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 COLUMN 1−D 940
                                  平成21年1月13日  記

   只今、写真掲載トラブル中
      よって、活字ばかりで掲載します。



 「心配なし、心は配れ」と年賀状に書きましたので・・

   〜4年前のメモが 出てきました〜


 今年の年賀状に一文を添える時に、大半の賀状に『額に汗すれば心配なし、心は配れ』と書きました。

 説明することもないと思いますが、私の脳裏には真夏の炎天下の畑の草取りの映像がありました。 2週間に一度は這いつくばって草取りをしないことには、アット言う間に背丈の伸びの速い夏草の下になってしまいます野菜たち。

 それがどうでしょう、例えば9月に入りますと「サトイモ」は、十分夏草を超える背丈となり、大きく広げた葉の上では朝の露をコロコロと転がせて、しかもユラユラと揺れています。

 そこまで来ると夏草は其の葉の下で日陰となり、背丈も伸びません。
 10月試掘り、まだ未熟な味ですが、既に親芋も、小芋も、孫芋までが成長しています。

 11月下旬から12月初旬の3回に分けて全て掘り起こしました。 ご近所にお裾分けをしてもマダマダ十分に我が家の玄関先のダンボール箱に詰まっています。

 大好きな芋は毎日食べられます。 「心配なし、心は配れ」といった背景です。

 このところ、知人、友人から「お前(狼爺)の言っていた通りになったのは良いが、これからどうすればよいのかを知りたい」との電話やメールが数本ありました。

 評論家でもなく、経済学者でもなく、フィナンシャル・アドバイザーでもない私に解るはずがありません。 が、"そのうちにドスンと来る、ドスンと来る”言い続けてきた手前、それで終わりというわけにも行かず、昨年の後半から少しは、こんな風に考えたらどうでしょうかと、意見をこのコラムにも書いているつもりです。

 そこで、本日は新しい自説を書くわけではないのですが、どのような視点から、どのような手順で計画を作成すればよいかの整理をしました。

 「新たな時代を目指して」 計画手順   平成21(2009)年113日 初稿

1、このように流れてきた歴史

  ・歴史が教えてくれる事柄(繰り返されてきた歴史)
  →@帝国歴史、
ローマ帝国、モンゴル帝国、イスラム帝国、オスマン帝国、ビサンツ    帝国、ロシア帝国
   A覇権国家の変遷、スペイン〜オランダ〜イギリス〜アメリカ
   B反乱・改革・革命、→宗教改革、フランス革命、ロシア革命
   C戦争の歴史、世界規模の戦争→第1次世界大戦、第2次世界大戦、冷戦構造
 歴史から学ぶ事柄
 →@繰り返される
~サイクル(誕生、発展成長、成熟、衰退、消滅)があり、長いスパンもあれば、短いスパンもある 
  A栄枯盛衰(外部要因もあるが、決定的なことは内部から崩壊する) 
  B歴史は必然(必要な時に、必要な人現われる)
  C最後は大衆が決める。

2、現在こうなった。 その原因は? 要因は?〜政治、経済、金融、社会、

  ・資本主義の持つ本質的な矛盾

  ・世界の指導国(者)、特にアメリカの間違いとそれを許した背景は?

   →ロシア、中国、インド、英国、フランス、ドイツ、EU、日本

    新興国、ブラジル、インドネシア、南アフリカ、

    国際機関、(国連、IMF、世界銀行、等)

3、「上位の目的」、「当面の目標」〜何を、どこまで。

  ・「手段方法」〜何が必要か→到達状況に必要な要素=「システム計画」

今後、このようにしなければならない。→シュミレーション予測 A,B,C

・到達状況に必要な要素 イ)対人間系の要素 ロ)対システム系の要素

4、行動推進計画(推進過程に必要な要素)〜障害除去と急所へ手を打つ)

  ・状況活用 ・数値改善 ・習慣定着

 ・スケジュール計画

 ・個人、家庭、企業、国家

5、推進者としての心構えと行動規範

 面白くもないものを掲載しましたのは、「歴史から学ぶ事柄」のことに書きましたことは、平成17年11月11日に「世界史を学んで」と題してメモしてあった事柄から拾ったものです。
 その年の春期から「NHKの放送大学」と「中部大学の聴講生」となりました。
 半期学んだところでメモしたものです。

 メモしたときから3年数ヶ月しか経過していませんが、この間、特に昨年の後半からの世の中の変化はスピードが付いた飛行機のようでどこまで飛んでいってしまうかと暫し立ち止まって眺めているしかないと私には感じさせています。

 平成17年「世界史を学んで」のメモを掲載します。 私自身も今一度読み直して、改めて考えて見ます。

 世界歴史を学んで」  記 2005(平成17)・11・11

@    歴史には短いスパン、あるいは長いスパンで変化してゆく。

 EX、中国・・隋は短く、次ぎの唐の時代は長い。モンゴル(元)は短いし、明・清長

   ヨーロッパ・・ローマは長く、その前後は短い。

A     外的要因(環境、気象状況、競合関係)にもよるが、決定的なことは内部からの崩壊である。 (親子、兄弟、主従、有力者間の戦い、争い)
 
