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 COLUMN 1−D 
                                 平成20年10月15日 記

     お断りをここに書いたつもりでしたが・・・

パソコンがストライキを起こしていました。入院です。

 その間に「錦秋の秘境奥只見と
 紅葉の大パニラマ安達太良山(あだたら)空中散策


  という、長いタイトルの「紅葉狩り」に行ってきました。 旅の報告はエッセイーD 旅日記」に掲載しました。

 今、分かりました。 パソコンが使えず、人様のパソコンで「只今、パソコン入院中」と掲載したので、私のホームページ・ビルダーには、残っていなかったのです。

 下のように、今、挿入しました。
 

 COLUMN 1−D 870
                                 平成20年10月10日 記

   只今・パソコン入院中

 
 数日前よりパソコンがストライキを起こしています。 動かないわけではありませんが、それはそれは鈍い反応です。

 気が短い私としては、到底待てる範囲ではありません。
 この入力もパソコンの師匠の事務所で行っていますが、使い慣れたものではありませんので、普段使っているパソコンに比べると倍以上の時間がかかってしまいます。


 なを、明日より「紅葉狩り」に北関東に参りますので、自分のパソコンが退院し、再び正常に戻るのは15日過ぎになると思いますので宜しく。
 

 



 COLUMN 1−D 869
                                   平成20年10月5日 記

     金木犀の香りが漂っています

    〜久しぶりに植物園に行ってきました〜

 今年で5年目、いや6年目になるのでしょうか、毎年この時期になりますと「金木犀」が登場です。 昨日の朝、日記に今年はまだ香りがしないと書き、その後洗面所に行きますと微かに香っているではありませんか。

 今朝(5日)はむせ返るはオーバーですが、壁あてキャッチボールの路上にいても香りが流れてきます。 

               

          

 香りは届けれませんので、この写真を見、目を瞑り脳裏の記憶を呼び覚ましてください。

 
 昨日の散歩は久しぶりに植物園(グリーンピア)に立ち寄ってみました。 グリーンピアの館内の様子がすっかり変わっていました。 

 パセリクラブというボランティア団体があり、その方々が2月に一回ほど四季折々、イベントに合わせて模様替えをしておられますが、今回はベースとでも言うべき全体配置と基本設計が改装されていました。

       下↓の写真は植物園内の歩行通路沿いに作られたものです。

           

          

 借景とでも言うのでしょうか、白壁の向こうで明るく照らされているところは、白壁より20メートルは離れた西日の丘です。日本ハンギングバスケットの方々の作品です。


          

          植物園内のコスモスが今盛りと風に揺れていました。

                    

        

 レトロ(セピア色)にはそれなりの、白黒には白黒の特長を活かした写真技術があるのでしょうが、本日は兎に角3種を並べてみました。 次回はいま少し・・・

 




 COLUMN 1−D 
                                   平成20年10月3日 記

  お知らせという程のこともありませんが・・・

 
 秋風が吹き始め、「食欲の秋」、「スポーツの秋」、「芸術の秋」、そして「読書に秋」というイメージや、感じの雰囲気になり、私の鈍い感性や感覚も変化してきたのでしょうか。

 数日前からインターネットで読むか読まないか分かりませんが、本を購入し始めました。
 同時に、これまでは読みきれなかった大学の参考書も何とか読み終え、レポートを提出しております。

 そこで、これまでお花の写真を掲載していました、”コラム 2−N 「新聞を読んで、眺めて、切り抜いて」を復活することにしました。


 早速、本日、中日新聞に掲載の辺見 庸さんを取り上げて紹介しました。

 時代が大きく大転換をしていることを多くの方々が感じ始めました。
 これまでの既存の仕組みの中で生計を立てておられた方は、徐々に、そしてある時から急激に戸惑いを覚えることになるのではないかと「狼爺」が何度目かの吼えを始めましたことを記録しておきます。

