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NO.70                                               平成16年8月24日

アテネ・オリンピック報道より
       (8月23日朝刊、夕刊等)
 勝者・敗者の一言

〜「勝者・敗者の一言」とタイトルをつけたものの、ほとんどが勝者のものになってしまっている。
 取材記者が敗者へのインタビューがしにくいこともあろうが、敗者の弁の多くは何がいけなかったのかの技術面、戦術面の話が多いことにもよる。
 また、勝者とはいえ金メダルを期待されていた選手、あるいは口には出さずとも狙っていた選手は敗者に近い言葉を口にしていることもある。
 桁外れな力と技、そして精神力をもつ選ばれた方々なのに・・・

【8月23日 夕刊
  アテネから 小谷実可子の一筆啓上
  女子800メートル自由形 柴田「金」 "悔し涙あっての うれし涙の輝き"】より

 『まったく予想もしていなかった自由形長距離での金メダル。夢のようだけど、われに返った瞬間、私の目には日本選手が陣取った応援席で山田沙知子選手の姿を探していた。
  自由形の長距離を長い間、引っ張ってきたエース。 大きな舞台でなかなか実力を発揮できず、今度こそとこのアテネにかけていたが、シドニーで果たしていた決勝進出さえも逃してしまった。
  レース前、柴田選手が入場したとき、応援団の最前列に立って笑顔で声援を送っていたが、快挙を見届けたあとはさびしそうな目をしていた。
  気丈にも他の選手との輪に交ざって拍手を送っていたが、翌日のアテネの青空は彼女にはまぶしすぎただろう。・・・(中略)
  山田紗知子選手も、柔道の井上康生選手もオリンピックのドラマを作り出してくれた一員であることに間違いはない。
  帰りの飛行機でメダリスト達を先に送りだした後にでも、きっと胸を張って降りてきて欲しい。』

〜競技の現場におり、小谷さん自身オリンピックの華のひとつシンクロナイズド・スイミングで活躍された方ならではの報告である。
「コラム2−N NO67」で、卓球の福原 愛選手が「楽しむために来たわけではないので」と答えたことを紹介し、各種競技に参加する選手が「楽しむ」という言葉を頻繁に使っていると書き、私の思っていることを書いたが、8月24日の中日新聞の社説に下記の事が書かれていた。
【メダル量産  "人間力"が花開く】

『・・(略)
 金メダルがほしい。だから、世界一の練習量にも耐えられる。 耐え抜いたから、自信がもてる。
 自分のための金メダルという(個)の意思を確立した。 国旗を悲壮に背負った時代とも、五輪出場を「楽しんだ」という時代とも、どこか違う。
 重圧を瞬発力や集中力に変換できる新しい若い世代が、この五輪の場にいるようだ。
・ ・・・(中略)
東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉選手は、次のメキシコ大会前に「すっかり疲れ切ってしまって走れません」と自殺した。
 円谷世代とは明らかに違う"人間"たちがアテネで戦っている。
 メダルはもちろん選手達のものである。だが、その光には遠く海を隔てた同胞の心を照らす力がある。
 われわれは「負け組」という言葉に少しおびえ過ぎたようだ。
 大会終盤、勝ちにこだわる五輪選手を見守りながら、いま少し夏の夜の"異床同夢"に浸りたい。』
NO.69                                               平成16年8月23日

アテネ・オリンピック報道より
 勝者・敗者の一言

 〜前回も書いたが"勝者・敗者の一言"の構成に時間がかかる。 入力を終えてから届く翌日の新聞にも、その後のインタビュー記事が載っているからである。
 本日8月23日は"コラム1−D NO77 感動、感激、寝不足です"にも書いたように、女子マラソンの結果は出ているが、戦い終了後の一言は今日の夕刊からである。
よってまだ私の手元に届いていない。
 その前に8月21日の朝刊、号砲前の、マラソン女子3選手の記者会見が掲載されているので、そこから紹介しましょう。
・ 野口みずき
「マラソン発祥の地。すごく思い入れがある。素晴らしいところで走らせてもらえることに感謝したいです。」
「練習では昨年より、タイム、中身がいい。しっかり走れたので、それを自信に臨みたい」
 「がんがん行っちゃいたいけど、後半の事を考えてながれをみる」
「まだ実感は湧かないけど、すごく緊張すると思う。
・ 土佐 礼子
「今回は故障もなく、ここまでこれたのが大きい」
「これまで支えてくれた人々に感謝し、流れに乗ってリズムを崩さず、粘りある走りでいきたい」
・ 坂本 直子
「まだ五輪を走ると言う実感がない」
「(練習で)足が動かなくなって、肺が破裂しそうで(その先が)アテネの坂のように思えた」
「本番が楽なはずだと思って頑張ったつもりなので、成果がどう出るか楽しみ」
 