歴史を後から眺めてみると、全てが定められた運命のように見えてくる。 
 
 ・必要な時に必要な人(集団)が登場してくる。

B     どの時代にもサイクルがある。誕生〜成長〜最盛期〜下降線〜衰退〜消滅
 ・どの時代を見ても早い・遅いはあるが、ひとつの時代の波の中で、あるときを境に次ぎの時代の波(流れ)が内包され、育まれている。
 ・やがて入れ替わる。力で奪い取る事もあれば、熟して枯れ落ちるように切り替わる事もある。大抵は武力(力)であるが・・・
・ サイクルにも大きなサイクル(波)と小さなサイクル(波)がある。

 激しく、短期に変化する波は時間の経過を待っていれば、落ち着き元の流れの中に吸い込まれてゆくが、大きな波の場合は消えたように見えるときもあれば、とまっているようにもみえる。

・サイクルにも大きなサイクル(波)と小さなサイクル(波)がある。

 ・激しく、短期に変化する波は時間の経過を待っていれば、落ち着き元の流れの中に吸い込まれてゆくが、大きな波の場合は消えたように見えるときもあれば、とまっているようにも見える時がある。 が、決して止まっていることは無い。

 1990年日本でバブルが崩壊した。これは世界でこの60年間の間に起こったバブル崩壊の世界でNO1に早い出来事であった。 日本はその意味で先頭を走っている。

 それから既に16年目、小泉政権が2006年春で(?)5年を経過しようとしている。 20世紀の古い体制、仕組みを脱し、新たな時代を創設したかの弁が聞かれるが、大きな間違いである。 其の程度の改善・改革でことが済むようなものではない。

 これまで続いた大きな、大きな波は衰退期を向かえやがて地平線のかなたに消えてゆく。

 決して混じることなく、21世紀の波が20世紀の波の下から時折顔を覗かせている。

 それが見える人は20世紀の仕組みの中で、弾き飛ばされた負け組みと言われる方々もいるし、(其のことをチャンスとして見方、考え方、行動を変化させた人)、自ら気づき乗り換えに成功した人たちもいる。(中にはブツブツと不平・不満を述べてふて寝をしている人もいる)

 どちらにしても、この大きな波は留めようがない、・・・・

C  国家運営(経営)、特に他民族支配の場合は、「緩やかで、非支配層の文化を認め・許した運営をした場合は長続きしている。 時にはその文化を吸収し、混合同化刷ることもある。 これはゲルマン民族の大移動後のヨーロッパ中世〜近世に見られるが、歴史の大きな流れから見るとさほど大きなエポックとはなっていない。

そして、今はこんな事がメモに加わっています。

この追加は小島教授への返信の時書き加えたものです。

@  覇権の頂点におり衰退の徴候にあがくアメリカ・・内部の混乱が見え隠れする。

A 15世紀〜16世紀歴史の最先端を走っていた中欧は海洋に面し世界の富との交易を可能とする西欧にその地位を奪われた。其れを取り戻すべくさまざまな行動は内部に内包する解決不可能=矛盾が矛盾を生む構造になっている民族問題と宗教・文化が争いの種となり、混乱と混迷の中2度の大戦を経験する。 
・その悲劇の中か
EU=ヨーロッパ連合を形成しつつある。 中欧が加わり、更に異文化の国家の加盟が検討されているが、其れは過去の歴史を踏み越えられるだろうか?

B ユーラシア大陸の東、「中華思想」「華夷思想」=(「天下」の中心には高い文明をもつ「中国」があり、その周辺にはいまだ文明の恩恵に浴さない「夷狭」が住んでいる。 徳の高い君主が出現すれば「夷狭」も次第に感化され進んで「中国」に従属し、「中国」の領域は無限に広がってゆく)という思想を持つ国・強大な中国が驀進している。

その国が口にし、主導権をとろうとしている「アジア共同体連合」はどのように進展するのだろうか? その時、アジアの日本は如何なる国家戦略を持って臨むのか?

C大きな大陸、暗黒の大陸、奴隷の国、未開の地、そして民族紛争と飢餓の大陸=アフリアとの先入観を持っていたが、今年「愛・地球博」のあのステージで単調ではあるが力強い太鼓のリズムに乗って踊るアフリカの人々に何度かお会いする度に、かの大陸に親しみを持つと同時に、可能性を感じた。 大きな大陸の東と西、しかも歴史の一部しか学んでいないと深く感じた。(他の地域や国のようなに歴史研究が進んでいないのであろうか?其れとも関心を持つ人々が少ないからなのだろうか?)


