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  コラム2−N NO.180
                                    平成18年4月18日 記

  目にやさしい 生活 2006
 「つるかめサロン」より 
中日新聞4月18日 朝刊 


 妻は昨年から「中日スポーツ」を定期購読している。 中日ドラゴンズが負けると、一日当たりのの購読料は高くなっている様子である。
 私のほうはもっぱら中日新聞である。 他紙を読みたいときにはインターネットで済ましている。
 一週間の内、数日「せいかつ2006」と言うページがあり、水曜日には「つれあいに モノ申す」と、「妻と夫の定年塾」”「50歳プラスを生きる”に目を通している。
 火曜日は"目にやさしい 生活2006”ともう一回り大きな活字の紙面である。
 この日は「ひろささちやのほどほど人生論」や「新聞音読のすすめ」「老いの風景」などを愛読している。
 今週は”ほほえみの国で・・・タイ・ロングステイ事情”の特集も掲載されており、既にファイルブックには何枚も「海外ロングステイ」の資料を仕舞い込んであるが、更に付け加えることになった。
 
 そして、本日のメインは「つるかめサロン」である。 来年から団塊の世代が定年退職するのを見越してはじまった紙面構成であろう。
 ほとんど目を通したことはないが、本日は目に留まった写真があった。 タイトルは”同期会を開いて旧交を温める”で、ユニーの前身、西川屋チェーンの昭和43年大卒入社組のうち定年まで勤めた20人が、同期会を開催していて、本年4月上旬に鳥羽への旅行をしてきましたという記事でした。
 どこかに見覚えのある写真、良く記事の内容を読んでみるうちに、記憶が戻ってきた。
 妻にも見せるとそのうちの2人は知っている方と言う。
 こうして定年後も旧交を温めている仲間が居ることは素晴らしいことだ。 かっては、お互いライバル同士であり出世争いをしたのであろうが、時が過ぎればどこかに思い出したくないことも隠れているのであろうが、時間が、そして時代が押し流してくれているのだろう。 記事を投稿されたのは、中途退社され、昨年からこの同期会に参加されているKさんという私にも微かに記憶のある方であった。
 掲載された写真の内一人の方とは今も年賀状のやり取りをしているので、今から「記事を読みましたよ」と手紙を書こうと思っている。

 ほろ苦さと懐かしさ、過ぎ去った時間とこれからが本番と言い聞かした朝のひと時でした。





  コラム2−N NO.179
                                    平成18年4月6日 記

  統計データに見る経済と暮らし
   〜タクシーが日本に登場して100年〜 


 たまには興味ありそうな記事を紹介しないといけないと思いまして・・・

 タクシー料金の変遷
 明治40年 賃貸乗用車の営業開始     7円(大型5人乗り、基本1時間
                            3円(小型2人乗り、 同上
 大正元年 タクシー誕生            60銭(1・6Km)
 昭和15年 ガソリン配給制でメーター表示料金の5割り増し
 昭和17年 木炭・薪などの低燃車出現   80銭
 昭和20年 大和・日交・帝都・国際の
        4大会社誕生=企業統合会   100円
 昭和45年 深夜早朝割り増し制実施    130円
 昭和54年                     380円
 平成2年                      520円
 平成7年                      650円
 平成18年                     660円

 山手線 旅客運賃の変遷
 明治42年  5銭        昭和26年   10円        現在  130円
 昭和5年   5銭        昭和41年   20円
 昭和17年  10銭       昭和44年   30円
 昭和21年  20銭       昭和51年   60円
 昭和22年  1円        昭和54年   100円
 昭和23年  3円        昭和56年   110円
 昭和24年  5円        昭和57年   120円
 *JR(国鉄)のは募り運賃
  ・1989年(平成1年)に消費税3%が導入され運賃も値上げたが、初乗り運賃は換わらず。 1997年(平成9年)の消費税5%に伴い、現行運賃。

 終戦間もなくから昭和30年くらいまでは、自転車タクシーもあった。”輪タク”と呼んでいた。 自転車に幌のついた座席つきの車を連結させたもの。 輪タクの価額は?
 1973年(昭和48)の石油ショック・狂乱物価で、大幅値上げ。 
 その後の値上げは激しいが、不況の長期化と、タクシー業界への規制緩和で、値下げ競争が続いている。
 外国はニューヨークの初乗り料金は2・5ドル(約300円)、中国・北京では10元(150円)、と比べると日本・東京は660円は、やはり高すぎる。


