平成15(2003)年7月にメモしたこと(第2百姓学校開設前)
平成19(2007)年7月活字化
・藤原直哉さんが考える10年後(2010〜2015年)2003年7月24日・記
〜平成15(2003)年7月9日「藤原学校」のテープより
・@1990年代はI・Tの時代であった。 中央集権的な社会の崩壊→分権化社会へ
・A90年代、そして今は、学び、聞き、教えられ、考えていたことが、ある日、フッと感じるもの、気づくもの、肝におちるものとなる。 本当の正解は閃き→ポロッと出てくる。
・Bこれからの10年間の内、石油は値上がりし、金も値上がりする。
と言うことは、前半の5年間はインフレ、ハイパー・インフレ、これが5年間は続く。
後半は、その収束期となる。 I/T技術も他の技術も今と余り代わりが無いのだろう。
・C“農業と観光の時代”の到来。 これは広い大きな概念、各自が絵(画)を書く。
・D最後まで書ききらなくても良い。 走りながらシナリオを書く、また見えてくる。
・E各自の思い、肝に落ちたことを念じ、行動する。
・松藤民輔さんが感じ考える10年後
〜牛之宮ウィークリーNo495「ハワイからの手紙」より 平成15年7月 記
・10年前、(1993年ごろ)、松藤38歳
・当時のハワイのホテルは日本人」三分の二、現在は三分の一
・直感から物事の本質に迫る松藤方式。
・10年前の光景とは何も変わらない、海の目印、赤い旗→星条旗
・10年後、松藤58歳、見てくれは今の48歳より若くなっている。
・@米国は消えている。 分裂して10カ国ほどになっている
・A中国、北京オリンピックを転機として、分裂の道へ
・B経済イ)日本のみインフレに突入 ロ)ドルは紙切れ ハ)金価額 1g−1万円、いや10万円 ニ)2003年不動産問題未解決、大手不動産、財閥クラス倒産までダメ
・C金融問題イ)10年後、大手銀行と日銀と、もう1行 ロ)郵貯解体→銀行部門で大手か? ハ)10年後、証券の時代で、銀行は終わり
・D10年後の世界の最大問題
イ)貧富の格差拡大による国家の問題 ロ)国は成り立たず、有能な人は住みよい国に移住 ハ)若く才能のある人々は日本を目指す、日本語流行。 パックス・ジャポニカの時代。(50年前のアメリカ)
・E日本は二大政党が支配する構図
イ)老人達が支持する保守党と若年学生層を中心に女性に支持される政党
ロ)前者は年金・社会保障資産をもち社会をリタイヤーした人達。後者、新たなる社会構造で職を失った人々の雇用問題、小子化に伴う子供の問題を中心。
・F官僚政治は完全に終わり、効率性、機能性をもつ実務実行部隊による日本改革
・G医療分野 西洋医学一辺倒から、代替医療が進化
イ)60歳以上のひとびとはより長生き、40歳以下は短命
ロ)ファーストフーズ食文化とアメリカナイズの発想の若者は米国流で短命
・H学校は崩壊しているだろう。 大学は全国10校、義務教育は小学校まで。 個人の自主性、創造性の教育は10年後くらいから始まる。 東大神話は不動産神話以上に消える。
・H10年前(1993年)松藤の経済予測
イ)株価6000円、金3000ドル、ゼロ金利
ロ)3つの内2つは当たった、3つ目の金は上昇の第2幕
(注・加藤評価、2007年時点では、ゼロ金利が近い程度<2003年当時は正解>、
・I金、金融、証券の時代がやってくる。
以上のように2003年時点で、10年後を予測していた私の2人の先生。まだ中間にもなっていない。 今日は4年後の2007年7月23日である。
ところで、2003年、7月ごろ、加藤はフトンの中でどんなことをメモしていたのであろうか。
「百姓学校4年目とこれからの私」の宿題を受けて
・長い前文
・ユーラシア大陸の中央、ヨーロッパとアジアを繋ぐ接点で生まれたチグリス・ユーフラテス文明からギリシャ、ローマと続く西洋史観に基づく世界史。
その時代区分に模したアジアの歴史についてはほとんど知識を持ち合わせていないし、その東に位置する日本についても怪しい知識しか持ち合わせていない。必要に応じて百科事典を引っ張り出す。
