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 COLUMN 1−D 890
                                 平成20年11月12日 記

   やっと準備しました一枚のビラ!!
〜良い子達なのでしょう、
     が 教えられていなかっただけなのでしょう〜


 
 大げさに言いますと、少しばかりは命の危険を感じない分けではありません。

 前々から気づいていた事なのですが、言葉にも態度にも現さないできました。
 が、本日、そんな私自身に”それでよいのか”と、問いかけてきたものがあります。

 そこで、下記のような一枚のビラを作りました。 来週の講義時間前に、どのようにして渡そうかと思案中です。

 何を私が反省し、何をしようとしているのかは、以下のビラ原稿を読んでいただければお分かりになることでしょう。

 このような大学の授業態度にしてしまったことの一因は、私達自身にあると考えています。 これからやってくる潮流の前の心構えとして自分に問いかけました。

  
  講義時間に遅れてくる

君に伝えたい

昨夜は遅くまで宿題をしていたのかもしれない

 昨夜は夜勤のアルバイトであったかもしれない

 昨夜は彼女(彼氏)とデートであったかもしれない

 昨夜は面白くないことがあって、眠れなかったかもしれない

 昨夜は様々なことがあったことだろう。

 が、講義時間に遅れて来たと言う事は事実です。

 教室に入った時、少なくとも「すいません」、「ごめんなさい」の気持ちを持っているならば、それを形に現したらどうでしょうか。

 そんな気持ちを持ち合わせていないならば、貴方は人間失格です。

 教授の前を堂々と、さも当たり前のように通過することは失礼です。

 講義を受けている仲間にも失礼です(邪魔になります)

 何時か、貴方も就職をするか、自営業で頑張るのかも知れませんが、少なくとも一人で生きて行くことは出来ません。

 人として、明るく、暖かく、思いやりのある人生を送りたいのは誰でも同じ事と思います。 どうか、授業に遅れた時には、「すいません」の気持ちを形に現してください。    お願いします。  

      平成201118日  同じ講義を受講している聴講生より

        
 



 COLUMN 1−D 889
                                   平成20年11月10日 記

   第4回    遠山藤原学校

〜21世紀を生きる人情と自然と技を学ぶ二日間〜
       平成20年11月8日・9日
         研修主催:シンクタンク藤原事務所
         研修協力;遠山郷観光協会


 11月8日(一日目)
 
 春日井を午前7時半に出発、遠山郷、道の駅内「アンバマイ館」に到着したのは集合時間の20分前、10時ジャストでした。

 自己紹介で知ったのですが、今回は北海道、新潟、石川、千葉、埼玉、それに近隣の名古屋、静岡、岡崎からと遠方の方が多かった。

                

  道の駅裏、 アンバマイ館(按配がよいと言う方言から)の横を流れる遠山川

       
           @              A                B
 
 @遠山郷資料館和田城、龍渕寺、観音名水、殿町の茶屋へ向かう雨の中スタート        
 A「秋葉街道」和田宿で今回見つけた、和田商店街のひょうたん食堂の看板

 Bこれまた何度も紹介している龍渕寺の大杉。遠山一族の菩提寺

 ここで、和田地区から移動する。

               

          ↑木沢地区に移動、旧木沢小学校にて「藁ぞうり」作り
 
 理屈と手順は人様のものを見ていたから頭では理解していたが、案の定、見ると実行するのでは大違いです。

   

         @                A                 B

 @基本中の基本「縄なえ」が出来ないのです。左の二本が最初のもの、右二本何とか

 A綯った縄を二本結びつけて足にとる(二本を一本に藁紐を結びつけることは先生が・

 B形など、どうでもよいのです、そんな気にしていたら進みません。

                

 片足分を作るのに1時間以上かかりました。隣の人の作品を借りて撮影しました。
 多分、自分ひとりで作成しても、上記と同様に大きさ違いとなったことでしょう。

            
 
              皆さん、片足を上げてハイホーズ


       

