前のページはこちらからどうぞ


前のページはこちらからどうぞ

 COLUMN 2−N NO100 
                                平成16年12月22日

 12月17日 朝刊より【富士カントリー 破綻
預託金返還 重荷に バブル崩壊 経営難しく】

  
 このところ“コラム 2−N”はほとんど新掲載がない。 新聞紙上には次々と新たな情報が登場してくるのであるが、「あッそう!」「やっぱりね」「まだそんな事」「どうしてしまったの?」という気持ちくらいで、自分の気持ちを書き記してみようという気分にならないでいる。
 すると、読み直し、切抜きの対象もなく新聞は積み上げられていくばかりである。
 本日の記事とて、読み飛ばした記事であったが、10日ぶりに整理している時この記事に目がとまった。
 20数箇所の富士カントリークラブのゴルフ場のうち、数箇所はかってゴルフをしたところであり、知人・友人が会員権を購入したところであったからであろう。

 どうしたことか、色々薦められはしたが、結局ゴルフの会員権は購入しないままであった。 結論的にはそれが良かったということであろうが、その分他のところで会員権を購入したと同じような事をしているから、他人様のことは笑えない。
 
 一般歳出47兆2829億円の来年度の予算が財務省原案として財務省から提示されたが、緊縮型 国民負担は拡大してゆくことは否めない状況である。
 よくもここまで問題の先送りをしてきたものだと思わずにはいられない。
 国民に、地元に金をばら撒いてなだめすかす政治ももうここまでだろう。 だって元がないのであるから・・・
 それでもお役人は、いやそれだからこそますます下を向いて仕事をしている振りして時を稼ぐのであろう。 国家崩壊まで・・・ 
 知ってか、知らずしてかそれを許している政治家も、それを選んだ私たちもこのところ寒流の中に身を縮める雑魚のようになっている。
 「茹で蛙」ならず、このまま凍り付けになるのだろうか。
 心配はなさそうである。【真心と誠実さ、そして楽天性】のこの国民は其の時に立ち上がるとのご神託がでている。

 
前のページはこちらからどうぞ

 CILUMN 2−N NO.99
                                  平成16年12月4日

 【クローズアップ県内 名古屋市長選
  揺れる「民主王国」松原氏、河村氏 推薦どちらに】



 『来春の名古屋市長選への対応をめぐって「民主王国」が揺れている。
 現職の松原武久氏の推薦を求める民主党市議団に対して、国会議員と県議団は、河村たけし衆院議員(愛知1区)の出馬表明を受け、慎重な構えを崩していない。
 実施が確実な衆院1区補選とも絡んで、県連内の溝は深まるばかり、自主投票論が現実味を帯び始めている。」

〜このところコラム2−Dは「名古屋市長選」を取り上げることがほとんどである。
 特に理由があるわけではないが、河村氏が立候補を表明したところから関心をもった。
 “長いものに巻かれる”、“なんとなく穏便に、事を進める”という当地にあって、これは新しい流れの可能性が生まれたと感じたからである。
 しかも河村氏が最初に掲げた公約が「市議の定数削減」であり、市長はじめ市3役および市職員の給与の減額であったからである。
 現在、誰が見ても高級官僚をはじめとする、お役人様の待遇は民間のそれと比べて高いと思っているのではないか。 なぜかこのことをおおっぴらに口にする人は少ない。 
国が滅びるまではこの状況は変わらないだろうと思うと同時に、それを許している自分も許せない気持ちになる。

今までのところの報道を見るにつけ、政策がどうのこうのというよりは市議団の態度から感じられるのは「自分の身分を守る」という態度が透けて見える。
 今後どのような発言、展開がなされてゆくか注視してゆきたい。
 来年春に迫った“中部国際空港の開港”、そして“愛・地球博”後の、名古屋・愛知・中部地域は21世紀の新しい可能性を具現化できる、文化・歴史・伝統のほかに、素晴らしい技術・技能いっぱいの産業の背景を持ち、しかも豊かな自然のヒンターランドを有している。
 皆が昭和時代のように単一な方向に向かうのでなく、様々な生き方、価値観でもって各自が試行錯誤しつつ作り上げてゆく時が到来したと感じるこのごろです。

 




