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NO.60                                               平成16年8月15日

【8月14日 朝刊より
 中京大中京 粘り勝ち 
  悩める4番 中村起死回生 同点弾
     見せた勝負への執念  「強い中京」         元監督の命日にささげる

 同日 "中京大中京 激闘制す"の
                  裏側の紙面に
  球界再編問題 背景に 渡辺オーナー辞任
    言動に非難集中  内部の危機感反映】

 〜中京大中京の記事の内容は改めて取り上げることもないだろう。 地元のファンとして半分あきらめかけた8回の同点ホームランであり、9回は鮮やかな勝ち越し3塁打であった。 その裏、浦和学園の2得点の挽回も評価しておかねばならない。
 今大会の記憶に残る一戦となるであろう。
 (元監督とは1999年58歳で亡くなられた杉浦藤文さん<現大藤監督の指導者>)

 それに対して、巨人軍渡辺オ−ナーの辞任は何か裏があるようでならない。
 渡辺語録「たかが選手が  スト? どうぞどうぞ 何がファンの声だ」
 来期の有望新人・大学生獲得に対して「日本学生野球憲章第13条(2)」のルール違反を犯したと言う以上に、フェアープレーなスポーツマンシップと球界全体に対するなんとも言い訳の聞かない不祥事である。
 あのワンマンで横暴、一昔もふた昔も古い感覚のオーナーがかくもあっさりと辞任をするなんて信じられない。
 きっとまだ隠された何かがあるのではないかと思えて仕方がない。
 辞任を報道する各種メデイアも腰が引けているように感じるが、私だけであろうか。
 
話が飛んでしまうが、サッカーアジア大会における日本・日本チームに対する中国政府・中国応援団の取った姿勢に対して、日本の政府、報道機関の対応は毅然としていないと感じている。 (国内問題を抱える中国政府の意識した対応姿勢であると感じている)
過去の清算は全て終わっているとまでは言わないが、それだからと言って言うべき事はキチンと言わねば、過去の歴史認識のみならず、今後の国際政治のうえでアジア、世界の国々・人々に信頼されなくなってしまう国となる。
それのみならず、変革期における日本国民の勇気、自信に対しも負となってしまうのではないか。(特に青少年にとって。いや、かくいう私の受けた教育にも偏りがあった)
毎日の生活の中にのみ安穏としていてはいけない。 
今日を築いた私達大人が責任を持って発言・行動してゆかねばと自戒する。 
今日は終戦(敗戦)記念日のためであろうか、書き出しとは反れた内容になってしまった。
オリンピック、高校野球と鍛えられた力と技そして精神を視聴して我が心の糧としたい。
NO.59                                               平成16年8月14日

【8月13日夕刊より
   夜空、彩って候  花火、川開きの歴史 
             豊橋・吉田の手筒花火 】

  『地方で花火が盛んになった理由は、神社の奉納花火が盛んになった事が挙げられる。
 民間の花火がもっとも盛んだったのも愛知県・三河地方で、中でも豊橋市の吉田神社は、「天下一」と言われるほど賑やかだった。
 吉田神社の祭礼で花火がはじめて上げられたのは、1560(永禄3)年、長篠の合戦まで十年少しまえというところである。
 その頃には三河地方でも銃や火薬の製法が広がりつつあった。
 花火を作るのは硝石が必要で、それは神社・仏閣の床下や縁の下にたまったノライヌやノラネコの小便を集めて材料とするのが一般的だった。
 こうして作った火薬を、花火に応用したのではないかと推測されている。』

 〜花火の歴史に関心を持ったわけではない。 この吉田神社は私の中学時代の母校の学区にあり、校舎から200メートルとは離れていなかった。(その後国道1号線が拡幅されて、今では大回りしないと神社には行けなくなっていると思う。)
戦国時代以前から江戸時代、数々の物資を積み込んで三河湾から豊川をさかのぼった船が発着し、荷揚げが行われた吉田城下の石段。 
その城下の豊川で船の上からと対岸を使って打ち上げ花火大会があり、前後して吉田神社の手筒花火があったと記憶する。(7月14〜5日) あまり自信ない。

