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 COLUMN 1−D  NO910
                                 平成20年12月8日 

   これで少しはイライラが解消されるかな
    
  31年前に購入、息子の勉強机を書斎に移動


 
 私の書斎机、長さは180センテートルで十分ですが奥行きが55センチメートルと狭い。

 其の上に、パソコン、文房具、書類箱と並び、切抜きや参考書、辞書の置き場と重なってしまい、資料が必要な大学の予習・復習、そしてこの日記を書く段になると置き場が分からなくなり、其のたびにイライラしておりました。

 1年ほど前から整理をして解決しようと心がけましたが、物理的に無理と判断し、部屋の中央にまだユトリがありますので、机を新調しようかどうか迷っていました。

 と言いますのも、子供部屋だった隣の部屋には、子供達が使っていた机が二つもあるからです。 それぞれに、家を出てゆく時に持ってゆくものと思っていましたが、時間が経過してもそのままです。 (机ぐらい置ける部屋には住んでいるようなのですが・・・)

 先週から今週に掛けて、二人の息子が来ましたので、それぞれに机は必要ないかと尋ねても、別にと言う感じです。

 では、「机の中や周りを整理してくれ」と頼んでも、これまた一向に実施する様子がありません。 物置部屋とはいいませんが(時には、子供達のネグラとなる)、様々なものが積み上げられています。

 女房が「そのままにしておけばいいじゃん」などというから、必要もなく、持っていけば場所を占領するだけなので、ここに置いとけばなくなる心配なしとの態度です。

 女房は更に「新しいのを買えばいいじゃん」とのたまう。 ”もったいないではないか”。

 遂にというか本日書斎への移動を突如決意し、整理にかかりました。
 整理と言うよりは、プラス掃除も兼ねることとなった。 

 そして、「そのままにしておけばいいじゃん」の女房の言葉の背景の一部が分かった。
 
 多分”ノスタルジア”だろう。 幼児の頃に遊んだアメリカからの土産の木製品の自動車、クリスマス・プレゼントに買った野球版、中学の図画工作など、など・・・。

    

      ↑ アメリカ土産のこの品のことについては、改めて書きます
 
 (別の部屋には、ランドセルや幼児のときの衣装も仕舞ってある、狭い家の中に・・)

 もちろん、息子達の中学・高校・大学時代の写真や、年賀状、トランプ、花札と一人前の口を利きだした頃のものも出てきました。

 しかし、女房にとっては多分子供達が小学校まで、”意見をすれば何とか聞いてもらえた頃まで”が、懐かしく思い出されるためであるからではと、・・・分かったのです。


 さて、4時間かけて移動が完了しました。 結果は予想通りです。
 部屋の他の調度品とはいささか不釣合いですが、”もったいない精神”を満足させてくれています。

 なを、移動するに当たって組み立てたままでは部屋に入れることが出来ず、バラして、再度組み立てました。 この組み立て中に、悲しいかな合板の張り合わせ机ですので、一部のネジ受けが浮き上がってしまいました。 当時としては、はり込んだつもりですが・・・

 31年前、昭和52年12月17日の納品書を探し出しました。 机と椅子で28500円なり、掛ける2人分ですので57000円です。 自社取引先からの納品です。
 
 他の調度品、照明機器の請求書や領収書も全てあります。 31年前の12月にこの家に引っ越してきたのです、本当に過ぎてしまえばアットという間です。

 時代は第1次石油ショック(昭和48年)と第2次ショック(昭和54年)の中間で、第1次のショックを何とか抜け出した頃でした。

 そして、平成20年・2008年の12月は、まだまだ不透明感が増して行くばかりです。
 いや、既に見切った方々も出てきているようです。 腹のレベルでの決心のようです。


 このような時、親子二代で活用とはよく耳にしますが、子ー親で使わせてもらいます。



 COLUMN 1−D  NO909
                                 平成20年12月7日 

       本日、本冬、初氷でした。



       

            ↑ 咲き・香っていた菊もご覧のようです

       

   ↑もっと惨めなのは、木立ダリヤ    と   背丈が5M近いヒマワリです

    

 ↑では、私達の番ですねとシクラメン    と   パンジーのお出ましです。


           