数百ページの世界史概略や日本史概略を持ち出しては、一応納得する記述に遭遇するか、遭遇もママならずウヤムヤの知識のまま、その時、その場が過ぎていってしまう。
・その中で年に数回は必要に迫られて引っ張り出だされる“中世の終焉が近代の始まり”となる時代のこと。
それは神の支配する時代からの脱皮、“文芸復興”“ルネッサンス”と言う単語が想起され、そして“産業革命、資本主義の発展”と言う記述と続く。
・形而下の生産手段の発展と共に物的豊かさを求める形而上の思想・社会体制が勃興し、人々の活発な活動(科学・技術の発明、発見。資本活動)を推し進めるバックボーンとなって、力強く前進してゆく。
・ものの豊かさを求めるネライには、それを資本主義と言おうが、社会主義といおうが、共産主義といおうが、全て{MORE&MORE}=物的豊かさを求めての争いであった。
・社会主義のリーダー・ソ連邦は解体された。 一方、神の見えざる手によって導かれた市場原理主義によるグローバリズムのアメリカ主導の体制が、問題を解決するかに期待されたが、時間の経過と共に行き詰まりの状況となった。
・その間にあって、Aが、あるいはBが勝った・負けた・生き残ったと言いつつも、世界全体から見渡せばおおきく南北に区分され、また一国内の枠の中でも貧富の格差をもたらしている。
・全世界の民の衣・食・住がたとえ満たされたとしても、争いは起こらなかったといえるがどうか怪しい。
人間にいつの間にか刷り込まれた欲望=MORE&MOREの価値観は、生易しいものではないようだ。
・現に、その人間の活動によって地球が・自然が悲鳴を上げ、多くの人がその事実に気づき、現象を目の当たりにしていても、新たなる価値基準に転換したとは思えない。
・同時に、その中にあって、彼自身がそこに身をおいていること自体に疲れ、あるいは所属する組織が弱体化し、崩壊せんとしている。 更に、揺ぎ無いと思われた国という単位ですら、築き上げてきた体制、組織、システムが崩壊寸前にあることを感じずにはいられないところまできている。
・アチコチの集会や勉強会に顔を出す日々が続いているが、その中に百姓学校があった。
・労働の対価(肉体労働も頭脳労働)による収入=給与で購入した生活物資(食物)は当たり前と口にしていた。
・ 時には、それを提供してくれた(生産してくれた)太陽、水、土、人々に感謝しなければと形ばかりの手を合わせていた。・
・その私が、鍬・鎌を手にし、初めて扱う耕運機、草刈機、農機具だったが、月に一度の体験でも、3年1000日の月日は、頭だけの知識から確実に体験したものとして徐々に変化していったよう思えた。
・今もって、一畝を耕すことも、種・苗を蒔き植え込む時も、その方法や時期などは疑わしいものではあるが、自然の中で土と親しむことにより心安らぎ、目の前に近づきつつある体制崩壊の時になったとしても何とか食べていかれる、生きてゆけるのではないかと思えるようになってきた。
・ここまで来ても悪あがきするのが人間の性なのか?
疲れ、崩壊してやっと強制的に思い知らされる人々。あるいは、気づかされ、立ち止まり、ギアーを入れ替える人々。
中には乗り物を取り替え、行動を強制転換された人々など、今は様々な立場や思いの人々が、同じ船に乗り合わせ、流れが次第に速くなり落下する滝の直前の船にいるという状況ではないだろうか。かく言う、私もその一人である。
・昭和52(1977)年、当時確か京都大学の教授であった難波田春夫先生の著書に出会ったのが、気づきの始まりであった。
と言いながら、それから数えても既に20数年が過ぎている。 頭のどこかでしばしば社会や会社の動向に違和感をもった。そして自分の行動に疑問を抱きながMORE&MORE”と走り続けた。
・そしてある時、私の細胞が、臓器が悲鳴を上げた。最初の気づきからするとなんと長い長い歳月の末、思い知らされることになった。
が、人間の習性か又は私が生まれ時から耳元で聞かされた洗脳によるのか、肉体的苦痛が和らげば、また直ぐに昔の行動に立ち戻ろうとする自分を認識せざるを得ない日々が続いているのである。
・これから、どんな時代になるのだろう? どんな社会になるのだろうか?
そこで、どんな感じ方、考え方で日々を送りたいと思っているのか?