 COLUMN 2−N NO.98
                                  平成16年11月17日

 【ヨーロッパ展望台  熊田 亨
     リベラル哀れ 】 11月17日朝刊より



 『ブッシュ二世の天下が定まったアメリカで、「リベラル」ないしは「自由主義者」という言葉は、他人をはずかしめる、はなはだしい悪口にかわってしまったそうである。
 
ブッシュは相手候補のジョン・ケリーに向かって「東部のリベラル」という嘲りを含んだ言葉を放ち、多くの票をかせいだ。
 有史以来、アメリカ民主主義と市民社会を支える、重要な一部分を形成してはずのリベラル、リベラリズムが、冷戦時代の「アカ」、ヒットラー全盛時の「ファッショ」と、ひとしなみの政治的悪口に変化してしまった。
 
今や、アメリカにおけるリベラルとは、道徳の堕落、家族倫理の頽廃、犯罪に関する寛容、テロリズムと戦争にのぞんでの弱腰の姿勢、お上頼みの「大きな政府」の護持といった、さまざまに、後ろ向きを綜合する言葉になった。
 社会生活の身近な環境に引き寄せれば、人工中絶、セックスの自由、同性の結婚、反戦運動、死刑の廃止、無神論、聖書テキスト批判などの「放任思想」を唱える人々は、侮辱をこめて、リベラルと名付けられる事になった。

 かって人間精神の自由、独裁に対する反抗、立憲政治、複数文化の共存という輝かしい価値観と分かちがたく結びついていたリベラリズムの言葉は、不道徳、怠惰、放縦、責任と個人努力の放棄、といった色彩で汚されてしまった。
  (中略)
 ヨーロッパの知るアメリカは、遠い昔のアメリカになりつつある。』

 〜以上長く引用した論文の真意を深く理解する事は出来ないが、ここ数年、アメリカの一国主義、傲慢・不遜な姿勢には到底付いていけない気持ちです。
 が、そんなアメリカを引っ張って行く、ブッシュ大統領を再びアメリカ国民は選択した。
 他の国のことだと傍観者ではいられない。 特にわが国にとっては強烈な影響力を持つというよりはその実態は一蓮托生(生殺与奪)にもなる関係にある。
 
 戦争で頭が一杯、お金の辻褄合わせなど気にも留めていないのではないか。
 そのうちにドルが暴落して、国際金融は大混乱にひたるのではないか。
 在米軍基地の再配置はアメリカのアフリカから極東にいたる、対イスラム戦略、対極東戦略の布石なのであろう。
 日本のリーダー達もその事は分かっているだろうが、ここは世界が一度大混乱に浸った後の事を想定して、新時代はいかなる国際秩序の形成を目指し、そしてこの国のあり方を検討し、論じてもらいたいと願う。
 大混乱にはならない、してはならないなどと目先の事ばかりにかまけていずに・・・
(いささか口からはみ出てしまう、テーマにしてしまった)





 COLUMN 2−N NO.97
                                 平成16年11月15日

 【今週のことば 池田 勇諦 11月14日朝刊
 “しかれば すでに 僧にあらず 俗にあらず”   親鸞『教行信証』  】



『親鸞は越後流罪という逆風を縁として、無仏の世を生き抜く仏教徒のありかたを、表記の言葉で表現した。
 そこには人間生活を遮断した(持戒)いわゆる出家主義との訣別が、「僧にあらず」と言わせ、また日常生活に埋没した(破戒)在家主義への拒否反応が、「俗にあらず」と言い切らせた。
 つまり出家・在家が人間の立場に終始する限り、一方は形式主義に、他方は放任主義に。
 その虚構性と欺瞞性を免れない人間の現実を、自己を通して批判したのが親鸞であった。
 それはもはや持戒・破戒の立場を出離した無戒(仏の本願)の立場。
 人間生活をそのままに仏道に転じることなくして、何処に万人の仏道があろうか、を親鸞は法然との出遭いに確信したのであった。』

〜日曜日の文化=カルチャーなどの「人生のページ」は楽しみのページである。
 今週は「天下人と禅」との中で、童門 冬二さんが<信長の場合>として「“あゆち”の風を日本中に」と題しての一文にも興味をもった。
* 「あゆち」とは尾張国、愛知郡の古地名、名古屋市の熱田神宮付近。後の愛智・愛知。
 僧・沢彦の発想に感動し、理想主義に急転換した信長は天下事業とは「民衆のニーズに応えることで、それがそのまま“あゆちの風”を尾張以外の地にも吹かせる事になる」という事だと、美濃に進出し、拠点を“岐阜”とした。
 さらに近江国に進んで「安土」と命名する。 平安楽土の略だというが、“あゆち”の語感に似せていると思えると童門氏は言う。

