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 COLUMN 1−D No990
                                    平成21年3月8日 記

   新パソコンでかなりのところまで到達も

    〜HTMLエディタ、問題発生と表示〜


 途中までは解決しました。 旧、新の両パソコンに昨日作成したページは掲示されるように成りました。 両パソコンに同じ画面を表示することはできました。

 が、新パソコンにてホームページ・ビルダーを開き、新規作成しようと試みるのですが、本日のタイトルの表示がなされて仕舞います。

 よって、本日も旧パソコンにて入力しています。

 昨日、アチコチとタッチしていましたので、「触り魔」と感じて、パソコンが拒否反応を示したのでしょうか。

 本日、新聞広告で”発売たちまち23万部!”と広告が出ていました、渡邊諄一「情欲の作法」を、中古図書で購入し、ザーと目を通したのですが、「不作法」の極みであったことを
思い知らされています。

 無作法がパソコンタッチにも通じているのでしょうか。
 確かに、新パソコンの反応は早く、画面も鮮明ですがなかなか思うように使いこなせません。 

 乗馬したときもなかなか馬が動いてくれませんでした。 
 こちらは生き物ですので素人の私を馬鹿にしたと言うことでもあるのでしょうが、デジタルなパソコンは手順どおりに進めれば、正常に反応してくれるはずと思えば思うほど、手順が間違っているのかとあれこれと、ついつい弄りまわってしまいます。

 時間はタップリある身とはいえ、思い通りにならないということは、性格もあいまってイラつきます。

 こんなことをここに書いたとて、誰も反応し、解決はしてくれないのですが、それでも入力するだけで少しは気分が収まるのですから、おかしなものです。

 本日も午前の時間が過ぎてしまいました。



 COLUMN 1−D No989
                                    平成21年3月7日 記

   悔しいけれど、旧パソコンにて映像挿入

     〜新パソコンにては出来ず〜 


 昨日、3月6日は活字ばかりでしたので、新パソコンにてホームページの更新が出来ました。
 気分よくして、本日写真をと取り掛かりましたが、出来ずじまいで、只今旧パソコンにてホームページ作成中です。

           

  ↑肥料は施しているのですが、土は3年以上改良も、入れ替えもしていませんので、今年は花咲きが悪く、また色もいまひとつという感じです。 それにしても、毎年・毎年落下した種で良くも・良くも咲きそろいます。

                

                
  
    ↑前の家の白モクレンが咲きはじめました。 この辺りでは一番花です。

 昨夜もよく飲みました。 気の置けないと表現するまでには、後一歩の中部大学・聴講生の仲間の送別パーティーでした。

 今一度、新パソコンにて挑戦します。

 



 COLUMN 1−D No988
                                   平成21年3月6日 記

  新パソコンにてホームページの作成

 次に
 これは偶然か、必然かのお話の2点を掲載します


 先月、遠山郷で槇ちゃんにホーメペー・ビルダーの作成の手解きを受けました。
  が、途中まででした。 新パソコンにての掲載はできませんでした。

 昨日、一六社に出向き伊藤幹夫先生の指導を受けました。 只今、ひとりで新パソコンに向かっています。

 ボードが従来のパソコンに比べ小さく、先ほどから打ち間違いの連続です。

  果たして、このパソコンから掲載ができるのでしょうか。 掲載できた後に、従来のパソコンも更新することができるのかはこれからのことです。


 さて、話が変わります。
 この後、名古屋にでかけます。 名古屋に出かけることとなりました経緯は以下のごとくです。

 1、中部大学オープンカレッジ・開校式にて4月7日スピーチをするお話をいただいた。
 
 2、そのお話をいただいた方が、「実は私、絵描きなのです」と言って、3月4日から開催される「第51回 中部行動展」の御招待券をくださった。

 3、中部大学、オープンカレッジの仲間で、名古屋の知人を誘う。 その後、春日井・勝川
 駅前で、中部大学の修士過程を終え、今春東京の博士課程にすすまれる方等を交えてのパーティーが予定されている。