そして、本番後の一言は・(8月22日夕刊)
・野口みずき
 「走る前に監督からスパートの指示がありました。ちょうど給水ポイントのところでいけました、不安はあったけど、行くしかなかった」
 「大観衆の声援を自分のものに出来て良かった。すごくうれしい。ありがとうございました」
 「ずしり重いです。幸せです」(表彰式後。8月24日 朝刊より)
「神様ありがとうございました」(8月24日朝刊より) 故郷の伊勢神宮の神々のお守りを縫い付けてあった。

・土佐礼子
 「後半は前の選手が見えたり、見えなかったり。メダルに手が届かずなくて悔しい」
 「給水地点で水を体にぶっかけていたし、私は暑いとは感じていなかった。リズムどおりに走れました」
 「ゴールした瞬間は、これが五輪だと思った」

・坂本直子
 「力を発揮しなくてはならないときに、体が言うことをきいてくれなかった。
  きつかった。勝負どころで離されてしまった」
 「野口のスパートに対して」精神的にも、肉体的にもついていけなかった。特に、スパートしようと思えなかったことが・・・・」
 「(野口が金メダルを取ったことで)目標になるし、勉強になった」

・陸上男子ハンマー投げ 銀メダル 室伏 広治
「(最後の1投、サークルに入るとき)頭を真っ白にした」
「もう少し速くエンジンがかかれば」
「抜いたと思ったんだけどね(82・91メートル、28Cm足りず)」
「他の選手の記録は知らなかった。自分に集中していたので気にならなかった」
「観客と、日本で応援してくださった皆さんの力で投げました」
「(「わずか28センチの接戦と知っていたのかい」と記者にとわれ、「そうだったの?
 自分の足(のサイズ)ぐらいだよ」と冗談交じりにシューズを見せたと、
NO.68                                               平成16年8月22日

アテネ・オリンピック報道より
      (8月21日朝刊・夕刊と22日朝刊)
  勝者・敗者の一言

・ 柔道男子 100キロ超級 金メダル 鈴木 桂治
「『約束は守ったぞ』って言ってあげたい。これで帰れます」
この言葉は100キロ超級・五輪日本選抜で破った棟田康幸(鈴木選手はもともとワンクラス下、井上康生と同クラスの100キロ級の選手)に送った一言である。 
棟田は昨年の世界選手権で100キロ超級のチャンピオン。 最大の敵であるトメノフの組み手、崩し方を全て鈴木に伝えた。 
  「勝つ責任があった」
  「技を掛けられたのはいい気分です。 やっと終わった。長かったですから」
「そういう人たちにも(自分)をみとめさせたい」(棟田のほうが良いのではないかとの声が、鈴木にも届いていた)
インタビューに答えて
「感無量です。 最終日ということもあるし、男子の一番重いクラスで、責任重大。
勝たないといけないと責任感というよりは、自分への使命。 変な柔道は出来ない。
勝ちにこだわった。緊張感と言うよりはわくわく感が大きかった。
 (井上康生の負けを聞いたとき)驚いたけど、それがオリンピックだなと、そういう緊張感は出た。 良かったです。」 

8月22日朝刊 "柔道ライバル物語 続章へ
「(井上が4回戦に負けて)五輪で勝ち続けることは難しい。 だから逆に自分にもチャンスがあると思った」
「五輪より康生さんを倒す事しか考えていない」
「康生さんとの勝負は自分の宿命」と言って、100キロ級でアテネを目指した。
「このまま100超級でやる事はまったく考えていない」と
 「平成のライバル物語」は注目の第2章を迎える。

・ 柔道女子 78キロ超級 金メダル 塚田 真希
「1つ1つきつい合宿をしてきたから、絶対に負けられなかった」
インタビュウーに答えて
「(決勝戦で技ありを)取られたときは、どうしようかと本当にパニックになったけど、ここでは負けられないと強い気持ちがあって、ああいう風な(逆転という)形になってすごいラッキーだと思います。
 前の先輩達みんながいい流れを作ってくれたんで、私も強い気持ちでできた」