 さて、冒頭に取り上げた親鸞聖人の一文は時折「なぜ修行僧などと言っているのか」との私への問いかけに答えてくれた一節であると思い、書き留める事にしたものです。
 “喜怒哀楽=泣き、笑い、怒る”これら全ての場・時が修行なりなどと嘯いている私の弁に、親鸞様がお答えになっていただいたと感じたからです。
 平安楽土を夢見願っている私たちに、いつその日がやってくるのでしょうか。
 願ってばかりの人頼りでは決して“あゆちの風”は吹いてこないことでしょう。
 「日日これ好日、日日これ修行なり」と過ごしてまいりたいと思うと同時に、今「愛・地球博」の開幕、「セントレア 中部国際空港」開港間じかの好機を生かし、その後の風、波を自らの頭と手足を使って、日日の営みの中に生かしてゆかなければと思っています。
 それは決して過去にあった物的あるいは数値が優先された拡大再生産追及の道でなく、心安寧に至る共生の世界でありたいと願うものです。   
 


 

 CILUMN 2−N NO.96
                                  平成16年11月8日

  【名古屋市長選 11月8日朝刊より
 松原氏、3選出馬決断 12日にも正式表明】
【始動‘05 なごや市長選
  実力派激突、構図固まる 市民注目、投票率アップか】



 『来年4月の名古屋市長選挙に、現職の松原武久氏(67)=二期目=が三選を目指して出馬する決意を固めた。 「元気な名古屋をもっと元気にしたい」と意欲を語った。
 12日にも、松原氏支持を決めている民主、自民党市民クラブ、公明の市議会与党三会派に伝えた上で、正式に出馬表明する見通しだ。』

 【始動‘05 なごや市長選
  実力派激突、構図固まる 市民注目、投票率アップか】
 『先に出馬表明している民主党の衆議院議員河村たけし氏(56)と正面からぶつかる選挙戦の構図が固まった。 低投票率の続く市長選だが、1973年に、当時の現職杉田清氏と、革新市政を目指した本山政雄氏が激しく競ったとき並の注目を集める可能性もある。』

〜NO95で取り上げた名古屋市長選ですが、これで注目の名古屋市長選となった。
 今回のアメリカ大統領選挙のように国を分けるような選挙にはならないが、ポスト「愛・地球博」、あるいは「中部国際空港開港」の中部・東海・愛知を代表する名古屋の市民の考え方、思い、心根が問われる事になると考えます。
名古屋市民でなく選挙権は持っていませんが、今後とも注目していきたいと思っています。
 
 今のところ、色々コメントしてしまうと自分自身を縛ってしまいそうなので、自粛しておきますが、構図は既存保守勢力と庶民派新興勢力(?)というところでしょうか。
 面白可笑しいテレビ政治談議のような関心事ではない関心をもっています。
 公約が発表され喧々諤々の議論が展開され、市民自身が考え、選択する。 その結果をまた自ら検証してゆくというサイクルが生まれるならば、日本を代表する都市になってゆく事になるでしょう。  大いに期待するところです。

 1973年は昭和48年です。その頃を前後して、日本の大都市で続々と革新市政が誕生してゆきました。
 第一次オイルショックのあった年でもあります。 それまでの高度成長が行き詰まりを見せた年でもあり、弱い者に目配りをする、あるいは成長一本やりの政策に歯止めがかかった時でもあります。 そして革新勢力が勢いを増してゆく頃でもありました。
 1979年に第二次オイルショックに見舞われるのですが、日本は世界の中で一番の省エネルギーの技術を開発し、同時に社会構造の変革にも成功しました。
 
 ‘80年代は破竹の勢いで成長してゆきます。 日本のお金がアメリカ全土を買収してしまうのではないかといわれたほどでした。 それは結局バブルだったのです。
 そして今も続き、やっと脱したかとも言われるデフレ経済の中で、数々の出来事は記憶に新しいことです。
 さて、時代はその次を如何にするかのところにやってきました。
 其の時の名古屋市長選挙です。 どんな地方政治体制を望むのでしょうか。
 それは決して名古屋市のみのことではないと考えます。
 




