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NO.110
                                 平成17年1月30日

 【“思うままに 哲学者 梅原 猛
    「梅を考える」  1月24日 夕刊より

 

 コラム1−D NO176で梅原さんが「80歳になってやっと花の美しさが分かってきた。 これからは花を楽しみたい」と書かれていたので紹介した。 
 私は哲学者の梅原さんならどんな観点、視点より花を鑑賞し、感じたことを書かれるのか楽しみであると記しました。 その後に、今回の事が掲載されました。
 
前段で、梅原家の祖先の事を語られて、
「・・・・梅原家は自分の血の気の多さをかんがえると、おとなしい農民であるより、伊吹山の中腹に住む山伏のほうがふさわしいと思った」と書かれた後。
「・・・、梅原家の姓に梅の字があるばかりでなく、梅原家の家紋は「梅鉢」で、菅原道真公の家紋とまったく同じである。 それに私は道真公と同じ丑年うまれである。 ・・・・・・(中略)、 艶福家で大変子供の多かった道真公の血が私の中にも流れている事はまんざらあり得ないことでもあるまい。
道真公といえば、「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れるな」という歌で有名である。
梅の花には古来清楚な役人のイメージが伴う。 「万葉集」で一番読まれた花は梅であるが、「古今集」において桜に王者を奪われてしまった。
・ ・(中略)・・・
 梅についてほとんど関心を持たなかったが、昨秋、『「縮み」志向の日本人』の著者で日本でも有名な韓国の李・御寧(オリョン)氏の梅に関する講演を聞いて、梅の花に対する考えを変えた。
 日本では桜、韓国ではムクゲ、中国では牡丹がそれぞれの国の花ではあるが、三国共通に尊ばれる花は梅である、梅は寒い冬の日にいち早く香り高い清楚な花を咲かせる、それはまさに気品高い人間の象徴ではないかというのである。
 それを聴いて梅の木を植えたいと思った。』

 〜三国共通で尊ばれる花があることは貴重なこと、嬉しいことである。
 今も、そして今後ますます、アジアの、いやユーラシア大陸の、いやいや世界から注目される北東アジアの3国としての地位が高まっていくであろう。 がしかし、過去の歴史において友好と親しみ近親間と同時に、争い憎しみ合う関係にもあった。 
21世紀になった今も時間の経過と共に、互いに切り離せない関係にますますありながら、一方で複雑な感情を抱いての駆け引きがなされている。 
近隣諸国の関係、国内問題をそれぞれに抱えて一朝一夕には解決はなされないであろうが、スポーツ・文化交流と共に、国のリーダーは寒空に凛と咲き、心安らげる香の流れる梅園に集い、胸襟を開いて新時代を創出すべく場を設けるべきである。
<誰の何処が悪いと言い争っても・・・>始まらないというのは、何事も忘れ、水に流すODNを持った日本人の性質なのであろうか?
自己の清潔さを訴えたが、罪を得て大宰府に流された道真公ならば、なんとこの時代を詠むのでしょうか?
“変わらぬは梅の楚と香ばかりなり”というのでしょうか?・・・・・ 




NO.109
                                 平成17年1月29日

 “ついに、やっと、時代の転換期である事の証明か?”

 12年間会員となり、ファンとなり読み続けてきた週間情報がある。
 それがこの2月で一時休刊となる。 そのことは既に2ヶ月前に伝えられていたが、1月28日に改めてそのことがFAX通信で伝えられた。
 『人生の成功者の条件は、単純で素直である事。 この条件を十分に満たしている僕は、自らがいまがチャンスと見極めたこの時に熱中している』と記されている。(これまで築いてきた人脈と、投資先に全ての時間を注入するという事であろう)
 