       ↑ この冷たさを待っていましたと干し柿君が、日向ぼっこです。

  暖かい日が続いていましたので、カビが生えるのではと心配していましたが、1週間前から食べられるようになりました。が、まだ柔らかです。 

 親戚に送ることが出来ました。 柔らか好みの方と、固めが好きな方と居られますので、手紙にはラップに包んで冷凍するか、再度お日様に当ててくださいと書き添えました。

 朝、冷水摩擦の時、「エイ!」と気合を掛けなくてはならなくなりました。
 年寄りの冷や水と陰口が聞こえますし、自分自身もこのまま血管が切れるのではないかと気になるこれからです。



 COLUMN 1−D  NO908
                                 平成20年12月6日 

         本日は「上弦の月」


 本日は「上弦の月」、デジタルカメラで撮影するが、やはり期待したものとはならず。

                

               ↑ そこで、万華鏡仕上げにしました。

                

         

              ↑同じフイルムに夕焼け空がありました。

 昨日、 一昨年結婚した次男夫婦が半年振りに三重県・松坂からやってきました。
 同じ市内に住居していた時には、結構な頻度で現われていましたが、「3ヶ月ぶりかな?」というと、「半年振り」との事でした。

 やはり、<半年が3ヶ月に感じる>このところ充実していたというか、いささか時間に追われている自分を再認識です。

 先週、収穫してきたジャガイモ、サトイモ、白菜、頂いたサツマイモと干し柿など、手元にあるものを持たせました。 どんな料理になっていることでしょうか。

 今回は、私が毎朝神棚に上げている数種の祝詞(言葉)を渡すこととしました。

 多分、何処かに仕舞い忘れすることでしょう。 なを、昭和4年発行、熊崎健翁(?)・著の「命名学」 も持たせました。



 COLUMN 1−D  NO907
                                 平成20年12月3日 

  昨日は、 お隣の剪定を・・・

   本日は、大学の予習・復習の合間に・・


 昨日(12月2日)、朝の壁あてキャッチボールをしていると、お隣の方が塵出しに・・

 木立ダリヤ(皇帝ダリヤ)が素晴らしく咲きそろったその方の庭で撮影をさせていただいた時、(コラム 1−D No891)、3軒の角地にある半分枯れた木が気になれいました。

 その木は小鳥の糞の中の種から成長したものでしょう。 20数年経過しますと、目どうしの位置で直径10センチメートル以上になっています。

 「切り倒しましょう」と言うことなり、庭師道具を持参して、もう一軒の裏の奥さんも参加して始めました。

 狭い三角地で大変でしたが終了。すると、私の家の裏側が丸見え、古タイヤや錆びた簡易温室等が目立ちます。 更に、勢い良く成長した金木犀が気になり、予定外の庭師になることとあいなりました、

 ということで、このところ素人庭師として大もてです。

 嬉しいくらいに、次々とアイディアや気付きが脳裏を横切ります。 本日も午前4時起きです。 それでも時間不足です。

 やっと、夕方に散歩に出かけました。

          


        

     ↑ 定点観測のひとつ、愛岐3山の眺め、「宮滝大池」からの眺めです。

 

  間違いなく、「恐慌です」 金融から始まって、産業恐慌に、そして「生活恐慌」へ
 「何を馬鹿なことを言っている」という方や、「貴方は異常」という方、「何とかなるよ」という方、みんなそれぞれ、この入力を終えたあと、1930年代の恐慌時の流れを纏める計画です。

 そんなものが役に立たないことを願っていますが、避けて通れないこととなりました。

 友人より「どうなる」ではなく「どうべきだ」の時になったとメールが入る。
   其の通りと思います。



 COLUMN 1−D  NO906
                                 平成20年12月1日 

  そして、本日は豊橋へ

 ・DNAなのか? このところの自然・植物の事
    〜親父の直筆の看板を前にして〜


           

