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 COLUMN 1−D 840
                                     平成20年8月31日

  「危険ウイルス侵入」 と表示後
                一瞬にして消えた

 〜岐路に立ち、身動きできない政治情勢〜
      早く、解散・総選挙すべし

 
 体力が回復してきたのだろう,書斎でウトウトしなくなった。
 激しく長く続いた雨が上がり、今度は再び暑さがぶり返した。
 
 昨日、久しぶりに”日本政治”のことに触れてみようと思い入力を始めた。
 書き始めがなんと14世紀の近代ヨーロッパの誕生・ルネッサンスからスタートし、
 
 大航海時代のインド航路の開拓、新大陸の発見、スペインのアステカ・インカの征服、
 更に宗教改革からヨーロッパ近代国家の形成(絶対主義国家、植民地活動、啓蒙主義)まで簡単におさらいすることになった。
 
 ヨーロッパのみでは手落ちと思いアジア諸国の繁栄(中国の明、清の勃興と統一、中国隣接地域に加えトルコ世界とイラン世界、そしてインドのムガール帝国)まで手を広げてしまった。

 その後、市民社会の成長と題して、「アメリカ独立革命」、「フランス革命とナポレオン」、「産業革命」。

 更に、ヨーロッパ諸国のアジア進出を取上げ、オスマン帝国支配の動揺とアジアの覚醒、
イギリスのインド支配を初めとする南アジア・東南アジアの植民地、それらと並行して東アジアの激動(アヘン戦争、日清戦争等)まで行った。

 その後は現代編の整理をして、今日の日本にたどりつき、そこで私が認識している今日の世界の情勢を分析していました。

 @アメリカの覇権の衰退予測
 ABRIC,Sのこれから→中国オリンピック後の一時後退、上昇志向の国民で再び↑?
                 インドの7割の国民の意識の変化は遅い
 Bロシアの野望→今一番有利な国家
 Cアフリカ→資源を中心として各国の思惑入り乱れ、混乱続く
 D中南米→安定しない。
 Eアジア→東アジアも東南アジアも日本に期待している、が日本に未来像なくもたつく
        中央アジア火種抱える、 
        中近東は何時戦火が勃発しても不思議でない情勢。
 Fヨーロッパ→西はかなりアメリカ・サブプライム問題で傷ついている。低迷する。

 などなど、4時間に渡り入力したところでタイトルに書きましたように「危険ウイルス侵入」と表示が出ると同時に、何も対処しない内に全てが一瞬の内に消えました。


 再度入力する気力がなくなり、昨日は終わりました。
 本日(8月31日)やっと、上記まで入力しました。 何が言いたかったのか半分飛んでしまいました。 が、思いつくまま書いてみます。

 ・衆議院選挙が行なわれれば、民主党が勝つ、野党と連携で過半数を超える。
 
 小泉内閣誕生の時にもよく口にしましたが、”ヤケノヤンパチで自民党をぶっ潰す”と言った小泉さんの弁に、不透明な社会に不満と不信そして不安を持っていた国民は騙された。

 ・特に最後の郵政民営化選挙などは国賊(売国奴)の行為であるにもかかわらず、本質を語らず(野党もだらしなかった)、髪振りみだし、ジェスチャータップリな人気役者の言葉で日本が変わり、景気が良くなると勘違いした国民の選択であった。
 (マスコミがあれだけ旗を振れば勘違いもする)

 ・戦後日本が急速に復興と成長がもたらした要因は戦前から続く国家総動員体制の戦後版、上からの意思決定と資源配分方式にあった。

 その方式とは冷戦状況の国際関係の条件下で、官僚と政治そして財界のタッグ構造で機能し成果を出した。

 ・が、それは冷戦構造下までのことであり、90年代に入り世界の構造は根本的に変わった。 ところがその構造・利権にしがみ付く自民政治と財界、上からの配分の仕組みの中で築いた官僚支配、天下り、利権配分権を手にした官僚組織。

 ・同時にそれを取り巻く、学界、マスコミ、御用学者と幾重にも積上げられた構造であった。 ここに来て問題の先送りも出来ず、かといって抜本的な改革など出来ないことが明確になった。

