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  コラム2−N NO.160                                                                      平成18年01月16日 記

 ひもとく 〜コーランの世界〜 鈴木 則夫

 『女と縁を切ろうと誓った人は、4ヶ月の猶予期間を(置く必要がある)。
 もし(その期間中に)復縁する気になったら、(それも許される)。 
 ・・・・しかし(4ヵ月経って)離婚に決めた場合には(決定的となる)。・・・
                          (2章「牝牛」 226・227節) 

 夫婦間の亀裂は悪魔の業であるかもしれない。 とはいえ離婚が許されないわけではない。 
 コーランには、結婚と離婚に必要な事項が契約の観念のもとで具体的に規定される。』

 〜今年も中近東は世界の注目を浴びる。 年初から、イランの核兵器開発で騒がしいことである。 イスラーム=中近東と短絡的にすぐに結び付けてしまうが、すこしばかり勉強したので、そんな単純な思考回路ではなくなった。
 イスラム原理主義で融通が利かない人びとと思っていたが、融通性のない人びとではないということも知った。 多文化=他宗教を許す、あるいは容認する過去の事実を学び
先入観の恐ろしさを反省している。
 上記の結婚と離婚についても同じようなことが感じられる。 いかがですか?



  コラム2−N NO.159                                                                      平成18年01月05日 記

落語でお馴染み、庶民の楽しみ
         銭湯と床屋のお値段の変遷

 もう既に10年近く、商いの顧客にならない私に毎月送られてくる商品先物会社からの雑誌。 そのなかに「統計データに見る経済と暮らし」というコーナーがあります。
 今月号は表題の内容で、明治からの変遷が掲載されています。

 湯銭の入浴料金の変遷               理髪料金に変遷
 明治5年      1銭5厘              明治8年      10銭
 大正元年      3銭                大正3年      20銭
 昭和18年     8銭                 昭和18年     80銭
 昭和22年     1円                 昭和22年     10円
 昭和32年     16円                昭和32年     150円
 昭和42年     32円                昭和42年     420円
 昭和50年     100円               昭和50年     1400円
 昭和54年     170円               昭和54年     2100円
 昭和63年     280円               昭和63年     2800円
 平成2年      310円              平成2年      3000円
 平成5年      340円              平成5年      3200円
 平成12年     400円           東京都における大人の整髪平均料金
 東京都における大人1回の入浴料      昭和42年までは髭剃り料金含まない

 私が「湯銭」に行く様になったのは北設楽郡豊根村から豊橋に出てきてからである。それまでは隣の家にもらい風呂をしていた。 五右衛門風呂であった。
 確か豊橋に来たころは昭和29年、中人(中学以上?)で8円、大人は10円か12円であったと記憶する。 昭和32年からは夜間高校に通っていたので、午後の3時から始まる一番風呂によく入った。 湯がピリピリしたのを覚えている。 また、大相撲のテレビ放送をしていて,もちろん家にはテレビなどなかったので時間イッパイまで観ていた。
 
 南こうせつの「神田川」がヒットしたのは昭和48年。「二人で行った横町の風呂屋・・」という唄はまだ貧しかったじだいの都会に出てきた若者、学生たちの心情、暮らしが投影されていた。
  
 私は昭和43年に結婚し、名古屋の国道1号線に面した六番町の長屋から、高蔵寺ニュータウンに昭和45年に引っ越し、3Kで60平方メートルの団地には小さな風呂があった
ので、「神田川」を聞くと六番町のころの生活を思い出した。
 昭和48年の暮に第1次オイルショックが発生、トイレットペーパー騒ぎ、それから名目給料も上がったが物価も上がった。 昭和50年の湯銭100円、整髪料1400円はそれを物語っている。 
 その後昭和54年の第2次オイルショックを経て、手間賃の上がってゆくのが分かる。