 次の時間割は脱穀です。 そこらにある脱穀機とは訳が違います。 良くも残してあったと言う代物、昭和一ケタ台の製造年月日が記されている「足踏み脱穀機」です。

 実際に廻した事がある方ならお分かりでしょう、バランスとタイミングが悪いと脱穀機の回転が一定方向に廻らず、逆回転してしまいます。

 脱穀に気がとられて撮影をしませんでしたが、当日の朝、雨が降り出しました。
 直ぐに稲架してあった稲の取入れをし、この脱穀機の上にはビニールシートのカバーが出来ておりました。
 
 このシートカバーがなかったら、当日の脱穀作業は出来なかったのです。 地元の方の早々の判断と、ビニールシートのカバー掛けのアイディアも聞いてしまえば簡単なことですが、町からの人ばかりだったら、どういうことになっていたことでしょう。

                    
        
       ↑「籾摺り」のつもりです。一升瓶に入れた籾を棒で搗きました

  これで籾摺りが出来るはずがありません。早々とギブアップです。 このとき、水車小屋のことを思い出しました。 水車小屋は「籾摺り」も、「精米」もギッコン・バッタンと軽やかにこなします。

    

  ↑再び和田地区に戻り、お米屋さんに「籾摺り」と「精米」を依頼しました。
 私は井関農機等の農機具会社の看板が掲げられている「籾摺り&精米所」しか知りませんでした。 

 和田地区で長い間お米屋さんを経営されている工場は、近時道路沿いに設置されてある「籾摺り&精米」の3メートル四方の簡易装置に比べれば、4〜5倍の広さと高さです。

 ご主人の言われるには機能としてはなんら変わらないそうですが、ここでは「小麦粉」や「そば粉」の製粉も出来る装置が設置されておるとのことでした。

 
 初日の研修はここまで、「いろりの宿 ”島畑”」で懇親会、続いて二次会は定例の「舞夢」でしたが、当日は朝3時ごろから目覚めていましたし、明日が早いと言うことで、遠山郷に来てはじめて二次会の欠席となりました。


  11月9日 (二日目)
 

             
  
 ↑ 
大きな水車小屋の横には、「三河の国」「信濃の国」「遠江の国」との碑があり、ここが3つの国にまたがる要衝に地であったことを思い起こさせてくれます。

           

 ↑「蜂屋柿」が吊るされていました。私も今月22日には飛騨金山で収穫ですと話す。

 
       

 
 ↑朝もやの中で撮影しました「島畑」。この地は「元八重河内小学校跡地」です。

    

 ↑旧木沢小学校に集合しました。前日から「よみがえれ遠山森林鉄道」と銘うって「遠山森林鉄道を語る会」が開催されており、私達藤原学校の生徒以外にも参加者がありました。
 案内していただける方たちは、元森林鉄道で実際に作業や運転に従事されておられた方、あるいは軌道の設置や補修に関わられていた方、この森林鉄道の歴史を調べ著書を書かれた方、長野県の自然を研究されている方、更に現在森林組合に勤務されている方と何を尋ねても答えられるメンバーが揃っていました。

 
 「森林鉄道ウォーキング」の場所までは、飯田市内から来たジャンボタクシーと乗り合い自動車に分乗して約70分ほど、曲がりくねって、上り下りの道を進みます。

 が、大半は舗装されているのです。 こんな山の中にどうして? 
 御用林の地であり山懐の深い南アルプスには素晴らしい原始林が残っていたことと、戦後は家屋や燃料のための伐採のためだったのでしょう。

 私達は聖岳登山道の入り口「便りが島」から「西沢渡」までのコースを歩くのです。

       「便りが島」への途中に、赤い橋が目に留まりました。

        

 ↑ 何度かシャッターを押したのですが、気に入ったものが一枚もありません。掲載を取りやめと思いましたが、「赤い橋」と書いてしまったので、もう一度戻って拾い上げました。

   

        ↑ 第1回目のビューポイント「赤石大橋」です。(赤い橋の上から)
    
      山にはまだ霧が残り、            谷は深く覗き込みました。


          


  


 便りが島に到着

   

 ↑登り始め          ↑森林鉄道が走っていた道  ↑「滝の沢」の橋を渡る

            
      
                      ↑ 「滝の沢」

        

                   ↑「滝の沢」の橋

    

    ↑ 林鉄の終点、回転盤           ↑最大危険地の一つの朽ちた橋

               

