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 COLUMN 1−D 830

                                     平成20年8月5日

     8月3~4日、遠山郷へ行ってきました

 
 日中は遠山郷といえどもほとんど東海地方との気温は代わりません。 が、陽が落ちると急速に涼しくなります。 と言いたいけれど、8月3日の夜、そして8月4日の朝は寝苦しいほどの気温でした。

 特別の用事があったわけではありませんが、藤原直哉さんが遠山の来られ、「健康管理やり直し娯楽部」発足にともない、医師の土橋先生とのビデオ収録が行なわれ、日程調整の出来る方数人との打ち解けた話し合い、意見交換の場となりました。

 お医者さんと言っても一般のお医者さんとは異なります。 「医者は病気を治す人でもなく、健康管理をしてくれる人でもありません」というお医者さんです。 ご自分が具体的に体験してきたことをお話しされるのですから驚きの話もありますが、ヤッパリと合点の行く話しもかなりありました。
 
 先端を走る、あるいは既存の仕組みに逆らうのですから大変なことでしょうが、自分の意に添わないことをすることはしないと決めたと言っておられました。
 医師の中に土橋先生のような考え方を持つ方が急速に増えているとのことです。


 一方、藤原先生のお話の中に、「昭和の残像はこの秋、遅くとも来年の早い頃になくなっていることでしょう」との現状認識が語られました。

 アメリカのサブ・プライム問題の本質が理解出来ず、どのように波及してゆくのかを日々空虚に新聞、テレビと睨めっこするのみ、ただ現実に石油の値段が日々値上がりし、食料品の価額が値上がりしていることは実感していますので、不安と不満そして権力者への不満は高まってきています。

 他人事ではなく、自分の問題として今後の生き方や生活の仕方を具体的に考え行動に移してゆく時であると感じずには居られませんでした。

 それにつけても、先回小田原に研修旅行に行ったメンバーと改めて「夜の懇親会」が開催されましたが、昼間のお話の内容をスッカリ忘れての交流でした。

 遠山郷の方々は日本列島が急成長して行ったときに、時間経過と共に忘れ去られていった時空を潜ってこられた方々です。 その秘めたエネルギーや辛抱強さ、人情味はこれからの大きな強み、財産であると改めて感じました。




 COLUMN 1−D 829

                                     平成20年8月3日

     散歩コースを変えて、稲荷山へ

 
 普段の散歩の基本コースは3本です。 と言ってもAコース(築水池周辺)が6割、Bコース(道樹山、大谷山、弥勒山)が15%とCコース(ウグイ川)が10%、その他が10〜15%となります。
 A,B,Cのコースにはそれぞれに寄り道コースがありますので、ほとんど毎日異なるコースを歩いていることになります。 春夏秋冬で好みのコースが変化もしています。

           昨日がCコースから外れて稲荷山に上りました。 

            

 昔の瀬戸の代官所に向かう街道に沿った集落の小山(標高250メートル?)の上にあります。
 写真の左側(山道の左)今は手入れもされず桧や杉が細々と中には立ち枯れています。 
 良く観察すれば石積みがなされており、畑であったか、田圃であったと思われます。
 ここまで荒廃してしまうと元に戻すことは至難の技と思われます。


           

 10分足らずで登れる小山ですが、それでも途中で汗を拭いました。 その汗の臭いに
 寄せられたのでしょうか小さな蚊が音もなく近付きむき出しの手足をチクリです。

 チクリに弱いのです。 上記の写真は少しボケています。 カメラを固定して撮影することが出来ませんでした。 ほうほうの態で逃げ降りてきました。  

     チクリに弱いといいましたが、では「ブスリ」には強いのでしょうか?
 チク・チクと苛められるのには精神的に疲れます。 ドスン・ブスンは引っくり返って立ち上がれないでしょう。

 グラグラ、ドタンバタン、ドンピシャ、バッシャとやってきそうです。
 昨日は縁あってお稲荷様コースでした。 チクリ様で事前訓練だったのかもしれません。




 COLUMN 1−D 

                                     平成20年8月2日

    8月2日は何となく「コラム2−N」へ掲載






 COLUMN 1−D 828

                                     平成20年8月1日

         7月31日の畑仕事

 
 今年の3月より、月二回と決めている畑仕事も5ヶ月が過ぎました。  お盆前にもう一回行きたいと思い、しかも可能ならば日差しが弱く、その日の夕方か翌日には雨が降ってくれ日はどこかと天気予報を検討しています。