    ↑東名高速道路を降りて20分、豊橋郊外の銀杏並木が迎えれくれた。

 お墓参りをして、姉の家の造作を依頼していた建材店の方と打ち合わせ後、家に。

 本日、姉は不在(承知の上)、持参したサプリメントや記念写真等のことコメントを書く。

 盆の上に、りんご、みかん、柿、お菓子、お茶、その他、こまごまと気が使ってある。

 春の時に気になっていた、榊と金木犀の剪定をしようと物置に入る。

 そこで見つけました(と言っても、それは私が豊根村の家を閉鎖する時に、神棚などと一緒に豊橋に持ってきたものであったのですが、そのままになっていたものです。

              

 ↑「財団法人 植物研究所設立準備事務所 責任者 薬剤師 加藤 丸喜」
 
                 「世界平和植物協会」  と書いてあります。

             
 
            ↑  「平和の道 発行所     楽園 創元社

 
           この看板の裏にはこのように書かれています

  
  

 「村内 由来 八名郡 石巻村字守山 大蔵神社 境内 椎の木 樹齢1300年の枝より」

 「昭和27年 6月21日 就行 於・吉田神社 世界平和記念樹 加藤丸喜 謹書」

 
以上、3枚の写真から、近頃の私の思考にDNAの存在を感じると言うことです。

 私の父のことは表面的なことしか知りません。どのような思想を持っていたのか?
 戦前、戦中の言動などは正確なことは知りません。既に語ってくれる方も見当たりません。 ただ、一風変わった人物であったとは聞いております。 そのDNAを感じると言うことなのですが・・・。 果たしてどうなのでしょうか。 

 このところ、何か思い浮かんでくることは自然や植物のことです。 本日、豊橋で上記の看板(?)、書き物に出会いましたので記録しておきます。

              

         ↑ 最後にこの写真を掲載します。 名前はわかりません。

 剪定作業を終えて、一服しておりました。 すると、この花が目の前にあったのです。
 
 写真はアップしていますので、それなりに大きく見えますが、実際は赤の実(?)は直径2ミリほどの大きさです。 駐車場のために敷くつめた石ころ間から芽生えてきたのです。


 さて、春日井に帰宅しましたのは午後の4時過ぎでした。 そのまま、散歩に出かけました。

            

          ↑ 
築水の池の周回道路には落ち葉がイッパイでした

         


     
↑ 「岩船神社」に通じる田圃の向こうに、夕陽が沈んでゆきました

            


       
↑ 「元気牧場」の3頭のお馬さん、私と会ったこの後、ねぐらに




 COLUMN 1−D  NO905
                                 平成20年11月30日 

  昨日は、各務ヶ原・鵜沼で一日中、庭師

 〜これで正月を迎える前の恒例仕事80%終了〜



 飛騨高山、9月下旬の栗拾いから始まった。11月中旬の柿の収穫と干し柿作り。 

 庭仕事は蚊が発生する時はダメ、寒すぎてもダメ、11月に入って小春日和を選んでの作業は既に20時間以上です。 昨日は義姉のところの庭の松、他の花木の剪定と整理をしてきました。
 
 後は、我が家の庭の残されて作業がは4〜5時間で終わる予定。
 
 明日は、少し早いが豊橋の墓参りと姉の家の造作の打ち合わせをし発注予定。
 
 喪中の葉書も既に10数枚届いている、10日後ぐらいに年賀状の作成と、一人前になんとなく気忙しい。

          

         ↑ 今朝の我が庭の紅葉は陽に照らされて一番の見ごろ

            

 ↑、我が家の南西の角、壁あてキャッチ・ボールの場所。 サンタのイルミがぶら下がり、
 良く見えませんが、「ナイヤガラの滝のイルミ」そして、紅葉と朝日、今朝も最高気分。

     さて、遅れている大学の復習まとめを始めます。



 COLUMN 1−D
                                 平成20年11月28日 

 よろしければ、コラム 2−N 「新聞を読んで、眺め   て、切り抜いて」 NO285を開いてください。
   
      そして、

 「私のコラム 1−D No890 及びNo902は
   彼らの心情をまったく 読み違えていました。

     イヤ、ソウオモイコミタクナイノデス。

            今一度、今一度・・・・です。






 COLUMN 1−D 904
                                 平成20年11月28日 

 11月27日 散歩時に「ヌートリア」に出会う。

 11月28日 雨上がりの朝、我が家のXマス飾り

                 
          

