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NO.90

                                               平成16年10月26日

【アサヒビール環境文化講座 10月23日より
    愛・地球博パートナーシップイベント
   “水の惑星 森の惑星”  稲本 正氏】

 

 「地球は水の惑星」といわれているが、地球上の97・5%は海水。
  飲用水にできる淡水は2・5%しかなく、そのうち90%が南極・北極などの氷雪であり、人の手の届かない地下水同様に飲む事ができない。
 残りの0・25%が手の届く水であるが、浄化された水でなければ飲めない。
 では浄化された水はどこにあるのか。 人の作った浄化装置でつくる水の量は極めて少なく、実はほとんどが森で浄化されている。その量は全体の0・1%以下、そのごくわずかな水で僕らは生きている。
 しかしその森と水のバランスさえも危うくなってきた事をぜひ知ってもらいたい。
 (中略)
 日本の杉・檜の蓄積量は戦後直ぐに比べて3倍以上に育っている。
 日本の木も針葉樹なら切って使い、広葉樹も除間伐したほうが世界的にも意味がある。
 (中略)
 良い森には雨が60%保水されるが、木のない山では95%が流される。
 こういうことは都会に住むとどんどん分からなくなる。
 (中略)
 生活の基本を見つめ直し、水を考えるだけで、生き方は相当変わる。
 空気と水の大切さを体験する機会を、もう一度持つべきであろう。
 どんどん成長する木を植えると、気持ちが変わり、世界が変わるのではないかと思う。』
 
 〜飛騨高山において1974年オークビレッジを創設され、1976年、飛騨・清見村(高山市の隣村)に本拠地を移した稲本さん。
 今でこそ日本全国はおろか、世界の自然環境の保護・再生に奔走されておられるが、創設当時は多分大変な思いをされた事だろう。
 私は1996年にオークビッレジが運営する「シルバアンクラブ」の会員となった。
 当時送られてきた“1995冬〜1996春”の作品が紹介された小冊子(A5? 
縦21×横11・5Cm、表紙・裏表紙を含めて8ページ)「森と心」が手元にあるが、最近送られてくるカラー冊子とは雲での差である。 
 バブル崩壊後、時代がその考え方とそこから生まれてくる作品、活動に共感を呼び、多くの方の注目するところとなっての事だろう。 私自身清見村にドングリを拾いに行ったり、各種行事に参加させていただき色々勉強させていただいた。
 今このように氏と「オークビレッジ」そして関連するNPO[どんぐりの会]、「木の文化」を担う人材養成機関「森林たくみ塾」など活躍の場が広がり、今後ますますその輪が広がろうとしている事に嬉しさを感じると同時に更に多くの方々が自然・空気・森・水に関心を持ってもらいたいものだと思う。
 
 来年4月、稲本さんが校長に就任された「トヨタ白川郷自然学校」が“日本一美しい村に、日本一の自然学校を”とオープンすることが既に発表された。
 宿泊施設もあり、様々な事が学べる体験コースも用意されると聞く、一度訪問したいものである。
 

   


NO.89

                                               平成16年10月20日

【藤原直哉さんのワールドレポート435号より
 “桜の開花”に、これからの生き方を学ぶ】

 『次の年の春咲く桜の花芽が成長するのは前の年の秋で、まだ気温の高いうちに生長しておき、やがて初冬を迎えて気温が下がると花芽は休眠状態に入る。
 その後、真冬の厳しい寒さが訪れると、何度かの厳しい寒さが目覚ましとなって花芽の再活動が始まり、やがて気温の上昇と共に蓄積していた養分を使って一気に生長し、昆虫など他の生物の活動開始に合わせて開花するとのことです。

 これは未来を見据えた人の仕事や生活のあり方にも当てはまります。
 単に外部の状況に対処して生きているだけならば、秋の時期には夏の余韻をいつまでも楽しみ、次の年の花芽の心配などしなくて気温が下がるまで時間や養分を消費しつづけます。 やがて寒くなって動けなくなるとそのままジッとしていて何もせず、周囲の花が咲き始めたのを見て初めて春が来た事に気づき、あわてて花を咲かそうとしても花芽も養分も準備が出来ていない、ということになります。