 〜さて、本日は今期あと2回の講義が残るのみとなった週です。
 久しぶりに朝から雪が待っています。今期初めてスノータイヤの履き替えました。

 チェーンの脱着をしなくてもよいと思うと、気が楽です。

 受験生のはこれからが本番です。 ペーパーテストこそありませんが、時代の流れの中で”どのような修行をしていますか”との問いかけには逃れることは出来ません。




 COLUMN 1−D 939
                                  平成21年1月12日  記

   
   腹下り(腸内一掃)は完全に回復しました
    
        冷水摩擦をして、庭に


 1週間ぶりに完全回復です。 昨日、冷水摩擦をしましたが、本日は変化ありません。
 今朝は粉雪が舞いましたが、薄暗いうちから冷水摩擦をし、庭を一回り。


               

            ↑福寿草の芽が一杯顔を覗かせていました。

                 

  ↑粉雪が枯れ芝生に積り、小鳥達がロウバイの花を啄ばんだのでしょう。

               

 ↑ロイバイはアップの写真しか掲載されません。そこで、全体像を紹介します。

            

 ↑壁にはまだ、Xマスのイルミネーションが、    ↑玄関のドアーにも・・・

  前の家のイルミネーションは昨日ご夫妻で数時間を要して撤去されていました。

             

   ↑玄関には正月飾りとXマス飾りが同居しています。本日撤去しましょう。


             
 
↑1・5坪の畑には、大根と絹さやえんどうの風防、今朝の粉雪がウッスラと残っています。

       

 ↑12月に息子が「手乗り文鳥」が死んでしまったと持って来ました。 水仙が咲きそろうところに埋葬しました。


 室内温度を19度に設定して1時間が経過しましたが、サッパリ温度は上がってきません。
 やっと10度です。 冷水摩擦で鍛えてありますので、裸足の足元以外は全く平気です。

 相方の冷水摩擦が「腹下り」の原因は、全く根拠なしと笑えてきます。
 大寒を前に、「それ見たことか」と言われないように、用心して立春を待ちます。



 COLUMN 1−D 938
                                  平成21年1月10日  記

   NO 937の続きです。   〜その4〜
 
   腹下り(腸内一掃)し、新春からスッキリです
    
      何を教えてくれたか、昔、昔話


 この「腹下り(腸内一掃)」を書き始めました2日目・1月8日の新聞広告が切り抜かれていました。

 その広告内容の一部を掲載します。

 「頭のいい夫婦気くばりのすすめ」のタイトルです。
 〜夫婦の危機を救う本ーーチョットしたコツですれ違い解消!!
 〜主な内容〜
 
 *愛にもルールがあった
 *相手の欠点を指摘すると更に悲劇が!
 *変えられるのは自分だけ
 *「口やかましさ」が不仲の原因
 *欠点は片目で見る
 *まず聞き上手になる
 *話上手な「愛・トーク}
 *夫婦間で特に多い「ありがとう欠乏症」
 *注意するよりほめるほうが何倍も効果的
 *男と女の脳はこんなに違う
 *男らしさと女らしさで幸せに

 〜目次〜
 @なぜ、夫婦間に亀裂が起こるのか?これだけは知っておきたいタブー
 A夫をやる気にさせる会話の仕方とは? 
 B男と女の違いがわかれば夫婦円満 おしゃべりを楽しみたい女と沈黙を味わいたい男
 C夫婦に幸せをもたらす8つの愛情表現 夫には賞賛を、妻には愛情を



 以下の昔、昔話が今朝浮かんだものです

 『山深いところの一軒家に、おじいさんとおばあさんが暮らしていました。

 ある日のこと、おじいさんは山に芝刈りに出かけました。 それを見送ったおばあさんは川に洗濯に行きました。
 
 洗濯を終えたおばあさんは、其の帰り道
二人で開墾した畑の大根、にんじん、牛蒡、ネギを抜き取って家に帰りました。

 自宅に仕舞っておいたサトイモ、しいたけ、コンブも追加して、チョロチョロと燃えている囲炉裏に鍋をかけ野菜の煮込みを作りました。

 何時もなら早く帰ってくるおじいさんがなかなか帰ってきません。 そこで、おばあさんは先に夕食を済まし、ウトウトとその場に寝込んでしまいました。

 其の日のおじいさんは、仕掛けておいた罠にウサギが三匹もかかっており、時間を食ってしまったのでした。
 
 帰ってきたおじいさんは、ウサギを土間に放り出して、一人で囲炉裏の煮物を木の椀に取り、里に行った時,買ってきた濁酒を取り出し、チビリチビリと始めました。

 知らぬ間に、外はシンシンと雪が降り積もり始めました。
 明日は戸袋の高さまで積もるだろうと独り言を言ってつかえ棒を手直しました。

 囲炉裏に薪を継ぎ足して、せんべい布団に包まって深い眠りに入ってゆきました。』


 この昔話は何を暗示し、何を教示していてくれるのでしょうか。

 最初にあげた「頭のいい夫婦 気くばりのすすめ」は、なるほど最もだとは思いますが、これから心入れ替えて「良い事は直ぐに実行しよう」という、気持ちにはなれません。
 
 それよりは、後半の昔、昔話から感じ取ることが出来る、「ここまで来たのだから」、ま〜いいかと「相手を許してしまう」、「そんなところだろう」と諦めてしまう心情に収めることのほうが可能性が高いように感じています。