 私はもう30年以上床屋に行っていない。 当初は2〜3ヶ月に一度自分で削っていた、ここ5年近くは半年に一度削り下ろせば十分である。 髭は4~5日に一度である。

 都心の銭湯のことは詳しくはないが、キャンピングカーの旅の時は各地のスーパー銭湯や温泉にお世話になる。  田舎や郊外の町村に行っても大丈夫である。 大抵の場合、町や村には地元のかたがたが主に利用する近代的な設備の温泉がある。
 所によっては10~20分の間に2〜3軒が競合している場合さえある。
 町・村長が国からの補助を受けて選挙対策かとも穿ちたくなる。 料金は安いところで400円から高いところで600円である。(地元の方用料金ありで、1〜200円安い)
 とはいえ、その湯に入り地元の方のお話を聞くのは楽しいものである。


 と入力していたら車旅に出かけたくなった。





  コラム2−N NO.158                                                                      平成17年12月27日 記

 ”時のおもり” 『新たなモデル模索する欧州』
 〜事前保護か事後救済か〜12月26日朝刊より
        浜 同志社ビジネススクール教授

 読んでいただけるなら、j順番はNO157そしてNO158が良いのではないだろうか。 といいますのは私の思考回路はそのようになっていました。

 『欧州で構造改革の談義が盛んだ。 (中略) 要は経済活動が精彩を欠くからだ。 何とか、欧州経済に活を入れなければならないからだ。 (中略) しかも、自らの社会体質や経済運営の特筆を包括的な観点から捉えなおしてみようとしている。 というのはモグラタタキ同様に個別対策で対応してきたからだ。
 欧州型社会モデルの理想系を模索する視点が中心となっている。
 @北欧型=高福祉・高負担の徹底 
 A大陸欧州型=政労使三方一両損の予定調和方式 
 Bアングロサクソン型=淘汰の論理に身をゆだねる。
 @とAは市場原理に対して一定の政策介入で緩衝効果を施す→が、経済実態は、  北欧=スエーデン、フィンランドは経済成長率は欧州平均より高く、失業率はしたまわる →財政支出黒字。
 大陸=ドイツ、フランスは低成長率、高失業→財政大幅赤字の三重苦。

 両者の違いは社会政策のスタイルの違い。
 大陸型=事前保護型→失業者がでないよう、落ちコボレ配慮→護送船団方式→高率が悪い→雇用すると解雇難しい、よって雇用拡大慎重
 北欧型=事後救済方式→失業出る、淘汰される人いる、→手厚い救済措置→経済情勢に対して柔軟に対応→雇用伸びる。

 北欧型の救済軸をちじめるとアングロサクソン・モデルになる。経済効率は高まるが、社会格差は広まり、結果経済基盤も弱体化の恐れあり。
 かくて「いいとこ取り」の北欧型だが、その背後に重要なつっかえ棒がある→@競争力 Aコンセンサス
 スエーデンにはエリクソン、フィンランドにはノキアあり→先端分野の競争力→高負担耐えれる→求心力の強い成熟社会の国民的合意が、高福祉のための負担の分かち合いをやりやすくする。

 では日本は、「民に出来る事は民に」方式は、事前保護も事後救済もない切捨て型社会経済モデルにつながりかねない。そこをどうするか→新たな構造改革課題
 日本の問題への解答が欧州人たちの模索の中に秘められているのかもしれない。

 今年、放送大学で「古代地中海の歴史」〜「ヨーロッパの歴史(中世〜近世)」〜「近代ヨーロッパ」を学んだ。 日本の近代以降はヨーロッパに学んできた歴史と言っても良いという事を改めて学んだ。
 ローロッパというと文化の香高い、知性と教養に満ち溢れた諸国のように思い、感じていたが、その歴史を良く眺めるとヨーロッパ内の主権国家体制が確立していくに応じて血を血で洗う国家間抗争の歴史であるし、「大航海時代」になればロマンに満ちた表現もされるが、一方軍事侵略や略奪された側から見た植民地政策・行動は知れば知るほど考えられないことをしたものだと思わざるを得ない。(と言って反面、そのヨーロッパは其れにも増しての貢献をしていることも忘れてはならない)

 そのような歴史と文化をもつヨーロッパ故に、世界全体が歴史上の転換期にある今、新たな解答を提起してくれるのではと期待したい。
 同時に、私は日本も一つの社会モデル、個人の生き方のスタイルを提起する国になると感じているのです。 アチコチで試行錯誤しながら語り、行動していることを互いに学びあいながら、其れがつながって多くに人の目に触れ、共感され広がってゆく日がそんなに遠くにあるとは思っていないのです。