 そんな天候を待ち望んでいますとタイミングがずれてしまいます。 事実、雨を待っていた奥さんは秋まきササゲのタイミングを失ってしまったと言っておられました。
 (4週間前に播いた私の秋ササゲは長い物では1メートルを越して、支柱に巻きついています)

 7月下旬より続いている日照りはついにサトイモの葉を枯らし始めました。

        

 写真右下にある麦わらを根元に敷き詰めることにしました。 何でも使い物になる物で、麦わらは牛君は食べません。 日よけの敷物にするくらいしか役に立ちませんが、しかし3ヶ月もすると腐ってボロボロになってしまいます。
 
 そこが稲藁と違い好都合なのです。 稲藁はなかなか腐りませんので、耕転のときに耕運機に絡んでしまいますが、麦わらはその心配が要らないということです。
 何でも、その性質を生かせば役に立つと教えてくれる農業の一端です。

           

    ネギの植え替えをしました。この冬には柔らかく美味しくなってくれることでしょう。

         

                  本年2回目の草刈をしました。
     連日の炎暑でどうなるのか見当がつかない秋野菜の種まきをしました。
 「大根」「ハクサイ」「水菜」を5メートルの畝・2本に播きました。 このままのお天気が続くと水遣りが出来ませんので、芽だしは不可能でしょう。
 
   そのことを考慮してお盆前にもう一回出向いて再度の種まきを予定しています。

 昨日の農作業は5時間となりました。この3ヶ月の中で最長です。 時折の薄日で助けられたことと、朝からバイオリズムが良かったことです。 ただし途中での水分補給は約3リットルでした。

 帰宅後はビールではなく、”本日はジン・トニック”が良いなと思って運転しました。。
 汗を流した後のジントニックを一気に2杯飲み切りました。 冷凍のライムの香りが効いていてヤッパリ最高でした。

 その後は木樽仕込の焼酎です。 テレビは野球のオールスター戦を中継していましたが、8時過ぎには声援の声も聞こえずじまいでした。

   今朝は久しぶりに、午前7時までフトンの中、真夏の畑仕事を楽しみました。。





 COLUMN 1−D 827
                                     平成20年7月30日

      築水池を久しぶりに周回しました

  
 築水池の四分の一ぐらいは毎日の散歩コースなのですが、周回するのはササユリが咲き終わって以来です。

        

 築水池の水位は満水時から約1メートル下がっております。 写真右側の茶色になっているところが下がった所を示しています。
 今現在、ほとんどの田圃が第1回目の水切りを終えた後ですので、縦横に掘り込まれた水路ではゴーゴーと音を立てて流れております。

  周回路が出来て20年以上経過していますので頭上は自然木や植えられた木々が生長して木陰を作ってくれています。足元はススキや草が伸びており、足にまつわり付きます

 陽がほとんど差し込まない周回路ですが、クチナシの花が所々で数輪づつ咲いています。
                

    上からシャッターを切ったり、座り込んで見上げたり、香りを楽しんでいました。

                

 一瞬目を疑いました。 クチナシノ花がサギソウの花の形で舞い上がったのです・・・
 
         足元の危なさに気づかずに見とれて、ズルッと滑ったのでした。
   本日の運勢欄(ほとんど見ない)に、美人が言い寄る、注意とありました。(?)






 COLUMN 1−D 826
                                     平成20年7月28日

   10日ぶりの雨 雷雨を眺めながら

 
  7月18日にパラパラと地表がやっと濡れる程度の雨が通り過ぎてからは連日の猛暑でした。 本日は1時間に100ミリの集中豪雨で床上や床下浸水の被害も出ているようですが、当地では待ち望まれていた雷雨でした。

           

 稲光の走るのを眺めつつ、藤原直哉さんのインターネット放送を聴きました。
 題して「洗脳から目覚め座した日本人」です。 この15年間どのような洗脳にあっていたのでしょうか。
 @安いものが良い  Aデジタル化が良い  B都会が良い  C能力で決まる市場原理が良い  D金儲けOK,金融運用の能力があり、資産運用が上手なこと などがあげられていました。