 少しでも、ご同意・ご同感できるならば、コラム 1−D NO868、「大混乱期を生きる力」
をお読みください。 そして、ご参加ください。お待ちしています。


 COLUMN 1−D 868
                                   平成20年10月3日 記

  「大混乱期を生きる力」と題して
    藤原 直弥さんのインターネットラジオから

 
 藤原さんは9月27日(土曜日)に遠山郷・旧木沢小学校に入られ、10月2日に小田原に帰宅されたと思います。

 私はその内の27・28日とご一緒させていただきました。 その間、藤原さんは21世紀、これからの世界と日本の進むべき道とその道筋の基本的な考え方を執筆されておられました。
 一方、私たちが帰った後に、その場で藤原直哉のインターネット・ラジオ」を収録され、遠山郷から発信されました。 タイトルは「大混乱期をいきる力」です。
 その内容を私は自分のために活字にしましたので、掲載します。

 もちろん、藤原先生のインターネット・ラジオは直接聞くことはできます。
  http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/です。

 ほとんど、お話された順番に活字化していますが、一部編集をしています。

      「大混乱時代を生きる力」 藤原直哉
 

 遠山郷 木沢小学校で収録  インターネットラジオから 平成20930

乱世の時代が近づいてきたと気づきだし、感じ始めた人々

・ブッシュ、チェイニーなどネオコンといわれる新自由主義、新保守主義のリーダーたちはお膳をひっくり返すことを考えている。 しかし、それは自滅の戦争となる。自爆〜戦争は10月が危険な時。

・破綻の後にどのように生きるかがポイントである。地震があっても生き延びた後にどう生きるか。

→大混乱=破綻の後にも飯を食わなければならない、その苦労が大変である。

生き延びてゆく力

@「戦略的低エネルギー生活」で生きること。

〜EX、遠山郷、旧木沢小学校。11月8・9日サバイバル=生きる力の企画あり。

A混乱期は変幻自在に生きる心構えが必要

・「怖い」と言って身体が凍り付いて動かない=凍りつく=「キャー」立ちすくむのではダメ。

呆然自失が一番恐ろしい、そのためには“覚悟”して生きていることが大切。

・普段より怖い話、嫌な話から逃げない。 逃げているとその瞬間からパニックとなってしまう。

・既存のシステムに乗って生きている人が一番大変〜年金生活者、サラリーマン、金融関係者、大都会で暮らす人。 多エネルギー消費型の人々は大変。

・生きることの原点が求められる。ボ−イスカウトで教えられたこと「備えを常に」雨合羽、非常食。

→“彼なら必ず生きて帰ってくる”という勝負どころで安心感のある人間=様々な経験、真剣に生きている、空想的ではなく地に足つけて生きていること。

・食料調達の行動は取れるか。 農村への行き場を持っているか。

・自分の居場所の確保。怖いと言って尻込みしていたのではダメ、自分の使えるDNAを全てONとする。

〜挿入〜

 大本教・出口王仁三郎の予言した通りに混沌としてきた。その予言とは イ)日米経済戦争で日本が勝つ ロ)米中経済戦争は共倒れ、ハ)ロシアの3日天下の時代の後に、ニ)日本の時代が来る。