   NO.157                                                                      平成17年12月27日 記

 12月24日〜26日の切り抜きから
 〜なぜか、”ニート”と新階層「下流社会」が・・〜

 先週から今週にかけての切抜きをしました。 普段なら、12月26日夕刊から27日朝刊にかけての報道、30数年お世話になった流通業界の「セブン&アイ」と「西武・そごう」=ミレニアムリテイリングの統合のニュースを取り上げるか。
  12月22日の夕刊に掲載された「日本の人口 初の減少 〜予測より1年早く〜」が取り上げられてしかるべきなのだろうが、私は社会・経済評論家でもないので、自分がその時ヒラメキで関心を持った記事を取り上げている。
 昨日、エッセイF に掲載した、「中部大学・オープンカレッジの聴講生 1年を終えて」を書いたためか、そこでも取り上げていた若者=学生の事が気にとまっていたのでしょう、以下の記事が目に止まりました。
 
 12月24日中日新聞・夕刊 『就労目指し ニート合宿』 国の支援事業「自立塾」ルポ。
「自宅では還暦誓い父母と3人暮らし。 昼過ぎに起き、夜明け前に眠る昼夜逆転の生活。 部屋で毎日、パソコンや読書にふけった。「働かなけりゃという気持ちはあった。でも、やりたいことも、自身もない。 先延ばしにし、さきのばしに・・・」そんな時、新聞で同カレッジを知り、親に進められて入塾した。
 「同じ目標を持った人と過ごすのはたのしい」と思うようになった。「3ヶ月で就職できるとは思えないが。 とりあえずの目標をきめて仕事を探してみたい」 
             
 続いて12月26日中日新聞夕刊より 〜話題の先端・ニュースの追跡から〜
 『上昇志向も不満もない』 ーー新たな階層「下流社会」 著者・三浦展氏に聞く

 『「下流」とは、生活に困る「下層」ではなく、上に行こうという意欲が低い人、つまり、働く意欲、学ぶ意欲、金持ちになりたいという意欲も低ければ、コミュニケーション能力も低い。 「人性への意欲が低い」人を指す。 当然所得も低く、結婚も出来ない可能性もある。 一方で団塊世代が持つような「自分らしさ」にこだわり、「下流」生活に必ずしも不満を感じていない。  中略
 「一億総中流」が崩壊している事は誰でも気付いているだろう。「下流」の若者は、其れを悪い事だとは思わず、中流へのこだわりもない。 親の建てた家があり、「ユニクロ」や百円ショップで買い物をして、ファーストフードを食べれば、定職につかなくても十分生活できる。 「なんだ、なんだ」と、上を目指してきた大人は思いたくもなる。
              中略
 「好きな仕事をしなさい」ってことは、とんでもない。好きな仕事が見つからないからフリーターを続ける事になる。その人が一番得意な事を仕事にすればいい。夢がないようだけど、一番得意なもの、つまり一番時給が高くなることをやればいい。』

 12月26日 中日新聞夕刊より〜”文化”欄〜 玄田有史氏
 『ニート世代への「応援歌」〜自分のできること 誠実にやればいい〜

 「前略  U君の話 
 『引きこもっていた当時、自分は働くことの意味、生きることの意味を、毎日考え続けていた。意味を見出せずに立ち止まっていた。』  中略
 働いている人たちは、毎日働いている意味なんて考えて働いているのだろうか。
 意味なんか考えすぎれば、働く事自体、止めたくなる。仕事には、失敗もあれば、理不尽なことも山ほどある。そんなことを忘れるために大人は酒を飲む。 それに齢をとると神様は、忘れる才能がドンドン成長するように人間を作ってくれたりもする。