それはそれで良い、今から12年前、この筆者の書き・語る事に接した時、ヒラメキというか、勘というか、吸い込まれるように会員登録をしていた。
 そればかりかその数年後、彼が『金銭的に全てを失ったその時に、その失敗の原因を語りつつ、それでも夢を語り、再び立ち上がる』ことを宣言した時には、ファンを超えていた私であった。
 私には到底描けないほどの大きな未来を語り、そこに到る道筋の一つを示し、行き詰まりを感じている時代に風穴を開けてくれる人物ではないかと・・・
 その思いが限られた貯えの中から彼の発行する債券を購入した。 ゼロ金利時代の中3%の金利は正確に振り込まれてきた。 数年後、株式に転換した。 

 28日届いた通信の中に次の文面を見た。
 『書き飽きた。 読者も読み疲れたに違いない。 もう僕には書き続ける余力がなさそうだ。 最後に弱音を吐いてどうする。 今日が最後だ。 旅先の懐かしい光景が想い出させる。』と
 そのところにアンダーラインをひいて、こんな事を記した。
 <馬鹿者、エネルギー切れが終わりの時だ>と

 数行下にはこんなことも書いてある。
 『時代の波も見えてきた。 さて僕はこれからの人生、何を追い駆けてゆくのか・・・。
 涙にならない感情が僕の体を走る』
 
〜彼が12年前に感じたアメリカの崩壊、資本主義・金&金の世界の行き詰まりの時代は確かに終焉を迎えている事には同感である。 が、そうだからといって、『書き飽きた。 読み飽きたに違いない』との言には承服しかねる。
 ここから、これから始まるのではないか。 『これから何を追い駆けていくのか・・・』というのは言語道断である。 
 全てを失った時以上の金銭を手にしたことも確かであろうが、それ故にであろうか、描いていた夢、多くの人に与え続けていた希望を置き去りにしている発言ではないか。
 
そのFAX情報を手にして2日の時間が過ぎた。
 そして今感じるのはこうして先見力があった人がこんな発言を始めたという事は、まさにここから時代が具体的に、目に見えて変化してゆく時ではないだろうかと・・・
 同時に夢や希望を語り、伝えてくれた事に感謝をしなければと思うと同時に、私の中に“人頼りの姿勢”が潜んでいるのではないかと自問・反省した。
 

 
 
 





NO.108
                                   平成17年1月21日

 【藤原 直哉さんの ワールドレポートNO448より】
    日本が世界の見本に?

 ・・・・『フィンランド生まれの民主党の参議院議員ツルネン・マルテイ氏は年初のメルマガで「現代文明では、人間と自然との共生が断絶されているので真の平和は訪れない。
 日本の国際規模の使命は、昔の日本にあった競争のない自然と調和した暮らしが、世界に新しい真の平和をもたらすということを示すところにあると思う」と述べておられる。
 
 我々日本人は巨大な天災に遭遇すると、これは天からの警告だと素直に感じることが多いものですが、西欧の無神論者は余り思わず、自然との闘いで人間が負ているから、体勢を立て直してあらためて対峙しなければならないと思うようです。
 ですから無神論者がいう環境問題というのは、基本的には自然に負けないために人間は攻撃から一歩後退して、もっと穏やかに自然と対峙すべきだいうことであり、自然との共生といった場合には自然と人間の勢力均衡、棲み分け、取引という話になってしまいます。
 (中略)
 人間と自然の相乗効果、ウイン・ウイン(勝・勝)という事が理解できないのです。
 西欧社会では普通それはウイン・ルーズ(勝・負)の関係で考えるものであり、巨大な災害に遭遇しても、それは天の警告だとおもわずに、自然に負けたから戦略を立て直して今度は勝てるようにしようというような話になってしまいます。
 そのようなウイン・ルーズの考え方の人々が、今度の大津波を目の当りにして、これは人間社会の完敗だ、これは到底自然に勝てないと感じ、すっかり落ち込んでしまった様子です。