・ 競泳女子 800メートル自由形 金メダル 柴田 亜衣
〜あまり期待された選手ではなかったのだろう。 取材陣がその場に居合わせなかったのか、コメントもインタビューも掲載されていない。
「独自の泳法 努力で習得」とあり、田中コーチの「あわてず、焦らず、あきらめず」のアドバイスのもと、「絶好調です。期待してください」と言ってのける強心臓の持ち主でもあり、結果をだしたと。金メダリストにしては扱いが小さい。(朝刊)
〜その日の夕刊に金メダルを掲げた柴田の笑顔があった。
「自分でもびっくりしています」
「ラスト50、このまま行けエー! がむしゃらに手回した」

・ 女子サッカー なでしこ 4強ならず 対米 2対1で惜敗
「スコアーは小さな差でも、そこには大きな差があった」
「まだ成長が足りない。 まだ何かが足りない。」
「体格、体力の差をうずめることは日本のテーマ。しかし今日は技術と判断でも負けた」

・ 男子自転車チームスプリント 銀メダル 長塚智広、伏見敏昭、井上昌巳
長塚 正直言ってこんな結果が出るとは思わなかった。スタートダッシュが決まった。
   メダルはお金にかえだたい。
伏見 競輪は日本一決定戦だけど、五輪は世界一を決める舞台でものが違う。
   まさかメダルとは。
井上 (腰痛に苦しんだから)やるしかなかったので、ここまでやれて満足感はある。

・ ヨット 男子470級 銅メダル 関一人、轟賢二郎
轟 「五輪に出られる人と出られない人の差をみてきた。 憧れの場所で思い切りやれた」
関 「胸を借りる気持ちできたが、そこで踏ん張れる底力があったのかな」
 小松監督 「僕らと違うタイプ。過去にいなかった選手」
    「(長丁場のヨットの試合では)気持ちを安定させるのが一番だが、やり遂げてくれた。二人はずっと淡々としていた。一番好きな海に出て、(ヨットを)やって帰ってくる。 だから、淡々としていられた」

・ 男子100メートル 2次予選で敗退 末続慎吾
「悔しいがこれがテーマになると思う。この悔しさを忘れず、次に生かしてゆきたい。
 スタートは決まったといえば決まったけど、負けは負け。(気持ちを)切り替えたい」  
NO.67                                               平成16年8月23日

 アテネ・オリンピック報道より
          (8月20日朝刊・夕刊)
  勝者・敗者の一言

 〜思いもよらぬ結果である。 日本選手団の主将・柔道の井上康生が負けた。
・柔道男子100キロ級 無冠 井上 康生
「この悔しさは味わったことはない」
「これをプラスにまた這い上がってゆきたい」

 シドニー五輪のときの担当コーチ・福岡大柔道監督
 「康生はケツをたたいてやらないと駄目なんだ」
 父親・明さん
 「末っ子で母親っこ。本質は甘ったれだ。自分でもそれが分かっているからこそ、あえて有無を言わせずに追い詰めてくれる人のところへ向かったんだろう」
 「信じられない。 顔見たら引っ張っていって柔道が嫌いなら辞めろ。 出直せ、と言いたい」
 「こんな屈辱は味わったことがない。 応援してくれた人に申し訳ない」
 「一ではなく、ゼロから出直せ、世界王者のプライドは捨て、もう一度立ち上がって欲しい」
 「天才の上に、努力に裏打ちされたのは、康生、お前一人だ」
 
柔道男子・斉藤仁監督
 「これが五輪なのかな。気負いがあった。 まだまだ強くなるために、神様が大きな試練を与えてくれたのだと思う。 康生なら乗り越えられると思う」

・柔道女子 78キロ級 金メダル 阿武 教子
〜過去2度の大会に極度の緊張から初戦で散っていた。
 「一番緊張したのは初戦。 五輪ではいちども勝っていませんから」
 「外国選手相手にはワンチャンスか、あってもツーチャンス。 うまく組み手を持てたら勝負をかける」
 「ポイントをリードしても試合は終わらない。 逃げ切らず、一本を狙う」
 一夜明けて
「やっと手に出来て嬉しい思いと、過去二回は五輪をものすごい大会と思いすぎていた」