 4、私のカメラの一台が昨日から調子が悪くなった。 名古屋駅前のビッグ・カメラで購入したので、保証書持参してゆく予定とした。

 5、そこで、前からほしかった望遠レンズを購入したいと思っていたこと。もうひとつ、即・プリント可能な機器もほしいと思っていた。

 6、更に、次男の子供が出産予定で、カメラかVTRをほしいと言っていたので、「このカメラをお祝いにあげようか」と、伊勢参りの時に話していた。

 7、本日の新聞の広告でパナソニックが、カメラとビデオの併用可能な機種を発表した、これに切り替えてもよいかと思っている。

 8、もうひとつ、名古屋駅周辺の「ミッドランド・スクエアー」、「モードセンタービル」、「名古屋ビルディング・ビルの改装後」などは、一度も訪問したことがない。尋ねてみたい
 
 9、今朝の新聞に「笹島地区の開発の特集が掲載されており、そこには愛知大学の新校
舎の計画も紹介されていた。


 以上の関連性は、全て偶然なのだろうか、それとも必然だったのであろうか。?

 間違いないのは、それらを全て繋げて考えたのは私である。 ということは、私自身が選び・引き寄せた結果です。。


 さて、正常にこの画面は掲載されるでしょうか。


 
 
 COLUMN 1−D No987
                                   平成21年3月5日 記

  頂いた「椿」が美しい

    〜室内定点、撮影場所にて〜   


     椿の切り花を頂いた。 名古屋のある寺の椿と言っていた。

              

 新しく購入したパソコンには撮影した写真をトリミングする装置が内蔵されているのだが、使いこなすことが出来ない。 使いこなせれば、上記の写真もいま少しメリハリが利くのですが・・・

 本日午後より、その学習にゆく予定です。 2台のパソコンを持ったのはよいが、全くと言っていいほどに使いこなしていない。

 2台のパソコンの購入時期の差は5年間ほどなのですが、機能が大幅にアップしていて、使い込めず、ついつい使い慣れた方ばかりとなってしまう。

 一番の目的は旅に出たとき持参する為の軽量さであったのだから、このままでは宝の持ち腐れとなってしまう。

 遠山郷でそれなりの学習をしてきたのだが、使い込まないと自分のものとならない。
 新パソコンを使いこなせるようになった、いま少しレベル・アップした映像をお送りしたい。



 COLUMN 1−D No986
                                   平成21年3月4日 記

  「豊かな老後をすごすため」のノート活字化終了
    


 手帳に挟んである『豊かな老後をすごすため』
  65歳〜75歳は準備期間  その心構えと 教え


 以前、「自分史」の中でも紹介しようと途中まで活字化しましたが、その後、私の小学校時代のほうに関心が移り、中断していましたが、本日完成しました。

 と言っても、75歳までは準備期間ですので、これからも続くわけですが、本日までのところが終了したという訳です。

 その中に船井先生のこんな言葉がありました。

 船井幸雄 にんげん クラブ 2008年11月号「有為の人」より
  
 @大きな真実、大切なことを知ろう。(根源的な原則を知ること、大きな時流を知ること、自分を知ること)
 A肯定し、感謝して、プラス発想して前向きに生きる。
 Bよりシンプルに、より自由に生きよう。

 自分を知ることのポイント

 一人ひとりの使命、役割を持って「この世」にうまれた。 得意なこと、好きなことを伸ばして、活かし、活用して
 「世のため、人のため、自分のために尽くすこと」
 自分を研究し、自分の使命・役割を知り、それに応じた生き方を考え・試すこと」


 其の他、このところ「にんげん クラブ」からの引用が多いのです。 そこで、気が付きましたのが、先生ご自身が目指しているものという言葉の中の内容です。

 例えば
 ・にんげん クラブ 2009年2月号より 船井 幸雄

 船井先生が最近目指していること

 @肯定し、感謝し、包み込み 礼を言う。
 A力み、こだわるのをやめる。
 Bえゝ、カッコしない。
 Cポジティブ人間になる。
 D借り勘定はできるだけつくらない。
 Eワクワクすることをどんどんやる。

・にんげん クラブ Web 2009年2月9日
 「ポジティブ人間になる方法」

 @ できるだけ「ありがとう」ということ。
 Aできるだけ、もらった人が喜ぶ手紙を書く。
 Bできるだけ、物をさしあげる。

・ニコニコ笑ってクセになるまで、3つを自分に命令する。
 @感謝するクセ
 A肯定するクセ
 B礼をいうクセ


 先生のことですから、目指すものと言ってもそのレベルは私とは桁違いも桁違いなのでしょうし、意味するところがもっと深く・広く・奥行きが異なるのでしょう。

 それでも活字だけを目にし、私自身のこととして考えて見ますと、”そのことが出来ない”、”出来ていない”、”出来るようになりたい”と思うところを「目指すもの」として言い聞かせていますから、先生も私と同じようなことがあるのだろうかと考えてしまいました。


