このページ以前の
コラムはこちらへ

NO.130                                                                         平成17年4月25日 記

 自戒もこめて
       冷めた名古屋市長選の結果

               
 自戒をこめてというのは昨年、河村 たかし氏が立候補を表明した時、どんな結果が出るにせよこれで幾分名古屋・愛知・東海に変化が出るかと期待したことを書いたからである。 その後は尻つぼみ、今年に入って4月14日に市長選が始まり、中日新聞が当たり障りのない社説を掲載した。 それをNO127で取り上げました。
 
 本日も予測どおりの内容で朝刊のトップ記事とはなったものの、「アッそう」という感じ。
 「セントレア(中部国際空港)だ、万博だと騒いでいる間は良いが、その後の名古屋・愛知・東海・中部のあり方についての論議も提案も成されないまま時が過ぎている。。
 これでは、その後の反動で誰がどのように言おうが、批判しようがかまわないというのでは、いささか情けないではないか。 
 何も正解を求めているのではない、先行きが分からず、不透明ではあるが自分達の地域のあり方、行き方論議が俎上に上がって来ない事に不満と心配をする。

  一丁上がりの親父が何をホザキ、心配しているのだと言われそうで、可能な限りまわりに迷惑をかけないことぐらいが関の山というか、出来ることの可能性と全てではあるが、それでもやはり思いも、使命もないままに(仕舞い込んだまま?)時間待ちをするのは、バブル崩壊後の日本政府(政治家)、官僚、学者と同じになってしまう。 ココは権力もなく、力もない市民・県民がそれぞれの思いを持って・語り、チームを組んで試行錯誤の中から、築いてゆく事かと思っています。
 
 今朝の中日新聞の中から目に止まった記事を掲載して、何時の日にかの参考にしようと思う。
 『解説より
 一向に盛り上がらぬまま、名古屋市長選は松原武久氏の勝利で幕を閉じた。
 思い返せば、民主党の衆議院議員河村たけし氏が突然、レースを降りた時点で、「市長選は終わった」と受け止めていたであろう事は、否定できない。
 大勝はしたが、投票率はワースト2位。 有効投票率の内得票率こそ69・64%だが、有権者全体から見れば、わずかに18・72%が積極的に松原氏を市長に、望んだに過ぎない。 目標の40万票には遠く及ばない。 (中略)
 市長自身が自身を評するように、「地味でも、愚直に、頑固に」を貫き、歴史の評価に耐え得る仕事を期待したい。  (内田 康)』

 社説より
 地方分権時代の「自治」は住民との協動が基本になる。 この傾向を何とかしないと、ポスト万博の未来もない。
 勝負としては、圧勝だった。 だが、出馬断念の民主党衆議院議員に寄せられた期待の大きさも、現職への目に見えない批判票に他ならない。
 ・・・・・・・・・
 ”声なき声”を念頭に、財政の「病気回復期」をまず乗り切ってもらいたい。 そして、万博の衣鉢を継ぐ、「千客万来の街づくり」、「環境首都化」の約束を、家庭ごみを減量した時同様に、市民にも良く分かる形で実行してほしい。
 市民は「小さな政府」を訴えた松原氏を選んだ形になった。 大きく言えば、行政の物足りないところを住民力で補うという宣言だ。
 愛・地球博フランス館の映像に現れる「未来は”そうなる”ものではなく、”そうする”ものでありたい」という哲学者のように。

 名大法政学部・後房雄教授
 「選びがいのある選択肢がなかった。 政党、特に民主党の責任は大きい。地方分権の時代は特に強力な指導力が必要。  首長は選挙時の有権者との約束と支持を根拠に議会や職員に指導力を発揮する。 これでは松原氏に何処まで出来るか疑問だ。

 河村 たかし氏
  「断念しなければ、違う人生が始まったかもしれない日。 あらためて無念の思いです。 もしも、私の断念のせいで投票することを止めた人がいたならば、謝罪したい。
 松原氏には「市民のために働くパブリックサーバント(公僕)として頑張ってちょー、と言いたい。 ぜひ面白い街にしてほしい」と話した。
 