この豊川は大潮の時には1メートル弱の満ち干があり、城下で大きく蛇行するところで、丁度そこに流れ込む朝倉川の流れも加わって流れは微妙に変化していた。
毎年何人かの犠牲者がいたが、当時学校にはプールもなく(確か3年生の夏に出来た)泳ぎ自慢の者で何時も河畔は賑わっていた。
対岸の砂浜(満潮時にはこの砂浜は消える)で遊んでいて手首を骨折し、骨折したとは知らずに右手で左の小手を握り締めて背泳ぎで泳ぎ渡り、帰宅した事もあった。
6尺の赤ふんどしスタイルの中学生の頃の話である。

さて花火、神社の床下に潜った記憶はないが、物陰に隠れてパチンコ(アメゴムで作った鉄砲)でノラネコ、ノライヌを狙い撃ちして遊んだ事はかすかに思い出される。
花火やゴムパチンコならば良いが、硝煙のにおい漂う中近東が騒がしい。
今未明(日本時間)、アテネ・オリンピックの夜空を彩った花火は平和の祭典の始まりであるというのに・・・。
NO.58                                               平成16年8月12日

【8月11日 より
   憲伸 仁王立ち  中日、首位決戦 先勝 
     拙守、暴走、お粗末巨人 
          (中 利夫のワンポイントより)
 8月12日 より
   中日 巨人を連破 技のマサ 
         「緩急」勝負 39歳誕生日飾る

 〜この見出しで全てを語っている。 
  昨年の阪神に続いて今年は中日が恐竜軍団「巨人」を苦しめている。
  強者を集めた軍団を負かすことは気持ちよいものだ。 いくぞ!ドラゴンズ!

 〜話変わって8月11日の夕刊には中日新聞五輪取材団の一人で、特別寄稿 山崎浩子さんが(日本体操協会理事)"スポーツスクエア"にサッカーアジア大会のことに関してコラムに書いていた。 
『「反日感情の中で 真摯に戦い大きく成長」とのタイトル、「中国の反日感情もこれほど強かったとは・・・」と驚くと同時に、中国の全ての人が、同じ思いで日本選手を見ていたわけではないと事例を挙げた後に、こう書いている。
 考えてみれば、これほど"負"の感情がむき出しになるものはスポーツのほかにない。
 むき出しに出来る場があるからこそ、通常の生活を送る事が出来るのである。
 感情を爆発させられる「スポーツ」というものがこの世に存在している事に、いまは感謝しようではないか。』

 〜思い当たるところ大いにありである。 ヒイキのチームが勝てば喜び、負ければ罵声を発する。 と思いきや翌日にはもう忘れて、今度こそと応援をしている。 日々の生活にはほとんど影響ないところで・・・・
 
【8月12日 朝刊より
   日本女子 白星発進  アテネ五輪競技スタート
        サッカー1次リーグ スウエーデン破る】
〜サア〜始まった、アテネ・オリンピック、フレー・フレー日本!!

 【横浜・佐々木大魔神 引退の意向 3試合連続 救援失敗】 とあり
〜スポーツならではのことか。  政界・財界・官界や如何に・・・ 
  ゆえに、スポーツありではたまったものではない。
NO.57                                               平成16年8月10日

【8月9日 夕刊より
    あしたの夢  瀬戸内 寂聴
"猛暑妄念" 力作、敗戦にまつわる夏を思う 】

 『・・・。これまで、力のこもった作品は、真夏、汗だらだらになって書き上げたものが多い。
 最初の同人雑誌賞を貰ったときは、貧乏で、下宿に冷房機1つなく、薬屋で扁桃腺用の喉に巻く氷嚢を買ってきて、それに氷をつめて頭に鉢巻をして書いたものだ。
 あの夏も異常に暑かったように思うが、多分心理的な高揚で、暑さが倍加していたのだろう。

 60年さかのぼれば敗戦の夏の暑さがある。北京でその日を迎えた私にとって、あの夏は異常に暑く感じられた。
 現地応召した夫を送り出し、1歳になったばかりの赤ん坊を抱え、その日から私は路頭に迷った。・・・・・・(中略)・・・・
 ようやく見つけた運送屋の事務員に採用され、初出勤したその日、敗戦の詔勅を、運送屋の応接間で聴いた。 ・・・(中略)・・・・
 気がついたら、・・・・店を飛び出し・・・一目散に走り・・・預けた1歳の子供の事しか頭になかった。・・・・・(中略)・・・・
 
 現在、82歳の尼僧の私は、暑いといっては水でジャブジャブと頭をあらい、濡れ手ぬぐいで坊主頭にのせて、「よくぞ坊主になりにけり」などとうそぶいている。
 思えば暑い夏の峰をいくつも越えてきたものよ。』