・競泳女子200メートル平泳ぎ 4位 田中 雅美 (0・05秒届かず)
「(メダルを)取りたかったです。 (4位だが)自分にとってはメダルだと思いたい。 
 悔しくないと言えばウソになるが、最後のレースで精一杯やれた」
「悔しいからではない、緊張感から解放された安心感と、いいレースができたうれしさです。 ちょっと休んでから今後の事は考えたい」と涙が光っていた。

・卓球個人  無冠  福原 愛
 福原選手は楽しかったと聞かれ「楽しむためにきたわけじゃないので」と答えた。

〜このところ、五輪に限らずに各種競技に参加する選手たちが口にする言葉に「楽しむ」という言葉が頻繁に使われている。
 本心の半分くらいは表しているのであろうか。 本当は緊張している自分をリラックスさせるために、あるいは戦いに敗れたときの自分を慰めるために用意している言葉にも受け止められるが、どうなのであろうか。
 この疑問は戦後、物の豊かさを求めて走ってきた私たち世代の感じ方・考え方なのであろうか。 
彼らは本当に楽しもうと思って口にしている言葉なのであろうか。
 相手に負けたくない、なんとしてでも勝ちたいとがむしゃらに進んだ時代が終わり、
楽しむという若者の時代にオリンピックでメダルを量産している。
 素直な若者に、ハングリーな年齢の指導者(コーチ)の組み合わせが、その結果をうんでいるのであろうか。
 福原 愛さんは上記のように語ったが・・・ 
NO.66                                               平成16年8月21日

 アテネ・オリンピックの報道より
   勝者・敗者の一言

 〜新聞を読んで目に留まった言葉を入力するだけと思っていたが、これが意外と時間がかかります。 
 競技終了直後の取材のときの言葉、少し落ち着いてのインタビュー時の言葉、翌日のおしゃべり。  家族、関係者の言葉など朝刊・夕刊を2〜3日分を読んで整理している。
 さて8月18日の朝刊後のものです。

・ 柔道女子63級 金メダル 谷本 歩実
「最高の舞台で最高の恩返しができた。最高です。うれしい」

・ 男子200バタフライ 銀メダル 山本貴司
競技に望む前に「多少泳ぎがゆがんでもいい。ゆがむときは皆ゆがんでいる。 パワーならこっちのもんですよ。 何でもプラスに考えないと、勝負なんかできない」と
インタビューにて
夢にまで見てた五輪のメダル。 最高に嬉しいですね。 行く前から金を狙ってきたけど、まあ、もうちょっとでした。 思い切りやって、自分の最高の結果出したこと。
これが実力。みなさんのおかげでこうやって結果を出せた。 感謝しています」

・ 野球 対キューバ戦に初勝利して(五輪で日本はキューバに5連敗中だった)
19歳で出場したシドニーでは未勝利の松坂(西武)
「ただのいい経験で終わるか、経験を生かして財産になるかは自分次第」
完封を目前に3失点で降板。「ああいう形で交代することになり、自分に腹が立った」
その日、試合会場に向かうバスの中で、長島監督からのメッセージが読み上げられた。
 「きょう、その日が来た」と
その翌日、格下と思われていた対豪州戦 9対4で負ける。宮本主将
 「すきがあったと言われても仕方ない」

・ 競泳200メートル平泳ぎ 金メダル 北島 康介
「五輪で金メダルを取るのが、僕の最終目標ではないと思っている。 水泳を続けていく限り、毎年毎年、最高の泳ぎをお見せできるようにしていきたい」
「水泳を広めたい。水泳の面白さを分かってもらいたい。」
あまりにも一方的なレース展開に対して、「面白くなかったですか」と
平井 伯昌(のりまさ)コーチの言葉
「北島の泳ぎは最初から突っ込み、体力の限界に挑戦する泳ぎとは違って、ペースを守って正確にラップを刻む泳法、あせる気持ちを抑えてマイペースを守る《勇気がいる》」と 「抑えろ」とは言わず、「勇気を出せ」と指示。
〜北島の負けず嫌いの性格を知り尽くしての言葉遣いであった。

この北島のライバルである米国のブレンダン・ハンセンは決勝前夜「2分9秒台が出せる力がもうないことは分かっていた。 そんな状態で決勝のスタート台に向かう事はつらかった」と明かした。と報じられた。
 