 

 




NO.129                                                                         平成17年4月21日 記

 学生は本能的に今の世の中の事を知っている。
 〜「ワールド・レポート NO461より〜

 時々取り上げます、藤原直哉さんのレポートからです。 藤原さんはこの4月より東海大学の政経学部の助教授(今までは講師)を兼任するようになられました。そして改めて学生と会って実感した事とをレポートされました。

 『基本的に今の学生は何も考えていないようでいて実は世の中の事を雰囲気、友達、家庭、学校の様子の変化を通じてよく感じていて、漠然とはしていても大変だという思いはほとんどの人が持っています。
 ところが成功するために何が必要かを考えると学校も家庭も就職後の職場も頼りになるとはおもえず、要するにお先真っ暗で真剣に考えるのが嫌だから何も考えない事にしたり、夢に逃避したりという人が多いとおもいます。(中略)

 昔のように能天気に放蕩してという学生は見かけません。 公務員になりたいという人にはなぜかと聞いてみると、卒業と同時に養老院に入って楽をしたいという意識の人がほとんどで、基本的に社会が怖いのです。
 若い人たちは言葉や経験で表現できなくても本能的に今の世の中が滅茶苦茶厳しい事を知っていて、同時に今学校でならっていることが自分の成功に役立たない事を知っていて、だから社会が怖くなり、勉強もできなくなるという悪循環に陥っているのです。 言わば現代の学生は、巨大な崖のふもとに立って上をみあげて、これを上がらないと一人前の大人になれない、それは分かっているのだけれどこの崖を上がる方法を誰も教えてくれないし、誰も助けてくれなくて途方にくれているというのが実態だと思います。

 されにもう一つ問題なのは、ならばいくらでも冒険をしてやりたい放題やってみれば良いのですが、これが親や学校、そして社会の過保護の悪影響で出来ないのです。
 こういう学生をどうやって素晴らしい社会人にしてゆけばよいのか。
 リーダーシップ理論によればやる気も能力もない場合には何をすべきか。
 指示してやらせて、小さくても良いから成功を体験させよとあります。
 学生が理解できる範囲で上手に課題を出して成功を体験させ、やる気と能力が次第に向上してゆくにつれてより大きな成功を体験させてゆく、これしかないでしょう。 そして一人一芸を本人の個性、能力、夢に合わせて見つけて育て、後はチームワークとして働いてゆくための能力を育てる事でしょう。 これからの時代は一人一芸とチームワークで世の中が動いていきますから。  (中略)

 経済学とか哲学とか抽象的な話は、自分の力で最低限のご飯が食べられるようになってから教えてゆくと、グングン向上してゆくと思います。
 逆に社会人になってから目の前のお金のことだけで生きていると、これまた成功しない時代です。 
 そう考えると文部科学省が決めた今の教育制度は全部作り直したほうがよさそうです。
 学校が動かないなら企業が先に人々の教育に一段と熱心に動いてゆくべきときではないでしょうか。』


 
〜今日で講義出席が6日目になりました。 まだ、教室にストレートで行けない所もありますが、楽しく出校しています。 木曜日の3〜4時限に行くと学生が少ないので、どうしてかと学校の事務員に訊ねたところ、「勉強よりも、どのように休みを取るかを考えている」
 と応えられましたので、「今日は花金でもないのに」と言うと、笑っておられました。

 教室などを学生に尋ねたとき、今のところ指差しだけで示すということは一度もありません。 まして顎を酌って教えるということもありません。 それどころか、立ち上がり、あるいは分かりやすいところまで動いて親切に教えてくれる事がほとんどです。
 当たり前と言えば当たり前ですが、そのいでたち、格好から想像して以外でした。
 
 今日は通常の講義の他に講演会がありましたので、学食を試してみようとホールに向かいました。 若い学生向けで脂っこい揚げ物が多かったので、天津飯で済ませました。 欅の下で学生と隣合わせしたら、先生かと聴いてきましたので、聴講生だと応えても分からないようでしたので、持っていた募集チラシを見せると、興味ありげに回し読みしておりましたし、放送大学のことにも話が及びました。 これにも興味を起して、どこにあるのか、学生割引はあるのか、学費はどれほど必要なのか等の質問でした。
 