 人間と自然の関係をウイン・ウインで考えていた人はこういう大災害を目の当りにしてますます謙虚になり、頭が澄み、腹に力が湧いてくるのに対して、ウイン・ルーズで考えていた人はそれとは正反対に頭がパニックをおこして、スッカリ腰が抜けてしまうのです。
 ラビバトラも世界の変わり目には天変地異が起こるといいます。
 日本人にはある意味で常識のような事ですが、西洋の無神論者にはただの迷信でしかありません。 (中略)
 自然の驚異が世の中を浄化するプロセスとはこういう仕組みなのかと、いまさらながら感心します。
 一般に無神論者は人間は賢いから自然に勝てると思っていますが、自然や神、仏、天など至高者を信じている人は、人間も自然の一部だと思っています。
 無神論者は人間の考えた目標を自分の賢さによって自然を利用しながら達成しようと考えますが、至高者を信じている人は、至高者が考えた目標を人間と自然の協力によって達成しようと考えます。
 賢さで生きる人は競争によってエネルギーを手にして、協力を大事にする人は共生によってエネルギーを手にします。
 日本人は無宗教の国とよくいわれますが、実際には言葉や経典にならない至高者を多くの日本人は信じていて(いや、信じてきて)、そのため(昔の)日本が共生論の世界の見本だというのです。

 昨年からの世界の動きをみていて、これからは日本の時代だと確信できるようになりました。
 米国がテロ戦争で、欧州が大津波で腰が抜けた今、舞台は日本に回ってきたようです。
 現在の日本政府が崩壊して日本は蘇る。
 西欧の無神論者に悪乗りした現在の日本政府が崩壊する事で、世界が見本となるような昔の日本が蘇る。
 要するにこれが天のシナリオなのでしょう。 だから何をどうやっても日本政府は立ち直らないし、逆から言えば米国の無神論政権がイラク戦争で実質的にコケ、欧州の無神論者が大津波で腰を抜かし、最後に日本政府、すなわち西欧の無神論に悪乗りした「嫌な連中」がひっくり返ることで、昔の共生論の日本が浮かび上がってくる。

 最後のカードは米国でも、欧州でもなく、実は日本だということです。
 (という事は今の日本政府の連中こそ世界最強の抵抗勢力だという事です)
 決して今の日本がそのまま世界を率いるのではなく、昔の日本が世界を率いるという事ですから、今の日本人の中にも日本政府共々淘汰される人が出てくるということです。
 気持ちと行動を切り替えない限り、世界の見本となる日本では生きていかれないようになるということです。

 これはものすごい結論です。
 何か昨年から今年にかけて、整理されるべき古い時代は第4コーナーを回り、いよいよ最終直線コースに入ってきた感じです。』


 〜物凄い結論を書き切ってしまうのですから超驚きです。 
 小泉首相の“サプライズ人事”などテンで問題になりません。
 武部自民幹事長が就任の時「驚天動地」と口にされましたが、上記のレポートを読んだらなんということでしょうか? 
「何を言っておるか、改革なくして成長なし」と道路公団民営化、年金問題、三位一体改革、全て立派に(中途半端に)成し遂げ、今こそ郵政民営化が本年最大の政治課題と御給っている小泉首相は笑いとばすのでしょうか?

 師と仰いでいる藤原さんですが、この11年間、毎週世界の情勢を解説されてきましたが、こんな思い切った結論を活字にしたことはありません。
きっと、10年に渡りあらゆる情報を分析、評価し、思考熟慮というより何かしらのヒラメキによって得られた確信ではないかと私は思うのです。
 藤原さんは宗教家でも、霊能者でもありません。
非常に真面目で人を驚かせようと企むような方とは到底思えません。 極めて頭脳明晰であらゆることに造詣の深い勉強家です。

私がどんなに藤原さんのことを言ったとしても、お読みいただいている方には信じ難いことでしょう。 かく言う私ですら、全面的にそうだ、其の時がやってきたとは言い切れませんもの・・・
 それでも日本人なら大半の人が昨年から日本で、世界で次々に起こる自然災害の数々について、「これはどこか異常ではないか、天の何かの啓示ではないか」と感じておられるのではないでしょうか。
先行きの事は誰も知らず、どうなるかも判りませんがその時になって「ウロウロ、オロオロ」を少しでもしないように心したいと思っています。