 もう一つ、自分を知ることのポイントとして自分を研究し、自分の使命・役割を知り、それに応じた生き方を考え・試すこと」と書かれていました。

 このことに関しては、私が今「自分史」として整理したり、反省したりしていることは、自分を研究し、自分の使命・役割を知ることとなり、そこからこれからの生き方を考え・試すことに繋がると気付くと同時に、意味あることと思っています。

 「これからの自分史」も並行して書いています。 内容はこれからの時代予測であり、これまでの人生の反省を踏まえて、どのような考え方、価値観で生きてゆくかの記録でもあります。

 3年先を目指しておりますが、どのような「自分史」になるか、私自身が興味シンシンです。



 COLUMN 1−D No985
                                   平成21年3月4日 記

     
         

        〜何の石だったでしょうか〜


 一昨日何か掲載しなければと、眠気眼で上記の石が手元にありましたので、掲載しました。 そのままでしたので、お尋ねがありました。

 石の裏にこのような書かれたいます。
 『昭和60年 12月 28日 PM9・30  夜のジョウギング中、この石の上にのって、左足首をネンザ』と。

 昭和60年ですから、今から24年前になります。 43歳の時です。
 夜の晩酌が終わり、二人の息子をジョギングに誘いました。

 約500メートル走ったところで、この石に乗ったのです。 その場にひっくり返ると同時に歩くことが出来ず、二人の肩にぶら下がって帰りました。

 翌日から接骨院への通院です。 3ヶ月ほどで痛みは治まりましたが、医者からは完全完治には3年かかると言われていましたが、その通りでした。

 今でも、冬となり寒さ到来の頃に、痛みがぶり返すのではないかと気になっていますが、今のところ心配ないです。

 「自分史」の整理でも認識したのですが、私は記録になるものは残しておく性分のようです。 


 話し変わって、昨日かって百姓学校のリーダーだった方から電話がありました。
 百姓学校の生徒だった方4人の近況の報告でした。

 @ Fさんが胃がんを患い、胃を半分除去した。その後の経過は順調。
 A Nさんは足を複雑骨折した。 再手術をしてボルトを埋めるという。

 B もう一人のNさんはバイク運転中に、車に跳ね逃げされた。その後犯人逮捕。 肺に肋骨が刺さっており、現在集中治療室入院中、命には別状なし。
 C Tさんが定年退職して、故郷の岡山に帰る。

 「世の中大変な時であるが、お互いこの歳になると身辺にも色々な事が起こるもんだ」、

 「私たちの時代は前ばかり向いて走ったが、このままホッタラカシテさよならというわけにはいかないな、何か残すか、道筋を立てなければいけないな」と語った。

 目の前の石の形状は何も変化していないが、その石を眺めている私はどんな変化をしてきたのだろうか。 
 
 眺める私の変化が、石そのものの変化でもあるのかもしれないと、石に尋ねてみたい。



 COLUMN 1−D 
                                   平成21年3月3日 記

  本日は コラム 2−N  NO295
 
             に下記のタイトルで掲載

 
 
  「牛乃宮 ウィークリー NO725」  松藤民輔さん
   
     ”誰も経験したことのない時代”より





 COLUMN 1−D No984
                                   平成21年3月2日 記

  何か書かねばと思いつつ

        〜何の映像=石でしょうか〜


 今日は豊橋に行ってきました。
 今朝は3時に起きていましたので、帰りは「赤津サービスエリア」で眠ってしまいました。


 只今は、何か書かねばと言う思いでパソコンの前です。
 昨夜、見つけたこの写真の「石」がありましたので、掲載することとしました。

              

              

 何の意味もありません。 でも、手元に残っていたということは、どのような意味合い、背景があったのでしょうか。

 このところの整理している「自分史」のことで、自分自身のことが少し分ってきました。
 
 また、本日豊橋で姉と話していたときに、父のことで私が思い違いしていたこともわかりました。

 別に、何の意味合いはありませんが、親族や親しい友人・知人からはご意見が寄せられます。 時間つぶしに良いようです。

   オヤスミナサイ。




 COLUMN 
                                   平成21年3月1日 記

  本日は「コラム 2−N NO294」に掲載しました

 いつも、目を通していただきアリガトウございます。






 COLUMN 1−D 983
                                   平成21年2月28日 記

  いつもの散策路をカメラをもって回りましたが


 日中に気温は14度まで上がりました。 植物園内の大久保池の周りにもいつもよりは人出がありますが、足こぎボートはシートが被されたままです。

         

