【“思うままに 哲学者 梅原 猛
「梅を考える」 1月24日 夕刊より
コラム1−D NO176で梅原さんが「80歳になってやっと花の美しさが分かってきた。 これからは花を楽しみたい」と書かれていたので紹介した。
私は哲学者の梅原さんならどんな観点、視点より花を鑑賞し、感じたことを書かれるのか楽しみであると記しました。 その後に、今回の事が掲載されました。
前段で、梅原家の祖先の事を語られて、
「・・・・梅原家は自分の血の気の多さをかんがえると、おとなしい農民であるより、伊吹山の中腹に住む山伏のほうがふさわしいと思った」と書かれた後。
「・・・、梅原家の姓に梅の字があるばかりでなく、梅原家の家紋は「梅鉢」で、菅原道真公の家紋とまったく同じである。 それに私は道真公と同じ丑年うまれである。 ・・・・・・(中略)、 艶福家で大変子供の多かった道真公の血が私の中にも流れている事はまんざらあり得ないことでもあるまい。
道真公といえば、「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れるな」という歌で有名である。
梅の花には古来清楚な役人のイメージが伴う。 「万葉集」で一番読まれた花は梅であるが、「古今集」において桜に王者を奪われてしまった。
・ ・(中略)・・・
梅についてほとんど関心を持たなかったが、昨秋、『「縮み」志向の日本人』の著者で日本でも有名な韓国の李・御寧(オリョン)氏の梅に関する講演を聞いて、梅の花に対する考えを変えた。
日本では桜、韓国ではムクゲ、中国では牡丹がそれぞれの国の花ではあるが、三国共通に尊ばれる花は梅である、梅は寒い冬の日にいち早く香り高い清楚な花を咲かせる、それはまさに気品高い人間の象徴ではないかというのである。
それを聴いて梅の木を植えたいと思った。』
〜三国共通で尊ばれる花があることは貴重なこと、嬉しいことである。
今も、そして今後ますます、アジアの、いやユーラシア大陸の、いやいや世界から注目される北東アジアの3国としての地位が高まっていくであろう。 がしかし、過去の歴史において友好と親しみ近親間と同時に、争い憎しみ合う関係にもあった。
21世紀になった今も時間の経過と共に、互いに切り離せない関係にますますありながら、一方で複雑な感情を抱いての駆け引きがなされている。
近隣諸国の関係、国内問題をそれぞれに抱えて一朝一夕には解決はなされないであろうが、スポーツ・文化交流と共に、国のリーダーは寒空に凛と咲き、心安らげる香の流れる梅園に集い、胸襟を開いて新時代を創出すべく場を設けるべきである。
<誰の何処が悪いと言い争っても・・・>始まらないというのは、何事も忘れ、水に流すODNを持った日本人の性質なのであろうか?
自己の清潔さを訴えたが、罪を得て大宰府に流された道真公ならば、なんとこの時代を詠むのでしょうか?
“変わらぬは梅の楚と香ばかりなり”というのでしょうか?・・・・・
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