 
  追記
今後このように長くなるものはコラム掲載は止めて、エッセイのほうに掲載いたします。
 その折はコラムにて「どんなタイトルのものを。何処に掲載したか」を書き込む事にします。 今回もこんなに長くなるとは思っていませんでしたので、すいません。
 お叱りを受ける前に 
 



NO.107
                                   平成17年1月15日

 【中国とインド 21世紀の主役
       日本は選択の時 追随か対立か 】
   〜1月15日 中日新聞 朝刊より〜

 『米中央情報局(CIA)などで組織する国家情報会議(NIC)は13日、2020の世界情勢を予測した報告書を発表。 
 「世界の新しい主要プレーヤー」として中国とインドが台頭することにより、21世紀は両国に率いられた「アジアの世紀」になり、「日本は中国に対抗するか、追随するかの選択を迫られる」と指摘した。
 アジア地域の火種である朝鮮半島、台湾海峡のいずれの情勢も15年以内に「重大な局面が訪れる」と予測。
 これをどう解決するかによって、アジアにおける米国の将来の役割、日本の地位が規定されると強調した。
 2020年の時点で米国はあらゆる次元で最も重要な国であり続けるとして、米国中心の構造は維持されるとしながら、中国とインドの台頭は19世紀のドイツ、20世紀の米国に四敵し、地政学上「劇的なインパクト」を与えると指摘。』

 〜順当な分析、評価であろう。 が、あくまでもアメリカの立場、希望を根底に置いた情勢分析であると冷静に読まなければならない。
 穿った読み方、見方をすれば、朝鮮半島、台湾海峡を常に緊張状況にして置くことが、アメリカの国益に合致しているとの思いが潜んでいるのではないか。
 イラクの占領政策の失敗、戦略の行き詰まりを何とか取り戻さなくてはならないアメリカ。 スマトラ沖地震でのすばやい対応は国際社会でのアメリカ貢献の姿を見せなければとの思いによるところが大いに感じる。(それでも、救援・復興にかかわるなら結構である)

 さて、我が日本のリーダーたちはこの分析・評価をいかに読んでいるのか聞いてみたい。
 アメリカがそう言うならそうであろう、そのアメリカが如何なる戦略を今後とるのかを見定めようなどと受身の考えでない事を期待する。
 自らの意思で今後日本のとるべき道を提起してもらいたい。
 少子・高齢社会は現実である。 年金も、健康保険も、介護保険も現実問題であり、将来問題でもある。 郵政民営化も改革すべき一つではあろうが最大で、最重要な課題であろうか。 
 今時代は文明の変革期の中にあるとおもいます。 未来を展望した、厳しい分析と評価、今までの修正や改革などでは到底対応不可能な時に有ると考えます。 
日本の今後の針路、あるべき姿を描く事の必要性を強く感じる年の初めです。
 
  憲法問題はその一つです、国民のひとりとして強い関心を持っていたい。
 
 

 






NO.106
                                   平成17年1月15日

  中日新聞 “編集長デスク”より
        「力士とケータイ」

 タイトルは「力士とケータイ」で日本の力士が外国の力士に比べて強くなれないのは
『稽古でしごき、水をぶっかけ、又稽古に励む。 ふらふらになってチャンコを食べ、寝る、と言う毎日である。  問題はフトンに入ってからだ。 「今の若い衆は、布団の中からケータイで母親や彼女に電話する。 こんな稽古は堪らん、なんていっているのかね。 辛抱とか我慢の空気が抜けちゃうんだ。 だが、モンゴルやロシアにはケータイがかからん」とある親方が言ったと紹介されていた。 この話、現代日本の精神構造論のようで、辛抱や我慢と言う「待つ時間」を体験してしか人間の精神は育たないのではないか』 と書かれていた。