        ↑ 池の一角に水仙畑があります。 今が満開でしょう。

    

 ↑ 園内に入りました。 満開の梅もありますが、これからという梅の種もあります。

            

    ↑昨秋にでも、造園されたのでしょうか。「つばき園」が出来ておりました。
      あと4~5年後には、立派な「つばき園」になることでしょう。

                

   ↑、↓園内にある、「グリーンピア」と名づけられた室内です。春に変化していました。

    


                

             ↑やっと、遠目に「マンサク」の花を見つけました。

 もう、明日は3月です。 この1ヶ月は、中部大学のスピーチの話から始まって、「自分史」へと繋がり、パソコンの前がほとんどでした。

 百姓学校のジャガイモや春野菜の種まきのことが気になりだしました。

 庭の絹さやエンドウも気温の上昇と共に、蔓を伸ばしだしました。 支柱をしなければなりません。

 有り難いことに、外に出かけるお誘いもきています。 ムズムズ・モグモグと動き始めることになりそうです。

       このコラムもお休みが多くなりそうなので、よろしく。




 COLUMN 1−D 982
                                   平成21年2月27日 記

  お便りありがとうございます

 〜一気に、ご紹介しましょう。 庭の花木を〜


 気にはなっていたのです。
 このところ「自分史」に関心が集中していたことに・・・・・

 伊勢神宮の参詣で一区切りと思っていたのですが、その後も小学校の時のノートを捲っていましたので、散歩以外は外に出ることがありませんでした。

 お便りを頂きましたのを幸いに、庭に出てみました。 雨模様の曇り空でしたが、目に留まった花と花芽を撮影しました。

 以下に掲載するものの他にも、バンジーや名も知らない洋花が一斉に咲き出しております。 通学路でおなじみの「桜草」も今年も新入1年生歓迎に向かって咲き出しています。

               

     ↑ 先日までは花ばかりが目立った福寿草、緑の葉が主役と成りました。

       

    ↑ 今度は「私が主役」とクリスマスローズがアチコチで咲きそろっています。

               
  
               アヤメ科の0000さんも負けてはいません。

               
    
  ↑ 昨年は何度登場したでしょうか{サンシュ」です。今年は切り詰めたので花少なし

          

       ↑ 花の数なら私が最高とばかりに「アセビ」さんが、お呼びです

               

       ↑花の数ならと「雪柳」さんも背伸びしていますが、まだ数輪とヒッソリです。

   

 ↑次の主役は私と「ヒヤシンス」             ↑  「ヒデコブシ」

   

    ↑ 「ボタン」                       ↑「ラズベリー」

               

      ↑梅雨の6月までは待てませんと、「アジサイ」さんが登場しました。






 COLUMN 1−D 981
                                   平成21年2月26日 記

 2年前の今日 、
   
     「地球一周101日間の船旅」の出航

     〜なんと、時代の進展したことか〜

 このところ、「自分史」の、しかも小学校時代の記録に関心が集中していました。

 「10年日記帳」を開いたら、2年前の本日、神戸港を出航予定と記録されていました。
 旅には「10年日記帳」は持参していませんので、それ以降は空白です。

 時間の経過の早いことと、この間の、特に昨年からの時代の変化は、その深さ、幅、スピードが驚くばかりです。

 偉そうなことを言いますが、昭和52年に難波田 春夫先生の著書に出会っていましたので、やっとそのときが来たのかとの思いもないわけではありません。

 4月7日の中部大学のオープンカレッジでの「スペシャル・トーク」と名づけられたスピーチの第1次原稿もそれなりに出来上がり、幼児期から今日までの60数年間を行ったり来たりしています。。

 そのことも、契機となって「自分史」を書く気になったのですから、感謝しなければなりません。
 ここに、掲載しても良いのですが、今夜は少し御酒が過ぎていますので、明日以降にさせていただきます。

 今夜は、「10年日記帳」を開いたら、2年前に「地球一周 101日間の船旅」出航と書かれていましたので、「人生修行なり」の中でも大きな体験修行の一つでしたので、ここに書きとめました。

 
 
  
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