              ↑ 木々のこと、鉄道のこと、動物のこと
 
 様々に語る内容は興味つきません。 50年ぶりにこの地を訪れたと言うかっての鉄人は淡々と過去を語り、この経験があったればこそ、今の心身ともに元気で毎日が過ごせると
 私が口を挟む余地もないほどに、今の生活ぶりを語ってくれました。

 ウォーキングの最終地点西沢渡は、ここからが聖岳の登りに入る登山口です。
 遠山川(?)の上流に当たるのでしょう。 それでも水量はかなりなものでした。

              

    

    ↑その沢を越して荷物を運ぶ籠(?)がありました。それに乗って向こう側へ


   11月10日 (自宅にて)
 


  拾い集めてきた落ち葉を撮影しました。 この後は「押し葉」にしようかな。

    

                 

             

                 

            




 COLUMN 1−D 888
                                   平成20年11月8日 記

   毎年この時期には一度は登場

  〜自宅前、ナンキンハゼの街路樹です〜

 
 明日から遠山郷です。 このところ、この時間(11月7日 午後7時半)は就寝の時間ですが、先程の散歩時の写真を掲載して、11月8日の日記とします。

           
             
          ↑ ボケていますね。家の前、ナンキンハゼの街路樹

           
               
            ↑ 押沢台小学校前のケヤキの街路樹

           
         
         ↑ メイン道路のトウカエデの街路樹は既に剪定終わり

 ご覧のように、バス道路のメインの道路の街路樹は剪定が終わっています。 トウカエデの街路樹自身があまり綺麗でないから早く剪定してしまったのでしょうか。
    
 それとも、ナンキンハゼやケヤキの街路樹は住宅が建ち並んでおり、各家庭で掃除をするからでしょうか。 そんな事はありません、朝・晩に掃いても掃いても追い付きません。


 散歩の途中で気づきました。今年は菊の花の色が特に綺麗なのではないだろうかと・・。
              ↓
               
   
        決して、綺麗な物ばかりに目が留まっているわけではありません。

               

      ↑ 今にも枯れた花が散り落ちそうなトランペット・ランプも気になりました。

               

       ↑ やはり渋柿なのでしょうが、大好きな柿に手が付けられていません。
        豊かなのでしょうね食生活は・・・ 来年の今頃はどうでしょうか・・・

               

  ↑ 最後はケヤキの幹をアップしました。目があり、鼻があり、口がただれています。
     見えませんか人の顔に。  食べすぎて口元が荒れたのでしょうか。。 

       11月8〜9日は遠山郷で秋の散策です。 行ってきます。






 COLUMN 1−D 887
                                   平成20年11月7日 記

   我が家の松の剪定が始まりました(11月6日)

 〜「やるだけやって、後はサヨウナラだよ」〜

 
 この位気温が下がれば、蚊はいないだろうと松の剪定に取り掛かることにしました。
  (ところが、蚊は存在しました。が、刺される前に発見し始末できました)

 ここに書くこと何度目かの内容ですが、30年も世話をすれば老後の小遣い銭くらいにはなるのではと期待しておりました松ですが、それどころではありません。

 姿・形がそれなりに良ければ、費用なしにて移動してくださるそうですが、買い手が付かないような松ならば、移動費用を支払う必要があるとのことです。

 平成4年に「庭園管理士」の資格をとりました。(新聞等で宣伝している、定年退職後の趣味と実益になるという、あれです)

 活字で勉強して「庭園管理士」になれれば簡単です。その後、春日井市が開催する「庭剪定のイロハ」と言う講習会等に出かけたり、近所の庭師の仕事を眺めたりしました。

 我が家にも専門の庭師が入っていましたが、10数年前から自分ですることとしました。(庭園管理士取得費用ぐらいは回収しようと思って)

 その結果は「庭はスッキリ、ポッキリとなりました」という内容の日記を、何時か、何処かに書いた記憶があります。

         

 ↑ 文面とは何の関係もありません。今朝、我が家の南側のコンクリート壁とアスファルト歩道の間に咲き始めました菊です。 バックの壁面、夏は葉で覆うツタたちです。

 
 昨日は実働時間4時間で松のほか、梅の剪定もしました。 
 あと、大物の松二本と春、花と香りを楽しませてくれた藤の木の整理、金木犀、モッコク、ほうの木(庭に植えるような木ではありません)の剪定など、20時間近くの作業が残っています。