 上記の話も面白かったが以下に続く事のほうに更に興味を持った・
 『「一休さん」の話である。 あの明るさと、とんち、ユーモア。 後小松天皇の子にして徳望、学識抜群の高僧でありながら、酒は飲む、遊郭にあがる、恋にはまる。 なのに、だれからも愛される。 この自由な精神の根っこには、若い頃の死を覚悟した厳しい修行があった。修行を通じて一休は、死も、生も、権力も、金も、何物にも怖れぬ自由と勇気を身につける。 一休の名の由来はこんな歌から着ている。   
「有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み 
雨降らばふれ 風吹かばふけ』
有漏路は煩悩多き俗世界、無漏路は清らかな悟りの世界。 人生、いはば、2つの世界の間の「一休み」なのだという悟りこそ、自由と勇気の元というわけである』
 
 〜さて、私「山の修行、里の修行」といって27年の月日は過ごしてまいりましたが、有漏路の世界(里の世界)ばかりにて修行をしているのでございます。 さりとて、これまた並みの辛苦ではありません。 お上さんもいれば、神さんもおられます。
 皆様、寒中御身体御いたわりくださいます事、祈念申し上げます。
 
追記
 只今、里の修行のお話をお聞かせいただいたり、読み返したり、思い出したりして半フィクションにて創作入力しております。 
いずれ誰様にも差し支えなき時が着ましたなら、(少々思わせぶり)掲載する予定でございます。  雨降らばふれ、風吹かばふけの心境にまでは至っておりませんので・・・
 想像力と記憶が消えうせる前にと作業を始めてたのでございます。

 

  





NO.105
                                   平成17年1月13日

 阪神・淡路の震災から10年となります
  〜今朝、テレビをチラッとみていて〜

 

  何処のテレビ局か、何の番組かは知りませんでしたが、心に留まる一言がありました。
 神戸のある小学校6年3組の友達の絆
 担任の先生は児童らが自由に書きとめたものを、一冊のつづりとして定期的に発行していた。 そんなある日震災にあった。 41人の級友のうち一人の少女が犠牲となった。
 亡くなった少女の事は皆口にこそしなかったが、時間の経過と友に“つづり”には思い出が書き加えられるようなった。
 震災後大阪に移住した少女のお母さんから手紙が来た。 そこに書かれていた内容は
 『皆さんお元気ですか。M子のことを忘れないでありがとう。 
 一人で生きてゆくだけで大変な時代です。 M子を思い2人分まで頑張ろうとするとそれこそ大変です。 どうぞ、一人ひとりそれぞれに頑張ってください。』
 
 その後の“つづり”の内容は明るく、元気のあるものに変わっていったという。
 その子らが小学校を卒業する時、10年後に校門の前で合おうと約束して巣立っていった。そして10年後の今年、彼らは22歳になり、先生を囲んだ。
 小学校の先生になり「自分も生徒の心に残る何かをやりたい」と語る青年もいたし、M子と一緒にピアノの練習を始めた友達はやめようと思ったこともあったが、そのたびにM子を思い出し、今はプロの道を目指していると言う。

正しくは記憶にとどめられなかったが、上記のような内容であったと思う。
 彼らの道はスタートしたばかりである、10年前に体験した大災害から何もなかった子らに比べて一つ深く・強い絆を感じた。

 と同時に、M子さんのお母さんに敬服した。
 私なら「どうぞM子の分も頑張ってね」と言うことだろう。
 生きると言う事に余程の重みを感じていられた。 命の尊さを知り、受け止めておられた方だろう。 
朝からイラクのことや、スマトラ沖のことを思い、真っ青な雲ひとつない空を見上げた。
 




NO.104
                                   平成17年1月5日

 これからの名古屋、愛知、東海、中部 
        残念なり 

 
 『4月に予定されていた名古屋市長選への立候補をいったん表明しながら、出馬断念の意向を固めていた民主党の衆院議員河村たけし氏(56)=愛知1区=は4日午前、名古屋市東区の事務所で、「民主党の応援をもらえないと、(市長選は)どうにもならんと思った。非常に残念」と述べ、出馬しない意向を表明した。
 推薦を要請していた民主党から、出馬を辞めるよう説得されたためで、「力不足で申し訳なかった」と語った。』

 〜見出し写真の内、一番左は1月4日の朝刊,第12版のTOP記事です。
 他は同日、夕刊の見出しです。
 1月5日の朝刊に「河村氏 断念っ!」というタイトルで出馬断念にいたる経緯が掲載されているが、本当のところは知る由もない。