→現在、このところ日本へ金=資金が戻ってきている。西洋でもなく・東洋でもない日本の精神が求められている。 これは「天のシナリオ」と言うしかない。

・一端全てを流す、壊れるものは全て壊す。 水のアワとなって消えるものが消え、そして新しい芽が出る。

・新しい世界、日本は日本が作る。タマゲテいてはいけない、立ちすくんでいてはいけない。

・怖い、嫌な話、汚い話、悲惨な話を直視する「勇気」を持っていること。

B乱世が好きな人には良き時代である。逆手にとって達成すべき目標を達成するチャンスである。

・視野の広い人、温かみのある人(自分のみ良しとしない人)には新しいネットワークが生まれ、新しい仲間ができる。 人情豊かな仲間。 

C出口のイメージを持つこと。 不透明感にはまっているからいけない。 「こうしたい」という考えを持っていれば怖くはない。『出口は自分で見つけること』

・日本へ金が戻ってくる。 日本人の見識でもって世界に出てゆかねばならない。この大恐慌を脱するためには新しい未来を示すことが必要である。

・日本で静かな平成の恐慌が続いたのは出口のイメージがなかったことによる。新しい出口が見える。

20世紀のシステムではなく、21世紀のシステム=何をどのように変えるかのイメージを持つ。

D情報が必要〜公開された情報ではダメ、人から人へとつたえられる情報=情けに報いると書く。

 ・専門家を使う〜本当に分かっている人と付き合う。

 ・2段、2段構えが必要。粘り強いこと。「大胆+粘り強さ」

 ・人間もフリーズする(コンピューターが突然動作を停止し、入力を一切受け付けない状態)

 →デジタル時代ではなく、アナログ時代に対応可能なように、五感で察し、第六感を磨く→見えないところでも歩けるように。

 ・いろいろなことを想像して行くこと。

〜挿入

・中国は一番悲惨な国となるのではないか。金が続かなくなる国。





 COLUMN 1−D 86
                                   平成20年10月日3 記

   10月2日、秋野菜の抜き菜がイッパイ

    〜無残に曼珠沙華が切り倒されて・・〜 

 
 畑を2週間訪れないと心配でなりません。 前回、発芽(ホウレンソウを除き)には成功しましたが、簡単な抜き芽をしてきただけなので、互いに絡み合っているのではと・・・

         この2週間は雨の日も多く順調に成長しておりました。

         

            手前から、大根、白菜、赤かぶら、ねぎです。

 抜き菜をしたばかりを撮影しましたので、萎れて枯れて見えますが、その後土寄せをしましたので、今頃は(10月3日)ピンと背筋が伸びていることでしょう。

 収穫は秋ササゲが鈴なりで、スーパーの買い物籠に1・5杯分でした。 それに秋茄子の収穫も相変わらず順調でスーパーの大型買い物袋にこれまた1・5でした。
      撮影はしていませんが、牛蒡とにんじんも収穫されました。

   

 帰宅して、秋ササゲと茄子は近所へお裾分けです。 
 いくら私が大好きと言っても大根、白菜、赤かぶらの抜き菜の量は半端ではありません。

 このところの女房の話し相手は20代後半から30代前半の、お子様が小学校入学前の方たちが多く、抜き菜を持っても料理の仕方が分からぬのではと、昨夜は竹かごの中で水で湿らせた新聞紙の下で一夜を過ごしました。

 今朝調べますと、青々とした葉がピンとしています。 お味噌汁には入れましたが、そんなことでは済まされる量ではありません。 
 
 昨夜と今朝、その残り分(白菜の抜き菜)を今朝ドンブリ1杯食べましたが、今夜も抜き菜料理と言うことになるのでしょう。 食欲の秋、健康そのものの食事となりそうです。

 

  百姓学校の校長が8年ぶりに不整脈対応の人工心臓の取替えと言うことで10月1日に手術をされました。 奥様を瑞浪の病院までお送りして帰ってきたました。

            

              夕方の散歩道は沈む夕日が眩しかった。

    

 数日前は満開であった曼珠沙華。 棒切れでなぎ倒されており、なんとも・・・・。






 COLUMN 1−D 86
                                   平成20年10月2日 記

    貴方も遠山郷へ来てみませんか?