 お隣の盆栽専門家(もちろん、庭のお仕事もされておられました。 今はご自分の庭の手入れと、屋上にある50鉢ほどの盆栽の手入れのみ)

 庭で脚立に腰掛けられて「五葉の松」の剪定をされていました。 私では到底我慢できないような細かい作業です。

 歯の抜けた口を大きく開けて、「どこまで出来るかは知らないが、やるだけやってハイさようならだよ」ニッコリ笑った手元はシッカリしたものでした。

 



 COLUMN 1−D 886
                                   平成20年11月7日 記

   1年ぶり 名古屋で食事会 (11月5日のこと)

     「弥勒の世近し」とは・・・

  
 数日前も何処かに書きましたが、昔の同僚との食事会などはほとんどありません。
 今回の3人も1年ぶりに会うことになりました。

 お子さんがまだ中学生で現役のAさん。 2年前に早期退職されたBさん。
 Aさんは穏やかな性格で、ガツガツせず物事を楽観的に捕らえる方です。 唯物観念には捕らわれない方です。

 Bさんは今年から家の前の60坪の畑を奥様に代わり弄り始め、一方来年からは大学院に行き、地域の活性化や都市景観などのボランティア活動をしようかと考えていると言っておられました。

 そして、私は11月4日に整理した「加藤の課題優先順位」を開いてみますと、@中部大学 AI社(インターネット関係)のこと B自然との取り組み Cインターネットを通じて
 とあります。

 同じ会社に勤めている頃も、性格も立場も関心ごともばらばらでしたが、それから10年が経過し、更に時代認識も、生き方も、考え方も大きく異なっていることを再確認しました。


 ところで、私の今年(平成20年)の年賀状には

 『昨年は時が早く、早くすぎたと感じました。
 様々なことがありましたが、流れ去って行きました。
  崩れるもの、消えてゆくこと・ものの影で数々の明るさに、出会うことが出来ました。          ”みろくのよ 近し”』と書きました。

 数日前、散歩中に来年の年賀状の文面が浮かんできました。(例年、早いときでは半年前、遅い時で2ヶ月前頃に、次の年の年賀状の文面が浮かんできます)

 『・・・・・、あけましておめでとう・・・・
 昨年の賀状で「みくろのよ 近し」と申し上げました。
      MORE&MOREの潮流が転換中
        夜明け前は暗く・寒いと聴く、明るく暖かな 曙近し』と

               

 ↑、↓、文面とはまったく関係ありません。 ご近所の方にいただき、我が家の玄関先に置いてあります。 久しぶりの雨に濡れた菊とその菊にバッタが停まっていました。

         

 話戻って

 三人での会話中、この「弥勒の世 近し」の話になりました。 Aさんが「弥勒と言っても分かる人がいるのかな?」と。

 そう言えばそうだな、どんな理解を皆さんそれぞれにするのだろうかなと考えました。
 本日(11月7日)、朝の礼拝の時です、このところ礼拝時に口にしていることがあります。

 「弥勒の世とは何ぞや」などという面倒なことは書いてありません、「ミロクの世」へのガイドラインが書かれています。

 以下にアクセスしてください。簡単に無料にて手に入れることが出来ます。
    http://www.nihoniyasaka.com/ 小冊子・「ミロクの世」へのガイドラインをクリック






 COLUMN 1−D 885
                                   平成20年11月5日 記

    大学の講義内容が少し変化した

 〜求めれば、やはりかえってくるものあり〜

  
  昨日は「世界経済史」、本日は「世界史概説」の講義がありました。
 今日はこの後、PM6時にかっての会社の同僚と1年ぶりに会うことになっています。
 
 (かっての会社の者とは年賀状の交換は100人程していますが、お酒を一緒に飲む相手は3〜4人です。 これは10年前、離職するときに決めたのです。これまでとは違った人間関係を創ると・・)