  U君に「もう少しイイカゲンでいいよ」と言った。 彼は「本当に働くのには、イイカゲンサが必要なんだって言う事が、きちんと統計的に証明されているんですか?」まいった。
 「イイカゲン」であることの大切さを科学的に証明することが、わたしの重要な研究テーマになった。  中略
 正社員でも、派遣や契約でも、フリータでも、背伸びすることなく、自分の出来る事を誠実にやればいい。 そうすれば本当に苦しい時、きっと誰かが助けてくれる。 そう楽観的に信じること。 働くってのは、所詮そんなイイカゲンなものなのだ。

 〜私は「好きなこと、納得できる事以外のことはしないほうが良い」口にしている。
 ”年金生活の国家公務員”なるが故の気軽さが言わせていることだろう。 
 我が家にも30数歳にもなるのに、結婚をしていない息子が2人いるが、何をどのように考えているのは訊ねたこともない。名古屋に住んでいる長男は 時折、洗濯物を大きなバックにイッパイつめてきて、飯を食べ、風呂に入って帰って行く。

 奈良で生活している次男は季節の変わり目と、纏まった休暇の時に顔を出している。 「下流社会」階層に属しているとも思わないが、何を思い、考えているのだろうか。 親の教育のためか。親の生き方を見ていてなのか。分からない。
 
 客観的に分析して、あるべき生き方の方法や形を語ってくださいといわれたら、なんと答えるのであろうか。答えれるのだろうか。  21世紀的な生き方とか、あるべき社会は何かと 気軽に口にしているが一度真剣に考えてみるか。
 今のところは、とりあえず自分の好きなこと、納得できる事、やってみたいことを心身ともに健康な状態で続けてみる事だと思っています。
 「イイカゲン修行僧」とは良き名をつけたものである。
 

 









   NO.156                                                                      平成17年12月21日 記

 「国家の品格」 藤原 正彦・著  新潮社
 〜23万部突破 第1位(オール紀伊国屋書店)

 「こんな日本人論を待っていた」と反響多数。
 欧米の「論理と合理」にしてやられた日本が進みべき、回復への道」との宣伝文。

 『人を殺していけない論理的理由なんか何一つない。私に1時間くれれば、人を殺しても良い理由を50ぐらいは発見出来ます。人を殺してはいけない理由も同じくらい見つけられます。
 論理的というだけなら、良い理由も悪い理由もいくらでもある。
 人を殺していけないのは、「駄目だから駄目」とう事に尽きます。 「以上、終わり」です。このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的に説明出来ないのです。

 論理で全てを貫くというには欧米の思想です。論理で説明できない部分をしっかり教える、というのが日本の国柄であり、またそこに我が国民の高い道徳の源泉があったのです。(本文より)』

 〜21世紀に入って5年が経過しようとしています。 アチコチで21世紀的とでも言うのでしょうか、新しい考え方や実験、そして成功例が紹介され始めています。 どうも其れは20世紀の姿・形とは大分異なっているようです。
 「ロハス」=健康で持続可能性の高いライフスタイルの広がりや、「観光や農業」のような地域に根ざした、しかも高齢者も若い方もそれぞれの役割を果たす場があるものが見直され、関心がもたれており、事実注目されたり、成功例が紹介され始めました。

 小泉改革も社会的な弱者に対する目配りが少なく、あるいは切捨て策が多く、強者・勝者にとって都合の良い政策が進められています。
 が、その同じ政策の進行の中で、最早や時代遅れというのでしょうか、其れまでの利権にしがみ付き、延命を願っている者・会社には舞台からの退場を促しても居るようにも見えます。
 
 明治維新後と同様に、今という時代をあと10年後、いや20年後に振り返れば、小泉改革もマスメデイアが揃って色々取り上げ、騒ぐ事などなかったという事柄・内容になるのではとも思います。
 今という転換期(変革期)に生をえて、修行をさせていただけることに感謝感激しなければと感じている2005年の暮れの心境です。





   NO.155                                                                      平成17年12月8日 記

 ひもとく  ”コーランの世界” 鈴木 則夫
       中日新聞 12月7日と8日

 2ヶ月前からでしょうか、其れまでの大野出氏の「中国の荘子・老子」に代わって、<コーランの世界>が取り上げられました。
 これまで、何度か紹介しようと想ったのですが、切り抜きを忘れてしまいました。
 本日は忘れないうちに切抜きしました、其れが2日間連続しての切抜きとなりました。
 