 以上をもって、4回に渡った「腹下り(腸内一掃)し、新春からスッキリです」の終了です。

 最後まで、お付き合いありがとうございました。


 COLUMN 1−D 937
                                  平成21年1月10日  記

   NO 936の続きです。   〜その3〜
 
   腹下り(腸内一掃)し、新春からスッキリです

 女神、女権の見なおし、強化、進展への回帰時代


 この手の話がこんなにもリアクションがあるとは想像していませんでした。
 今回の件で、私が体験し、思い巡らしていることに対し数人の方(読者数にしては大変多くの方々)からご感想やご反応を頂いております。

 夫婦間のずれについてのお悩み方(というよりはシックリ行っていない居ないというのが適切な表現でしょうか)が多く、其の一端を私が披露しましたところ、他人様の喧嘩は面白いとばかりの反応だったのでしょうか。


 ところで、本日1月10日午前9時で、腸内一掃症状から97時間が経過しました。

 本日は午前4期に目覚め、深夜便のラジオを聞きながらトイレで新聞を読む。その後はストレッチ、掃除、冷水摩擦、最後に神棚への礼拝と通常の生活パターンに戻りました。

 朝食には、飲み残してあったスパークリング・ワインをタップリ頂かせていただきましたので、平常に戻ったということかと判断しています。

 昨日からの続きを書かねばいけませんネ。

 今回の腹下り(腸内一掃)は何を意味しているのだろうかと考えてみました。
 「女神、女権の見直し、強化、進展そして盛隆」へのお伝えであったと感じています。

 来月の立春過ぎに三重県松坂市に行く計画が出来ました。その折、足を延ばして伊勢神宮に参拝してくる計画を組み込むこととしました・

 確か、伊勢神宮の外宮は「豊受大神」さまがお祀りされており、この神は「稲穂の神」であり、女神ではなかったか?(これから調べます)

 話が関連しますが、飛びます。
 今年最初の中部大学での講義内容が「商品としての貨幣」「商品としての通貨」でした。

 其の中で、「資本主義とは何かの原理」、「資本主義経済をマクロに語る中でカネが商品となる仕組み」の講義がありました。

 簡単に説明するには知識不足、理解不足ですが、人間が形成された時点から、ひとりぼっちでもなかったし、小さな家族で成立していたのでもなかった。進化論ではない。

 人類が人類として現われた時から、複数の家族が集団、集落を形成していた。
 すなわち、集落の中に家族は存在していた。家族形態にも諸形態があった。

 其の中の一つに「女性が強かった」形態もあった。例えば、アマテラスオオミカミ、卑弥呼。 多分、昔は一夫一婦制ではなく「郡婚」であった。

 また、「社会経済生活」は狩猟社会(動物、木の実、魚)の分業であり、特徴・特性で労働を分け合い、物々交換していた。(現代も同じ、母親が家事労働、父親外で稼ぐ)

 集落=共同体、と集落=共同体間の分業が始まった。

 一つの共同体の中のみの分業はスキンシップで、互助(互酬)であったが、共同体間の交流にカネ=メノウ、黒曜石、ホヤス貝などが媒体とされた。

 共同体間の媒体であったカネが互助の共同体の中に入り込むことによって、共同体内はズタズタに引き裂かれることとなった。(格差が生まれる等)

 以上、話が飛びましたが、言いたかったことは、昔は「女神、女権」が強かった時代があり、今日の資本主義社会の形成と、それによる共同体の破壊ということを言いたかったのです。

 時代は今、その資本主義の行き着くところまで行き着き、立ち往生しているということではないでしょうか。

 このような時には「原点回帰」とか「原点に立ちかえり」とか言いますが、どこの時点が原点なのでしょうか。

 大昔の大昔、狩猟社会時代とは申しませんが、暖かで・明るかったと思われる共同体社会の時代まで遡るのでしょうか。

 私は過去の何処かに見習うべき歴史・世界があると考えていますが、それがどこで、何であるかを指摘する知識と見識を持ち合わせていず、一般論として「新たな理念、思想、価値観、生き方」などと表現しています。

 ここで、またまた突飛ですが、私が会員になっている、副島隆彦先生の「学問道場」のホームページの一項に「重たい気持ち書いている掲示板=重掲」の1月7日に副島先生が書かれた文章の中から、一部を抜粋し掲載します。(全て引用です)

 『女性であれば、外国人と結婚して、その男が帰国することになって、子供を連れてその国に行くということをする。その国で暮らして子供を育てて、そのあともその国の人間たちの中で生きてゆくということが多いでしょう。日本の女性は、男たちよりも、現地への適応力と言いますか、adaptability アダプタビリティー 環境適応力が高いです。 子供と旦那さえいれば、その現地の環境にすっかりなじんでゆけるようです。男はなかなかそういうわけにはゆかない。