 どうしてその歳で学校に来るのかとの質問でも来ないのかなと思っていましたが、それはなし、その質問でも来れば勉強は面白いぞと言ってやろうと考えていたのですが・・・
 教室に来て私語か眠っているのです。 出席単位が厳しいようです。
 藤原さんの言う事が分かるような気がします。 この歳で学ぶ姿勢のあることを示せれば、これも何かの刺激になってくれるのではと思っているのですが、どんなもんでしょう。 
 

 




NO.128                                                                         平成17年4月17日 記

 ”けさのことば”  岡井 隆    4月15日

 『くちびるに意志なきことを疑わず くちずけのあと 口笛のあと
    
「ストローベリー・カレンダー」 西田 政史

 『くちびる」をきっとひきしめて無言の「意志」をしめす。
 物言えば唇寒し.とも言う。 「意志」と関係深いように見えのに、「くちづけ」はごく自然になされ、「口笛」は思わず吹いてしまうのだ。
 「くちびる」「くちづけ」「口笛」の語呂合わせが、だるいような情緒をかもし出す。』

 

 
〜 マークをつけておき、切り抜いておこうかとも思ったが忘れてしまった。
 ためていた新聞の整理をしたとき又再びめに止まり、記載する事にした。
 岡井さんの表現する”だるいような情緒”とはどんな情緒なのかな〜と電子辞書「広辞苑」を惹いてみた。
 
 <だる・い>【怠い・】 (タルシの転)
  @疲れたような、おっくうな感じである。たるし。
  Aのろい。にぶい。 浮、椀久、−世の物語
  Bしまりがない。また、あまったるい。男色大鑑「下髪(さげがみ)のー・い姿をよ    うは見てゐること」

 
なにか分かったような、分からないような気分である。
 これも春の陽気に誘われて、つい目に止まり、入力する事になっただけの事だろう。
 散歩のおり、耕転された田圃の畦の草むらから蛙の鳴き声がしてきた時、知らないうちに口笛を吹いていた。 
 道樹山、大谷山の木々が芽吹きだし、日増しに淡い緑が電線の鉄塔を囲みだした。

 

 


NO.127                                                                         平成17年4月14日 記

 祭りの後のかじ取りは
   〜中日新聞4月11日 朝刊より〜 

 中日新聞4月11日朝刊、社説欄より
             
 『(前文略) 昨秋にはテレビ出演などで知名度の高い民主党衆議院議員(河村 たかし氏)が、市長退職金廃止など大胆な公約を掲げて名乗りをあげ、一時は乱戦の予想もあった。
 が、市政第一党である民主党の推薦を得られず立候補を見送った。
 ふたを開ければ、現職をオール与党で担ぐ、全国によくある構図。 万博開催の是非を問うような明確な争点もみあたらず、有権者の関心は薄れていったとされている。
 前回の投票率も31・41%と、政令指定都市の最近の選挙で最も低い。 今回は25%を危ぶむ声すらある。(中略)

 与党相乗りに倦んだら倦んだで、有権者にはその思いを投票で表現する義務がある。
 名古屋は今、”最強神話”に浮かれている。 しかし、ポスト万博の揺れ戻しは必ず訪れる。 今度の選挙は反動期のリーダーを見極める、いつも以上に重要な選挙と言えるのだ。  (中略)

 マニフェスト(政権公約)などを見る限り、「民間に出来る事は民間で」と、将来のため、”小さな政府”で財政再建を軌道に乗せたい松原氏。
 今こそ行政の責任として福祉に手厚く予算を当てたい榑松(くれまつ)氏。 どちらを選ぶかで、市政に対する市民の関与の仕方、あるいは暮らし全般も、大きく変わってくるはずだ。
 過ぎた話にとらわれている暇はない。 心して投票所へ足を運ぶべき選挙である。』