 聴きながら、こんなことを入力していました。

 昭和一ケタ代の方が終戦を迎えたときのように、威張り散らしていた右翼や軍人、反対に非国民呼ばわりされていた人が手のひらを返すごとくの昭和20年8月15日でした。

 平成の15年間を洗脳していた人たちは誰だったのでしょうか。 仕上げ人は小泉純一郎であり、竹中平蔵だったのでしょか。 その尻馬に乗って規制緩和、自由化、官から民へと利権取得で大儲けした財界人だったのでしょうか。 
 煽り立てたマスコミも、御用学者の顔も思い浮かびます。
 
 が、時に隠れて、時に力づくで仕掛けと先導をしたのはグローバリゼーションを言い立てた国やリーダー達の姿も鮮明に浮かび上がってきます。

 その仕掛け人も仕掛けを利用して弱者を食い物にした強者も行き詰まりました。 問題の先送りでは到底やり過ごすことは出来ないところにきました。

 誰が悪いと言い立てても、自分の胸に手を当てみると自戒の念なしと言い切れません。
 その間、何をしていたのでしょうか。 ”自戒の念なし”と言いきれる方は、既に洗脳から解き放たれて新たな道を自己ペースで歩んでおられます。

 今、刻々と不況と物価高です。 デフレ時代にはリストラだけが経営技法のごとくでした。
 アルバイターから始まりフリーターそしてワーキング・プアーと人の使い捨てが、今日の日本社会に表面化している現象の主要因ではなかったのではないでしょうか。

 知らぬ間に浸かった洗脳から抜け出るには自分自身でその洗脳から抜け出ることです。
 私の場合、この間「土」と向かい合うことによって、教えられ、迷うことが少なかったように感じていますが、これからが本番と戒めています。

           

    雷雨が通り過ぎても、カラッとした涼しさも・日差しも戻ってきませんでした。
            大谷山に立ち上る霧が流れてゆきました。






 COLUMN 1−D 825
                                     平成20年7月27日

    夕方の「宮滝大池」にて

 
        

              カルガモの親子合わせて10匹でした。
 
 ほとんどここまでの大きさに成長する前に、鯉に飲み込まれたり、ヘビに食われたり、カラスに突かれて3〜4匹になってしまいますが、全員無事な様子です。
 親は少し離れた田圃の土手で見下ろしていました。
 




 COLUMN 1−D 824
                                     平成20年7月27日

    なぜだろう?

    〜庭畑の夏野菜は実に美味しい〜

 
 本日は雲があり直射日光は弱く、気温もそれほど上昇していませんが、それでも午後2時現在、室内の温度計は34度をさしています。

 過日、20粒515円なりの「よしなりキュウリ」は防鳥網が遅れて、スズメに全て引き抜かれたことを紹介しました。
 
 同時期にポットに種蒔きした「千筋京水菜」と「60日ハクサイ」が順調に成長していました。 それが1週間前より、虫に食われ始めついに本日は以下のような姿になってしまいました。
        
            水菜                        ハクサイ

 きめ細かい網を張らなければいけなかったのでしょうが、どのようになるのか水遣りのみで観察した結果です。
 
 と言いますのは、畑(瑞浪・日吉)の畝に直蒔した時には、全てとは言いませんが間引かねばならないほどに芽を出し成長します。 (間引くほどに厚めに種を蒔くのが正解です、互いに寄り添って成長します)

 上記のポットの物も数本芽を出した物を間引いて成長させました。 間引き方が早かったのでしょうか、それとも強すぎたのでしょうか。

 直蒔きは水遣りも十分ではないのですが、いやほとんど自然まかせです。(それゆえに日照り続きですと、全く芽を出さないこともあります。)

 瑞浪・日吉と春日井・高蔵寺の朝晩の気温の違いでしょうか。 もう一つ考えられるのが「土」です。 ポット蒔きした種は市販の肥料入りの土です。 「土力」とでも言うのでしょうか、瑞浪・日吉は有機肥料の土です。(今度、春日井の庭の隅で、直蒔き実験をして見ます)


 本日、テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」を視聴していました。 テーマは「闇の王が”食品偽装”BB告白」でした。

  私たちが毎日口にする物は信じられない、食べる物がなくなってしまうと思わざるを得ません。 
 自分で作るといっても誰もが出来ることではありませんし、安心・信用できる物ばかりを食べようとしますと大変高価なことになってしまいます。

 可能な限りのことですが、例え一品でも安心し、安全な物で確信できるものを持つことが必要と思っています。 知人や友人に「プランター栽培」を勧めています。
 
 畑から持参した物は近所にお裾分けしていますが、玄関先で鄙びたり、腐ったりしている姿を見ると申し訳ない気持ちにさせられます。

            