・ アーチェリー男子個人 銀メダル 山本 博(41歳、埼玉・大宮開成高教)
「ビックリだね。世界チャンピオンに勝っちゃたよ」
「もう終わった選手と相手がなめていたからね。 びっくりした顔をしていたよ」
【オリンピアからの風 山崎浩子さんのコラムから <肩の力を抜いて勝つ>
「よかったよ、浩子さんにおれの選手としての姿を見てもらって。 こんなに真剣にやってるのを初めて見たでしょう? ただの酔っ払いのおやじだと思ったでしょ(笑い)」 
  「"当たって砕けない"というのを目標にして(笑い)、先打ち(先攻)をチョイスした。最初の10点が効いたね」

・ 卓球女子 ベストエイトならず 福原 愛
「相手も作戦を変えたりしてきた。 それが強い選手の違うところ。(自分は)習ったことを早く出そうとしてミスが出た。 緊張感とかは、あと1,2回勝たないと・・・。                普通の試合と変わらずに出来たのは良かったけど、終わったなあ、という感じです。」


〜8月19日朝刊には"耐えて耐えて晴れ姿"と題して
柔道女子70キロ級 金メダル 上野 雅恵選手
            『北の大地が力をくれた』
          柔道男子90キロ級 銀メダル 泉 浩選手
            『北の海が育てた』と報じられている。
期待、想像以上の日本選手の活躍に、何を取り上げようかと贅沢な戸惑いをしている。 
NO.65                                               平成16年8月17日

【8月16日 夕刊より
   五輪ウオッチ 旋風巻き起すか「忍者走り」
 世界陸上界の「常識破り」  ―稲垣 正浩―

 『アテネ・オリンピックの台風の眼は、だれがなんと言おうと、末続慎吾選手の「忍者走り」につきる。
 重心を低く落とし、強い前傾姿勢から脚を前へ前へと送り出す走法、そして、肘をほとんど動かすことなく前腕でリズムを刻んでいく走法、これはどう見ても「忍者走り」である。
 この「忍者走り」は、日本の陸上界のみならず、世界の陸上界にとっての常識破りであり、一つの「奇跡」なのである。
 「忍者走り」は、ヨーロッパ近代の合理主義が生み出したランニング理論を根底からゆるがす、とんでもない挑戦なのである。
 しかし、日本の伝統芸能の名手たち(たとえば、地唄舞の多仁女)に言わせれば、末続く選手の『忍者走り』こそもっとも「理にかなった」走りであるという。
 この走りは単なる前近代への先祖返りではない。
 近代合理主義の限界を見切り、その先にみえてきた新たな可能性なのである。
 「忍者走り」は短距離よりは中・長距離に、そして中・長距離よりはマラソンにより適している、と私は考えているからである。』

 〜一度見落としてしまった「文化」面の論文で、切り抜きの時に気がついた。
 地球環境から世界秩序、政治・経済などあらゆる側面において現代の行き詰まり。   そんな中から様々な世界の人々によって試行錯誤の後に、次の時代を創出するものが生まれてくると思っているが、スポーツの世界で日本から「忍者走り」として出てくるとは思っても見なかった。
 末続選手の活躍に期待すると同時に、彼だけの財産として終わらす事なく、日本発の「忍者走り」が研究され、世界的な評価の中で役立って欲しいものである。
 其の時、マラソンの男子は2時間を切る記録の達成となるのではないか。
NO.64                                               平成16年8月17日

アテネ・オリンピック報道より
  勝者・敗者の一言

・ 競泳100メートル平泳ぎ 金メダル 北島 康介
「チョー気持ちがいい」
「うれしいっす・・・・」と言って、目頭をおさえ、しばらく言葉がなかった。
「何が何だか分からない。 五輪の舞台で金を取れた。支えてくれた人に感謝したい。」
「何も覚えていない」スタート台に立った時点で、「とにかく勝てる。とだけ思って少しのすきも見せないようにした。」
〜平井コーチ『悪いときがあったからこそ、色々なものが削られて純粋になれたのではないか』

・ 競泳100メートル背泳ぎ 銅メタル 森田 智巳
「不思議に緊張しないんですよね」
「ぼくはここに命を捨てに来た」「骨が折れるぐらいの勢いで最後のタッチをしますよ」
「ラスト10メートルの勝負だと思っていた。 あせらないよう、あさらないよう、最後にかけていた。 まだタイムはそんなに速くないので、もっと速くなって、恵ちゃん(北島 恵介)だけじゃないのを見せたい」