  雨宮 浩一郎(藤原直哉)さんと遠山郷を歩く 

 
 以下の文章は藤原直哉さんが書かれたものです。

 『みなさん、こんにちは。藤原直哉です。

 いよいよ世の中の大混乱が始まりました。この大混乱の出口は20世紀とはまったく違う21世紀の世の中だと思います。目の前の混乱を見て慌てていても始まりませんから、ここはひとつ腹を据えて新しい時代に向き合うことが必要だと思います。

 私は今回のニューヨークの大暴落を、遠山郷で迎えました。今から15年前に書いた「雨宮浩一郎」の小説、『歴史の彼岸』に、歴史の断層を雨宮浩一郎は遠山郷で迎えるとあります。何か、そのとおりの光景になったようです。

 私は21世紀の日本の光景の原型が、この遠山郷にあるように思うのです。そして「遠山郷から日本を変える」ということで、毎月遠山郷に来て、いろいろな仕事をしています。忙しい世の中にあって、遠山郷はクリエイティブな仕事場としても大変よい場所だと思います。
 来る11月8・9日には第4回目になる遠山藤原学校を開講します。今回は地元で収穫した稲からおにぎりを作ることを体験していただき、それをお弁当にロハスな時代の山の交通手段として地元が復活させようとしている森林鉄道跡をみんなで歩いてみることを計画しています。そしていつものように遠山郷の人たちの厚い人情と雄大な自然を満喫していただきます。

 繰り返しになるようですがこの大混乱の出口は20世紀とは全く違う21世紀の世の中です。中途半端な答えはありません。どうぞみなさんこの大混乱の始まりを契機に一度遠山郷に来ていただいて、21世紀を生きるうえでとても大事なものを感じ取っていただきたいと思います。

そして、世の中が本当に大混乱になったときの「避難所」にしていただければと思います。

第4回遠山藤原学校の詳細資料・申込用紙は下記のURLからダウンロード下さい。

http://www.fujiwaraoffice.co.jp/bosyuu/Tohyama081108.pdf

 藤原さんが今回のニューヨークの大暴落を遠山郷で迎えられたと同じように、私も藤原さんと奇しくも机を並べさてていただき、2日間を過ごさせていただいたことを、このコラムNo862からNO864で紹介させていただきました。

 何度も遠山郷に来ていますが、そのたびに心和み、元気をいただき、明るくなって帰っている自分を自覚しています。
 
 後戻りができない時代の状況が日増しに感じられるこの頃です。
 私からも一度遠山郷に来られることをお勧めいたします。お誘いします。
 
 本日、私は瑞浪の百姓学校に秋の収穫に、ただいまから出発です。





 COLUMN 1−D 865
                                   平成20年9月30日 記

  遠山郷 28日のこと

           ソバ畑と飯田線、平岡駅  

 
        この日記を書いているのは9月の最終日30日です。 

 28日からたった2日間しか経過していないのに、麻生首相の所信表明の内容と野党張りの挑戦的な態度に接したり、 アメリカ発の金融機関破綻に伴う、救済・融資問題について話し合いがついたと思っていたら、アメリカ下院議会は共和党議員の造反で否決してしまい、一気にアメリカの株価は暴落してしまった。
 それを受けて30日の日本の株式も午前中のところ全面暴落と上げ下げしています。

 どうと言うこともない、予定道理の道筋と嘯いているほど先が読めるわけでもなく、そのボラタリティーに私自身が揺れています。 と言うことで3日前のことが書ききれません。
 

 
            

 このソバ畑は遠山郷・上村地区・中立の古民家前です。 昨年一度泊まらせていただき
 このコラムで紹介させていただきました。 事前に申し込めばどなたでも利用することができます。
 ソバ畑しか写っていませんがその向こうは遠山谷が連なっています。
 この写真を見ていましたら、麻生さんもアメリカのことも忘れてしまいました。

 今回参加されたNさんとYさんが飯田線に乗って帰られると言うので送ってゆきました。

          

        昭和11年満島駅(現在の平岡駅)の写真が駅構内にありました。↑


                

                 ↑ こちらが、現在の平岡駅です。


             

 ↑塩尻発豊橋行きの「ワイドビュー 飯田」が到着です。  単線ですので普通ですと4時間かかるところが2時間と言うことです。

 この飯田線は私の小学校・低学年時代・豊根村には豊橋から現東栄町まで、確か2時間、その東栄町から木炭自動車で4時間、合計半日の行程であったと記憶しています。
 今は車で豊橋からならば2時間くらいでしょう・・・・