 このように書くと、また副島隆彦の女性差別(区別)が始まった、という人がいるでしょうが、やはり日常生活での実情での対応力、適応力では、女性の方が、現状に密着しますし、余計な理屈を捏(こ)ねまわしませんから、長く外国で暮らせるようです。男はどうしても、自分の強い考えや、習俗が身にしみていますから、外国ぐらいは長くなると向かなくなるようです。

 日本のまじめなサラリーマンでも、家に帰ったら、「メシ(ご飯)、風呂、寝る」と奥さんに言い放って、それで当たり前だと思っている人が今もたくさんいるだろう。それでも、そういうことはもう通用しなくなって、若い30代から下の、今のなよなよした男たちには、 そういう風な亭主関白(これはもう死語だ)はいなくなっているのか。

 あまり自分の我儘(わがまま)を貫くと、どうせまわりから嫌われて、自分にしっぺ返しとなって返ってくるから、男も女も上手に、控えめに、まわりの人間の立場と考え(反応)を機敏に
察知しながら、上手にソフトに対応して無難(ぶなん)に生きた方が、結局は自分の身のためです。

 私自身は、どうもそれが出来なくて、あまり長時間は家族とでも一緒にはいれません。どうも他人を気にしすぎて、それで、家族であっても、変な遠慮をはじめます。だから、離れてひとりきりになって、静かな時間を作らないと、生きてゆけないようです。

 家族に対しても過剰に気を使って、それで、神経質になって、夫婦仲も悪くなって、軽い言い合い(口喧嘩)になりますから、やっぱり適度に離れていた方はいいな、と思います。やや離れて暮らして、互いに気を使いあって、励ましあうぐらいが、今のような神経質で我儘になりつくした人間たちの世の中では、それぐらいが丁度いいのかもしれません。

 本当に、日本だけではないのだろう(世界現象だろう)が、若い男たちが、オカマのような、すぐに女装をしたがって、女になったようなふにゃふにゃした若者がものすぐごく増えていると私は思います。

 大学の授業中でも観察していると、男の学生たちが、オカマ(ゲイ)のようなのがたくさんいます。背中も曲がってぐにゃぐにゃとした感じで座っている。背筋がまっすぐ伸びた若い男はあまりいません。

 それに対して女子学生の方が、どっしりしていて、しっかりしていて、堂々と座って背筋もしゃんと伸びて、まるで男のような感じです。


 今回の「腹下り」=「腸内一掃」修行は、私に何かを示唆してくれたと感じています。

 この4日間、脳裏に浮かんだことや、大半は記録する前に寝込んでしまい、目覚めた時には何の記憶も残っては居ませんでしたが、少しは書き留めました。

 そして、今回の修行は、「大難」を「中難」に、そして「中難」を「小難」で済ませていただいていることに気づかせてくれています。

 自分で言うのもなんですが(可能かどうか解りませんが)、本日を境に少しは日頃の言動に変化が生じるのではないかと予測します。期待します。


 とここまで書きまして、終わりと思っているのですが、「昔、昔話」が横切りましたので、項をNO4として、いま少し続けさせていただきます。


 COLUMN 1−D 936
                                  平成21年1月9日  記

   NO 935の続きです。    〜その2〜
 
   腹下り(腸内一掃)し、新春からスッキリです


 さて、1月8日午前8時から28時間が経過しました。 さすがに6日、7日はお酒を飲む気が起こりませんでした。 が、8日夜には、薄いウイスキーロック割を二杯を飲んだのですが、昼間まどろんでいますので眠ることが出来ず、起き出してワインを150ML頂いたところで、眠りに入りました。

 今朝は午前2時に一度目覚め、更にそのまま眠ってしまい起きましたのは、午前6時前でした。 あれだけ眠っているのにまだ眠れるのですから、余程体力が弱っているのでしょう。
 あるいは、眠るのも体力が居るといいますから、体力が回復してきたということでしょうか。 兎に角、朝食は普段の半分ほど取ることが出来ました。 これで徐々に回復に向かうことでしょう。


 ところで、昨日の日記に床に入ってマドロム中、考えたことがありますから、次回に書きますと入力しましたが、読み直して見ますと大したことではありませんでした。
 また、昨夜も次々と思いが脳裏を走り、パソコンに向かって打刻している映像が浮かんできましたが、一夜空けると全てが消えていました。

 ただ、残っていますことは、今世界で起こっている現象は、色々と気づかって「金融恐慌」だの「大不況」だのと報道されていますが、間違いなく「大恐慌」であると考えます。

 資本主義社会=カネが人と人を媒介する社会が出現する前までは、共同体という平等で・格差のない、あるいはあったとしても小さな社会であった。

 もちろんそこには身分制度があり、身分に一生縛られて平等ではなかったわけですが。

 その後、市民革命を経過し、資本の蓄積が成されて、カネさえあればなんでも買えるという資本主義が成立する。 資本主義の構造はカネがあれば、誰でも購入できるという民主主義と互いの存在を必要とする助け合う相互(互酬)の共同体を崩壊(疎外)にしてゆくという二重構造を持ち合わせています。