 〜と社説には書いてあるが、その内容を入力しながら感じたことであるが、この社説自身に力、説得力がないと言うか新鮮味がない。 
 中部国際空港や愛・地球博の事ばかりを取り上げているわけにもいかず、頭で考えて取り上げ、執筆した社説のように感じた。  
 このような選挙状況になってしまったのは、執筆者に責任があるわけではないが、それにしても新聞社・ジャーナリストとしての何か違う新鮮な角度からの提言、発想はないものだろうか。  与えられた状況をもう数年前から聞いている視点から繰り返しの話になっているように思えて仕方ない。
 過ぎ去れし昭和の夢を見ている人はマサカいないとは思うが、この十数年の政治家、、経済界、官僚、学会のリーダーは自己保身に走り、大局的な長期の視点に立脚したものの見方、考え方でことにあったている事が余りにも希薄だと感じてならない。

 各言う私自身ミーハー的視点とも言われても仕方ないが、河村たけし氏が立候補を表明しその公約を見たとき、これは面白い事になるぞ、又結果はどのようになるにしても名古屋・愛知がポスト万博、ポスト空港の新たな活力が生まれるキッカケになると感じていたから本当に残念であり、落胆したと言うのがいつわざる心境であったし、今も同じである。 
 同じ樽の中に入ってはいるが少々波風を立てることによって、新たな発想、行動が生まれてくると期待したからであります。
 壊れ、崩れが始まった時に、立ち上がる気力と勇気を持ち合わせるなどと立派な事は言わないまでも、可能な限り自前で歩いていけるだけの気力と体力を保持したいと思っています。
  
 





NO.126                                                                         平成17年4月12日 記

 ”時のおもり” 日本をリードする気概もて
      名古屋気質に
ひと言 

 久しぶりに「コラム 2−N」を開いた。 4月11日付けの中日新聞の「文化欄」に、この4月まで、7年6ヶ月名古屋大学におられた池内 了(現 早稲田大学教授)のエッセイが掲載されていた。 教授は京都大学にはじまり、東京大学東京天文台(国立天文台に改組)、大阪大学を経て、最後のつもりで名古屋大学に赴任したが、定年を3年残して6度目の大学遍歴となったとご自分のことを紹介しながら、ほうぼうの大学を回ってき分かったことがあるという。
 
 『学術の府である大学といえども、そこにある町の雰囲気を反映している事だ』と言い、たとえとして以下の事を書いている。
 京都・・1200年の歴史をほこり、孤高を守ろうとしてやせ我慢する気質がある。
      学生は世界を目指すと意気軒昂で、大体はタダの人に終わってしまうけど、世     界一をめざしたい気持ちだけは忘れず誇りを持ち続ける。
 東京・・日本の首都であり、またそれに意気を感じている。 学生も日本を代表してい      るという自信が強いのだ。 しかし、所詮は日本一でしかないと言う事は余り気     付いていない。 自己満足的なのだ。
 大阪・・商人の町であり、プラグマテイックに生きるのを当然と思っているところがある     。 世界一や日本一にこだわらず、今を大事にする共時性社会と言えよう。
     東京に対する強烈な反発心は高く評価されるべきだろう。
 札幌・・ 百年ばかりの歴史しかない札幌は、新しい都市作りの気概が強い土地であ       った。  しかし、地元派と移入派に分かれる傾向があり、以外にも保守指向      が強い。 北海道と言ういわば日本の植民地ともいうべき土地柄であったため      かもしれない。 今や学生も教員も地元派が多くを占めるようになり、一地方大     学になりつつある。

 名古屋・・物づくりの町と言われるように堅実であることが、良いに付け悪いに付け、      大きな特徴であることは否定できない。 良いところは、シッカリと地歩を踏みし     めて歩き、浮薄なところがないことだろう。 長い時間を見通して是非を判断し      てゆく通時性社会と言えるかも知れない。
      それを裏返して言えば、余り冒険をしたがらず、世間の耳目を惹くことを避け      ようとする。 従って、パフォーマンスとは縁遠く、むしろ目立たずj地味であるこ     とを誇りに抱いていたりする。