 
 COLUMN 2−N NO.95
                                    平成16年11月1日

 【始動 ‘05名古屋市長選挙 11月2日朝刊
   自民も松原氏支持 与党3会派 結束へ 


自民党市民クラブ名古屋市議団は1日、来年4月の名古屋市長選で、現職の松原武久氏(67)=2期目=が出馬した場合、支持する意向を松原氏本人に伝えた。
 同クラブは4日に議員総会を開き、正式に決定する。
 市議会第一会派の民主党市議団もこの日、松原氏支持の方針を確認。
 公明党市議団も近く議員総会を開いて同氏支持を打ち出すと見られ、与党三会派が現職を支える方向で足並みがそろえそうだ。
 民主、自民ク、公明の市議会三会派で、定数75のうち、61議席。
 既に立候補を表明している民主党の衆議院議員河村猛氏(55)に対し、与党会派が結束する構図が浮かび上がった。』

〜これは面白くなったぞというのが率直な感想である。
 コラム2−N NO92でも書いたように、まさか河村市長候補が「市長報酬の3分の一、退職金撤廃にはじまり、市議の報酬半額、市職員の給与10%カットの公約、真のパブリックサーバント(公僕)を目指す」などと公約を発表したために、与党市議団が結束したわけでもあるまいがと思いつつも、思い切った発言をする、悪たれ小僧の感じもしないではない、名古屋弁丸出しの庶民派感覚の河村氏を煙ったく感じてのことであろうか。 民主党王国といわれる愛知民主はいかなる判断をするのであろうか。
 小泉政権の実態はニッチもサッチも行かないところにははまり込んでしまったようだ。
 朋友(?)ブッシュさんが明日に迫った選挙で、破れでもしようものなら、一気に崩壊ということになるのではないか。
 親方日の丸「地方交付金」頼みの3割自治の三位一体改革も一向に先が見えてこない。
 国も地方も一度“ご破算で願いましては”とならないことには、先が見えてこないというか、国民一人ひとりが本気になって立ち上がらないのではないのだろうか。

 決して国や地方の崩壊を望んでいるわけではないが、幾重にも絡みに絡んだ利権と癒着。
 天変地異、神のお力を仰ぐより仕方ないのであろうか? 情けないが・・・・
 中部・東海・愛知はこれからの時代のリーダー役を果たす土地柄との思いがしている。
 その中心都市名古屋のリーダー選びは私たち庶民の力量を測られていると考えます。
 愛知・名古屋の政治の裏舞台で何が起こっているのか知る由もありませんが、何事も丸く治めて、荒立てない事がこの地方のシキタリと思っていたが、今回は少し風が吹きそうである。 今までがあまりにも何もなさ過ぎたのかもしれない。 
春日井市の住民で選挙権はありませんが、これからも思うことを発信させていただきます。 
 




 COLUMN 2−N NO.94
                                   平成16年11月1日

 【思うままに 梅原 猛さん 11月1日夕刊より
   世界文化遺産に登録された修験道の聖地
    日本思想の根源を見直す】


コラム2−Nは「新聞を読んで 眺めて 切り抜いて」と題している。
 そしてその事に関する私のコメントというか、感じたことを書いてきているのであるが、今回はコメントどころではない。 “そうなんですか”という思いである。
 よって、今回は先生の書かれていることをそのまま、ここに記録しておく事となります。

『第28回世界遺産委員会で、和歌山、奈良、三重県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録が決まった。
 登録されるのは「吉野・大峯」「高野山」「熊野三山」の三霊場とそれらを結ぶ大峯奥駈道、熊野参詣道、高野山町石道の3つの道である。
 「道」が登録されるのは甚だ異例なことで、フランス〜スペインの『巡礼の道』に続いて2例目であるという。
 
 この三霊場はいずれも修験道と深い関係をもつ。 ところが修験道は明治政府の神仏分離、廃仏キシャクの政策のよって廃止されたものである。
明治維新によって職を失ったのは武士のみでない。 全国に何十万という修験道が全て職を失った。
 職を失ったばかりか修験者は、ともに祀ってはならない神と仏に仕えるいかがわしい宗教家として世の批判を受けたのである。 
 極端な神仏分離、廃仏キジャクはしばらくの間の明治政府の政策として終わったが、公的に修験道の名誉が回復される事はなかった。
 