 上記は本日の1・5坪の我が家の庭隅の収穫物です。 トマトは完全に完熟です。
 冷やして、塩をまぶして頂きますが、朝晩の酒の友の最初に口にする一品です。

 曲がっておりますが、花柄付きのキュウリは塩を振り掛けるだけで、あるいは酢もみにしても、また朝の味噌汁の実にしても灼熱の太陽のエネルギーが身体イッパイに力づけてくれます。
  明日朝、収獲予定のトマトこれまた完熟状態に近い色をしています。 今年はトマトが例年になく上出来です。 大好物ですのでハッピーです。





 COLUMN 1−D 823
                                     平成20年7月26日

  蝉も熱中症で倒れるのかな?

 〜そんな事はない。短い一生を終えたのでしょう〜

 
 連日の猛暑です、いかがお過ごしでしょうか。 特に雨に強い七夕飾りをしたわけではありませんが、連日の猛暑で日焼けしましたボンボリ飾りと短冊が半分、黒竹の青々とした笹の葉の間で揺れています。
 (子供達がお願い事を書いた短冊は既に収納してあります)

 数日前から油蝉とミンミンゼミが鳴き始めました。 喧しい、暑苦しいという感じではありません。 今年は数が少ないように感じます。

 夕方の散歩に出かけますと、アスファルト道路に油蝉とミンミンゼミの死骸を見つけました。 暑かったから熱中症にでもかかったのかと拾い上げて自宅に持ち帰りました。

    土 

   左が油蝉、左がミンミンゼミ

 油蝉は直ぐに分かりましたが、ミンミンゼミかクマゼミかの判別がつきませんでした。
 30数年前の(昭和51年7月購入と書かれていました)「昆虫の図鑑」を引っ張り出して、オス・メスの区別も含めて1時間弱図鑑を眺めることになりました。

 改めて「蝉の一生」を学びました。 油蝉は枯れ枝に産み付けられた卵が、次の年の6月ごろ幼虫にかえり、土の中で汁を吸って育ち、7年目の夏、地上に出てきて羽化する。
 そして、約一週間で次の子孫を残して一生を終える。

 これから、「つくつくぼうし」の声が聞こえ、そしてヒグラシ蝉の声も加わると、暑い厚いといっていた夏の折り返し点を過ぎたことを教えてくれます。

  いやいや、高校野球もこれからだし、今年は北京オリンピックもあります。
 
 クーラーを止めて、額に背に汗流して夏を満喫したい。





 COLUMN 1−D 822
                                     平成20年7月25日

 中部大学・「小島教授を囲む会」が開催されました

 
 中部大学で小島亮教授の講義を聴講生として受講している者の集まりが7月23日、勝川駅前の「水徳」で開催されました。 
 「小島教授を囲む会」と名付けられたのは今年の3月3日が最初です。 この時の参加者は先生を加えて11名で、今回は21名でした。

 声を掛ければもっと参加者が増えるのでしょうが、会場の関係とこれ以上に人数になると纏まりが悪くなるのではないかと心配し、声を掛けるのを控えました。
 この会の幹事役を引き受けていただける方が小まめで、事前準備も気遣いも十分で楽しい3時間半を過ごしました。

 写真を撮ってきたはず、ここに掲載しようと何時もの手順に従ったのですが一向にラチがあきません。
 何度かアチコチを弄繰り回しておりましたら、原因を突き止めました。
 静止画像ではなく、ビデオ撮影していたのでした。 ここにそのビデオ画像を掲載する技術を持ち合わせていませんのでゴメンナサイ。

 十分に御酒を頂いた後での撮影でしたので、手元の操作を間違えてビデオ撮影にしてしまったのでしょう。
 大半の方は帰られましたが、7名の方と居酒屋で締めくくりをしました。


 なお、今調べてみましたら先生を囲んでの会の始まりは平成18年11月24日でした。
 当日、研究室での火気の使用は禁じられているようですが、その時は聴講生の5名とゼミ生・その他の6名の合計11名で、先生の手料理「ハンガリースープとハンガリーワイン」、それに各自が持ち寄った一品で盛り上がりました。