 反対に良く考えて行動する人は常に世の中の変化を頭に入れて行動し、何時も今を満喫しつくさずに未来の準備をコツコツすすめていきます。
 準備ができたところでしばらく休む。 この休みとは桜で言うと気温が下がっていくときですから、あるべき未来とは正反対に世の中が動いているときで、いわば振り子が反対方向に揺れているときです。
 そんなときは一時休止して待っていれば良いのです。

 動きを再開させるのは暖かくなったときではなく、一番寒いときなのです。
 すなわち、あるべき方向とは正反対に極限まで世の中が動いたときが準備を再開するときであり、こんなに寒くなったら二度と暖かくなる日はないのではないかと思える瞬間にこそ、暖かい日のための準備をはじめるのです。

 陰の極で準備を再開させて、最後に花を咲かせるのは虫が出てきてから、すなわち周囲の準備が全部整ってからであり、一人で抜け駆けをして花を咲かせても「狂い咲き」となってかえって自然の調和が狂い、無駄が生まれてしまうのです。
 我々もこういう生き方を心がけたいものです。』

〜長い引用になりました。タイトルは私が勝手につけたものです。
 読めばなるほどと感じ入るのですが、では行動となるとその時の情勢、流れまかせです。 入力作業をすれば少しは身になるかと実行してみました。
 
 




NO.88
                                               平成16年10月19日

【相場観 市場は中日Vを期待
  10月18日夕刊 吉見俊彦・証券アナリスト】

 『・・・・、プロ野球と株価、政変など過去のケースを見てみよう。
 中日セ優勝は過去5回、
@ 初優勝は1954(昭和29)年吉田内閣の退陣で鳩山信内閣が誕生。
翌年の平均株価は陽線(年初より年末が高い)で、神武景気が始まった。
A 1974(昭和49)年も陽線で第一次石油ショックを乗り越え、田中内閣が失脚、三木内閣が生まれた。
B 1982(昭和57)年も陽線で、世界的な金融緩和の年。 鈴木内閣が引退。中曽根内閣誕生
C 1988(昭和63)年も陽線。 バブル景気総仕上げの年で、翌年竹下内閣が退陣、宇野、海部内閣へと移った。
D 1999(平成11)年は陰線だったが、情報技術(IT)ブーム。
翌年、小渕首相が病死し、森政権が生まれた。

中日優勝の年は兜町が好む株高の確率が高いが、政変続きとあって小泉政権の行方が気になるところだ。
株式市場としては落合・中日の勝利を期待したくなるところだ。』

 〜株式相場を引き合いに出して、中日優勝を祈願しているものではない。
 各種情報で、中日優勝の年は政変ありとは聞いていたが、調べてみるにしても資料が不足していた。 今回この記事が目についたので忘れない内にとここに記録した。
 こうして見てみると確かに政変が起こっている。
 
 が、今という時代、コップ(自民党)の中の政変というよりは時代そのものが変革、転換している状況にあるにもかかわらず、私流に言えば、小泉さんが「自民党をぶっ潰す、時代を変える」と旧来の自民党のリーダーが言えなかったことを、やけっぱちで言ったので国民が期待するところとなってしまった。 (彼に任せれば、夢のような一昔前の昭和の時代(昭和は遠くなりにけり)に戻るのかと思って・・・)
 