      それは名古屋大学にも共通する気風である。 東京や大阪出身の人間から      見れば、じれったい気持ちに成るが、余りそれを気にする事はなく堅実さを押し     通そうとするのだ。 (このことを名古屋の人に話すと、徳川宗春が将軍家にた     たかれて以来そうなってしまったのだ、と言われた)
     
     それはそれでよいのだけれど、私には何か不満が残ってしまう。 慎重であり過     ぎて、二番煎じに甘んじる体質となっていないか、と言う不満である。
      中部国際空港しろ、万博博覧会にしろ、(失敗に終わったオリンピックも)。東      京が終わり大阪が終わりやっと立ち上がったものである。
     どうせやるなら、東京や大阪を出し抜いてもっと早く行うか(もっとも、私はこれら     のプロジェクトには余り賛同はしていないが)、全く別の新しいイメージの取り組     みをすべきではないかと思うのだ。
      目立つことを恐れず、日本初めてとか世界初めてというような旗振り役を率先     して行う気概を示す事である。
    
      ここで言ったことは(各都市のこと)私の直感的に嗅ぎ取った町や大学の雰囲     気であり、偏見が混じっている事を承知しておかれたい、と断っておられる)

 
〜さて、長々と紹介しました。 数少ないこのホームページ読者の中には、愛知、あるいは東海3県以外の方もおれれるようなので、私の感じたことを書きます。
  
 私も東京、大阪はかって商売上で何度か行き来はしているが、京都、北海道となると数回の観光ぐらいしか体験しておりませんので、池内教授以上に感覚的な印象というか、思い込みになってしまいます。 それでも池内教授の指摘は的を得ているのではないかと思います。
 タダ、最後にある名古屋への提言のところに至ると、名古屋人間は黙ってフンフンと聞きながらも、どこか腹の底で、こんな事を思っているのではないでしょうか。
 「言わせておけばいいさ、それが名古屋のいいところさ。 自分の分を弁えずに一歩先に飛び出せば、足は引っ張られるし、頭をたたかれる。 そんな割の合わないことをするよりは、田舎者、引っ込み思案(剣難性)、ケチ、と言われようがいいんだ。」と更に殻に閉じこもり、見ようによってはスネテいると受け取られるのではないでしょうか。
 
 私は1988年の名古屋オリンピック誘致のポスターを今でも残してありますが、当時誘致反対を発言しておりました。 特別な理由はあった訳ではありませんでしたが、少しばかりのヒネクレ精神とどこかオカシイと感じた経済の異常な拡大と人々のハシャギヨウでした。 (当時私は香港在住で新設したばかりの店舗の営業成績アップに四苦八苦している最中でした。「土地が何倍になった、株でこんなに儲かった」と言う友人・知人に愚痴していたのでしょう) 
 
もう一つ、東京を代表とする開発一辺倒のやり方で、この中部・東海・愛知を開発したならば、素晴らしい自然財産が残っているこの地が地元の意思、気持ちなど何処かに追いやられて、目先の利害だけで進められてしまうと危惧したからです。

 お陰さまでバブルは弾けました。 その後の政治・経済・金融・社会制度などあらゆる側面で手当てが成されましたが、大きな時代の流れは留まることなく新たな時代に向かっています。 勝ち組・負け組みなどと言われていますが、目先の価値判断での判定で、果たして何が勝ち組で何が負け組みかは分かっていないというのが実情なのではないでしょうか。 
 先の見通しなど分からぬこの不透明な時、少なくとも浮かれた時代でなく、又その後のあがきの時を一つ山越えたこの時に、中部国際空港なり、愛・地球博をこの地で開催したと言う事は意味あることだと感じています。
 強い意思で、自信に満ちた態度で提起したものばかりではないと思いますが、これを契機に改良・改善を加えて更によりよいものに仕上げてゆく。 あるいは間違っていたと判断したなら、体面にこだわることなく果敢に修正・変更する。 
 ここに地味だが誠実で頑張りぬく愛知・東海地方の気質が必ずや生かされると考えます。 
 この豊かな自然に囲まれた名古屋・愛知・東海・中部の地を今以上に注目される地に仕上げて行く。 21世紀の一つのモデルをこの地・名古屋で日本に、世界に誇れるものと成ってゆくと考えます。 
 万博会場に来てください、周りはタップリ自然豊かな草木、山々が貴方をお迎えします。