 その時の写真を眺めながら入力しています。 さかのぼるには「コラム1−D NO632」です。「あ〜、昨夜は楽しかった、楽しかった」と題して写真が掲載されています。
 
 聴講生の方の略歴は皆さんそうそうたるものです。 一言士ばかりでどうなるかなと初めて参加された方が心配されていましたが、最後は和気あいあいでした。

  「昭和は遠くなりにけり」と感じざるを得ませんでした。
 皆さん、活躍した昭和の思い出話や自慢話ばかりではなく、これまでの反省とこれからについて語る姿勢に”今なお学ぶ友”が側にいることの大切さもあわせ感じました。







 COLUMN 1−D 822
                                     平成20年7月23日

 全く偶然のことなのですが、5年前の7月23日に

 こんな事を書いていた文章を発見しました。

 
 平成15(2003)年7月にメモしたこと(第2百姓学校開設前)

                    平成19(2007)年7月活字化

・藤原直哉さんが考える10年後(2010〜2015年)2003年7月24日・記

 〜平成15(2003)年7月9日「藤原学校」のテープより

・@1990年代はI・Tの時代であった。 中央集権的な社会の崩壊→分権化社会へ

・A90年代、そして今は、学び、聞き、教えられ、考えていたことが、ある日、フッと感じるもの、気づくもの、肝におちるものとなる。 本当の正解は閃き→ポロッと出てくる。

・Bこれからの10年間の内、石油は値上がりし、金も値上がりする。

と言うことは、前半の5年間はインフレ、ハイパー・インフレ、これが5年間は続く。

後半は、その収束期となる。 I/T技術も他の技術も今と余り代わりが無いのだろう。

・C“農業と観光の時代”の到来。 これは広い大きな概念、各自が絵(画)を書く。

・D最後まで書ききらなくても良い。 走りながらシナリオを書く、また見えてくる。

・E各自の思い、肝に落ちたことを念じ、行動する。

・松藤民輔さんが感じ考える10年後    

 〜牛之宮ウィークリーNo495「ハワイからの手紙」より 平成15年7月 記

・10年前、(1993年ごろ)、松藤38歳

・当時のハワイのホテルは日本人」三分の二、現在は三分の一

・直感から物事の本質に迫る松藤方式。

・10年前の光景とは何も変わらない、海の目印、赤い旗→星条旗

・10年後、松藤58歳、見てくれは今の48歳より若くなっている。

・@米国は消えている。 分裂して10カ国ほどになっている

・A中国、北京オリンピックを転機として、分裂の道へ

・B経済イ)日本のみインフレに突入 ロ)ドルは紙切れ ハ)金価額 1g−1万円、いや10万円 ニ)2003年不動産問題未解決、大手不動産、財閥クラス倒産までダメ

・C金融問題イ)10年後、大手銀行と日銀と、もう1行 ロ)郵貯解体→銀行部門で大手か? ハ)10年後、証券の時代で、銀行は終わり

・D10年後の世界の最大問題

 イ)貧富の格差拡大による国家の問題 ロ)国は成り立たず、有能な人は住みよい国に移住 ハ)若く才能のある人々は日本を目指す、日本語流行。 パックス・ジャポニカの時代。(50年前のアメリカ)

・E日本は二大政党が支配する構図

 イ)老人達が支持する保守党と若年学生層を中心に女性に支持される政党

 ロ)前者は年金・社会保障資産をもち社会をリタイヤーした人達。後者、新たなる社会構造で職を失った人々の雇用問題、小子化に伴う子供の問題を中心。

・F官僚政治は完全に終わり、効率性、機能性をもつ実務実行部隊による日本改革

・G医療分野  西洋医学一辺倒から、代替医療が進化

 イ)60歳以上のひとびとはより長生き、40歳以下は短命

 ロ)ファーストフーズ食文化とアメリカナイズの発想の若者は米国流で短命

・H学校は崩壊しているだろう。 大学は全国10校、義務教育は小学校まで。 個人の自主性、創造性の教育は10年後くらいから始まる。 東大神話は不動産神話以上に消える。

・H10年前(1993年)松藤の経済予測

 イ)株価6000円、金3000ドル、ゼロ金利

 ロ)3つの内2つは当たった、3つ目の金は上昇の第2幕

(注・加藤評価、2007年時点では、ゼロ金利が近い程度<2003年当時は正解>、

・I金、金融、証券の時代がやってくる。

以上のように2003年時点で、10年後を予測していた私の2人の先生。まだ中間にもなっていない。 今日は4年後の2007723日である。

ところで、2003年、7月ごろ、加藤はフトンの中でどんなことをメモしていたのであろうか。

「百姓学校4年目とこれからの私」の宿題を受けて

・長い前文

・ユーラシア大陸の中央、ヨーロッパとアジアを繋ぐ接点で生まれたチグリス・ユーフラテス文明からギリシャ、ローマと続く西洋史観に基づく世界史。

その時代区分に模したアジアの歴史についてはほとんど知識を持ち合わせていないし、その東に位置する日本についても怪しい知識しか持ち合わせていない。必要に応じて百科事典を引っ張り出す。