従来手法にはなかった自民の抵抗勢力とやらを仮想敵として、威勢のいい事(フレーズ)を次々に口にし、決心も覚悟もなく一時しのぎで大衆受け、テレビ受けはしたものの、結局、持続可能な新しい国のあり方、価値観、構造、秩序、制度等の方向はみえず、小手先のマヤカシな修正で時代変革・構造改革の時間延ばしをしたに過ぎなかった。(前の内閣、首相よりマシという声もあるが、核心のところには手が入らず、自民党の延命となっただけ)
結果、真の変革を遅らせた事になった。(政官財の癒着構造、利権構造の延命。)
 野党も不甲斐ないが、これは痛みを嫌い、丸く治める、穏健、保守的(国民全体に火が付くと、今度は行過ぎるくらいに突っ走る)な国民性によるのだろう。

 それでも、この国が世界で最初にバブル崩壊を体験し、世界のトップを行く国として、新時代の世界秩序、国のあり方、人々の生き方の一つのモデルの提示を期待されている国なのである。
 また、身近なところでは、日本で今一番元気が良いといわれる中部の中心地名古屋は中日ドラゴンズの優勝(しかも日本一ともなれば、多分なる)。 
加えるに来期、中部国際空港「セントレア」開港、「愛・地球博」開催となると、コップの中の政変(我欲の戦い)なんかに目を奪われているときではないと考えます。
新時代の夢ある未来への扉を開く原動力の地とならねばならないのではないでしょうか。
 
今期、あるいは来期・単独年で事は済まされるほど単純、簡単な時代に私たちは存在し、生き、活動しているのではない。 
今一つの時代の最後の終焉の幕引きが進められていると同時に、一方で進行しつつある本格的で長期の時間を要する新規巻き直し(ニューデイール)のスタートに立っているのではないだろうか。
  今の時代、社会風潮を少しでも遺憾と思っている気持ちがあるならば、そこに至った責任の一環を受け止めて、各自が人頼りから脱して歩を進めるときでと言い聞かせています。
 
ドラゴンズの優勝の年の話から思わぬ方向に話がすすんでしまいました。
これも優勝という力が生み出したものなのでしょうか。



NO.87
                                               平成16年10月19日

【ひろ さちやのほどほど人生論 10月17日より
  美しい思い出を準備 “お浄土へのお土産”

 『宗教は真っ赤な嘘だ。地獄や極楽浄土なんて嘘に決まっている。 日本の知識人は、ほとんどの人がそう思っているようです。・・略・・・
 ―みなすーという言葉があります。『広辞苑』によりますと、《性質を異にする事物について、法律上これを同一視する》と解説されています。 たとえば《胎児は、相続については、既に生まれたものとみなす》とあります。・・・略・・
 仏教のお浄土もそれと同じです。 宇宙空間の何処にも存在しません。しかし仏教者は、それがあるとみなしているのです。 そうみなすことが、信じることなのです。・・略・・

 なぜ、仏教は、お浄土があるとみなすのでしょうか?
 この世で、いくら富や名誉を獲得しようと、それを死後の世界に持ち込むことは出来ません。 もし仮に、お浄土があるとして、そのお浄土にもっていく事が出来るのは、この世で作った、−美しい思い出―だけです。 きっとそうだと思います。・・・略・・・
 お浄土を信じている人は、人生のどこかでの段階で、お浄土にもって行く、「美しい思い出」を作ろうとします。
・ ・・・略・・・
お浄土があるとみなし、お浄土の存在を信じられた時、「美しい思い出」を作る、持つような生き方ができるのです。
お浄土なんて嘘っぱちだと思っている人は、ただ富や名誉に執着するよりほかになさそうです。
 そういう人は気の毒だと、私は思っています。』

〜長い引用になりました。 これでも全体の文章の半分に縮小しました。
 もっと分かりやすく、例え話が引用されていたのですが、割愛させていただきました。
 自分自身のことを振り返ってみると、富や名誉を願望し、追いかけた月日であったと思わざるをえません。 
 「語るものを持った生き方」などと口にした事はありますが、それも物欲の延長戦上であったかと思います。 強いて、自己弁護するとしたならば、このまま進むと「ヤバイ」と気づかなかったわけではなかったのですが、放り出して逃げ出す事は自己欺瞞、あまりにも身勝手と感じたからだったからでしょうか。
 いや、少しは実行しているその事に時代の流れを感じていたこともありました。
 それをある程度の形にする事が出来るのならば、「語るものを持ったことになる」との思いがあったことは事実でした。
 が、「美しい思い出」作りと表現出来るような考え方ではなったとことは確かです。 
 そこで、今回ここに取り上げること気になったのでしょうか。
「美しい思い出」作りを今からでも始めてみようと思っているこのごろです。