 まずは12月7日分から
 『・・・だがもし公平にできないようならば一人だけにしておくか、・・・(4章「女」3節)
           *            *           *
 一夫多妻を許容した掲示に続き。アラブ部族だけでなく、当時の社会では事実上制限がなかった妻の数を「四人まで」と限定していたから、いかに画期的な規定であった想像できる。 更にそのすべての妻に、生活水準も何もかも「公平」である事を要求する初期のムスムリ共同体は、根源的に「革命的」な社会集団として人々に映ったに違いない。
 
 そして、12月8日分
 『・・・・さもなくばお前達の右手が所有しているものだけで我慢しておけ。(4章「女」3節)
          *            *            *
 妻全員を公平にあつかえないのなら、一人だけにするか、「右手が所有しているもの」つまり女性奴隷で我慢しておけと説く。 女性奴隷との一定条件の下での「一時婚」でも、正式な婚姻関係は必要(同章29節)。 
 コーランでは、奴隷を制度として認めるが、その開放を大きな功徳とする。
 奴隷制の人類史上の展開を考慮すれば、その意味は大きい。』

 〜其れが、奴隷であろうと、皇女様であろうと一人だけでも大変なことは実感している。 男と女の関係は古今東西を問わないものであるなどと分かった弁で済まされない。

 話は変わるが、このところの中東情勢を見ていると、情報合戦であり、私たちの目・耳に入ってくるものは、どうもコントロールされた恣意的なものであることが時間の経過とともに明確になってきたと思います。
 いまから約1000年前の西欧中世時代、聖地十字軍
および東地中海のことを学んでいると、ムスリム(イスラーム)はキリスト教徒を迫害することなく共存していた事を教わる。 また、その後においてもムスリムは他宗教との戦いは少なかったと思われる。

 近時、1990年の湾岸戦争以降、イラク戦争(というよりは侵略か)においても、操作された情報に惑わされてはならないと強く思うところです。
 

 本当か作り話かは知りませんが、ムスムリが複数の妻を持つというのは、「助ける、援助する」という面があると聞いた事があるが、これは神話であろうか。
 どちらにしても、そんな精神的・物質的なユトリはないが・・・


   NO.154                                                                       平成17年11月23日 記

    「けさのことば」 岡井 隆
 〜中日新聞 11月23日 朝刊より

 『欠乏による苦しみがひとたび除き去られると、肉体の快はもはや増大することなく、その後は、ただ多様化するのみである。 「エピクロス」 (出隆・岩崎允胤 訳)
 
 肉体的な快楽には限界があるということは、豊満の世に生きる人には良く分かってきた真理で、後は『多様化」あるのみ、深まりはしない。
 紀元前三百年ごろのギリシャ人はこのことを見抜いていた。 そのことにむしろ驚きを覚える。』

 今春から、放送大学と中部大学で「人間探求専攻」専門科目で16教科、世界の各時代、地域の歴史と文化、社会の勉強をしております。 
 そこから学んだ事の一つに、時代が経過するとともに多くの人間を養だけ(時代により増減はありますが)の技術開発、生産手段の変化があり、物質的・量的には豊かになったといえるが、同時に其れと並行し人間性が進化・進歩しているとは思えない社会や出来事が随所に発生しております。
 ギリシャ以前においても、記録に残っている(発見された)ものがあるのかどうかは知るところではありませんが、推測する限りにおいてはあったのではないかと想像します。

 そして現在、その一文に対し私たちは反省と何やら後ろめたさを感じる。
 人様のことはさておいて自分はどうなって居ると自戒してみますと、「だから修行です」とほとんど言い訳に近い、言葉の自問です。




   NO.153                                                                        平成17年11月21日 記

咲き続けて 息子の命、母の手記「命のアサガオ」
    中日新聞、11月22日朝刊より〜

 『白血病のために7歳でなくなった長男光祐君への思いをこめて、骨髄バンク普及の「命のアサガオ」の活動をしている新潟県胎内市の丹後まみこさんが、手記「命のアサガオ 永遠に」を、フリージュアーナリストの神津伸子さんとともに出版した。 まさこさん自身も乳がんを患い、入院も体験したが、アサガオを通じて命の大切さ、はっけつびょうのへの理解を訴え続けてる姿に胸を打つ』
〜このアサガオは光祐君が3ヶ月通った学校で育てていたもの、担任の先生がそっと置いていったもの。〜』