       のんびりと飯田線の旅を味わってみようかなと思っています。 






 COLUMN 1−D 864
                                   平成20年9月29日 記

  これからはできる限り明るい歌を唄いたい  

 
 9月27日から10月2日まで藤原先生は遠山郷藤原事務所=旧木沢小学校に泊り込み、一冊著書を書き上げる計画とお聞きした。

 これから半年後までに世界そして日本は崩壊する。(アメリカを中心とする新保守主義、新自由主義、市場競争主義、あるいは小さな政府論は行き詰まり、崩壊する)

 それを経済恐慌と呼ぶ。産業崩壊そして生活崩壊へと進み、想像を絶する失業率が発生し、これまで続いた私たちの生活維持は不可能となる環境・状況に放り出されることになる。

 以上のような組み立てで数字的なデーターを示し、あるいは過去の出来事と対比して予測・実証する情報は数々目にすることができるが、崩壊後の社会の再生の構想と、それを実現する中心課題の道筋を示したお話や書籍には出くわすことが少ない。

 私の想像であるが藤原先生の6日間は社会崩壊後の構想と再生日本を実現するための課題と道筋を示されることだろうと思います。

 当日の先生の出で立ちは本物の藍染の作務衣に身を包まれておられました。
 記念すべき書籍の第一筆は原稿用紙に万年質によって書き進められていった。

               

 隣り合わせの机でパソコンに向かっていましたので、サラサラ、サラサラと気持ちよく原稿用紙を走る音が耳に心地よく伝わってくる感触は春日井の自宅に帰ったあとも耳の置くで味わっています。


 27日の夜のことを書きとめておきます。
 当日の参加者は先生と秘書の高橋さん(遠山藤原事務所の責任者)、そして3人の私たち会員は事前に地元のスーパーに買い物に出かけ、焼肉、野菜等を購入してきました。

 夕食の準備に入る頃に、木沢活性化協議会の会長さんと旧木沢小学校の管理をしておられる校長先生が加わりました、それにネコのOOOちゃん。

 私の持参した栗で栗ご飯をつくり、貝の味噌汁を作りました。
 お酒はこれまた持参の飛騨古川の渡辺酒造の「限定販売の隠し酒」、コップで乾杯しアッと言う間に飲み干しました。

 先生持参の焼酎に久保田の千寿が空けられ、この辺からメーターが上がって行きます。

 その後予定されていたように、遠山郷の中心地にある「かぐらの湯」と同一敷地にある喫茶・バー・兼カラオケに・。
 ここでやっと本日のタイトルに行き着きます、これからこのような場で歌を歌うならば「明るい歌」を唄おうと思いました。

 そこでの第一声は祝い酒の「黒田節」となりました。 当日はこの一曲だけの記憶ですが果たしてどうであったかは確かではありません。






 COLUMN 1−D 864
                                   平成20年9月27日 記

  遠山郷・旧木沢小学校から発信しています   

 
 9月27日午後・2時です。 旧森林鉄道の「停車場」で蕎麦を食べてこの旧木沢小学校に着きました。 今回は初めてノートパソコンを持参しました。

           

 ここには藤原事務所の遠山郷分室があり、昨年の8月より藤原事務所の高橋さんと言われる20代の若い方が常駐されておられます。
 
 1年間ほとんど毎日と言えるほど、この集落(旧南信濃村=現飯田市)の方々の中に入り込み様々なことを学ばれました。 面構えが大きく変化しました。

 今年の8月からは藤原先生の秘書も兼務されており、この地から日本各地に出張されています。 今日は藤原先生が遠山郷にこられると言うので、東海道線の小田原まで迎えに行かれ、私が到着した30分後にお着きになられました。

    先生は到着と同時に校舎の図書館に入られ執筆を始められました。↓

               