 ・小泉内閣の時も、安倍内閣も、そして福田内閣も日本の将来のあるべき姿、ありたい姿、ビジョンを示す政党も政治家もいない。

 ・民主党が過半数を獲得したからと言って、急に国家ビジョンが提示され、国民から信頼され、本当に痛みを通り越した死に物狂いの新しい国家像に向かって国を挙げてにの意思統一が出来るとは思えない。
 
 ・しかし、旧態の意思決定の仕組みや利権構造では日本は衰退して行くばかりと考えますので、ここは自民党を下野させるべきと考えます。
 今度は国民を簡単なことでは騙されないことでしょう。

 ・民主党単独であるいは野党の連合で政権を発足させても、多くの国民の継続した賛同は得られないと思います。

 ・そこで、再度選挙です。2〜3度選挙を行なえば、口先ばかりの議員(言動不一致)、二世・三世の親譲り議員、利権権益にしがみ付く議員は飛ばされてゆくことでしょう。

 ・政治には素人でも真面目に、真剣に自己の考え方を述べ、国民の声を聞く耳と行動をする人物が選ばれてゆくことになると考えます。

 ・世界は歴史的転換期にあると思います。 資本主義、社会主義(共産主義)と言ったイデオロギーの問題を越えていると思います。

 ・新たな思想、理念、価値観に基づいた新時代への移行期にあると考えます。
 その思想、理念、価値観は何かと言うことについて「これです」と答える用意はありません。 が、従来の延長線上にはないということはいえます。
 
・格差社会、グローバリズム、市場原理主義のよる競争社会、覇権主義等、冷戦後の世界を支配した発想や仕組みではないことは明確と思います。

 ・模索し、試行錯誤して一つ一つ作り上げてゆくことになると考えます。

 再度「危険ウイルス侵入」と表示される前に、掲載します。
 
 




 COLUMN 1−D 839
                                     平成20年8月30日

   さよならピーコ 松の下に眠ることとなった 

 
 雨模様と体調が優れないことからインコ・ピーコの埋葬が遅れていました。

 今朝、和室から庭を眺めると、松の下・フキの葉の影に華やかな色合いの花が見えた。
 今時、あの場所に咲く花があっただろうかと起掛けのぼやけた目の焦点を当てる。
 
 女房がインコを埋葬し、庭のグラジオラスとトラノオをジュース瓶に差したものだった。

                 

    このページにそのまま掲載してみたが、何か気持ち的にシックリしない。
         ウェブアートデザインに戻って加工してみることにしました。

                

                  セピア色に縁取りをしてみました。

     上の写真は猛暑であった今夏、連日35度の日が続いた時の感じです。
 
  下はこのところ続く秋到来を感じさせる、雨模様(所により大きな被害発生)の感じ。

 同じものでも、同じ事柄でもそれへの接し方と気持ちの持ち方で変化する、変化できるのだなと改めて感じています。






 COLUMN 1−D 838
                                     平成20年8月29日

  疲れから軽い感冒に、腰の痛みとなって  

 
 帰国後、風呂上りからウトウトし軽い感冒となった。熱もないのに身体に力が入らない。 
 時差が回復せず午後の8時には眠ってしまい真夜中に起きる。 午前3〜4時ごろに再び眠りに入るので、寝覚めは午前8時近くとなり、朝の定例となっているストレッチも礼拝もないままに朝食となる。

 眠りを我慢して散歩なりの運動をすれば時差解消も早いのだろうが、身体に力が入らず
 昼間から書斎の椅子でウトウトとしてしまう。

 昨日から、感冒が腰に回ったのか軽い腰痛です。 朝定例の腰回しをしてみれば通常通りに出来る。 筋肉や骨が悪いのではなく、神経的な痛みのようです。

 今週中には間隔が2週間となった畑仕事に行かないと夏草が気になる。
 昨夜来の激しい雷雨で畑は湿りすぎていて作業は出来ないので諦めはつくが・・・

 
 今日の午後からは再び雨模様との天気予報です。
 「そんなに気にせずにお休みなさい」との事だろうと思うことにした。

 ベランダに出てみたら水穴が詰まっており、10センチメートル以上の水位となって溜まっていた。 塵を取り除くとグォーグォー・ズッズッズーと激しい音を立てて吸い込まれてゆく。