 修験道は真言宗の醍醐寺と天台宗の三井寺と聖護院を中心に細々と続けられていたが、今回、修験道と関係の深い三霊場と参詣道が世界遺産に登録された事は、明治以来の宗教政策を見直すべきものとして大きな意味をもつ。

 私は、鎌倉時代までの日本の宗教の主な潮流は神と仏の習合であったと思う。
 6世紀半ばに日本に移入された仏教は最初、土着の宗教である神道と対立し、蘇我・物部戦争のような宗教戦争を起したが、やがて神と仏の習合を図り、神道と仏教を共に日本人の精神の支えとする思想が興った。
 このような思想は泰澄の始めた白山信仰に始まり、行基が強く勧めた八幡信仰によって公の思想となり、空海の真言密教によって完成された。
 そして最澄の始めた天台宗も円珍・円仁によって密教化し、真言密教は熊野から大峯に入る道を巡礼の道とする本山派、天台密教は吉野から大峯に入る当山派の修験道を生む。
とすれば、この三霊場とその巡礼の道はまさに修験道の聖地といわねばならない。

 それは一木一草にまで神を認める日本の在来の宗教と、世界のいたるところに大日如来の現われをみる真言密教の融合の思想をその根源にもつのである。
 このような宗教が平安時代の宗教であり、法然や親鸞、栄西や道元、日蓮などによる鎌倉仏教の成立も、神仏習合の思想を土台にしながら、仏教の中の浄土とか禅とか法華の思想をより純粋仏教的に展開したものにすぎないと私は考える。

 私は、この神仏習合の思想に日本思想のもっとも深い根底をみるものであるが、明治以来の宗教政策は日本精神の根底を否定し、それを忘却してきた。
 この三霊場とその巡礼の道の世界遺産登録がこのような日本精神の根底を見直す機会になればとよいと私は思っている。』

〜ほとんど、全文を入力しました。 晩酌後のことでもあり、また、知識不足の内容でしたので、入力に時間がかかりました。
 何度も、読み返したのですが、今もって腹に落ちません。
 が、苦労して入力したのですから、徐々にその意味するところが理解できる事を期待しています。
 





 COLUMN 2−N NO.93                                                       平成16年11月1日

 【語り合おう国際交流 10月31日朝刊
    名古屋でワールド・コラボ・フェスタ開催】 

『国際交流イベント「ワールド・コラボ・フェスタ2004」(県国際交流協会など主催、中日新聞など後援)が30日、名古屋東区のオアシス21で始まった。
 初日は国際協力について語り合うピース・トーク・マラソンが開催された』

 〜私もそのメンバーである「南遊の会」も参加しました。 
 初日の「ピース・トーク・マラソンin 愛知」には「愛知が変わる、世界が変わる、名古屋でできること宣言」に、今年の8月にベトナム・カンザーの地でマングローブの植樹に参加した学生が『私たち 植えてきました! マングローブ植樹ツアー交流』の様子を発表しました。
 
その翌日、11月1日は前夜の雨もやみ、名古屋市栄公園・オアシス21周辺の「くすのき広場」に数々のボランテイア屋台がオープンしました。
私たちの会もベトナム風お好み焼き「パインセオ」、「ベトナムコーヒー」などの販売をして南遊の会の広報・宣伝をしました。
同時にオープン会場でのイベントには「ベトナムのバンブー(竹)ダンス」を持っての参加です。 
縦横3メートルに切った竹でリズムを取りながら打ち鳴らし、その間を飛び渡るという簡単なものです。(リズムに合わないと竹に足を挟まれます)
飛び入り歓迎の遊びですので、多くの方に参加していただきました。

といっても、リズム感の悪い方には結構難しく、何度挑戦しても失敗ばかりさられる方もおられました。
その会場で見学されていた方の一人が横笛、フルートで、竹の打ち鳴らすリズムを引っ張るように演奏していただき、いっそう華やかなものになりました。
 小学4〜5年の一人の女の子が上手に飛び跳ねると同時に気に入ってしまい、イベント終了後、再度実施してほしいとの主催者の要望により、持って帰る支度をしていた竹(一部踏まれて壊れていた)が再活躍です。
60代の小父さんが挑戦してくれましたが、なかなか上手くはいきませんでした。
しかし、終了後私たちのブーツのところを訪問してくださり、なんと一万円の寄付をしていただきました。
当日の物品販売の純収益に匹敵、いやそれ以上の金額となりました。
100円で5本のマングローブが植樹できるのですから、なんと500本分です。

