカミ爺」だとの名前を頂戴しましたが、やっと私が感じていたことが目の前に到来したと思っています。
 もうこの流れは分水嶺を越えましたので、引き返すことは出来ないと考えます。

と同時に、これは暗く、厳しく、避けて通りたい道などではなく、間違いなく新たな考え方、価値観に基づく明るく・素晴らしい時代、世界到来のスタートが切られた、創造の時の始まりであると感じています。

 一見、不透明で、先が見えない状況に感じますが、歴史を振り返って見ますと、何時の時代にも同じようなことが語られ、書かれています。  驚くことはないのです。逆にチャンスですらあります。
 ただし、考え方も価値観も従来のまま、しかも人頼り、誰かがやってくれるという姿勢のところには新たな時代はやってきません。 
 自己責任、主体性・自主性のない姿勢のところには決して新たな時代は到来しないと思います。

許しあえる仲間と合い語り、様々な壁にぶち当たりながら試行錯誤の行動をとる人々の中から信頼と創造のネットワークが出来上がり、明るい未来=「自然とともに、静かで・心満たされた時間と空間」が実現されてくることと考えています。
 以上のことは、「IHM」「波動の会」との出会いがあってこそ気づかせてくれたことと感謝せずにはおれません。

最後に蛇足です、私の父は死に際に「それでは皆さん、さようなら」と言って、私の腕の中で息を引き取りました。
 その言葉の重みを意識したのは、最初が33歳、次が38歳、そして入院時の56歳の時でした。
 それ以後、特に60歳を過ぎてからは(父は満58歳で死亡)、その頻度が高まり、今年65歳を越えて、「どのような死に際が出来るのか」と、毎朝の礼拝のときに自問しています。

その結果、「終末医療に関する意思表示書」、「遺言」、「葬儀の手順・あいさつ文」など、今年に入り書き終え署名捺印しました。  
 以上の話も「波動の会」の仲間にも話させてもらいました。聞いていただいた方の気持ちは分りませんが私の気持ちはスッキリしました。 
 が、同時に自己満足の話をしてしまったと反省もしている今日この頃です。

本日は、つたない話を聞いていただきありがとうございました。

 





 COLUMU 1−D NO743
             
                             平成19年12月14日  記

  スッカリ落葉した散歩コースを歩いてきました   


 来週になると日程が込み合っており、急かされるように年賀状の宛名書きを終えました。
 西日が残っている間に歩いてみましょうと、何時もより早めに出発しました。
 気温はそれほど上がっていないのですが、時間帯が少し早いだけなのに西高森台にでも登ったのでしょうかすれ違う人の数が何時もより多かったです。

    

       ほんのチョットの時間のずれなどですが、左は陽が差し込んでいます。

             

          マダマダ落葉せずと、築水池で西日に照らされていました

             

      夏には絶好の日よけとなっていた楢の木が虫に食われて、バッサリです

           

   夕日に映える春日三山を撮影する積りだったのですが、陽が影ってしまいました。

                

 「元気牧場」のお馬さんも、本日はコートを着ておりました。明日は寒くなりそうです。





                                平成19年12月11日 記

 風邪もひかず、元気に日々を過ごしております


 有り難い事に、数日何も書かず、お休みさせていただきますと、叱咤の電文が届きます。
 気乗りしない時には入力をしないことにしております。 ”鈍なヒラメキ”でもあった時にはスラスラ入力できますが、何もない時には無理してパソコンに向かうこともなかろうと思っています。

 早い時には半年前から翌年の賀状の文面が出来上がるのですが、今年の年賀状は出来上がっておりません。
 どうも、ここ10数年の時代の流れと大きく変化しているように感じてなりません。
 一見、先行きが見通せず、暗く感じることがないわけではありませんが、其ればかりではないようにも思えるのです。

 バタバタ動き回ると自分の起こした波風に翻弄されてしまう事を経験が教えてくれます。
 動きが鈍くなってきたのかとも訝しく思っていますが、心穏やかに過ごしております。

 ご連絡いただいた方にご返事をと思って、書かせていただきました。


 
 COLUMU 1−D NO742
             
                             平成19年12月8日  記

  小春日和のベランダで、干し柿ほぼ完成    


 昨日はイルミネーションをベランダから垣根に向かって取り付けました。
 点灯しますとほぼイメージどうりの出来栄えで満足しました。 ここに紹介できないのが残念です。 
 家の前のイルミネーションは我が家のとは異なり豪華です。 今夜写真に納めます。

 年賀状の作成に入ろうと用意はしたのですが、気乗りがせずベランダに出て、イルミネーションの位置を変更して時間を過ごしております。 
 南向きで日当たりが良いところなので、他の場所より一番初早く干し柿が70%の出来上がりと成りました。

           

               
 
        口にしますと半熟状態のものより甘みが薄いように感じました。
     今年は大豊作でしたので、知人、友人や親戚に送ることが出来ました。

              





  お知らせ


  「旅日記」に「遠山郷、霜月祭りに参加しました」の一部を掲載しました。



 COLUMU 1−D NO741
             
                             平成19年11月28日  記

          身近で紅葉真っ盛り


 太陽がないので鮮やかさは落ちますが、「今日が最高よ」と言っているように聞こえましたのでカメラに納めました。

           

        ベランダより、左から「ハナノキ」桧」「サンシュ」「モミジ」「栗の木」 

               

             モミジをアップにして、桜の幹と比べてみました

               
    
          「後田公園」のイチョウとカエデがひっきりなしに落葉です

    

                 中部大学のキャンパスの中です

            

                     中部大学の中心地の池       
  
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