 そして、明日は庭の松の剪定です。 合計で20時間以上はかかります。

 更に、8〜9日は遠山郷に秋の紅葉狩り・ハイキングとなっています。

 ということで、昨日と本日の講義内容のまとめ、活字化を済ませておかねばならず、今朝もAM3時に起床して昨日分を朝の内に仕上げ、本日の講義分を只今完了しました。

 出かけるまでに時間がありましたので、本日の講義を活字化した後に、以下の一文を記録しました。

 本日の講義の感想

 『・先週「資本主義の矛盾について」の宿題に答えた。7000字程の文章となった。
・その内容がどうというよりは、その提出時に授業に期待するところを記した。
 
 @もっと、学生に妥協せず、レベルを上げて、教授の研究された内容で語ってほしい。
 Aさらに、教授自身の専門分野、アメリカのことについて、自説を語ってほしい。
 B授業中に学生に質問される内容は、私自身に回答を求められているようで意義がある。
・いまひとつぐらいの要望と講義の感想を記して提出した効果が、今回の講義で現れたのではないかと感じた。

・この教授とは11月2日の「学園祭」の時にも、お会いしており、少しばかりお話をした。
→教授は「もっと、質問して、学生を刺激してください」と言われた。

→私は「この中部大学が春日井市にあることはたいへんよいことだ」といろんな時、場面で口にしております。

 「また、春日井市、市民、学校関係者の参加でもって、市民活動を活発にし地域発展に貢献する場にしてゆかねばいけない」とも言いました。 

 「今まで大学は保守的で・象牙の塔のような存在に甘んじていたのではないか」とも、失礼なことも口にしてしまいました。

 以上のようなことが、今回の講義の変化となって現れたと少し嬉しかった。』


 COLUMN 1−D 884
                                   平成20年11月3 記

  本日は収穫で百姓学校です

 〜今朝、コラム 2−Nに半分書きして飛び出す〜

  
 有難いことに、充実した毎日が続きます。 本日は百姓学校です。
 正に、秋の収穫になりました。 あの日差しの下で、草取りをした成果を手にすることが出来ます。

           

              ↑、 茄子の最後の収穫をしました。
 
 この夏の初めは水不足で成長が悪く、いつ枯れるのかと心配しておりました。 苗は5本しかないのに8月の後半からもの凄い収穫量となりました。

 2週間に一度畑に行くのですが、そのたびに奥様がその間に大きくなったものを収穫して、保冷庫に保管していただいた量は半端なものではありませんでした。

 秋茄子も楽しめるかもと期待していましたら、期待に違わずこれまた2週間に一度の訪問でご近所にお裾分けできました。 そして、本日が最後となりました。

  写真の茄子の葉と木のように強く成長した枝は最後の命を牛君に与えて終わります。
 その茄子の枝を整理していましたら、こんな白い蝶が飛び出してきました。

    

 ↑、右の羽が既に破れています。茄子の枯れた葉の上に崩れるように舞い降りました。
  まさか、茄子の精ではないでしょうが、一瞬そのようにも思えたのです。

          

      ↑稲架された稲です。イノシシ用の防網が二重に取り囲んでいます。
  昨年まで、花畑であったところで、多分10年以上ぶりに稲作が行なわれました。
 
 脱穀、精米してみないと正確な収穫量はわかりませんが、少ない私の経験から見て、反当りに換算して4〜5俵がやっとという所ではないかと判断しました。

 これ以上、イノシシ様にやられたら、自家消費さえ賄えなくなってしまいます。

     

 評判の良いサトイモは今夏の日照りと水不足の時、麦わらを敷くやらして大変でしたが、その後は順調に成長し、2週間前に試堀しましたが、美味しくいただきました。
 
 それから2週間後の本日です。 更に芋は一回り大きくなっていました。 20数株を掘り起こしました。 例年の収穫は11月の下旬です。 今年は百姓仲間がいませんので私一人での掘り起こしは大変ですので、3回に分けてします。 
 
 今月末に、もう一回楽しませてもらいます。
 その時には、写真にありますような緑の葉は、全て枯れて茶色になっていることでしょう。
           

    

 ↑種まき後の日照りで芽が出ず、あるいは種まき後の大雨で種が流されて、数度の種まきをする羽目になりましたが、おかげで白菜、大根、赤カブラ、が順調に収穫時期となりました。