 共同体と民主主義とは水と油の関係なのです。

 話が飛躍しますが、現代は全てのものが投機の対象となった。カネ=ドルも例外でない。 第2次世界大戦後、世界の頂点にたち、冷戦終結後は世界の一極の長として君臨してきた米国は、行き詰まった。

 簡単には其の地位を失う、あるいは奪われることはないでしょうが、歴史の示すと従えば、時間の問題であろう。 歴史の教えることをおさらいして置きます。

 1630年代のスペインからオランダへ覇権の移動は、チューリップバブル後に発生した。
 
 1720年代、オランダからイギリスへの覇権の移動は、ミシシッピバブルの後。

 1929年は英国から米国に、政治・経済の中心が移動した。
 これらの恐慌という生き物は、エリートによるエリートの戦争と覇権争いのゲームだった。

 今回はどのような結果が待っているのだろうか。
 やはりエリートの国が出現してくるのであろうか。 それは中国か、インドか、ロシアか、ブラジルか。はたまたそれに続くといわれる新興国か。

 どの国を捉えても、既存の政治・経済・金融秩序の上に成り立っている国家です。
 自らリスクを負い、新たな時代を形成・構築するという理念と力は顕在化しているようには思えません。

 すると、まったく新たな理念、思想、価値観を提示し、実行してくる人々や集団が横に結んで新時代の秩序を形成するのではないかと感じないでもありません。

 私達一人ひとりが小さな主役に躍り出ることが望まれているのではないかと思うのです。
 リストラにあった、倒産した、行く当てがないと本当に当面の事で一杯なのが実体なのでしょうが、現実に足を立脚すると同時に明日をも見つめる心の広さ、深さ、を持っていたいものだと、弱った体を床に伏せながら思いました。

 私は「腹下りした。これは今までの様々なことを腸内一掃してくれたのではない」かと感謝になければならないと受け止めることが大切と感じました。

 床が敷いてある部屋の「神棚」に向かって、”ありがとうございます”と両手を合わせました。


 話、戻って、床の中でこれからは、「女権の復活」、「女性が益々主人公になる」という、
 半分夢を見ていました。

 これまた今日も、いい気になって朝から、学校の講義の活字化やこの日記を書いていましたら、再び、背が丸まってきました。 ここで、休憩とさせていただきます。

        この項、続く予定。


 COLUMN 1−D 935
                                  平成21年1月8日  記

   腹下り(腸内一掃)し、新春からスッキリです

 〜記憶にある3回目の「腹下り」に寄せて〜その1


 私のこのホームページにも数人の友人ファンがおりまして、中3日開けますと「病気をしたのか」、「書くことがなくなった」のかと、催促とも、気遣いとも、はたまた「恫喝」とも感じられるメールは入ってきます。

 先回は1月6日でした。 本日は8日ですので、このままにして置きますと、また何を言われるか解りません。 そこで、弱った体力に気を送り込みましてパソコンに前に朝から座り込みました。

 1月6日、午前8時の朝食を終えた時に異変が起こりました。 嘔吐と強烈な下痢症状です。 当日はどうしても出席したい講義(中部大学)がありましたので、無理して参加することにしましたが、いつ何時腹痛と下痢がやってくるかわからず、「紙のオシメカバー」を探すほどでした。

 授業中も冷や汗が何度か繰り返されて、帰宅した時には下着がビッショリでした。
 が、何とか90分の講義は出席、内容は録音テープに記録してきましたので、再生し活字化する予定でいます。

 翌日(1月7日)もこの状態が続き、本日(1月8日)の朝まで、一度も固形物を口にしていません。 ほとんどジュース類で(トマト、りんご、洋なし、15種類のヤサイジュースとブラジル産のタイボ茶)、あとは高山産「塩せんべい」、カステラなど口の中で解けてしまうものばかりでした。 故に体全体に力が入りません。

 何と48時間で2・5Kgの体重減です。 こんな苦しいダイエットもなかろうと思いますが、若い女性(若くなくとも)などは、これ以上の苦痛に耐えながら、しかも大枚のお金を支出して
見せ掛けの容姿作りをしているのでしょうか。

 ところで、其の症状は「感冒」でないかととの声が聞こえそうですが、感冒の一般的症状である、「悪寒」「寒気」「喉の痛み」「咳が出る」「節々が痛む」そして「発熱」(当初は37度に微熱がありましたが、24時間後になくなりました)はありません。