       ↑ まずは定点観測地点、「築水池」に写った愛岐県境の山

 「宮滝大池」に近づいた時です、遠目に見た時は分かりませんでした。 野鼠でもいるかなと近づいてもほとんど動かないのです。 カメラを向けるとやっとノソノソと動き出しました。 体調でも悪かったのでしょうか。 調べて分かりましたが、瑞浪の畑でも時おり被害が出ております。

               

               ↑調べてみました、「ヌートリア」です。

 以下、ウィキベディアより

 ヌートリア(海狸鼠・沼狸、Myocastor coypus)は、ネズミ目(齧歯目)ヌートリア科に属する(以前はカプロミス科に分類されていた)哺乳類の一種。

南アメリカを原産地とするが、毛皮を取るために移入したものが野生化し、現在、北アメリカヨーロッパ日本を含むアジアに帰化して分布する。

「ヌートリア」とはスペイン語カワウソ(の毛皮)を意味し、原産の南米では本種のことを「Coipo」と呼ぶ。英名でも「Nutria」より「Coypu」の方が一般的である。かつての日本では、海狸鼠(かいりねずみ)、沼狸(しょうり、ぬまたぬき)などとも呼んだ。

人間との関係

日本では侵略的外来種として問題になっており、イネオオムギ、葉野菜などに対する食害のほか、絶滅危惧種に指定されているベッコウトンボの生息地を壊滅させるなど、在来種の生態系への影響も深刻である。さらに、本種の巣穴は複雑に入り組んでいて深く、水田の畦が破壊される原因にもなっている。

1970年代イギリスでは、10年がかりで約100万頭を捕殺し、絶滅にまで追い込んだ。


 11月28日 雨上がりの朝
  
              


 ↑ 普段「壁あてキャッチボール」をしています、西側にトナカイとサンタクロース

                                                               

↑南側(この”コラム 1−D NO898で紹介、道路を隔てた飾り付けが素晴らしい家側)    
 我が庭の紅葉が盛りとなりました。 10年前に購入した時、「ナイヤガラの滝」と名づけられていたイルミネーションも取り付けられています。

 しかも、この飾りは既に三分の一しか点灯しません。 紅葉の色を背景に、夜の輝きの代わりに、雨上がりの朝にその存在を紹介しました。
   






 COLUMN 1−D 903
                                 平成20年11月27日 

 中部大・国際関係学部 中国語中国関係学科

  新学科開設シンポジュウムの日 11月26日

                 
 一昨日に続いて、昨日は2度中部大学に足を運んだ。
 一度目は コラム 1ーD No902 の時です。 その後、自宅に帰り昼食をとってから、再び学校に向かいました。

 出席のチェックをする必要がないので、何時もとは違うコースで会場の「リサーチセンター」へ。 途中、開催までには時間が十分あったので、全天候型のグランドで学生がキャッチボールやフリスビーで楽しげにゲームをしているのを立ち止まって眺めていた。

 西日に照らされた坂道を登ってゆくとき、何処かで出あったことのある場所だなと感じた。
 ”どこだろう?” しばらくして思い出した。 20数年前のアメリカの東海岸、ニューヨークから電車に乗って行ったハードフォードでした。

          

           ↑ これは中部大学キャンバス内の風景です

 ハードフォードは本来ならとても宿泊できるホテルではなかったのですが、まだ建設中で一部オープンしているという状況でしたので宿泊することとなったのでした。

 晩秋のことでした。 建設途中のホテルの周辺にはカエデの枯葉が舞っていました。

 その時の業務は、私のとって初めての、そして最後の海外企業との契約の調印式でした。 懐には何度も書き換えた挨拶文がありました。 一部は英語であったでしょうか、記憶にはありません。

           

          ↑ 中部大学のキャンバス内風景です。

             この青空の上を軽飛行機が通過してゆきました。

    

 当日のメインスピカーの渡辺教授(来期からは中部大学の教授となられる)、と
パネル・デスカッションの中部大学・国際関係学部・中国語中国国際関係学科の教授、講師の方々です。