 〜名古屋の街にも東西南北地下鉄網が発達したと言うものの、まだまだ車への依存が高い土地柄である。 めったに都心には出かけないが、出かけるときには早めに家を出て、歩くようにしている。 健康運動にもなるし、変化してゆく街のことが理解できるからである。 時に横道に入ると、思わぬところに出てしまい、キョロキョロとしてしまう。
 タクシーの「運転手さんに客足はどうか」と訊ねて、景況判断の材料にしていたときから、早くも8年が過ぎた。
 出かけたときにタクシーに乗り、同じ質問をしてもこの数年、「客足が戻った」と言う言葉を聴いたことはない。 「格差社会」を実感させられるのは、「リストラで今ではタクシー運転手ですは」との、話を聞かされるときである。
 もうタクシーで景気判断の材料にはならないのではと思う近頃である。〜
 
   





  コラム2−N NO.179
                                    平成18年4月6日 記

   ”けさのことば”  岡井 隆
        中日新聞 4月6日 


 『花を植えておきながら花を愛さなければ、それは花を植えなかったも同じ。
    「江戸漢詩撰 女流(福島理子訳注) 江馬細香

 
岐阜県大垣市の金生山の山桜を見て江戸時代の女流詩人細香の作った詩の一部。
 「花を植えて愛せざるは猶 植えざるごとし/花を愛して惜しまざるは猶 愛せざるがごとし」と歌った。
 細香は再演兼備の人。 頼山陽との交流が有名。 大垣の桜はもう散っただろうか。
 

        *・・・・・・・・・・・・*・・・・・・・・・・・*・・・・・・・・・・*
 
毎日、アチコチの花々、木々を楽しませてもらっている。
 30年前、背丈がほとんど50センチメートル前後の苗木が、今では栗の木のように庭からはみ出して、路上での枝のほうが多いもの。 栗に張り付くように、胴回り1・2Mの山桜が隣り合っている。 途中で切断したが、その後脇枝が伸び数年前から再び花を楽しませてくれる。  本日コラム1−D NO502に掲載した。
 もう10年以上前に、ケヤキなどは2本困って切り倒してしまった。 その時には惜しげもなくシッカリお神酒を振りかけて、「すいません」と言っておきました。
 タイサンボクも処分してしまった。 思い出せないが、記録を見ればまだまだあることだろう。 もう花木や果実の木などは無理である。 根がせめぎ合って、成長が止まるどころか、枯れだしてくるもののある。 垣根のイチイが一番の被害者である。

 その木々の間から幾多の花々が芽を出し、花を咲かす。 もう、コラム1−Dでは紹介できないほどの数になってしまったが、「僕も私も一度は登場させてよ」と言っているようで、見捨てるわけにもいかず、カメラには納めるがホームページには登場していない。
 咲いた以上は何とかしたいと思ってはいるのだが、これでは「花を植えなかったも同然」と言われそうである。
 
 
     




  コラム2−N NO.178
                                    平成18年3月30日 記

   ”けさのことば”  岡井 隆
        中日新聞 3月27日、30日 


 3月27日 分
 「成功などと言うのは、立身出世主義の生んだ幻で、どこにも成功というものはないのではないかと思う。
          『人性12の知恵』 福原麟太郎

 
常識では、「成功」はありうるが、その常識を否定している。 一時の成功と人生全体の成功とはちがうものだ。 成功のあいまいさに比べれば「失敗のほうが厳然としている」。 「失敗から立ち直るのが人生なのだ。 失敗は成功の逆ではない。勇気を持て」


 3月30日 分
 『咲き誇った桜をことばにすることは主流ではなかった。
          『王朝語辞典』 (秋山?編)田中喜美春

 
平安時代には「花と言えば桜」で秋の紅葉と対になっている。 その桜も咲き誇るさまよりも「散る桜を、雪が散るさまや波の飛沫として歌」った。
 「世の中に絶えて桜のなかりせば 春のこころはのどけしからまし」(業平) のように、桜があればこそ、「人々の思いは穏やかではなかった」のだ。
 
 4月3日追記 (中日新聞4月3日 中日春秋より)
 業平の歌に、側にいて人はこう返した。
 <散ればこそ いとど桜はめでたけれ 浮世に何か 久しかるべき>
 
卒業の春、入学の春、就職の春、退職の春、人それぞれの思いで成功と失敗、栄光と挫折を味わう桜時、味わった桜の季節。
 時が過ぎ、喜びや悔しさ、感激もむなしさも時間が埋め・忘れさせてしまう。 残るのはただ対座し自問する我あり。
 3月30日、朝目覚めると春の雪。 カメラ片手に自然公園を1時間強、融けぬ内にと走り回って腹が減った。
 納得行く写真が何枚出来たのであろうか。 今から解凍ならず、パソコンに並べてみることにする。 
 人生の成功や失敗とは違って、桜を初め気持ちが動いた花々やシーンが展開される。
 今日は水墨画の世界が展開された。 今も(午前10時半)霙交じりで、道樹山、大谷山が霞んでいる。
 この日の写真はコラム1−D NO493、NO489、NO484などに重複掲載されています。