・過激な形容詞を使うことの方が、既に陳腐にも思えるぐらいの「近代の終焉」の時にある。
・日本国は(あるいは日本国民は)本当に多くの蓄え(物的=金銭、精神的=耐える)があったのだな〜。
・日本人はギリギリにならないと、いやハッキリと崩壊しないと、その前に手を打つということをしない国民性なのかなと思えてしまう。 「先延ばしに延ばしてきた」、もうこれまでかと思った1998年から5年の月日が過ぎた。
・バブル崩壊から数えれば、既に12年強の年月がズルズルと先延ばし、それが身についてしまった。
今後も、このような状況で続けられてゆくのだろうか、可能であると多くの人が思っているように感じる。
ここからが、寄せては引いていった何度目かの波が、ここで大きな潮目の時となるのではないだろうか。
現象としてはインフレ、しかもハイパー・インフレ。
・かって、インフレ経済成長の中で形成された体質が、この10数年の間に味わったデフレ経済(金利ほぼゼロ)
それが、超インフレになる。このインフレ時代には自分の知識、技量、能力に合致した収入しか入らない。
インフレに対応して、他から求められ、価額アップが可能なだけの、知識、見識、技量、技能を持っていることが問われる。
・インフレでゼロに近い実質収入にならないとも限らない。 それが5年間続き、その後の収束に5年、合計10年の時間で、新たな時代へと転換してゆくのが歴史の示しているところと聞いている。
・今月の百姓学校の定例会二日目の午後の休憩時間のことである。
『明日は月曜日、皆さんはまた職場に行かれます。ご苦労様です。 明日は体のアチコチが痛いことでしょう。
が、この二日間、身体イッパイにエネルギーを貰ったはずです。 筋肉の痛さは吸収したエネルギーだと思って頑張ってください』と。
すると、『本当にそうです。 あそこに行かなければならないのですよ』との返事。
・私が『私独りが負けるのは悔しい。 妻、子を見なければなりません』ということでしょうかねというと、素直に頷いておられた方々。
・しかし、こんな会話のあるところに、既に出会い、こられたということは、4年前の私同様に大きなチャンスを掴んでいるということではないかと思うのです。
以上のように、今という時は人類の歴史の中にあって、先史、古代、中世、近代、現代の区分されるほどの大きな節目に位置していると思っていることをいいたかったのだろうと思うが、それにしては実際に取上げられていることは、卑近で身近なことだ。 所詮は、私は損得、苦か楽か、のレベルの問題でしか語れないようである。
続けて次のことがメモされている。
・何をもって節目といるのか?
それは一般市民=大衆の価値観、生活内容が大きく変化することではないかと予感、予測に基づいている。
世界を俯瞰すれば、大きく南北の貧富の格差問題、また、北半球に大半が集中した先進国といわれる国々において、豊かさの極み中で進む貧富の差が生じ、その差の現象は時間経過と共に明確になり、更に今後もこのまま進展する様相である。
・その結果は歴史上に発生した事実、不満、不安、不信を通り越して、大衆の暴動が起こるのではないだろうか。
今の生活を維持したいと思う気持ちはあるが、この先にある不満や不安そして不信、そこからくる更なる緊張感を伴って生じるのであろう。
同時に、この大転換の時に遭遇し、生を受けたことの不思議さと感動と感謝の念もある。
・ほんの少ししか、何かを見る(体験する)ことしか出来ないだろうが、それでも私の魂は輪廻転生するであろうから・・・、感謝をしたい。
・今この時を、明確に認識し、観測し、出来うる限り自主性、主体性を持って生き、次の人々に渡してゆきたいし、また、どのように変化した状況になったかを、再び修行僧として転生し、会いに来たいものだ。
・其れゆえに、オロオロ、ウロウロすることなく、今と言う時を生き通して見たい。
・さて、数日前に第2百姓学校のことが具体的にテーブルの乗り、その話を聞き、また現場にたった。
この日の未明、私がメモしたものが以下に記したものである。
・校長と話をすると、以下のことが聞けた。
@あの地は水が充分でない。 永住地としてはすすめ難い。
A梅雨時で、一番水の多いときであるが、竜吟湖の水位は、貯蔵可能な水位の半分以下である。何処かに穴が開いている。 候補地の上にあるため池(7~800坪の溜池)は満水であるが、候補地と、その下の田圃を満たすには不足している。
B常にいろいろな条件を満たしてくれる土地を探していれば、ポロッと発見あるいは授かるものだ。
緑のパラダイス構想
「“大地の恵み”楽園村」設立 の計画書がA3の紙に10枚ほどに書かれている。
・平成19年7月23日 記
上記のように4年前に枕元で書いたメモを活字化してみた。
第1印象は、自分のメモしたものであるが、一向に進歩も発展もしていない。と思った。
が、4年ぶりで、また何かこのようなことを思い出すというのは、何かがあるようにも思える。
同一方向に向かっていれば、何かが訪れるのではないか。
あるいは、全く異なったことが現れるのであろうか?
以上、長い活字によくもお付き合いくださいました。
それから5年が経過しました。 今の考え方、心境はどのようなものでしょうか。
特に大きく状況が変わったとも思えないと感じる方もいれば、全く状況は変わったという方も居られることでしょう。
私の感じ方は5年前には「これは可笑しい、どこか違う」と感じていた方は10%ぐらいではなかったでしょうか。 今は50%以上の方がこのままでは済まされないと気づき、少々の不安を感じているのではないでしょうか。
では如何したらよいのかということですが、国も、政府も、お役人も、政治家も、学者も、会社も、会社のお偉方もその答えを持ち合わせていないというのが正解ではないでしょうか。
各自が当に自分の考え方、生き方で試行錯誤の行動を起こすしかないと考えます。
誰かに頼る、答えをもらうと言う姿勢では誰からも相手にされないのではないでしょうか。
互いに試行錯誤しながら、互いに許され、共有できる考え方、価値観のもの同志がネットワークを結び、助け合ってゆく時と思っています。
本日はここまでとします。 そのうちに纏めて自分の気持ちを書き記す時がくると思います。 その時に改めて掲載します。
5年前にこんな事を書いていたなどとは全く記憶していませんでした。
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