〜目くるめく男女の情愛、性愛を書いて文壇に登場したとの記憶であるが、その後尼僧になられ、住職をされ、いまや若い男女から高齢者までの幅広い読者層と支持者を持つ大作家となった瀬戸内さん。 その人生の裏側には上記のような修羅場があったのだ。
 "猛暑妄念"などと言っておられるが、この夏の暑さの裏側に何を感知されているのだろうか、訊ねてみたい思いがします。

 このコラムで何度も書いていますが、上記のような一文に接すると、この書斎のクーラーの買い替えを改めて躊躇してしまいます。
 暑さに耐えて上質な一文を書き上げようなどとの、怖れたことを考えているのではありません。 いい加減な事を、思いつくまま入力している自分に対し少しは自戒しなければとの思いであります。
 この夏の暑さの向こう側には、自然・人の力の及ばない天の啓示ではないかと思っているからです。 電力消費の節約などでなく、我欲・我儘の諌め、耐えることの教え、感謝の心を持つことを、肌で感じ、学べと言っているのではないかと大仰に感じたりしています。
 昨日は関西電力・美浜原発で事故が発生しました。
 NYドルが1万ドルを割れました。イラクで・・ 中国で・・ロシアで・・
一度日本の、そして世界の政治・経済を崩壊して、新たに出直す時が近づいているのでしょうか? 

 立秋を過ぎ、残暑厳しき折と文面は変わりましたが、これからが本番なのです。
 御身体ご自愛のこと、お祈り申し上げます。 
NO.56                                               平成16年8月 9日

【 共同通信 7月19日
   健全な流域へ再生計画 
            国土省が2005年度から】

『国土省は18日、河川の上流から海の沿岸域までを対象に、生物の生息のしやすさや土砂の流れ、景観への配慮など河川ごとに総点検して、健全な流域にもどすための改善目標や達成時期を、必要な事業を盛り込んだ再生計画を2005年度から作成する方針を固めた。
魚道の設置、土砂を生みに流す事が出来るダムの整備、人工干潟づくりなどの事業を優先順位を付けて盛り込む事になりそう。
 再生計画の内容は、河川ごとに作る整備計画に位置づけ重点的に実施、整備効果を挙げる考えだ。
 これまでの河川整備では、水道水や農業用水、治水を優先したダムや堤防整備、河川の直線化を進めた結果、河川が本来持つ連続性を打ち切り、生物がすみぬくくなってしまった。
ダムが土砂をためているため海岸が浸食されて細る事や、河川周辺の景観を破壊しているなどの問題も引き起こしていた。』

 〜「環境白書」を読んだ後であったので、続いて紹介することにしました。
記事自体からは間違いのない計画であるとは思うものの・・・ 
と言う事は、従来実施してきた事はナンだったのか、又現在でも従来の発想に基づいて予算がつけられて、実施されているが、その事はどう考えているのか。どうするのか。との疑問が湧く。
今までの発想の投資を公共投資(景気回復策の一環としても、その場だけで持続的効果はなく、また無駄な事がハッキリした)というならば、今回の計画の発想、方向は逆だからなんと名づけたらよいのであろう。"逆さ公共投資"とよぶのか?
省権益・予算の減少・削減を止めるための下心があるとは思えないが(いやありあり)、今までの反省と責任もハッキリさせてもらいたい。 
今一度見直して、「やめるものは止める」くらいの決断が出来るのか(それなら信頼もしよう)。  その覚悟と決断・実践を持って新たな取り組みとして欲しいものである。

外務省、財務省に続く、どうにもならないと言われる古臭く、権益にしがみついている国土省との認識になってしまった国民である。(次はどの省ですかとの問いには後日) 
計画の目の付け所が遅すぎたきらいがある。 とは言うものの、提案された事は間違いない事柄である。
新たな談合・癒着の根にならない計画、予算、計画実施の管理体制もこの際見直してもらいたいものである。
 各地に生まれている自然・環境維持・保護、改善、改良の活動をしておるNPO、各種団体の参加を含めての計画実現でありたい。(国より財源も地方に移管して)
 お金を使って直せばよいと言うものでないし、そんな事ではその場限りの事となってしなう。 
これは地域住民の生活、環境と密接につながっている。 それらの人々の参画こそ求められるところであるし、その事によって成果が期待できるのです。
新たな取り組みが、新たな仕組みで、リーダーシップで実施され、実現してゆく事がいま求められているのですから・・・・ 
NO.55                                               平成16年8月 9日