 河村氏の戦略、見通しの甘さ、あるいは庶民的ではあるが、少々品位に欠ける発言が問題と指摘されてもいたが、掲げたテーマは的を得ていたと思っていた。
 市長の退職金・給与をはじめ、議院の報酬、又役人の給与も減額などを打ち上げていた。 刺激的過ぎたのであろうか?
 お役人様に意見を聞いたことがあるが、まったく当選などするわけがないと鼻にもかけていなかった。 
 たとえ、結果は予想されていた事とはいえ、波風を立てずに、なあ〜な〜、まあ〜ま〜との横並びの気風、リスクに挑戦しない名古屋、愛知の文化、体質。

 時代が大きく変化している今、県民、市民が歴史、文化、伝統に加え、豊かで恵まれた自然環境、名古屋圏の産業技術の集積は日本の誇れるものの最高クラスであるとの自覚と使命をもって、一人ひとりが今ここで考え、行動を起すチャンスの一つになるのではと思っていたのであるが残念なりである。
 
 「愛・地球博」の開幕、「中部国際空港・セントレア」の開港と華やかに展開される2005年である。 この日に向けて多大な社会資本の投資がなされた。
 この投資が一時の、限られた地域のものとして終わらないように、これらを生かし、そこから学び、より多くの国、地域への貢献とならなければならないと思います。
 
 本日の新聞の片隅に、名古屋財界首脳の言葉として「自分の力が分かっていないのではないか?」と河村氏を皮肉ったとあった。
 同時に別の財界人の言葉として「周囲の圧力があったのであろう。 有権者の見えないところで物事が決まるより、正々堂々と選挙で闘ってほしかった」とある。
 
 何が何処でどのように図られ、決せられているのかは到底知る事など出来ないが、閉鎖的な体質・文化では今進みつつある時代では通用しない組織・社会となるより仕方あるまい。
 それを切り開くなどと勇ましい事を言うこともなく、天の時は間違いなく流れている。
    




NO.103
                                   平成17年1月2日

  元旦の新聞より 〜中日新聞〜

 
  十数年前と比べると元旦の新聞が薄くなった。 中日新聞の場合は半分になったのではないだろうか。 今年も5部までの特別紙まではあったが、紙面数が減ったと思う。
 まず、「念頭所感」と題する官・民著名人のご挨拶のページが大幅に減った。
 バブル崩壊後の経費削減により、掲載しないことにしたのだろうか。
 あちらも掲載するからこちらも止める訳にもいかないとお付き合いをしていたが、私は私と独自性がでてきたのだろうか。

 さて、数ある特集の中から私の目を引いたのは以下の2項目であった。
 
  

 経済予測で一番外れないのが人口動態であるという。 明治以来右肩上がりのことしか知らない私たちにとって、如何なる社会の到来となるのだろうか。
 数々の政治・経済・社会予測がなされているが、ジワジワと押し寄せる高齢社会、活力が弱まりズルズルと世界の中でも発言力のない国になっていくのであろうか。
 それとも、静かで落ち着いた、各個人の個性が生かされた国となるのであろうか。

 「山をやっつけてしまった」これは目の前の物・金に目を奪われてきた私たちへの警告の何者でもない。 今からでも遅くない山を見直し、山に向かおう。
 
  愛称:『愛・地球博」(正式名称: 2005年日本国際博覧会、略称: 愛知万博)の公式キャラクター、モリゾーとキッコロを描いた絵本「もりのこえ」がある。
 モリゾーはキッコロに語る。 「もりは、みんなのものを、まもっているんじゃ。 でも、もりの こえは ちいさいからな。 だから、みみを すますことじゃよ」
 森の声もそうだけど、私の耳に聞こえないものがたくさんあるし、見えないものもたくさんある。 
 知らない間に、気ずかない間に多くの大切なものを”やっつけて”来てしまった。

 
 
