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 COLUMN 1−D 880
                                平成20年11月1日 

    このところ起床時間が早いのです

  〜初めての場所で、シャッターをきりました〜


 このところ(約2週間前から)起床時間が早いのです。  何時ごろかと言いますと午前3時前後です。 2週間で半分はこの時間です。
 
 元論、就寝時間も早く、大体が午後の8時前後です。 日中眠くなることもありますが、パソコンの前、椅子の上で得意の12〜3分の睡眠をとれば頭スッキリで再びパソコンに向かっています。

 今朝、まず脳裏に浮かんだことは「私の一日優先順位づけ〜重要度、緊急度、難易度〜」の整理から始める事でした。

 床の中でメモを執り、只今メモ持参で書斎に入り、作業開始です。
 
 こんな整理をしなければならない事もないのですが、チョット顔を出している友人の会社の状況を覗いてる間に、「この会社は第2段階の成長点に達したな」と感じました。

 友人は社長として八面六臂の活躍をしているが、他の責任者との間に認識している課題の優先度合いにミスマッチがあると思い、私の気づいた項目で整理していましたところから私自身のことになりました。

 整理してみますと、このところ時間に追われるように感じていたことの意味がわかりました。 やはり、結構な内容でした。

 週に1〜2日、定例・予定外の事に時間を取られると、追われていることがわかりました。 
 と言っても、会社勤めしていたときのように、期限内、予算内でどうしても済まさねばならないという仕事や業務ではなく、自分で決めた”好きなこと、納得していること”ですので、追われるくらいの日々を楽しんでいます。

    

     ↑ この写真は昨日(10月31日)の夕方の散歩時に撮ったものです。
 写真で遠くに見える山、中央が大谷山で、左の方に微かに見えるのが弥勒山です。

 散歩時の後半でしたので、つるべ落としの陽にせかされてシャッターを押しました。
 大急ぎでしたのでピント??、構図は??、初めてシャッターを切った場所です。
           菊の花の向こうは大きな池のある料理店です。

 このところこのコラム「イイカゲン修行僧日記」も、他の事柄に気がとられ忘れがちになりそうです。  今、書き終えましたのは、午前4時半です。 新聞配達のバイクの音が近づきました。

 さて、新聞を読むか、優先順位付けの整理をしてからにしようか暫し思案です。



 COLUMN 1−D 879
                                平成20年10月30日 

   菊薫る秋〜秋のバーベキュウーを前に〜

  道路一本隔てた筋向いのKさんの菊は今年も・・


 我が家の庭が綺麗に掃除されるには年に二回あります。 百姓学校の仲間達がやってくる春5月と秋11月です。 この日に向けて女房が1ヶ月前から庭整理です。

 夏の草が抜き取られ、散らばっている発砲スチロールの箱やプランターそしてアチコチに放り出されていた空鉢がそれなりに整頓されます。

  蚊が苦手な私の松の選定はほとんどこのバベーキューの会が終わってからです。

 整理され空き地となったところに、新たに買い求められた花々が植え込まれます。
 鉢にも目新しい花が植え込まれています。

 今年は11月1日がその日です。 天候は予報によると午前中は曇り、午後からは晴れとなっています。 これまでは雨にたたられた事はありません。

 前日には枯葉が掃き寄せられれば、準備万端です。
 
 で本日、その庭の花は菊です。 特に手入れはされていません。放りぱなしの菊たちですが、近くの木々に巻いた肥料をいただいて、結構この時期目を楽しませてくれます。

               

                

         


 
 我が家の菊たちと異なるのが、道路一本隔てたKさんの奥様が毎年手がけておられます観賞用の菊です。(ここの奥さんには夏、留守にする時、水遣りを頼んでいます)
 今年は隣の敷地に息子さん夫妻の家が新築中で、駐車場に隅に置かれています。


    

            ↑玄関入り口イッパイに出迎えています

   

 近くには先代が丹精こめて手入れされていたお庭を引き継がれた家もありますが、草ぼうぼうで手入れがなされていないところもあります。

 自然や花々に興味がないのでしょうか。それともお嫌いなのでしょうか。
 これからの時代、自然との交流が更に求められると感じているのですが・・・
 
 マンションにお住まいの知人、友人にもプランターで良いから、身近に草花や野菜と接する場を持つべきと提案しております。




 COLUMN 1−D 878
                                平成20年10月29日 

      大好きな柿が鈴なりです

 〜聴講生に講義内容を引き上げる役割もある〜


  中部大学に行く道すがら、大好きな柿が今年も鈴なり状態を横目に見て通過します。

           