【環境白書  より】

 『序章 環境革命の時代へ
 便利さや快適さの追求により環境負担が増加してきました。 しかし、技術の進歩などで、生活の質を維持しながら環境負担を減らす可能性がうまれてきています。
 日本の二酸化炭素排出量の中で、産業部門からの排出は引き続き最も大きな割合をしめしているものの、産業活動が市場の需要に依存していることに着目すれば、消費者の行動によって、ものやお金の流れを変え、産業活動を変革する可能性があります。
 こうして、「産業革命」や「IT革命」に続く、いわば「環境革命」が生まれます。
 私達一人ひとりが、社会経済の主人公として変革へのリーダーシップを発揮することで、時代をおおきく変える事ができます。
 
第1章 暮らしを彩る「環境のわざ」
第2章 暮らしを深める「環境の心」
第3章 日本で、そして世界へ
・ ・・・・、「環境のわざ」と「環境の心」を日本中に広げ、世界に発信してゆく事は、環境を良くすることが経済を発展させ、経済の活性化が環境を改善すると言う環境と経済の好循環を、日本で、そして世界で生み出していくことにつながります。

そして第2章の中では
第4節 地域づくりにおける取り組みの推進
2 環境と共生を基調とした地域づくり
(1) 持続可能な地域づくりに対する取り組み
(2) 自然に対する地域づくりに対する取り組み
(3) 環境を保全・創造する地域づくりに対する取り組み
(4) 歴史的環境と調和する地域づくりに対する取り組み
第5節 環境のわざと心で地球環境保全
・ ・・・・、このような信頼と連携の中、「環境のわざ」と「環境の心」を結びつけ、広める事により、環境保全をバネとした新しい社会経済への発展、すなわち「環境革命」が始まると考えます。
21世紀の世界が新しい発展を遂げるよう、『環境のわざと心』を、日本から生み出し、広げていこうではありませんか。
第6節 自然とのふれあいの推進
    (2)都市とも農山漁村の交流 
  〜以上長々と引用しました。 これでも大幅にカットしました。
  いつも、官庁・お役人様には不信と不満からきつい事を言ったり、書いたりしてきましたが、こんな白書が紹介されていましたので、掲載することにしました。
 聞くところによると、官庁・お役人様の世界でも予算が削られる中、若い人(20代〜30代前半のキャリヤ)の中から、新しい発想、考え方が生まれてきているようです。
 と言う事は、更に国家経済が行き詰まっていく事により新たな使命感に目覚めた優秀な能力が表面化するということでしょうか。
 が、大半は国が潰れるまで、最後まで自己保身するのがその本姓である事には違いないでしょうが、残された時間内で次の時代を担う新しい芽がひとつでも、二つでも出てくる事が重要です。
 今回示された「環境白書」は夢のある、元気のでる方向性・ビジョン(将来像)が示されています。 このビジョンにむけて各自、各所で様々な試行錯誤がなされて、成功例が示され、輪となり、ネットワークとなって広がり、新時代の到来となることなのでしょう。
 其の時、日本がその先人の一端を「わざと心」で示す。
 嬉しくなる、「環境白書」に出会いましたので、紹介しました。
NO.54                                               平成16年8月 5日

【8月4日付 県内版より
   協働へ歴史的一歩 
        NPOと県 共同声明に署名】

 『民間非営利団体(NPO)と行政の協働の意義や原則を示した「あいち協働ルールブック2004」に賛同するNPOの代表者と神田真秋知事が3日、名古屋市中区のアイリス愛知で「NPOと愛知県の協働推進にむけた協働声明」に署名した。
 ルールブックは、NPOと行政が守るべきルールなどを全国で初めて明文化し、ことし5月に発行した。
 これを機に、県とNPOがルールブックを尊重しながら、協働で取り組んでいこうと署名式を開く事にした。』

 〜私は声を掛けていただいての参加。 認可されたNPOをはじめ、認可されてはいないもののそれと同様な活動をされている各種の団体は多い。
 今回参加を呼びかけた県内の団体は約1700団体と言うが実態はもっとあるのではないだろうか。
 趣旨に賛同している団体は473団体。 式典参加は169団体の代表と言う。

