このコラム 1−D No940にて、私は書いた「世界歴史を学んで」と言う、平成17年の11月に書いたものを掲載しました。
今週「世界史概説」の教授から、宿題で「歴史からどのような教訓をまなびましたか」でした。
平成17年時の時の同じ視点=教訓から、今の思いや考え方を書きましたので、ここに掲載します。
このところ、自分でもかなり活字が多く、しかも理屈っぽいことを書いているなと思っていますが、こんな精神状態は長くは続きませんので、お付き合いください。
宿題「私は歴史からどのような教訓を与えられたか。」
・ 上記(省略)のように4年前にメモしたことに対し、私自身少しは変化し、進歩しているのだろうか。
この歳になっても感覚人間としての資質は変化なく、深く考えることなくその場でひらめいたことを書くことになります。
同じ書くにしても、「100年に一度の出来事」と表現されているほどの、時代の転換期であるのだから、この転換期に役に立つだろう学んだ歴史の教訓にスポットを当ててみたい。(4年前と同じ視点から眺める)
@繰り返すサイクル(誕生、発展成長、成熟、衰退、消滅)があり、長いスパンもあれば、短いスパンあり。
A栄枯盛衰(外部要因もあるが、決定的なことは内部から崩壊する)
B最後は大衆が決める。
C歴史は必然(必要な時に、必要な人現われる)
D歴史は忘れた頃にやってくる。記録の大切さ。日本は失敗の遺産の積み重ねがないという。 (以上が4年前の視点)
@「繰り返される歴史、今回の歴史は長いスパンの終焉である」
・中世から近代へ。宗教改革、大航海時代から産業革命を経て資本主義社会の形成と成熟、その社会の矛盾を乗り超えようと登場したマルクスの共産主義思想とロシア革命。
・冷戦体制も含めて戦争の世紀の20世紀の終焉は、共産主義社会の崩壊と21世紀入り一極支配のアメリカン・グローバル、自由、競争、市場資本主義の破綻となった。
・このスパンは神が支配した時代(中世)の終わり、すなわち近代の始まりから500年間続いた「MORE&MORE」(物的豊かさの追求、カネに替わっても同じこと)の時代の終わりを意味する。
・世界の強国あるいは帝国の歴史には短いスパンと長いスパンの関連性や法則性は見られないが、今回は長いスパンが続いた、あるいは支配した価値観、思想、理念の下の社会=「MORE&MORE社会」であった。(資本主義であろうが共産主義であろうが物的豊かさを求めた)
・次の時代は「短いスパン」の社会の到来と歴史は示しては居ないが、「ローマ帝国」、「ビザンツ帝国」、「イスラーム帝国」に時代に続いて登場した「神聖ローマ帝国」、「オスマン帝国」の崩壊した後は、短いスパンのしかも分裂した国家の誕生となった。
・それに引き換え、アジア地域を眺めてみると、其の代表は中国であるが、長・短スパンの繰り返しの国家形成になっている。多民族国家であることが背景にあるのだろうか。中央アジア、モンゴル、東北中国、そして南の各種民族。
・なんらの法則性もないが、今回の時代の流れは統合から分散へと更に進展すると考えます。
・私が生を受けた20世紀、「戦争の時代」とも表現されるふたつの戦争とロシアと中国革命、それにヒットラー、日本、イタリアのファッシズムが思い起こされる。
その20世紀も1968年が示す数字は、1913年(第1次世界大戦前年)に痕跡は残っていない。
戦後の経済発展は急速であった。だが、それは第1次世界大戦に産業によるものだった。(ドッラガー『断絶の時代』より)
が、20世紀の三分の二経過したころより、先進諸国を激震が襲い始めた。
『・P・F・ドラッガーはこの地殻変動を、「グローバル化の時代」「多元化時代」、「知識の時代」「企業家の時代」として捉えた。
・また、P・F・ドラッガーは著・『断絶の時代』で、「今や経済も技術も断絶の時代に入っている。われわれは、この時代を更に偉大な発展の時代にすることが出来る。
ここで明らかなことは、技術、経済、産業、ガバナンス、マネジメントの全てが、断絶の時代に入るということである。
つまり、偉大な19世紀の経済的構造物の完成に精を出している間に、正にその土台そのものが変化し始めたのである』と語っている。
・ドラッガーは『断絶の時代』の20年後の1989年、『新しい現実』において、歴史には峠があると書き、更に4年後の93年には、『ポスト資本主義』において、この転換期は2020年まで続くと言った。
・が、今日の世界情勢は、2020年を超えても、今の大転換期は終わらないかもしれない。 4
われわれ自身が転換できないでいるから、地球規模で課題が山積し、最後は現人類がかけがえのない地球遺産を食い潰し、再び数億年の眠りの中に入り込むよりないのか。 そのような我儘は許されない。
A栄枯盛衰(外部要因もあるが、決定的なことは内部から崩壊する)
・外的要因(環境、気象状況、競合関係)により社会の崩壊はあるが、決定的なことは内部から崩壊する。
・では今回の世界レベルの破綻は、どのような外部要因が決め手であったのか、あるいは決定的な崩壊要因を内部に指摘することが出来るのだろうか。
・と考えた時、誰が栄枯盛衰の主役なのかと考えてみました。
→最後の場面では一極支配の頂点に居た米国帝国ということになるのだと考えます。その尻馬に乗ったイギリス、日本、オーストラリアが目立つ存在ですが、アメリカの意向を受けたリーダーによって国家運営していた国(グルジア、ポーランド、アイスランド等)も同じことでしょう。
