
自戒をこめてというのは昨年、河村 たかし氏が立候補を表明した時、どんな結果が出るにせよこれで幾分名古屋・愛知・東海に変化が出るかと期待したことを書いたからである。 その後は尻つぼみ、今年に入って4月14日に市長選が始まり、中日新聞が当たり障りのない社説を掲載した。 それをNO127で取り上げました。
本日も予測どおりの内容で朝刊のトップ記事とはなったものの、「アッそう」という感じ。
「セントレア(中部国際空港)だ、万博だと騒いでいる間は良いが、その後の名古屋・愛知・東海・中部のあり方についての論議も提案も成されないまま時が過ぎている。。
これでは、その後の反動で誰がどのように言おうが、批判しようがかまわないというのでは、いささか情けないではないか。
何も正解を求めているのではない、先行きが分からず、不透明ではあるが自分達の地域のあり方、行き方論議が俎上に上がって来ない事に不満と心配をする。
一丁上がりの親父が何をホザキ、心配しているのだと言われそうで、可能な限りまわりに迷惑をかけないことぐらいが関の山というか、出来ることの可能性と全てではあるが、それでもやはり思いも、使命もないままに(仕舞い込んだまま?)時間待ちをするのは、バブル崩壊後の日本政府(政治家)、官僚、学者と同じになってしまう。 ココは権力もなく、力もない市民・県民がそれぞれの思いを持って・語り、チームを組んで試行錯誤の中から、築いてゆく事かと思っています。
今朝の中日新聞の中から目に止まった記事を掲載して、何時の日にかの参考にしようと思う。
『解説より
一向に盛り上がらぬまま、名古屋市長選は松原武久氏の勝利で幕を閉じた。
思い返せば、民主党の衆議院議員河村たけし氏が突然、レースを降りた時点で、「市長選は終わった」と受け止めていたであろう事は、否定できない。
大勝はしたが、投票率はワースト2位。 有効投票率の内得票率こそ69・64%だが、有権者全体から見れば、わずかに18・72%が積極的に松原氏を市長に、望んだに過ぎない。 目標の40万票には遠く及ばない。 (中略)
市長自身が自身を評するように、「地味でも、愚直に、頑固に」を貫き、歴史の評価に耐え得る仕事を期待したい。 (内田 康)』
社説より
地方分権時代の「自治」は住民との協動が基本になる。 この傾向を何とかしないと、ポスト万博の未来もない。
勝負としては、圧勝だった。 だが、出馬断念の民主党衆議院議員に寄せられた期待の大きさも、現職への目に見えない批判票に他ならない。
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”声なき声”を念頭に、財政の「病気回復期」をまず乗り切ってもらいたい。 そして、万博の衣鉢を継ぐ、「千客万来の街づくり」、「環境首都化」の約束を、家庭ごみを減量した時同様に、市民にも良く分かる形で実行してほしい。
市民は「小さな政府」を訴えた松原氏を選んだ形になった。 大きく言えば、行政の物足りないところを住民力で補うという宣言だ。
愛・地球博フランス館の映像に現れる「未来は”そうなる”ものではなく、”そうする”ものでありたい」という哲学者のように。
名大法政学部・後房雄教授
「選びがいのある選択肢がなかった。 政党、特に民主党の責任は大きい。地方分権の時代は特に強力な指導力が必要。 首長は選挙時の有権者との約束と支持を根拠に議会や職員に指導力を発揮する。 これでは松原氏に何処まで出来るか疑問だ。
河村 たかし氏
「断念しなければ、違う人生が始まったかもしれない日。 あらためて無念の思いです。 もしも、私の断念のせいで投票することを止めた人がいたならば、謝罪したい。
松原氏には「市民のために働くパブリックサーバント(公僕)として頑張ってちょー、と言いたい。 ぜひ面白い街にしてほしい」と話した。
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