NO.125                                                                         平成17年3月16日 記

 「けさの言葉」  岡井 隆 
       中日新聞3月10日 朝刊

   蒔くは地に戻すことかも花の種
                     『十四事』 鷹羽狩 行(たかはしゅ ぎょう)

 『花の種を蒔くことは「地に戻す(土にかえしえやる)」ことなのだなあといっているので、「かも」は詠嘆をあらわす古語の助詞。
 「花の種」に限らないが、植物の種は人の手中に収めてしまうと人間のもののような気がしている。 しかし、「種」はもともと「地」のもの「花」のものなのである。』

 〜毎日新聞を読んでいるのだが、気になる記事・コラム・読みものがあるときもあれば、何も気にすることなく読み終わってしまうときもある。
 気になった記事には印をつけて置き、数日経過したところで再びめくり直してみる。
 何で印をつけたのであろうかと思うものも時もある。 時には読み飛ばしてしまったものの中に、何故気が付かなかったかと思うものもある。 
 その時の体調、気分、精神状況、関心事によって異なるのであろう。

 さて、本日の「けさの言葉」はこれから始まる春の農作業を前に心すべきことだと思った。 人間は「種」の成長をお手伝いするのであって、決して「種」自身を所有・支配している訳ではない。 それどころか、蒔いた種に様々な事を教えてもらうことになる。
 「種」の育つ条件を満たした土作りをしたか? 耕転・畝作り・肥料
 「種」の芽を出す条件の時に蒔いたか? 気温・気候・水やり・保湿
 芽を出した後の虫の駆除対策をしたか?
 土寄せはしたか? 間引きはしたか? 等々
 
 これら一連の作業は「種」自身が本来持っている、生命力・成長力・結実力への人間のお手伝いであって、実を結ぶ生命をゼロから生み出したものではない。
 それどころか、そのお手伝いを疎かにする、手違いをすると、必ずその結果を示し・反省という事を教えてくれる。 
 何が、何処がいけなかったなのかは語ってくれない。 お手伝いをした私たちが何故だろうと考え、結論を出すのだが「種」は何も語ってくれない。
 それ故に、毎年毎年新入生となって素直に学び直さねばならない。
 そこが、自然、土、「種」、「花」と向かい合う事の楽しみであり、面白さでもある。
 



NO.124                                                                          平成17年3月9日 記

 『ひもとく』  大野 出
       老子のことば 

 民の死を軽んずるは、其の上の生を求むることの厚きを以ってなり。
    是を以って死を軽んず。  (第75章)
 
 『人々は自分が死ぬ事にも、人を殺す事にも何の抵抗もなくなってしまった。 それは上に立つ者が、自分の生活を豊かにしたいという欲望にかられて躍起になっていた結果なのだ。 こうなると、もう命の事など、どうでも良い事になってしまう。
 なお、「上」の一字がない伝本もある。 この場合、解釈は全く異なる


 毎日のテレビや新聞を見るのが怖くなるというか、慣らされてしまって「またか」という程度の恐ろしい反応になっている自分を見て驚いてします。
 
 本日、百姓学校の仲間のお父様がなくなられ葬儀に参列した。 享年79歳とのこと。  其の臨終の時のお話を聞いて、可笑しな言い方だが嬉しくなったというか、感心させられた。
 前日まで(?)家族と食事を共にしておられたようだ。 ご自分のベットで妻、息子夫婦、孫に看取られて静かに永眠されたようである。
 近頃病院のベットで管を一杯差されての話とは大いに違うからである。
 きっと、生前の行いがよほど良かったか、心がけが良かったのであろう。

 かって、2度お正月に御呼ばれした事が会ったが、私が持参した赤ワインを「これは美味しい、」と言って、実に良い笑顔で飲んでおられた事を思い出す。
 私もそんな最後をと願っているが果たして如何なりますことやら・・・・・
 お酒大好きのところは100%同じということだが・・・・