・日本は1930年代後、世界で一番初めにバブル崩壊した先進国(?)で、「羹に懲りて、ナマスを吹く」の態度で、リスクから遠ざかっていたことが今のところ「痛手は軽微といわれていますが・・」果たして・・。
本質的に「従米路線」に体の芯から染め抜かれ、抜け出せないでいると言わざるを得ない。
・決定的要因は内部の崩壊ということになりますと、ここから始まると考えます。
前回の大恐慌に学び、今のところは自国のみを考えた「内向き政策=保護貿易」にはなっていません。
・中国と米国はまるで「鵺」のように、米国の過剰消費と財政赤字、中国の貿易黒字と米国債への投資という関係がどこまで我慢できるのでしょうか。争いは起こらないのでしょうか。
・国内問題(米国内失業とドル暴落、中国は格差拡大で軍部の台頭)がいつ火を噴出すか分らない状況下にあると考えます。
・それは、たちどころに幾重にも関連付けられた世界経済の全てに飛び火してゆくことでしょう。
意図した輩による世界戦争への危険は孕んでいます。
〜余談〜 B“最後は大衆が決める”
・日本のリーダーたちには気楽なものというか、現状を正しく認識しているのか、又、問題の本質が本当に分っているのかと疑いを超えて、呆れてしまいそうです。
・「羹に懲りて、ナマスを吹く」と書きました。また「従米路線」の思考しかないとも書きました。
自主性・主体性のない個人、集団、国家は、行き詰まります。這い出すすべを知りません。体が動きません。
・遠くない時間内に「国家破綻」に至らなければ、戦前から続く官僚制度は崩壊しないでしょう。
国家に支払う金がなくなった時、初めて高級官僚は逃げ出すことでしょうから、国民は多くの要らざる犠牲を蒙りましょうが、長いスパンで見た場合はプラスということになるという解決策というか、事態に追い込まれてゆくのではと考えます。
正に国民大衆のレベルが最後に問われていると思っています。
C歴史は必然(必要な時に、必要な人現われる)
D歴史は忘れた頃にやってくる。記録の大切さ。日本は失敗の遺産の積み重ねがない。 5
・私自身人頼りを一番諌めているところです。 「必要な時に、必要な人が現われる」というのは、人頼りを意味するのではなく、身に降りかかったことは、何事も必然であり、肯定して受け入れたいとの前向きな思いを持って言い聞かせているところです。
・個人も、家族も、職場も、国家も天の意に添っているならば、破綻、崩壊、消滅することないということ。
逆結果がでた時は、それも必然なこととして受け入れるべしとの思いです。
いささか、宗教めいて来ましたが、日々起こることが修行であり、自分自身を「修行僧」と言って約30年、
その日その日でオロオロ、ウロウロしているのですが、それでも何とか立ち直っています。
・最後に、「歴史は忘れた頃にやってくる」。これも歴史は繰り返すという言葉と同義語です。
私も可能な限り記録を残して、反省材料にしています。 「忘れっぽい日本人」「全てを水に流す日本人」などといわれますが、他人にかけた行為は忘れないように、自分にかけられた嫌なことは、水に流せる人間になりたいと思う修行僧です。
・再び、ドラッガーの著書を取り上げます。
「21世紀の諸問題は近代合理主義では解決できず、全体を見て本質を把握すること」
「生まれ育った世界から別な世界へ移り住んできたかのような感じさえする。
17世紀の半ば以降350年にわたって、西洋はモダンといわれる時代を生きてきた。
19世紀にはその西洋のモダンが、全世界の哲学、政治、価額、経済の規範となり、秩序となった。
だが、今日、モダンは最早現実的ではない」(『テクノロジストの条件』より
・モダンとは、近代合理主義のこと。 正に、世の全ての事象は論理の力によって解明できるとしたことから、近代は始まった。その近代が、まず西洋を支配し、やがて世界を支配した。
・ところが、そのモダンが世界を覆いつくしたと思われた20世紀の半ば、論理だけでは説明できない問題が急増し始めた。
今や、環境問題、途上国問題、人口問題、教育問題など、20世紀が直面する問題は多 く、論理だけでは理解不能であり、解決不可能である。
・分解し解析するという作業に加えて、知覚の力によって、全体を全体として把握しなければならなくなった。
命あるものとして見なければならなくなった。
・ドッラガーはこの変化に気づいたのは1950年代半ばのことであった。
『われわれは、一つの大きな転換期に生きている。 昨日のものとなったモダンが、無力ながらも表現手段として、期待の基準、処理の道具として機能している。
他方、新たなポストモモダンが、手段と道具を持ち合わせることなく、われわれの行動を事実上支配しつつある』 (『テクノロジストの条件』より)
・宿題の「まとめ」というよりは、自己反省の「まとめ」になってしまいましたが、これを提出します。
・蛇足ですが、前回提出しました「資本主義の矛盾とは何か」の末尾に、「自然に学ぶ」、「土に学ぶ」と言うことを書きました、今年の年賀状には「額に汗すれば心配ない、心は配れ」と一文を添えました。
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