 「グローバル化の中の現代中国」のシンポジュームは大変内容のある、これからの世界、そしてアジア、中国の今後を示唆し、同時に課題を明確に提起させてくれた意義あるものであった。

 来年はまたまた、受講する科目が増えそうである。

   



 COLUMN 1−D 902
                                 平成20年11月26日 

         本日の大学の教室で

                 
 先週予定していたのですが、学校が創立記念日で休校となりましたので、本日になりました。
  
 A) 「講義時間に遅れてくる 君に伝えたい」のあの一枚のビラです。(このことは
、コラム 1−D NO890に書いてあります)

 前側からしか出入りできない教室です。 左右の入り口の片方、一番前の机の上に、誰にも気づかれないようにビラを置きました。 (この机は教授が配布し終えたレジメを置いておき、後から入ってくる人はそこでレジメをもらってゆきます)

 結果は@教授が配布したレジメと勘違いして持ってゆく者、(反応を見ていると、何も反応せず、そのまま机の隅に置く  A講義前にもって行き、隣の友達とニヤニヤ何か話している B講義前、立ち読みする、手に取らない。これまた、無反応
 C気づいたはずの教授の反応〜このことに関して何も言わず。講義が始まり、私語あり、それには注意をした。      以上です

 B) 本日の講義中です。 教授が本日の講義内容に該当する教科書のページを指定して読みなさいと言われ、結果として私語していた者が指名されました。 
  (返事はします”出席点”はほしいですから)

 ところが、その返事です「分かりません」でした。何か質問でもされたのかと勘違いしたのでしょう。 周りからクスクスと笑い声が起こりました。
 そうです。 問われた内容が分かっていないのですから・・・、再度、促されて・・・
 (その後、彼はボソボソと読み始めました)

 C)本日の講義は「第一次世界大戦について」でした。 戦火の始まりとなったバルカン半島問題が取り上げられ、「パン・スラブ主義」、あるいは「パン・ゲルマン主義」という語が黒板に書かれました。

 この場合の「パン」とは民族をさす単語です。民族争いに通じてゆくサラエボ事件です。

 さて、ここで学生が質問しました。 「先生、”パン”とは、あの食べる”パン”ではないですよね」。 誰も笑いません。

 なぜか、この学生は他の学生と一味違うのです。 そのことをほとんどの学生が知っています。 時に彼女は授業中に独り言を言い出したりします。 差別用語を使うわけではありませんが、「チョットです」

 しかしです。 一度、彼女が講義時間に遅れてきたことが在りました。 その時です、大きな声で「すいませんでした。遅れてしまいました」と頭を下げました。

 私は嬉しくなってしまいました。だって、挨拶が出来る学生を初めて目にしたからです。



 COLUMN 1−D 901
                                 平成20年11月26日 

 分かりました、この大木のヒマワリのこと

                 

               

             

 既に、2回ほど掲載しましたこのヒマワリのことが分かりましたので再度掲載。

 大きさを表現しようと思ったが、下から見上げようにも松が邪魔します。 ベランダから朝日に照らされているところです。 昨日の西陽のほうに花の顔を向けているようです。

 さて、本日の新聞の記事から見つけましたこの花=ヒマワリの説明です。
   名古屋農業センター管理係。 出原 裕子さんの投稿です。

 『黄色いダリヤのように見えるこの花は、キク科のチトニア(ニトベギク)の仲間で、その巨大さからガリバーという商品名で出回っています。
 ニトベギクはメキシコ南部から中央アメリカ原産の多年草で、日本では日長が短くなることで花芽をつける短日性の秋咲き草花として扱われています。

 最大の特徴はその高さと株の大きさで、農業センターのものは株の直径が3メートル、高さは4・9メートルに達しています。

 日本へは明治末に渡来下と言われています。霜にも強く12月中旬まで楽しめそうです。


 
〜霜に強いことも分かりました。 この花の隣にはこれまた背丈の高い皇帝ダリヤ(木立ダリヤ)があります。 両花とも越冬させて来年も花を咲かせようと思っています。

 なを、写真の我が家のチトニアの背丈は4メートル弱、株周りは3本仕立てで、1本は10センチメートルほどです。
  
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