 ↑竹藪と競っているこの柿木は、まだ葉を付けていますので遠目にはそれほどの数には見えませんが、数え切れないほどの実を付けています。

                

     

               ↑ 既に葉を落とした木はご覧のようです。

 毎年思うのですが、いつもこの周辺の柿は収穫されていないようです。 上記に紹介しました柿は皆渋柿だと思います。 中には甘柿もあろうと思える木もあるのですが、それも収穫されている様子はありません。

 数日前、近所の方からご自分の庭で出来た甘柿をにいただきました。 手入れはあまりしていないようですので、小粒で種も多かったのですが、それでも美味しくいただきますした。

 本当に勿体無いことだと思わずには居られません。 来年の今頃は世の中が大変革で「柿泥棒」の出現とでも報道されるのではないでしょうか。


 話が変わります。
 先週「世界史概要」の講義で宿題となった『資本主義の矛盾について』の小論文(約7000字)を書きました。 この際を利用して、近時の金融恐慌のことについての自分の考え方や今後の生き方や価値観にも触れてみました。

 止めとけば良いものを書き終えて、講義内容について、教授が妥協して学生のレベルに合わせて少々物足りなさを感じていましたので、それとなく(私としては)もう少し講義レベルをアップしてほしいいとの思いをこめた意味合いの文章を添えました。

 ところが、その宿題はまだ提出されていないのに、その思いが通じたのでしょうか、本日の講義は冒頭より、『聴講生の方も居られますので、今までの講義を振り返り、アクセントを付けてみようと思います』と言う教授の発言から始まりました。

 そして、「歴史の教訓から学ぶ」、「歴史を動かすのは誰か」、「経済学や統計学の数字からでは国力を判定できない〜格差問題を考える〜」と言うテーマが、本日の講義内容の「独占資本主義と帝国主義」「海外進出」の内容にマッチして語られ、講義内容は濃いものとなった。

 2週間に一度の割合で提出される宿題の中に、キット他の聴講生の方も、私と同じような思いを抱かれて、意見を言われたのではないかと想像した。

 いや、既に数週間前、私はかなりな意見を申し上げていたのではないかと思い出した。 
 失礼に当たっていなければと思うと同時に、広く・深く学問を究められてこられた教授の知識・研究成果を引っ張り出すのも、聴講生の役割かと思っているのですが・・・




 COLUMN 1−D 877
                                平成20年10月27日 

    散歩道も秋色に変わり始めました

 〜春日井植物園の周辺を中心として・・・〜


               
       ↑ ↓ 「ラクウショウ」の木の下ではカモ達が(大久保池にて)
          

         

         ↑公園内のカナール(運河)の周りは桧の紅葉です

                

     ↑バラ園で赤の縁取りをし、中心が黄色のバラを万華鏡にしてみました

      


                

                 ↑白バラを渦に見立ててみました

         

      写真に夢中になっていましたら、知らぬ間に当たりは暗くなり始めました。



 COLUMN 1−D 877
                                平成20年10月26日 

  〜千葉県、船橋市のビジネスホテルで〜

 大学での宿題「資本主義の矛盾について」の原稿


 10月24日の朝、船橋のビジネスホテルで4時半に起床しました。 今週10月29日に提出しなければならない宿題「資本主義の矛盾について」が気になっていました。

 朝風呂に入っていたら、数行サブタイトルが沸いてきました。 そこで、メモを取り記録しておきました。 昨日から他の宿題に取り掛かり、”世界史概要”の「資本主義の矛盾について」も書き上げることができました。

 教授から習ったことを整理しても可能なのですが、この際間違いない単語の使用もして書き上げたいとグーグル検索のウィキペディアを引っ張り出しました。

 ここには何と宿題タイトルのそのままの「資本主義の矛盾、問題点」という項目があるではありませんか。 そこも参考にいただきましたが、そのほかの項目からもいただきまして、コピー回答(どういうのでしょうか)を製作しました。参考文献、ウィキベィアとの書き加えました。
 (ある教授は抜書きコピー回答は点数ゼロと宣言しております)

 が、それではどうも面白くなく、今日、連日のように報道されているアメリカ発、金融恐慌を「市場原理型資本主義」の破綻、崩壊の終焉の姿と認識してとの観点から考え方と意見、そして今後の展望とこれからの生き方、価値観についても書き添えました。