     



 COLUMN 2−N NO177                                                                   平成18年3月22日 記 

 ”ひもとく” 「コーランの世界」  N O
 〜中日新聞3月22日朝刊から 鈴木 則夫〜

 『だが信仰敦い(あつい)人びとだけは薄荷(はっか)をばほどよく混ぜた(酒)の盃かたむけることもできようというもの。 かの、アッラーの僕(信徒)だけ飲む(天国の)泉で。 その水はいくらのんでも思いのままにこんこんと湧き出て来る。
             (76章「人間」5,6節)
     *        *         *         *
 
「薄荷」とは、天国の泉の一つタスニームの、芳香を発し、酒の味を更によくする水。
 天国の酒は、地上の「悪魔の業」とは別次元の「いと浄らかな飲みもの」(同21節)


 〜深い信仰心をもつ身でもなく、ましてやイスラムの信徒でもない私。 ナノにコーランの世界の紹介に関心を持って読んでいる。 
 今までのところ、「結婚や対女」に関すること、「金銭に対すること」に興味をもった。 ここ2回はお酒に関することである。
 イスラムの国ではお酒が(アルコール)が禁止されているとの知識であるが、今日の項目を読んでいると、何か特別な、更に上等な御神酒があるのではないかと思われるのだが、どうであろうか。
 さらに、今後の紹介に注目してみたい。

 昨日に続いて3月23日 朝刊より O

 『注がれる酒がまた封印つきの最上品で、しかもその封印が、なんと、麝香(じゃこう)とは・・・さ、このような(素晴らしい酒)が欲しいとおもったら、そのつもりで大いに努めにはげめばよい・・・・。
           (83章「量りをごまかす人々」25,26節)
  
      *          *           *           *
 
コーランにおける「酒」は、地上(罪)と天国(報奨)と言う次元の異なる両義的な物質である。 一方は清純で「飲めばえも言えぬ心持よさ」「酔っ払ったりする心配もない」
 (37章「整列者」45,46節)

 
〜正直なにを言おうとしているか理解できない。 麝香とは麝香牛のことか? そうならば、麝香牛は交尾期に牡の眼下腺から特徴のある匂いの分泌物をだす。 これが何に効くとと大変高価で珍重されている。 
 素晴らしい酒が欲しいと思わない人があろうか。 かなり邪推の解釈か?
 乞う。教え。






 COLUMN 2−N NO176                                                                   平成18年3月21日 記 

 週をひらく ”フオト歳時記” 岩木呂 卓也
   『タンポポ』 中日新聞3月20日

 『・・・・・まもなく公園はタンポポ一色だ、 これらはセイヨウタンポポと言われている。 セイヨウタンポポは明治時代、北海道でサラダ菜として利用しようとしてアメリカから輸入され、強い繁殖力で一気に日本に広がった。 
 日本には古来、エゾ、カントウ、ミヤマ、カンサイそしてトウカイと冠が付くタンポポがある。  和洋のタンポポの違いは鼻の下にある総包片を見ればわかる。
 セイヨウタンポポは総包片がめくれるように後ろに反っている。
 日本のタンポポはめくれていない。 だが、判別は意外と難しい。
 地面に顔をくっつけた姪っ子は「イナバウアーみたい」と、今流行のことばを使って表現した。』

 
〜昨日、数年前から成長して、花の木とサンシュにからみだした庭の桧の頭を1・5メートル切り落とした。 正解であった。南側の梅、花の木、松、そして桧からサンシュと続く、木々の流れに凹凸のリズムが出来、大変満足である。 思い立って切るのも良いが、後から悔やんでもどうしようもない失敗をしているから、このくらい時間をかけて判断したことは良かったようである。

 
切り落としていた枝を整理していたとき、足元のタンポポが目に入った。
 <そういえば、今朝の新聞にタンポポのことが掲載されていたのを思い出して、改めて新聞を拡げて読み直した> そして今朝(3月21日)朝からカメラを持ち出しての撮影です。 一番初めは太陽が東の山に顔を出し始めたとき(6時半ごろ)、次に朝飯を終えた8時半、3回目は午前10時半、そして4回目にやっと開花の状態の撮影となった。午後の0時半。
          