 「加藤さん、世の中一層騒々しくなりましたが、ここは静かで良いでしょう」と先生にとっても纏まった仕事をするにはうってつけのところのようです。

 時折、(私が到着してから2組)公開されている小学校を見学にこられた方以外、何の足音もしません。

 高橋さんがお客さん2人を飯田線の平岡駅に迎えに行かれました。 
 皆さん揃ったところでこの地区の空き家の見学に行くことになっております。

 今のところは私もここに移り住む計画はありませんが、時代がドンドンとスピードを上げて大変化してゆくでしょうから、いつ何時お世話になるやも知れないと思っています。

 以上、遠山郷の旧木沢小学校(木造校舎)・図書館(藤原直哉文庫)から・・




 COLUMN 1−D 862
                                   平成20年9月26日 記

   口(公)約果たして、逃げる小泉さん    

 
 小泉内閣は橋本行政改革内閣の行き詰まり、小渕、森と続いた公共投資ばら撒きの経済再生の内閣も、日本の土台が(少子高齢化・成熟社会)と根本から変化をしている時に、賞味期限切れの政策を打ち続けても、一時の息切れ防止策しか効果がなかった。
 
 国民が先行き不透明感の中(果たして自民党で問題解決できるのかなと疑い始めた時)、『自民党をぶっ潰す」官から民へ」「中央から地方へ」との掛け声に不安・不信・不満心理の国民は見事に騙された。 5年5ヶ月も・・・

 ここまで入力して、このコラム欄(花や自然がいっぱいの)の掲載するのが憚れる気分になりましたので、この続きは「エッセイ B 政治・経済・社会」欄に移行して、書いてみようと思います。

         では、ひとまず

 


 

 COLUMN 1−D 861
                                   平成20年9月26日 記

       9月24日に出会った花

  9月25日は 飛騨金山に栗拾いに行きました


 9月23日・朝、撮影しました岩船神社前の曼珠沙花を登場させました。
 その日・8時間後の夕方に撮影したものを”まだ開花していませんでした”と紹介。

   本日はそれから24時間後、24日夕方の曼珠沙華を掲載します。↓
 曼珠沙華はこんな時間経過で開花してゆきました。(前日のページを括って下さい) 

    

 私の性格は楽観的で・淡白・長い時間拘っている性質ではないと思っていますが、時には拘りだすと執拗なところがあると自覚しています。
 上記の曼珠沙華の連続掲載はその現れでしょう。

 こんな話になりましたので自己分析をしますと、自分で一度継続すると決めたことにはかなり拘ります。 たとえば、朝のストレッチ、朝の礼拝、夕方の散歩、そして10年日記とこのイイカゲン日記もそうです。 これらのことは既に全て10年以上継続されています。

 さて、曼珠沙華を後にして小さな大谷川を渡ると鮮やかに夕日に照らされている花がありました。 近づくと、どう見ても、何度見直しても「ヤマブキ」です。

                 

 一輪だけではありません。 ヤマブキは春の花と思いますが、気温・天候の加減で狂い咲きをしたのでしょうか。(翌日飛騨金山にも川辺町でも見かけました)

    ヤマブキと同じ法面に、名も知らない↓赤い実が輝いていました。

         


 9月25日は飛騨金山に栗拾いに行きました。 例年9月20日頃から10月10日頃の間で2〜3回は車を走らせていましたが、今年は出来が悪いのです。

            

         まだ少しはイガが残っていますが、今回の1回で終了です。

 花が咲き始めたミョウガも収穫、特に意識したわけではないのですが、タイミング良く24日付けのスポーツ新聞『王さんの引退記事』の上で撮影しました。
 
 王さんの「いい人生だった」の一言が大見出しになっていました。
 ホームラン王としての王さん、ダイエー・ホークス(?)時代から14年間の監督としてリーグ優勝と日本一、そしてWBCでの優勝監督としての実績等、輝かしいばかりの記録です。
 同時に大らかで、胎の据わった態度と力もちで心優しい話振りにも信頼と好感が持てました。

 本日は政治がらみのことも脳裏を走りましたが、ここでストップします。

  
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