栄公園で7時間以上も時間を費やした事は今までありませんでした。
その間に、ロックのリズムでしょうか、持ち込んだ音響装置で最高にボリュームを上げ、かってのロカビリー歌手のような髪型で若者が踊りまくっている広場を見学したり、「ブルーシートのホームレスの家」を観察したりしました。
「ワールド・コラボ・フェスタ」の会場だけでなく、(「ワールド=世界」でなくとも)、普段春日井の山並みを眺めての私には大変刺激的な一日でした。

―追記―
@日付順<NO605>で、小麦粉の単価を100g300円と書きましたのは、1Kgの誤りでした。

A<NO611>と「コラム2−N NO92>の最終後半部分を加筆しました。
『直感で書きました』と弁解気味でしたが、やはり自分の気持ちの一部が抜けていました。 
 




NO.92                                               平成16年10月30日

 【河村たかし氏 出馬へ  10月27日朝刊
      来春の名古屋市長選】 


 衆議院愛知第1区(名古屋市東、北、西、中区)選出の河村氏(55)=民主、4期目=が、来年4月に予定される名古屋市長選に出馬する意向を固めた。
 「名古屋から日本を変えていきたい。 その第一歩を踏み出す決意を固めた」と語る。
 市長選に望むに当たって「市長報酬を年間800万円程度まで下げる事や、退職金廃止は実現したい。
 政治家や公務員が、本来のパビリックサーバント(公僕)の精神を取り戻すような政治を目指す」と話した。』
 
 続いて28日の朝刊には、『出馬の決断には「相当な勇気を出したつもり。どえりゃあ面白い名古屋をつくります」
 年収800万は現在の3分1、一期ごとに約4800万支給の退職金の撤廃を宣言。
 更に市議の報酬はおおむね半額に、市職員の給与は1割カットし、初年度で300億円程度浮かせる、とした。
 削減分は、減税で市民に還元する考えで、半分は、NPO(民間非営利団体)への寄付を控除する形で減税し、残りは、法人税を減らして、企業誘致を進める、としている。』

 〜知人から「このところ、政治・経済に関する記述が少ないが、どうなっている」との
意見が数通寄せられていた。
 基本的には現在の社会機構が根底から崩れないことには新しい日本の夜明けは始まらない(それはそんなに時間を要する事ではないようにも思える)との思いに到達してしまったので、ああだ・こうだと言えば、ますます“オオカミ親父”になってしまうので口を閉じた格好になっているというのが実態です。
 が、先のことは神様にしか分からないのであるから、頭の中では色々と思いめぐらしているし、現象面を見ては頭の体操をしている。

 そんな中で久しぶりにこれは面白いぞと、気になったのが今回の記事です。
 基本的にはたとえ河村氏が市長になっても、簡単に名古屋が変わるものではないと考えます。   それどころか当選すればその公約からして市議会、役人の反発を招き、混乱すら招きかねないことにもなりうるだろうと想像します。
 しかし、新聞、テレビのマスコミを通じて知る氏のキャラクターからして、新時代の要請しているリーダーの感性、感覚、センスを持っているように感じる。(名古屋弁丸出しのキャラクターを含めて)

 出馬会見に当たって、自分の報酬減から始まって、市議の報酬、役人給与のカットを持ち出す当たりは、庶民感覚からは大きな拍手が送られている事と思う。
 ここ数年、役人の給与カット、ボーナス減といっても業績の良い大企業を含めた賃金との対比で決定している人事院勧告であり、中小企業・零細企業の給与の自体、あるいは倒産、リストラの実態と照らし合わせれば、言わずもがなである。
議員報酬にしてもこの数年起こっている不祥事の数々からして、なんらの反省も改善・改革は進められていなし、パブリックサーバントなんて言葉もとんと聞いた事がないし、忘れてしまったというのが実態ではないのでしょうか。