 少し気分が落ち着いたところで、「何か悪いものを口にしたのではないかと」と振り返ってみますと、「アレだな」と思い当たるものがありました。

 女房にそれを告げると、その返事は「毎朝行なっている、”冷水摩擦”が悪かったのではないか」とのことです。

 今回で記憶に残る強烈な「腹下り」は3回目です。 一度は女房も程度の差こそあれ、同一症状を表しましたので、共通認識で確認できました「夏のかぼちゃ」の煮付けです。

 もう一回は約30年前、北アフリカのチュニジアで、「水当たり」の時でした。 フランス・オランダ等にスポーツ・クラブ施設(特に水泳、プール施設を持ったところ)の視察と半分は同行した計画設計・施設設計のコンサルタントの先生方の休暇を兼ねたものでした。

 十分体調管理には注意していたつもりでしたが、最期の地チュニジアは「地球会クラブ」での食事の時に、「生野菜」を食べたことでした。 野菜自身は問題なかったのでしょうが、それを洗った水によって腹を壊しました。

 そのときは、チュニジアを離陸して24時間後、帰宅したと同時ごろから、「七転八倒」の苦しみを約1週間味わいました。 電車に乗るのが怖かったことを今も朧げに思い出します。

 そして、今回です。 冷蔵庫がありますが、当てにしてはいけないことを改めて確認です。、そんな発言をするのは冷蔵庫さんに申し訳できません。

 「冷凍庫で賞味期限が切れて、味も素っ気のなくなった食品を放り出したことが幾たびかありましたから・・・

 こんな恥ずかしいお話を活字にしていいものかと思わないわけではありませんが、女房が目にすることは100%ないと思うからです。また彼女の友人・知人からも耳にすることはないでしょうから・・・

 たとえあったとしてもと、まったく「月とすっぽん」の事ですが、私小説を書かれる方のことを想像しています。 これほどのことは「どうの、こうのと言うほどのこともなし」と思えるからです。

 ヒョットすると、同年輩の方には今までは経験なかったことかもしてませんが、これからはこのような症状、状況に置かれた時の相棒様の姿勢と態度が予測できるメリット(?)があるのではと思い、そのときには参考にされたらどうですかとの気持ちがあります。

 48時間の間の女房の態度は如何なものであったでしょうか。
 10年前に二回2ヶ月以上の入院をした時と対比して思い浮かべました。

 結論からもうしあげますと基本的な姿勢態度には、変化なしと言うことです。
 具体的に申し上げますと、依頼したことは正しく実行されました。 依頼しなくても「食べることに関して」は、(こちらが食欲がないのですから依頼はしませんでしたが・・)腹下りの病人向けの物が購入されてきました。

 それ以上でも、それ以下でもありませんでした。 一度フトンが掃除されていました。

 兎に角、48時間経過した今、パソコンの前に座る気力がありましたが、ここまで約1時間経過し、腰に力がなくなり、背が丸まってきたことを自覚します。

 この後、床の中で考えたことがありますが、一端休憩させていただきます。

 また、読み直しもなく掲載しますので、誤字脱字、変換間違いがありましょうが、何とか元気で起きていることを悪友達に伝える為に、掲載することとします。

 続きは、また・・


 COLUMN 1−D 934
                                  平成21年1月6日  記

     定番散歩コースを反対周りしました


         

              なんだ又夕陽かと言わないでください。

 愛知県と岐阜県の県境に連なる「愛岐三山」の内、弥勒山と大谷山の山腹から染み出た雨水を集めて沢となり5〜800メートル下りまして「北大池」を経由、春日井市の北東の田圃を潤す農業用ため池の「築水池」に蓄えられたます。

 築水池の堤から放流された時には、川幅が3〜5メートルの「大谷川」と名づけられています。 大谷川と呼ばれるのは約2Kmで、内津川と合流して「大谷川」の名は消えます。

 更に、約2Km下ると「庄内川」と合流し、名古屋の東から北に周り込み、更に名古屋の西側をぐるりと廻って伊勢湾に注ぎます。

 話し戻って私の定番散歩道(約50%がこの道です)は大谷川を横切るコースです。

 1月5日・記(コラム 1ーD NO933)とは、反対周りで『岩船神社』のところに来ました。

 通常は気が付かないままの大谷川の橋を渡りながら夕陽を眺めたと言うことです。

          

               

      ↑自宅に帰ったときには、街路灯が灯り、西の空は残照でした。



 COLUMN 1−D 933
                                  平成21年1月5日  記

  三が日が開けて
    植物園を通過して、何時もの散歩コースへ


 毎年のように、「ニューイヤー駅伝」と「箱根駅伝」でテレビに釘付けの元旦からの3日間でした。 特に「箱根駅伝」には、今年は新たに「山の神」ならぬ「山の神童」も登場し、復路は追つ・抜かれつのデットヒートが繰り替えられて、見ごたえがありました。

 しかも往路に加え、総合優勝も「東洋大学」と、出場67年ぶり、今での最高記録が3位というチームが優勝したことに拍手を送りたい。

 昨年の12月初旬、元部員の不祥事で監督が辞任し、陸上競技部のコーチから監督代行に昇格した佐藤監督は「内には強い選手は来てくれません」から、高校で実績はなくとも「面白い選手」を求めてチームを強化したという。