NO.86
                                               平成16年10月17日

【ダイエー、自主再建を断念 
  再生機構に支援要請 ダイエー苦渋の選択】

 10月14日の朝刊の見だしである。
 今更の問題であるが、やはり不良債権問題の最大の課題であった事は確かである。
 その影響力が余りのも大きくて政府が(小泉内閣)一度は潰せないとの判断から、銀行団に支援要請をした経緯のある、問題先延ばしの課題であった。
 先が見えているのにその場限りの対応をしてきた冴えたる課題であった。
 その事をどうこう言おうというのではない。

 ダイエーというのは私にとって青年期から30代〜40代前半に命燃え立たせてくれた企業名であった。
 同じ産業、業態の流通業に在籍していた事にもより、ダイエーの成長発展、活躍は同時に私のエネルギーを掻きたてたものであった。
 負けたくないというよりは既に当時のダイエーは流通業界のトップ「百貨店三越」を追い越してトップとなり、着々と全国展開に乗り出していった。
 押しつぶされるのではないかとも思ったほどであった。 が、一方ではダイエーの活躍はこの業界の成長・発展の可能性を示すものであり頼もしく、「よーし、やったるぜ!」とも奮い立たせてくれた。

 「我々の行くところ幸せあり  我々のあるところ幸せあり との信念を持って
 明るい社会作りに貢献する」 との社是・スローガンに燃えたものである。

 バブル崩壊後の2〜3年後より、大手流通業界は他の産業、業界と同様に低迷していった。 今期の中間決算の状況を見ても構造不況業種で、製造業がリストラ、事業の再編によって最悪期を脱したと報じられる中、冴えない状況が続いている。
 
ここで一丁上がりの私が今後の流通業の戦略や戦術を提案するというのではない。
このコラムで取り上げるのも止めようと新聞を廃品回収の束に縛りこもうと思ったところ、再度目にしたので、ここはたとえ一言でもあれほどに燃え立たせてくれた会社、トップN社長のことに感謝を込めて記録を残しておくべきと考え直してここまで入力しました。
 
年金生活者として、又かってその業界に在籍した者としてこれからの流通業の一つのあり方を別途提案してみたい。
 だって、あれほど奮い立たせてくれたダイエーの終焉をただ傍観しているのは申し訳ないと思うからであります。
 時は常に流れ、新たなる時代がまた創造されてゆきます。

 
 




NO.85
                                               平成16年10月16日

【BMD環・健・美・農・育 情報通信 NO39より
   コラム“そよ風” 近藤和子 さん】

 この情報通信をこのコラムで取り上げるのは初めてとおもいます。
 平成7年11月15日に「科学技術基本法」が施行されました。
 この基本法は今後のわが国の科学技術政策の基本的な枠組みを与えるものです。
 また、わが国が、21世紀にむけて「科学技術創造立国」をめざして科学技術の振興を強力に推進してゆく上でのバックボーンとして位置付けられる法律です。(内閣府ホームページより抜粋)
 そして平成11年1月の総理は年頭の辞で微細科学を基本とした「ナノテクノロジー」による「科学技術創造立国」を目指す事を宣言しました。
 その分野は情報通信・医療・環境・ライフサイエンス・材料・・とされています。