 旧来の行政サービスはお金(税金)があったから出来たサービス(行政)であり、社会構造が変わり、経済環境が変化し、しかも人々の価値観・欲求が多様化した今日では効果的、適切に必要なところに目配りをしてゆく事は不可能になった。
 現場近くで血の通った、事情の分かったサービスが受けられる仕組みに変更してゆかねばならない。 そこにあってNPOの存在、活動はその大きな一助となる。
 それは単に受益者として出なく、同時にそこに参加した人自身が各自の得意分野、関心分野を通じてのサービス提供者でもあるところに、壊れてしまった地域住民共同社会の再構築(更にすすんで国の改造・構築)へと発展する可能を持つと考えます。
 新たな市民、住民主役の社会、助け合い社会の創造となると考え、期待するところです。
 
 人頼り(政府、行政、役所)、あなた任せの生き方から自分達で作り上げてゆく精神、行動こそ、いまこの変革期にあってベースになければならないものと考えます。
 署名式の会場はそんな精神を持って、既に活動をしておられる方々ばかりの集まりでしたので、伝わってくる波動は大変気持ちの良いものでした。
 時折このコラムで悲観的なことを書くことがありますが、同時に新たな動き・活動・成果が出てきているから心配ないといっている事柄のひとつがこのNPOの動きです。
 と言っても全体から見ればまだまだ小さく、直ぐに消滅してしまいそうなか細いものでもあります。
 そんな中、我が愛知が全国に先駆けてこのルールブックを作成しということは誇るべきことと嬉しく思っています。

 開幕まであと2百数日となった、愛・地球博のボランテイアー募集に予定を上回る応募がありました。(15000人以上) いま各地でそのボランテイアー研修会が開かれています。
 外部からは引き込みがち、自分の得になる事ばかり計算している県民性とも言われたり、揶揄されていますが、これらの動きを見ると決してそんなことはないと自信を持って言う事ができます。
 日本中から、世界から訪れる人々に博覧会を通じて学び、楽しんでいただくと共に、
自然豊かな愛知・活力ある愛知・温かみのある愛知をこの機会に更に育み、提供してゆきたいものです。
 今回のルールブック作成と署名式はそのスタートとなるものである。 始まりである。
NO.53                                               平成16年8月 4日

【7月31日 付け
  "次期首相"積極PR 岡田氏 訪米終える
  8月2日 付け
  社説 岡田民主党  国民との対話忘れるな
  8月3日 付け
  「説明責任」岡田氏が追及 
            参院選後初  トップ対決】

 〜参院選の勝利(?、まーそうか)後、直ぐに渡米した岡田民主党首、8月1日のテレビにも朝から出ずっぱりで、駆けずり回っているが手堅い発言を繰り返している。
 最強軍団と言われた自民橋本派はがたがた、橋本派が崩壊と言うのでなく自民の崩壊ということだろう。
 あと長くて2年と思っていたが、このところのアメリカのテロ対策の動き、イラクの更なる混乱、石油の価額の高騰。 国内も来年のペイオフを控えて不良債権の整理は残っているし、大手金融の合併にからむごたごたはどうなることやら。
 2年どころか今年中に決着がついてしまうのではないかと思われる。
 早まればよいと言うものではないが、問題の先送りをし続け、既得権益で安穏としていたリーダー達にお引取りを願うところにきた。
 責任回避でさようならと言う事であろうが、庶民はその後のツケを負い、自己責任で対応してゆかねばならない。
 そういえば、四国遍路にでた前民主党・党首菅さんはどうなっているのでしょう。
 新聞報道も其の時の話題性だけで追いかけずに、その後の報道もしてほしい。
 
 時事川柳 にあった。
 ・お遍路の 旅で直人は 何悟る (豊橋市 飯沼 大琳) 
NO.52                                               平成16年8月 1日

【川口 奇跡の2セーブ 
      アジア杯サッカー日本4強
   PK戦がけっぷち逆転   冷静 鋭く反応】

 『サッカーのアジア・カップ第14日は中国・重慶五輪競技場など、準々決勝2試合を行い、日本がPK戦(4×3)の末、ヨルダンを下し、2度目の優勝を飾った前回大会(
2000年、レバノン)に続き2大会連続でベスト4に進出した。
・ジーコ監督が「40年サッカーをやってきて、これほど、主審が試合終了の笛を吹くまで、何が起こるかわからない試合は始めて。
 あきらめるなと言い続けてきたことが現実になった」と興奮しきった。
 ・日本の勝ちが決まった瞬間、相手を応援し続けている観客が、静まり返った。
 「僕らへの言われなきブーイングを、黙らせたくて」と川口。(ゴールキッパー)
 まさに心地いいエンデイングになった。』