 細畝に無理やり種芋を埋め込んだ秋ジャガイモも順調です。 奥さんや娘さんのジャガイモは葉が枯れてしまったとのこと。 この間まで、2メートル以上に成長した秋ササゲに、陽を浴びるのを邪魔されていたジャガイモですが、かえってそれが幸いしたのでしょうか。

 理由はわかりませんが、何が幸いし、何が不調になるのかは本当に自然相手ですとわからないものです。

 これで、2年連続で秋から冬への野菜類は順調で自信がつきました。 などと言っているとドスンと一発食らわされることでしょう。 素直に参ります。
            




 COLUMN 1−D 883
                                   平成20年11月2日 記

  第45回中部大学「学園祭」に行って来ました

 〜イスラム(アラビア語)の書道に挑戦しました

  
                   
                                        

         

    

 なんと言っても人気のコーナーは飲食街です。 他の学校で食中毒が発生したこともあり
、実行委員会はかなり心配し、色々な規制をしたようです。

 写真のように人気メニューの一つは「焼きソバ」で全部で5〜6軒出展していました。
 若い人には「フランクフルト」が人気で、これまた大小のフランクフルトが4〜5軒の出店。
 
 その他、このところ人気新メニューとかの「たません」に若い人たちの列が出来ていました。 「たません」とはせんべいに卵焼きが挟んであるとか。

 その他、団子、トン汁、お好み焼き、お汁粉、おはぎ、カレーライスと、どこの祭り屋台のも出ている業種が全てありました。

 たい焼きとたこ焼きはなかなか奥が深いのでしょうか、生半焼きの状態で販売されて、返品・交換されていました。

 飲食以外にも出店がなされており、輪投げ、ボール投げ、金魚掬いではなくプラススチック出来たものを掬っていました。

 学部が増えましたので、一日ではとても廻りきれません。 機械工学科、電気工学システム科、情報工学科、電子情報工学科、電気情報学科、工業基礎実験室、食品栄養科学科、保険看護学科、生命医科学科、コミュニケーション学科、英語英米文化学科、幼児・児童教育学科、などなどです。

 
 私が一番お世話になっている学科は国際関係学科、国際関係文化学科ですので、特に丹念に研究発表を勉強しました。

 その中で、今回一番興味を持ったのは、「イスラム(アラビア語)書道展」でした。
 イスラムの地で実際に勉強されてこられた先生がお見えになっておられ、お話を聞いたり、直接書道の手ほどきもしていただきました。

   

     ↑上記の人物は学生です、先生ではありません。

 @自分の名前を書くのですが、まず、カトウのアラビア語を探してエンピツ書きします。
 私の場合、「カ」、「ト」、「ウ」、タ」までは字が独立しており、続けも文字にはならないということです。  続け文字になるところは、又、書体が変わります。

 A続いて、アラビアの筆(といっても竹が斜めに切ってあるのみ)それに墨を付けます(この墨は日本の物が品質がよく人気があるということです)
 日本の書道では「跳ねる文字、箇所」がありますが、アラビア文字は跳ねません。

             

     B初めは大き目の紙に練習し、最後は上記のような厚紙に書きました。
    右から左に向かって書きます。(悪筆の私ですが、アラビヤ語で助かりました。

           

           ↑自宅でプラスチックの安額に入れてみました

                  

               ↑このような絵と文字が掲げられていました
 
 年々内容が豊富になり、しかも地元の市民の参加が増えているように感じました。
 大変良いことだと思っています。それにしても講義に参加している学生の質が落ちたのでしょうか、(私達の若い時も同じだったでしょうか)教授も大変苦労されているようです。

 これまで保守的で封鎖的であった大学も変化しなければなりません。一般市民や聴講生も参加して、新たに地域にも貢献する大学として作り上げてゆくことが待ったなしの状況と考えています。




 COLUMN 1−D 88
                                   平成20年11月2日 記

   秋のバーベキューを開催

  
 百姓学校で一緒だった仲間がこの秋も訪問してきました。
 午前中よりビールから始まって、ご持参された焼酎へと進みます。

 話はこのところの世界の金融情勢から始まり、政治、経済、社会、教育問題とアチコチに話が飛びます。 それでも10年間、囲炉裏を囲んで、様々なことを話してきましたし、互いの性格や主張する事柄はほとんど理解できますので、気兼ねなく口にすることが出来ます。