 以上のことすら私には正確に認識できない事です。 
が、学問には目に見えない世界は含めないとされていたのが、目に見えない微細な科学を含む総合科学の構築とその総合科学の構築とその総合科学を基本とした法律の施行、それに基づく日本の社会が生まれる、指向しようとしていると宣言したと受け止められました。
この微細な世界に注目して研究を続けてこられたのが、今回紹介する近藤 和子さんです。
 私は10数年前に書物によって知り、それ以来開発された商品の一部をつかわせていただいています。 毎月送られてくる通信の中の“そよ風”というコラムからです。

『微細な科学を基本とした新しい時代は、感性が感情を制するようになり、21世紀は心の時代になるといわれています。
 この考え方を受け継いでいるのか、今日本の国は「人と自然にやさしい」という基本法を作り、各省もこの考え方を基本とし、より現実的に具体的に基本計画を作成しています。
・ ・・中略・・
 この基本法が生まれた要因は人間の知恵ではなく、地球の営みという現状が先行しており、自然に対しては過去の失敗を反省し、再生させ、人においては、感情から感性へハードからソフトへと変化を助ける内容であり、個々の力が反映する民間主導型の社会作りを助けるものであり、今までとは違うと信じています。』

〜この方の文章内容は何時も私には難しく感じます。 私が文系思考であり理系思考が弱い事にもよるのでしょうが、それでも見えない世界の事には関心があると同時に、その存在をどちらかというと信じているので、何とか理解しているつもりでいる。
 
本日の午後は「波動の会」の定例会で名古屋・伏見に出掛け仲間と会います。 
かっては「波動」というだけで敬遠する方が多かったが(何かの宗教といぶかって)、ここ数年社会の不透明感から不安・不信・不満の中、少しは耳を傾けてくれる方もいる。
 が、今度は私が語る情熱が失せたというか、疲れてしまって、その日の来るのを待つしかないかと、その事に対する口数は少なくなっているというのが実情である。
 月一度の仲間との会合で、新時代の到来と其の時の心構えと行動を密かに言い聞かしている私であり、一日でもある。
 



NO.84
                                               平成16年10月12日

【〔あめんぼに 夕立〕 「続け字」 田辺 聖子
中日新聞 10月10日 朝刊より

 ・・・、若い女性向けの雑誌に、「楽しい人生のヒント」というようなエッセイを依頼され、次のような提案をしてみた。
 <まず、人生は常にバラ色、と信じること>
 <人生は夢見るに値する>
 <人生を手に入れるには小さな努力、大きな勇気を忘れないで>
 その原稿がゲラになってFAXで流れてきた。 余白に編集者の定規をあてたような筆跡。
 <先生、面白いお原稿を有難うとうございました。 お金は常にバラ色、金は夢見るに値する、金を手に入れるには小さな努力、大きな勇気―なんて意表をついて面白いです>
 私はゲラを見て驚倒した。 人生が全て金になっている。』

 〜既にお分かりの事と思いますが、「人」と「生」が「続け字」で書かれていたので、「金」となって読まれたということである。 笑えて、早速切り抜いた。
 「人生」全て「金」と読んだ、多分若い編集者であろう。 教養もあり、高い知識レベルの方であろう編集者にしてこの始末である。いつ何時崩壊してもおかしくない時代になった証拠でもあろうか。それともやはり「人生」は「金」なりや?

 私は自他共に認識する、“悪筆に加えて、乱雑な字である”
 読み慣れた妹でさえ、「3度読み直して、やっとなんとなく分かる」と何時も言われる。
 田辺さんのこのエッセイを読んで、結構筆まめな私の出した手紙、ハガキはどのように読まれたことであろうか・・・

 近頃の若い人の書く字は活字のような真四角か、小さく収まった丸文字で個性がない。
 誰にも何も言われないように活字のようになるか(突っ張るか)、周りを気にして柔らかく、棘のない丸まった文字になるのであろうか。
 悪筆で乱雑な文字、少し気をつけて書いてみようとは反省するのだが・・・