現市長・松原氏は「3選出馬を明言せず」と同じ新聞の掲載されている。
この市長は教育者らしく、何事にも真摯に対応している事はわかるが、改革はない。
同時に、神田愛知県知事も最近各地の発言する知事達とは異なり、真面目で、よく他人の言に耳を貸し、調整実務型の知事として安心していられるのだが、「中部国際空港 セントレア」の開港、「愛・地球博」後、中部のリーダー知事として県政をいかに持ってゆくかに関してかいささか力強さが感じられない。
少し、やんちゃで・悪気のない感じの河村市長の誕生となれば面白い組み合わせではないかというのが第一印象である。 

今年の後半、そして今年度期末までには小泉政権は「改革なくして成長なし」と吼えたが、何の本格的な改革もないままに終焉を迎えるのではないか。
その事は同時に私たち一人ひとりにとっても、人頼りでなく自己責任の下、価値観の合う者同士がネットワークを造り、連携して助け合って行くと同時に、その輪は新しい時代創出のニューデイール(新政策)推進の力となって、道を切り開いてゆかねばならない事を意味すると言い聞かしてはいるのですが、果たしてオロオロ・ウロウロすることなく自分の両足で立ち上がり、歩いてゆけるのでしょうか?

そんな時、河村市長候補は庶民感覚の元気さを発せられるような気がしているのです。
名古屋市民でなくとも注目の市長選になることだろう。
そして、「名古屋から元気に日本を変える」発信をしてほしいものである。

以上、直感で書きました。 今後いかに変化しますことやら・・・

 



NO.91                                               平成16年10月28日

 【日本って、おじさんとおばさんの国なんだ。
   10月26日 “TU−Ka”の全面広告より】


  その全面広告にはこんな事が書いてあった。
『最近のケータイは、若い人のことばかり見ていないか。 
 ツーカーは、ずっと考えていました。動画が見られたりゲームができるケータイもよいけれど、最近のケータイの進化ははたして、全ての人の生活を豊かにしているだろうかと。
 今、私たちが作らねばいけないのは、普通のおじさんやおばさんにとって使いやすい、シンプルで簡単なケータイ。 通話以外の機能は思い切って削ぎ落とし、その代わり取り扱い説明書も要らないくらいの使いやすさをめざしています。
 ケータイは話せばいいという人にとってのメリットを、もっと。
 私たちは「通話」で選ばれるケータイ会社です。』

〜多分この広告と内容は受けると思います。 少なくとも私にとっては納得です。
今使用しているケータイは丸2年になりますが、当時無料で提供されたものです。
 だって、余分な機能はいらない、通話できればよいという必要性からだったのです。 
当時ですら一番古い型で、人気のない機種のようでした。
思い出すと、知多の海で漁船に乗って魚取りに行こうと計画したときのことです。 
収穫があったときにどれほどか、又何時ごろに帰ってくるかを陸で待つメンバーに船上から伝えるためだけに必要だったのですから。

購入のとき渡された分厚い説明書は残してありますが、ほとんど開く事はありませんでした。 それでも開いたのは知人の電話番号を数人分登録したときぐらいです。
その後もその方法を忘れてしまい、その必要のあるときはお願いして登録しているくらいです。  メール機能は途中で解約しました。 
だた、留守番電話は大変に役にたっています。 普段は電源を入れておりませんので、全て留守電です。 今では電話を下さる数少ない方も、慣れてしまって全て留守電で済ませています。
 
この全面広告には日本が100人の国だとすると。総理府統計局『年齢(各歳)、男女別人口および人口性比、総人口、日本人人口(平成15年10月1日)のデータをもとに、日本人の年齢、男女構成を100人で表した写真が載っています。
誤差はありと書かれていますが、実態にかなり近いものでしょう。
それによると50歳以上の人口は42%です。 60歳以上では26%、70歳以上でも14%です。 老人は一応65歳以上といわれていますので20%です。

これまでは、ケータイをもつ、あるいは新しい機能のものに買い換えるのは若い人中心でありましたが、7000万台を超えたところで、頭打ちになってきているようです。
すると、ここからは隙間や個性を持ったケータイの競争になってきたという事でしょう。
簡単な操作、機能でまったく問題ない私にとってはありがたいことです。
更に料金が安くなればと思っています。
 

 

 

 

前のページはこちらからどうぞ