 桜と栗の木を眺めると、昨夜の激しい雷雨でセミ達は一斉に弾き飛ばされたのだろうか、一声だに聞こえてこない。 

 時間の経過と共に曇り空ではあるが徐々に気温は上がってきました。
 なんと気楽な日記を書いているものだと思いながら、秋風と共に大きな変化の到来を感じない分けでもない。 軽い感冒と腰の痛みは前触れの予告なのだろうか?・・





 COLUMN 1−D 837
                                     平成20年8月28日

  「ありがとう」、インコのピーコが亡くなった  

 
 トルコから帰宅した夜、風呂上りに気持よく吹き抜ける風にあたっていたらウトウトしてしまった。 翌日、なんともなかったと思っていましたが夕方から鼻水が出るようになった。

 帰国して本日で4日目、微熱すらありませんが身体に力が入らない。 疲れからくる軽い風邪の症状です。 多分今日が峠でしょう。

 帰宅したその夜から玄関先のインコの弱い鳴き声を確認していました。 鳥籠に手を添えるとバタバタと逃げ回るので問題ないと思っていましたが、昨深夜、鳥籠を覗いて見ると弱弱しく羽を広げて倒れていました。

 手を添えても逃げようとしません。 鳴き声もしなくなっていました。 
 今朝、うつ伏せになって息絶えていました。

                   

                


 我が家では30年以上インコを飼育しています。 一番多いときには20羽以上のインコが4つの鳥籠で駐車場にぶら下げてありました。

 このときは仲の良い番のインコがおり、年に2回ほど雛が誕生し、近所にもらわれてゆきました。 多くのインコの鳴き声がするためでしょうか、よそ様から逃げてきたインコが仲間に加わることもしばしばでした。

 子供達も成長しインコに興味を示さなくなり、年々その数は減ってゆきました。
 10年頃前からは現在の2羽となりました。 2羽では淋しかろうと一緒の鳥籠に入れますが、気性が合わないのでしょうつつ気合をしますので、別々の鳥籠で飼育していました。

 時折こんな計算をして見ました。 インコの頭から尻尾までの長さが約16cmです。 鳥籠の大きさは縦40、横32、高さ40cmですので、51200立方cmです。と言うことは0・0512立方メートルです。

 私の背の高さが167cmです。 インコの約10倍強です。
 と言うことは、空間は0・0512の10倍で0・512立方メートルとなりますが、私の書斎は50立方メートルあります。

 ここまで、数字化しましてどうにも感覚と合致しません。何処がおかしいのでしょうか。
 感覚的にはインコの住空間の方が私の書斎空間よりも広いと言うことを言いかかったのですが・・・(計算式と比較方法を御教授ください)

 10数年ぶりのインコの供養となります。 前のインコのお墓は庭の何処であったかも分らなくなってしまっております。 新しい地に帰してやります。

 今日の午後からは雨との予報です。 土葬の土にお湿りです。長い間、私の朝の礼拝に反応して”ピーピー”と応えてくれました。 今日はピーコのための礼拝もしましょう。
 ピーコは喜んで帰ってゆくことでしょう。

 
 




 COLUMN 
                                     平成20年8月25日

    お知らせ
    
  トルコ、実質6日間バスの旅3000Kmを掲載

  全てではありませんが、兎に角現地で入力したものを掲載します。

 校正はしていません。 したところで誤字脱字、変換間違い、「てにをは」の間違いでしょうから、「早いのが取りえ」とばかりに掲載することにします。

 掲載は「旅日記」をクリックしてください。



 COLUMN 1−D 836
                                     平成20年8月16日

      知人の社長のブログを読む

〜8月13日から16日のものです。お盆の時が?・・〜

 
 8月13日
 『時代が求めるもの』と題し、「もうついてゆけなくなった自分とついてゆく若いスタッフ」

 と書き出し、時代が求めるものが判るうちは何の問題もないが・・・高度化されるネット社会が求めるものが、還暦を迎えた私には見えてこない。 自分が判る頃には、もう一般化しているのが今日この頃。
 これからは若いスタッフの持つ能力を活かし、時代対応してゆきたい」