 誰を指して「上の人」と言うかは意見の分かれるところであろう。 が、万物の霊長の端くれとして、少なくとも自分自身に対しては上記の老子の言葉を言い聞かせたいものだ。 
 


 




NO.123                                                                          平成1年2月22日 記

 "けさのことば”  岡井 隆 2月22日朝刊

 
 『悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。
                  『病床六尺』 正岡子規

 
苦しい病床にあった子規は「悟り」について考えた。 「悟り」とはどんな場合でも平気で死ねる事かとおもっていたがそれは間違いで、どんな場合でも「平気で生きて」いる事だと悟ったのだ。
 脊髄カリエスで毎日家族に膿をとってもらいながら、なおかつ彼は、死ではなく「生きる」事を考え続けた。』

 〜ここ数年日本では毎年3万人以上の人が、自らの命を絶っている。
 借財を負い、あるいは負わないまでも家庭で・会社で・学校で・職場で何らかの行き詰まりを感じ、心痛めて死を選ぶ。 「平気」でいられなかったことの結果でしょう。
 その意味において、それ以外の1億数千万人の人は行き詰まりを感じたり、首が回らない状況に追いやられる事はなかったのか、あるいは「悟り」をひらいた人間達ということになるのだろうか。

 良心的な医者は「病気を治す」とは言わないと聞く。 痛む、熱があるという症状に対しての対処療法は出来るが「治す」という事はできないという。
 では、治るにはどうしたらよいのでしょうか?
 それは患者自身の考え方、対処の仕方によるという。 病気を治そうと病と闘っては治らない、まずそうなった事には原因があり、それは自分が招いたものだと受け入れるところから始まる。 受け入れて、それまでの考え方・生き方・やり方を代える事が始まりとなる。 
 一番はストレスをためない事であると私の経験は教えてくれる。
 といいつつ、つい数年前まで、いや今でも時折、政治、経済、社会に対する不満・不信・不安から政治家・官僚・財界・学会などあらゆる分野に不満をぶっつけていた、いる。
 が、既に時代は新たな流れが生まれ、育ち、その流れに添った考え方、生き方をしている人々の姿が垣間見られる。
 俺に任せよ!と息巻いている人も居ないわけではないが、良くその主張している事柄や内容を見ていると、それは旧態善とした一周、時には2周遅れの策に過ぎないと思える。

 まずは、このような社会・時代にしたのは私達自身であると素直にこの状況を受け入れる事から始まるのではないかと考えます。 
 いや相手が悪いと言って、同病相哀れむ関係のものを非難、中傷しても事は終わらないとまず悟るべきではないのでしょうか。。
 正岡子規はカリエスの病床にあって「平気で生きる」事が悟りと開眼した。
 現代に生きている私達も意外と「平気な顔」して毎日を送っている。
 
 スマトラ沖で発生した歴史上自然災害としては最大の犠牲者を生んだという惨事に対して、昔から常に自然災害に見舞われている日本人は自然に対して畏敬の念を持って接してきたが故に、世界の他の先進国の人々のように「自然に立ち向かい、それを征服する」などというお怖れた考えは持っていながために、心穏やかに受け入れていると思えるのである。 
 
 この状況を見るとアキラメではなく、「悟り」の境地に至っている、あるいは、いないまでもその近くまでに達しているのではないかと思ってみたい。
 そして、そこからストレスのない、ないまでも少ない社会に向かって再構築しなおす時ではないだろうか。 日本は世界に一つのモデルを示せるところに居る。 
 どうも今年がその切り替えの時のように感じているのだが・・・ 
 



NO.122                                                                          平成1年2月22日 記