 〜プロ野球との3つのチャンネルを切り替えての観戦であったが、前後半90分が終わり、延長戦に入った時からはサッカーに釘付けとなった。
 更に、延長戦でも決着がつかない。 PK戦となる。
 日本のシュートのエース、中村、三都主(サントス)が失敗した時はこれで万事休すと観念した。 しかし、そこからの展開は信じられない事が起こった。
 40年のサッカー人生の経験を持つジーコ監督が言うくらいなのであるから、私などは"本当かいな"と疑った。
 あと13日でアテネ・オリンピックの開幕である。 超人達の集まりであり、鍛えに鍛えた力と技のぶつかり合いである。  選ばれた選手は悔いのない戦いをして、私達にこれがオリンピック、平和の競技との感動を伝えてほしい。

 川口選手の言った「僕らへの言われなきブーイングを、黙らせたくて」との発言の裏には、今回のこの一戦に限らず重慶の地での試合にはこの現象が随所にみられた。
これは多分、前の戦争のとき、日本軍によって痛めつけられた中国・重慶の人々にはまだ、その記憶に残っており、日本以外の国のチームへの応援となった事によると思った。
20代、30代前半の選手達には"言われなきブーイング"と感じるのは致し方ないことであろう。
どうしても、自国の選手への応援が中心になってしまうが、少しでも冷静にオリンピック競技を楽しみ、平和のありがたさと平和な地球を祈りたいものである。
NO.51                                               平成16年8月 1日

【7月30日付 朝刊 より
     誤解 7割  文化庁が日本語世論調査
  ぶぜん⇒腹を立てる  姑息⇒ひきょうな 】

『「げきを飛ばす」「姑息(こそく)」「ぶぜん」について、70%前後の人が本来の意味と異なる意味で理解していることが、文化庁の日本語に関する世論調査で分かった。
 「的を得る」「押しも押されぬ」を誤って使っている人も半数を超え、慣用句などの誤用が広がっている。

 「げきを飛ばす」については、本来の「自分の主張や考えを広く人々にしらせて同意を求めること」とした人は15%にとどまり、「元気のない者に刺激を与えて活気付けること」が74%に達した。
 「姑息」を本来の意味の「一時しのぎ」と答えたのは13%、70%が「ひきょうな」を選んだ。
 「ぶぜん」も「腹を立てる様子」が69%に達し、「失望してぼんやりとしている様子」という正答は16%。
 
 「物事の肝心な点を確実にとらえること」の意味で使う慣用句を選ばせる設問で、正解の「的を射る」は39%、「的を得る」が54%に達した。
 「実力があって堂々としている事」を意味する慣用句として「押しも押されもせぬ」と正答したのは37%で、「押しも押されぬ」との誤用が51%だった。』

 〜さて貴方は如何でしたか? 私は答えを読みながらのことでしたので、面白く読んでいましたが、正答を知らされぬままに調査に参加していたら正解は70〜80%ではないかと思いました。
 そんな私がここに投稿しているのですから、乱れた、又間違った表現を、慣用句を使用している事でしょう、
なお、いま上記を入力しながらこんな事が思い浮かび、考えました。

 それは「正解」と入力したときのことです、変換前最初に出てきたのが「政界」でした。
 《姑息(正しい使用〜一時しのぎ〜 OR 誤用の意味〜ひきょうにも〜どちらでもよい)、な、げきを飛ばし(誤用の意味〜元気のない者に刺激を与えるために活気付ける)、
 「的と射る」どこらか「的=(金)を得て」、知らぬ存ぜぬ。(日歯連と自民・橋本派献金問題。いや私的懐入り)
 それを指摘されると、「憮然=ぶぜん(正答の意味〜失望してぼんやりしている様子)」どころか、(誤用の意味〜腹を立てる様子)で、逃げてゆく。
 「押しも押されぬ」(誤用です)平気な顔をして、実力がなくても(いや、あるのかな?)堂々としている。》
 こんな政界では日本語の誤解が生まれるのも無理がない。
 私も注意、勉強して、正しい文章の"正解"としなければならないと自戒しました。

 (追記) 最後のところは自分でも何を書いているのか迷ってしまいました。
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