・ 男子体操団体戦 金メタル 米田功、水島寿思、鹿島丈博、富田洋之、塚原直也、
             中島大輔
メンバーを育てた城間 晃氏は88年、旧ソ連に4回派遣されて、「体操は技の難しさを競い合うものではない。美しさだ」と悟る。 そしてひたすらに「つま先をのばせ、膝を開くな」と怒鳴り続けた。
 基本を徹底的に叩き込まれた彼らの演技は、世界一を競う五輪の緊張の中でも美しく、力強かった。
 
 父と同じ金メダルという夢を、3度目の五輪出場でかなえられた塚原直也選手は
「やっと取れました」。 その笑顔の影にあった重圧感と努力を想像した。
 日本チーム総監督の父・光男さんは「素質はさほどでもない。だが、体も硬く、不器用で努力型」と語り。 
女子監督の母・千恵子さんは厳しい指導に泣いているのを見て「つらかった。」と、また「体操を始めたころから、金をとりたい、と。父親は超えられないけど、1つは並んだね」と泣いた顔で、笑った。

その男子個人総合に進んだ富田「いこうという気持ちが強くて焦った。
米田「いい勉強になりました。やはり普段どおりにやらなければ」と語ったように、ミスを犯して、メダルはならなかった。
NO.63                                               平成16年8月17日

 アテネ・オリンピック報道より
   勝者、敗者の一言

・ 柔道48キロ級女子 金メダル 谷 亮子
 「ものすごい集中力と忍耐力と・・・何かが・・・言葉になりません」、考えを整理して
 「(旧姓田村と谷の)2つの名前をオリンピックに残せた事は自分の中で感動しました。」
 「足は70%ぐらいの回復だったが、痛くても、足が使えなくなっても、今日は絶対に戦い抜くと言う強い気持ちでいました。」
 「3週間練習が出来なかったが、勝ちたい欲求がさらに強くなった。 本当に一日一日が真剣勝負でした。」

・ 柔道60キロ級男子 金メダル 野村 忠弘 (五輪3連覇)
「けがをしている自分を受け入れ、戦うしかない。だから影響はありません。」
「2年間のブランクはマイナスでしかない。 でも、もう一回、柔道をやってみようという気持ちにさせてくれた2年間でもある。」

〜上記の谷は2ヶ月前に大怪我をしていた。 また、野村も日本出発3日前に右わき腹を痛めていた。
 
・ 柔道66キロ級男子 金メダル 内柴 正人
「コーチに自分を信じろといわれていた。 信じた結果。・・・」
「生まれて初めてひらめきがあった。こんなに相手が見えたことはない。」
「自分は人の期待を裏切ってきた。これで恩返しができた。」
「パパはいい仕事ができました。 塩辛いものとビールが欲しい、でも一番食べたいものは妻の手料理。」

・ 柔道52キロ級女子 銀メダル 横沢 由貴 
昨年世界選手権の時(3位)
「今度こそ絶対にチャンピオンになる」と目標を掲げる。
〜今回、準決勝で残り1秒で逆転勝利して決勝戦へ
「金メタルでないと意味はない」と
〜まだ23歳、明るい未来はまだある。

・ 柔道57キロ級女子 敗者復活戦に敗れる 日下部 基栄
〜負傷、復活を繰り返し、引退の気持ちが動いた事もあったが、アテネへの道が開けた選手。
「後悔しないように、やる事をやって臨んだ。 その結果がこれ、しっかり受け止めて今後の人生につなげたい。」

・ ホッケー 女子
 〜世界ランキング1位のアルゼンチンと対戦 1−3で敗れる。
 「歴史的な1点だった」

・ バレーボール 女子
〜ブラジル戦に続いてイタリヤにも完敗
「あれでは勝負にならない」(柳本監督)
「自分達に力がない」「日本はチーメとして浅い。まだ終わったわけではない。どう立て直すかが大切」34歳、日本の支柱・吉原。
NO.62                                               平成16年8月17日

 アテネ・オリンピックの報道より
  まずは開会式の一言コメント

 ・五輪出場初めて、15歳の卓球 福原 愛
 「今まであまり堂々と歩いた事がない。 今回は前を向いて歩こうと思う」
 「終わった後で、ああやればよかったと思わないように、持っているものを全てだし、それ以上の力が出せるように」
 