 数百ページの世界史概略や日本史概略を持ち出しては、一応納得する記述に遭遇するか、遭遇もママならずウヤムヤの知識のまま、その時、その場が過ぎていってしまう。

・その中で年に数回は必要に迫られて引っ張り出だされる“中世の終焉が近代の始まり”となる時代のこと。

 それは神の支配する時代からの脱皮、“文芸復興”“ルネッサンス”と言う単語が想起され、そして“産業革命、資本主義の発展”と言う記述と続く。

・形而下の生産手段の発展と共に物的豊かさを求める形而上の思想・社会体制が勃興し、人々の活発な活動(科学・技術の発明、発見。資本活動)を推し進めるバックボーンとなって、力強く前進してゆく。

・ものの豊かさを求めるネライには、それを資本主義と言おうが、社会主義といおうが、共産主義といおうが、全て{MORE&MORE}=物的豊かさを求めての争いであった。

・社会主義のリーダー・ソ連邦は解体された。 一方、神の見えざる手によって導かれた市場原理主義によるグローバリズムのアメリカ主導の体制が、問題を解決するかに期待されたが、時間の経過と共に行き詰まりの状況となった。

・その間にあって、Aが、あるいはBが勝った・負けた・生き残ったと言いつつも、世界全体から見渡せばおおきく南北に区分され、また一国内の枠の中でも貧富の格差をもたらしている。

・全世界の民の衣・食・住がたとえ満たされたとしても、争いは起こらなかったといえるがどうか怪しい。

人間にいつの間にか刷り込まれた欲望=MORE&MOREの価値観は、生易しいものではないようだ。

・現に、その人間の活動によって地球が・自然が悲鳴を上げ、多くの人がその事実に気づき、現象を目の当たりにしていても、新たなる価値基準に転換したとは思えない。

・同時に、その中にあって、彼自身がそこに身をおいていること自体に疲れ、あるいは所属する組織が弱体化し、崩壊せんとしている。 更に、揺ぎ無いと思われた国という単位ですら、築き上げてきた体制、組織、システムが崩壊寸前にあることを感じずにはいられないところまできている。

・アチコチの集会や勉強会に顔を出す日々が続いているが、その中に百姓学校があった。

・労働の対価(肉体労働も頭脳労働)による収入=給与で購入した生活物資(食物)は当たり前と口にしていた。

・ 時には、それを提供してくれた(生産してくれた)太陽、水、土、人々に感謝しなければと形ばかりの手を合わせていた。・

・その私が、鍬・鎌を手にし、初めて扱う耕運機、草刈機、農機具だったが、月に一度の体験でも、31000日の月日は、頭だけの知識から確実に体験したものとして徐々に変化していったよう思えた。

・今もって、一畝を耕すことも、種・苗を蒔き植え込む時も、その方法や時期などは疑わしいものではあるが、自然の中で土と親しむことにより心安らぎ、目の前に近づきつつある体制崩壊の時になったとしても何とか食べていかれる、生きてゆけるのではないかと思えるようになってきた。

・ここまで来ても悪あがきするのが人間の性なのか?

 疲れ、崩壊してやっと強制的に思い知らされる人々。あるいは、気づかされ、立ち止まり、ギアーを入れ替える人々。
 中には乗り物を取り替え、行動を強制転換された人々など、今は様々な立場や思いの人々が、同じ船に乗り合わせ、流れが次第に速くなり落下する滝の直前の船にいるという状況ではないだろうか。かく言う、私もその一人である。

・昭和52(1977)年、当時確か京都大学の教授であった難波田春夫先生の著書に出会ったのが、気づきの始まりであった。

 と言いながら、それから数えても既に20数年が過ぎている。 頭のどこかでしばしば社会や会社の動向に違和感をもった。そして自分の行動に疑問を抱きながMORE&MORE”と走り続けた。

・そしてある時、私の細胞が、臓器が悲鳴を上げた。最初の気づきからするとなんと長い長い歳月の末、思い知らされることになった。

が、人間の習性か又は私が生まれ時から耳元で聞かされた洗脳によるのか、肉体的苦痛が和らげば、また直ぐに昔の行動に立ち戻ろうとする自分を認識せざるを得ない日々が続いているのである。

・これから、どんな時代になるのだろう? どんな社会になるのだろうか?