 コラム2−N NO333で、花は無いのかと思っておりましたところ、8月22日に初花を見る事ができ、紹介しました。
                    
              

 この種は「愛・地球博」の開幕が1ヶ月を切ったころ、「ウエルカム名古屋の結団式」の折、いただいてきたものです。 その時、「命のアサガオ」の事が説明したあった紙を失くしていまい、背景が分からなくなってしまっていましたが、今朝この記事を見かけて話がつながりました。
 また、時間の経過とともに忘れてしまう事でしょうが、種は採取して仕舞ってありますので、来春は種まきから始まります。 その度ごとに記憶が少しは戻ることでしょう。
 全国にこの種が広がると同時に、骨髄バンクのことや難病で苦しまれておられる方への理解が深まる事を願っております。 

               

 

   NO.152                                                                        平成17年11月7日 記

 ”この道” 元プロボクサー 輪島 功一
         〜中日新聞 夕刊 より〜

 既に10年以上にわたり掲載されている中日新聞の”この道”の愛読者である。
 各界で汗と涙と努力によって、一時代を築いた方々が登場して、ご自分の半生や一生を語る。 物語では無く、事実に元ずく思い出話や知られていなかった裏話や人間関係などの内容で大変面白いというよりは、「そうだったのか」とか「そんな事があったのか」「そんな事は知らなかった」という事がイッパイである。
 
 プロボクサー 輪島 功一さんの”この道”も既に98回(11月7日)、後2回で終了となる。 本日の最後の方でこんな事が書いてあった。
 
 『「昭和」という時代は、私にはピッタリでした。 生まれは18年だから戦時中のどん底の時代です。 私だけでなく日本中が貧乏でした。 戦後はゼロからの出発。 だから「頑張れ明日は良くなる」と素直に信じられたものな。 給料は上がる。 旨い物が食えるようになる。 いい家に住めるようになる。  
 イケイケどんどんの行進曲に乗って誰もがエンジン全開で走ってました。 気持ちいいよな。快感だよな。 この上げ潮に身をゆだねているうちに、いつの間にか押し上げられていたような気のするんだ。 だから「ありがとう」だよ。ホント、感謝、感謝だ。』

 実に真っ直ぐな人生を歩んでこられた輪島さんならではの表現である。 しかし、この間、97回に書かれた話を読んでいる私には単純に頷くわけにもいかない。其れは 私が彼の1年先に生まれており、生活環境は異なるとはいえ、日本全体の社会環境・情勢は同じところを歩いていたのであるから・・・

 自分達の時代のことより、今この時代を当時の私たちと同じ年代の若者がどんな気持ちで歩いているのだろうかと考えてしまう。
 ・この時代の政治・経済・社会をどう見ているのだろうか?
 ・夢があるのだろうか?
 ・先行きにどのような観測をしているのか?
 ・先輩達が築いたものに対してどのように思っているのだろうか?
 ・自分の今の生き方に対してどのように考えているのだろうか?
 ・こんな事を口先だけで語っているのを彼らは見抜いているのではないのだろうか?

 頑張れば何とかなると思って頑張った。 長い時間の経過後、「頑張りましょう」という言葉はやめましょうと提案し、実行したこともある。
 その時私は疲れていたのだろうか? それとも「頑張ること」の矛盾を噛み締めていたのだろうか? 少なくとも一般的に見ればある程度の生活基盤は形成されていた。
 
 今の私はやはり「頑張りましょう」とは言えない。 一目散に物的豊かさ(究極的には金)を求めての生き方は既に矛盾を露呈しているとしか思えない。
 今は残像が残っており、そこにしか価値が見出せないで居るだけなのではないのだろうか?  次なる価値に目覚め、自覚し、悠々と歩んでおられる方の姿を散見することがある。
 偉そうに言っても、その姿を羨ましく見つつも、身に付いた”MORE&MORE”の毎日を過ごしている。
 跡がついている道、先を歩んだ者として何かこのままでは気持ちが悪い。
 