NO.83
                                               平成16年10月2日

【信頼とリストラなき全員野球
  落合竜 有言実行V「守りの野球」花開く】
 10月2日 中日新聞より

 NO82で「新リーダーシップ論と落合采配」を書くとは言ったものの、中心点を定めきれずに、新聞を何度も何度も読み返してみた。
 結論は“一に信頼、二に信頼 チームワークと共生”とに至った。
 
 いつの時代もどんな資質と才能を持った個人の集団であるかは問われる。
それに対して落合監督は『皆プロ、この世界に入ってくる奴は、みんな非凡な才能をもっている。一流なのだ』と選手を認めるところから始まった。
 とはいえ、チームは仲良しクラブではない。競争社会の中ではチームが勝つことによって初めてチームの、そして球界の共生が可能となる。
 今年の中日は一軍、二軍の合同キャンプで始まり、選手が横一線デスタートした。
 
 落合監督自身、輝かしい実績を残しているが、初めからエリート選手としてこの世界に入ってきたわけではない。 それゆえに選手の痛みが分かる。
 『オレは一山いくらでこの世界に入ってきた人間、エリートとは違う』
 強い反骨心と人には見せない練習量があった。『努力は裏切らない』
 リーダーシップの技術の一つに、「コーチする能力、弟子を教育する技術、人の能力を開発する技術」がある。 監督は個々人の力量に見切りをつけることなく、プロとして入団してきた選手の才能、資質など可能性を見出し、引き出した。
 
 今では中日の先頭打者として無くてはならない荒木選手、『打てなくて良い。 お前の守備は一級品なんだから、安心して戦え』といった。 安心でき、また常に試合に出場する事によって、経験が自信となって井端選手との日本一の二遊間コンビとなったばかりか、見違えるような高打率を残す事になった。
 ベテラン立浪も同じこと、開幕当初の大不調の間も使い続けた。『外されて当たり前』、そこでベテランは『胸が熱くなった』という。
 その後の特に6〜7月の活躍は目を見張るものがあった。

以上を振り返ってみると“我慢でなく、選手を信じ続けた”。選手を認める事によって信頼を生み出したといえる。
 しかも、目標は「日本一」と言い続け、成功=目標を明確にして戦い続けた。
 セリーグ優勝を決め、次は日本シリーズである。 口で言うほど生易しいものではないだろうが、粘り強く、あきらめない、コツコツと繋ぎの野球、更に加えて内外野の鉄壁な守備、次々と繰り出す投手陣の陣容を考えると夢は膨らむ。

 これは単にプロ野球の世界というだけでなく、ホームラン数は一位の巨人の40%、チーム打率もセリーグの第5位と下位にありながら、若手、ベテランの個性が融合し結果をだしたこと。
 組織の歯車として使い捨てる社会・会社組織、目先の利益にとらわれて安易なリストラの事しか頭に無い経営に対して、中高年サラリーマンに希望を与えた事、会社運営のあり方にも大いなる一石を投じた事になった。
 グローバルスタンダード・アメリカ流、市場原理一辺倒のやり方に限界をみる。
 赤字体質という球界改革にも、まさに大いなるモデルを示したということになる。
 ご贔屓チームのこといささか、我田引水になったであろうか。
 

NO.82
                                               平成16年10月2日

【中日5年ぶり 優勝選手信頼戦力底上げ】
  10月1日 中日新聞より

  時間の問題であったとはいえ、この記事が掲載される日が待ちどうしかった。
 これまた落合流というのか、ヤクルトが巨人に負けての優勝決定。(どんな形でも勝てばよい。 優勝は優勝) 
対広島、中日が延長12回に破れ、さあ〜胴上げというのにブラウン管を通してみていると、素直に喜べないというか、一気に盛り上がらない光景が続く。 
やっとダイヤモンドで落合監督の胴上げが始まった頃より、選手に笑顔がみられた。
 本日は其の時の私自身の感想、感激を述べるというのではない。
 少々天邪鬼の性格故に、時間をいま少し戻したい。 いささかイライラさせられたプロ野球再編に絡むスト問題、「プロ野球ストと新リーダーシップ論」です。
 私の自称師匠である、藤原直哉さんの勉強会テープを参考にして、まとめたものである。