 午後の1時過ぎになりますと、アルコールの進みも一休み、焼き物も焦げ始めます。
 そこで、今回は西高森山に登ることとしました。 登るコースは色々ありますが、出来る限りなだらかなコースを選ぶことにしました。

               

  暖かな日和でした。休憩小屋で一人は深い眠りに入ってしまいました。
                          頂上で出会った方たちと記念撮影しました。

               

                こちらが今回のメンバーの四人です

 帰路は「岩船神社」経由で少し遠回り、私には特別ではありせんが、最後の坂道では少し遅れがちな者がありました。毎日続けていることの強さを改めて感じました。

 これで終わった分けではありません、夕食に向かって再開です。
 午後5時半ごろ、朝来る時も高蔵寺駅から50分の道のりを歩いてこられたNさんが、再度帰り道も歩いてお帰りになったようです。

 残った者は、工事用の強力に明るい照明を点灯して辺りが暗く、しかも肌寒さが感じられるまで続き、お開きとしました。

 毎度のことですが、8時間近く飲み続けると少し疲労感を感じます。 今朝の体調を心配しましたが、ストレッチから掃除、礼拝と進むうちにシャキンとしてきました。 通常通り朝のポリフェノールを飲用することとなりました。

 (このあと「中部大学の「学園祭」に行きました。 生命科学学部で、様々な健康に関する診断をしていただきましたが、その中で血管年齢の測定がリました。
 →、結果は何と<78歳>とのことです。朝のポリフェノールの効果はなかったようです。
 こんなイイカゲンなことを言っておられるのはいつまでのことでしょうか)
 

 




 COLUMN 1−D 881
                                   平成20年11月1日 記

 ニュータウンには2つのミニコミ紙があります

 〜この町を「ベットタウンからライフタウンへ」
  (このフレーズはNPO法人エキスパネット創る)

 
  先ほど、このコラムのNO880を書き終えたばかりです。 思案するほどもなく、新聞を取りに行きました。 そして、またパソコンの前です。

 ほとんどの場合、私の一日は新聞を読む所から始まります。 しかも、折込広告の数と内容のチュックをします。 「数」と言うのは折込広告の枚数です。既に5年ほど続けカレンダーに書き記しています。

 すると、どのような業種、業界、企業、店舗が折り込み広告をしているのかは一目瞭然です。 また、折り込み広告の大きさ、紙の質(色使いもあります)、色使い(白黒、カラー)そして価額等で気になった広告を取り出し、眺め比較すれば、業績が良いのか、悪くなってきているのか困っているのか、積極策なのかなどが判ります。


 その中に毎月1日に折り込まれてくる無料配布の「ニュータウン・ミニコミ紙」が2つあります。

     
 
 その一つ「タウンニュース<ひと>」は既にNO351回です。月2回発行の時期が1~2年ほどありましたが、その後は月1回ですので、年12回としますと、30年近くとなります。

 タイトルにも現れていますように、<ひと>を紹介しつつ、その方の生き方、考え方など、多くの方に参考になる事柄が記事となっています。

 もう一つ「高蔵寺と暮らす まちツボニュース」は発行されてまじか、今月でNO9です。
 紙面をみると「つぼ」と表現されているように、「聞きたい・見たい・知りたいツボ」、「出会いのツボ」、「いやしのツボ」、「考えるツボ」と身近な場所や人々、そして事柄や出来事が満載されています。

 よくは知りませんが、これらを取材し、記事にし、編集・発行されているだろう方々のことが、何かの折に散見でき想像してみますと、多くの方が主婦の方々です。

 ニュータウンニュースの方はどちらかと言うと50〜60代の方が多く感じられ、「まちツボニュース」の方々は、子育て中のお母さん達のようにお見受けしています。

 どちらの紙も、この町を愛し、自分達で住みよい町にしてゆこうと行動している思いが伝わってきます。 月に一度このミニコミ紙に出会うと、私も何かしなければと思うところまでです。

 今月は、このあと、毎月楽しく、ためになり、勉強していますとメールだけでも送信しようかと思います。


  
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