 ワープロ入力したのですが、全部で6500字ほどになりました。 添え文を付けて教授に提出することにしました。 

 内容はどうと言うこともないと考えていますが、キチンと宿題に答えたことに対して、教授がどのような反応をするかに興味があります。

 と言いますのもこの教授「現代アメリカ論」が専門です。 いま少し突っ込んだ教授のアメリカ論をお聞かせ願えればうれしいのですがと書き添えたからです。

 林住期に入っての勉強は本当に面白いです。また、今日のような大変革期に近代から現代に至る歴史、思想史は格別です。

 と本日は活字ばかりで、しかも本人だけが面白がってしまい、申し訳ありません。

       

     ↑ この写真は10月27日に掲載しました。ドングリが道いっぱいに・・・



 COLUMN 1−D 876
                                平成20年10月25日 

  親戚の葬儀で千葉県、習志野市にゆきました

  〜千葉県、船橋市のビジネスホテルの窓から〜


 会社勤めをしていた頃、東京に向かい川崎を過ぎるあたりから、”さあ!これから戦いだ!!”と声には出しませんでしたが、気合を入れたものでした。

 新幹線のホームから改札口を通過して、在来線に乗り換える間の人の流れは、何をそんなに急ぐのかと、かって感じた足早で忙しげな様子や姿は変っていませんでした。

 着替えを入れた大きめなバッグがぶつかりそうです。そんなに先を急ぐ動作ですが、すれ違うどの顔も無表情で、しかもどう見ても溌剌とした明るい顔色とは大違いです。

 通夜・葬儀の式場は津田沼でしたが、インターネットで宿を調べても数軒が全て満室でした。 そこで、二駅離れた船橋でトップ紹介されていたホテルに予約することにしました。

 通夜が終わり雨の船橋駅からタクシーで5〜6分のところのホテルはビルの間を3〜40メートル奥に入ったところが玄関でした。

 翌朝のことです。 カーテンを開けるとそぼ降る小雨の中、濁りきった川に船が繋がれています。 反対にホテルの敷地内には手入れされた松の緑が目に飛び込んできました。


           

               

 非常階段を出て、可能な限りの景色を眺めている間に、この場所はきっと”船宿”か”割烹旅館”で、直ぐ近くまで海岸か川が迫っていただろうと想像しました。

 後から、フロントの方に尋ねてみましたら、やはり「割烹料亭」ということでした。

 雨の日で・近い距離なので恐縮しながらタクシーに乗ると、細い道を通りなれたというようにクネクネと曲り廻って駅まで連れて行ってくれた地元の運転手さんは、ホテルの前の道路までが海岸線であったと教えてくれました。

           

 お分かりいただけるでしょうか。 写真・中央の左に横に長い筒のような建造物があります。 ビルの谷間を縫って走る高速道路です。

 東京都1200万人、首都圏で3000万人とか。 私には長くは逗留することはできない地であると改めて感じました。

 一目散に・疑いもなく走りに走った後に、日本のバブルは弾けました。
 そして、18年長い・長いトンネルのヤミの中はまだ続く不透明感・不信・不満・不安で多くに人々は諦めと同時に、それでも何とかならないかと日々を過ごしていました。

 そんなある日、他人事、海の向こうの話と思っていた「アメリカのサブ・プライムローン問
題」に端を発する、金融恐慌から、産業恐慌へ、そして一番被害が少ないといわれている我が日本にも確実にその負の波は打ち寄せてきました。
「世界恐慌」と言って間違いないでしょう。 個人の生活恐慌も避けられないことでしょう。

 あのビルを打ち壊し、あの高速道路を撤去し、埋め立てられた地を元に戻して、かっての綺麗な川や海岸線に戻ることができるのでしょうか。 逆公共投資は可能でしょうか。

 人々の意識、生き方、価値観の変化が180度転換したならが、不可能ということはないと思っています。 いや、単に感じているというだけでなく、10数年前に、厳しい環境に置かれた方々(倒産、リストラという名の首切り、廃業等)の中から、立ち上がり今その結果を見せしてくれている方々の存在があります。

 それらの方々の10数年は額に汗した試行錯誤の道筋だったことでしょう。 
 でも、ここに間違いなく、やり切って数々のモデルを提示していただいています。
 
 その姿、実績、道程をこれからの明るい道しるべとしたいものだと感じた、葬儀に出向いた船橋のホテルで感じさせていただきました。


 COLUMN 1−D 875
                                平成20年10月23日 

  ”早速の返信をいただきましたので・・・”