 今回の騒動は選手会側に理と戦略があった。
 それは「プロ野球選手会公式ホームページ」にも掲載されている。
・ 選手側は“プロ野球は誰のものか? 何のためにあるのか?”と提起していた。
それに故に、一部の球団に戦力と資金が集中するのを見直す事と言っている。
それに対して経営者側は私利私欲、自分勝手な球団の資本の論理であった。
<過去に「女子競輪があったという。 2〜3人の圧倒的に強い選手がいて、常に勝敗が決まっていた。結局勝負事、賭け事にならずに、廃止となった>

・ <選手会行動5か条>の中に
「選手会は、公式メデイアとして、ホームページを活用し、広く情報を開示します」とある。
新聞、テレビのマスメデイアではなく、インターネット・ホームページを活用するという戦略が効果を発した。 一部マスコミに支配、歪められているマスメデイアではなく、本当に球団を愛するファンはインターネットで情報を知り、メールで応えた。
 <現在イラクで起きているアメリカ、アメリカ軍はインターネットで刻々と情報が公開されている事により、真実の情報戦によって苦境に立っている。いや負け戦を強いられているといえる>
 
 9月19日(スト決行の日)東京銀座・ヤマハホールで「みんな野球が好きなんだ」〜ファンの皆様と選手の集いが開催された。
 この情報はマスメデイアでは報道されていない。 スターと一般の人という関係、普段、ブラウン管の向こうにいる人という関係でない集いであった。
 このことを通じて選手もファンのためという仕事と実感した事だろう。
 元気、感動を与えるという天命を持った人=選手=スパースターであると・・

・ 野球は文化財である。
文化財は決して経営者、オーナーが所有するもの、どうしても良いというものではない。 一時お預かりしているものという価値のものである。
これは美術館、楽団、劇団、ホテル、球団も同じことで、歴史の中の使命感をもっている。 自分の宝物として見せびらかすものではない。
すなわち、地域、国民文化に根ざしたもの。“皆のモノ”なのだ。

以上の3点からの考察に見られるように、今回のプロ野球の再編問題から端を発したストライキ問題は新時代に向かって変革の時が流れている今、今後のあるべき「新リーダーシップのあり方」を示しているといえる。
師匠の意を十分に汲んでまとめでないとすれば、全て私の至らなさです
これに続いて、中日・落合監督の采配が如何に新リーダーシップ論にかなったものかを紹介しようと思います。

NO.81                                               平成16年9月24日

【この人 中日新聞9月24日朝刊より
    米大統領選の国際投票を呼び掛ける  上村英明さん】
 

 『米国は圧倒的な経済力と軍事力で世界の隅々まで影響力を及ぼす。
 「影響を受ける側にも米大統領選に意見を表明する権利はある」とインターネットで国際投票を始めた。 ホームページはhttp://www.choice21.org
 自らがかかわる国連での先住民族の権利宣言作戦も米国の“妨害”で難航中だ。 
「話し合いを積み重ね、人類社会を皆で作るという国際社会の土台がこの4年間でむちゃくちゃになった。 黙っていられない」』

 上記のことは10月16日に選挙結果が公表されるという関心を持って見守りたい。
 本日中には第二次小泉改造内閣の顔ぶれが決まるというが、これだけアメリカ・ブッシュの言いなりになっている(いや、主体性を持って追随している)我が国の首相の言動、行動もさることながらこの国際投票に一票を投じる事にした。
 このようなインターネトの活用のあるのかと感心するやら、この横に広がるエネルギーは世界を駆け巡るネットワークとなって、情報が飛び交うと同時に何をどのように選択して判断してゆくのかが問われると感じないわけにはいかない。

 秋雨前線が太平洋上に留まり本日も本降りが続いている。
 昨日蒔いた種は雨で流されてはいないだろうか?
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