そこで、どんな感じ方、考え方で日々を送りたいと思っているのか?

・過激な形容詞を使うことの方が、既に陳腐にも思えるぐらいの「近代の終焉」の時にある。

・日本国は(あるいは日本国民は)本当に多くの蓄え(物的=金銭、精神的=耐える)があったのだな〜。

・日本人はギリギリにならないと、いやハッキリと崩壊しないと、その前に手を打つということをしない国民性なのかなと思えてしまう。 「先延ばしに延ばしてきた」、もうこれまでかと思った1998年から5年の月日が過ぎた。

・バブル崩壊から数えれば、既に12年強の年月がズルズルと先延ばし、それが身についてしまった。

今後も、このような状況で続けられてゆくのだろうか、可能であると多くの人が思っているように感じる。

ここからが、寄せては引いていった何度目かの波が、ここで大きな潮目の時となるのではないだろうか。

現象としてはインフレ、しかもハイパー・インフレ。

・かって、インフレ経済成長の中で形成された体質が、この10数年の間に味わったデフレ経済(金利ほぼゼロ)

それが、超インフレになる。このインフレ時代には自分の知識、技量、能力に合致した収入しか入らない。

インフレに対応して、他から求められ、価額アップが可能なだけの、知識、見識、技量、技能を持っていることが問われる。

・インフレでゼロに近い実質収入にならないとも限らない。 それが5年間続き、その後の収束に5年、合計10年の時間で、新たな時代へと転換してゆくのが歴史の示しているところと聞いている。

・今月の百姓学校の定例会二日目の午後の休憩時間のことである。

『明日は月曜日、皆さんはまた職場に行かれます。ご苦労様です。 明日は体のアチコチが痛いことでしょう。

 が、この二日間、身体イッパイにエネルギーを貰ったはずです。 筋肉の痛さは吸収したエネルギーだと思って頑張ってください』と。

すると、『本当にそうです。 あそこに行かなければならないのですよ』との返事。

・私が『私独りが負けるのは悔しい。 妻、子を見なければなりません』ということでしょうかねというと、素直に頷いておられた方々。

・しかし、こんな会話のあるところに、既に出会い、こられたということは、4年前の私同様に大きなチャンスを掴んでいるということではないかと思うのです。

以上のように、今という時は人類の歴史の中にあって、先史、古代、中世、近代、現代の区分されるほどの大きな節目に位置していると思っていることをいいたかったのだろうと思うが、それにしては実際に取上げられていることは、卑近で身近なことだ。 所詮は、私は損得、苦か楽か、のレベルの問題でしか語れないようである。

 続けて次のことがメモされている。

・何をもって節目といるのか?

それは一般市民=大衆の価値観、生活内容が大きく変化することではないかと予感、予測に基づいている。

世界を俯瞰すれば、大きく南北の貧富の格差問題、また、北半球に大半が集中した先進国といわれる国々において、豊かさの極み中で進む貧富の差が生じ、その差の現象は時間経過と共に明確になり、更に今後もこのまま進展する様相である。 

・その結果は歴史上に発生した事実、不満、不安、不信を通り越して、大衆の暴動が起こるのではないだろうか。

今の生活を維持したいと思う気持ちはあるが、この先にある不満や不安そして不信、そこからくる更なる緊張感を伴って生じるのであろう。

 同時に、この大転換の時に遭遇し、生を受けたことの不思議さと感動と感謝の念もある。

・ほんの少ししか、何かを見る(体験する)ことしか出来ないだろうが、それでも私の魂は輪廻転生するであろうから・・・、感謝をしたい。

・今この時を、明確に認識し、観測し、出来うる限り自主性、主体性を持って生き、次の人々に渡してゆきたいし、また、どのように変化した状況になったかを、再び修行僧として転生し、会いに来たいものだ。