〜と言っていた彼女(世界ランキング26位)、大会3日目シングル2回戦で、格下ランク73位の相手に大苦戦。
 「気持ちの面で甘く見てしまった部分があった。」
 「こういう場面は今までも何回かあった。 多分大丈夫だろうと思った。
 「緊張しない試合でこんな内容だったらだめだけど、緊張したから、ボールが入ってよかった。」 <ふわふわした中で自分自身をみつめる、もう一人の自分がいた。>
 【8月17日 "オリンピアの風" 山崎 浩子のコラムより
 「真っ白で、真っ青」
 「頭の中が真っ白、この辺(額の辺り)には影が入っていたかも」
 「1セット目、サーブするときボールを乗せた手がブルブルと震えてたんですよ。歯も震えてた。 監督のところに行ったんですけど、何を言われたのか頭が真っ白で。
今も緊張しています。 とりあえずボールが(コートに)入って良かった。」
 〜世界クラスで活躍した山崎さんであったから、福原さん本音を語ったのであろう。
 
・レスリング女子 吉田 沙保里
 「実際、自分がこの場にこうして来ることが出来て信じられない気持ち」

 ・柔道 男子100キロ超級 鈴木 桂治
 「最高です。感動しました、やる気もがぜんでてきました。 何度もこういうのを味わってみたいですね。」

 ・レスリング女子、日本団旗手 浜口京子
 「すごく感動した。 観客席に日の丸が多くて嬉しかった。 多くの人と目をあわせ、
  手を振る事ができた。」
 〜テレビに映った彼女、その体格よりズーと控えめな手の振り方であった。

 最後に、【オリンピアの風 山崎浩子(中日新聞派遣)】
 『・・・、入場行進の時間がどんなに長くとも、彼らは競技にかけてきた人生に比べると、まばたきほどの時間。 どんなに疲れようが「もう二度と開会式には出たくはないか?」と聞かれたら、「ノー」と答えるに違いない。
 あの大歓声の中に身をあずけるのなら、再び多くの時間と犠牲を払う事もいとわないのだろう。』

 〜次回からは私の目にはいり、記憶に残った言葉を掲載してみたい。
NO.61                                               平成16年8月15日

 【8月14日夕刊より
   発祥の地 平和の原点歌う 
      202国・地域が集い祭典開幕
   神々の国 ドラマの始まり 
               アテネ五輪開会式
 神話に託す新世紀  水と光と炎が交錯  
              ギリシャの歴史刻む
 平和を胸に 世界の笑顔  
            肩組むイラク・米選手ら】

  〜拾い出せば限がない見出し・タイトルである。 又中日新聞の紙面はこのオリンピック報道のため(?)に用意されたカラー印刷の紙面が多く、その感動を数多く伝えてくれる。 読む新聞よりも眺める新聞、食い入る新聞となっている。

 8月14日午前3時20分に目が覚めた。 前夜目覚まし時計をセットしておこうかとも思ったが、どうせ収録・編集されたものが何度も見られるだろうから無理することはないと床に就いたのであるが・・・
 やはりLIVEにはLIVEなるが故に、気持ちの上での満足感があった。
 2時間も続く各国選手団入場では時折眠気が襲ってきたが、21世紀初めてのオリンピック、そしてもう4年後でないとこの場面には出くわせないのだと思うと睡魔は飛んでいった。  いや、なんと知らない国の多いことか。 その事を知るだけでもよかった。

 旗手だけ・ひとりで行進する国、大選手団の国、民族衣装に身を包んだ選手、ファッション感覚あふれる国の選手たち、その誰もが誇らしげな笑顔である。
 テレビカメラに映し出されてオドケル選手もいれば、そんな事関係ないとばかりに行進してゆく哲学者風の選手も数人見かけた。 (以上の場面など編集された映像ではその一部だけしか見る事ができなかった)
 ロイヤルボックスに向かって手をそして国旗を振る人々が集まった会場を上空から映し出すと、そこには正に様々な民族が一同に会した平和の祭典の色々の色・縞の織り成した混合と調和の美しさを見る事ができた。
 
花火が・・、空中を舞う神々が・・、聖火の入場が・・書くことは山ほどあるが、私の拙い語彙と文章では到底伝えられるものではない。
 ただ、この日遠く離れたアテネの地で進行している平和の祭典の幕開けを、結ばれた映像で同時に感動し、味わっていた事を記録として残しておきたいと思い、この一文を書きました。
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