 8月14日
 『団塊の世代の中小企業経営者達の共通項』
 
 @せっかち  A大食い、早食い  B何事も余り気にしない
 よく言うと、バイタリテイがありマイペース。悪く言うと、朝令暮改のワンウェイ。


 8月15日
 『経験に学んでいては遅い、歴史に学ぶべき』
 
 前の会社を倒産させた後、図書館に通い続けた。 そこで多くの歴史書にであった。
 「自分の経験したことは、全て歴史小説の中にあった。 その時、大いなる間違いに気がついた。 
 経験に学んでいては遅い、歴史に学ぶべきだったと・・・。


 8月16日
 『坊主を取るか、医者を取るか』
 
 坊主を取って名をとるか、医者を取って再起を図るか。
 あの人は最後の最後まで頑張って逝ってしまった。 惜しい人を失った。
 あいつは医者を取って逃げていった。 とんでもない奴だ。
 楠木正成(正成の長男)は見事に散って名(小楠公)を残した。
 足利尊氏は、逃げに逃げて再起して天下を取った。 
     どちらを取るかは、それぞれの生き様。



 さて、今からトルコの旅に出かけます。
 4年前から放送大学や中部大学で世界の歴史を学んできました。 と言っても既に2〜3年前に学んだことはほとんど記憶にありません。
 
 断片的に思い込んでいた背景や、経緯、それがその後の歴史にどのように係わって行ったのかの知識の修正をさせてもらったことは多々ありました。

 東洋と西洋の架け橋とも、間ざまとも言われるこの地の歴史や人々の暮らしぶりの一端を肌で感じればと期待しております。

 坊主を取ることも、医者を取るかの迷いなど全くない身、行って参ります。






 COLUMN 1−D 835
                                     平成20年8月14日

    難しいことは分らないが転換期である.

  夕方の散策は築水池のサギソウの撮影でした

 
 教えられたばかりでなく、肌で「歴史的転換期だ」と感じ続けています。
 問題は、世界がどういう時代からどういう時代へ変わろうとしているかということです。

 そして、今世界の各地で起きている事は今後どのように展開され、さらにそのことが何を壊しているか、又一方、何が生まれつつあるのかということです。

 今後の展開や変化の方向性が読めるならば、面白いのか、それとも何か使命を持って行動を起さねばならないのでしょうが・・・。

 目下のところ私自身については全く心配なし、凡人に先が読めるわけがなく、また役割が振り向けられているわけはないのですから・・・

 ただ世界では何かが壊れつつあり、他方で何かが生まれつつあることは間違いないようです。 と感じている自分に対して試行錯誤もないままに漫然と日々を過ごしていいものかと自問しています。
 
 このお盆の時に、トルコ出発を前に、帰国する8月末までの空白期間のこの時、世の中の転換期に対応した身辺の判断と決断を何か一つでもしたいと考えています。

 (と、以上のように入力を終えましたのは8月14日午前11時です)

 夕方の散歩は築水池を一周することにしました。 サギソウが咲き始めているはずです。

                

             

                      優雅に舞うサギソウ

                   

                一転、真っ逆さまに落花してゆくサギソウ

                

                と思いきや、薬園に舞い降りたサギソウ



 COLUMN 1−D 834
                                     平成20年8月13日

         お盆の畑仕事

 
 8月13日、トルコ旅行の前にと本日を選びました。 炎天下の作業で体力の回復に2日間はかかると思ったからです。
 
 この2週間で現地でお湿りがあったのは1日間であったとのことです。 しかも、少量の雨との事で播いた種の発芽はサッパリでした。

               