 「このメンバーでも勝てる。 他の大学にも励みになったのでは」と語った。
 座右の銘は「成せばなる」と・・・・・。

 閉塞感と不透明感、不安と不満そして不信の時流に今、既存の価値観や既存勢力でないものが、新たな成果を出したことが、次の時代の到来を告げている現われの一つではないかと、大いに拍手を送った。

            

     ↑あけて4日は、植物園経由で何時もの散歩コースに出かけました。

         


                 

  ↑ サザンカの花は終盤に入っています。 落下した花びらは風に舞っていました

        

     ↑元気な一輪を見つけて        ↑他の一輪を万華鏡に仕上げました

        

             ↑植物園の駐車場から、夕陽を眺めました

        

           ↑築水池の定点観測の反対側からの夕陽です。
      


 COLUMN 1−D 932
                                  平成21年1月3日  記

 午前2時に目覚めて、書いております

       〜今年の年賀状を読んで・・・〜  


 昨夜は8時に床に就きました。 本日は午前2時に目覚め、床の中でメモをしていましたが、枕もとの飲み残しのブランディーに注ぎ足して、書斎に持ち込みました。

 元旦と1月2日に年賀状を受け取りました。
 毎年楽しみの賀状の名前が見当たらない方が居ます。 どうしたのかなと思い巡らすと同時に、今日当たり届けられることだろうと期待しています。

 また、「配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません」との印が押されて、返送されてきた年賀状を見て、昨年は届いたのに「どうしたことだろう」と少し気をもんでいます。

 今年の年賀状はこれまでより、添えられた一文が多いように感じますし、其の一文も長くなっているように思います。

 私同様に、時間のユトリの多い方が増えたのでしょうか。それとも時代の変化のスピードにいささか戸惑いながらの問いかけと昨年の出来事と近況報告なのでしょうか。。

 ザーと目を通し、そしてユックリと読み直し、場所を換えて再々度読み直しました。

 1月3日AM・2時に目覚め、以下のハガキの文面が浮かびました。

 『前略 頂いた年賀状を読み直していましたら、フランス人対象(?)の調査によりますと「人生で一番幸福感を感じる年齢は?」との問いかけに、「65〜70歳」との回答であったとのことでした。
 
 私はその真っ只中、本年1月14日に満67歳です。

 100年に一度どころか、ルネッサンス以来500年に一度の歴史的転換期に修行僧として自覚(幻覚)の巡り会わせに少しの感慨と心踊る思いをいたしております。

    暦、改まる2月立春を間近にして      修行僧      』



 どなたに送ろうかと思ったり、ここに掲載したからこれで終わりとも考えたりです。

 床の中でメモしてきたことがマダマダあります。 書斎に入った時は室温8度を示していた温度計も11度を指し、胃の渕が空だったからでしょうか、ブランディーが内部から効いてきたのでしょう、ポカポカして少し瞼が閉じ気味に成ってきました。

      おはようございます。おやすみなさいです。







 COLUMN 1−D 931
                                  平成21年1月1日  記

 今年の年賀状には、素直に
  「あけましておめでとう」とは書けませんでした。

    〜「・・・・・,あけまして・・・・・」でした〜

 
  昨日と何も変わらない朝を迎えました。(紅白歌合戦は21時30分まででした)

       

      

      

     ↑有難い事に我が家では「平成21年の朝日」を拝むことが出来ました。

  上から、<夕陽バージョン>、<風景バージョン>、<夜景バージョン>で撮影したものです。 比べてみますと、少しの違いは感じますが、私の感性では違いなしです。

              
       
                ↑ 秋葉神社に初参りをしてきました。

 ここ10年間で、一番早い「初参り」と思いましたが、10年日記で調べてみますと、平成15(2003)年も同じ時刻にお参りをしていました。

 5〜6年前までは、一升瓶をお供えしていましたが、持参の途中で女房が蹴躓き割ってしまったことがありましたので、3年前より「お供え」として包むこととしました。

 この秋葉神社の背後にあります「愛岐三山」の一つ「弥勒山」に登り、初日の出を拝顔してきたご夫婦が、焚き火に当たり朝食を取っておられました。

 一杯頂きながらの会話は「本当に気持ちよかった。明日も登ろうか」と奥様、旦那さまは、ニコリとせず、焚き火に手を翳しておられました。

                

            

    ↑我が家に帰り、何か「初春」はないかと庭を一回りしました。千両の実です。

 「万両」はないかと問うと、「あることはありますが、実が付かない」とのご返事です。
 調べてみますと、別科の「センリョウ」に似るが大形がマンリョウ=万両とありました。

 我が家には「万両」よりは「千両」は向いているのでしょう。
 いや待て! センリョウですら、身分不相応ではないかと思ったのですが・・・・

     これからはデフレ?、インフレ? 貨幣単位はどこに定まるか知れず。
    心根の落ち着くところが、「幸せ単位」と、初日の出、初詣を終えました。
 

  
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