  〜庭で今、咲いている花の一部です〜


 「早速の返信をいただきましたので・・・」と読まれても何のことやら分からない方が居られることでしょう。 昨日、コラム 2−Nに高村 薫さんの「社会時評」を取り上げまして、そこに私のコメントを載せました。

 それを読まれた知人より早速メールをいただきました。

 「加藤は今の状況を予測し、心構えしており、オロオロ・ウロウロしていないだろうが、こっちとらはそんな状況ではない。

 このところお前さんの「コラム 2−N」には、先行き不透明な中、ますます心配と不安に取り付かれてしまいそうなことばかりが取り上げられている。 そしてお前はそれを楽しんでいる。
 
 そのような題材を取り上げた時こそ、自然や花々を画面に登場させるべきである』


 確かに、このところコラム 2−Nは世界の金融恐慌から産業恐慌へ、そして生活にまで恐慌が押し寄せてくるとの識者の言行の紹介や私が感じたことを書いています。

 最後の結びは、それでも心配ないと完結しているつもりでしたが、知人からのメールで反省しているところです。

 では、10月20日付け、コラム 2−Nの最後で取り上げました、我が家の庭の花を紹介します。

       

      ???            オンジジューム       デンドロヂューム

             


        上記の花々は「コラム 2−N NO 278」にも掲載しました。


 ところで、10月も下旬となりましたが、今年も気温が高く、庭に出ますと大嫌いな蚊がブーンと寄ってきますので、蚊取り線香を炊いた部屋から外を眺めている状態です。

 が、本日は庭に出ましたので、今、庭で咲いている花の一部を撮影しました。

    

           ↑秋明菊                     ↑ツワブキ

               

                    ↑  ノコンギク

    あと、咲き始めの菊など数枚ありましたが、蚊に追われて逃げ帰りました。

       

  ↑庭には瑞浪の百姓学校から数株いただいて、発砲スチロールで育てた稲です

           

     本日稲刈り、まずは神棚に今年の豊作報告をし、感謝いたしました。




 COLUMN 1−D 874
                                平成20年10月21日 

  連日、素晴らしい秋空が続いています



 10月20日、いつもの散歩コースを歩いています。 数日前「岩船神社」の前のところで本格的なカメラを構えた方が二人お見えになりました。

 私がいつも夕陽が綺麗だなと思っているところで、時おりこのホームページにも掲載しておりました。 他の方からも素晴らしい眺めだと認められたと思いうれしくなりました。

       


       

↑ 同じような方向にカメラを向けているのですが、場所は「岩船神社」の裏側からです。

 暗くて判明できませんが、99%刈り取られた田圃のうち、一箇所だけが狩り残されています。 稗がボウボウと伸びています。

    この田圃の所有者が体調でも悪くされたのでしょうか。心配です。
 
      私一人で手釜で刈り取るには大きすぎる田圃の広さです。

     本日(10月21日)、同じコースを歩いてみようと思っています。



 COLUMN 1−D 873
                                平成20年10月20日 

  平地にも微かに秋色=紅葉が感じられます

   〜実に、素晴らしいさわやかな日々です〜



           

 普段はウグイ川によって散歩道を下るのですが、昨日はニュータウンの帰り道のコースを逆回りしてみました。夕日に照らされている旧玉野街道沿いに沿って建ち並ぶ住宅街とその向こうに桧峠の山並みが連なっています。

               

         ↑心なしか、秋色に変化しつつ欅の大木を見上げました。

  その下の垣根に「早咲きサザンカ」の一種でしょうか数輪が咲き始めていました。

               

        

 連日、日中の気温は25度前後にはなりますが、湿度は低く、気持ちよいさわやかな日々が続いています。
 新聞やラジオ、テレビが報道する世界情勢のことなど、スッカリどこかに行ってしまい、
「狼爺」も「お騒がせ爺」も、「野次馬爺」もどこかに消えてしまっております。




 COLUMN 1−D 872
                                 平成20年10月19日 

 散歩道の周辺も稲刈りがほとんど終了しました
      ↑10月、16〜17日のこと

   10月18日は瑞浪・百姓学校に収穫に行く


  <10月16~17日のこと>

              