 





   NO.151                                                                        平成17年10月21日 記

 土曜訪問「団塊の世代」にエール 堺屋太一
 「小泉首相は最後の将軍”よしのぶ”」
 〜中日新聞 10月15日朝刊より〜

< 『NO150「定年後を悔いなく」”人生を深める”>を入力したからでしょうか。堺屋 太一さんの記事が目に止まりました。 
 私自身時々書きますように「団塊の世代」ではありません。 昭和17年ですので、彼らの兄貴分となります。 社会に出た時、私が学卒一期生という事もあり、その後数百人に単位で団塊の世代の方たちが入社してこられたとき兄貴風を吹かせた事になります。 彼らに踊らされた、祭り上げられた、いや踏み台にして泳いだということになりましょうか?
 その彼らがあと2年弱でぞくぞくと「林住期」(コラム 2−N の150でその意味紹介しています)に入ってまいります。 これまでも戦後日本に様々な現象を巻き起こしてきた、あるいは築いてきた彼らが今後どんな社会現象を興し、新時代を築くのでしょうか?
 堺屋太一さんは”志でつながる「夢縁社会」を”と、近作『エキスペリエンツ7 団塊の7人』の主人公たちとして書いておられるらしい。(読んでいませんので)
 その訪問記の中から、関心を持ったところを抜粋します。

 『・・・、団塊の世代は頑張った。 彼らの後に続く世代は、明らかに得をしている。「団塊の世代は、これまでもそうであったように、これからも数々の流行と需要を生み出し、新しい概念と社会構造を創造するだろう。
 ・・・、1975年に執筆した小説『団塊の世代』は、リストラや年金破綻,工場閉鎖にあえぐ団塊の世代の姿を描き、予知夢のように的中した。
 『団塊の世代』は終身雇用や核家族や会社人間という言葉で表される社会から期せずしてはみ出してしまう人たちのストーリー。
 『エキスペリエンツ7』は、そんな戦後型日本社会からあえて飛び出してゆく人々の物語。 ものなく還暦や定年退職を迎える団塊の世代の男女7人。 エリート銀行員だの、老舗のそば屋のおかみだの、屋外広告の専門家と言ったそれぞれの経験と知識を生かし、寂れた商店街を見事に立て直す。とのストーリーである。

 堺屋さんには、現実の日本が二つ目の社会への岐路に見えている。
 『エキスペリエンス7』の登場人物の中に、小泉首相が交じっていたとしたら?の質問に、穏やかに笑顔で即答した。
 「よしのぶ」という名で登場させただろう。最後の将軍、徳川慶喜のこと。
 「あの人は口八丁手八丁で、蛤御門の変の時は前線指揮官までやった。 旗本や年貢の制度を変え、幕藩体制を大いに改革した。 けれども、その後の明治維新を知っているわれわれから見ると、彼の改革ってのは、ほとんど無意味だったんですね。武士主導の社会の仕組みまでは手をつける事は出来なかったから」  改革のある段階で必要だった人物、旧体制を壊すためだけに必要だった人物、と言い切った。』 と訪問記事が紹介されていました。
 
 最後の小泉首相のことに関しては同感である。 時代は本当にその時その時必要な人を的確に選び出すと思う。 「自民党をぶっ潰す」まさに、有言事項である。 但し、たとえあと1年とはいえ、このまま続けると少しばかり大変な事になるとも考えるが、そこまで進まなければその時が来ないとも考える。 
 「オオカミジジイ」が少しばかり騒ぎ、やきもきしても、時代はその時にならなければ変わらないのだろうとこのごろは考えるようになったが、と言って何もしないで手をこまねいていて良いものだろうかとも自戒するが・・・
 大半の国民が「物理的・生理的な苦痛の実感」を味わうまでは、新時代とそのリーダーは登場しないのであろう。

 毎度の言い草であるが、その時に可能な限り足手まといにならないようにしたいものであると言い聞かしております。
 
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