・其れゆえに、オロオロ、ウロウロすることなく、今と言う時を生き通して見たい。

・さて、数日前に第2百姓学校のことが具体的にテーブルの乗り、その話を聞き、また現場にたった。

 この日の未明、私がメモしたものが以下に記したものである。

・校長と話をすると、以下のことが聞けた。

@あの地は水が充分でない。 永住地としてはすすめ難い。

A梅雨時で、一番水の多いときであるが、竜吟湖の水位は、貯蔵可能な水位の半分以下である。何処かに穴が開いている。 候補地の上にあるため池(7~800坪の溜池)は満水であるが、候補地と、その下の田圃を満たすには不足している。

B常にいろいろな条件を満たしてくれる土地を探していれば、ポロッと発見あるいは授かるものだ。

 緑のパラダイス構想

 「“大地の恵み”楽園村」設立  の計画書がA3の紙に10枚ほどに書かれている。

・平成19723日 記

上記のように4年前に枕元で書いたメモを活字化してみた。

1印象は、自分のメモしたものであるが、一向に進歩も発展もしていない。と思った。

が、4年ぶりで、また何かこのようなことを思い出すというのは、何かがあるようにも思える。

同一方向に向かっていれば、何かが訪れるのではないか。

あるいは、全く異なったことが現れるのであろうか?  

 以上、長い活字によくもお付き合いくださいました。
 
 それから5年が経過しました。 今の考え方、心境はどのようなものでしょうか。
 特に大きく状況が変わったとも思えないと感じる方もいれば、全く状況は変わったという方も居られることでしょう。

 私の感じ方は5年前には「これは可笑しい、どこか違う」と感じていた方は10%ぐらいではなかったでしょうか。 今は50%以上の方がこのままでは済まされないと気づき、少々の不安を感じているのではないでしょうか。

 では如何したらよいのかということですが、国も、政府も、お役人も、政治家も、学者も、会社も、会社のお偉方もその答えを持ち合わせていないというのが正解ではないでしょうか。

 各自が当に自分の考え方、生き方で試行錯誤の行動を起こすしかないと考えます。
 誰かに頼る、答えをもらうと言う姿勢では誰からも相手にされないのではないでしょうか。
 互いに試行錯誤しながら、互いに許され、共有できる考え方、価値観のもの同志がネットワークを結び、助け合ってゆく時と思っています。

 本日はここまでとします。 そのうちに纏めて自分の気持ちを書き記す時がくると思います。 その時に改めて掲載します。

 5年前にこんな事を書いていたなどとは全く記憶していませんでした。





 COLUMN 1−D 821
                                     平成20年7月20日

  この暑さの中、百姓に行ってきました


 前夜は何年ぶりかで夜、名古屋での二次会があり、帰宅時間は午後10時過ぎでした。 
 いつもなら寝ている時間です。 午後の2時からチビチビと飲み始めていますので、かなりの量が体内に滞留していたのでしょう。
 夜中に記憶があるだけで3回起きだしました。 そのたびにタヒボ茶を飲みますので、更に回数が増えたのでしょう。

 前にも何度か書いていますように、この健康茶は利尿効果もあります。 肝臓にも大変効果があります。 寝起きは汗も出ており首周りはシットリしていました。
 
 朝のストレッチを終えると前夜のアルコールは全て抜けたように感じました。
 予定どうりに瑞浪に百姓です。 何時もより早く出発、午前9時には作業開始。

 夏野菜は家の近くで栽培しないとダメですね。 お化けキュウリとナスが校長の奥さんによって収獲され保冷庫に保管されていました。

 ネギ、サトイモ、ササゲ、夏野菜の草抜きです。 アッというまに持参の1リットルのタヒボ茶は飲み終えました。 90分後に休憩、ビールロックでグイッと飲めば喉が唸りました。
 
 そこまでは良いのですが、この後が大変です。 気温は更に上がります、頭の先から地下足袋までグッショリです。
 
 昼休憩、シグレ入りのおにぎりを食べて一休み、グーッと寝入ってしまいました。
 もう帰ろうと思っていましたが、15分間の睡眠が効果あったのでしょう、もう一働きです

 2週間後に予定しています、ホウレンソウと大根の畝作りをしたところでギブアップ。
 
 本日は写真を撮るところもありませんでしたが、それよりはそんな気持ちになりませんでした。
 
 原油価額がこの2日間急激にダウンしていますが、これで価額が天井を打ったとは思えません。 それどころか中東情勢は益々どうなるか見当もつかない様子です。
 
 太陽がギラギラと身体を焦がすように、蒸し焼きするように感じた今日の百姓でした。

 
  
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