 社説、発言欄に掲載されている「編集長デスク」小出宣昭さんの“きものと正月”を読んで、タンスからきものを引っ張り出した。 何年ぶりだろうか。 袴まで・・
 COLUMN 1−Dで参拝風景を掲載しますが、ニュータウン周辺の神社では1%以下の着物姿であった。
            
                      孫でも知人でもありません。おみくじ風景 

 




NO.101
                                   平成16年12月28日

 【藤原直哉のワールドレポート NO445より】
 バブル崩壊から15年目の年は・・ 


 『ペリー来航から15年で明治維新、 日中戦争から15年で敗戦、
 来年はバブル崩壊開始から15年です。 この間に多くの「津波」が日本を洗いました。
 
不動産・株式・ドル絶対論に乗った人。  年功序列絶対論に乗った人。
 大蔵省絶対論に乗った人。        銀行生保年金不沈論に乗ったひと。
 日本財政不滅論に乗った人。       右肩上がり経済不滅論に乗った人。
 大砲巨艦小売論に載った人。       東大絶対論に乗った人。
 医療・農業・法曹・宗教・北朝鮮・特定利権・公社公団・マスコミなど聖域論に乗った人。                  
 自民党あるいは旧竹下派絶対論に乗った人。国家権力絶対論に乗った人。
 ベンチャー絶対論に乗った人。      IT絶対論に乗った人。
 公務員絶対論に乗った人。        米国型改革絶対論に乗った人。
 競争原理絶対論に乗った人。       軍事力絶対論に乗った人。
 経営者絶対権力論に乗った人。 (内部告発、不払残業代請求などで崩壊)
 日米安保絶対論に乗った人。
 振り返ってみてみれば思想的には右も左も、数え切れない程多くの常識や思い上がりに津波が襲来し、そういうものに安心立命の基盤を置いていた人はあっと言う間に流されてしまった。
  恐らく来年は過去15年間の総仕上げのような整理が起こる年であり、これから新たに津波がやってくるところは次のようなところであろう。
@ 人命使い捨て論の限界〜東京医大の心臓病手術の実態
A 力任せ企業経営の崩壊〜米・露・中の大国の政治外交・日本の大企業
B 形式先行論〜大阪リッツカールトンホテルの食中毒事件

 来年もう1ランド日本の社会には津波がやってきて掃除が終わると、来年からいよいよ新しい時代の創造が本格化してゆく。
 この15年間に新しく日本に始まったものもたくさんあって、
 価値観の同じ人が集まってできる無数のネットワーク、
 私塾・NPO・ボランテイア・の急拡大  新しいリーダーシップへの関心
 環境・農業・観光・景観への新しい取り組み
 近隣国を含めて外国への新しい関心の高まり
 地域通貨・企業通貨・ネットワーク通過の勃興
 地域の治安を地元が守る流れの定着  アジアとの新たな連携
 ITの発達による新たな「顔見知り」社会の勃興  仕事より生活を重視する姿勢
 
 恐らく来年はこういう新しい動きを統合するような働きが日本の各地や各組織に現れてきて、新しい日本の形創りが本格化するはずです。
 ・・・・・中略・・・・・
 来年は歴史に残るような出来事がいくつも発生して、本当に時代の転換点になると思います。 流されないよう、前向きに建設的に生きてゆく事が大切です。
 そのためには天が何を諭そうとしているかを決して見誤ることなく、自分の気持ちと行動を反省し、元気に生きてゆく事が大切です。』

 〜今回のレポートに限らず、藤原さんのように歴史観、価値観、哲学を持って大局的、客観的に分析・評価し来るべき時代の展望を語ることなど到底出来ないが、多くの方が一つの時代の終焉を肌で感じているのではないだろうか。
 と同時に、そうは言っても今という生活環境を自ら打ち壊して、再構築する勇気と行動力までは持ち合わせず、日日成り行きに任せているというのが実態ではないのだろうか。
 それでも、現状を良しとせず、反省し、学び、少しでも明るく・元気に・前向きに暮らしてゆきたいものだと考え、新たな年を迎えようとしています。

 
 
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