 大根もご覧のようです。 大根の種は大きいので(?)発芽率は高いはずなのに・・。
 約30〜40%です。 本来なら密集して発芽し、抜き菜をしなければなりませんがその必要がありません。 と言うことは大好きな抜き菜の油いためが出来ないと言うことです。

 白菜は発芽率は10〜20%でした。 時期的には間に合いますので、再度の種まきをしました。
 水菜は水菜というぐらいですから”水”が多く必要なのでしょう。全くと言っていいほどに発芽していませんでした。

               

 上記の種よりも2週間前に播いた「秋ササゲ」は順調です。  それ以降にこの秋ササゲの種播きをされた方は全滅との事ですので、タイミングが大切です。

 本日、その他の作業は「ホウレンソウ」、「チンゲンサイ」の種まきとネギの土寄せ。
 夏野菜、キュウリとトマトを撤去しました。 ナスは順調で秋茄子の収獲が見込めます。
 枝詰めをして、追い肥をしましたので、次回からの収獲が見込めそうです。

           最後に本日、お盆の日らしい写真を掲載しましょう。

             

           ハスの花です。レンコン池と言ってしまうと台無しです。
                
                   
                   アップで撮影しました。
          
                
              
               ↑ 白の花弁の中を覗いてみました。

                

           ↑ 白の花弁がハラリと落ちると、このような姿となります。

              炎天下の作業中の心洗われたひと時でした。





 COLUMN 1−D 83
                                     平成20年8月12日

   この夢は何を意味するのだろうか

 夢は時折(年に数回)見ることはあるが、目が覚めたときには内容はほとんど覚えていない。
 ところが今朝(と言っても午前2時半頃であったのかもしれない)、手洗いに起きる。
 普段は電気など付けないのだが、数日前使用したキャンピングカーの冷蔵庫の電源を切り忘れていたのではないかと気になり、玄関のスイッチを入れると一斉にガサゴソ、ガサゴソと動き回る異常な音がする。

 眠気眼ではあるが、そこは血圧が高いほうであるから反応も早い。
 トッサに、インコの餌を食べにきたゴキブリ達に違いないと判断、しばらくその場に立って、下駄箱の上に置いてあるゴキブリ殺虫ジェットを手にして身構えた。

 ややあって、一歩踏み出すとゴキブリが一斉に動き出した。 インコの餌に直接ジェットが吹き付けられないように注意して噴きつけてやった。 
 仰向けになったゴキブリを6匹数えて、再び眠りに入った後のことです。


 キャンピングカーの後ろに補助車を牽引しています。 高い建物が続く広い道路から右折して、狭い道路に入りました。
 進む内にその道は道路と言うよりは両側が粘土で固められた民家の密集する迷路に迷い込んだようです。
 
 それでも運転はスピードを落として順調に出来たのですが、ダンダンと何時抜け出せるのか心配になり始めました。 その時です、急に直角にカーブするところで補助車の後輪が階段に乗り上げてしまいました。
 
 進むことも退くことも出来なくなりました。 周りには誰も居ません。
 補助車を引き離せばよいことに気づき、やっとの思いで脱出可能な状態になったところでこの夢は終了しました。

 これだけのことです。 夢診断ならば何を意味するのでしょうか。
 8月16日から長年訪問したかったトルコ旅行に出かけます。 
 北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシャと、東ではこのところ騒がしいと言うよりは戦火が交えられたグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと今もなんどき何が起こるか予測のつかない中近東です。

 トルコの国内も全ての地域で治安が安定していません。 国民の99%がスンニ派イスラム教を信仰している。 日本には良い感情を持っている国柄と学んでいます。
 果たして、どんな体験や発見の旅になるのだろうか。

 今回もパソコン持参です。 既に、旅日記のタイトルの打ち込みは終了しました。






 COLUMN 1−D 832
                                     平成20年8月10日

    知多半島・豊浜海岸で「渡り蟹」を食べる

 
 日本人のほとんど方が「蟹」とか「エビ」と言うと、好物で、『食べたい』と嬉しそうな顔をされます。
 数ヶ月前の波動の会で日本海の蟹の事が遡上にのりました。 その折、「蟹といえば”渡り蟹”と言うことになり、会員の居る知多半島の計画がまとまりました。