          我が家のスカスカの生垣に今年もイチイの木の実がなりました。

 口に入れますと甘さが感じられます。が、いつまでも口の中に入れていますと、種の周りから渋みと苦さが広がってきます。 昔ならこんなに真っ赤に熟せば直ぐに食べられてしまったことでしょうが、今はヒヨドリも、スズメも啄ばみにきません。

    

   16日ウグイ川を下った時の写真          17日、岩船神社前の写真

          

    16日、ウグイ川を下った時、稲刈り終了の田圃、手前の三角田はまだです

         

        17日の岩船神社を通過した時には、ご覧のように夕日でした

  18日に同じ場所を通りましたら、すっかり稲刈りは終了していました。(カメラ持参せず)

 
 
 <10月18日のこと>

         

              
南天ともみじの紅葉が迎えてくれました

 
   

 
トルコ旅行の前・8月に種まきした大根、白菜、チンゲイサイ、ホウレンソウは全滅

 9月に蒔いたホウレンソウはまたまた数本を除いて顔を出しませんでしたが、大根、白菜とチンゲイサイの代わりに昨年成績のよかった赤カブラが順調に成長してきました。

   昨日・18日は3回目の抜き菜をしましたので、これで多分大丈夫でしょう。

              

       赤カブラの一番大きなものは親指大にまで成長してきております

    

 牛蒡の最後の収穫をしました。 確か今年の4月に種まきをしました。 今月で7ヶ月になります。 2ヶ月前から数本づつ掘り起こしていましたが、今日で最後とばかりに10株を掘り起こしました。

 ご覧のようにスーパーの店頭に並んでいる牛蒡とは姿形が全然異なります。 木の根っこのようです。 これでも高畝にして蒔いたのですが、元々が山肌を削って畑や田圃にした場所ですから、深さがないのです。

 よって、ご覧のように下に伸びることができずに横に太り(そのような品種でもあるのですが)、あるいは、枝のような根っこになるのです。
 お味の方はこれが結構姿形とは異なり、柔らかく・牛蒡本来の味があり、煮物にぴったり、キンピラ牛蒡にしても美味しいです。

        

              最後は試堀をしましたサトイモです。

 収穫する中で人様から評判とリピート・オーダーの率が一番高いサトイモです。 11月の後半に掘ったものが一番美味しいと思っていますが、昨日初試堀をして見ました。

 まだ口にしていませんので、味の方は分かりませんが、多分間違いないことでしょう。

 なを、この日瑞浪でも稲刈りは実施されていました。 人工心臓を付けた校長もボツボツと稲刈りに参加しておられました。 その他は由香里さんと多治見の息子さんと親戚の方が一人、東栄町・太鼓の由理子も来ていたが、手伝わず。

 
 先週は11日から3日間、北関東の「紅葉狩り」に時間を費やしましたので、中部大学の講義の予習と復習、インターネット・ビジネスの研修と追いまくられました。

 週代わりの本日19日も机の上に数種の処理しなければならない報告書や書類が積まれています。
 少し、アレモ・コレモを整理しなければと感じ始めていますが、そのアレモコレモが、世の中の変化の質やスピードと絡んで面白く感じています。

 「狼爺」というのでしょか、それとも「お騒がせ爺」、「野次馬爺」とでも言うのでしょうか。




 COLUMN 1−D 871
                                 平成20年10月17日 

 好き勝手な時間の使い方をしているつもりが・・


 新たに関心を持ったことができたときには、それまで行なってきたことの何か一つを捨てることとしてきたつもりですが、知らず・知らずの内に滞留してきた様子です。

 といいますのも、3日間の「紅葉狩り」に行ってまいりましたところ、その後4日間が経過しても、遣り残した事柄があるようで気になっている気分なのです。

 明日は16日ぶりに瑞浪の畑に行かなければと気をもんでいる状況です。

 時代が、時流が間違いなく流れています。 5年後のありたい姿がおぼろげながらも描かけれていれば問題ないのですが、確信を持って語るものを持っていません。

 ならば少なくと、このところは慌てず、ユッタリと構えるべきとは思うのですが、それもかなわっていない心理状況と自己分析しています。 

 ”いい年をして何を考えているのだ”と言われる方がいるとしたならば、「貴方はいかなる気持ちで毎日を過ごされておられるのですか」と問い直してしまいそうです。

 と、ここまで入力しましたら、すこし気分が落ち着きました。有難いことです。

 今夜はこれにてお休みなさい。
  



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