 週をひらく 「フォト歳時記」 岩木呂 卓巳
    ”フクジュソウ” 2月21日朝刊より

 コラム2 「新聞を読んで眺めて切り抜いて」で福寿草を取り上げるのは初めてですが、コラム1「一事が万事、万事が凡事」ではこの冬4回掲載しております。
 
 さて、フォト歳時記にはこのように福寿草のことが書かれていました。
 『この花は太陽がとても好きらしく、いつも陽光の方を向いている。 曇った日や気温ガ低い日は大きく開かない。 そんな時は花を温めてあげよう。
 簡単なのは両手で覆うことだが、思ったより時間がかかる。 そこで私は半分に切ったペットボトルをフクジュソウにかぶせて、即席の温室にする方法だ。
 一時間も待てば完全に開花する。
 
 フクジュソウの名前は”福告ぐ草”に由来するという。 旧暦の正月ごろに開花するので、めでたい時を告げるという意味だが、更におめでたい「寿」に差し替えられて福寿草になったようだ。
              
 これは昨日撮影したものです。 咲き始めてから13日目です。 福寿草は太陽となって毎日楽しませてくれています。
 


NO.121                                                                          平成1年2月20日 記

  ひろさちやのほどほど人生論
 <いい加減の意味> 2月20日朝刊より

 『<人によってみな違う>
 「いい加減の湯加減」というのは、あつい湯の好きな人にはあつい湯が、ぬるい湯の好きな人にはぬるい湯がいい加減です。
 それはぬるま湯ではありません。 ぬるま湯というのは中途半端なもので、誰にとってもいい加減ではないと思います。
 ということは、「いい加減」というのはそれぞれのいい加減があるのです。
 すべての人にとっていい加減なんてものは、あるはずがありません。 そう考えるべきです。
 ここが大事なところです。 学校の勉強に関していえば、それぞれの子供にふさわしい(いい加減な)質と量があります。 Aにとって耐えられない宿題であっても、Bはそれをすいすいとやってのけるかもしれません。 クラスの全員にとっていい加減というものはないのです。 本当は、そのところを学校の先生は考えるべきですが、今の学校制度ではそれは期待できないでしょう。
 では、どうすればいいかといえば、親がわが子のいい加減を見つけてあげることです。 わが子のいい加減をみつけてあげることが、わが子にたいする真の愛情だと思います。』

 〜当ホームページの書き手として、目がとまるのは当然なエッセイでした。
 上記のような意味での「良い加減」の他に、私の「いい加減」は「イイカゲン」です。 
 イントネーションで表現できませんので、活字で書くとその意味は「思いつき、深く考えもしないで、言い逃れのために、その時バッタリの適当な言い方、態度、対応」という意味と書けば分かっていただけると思います。
 なんとその意味での「イイカゲン」なことの多い人生であり、日々であった事か。 そして今もその延長でイイカゲンな日々を送っている。
 というものの、このイイカゲンさがなんともストレスに襲われることもなく、結構快適な日々を送らせてくれているのではと感じずにはいられない。

 ところで、「イイカゲンに止めとけ」と言った場合の意味はどちらを意味しているのでしょうか。
 <程よいところで止めとけ>となれば、「いい加減」でしょうか。
 <くどくならない所で止めとけ>となれば、これも「いい加減」でしょうか。
 <役にも立たぬこと、止めとけ>となれば、「イイカゲン」でしょうか。

 最近の新聞、テレビの情報に接していると、大人も子供も「いい加減」を体得していない事ばかりであると感じます。
 <程よいところ>で思いとどまる、自制心を働かす事ができず。
 功徳を施すなんてどこかの国の話、”イイカゲン=程良い”どころか、”クドイ”を通り越して安易な、あるいは無機質な感情でもって衝動的行動によって自分より更に弱い者を対象にして死に至らしめてしまっている。

 親が子のいい加減を見つけてあげることは勿論のこと、隣人同志が気づかい、心配りをし、いい加減地域社会となる必要を感じるこのごろです。
 一昨日通りがかりの子供が飲み終えたプラスチック・ボトルを道路に捨て立ち去ろうとしましたので、「拾いなさい」と拾わせ、資源ごみ収集場所を示して持って行かせました。
 その後、その子は私を何度も何度も振り返っていました。 何を感じ、思ったことでしょうか?
前のページはこちらからどうぞ