     

 山と緑がないと暮らせない私ですが、久しぶりに海のよさを感じました。 やはり海のよさは夏でしょうか。 直射日光を遮っていれば吹き抜ける風は心地良かったです。
 (会場をセットしていただいた方が「なんと言っても立秋を過ぎたからかな?」と言っておられましたが、急に風の肌触りが変化したとのことでした)

 当日、一番期待し推進していた方が、前夜の「ぎっくり腰」で動けなくなってしまいました。
 その分と言ってはなんですが、8人分が用意されていたのですから贅沢に食べさせていただきました。
 久しぶりに美味しい蟹を満喫しました。 食事は全くしていないのですが、夕刻7時過ぎまで腹持ちしました。 どれ程食したか想像してください。
 
 地元でも収穫量が激減し漁に出る回数も少なく、かってのように贅沢には口に出来なくなったそうです。 どうもありがとうございました。 友人が居ればこそです。

                 

                「蟹」の写真を掲載することは遠慮します。

 「全部食べきってしまったから、証拠の写真が撮れないだろう」などといわないでください、キチンと冷蔵庫に保管しておき、帰りも冷蔵庫付のキャンピングカーが役に立ち、一番望まれていた方の家に配達しました。

             

 遠くの対岸には衣浦港から三河湾の蒲郡も霞んではいましたが望めました。
 時折、師崎港から河和港に向かう高速艇が真っ青な凪ぎの海面を、真っ白な飛沫を上げて目の前を通過して行くのを何時間も眺めていても飽きないお盆前のひと時でした。





 COLUMN 1−D 831
                                     平成20年8月8日

    残暑お見舞い申し上げます

  
 立秋が過ぎました。 天気予報によりますと今が一番暑さの厳しいところだそうです。
 
           1・5坪の庭の隅の夏野菜も終盤になりました。

              

 何年ぶりかで出来のよかったトマトも大粒の物は3日前が最終で本日は子供の拳大です。  どうして今年は出来が好かったのか記録しておかねばと思っているのですが、これが要因だという事柄が思い出せません。

 一つには堆肥をタップリ蒔いた事でしょう(市販の物です)。 苗が良かったのでしょうか、毎年農協の「桃太郎の接木」を購入しているのですが・・・・
 広さが1.5坪ですので、畝の位置を変えたとは言え、大して変化はありません。
 強いて結えば、トマト大好き人間の思いが通じたのでしょうか。

 キュウリの出来栄えは例年と変わりませんでした。
 ナスは連作障害が出やすい作物です。 今年の出来は普通以下でした。 数の問題ばかりではなく、美味しさも例年以下でした。

          

 この時期例年、1.5坪畑の隅にある松の木にご覧のようにカボチャの蔓が巻きついてきます。 畑の隅に捨てた種が成長してきます。 この程度のまつわり方なら許されますが、松を覆うようになると切り払われてしまいます。

               

             若い栗の毬が1週間前から落毬を始めました。
 一昨年は強めの剪定をしましたので、毬の数は減少しました。 その分今年はビッシリです。 どうなるのかなと思っていましたら案の定、栗の木自身で例年以上の調整を始めました。

 あと40日間、9月の下旬になると路上に落実を始めます。 通学児童が見上げて通り過ぎます。
 朝が早い散歩の方が1粒、2粒拾ってゆかれるようです。 近所の方たちは一箇所に拾い集めてくれます。

 栗の実が落ちるのは良いのですが、毬が頭の上に落ちないか毎年心配します。
 怪我したら、栗の枝は三分の二、道路上にはみ出しているのですから、私の責任ということになるのでしょうね。 
 切ってしまおうかとも毎年思うのですが、自宅から数十メートルをボチボチと歩いてこられる2軒下の老人が「夏は木陰になって良いです」と言ってくれますので、そのままにしてきました。
 そういえば、そのおばあさんは昨年の今時分、暑い日に亡くなられたのでした。

  
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