          午前6時半                   午前8時半

          
          午前10時半                 午後12時半
 
 本日は曇り空で午後12時半の時が一番花が開いた状態でした。(昨日はもって180度以上にひらいていたのですが、曇りと気温でしょうか
 夕方になり閉じ始めるのも撮影するつもりです。 WSC(ワールド・ベースボール・クラシック)をテレビ観戦しながら、時折覗いてみるが、早くも午後の2時前には開いた花弁が閉じ始めた。 時間が戻った状態での反転ですから割愛します。


 今から(4月1日 ごご2時撮影を追加します
      
  
           一重の日本タンポポ       八重の日本タンポポ
 3月20日のタンポポとは別物です。 また、これまで気づきませんでしたが、日本タンポポにもいろいろあるのですね。 右と左では全然違います。 

 

 なお、タンポポというと黄色を思い出されるでしょうが、この白タンポポは何処の系列に入るものかは知りませんが、日本種です。
 セイヨウタンポポがないか探していました、午前10時半、小さなセイヨウタンポポが開きました。

           

          
     総包片が閉じています         分かりにくいですが、開いています

  { 今日一日はタンポポの撮影に時間を支配されそうである。。
 その間、WBC(ワールド・ベイスボール・クラッシク)の決勝戦を楽しませてもらう予定。
 セイヨウ(アメリカン)スポーツの第1回の世界チャンピオンになれるよう勝利を期待し、現在(午前11時10分)の時間を入力して階下のテレビを視聴するために降りることにしする。}
 {  }に囲まれたところは、11時10分に入力した文章です。
 
 
〜そして、今午後4時、WBCで日本が勝利したことを見届けて、再びパソコンの前です。 久しぶりに胸がドキドキしながら野球観戦をしました。 歴史の長さが桁違いにことなるセイヨウ(アメリカン)スポーツの第1回大会に勝利したこと、素晴らしい。 この大会が続く限り第1回の勝利国として記録が残されることになる。

 
セイヨウ(西洋)だ、日本だと気にするのは可笑しいとも考えない訳ではないが、今通学路のプランターに22鉢咲いている「サクラソウ」は西洋サクラソウです。
 日本サクラソウはやっと、芽が出てきたところです。

     
   西洋サクラソウ      西洋サクラソウ       西洋サクラソウ
 
一番右もセイヨウサクラソウです。このくらい小さいと可愛くもあります。

      
  日本サクラソウ       日本サクラソウ       西洋サクラソウの葉

 
〜日本サクラソウはどんな花を咲かせてくれるのでしょうか。
 今日はWBCの関係でしょうか、西洋と日本に拘ってしまいました。
 やはり、全般的に大きく派手な色合いのものが西洋種、日本種は控えめで奥ゆかしさがあるように感じますが、これはお花の世界のことだけになりつつあるとしたら悲しく、寂しく感じるこの頃です。
 








 COLUMN 2−N NO175                                                                   平成18年3月19日 記 

 ”ひもとく” 「コーランの世界」  M
 〜中日新聞3月19日朝刊から 鈴木 則夫〜

 『これ汝ら、信徒の者、酔っている時には、自分で自分の言っていることがはっきりわかるようになるまで祈りに近づいてはならぬ。
                                (4章「女」 46節)
        *        *         *         *
 
シャイターン(悪魔)の業である飲酒は、最終的にはコーランで禁じられている。(5章「食卓」92節)。
 ハムル(葡萄酒)全面禁止にいたる実際的な理由は、原料がアラブ産でなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒との交流で持ち込まれていたことによると言われる。

 
〜私に禁酒が申し渡されたら、人生の半分は抜け殻のようになるだろう。
 いや待て、直前のコラム2−N NO174で「命」のことを扱った。 私が病院に入院していたときはどうであったか。  頚椎症のときは、兎に角激痛が走るだけで、内臓はまったく問題なかった。 そこで、枕もとの冷蔵庫には常にビール、日本酒、焼酎などが秘かに隠し冷やされていた。 真夜中の一人酒である。 
 翌年の大腸ガンのときは流石にそんな訳には行かなかったが、流動食から普通食に変わるころには、再び胃袋が求めてきた。
 今は、毎日美味しいお神酒がいただけるように、ストレッチに散歩、4種のサプリメントと高血圧の薬を飲まさせていただている。
 コーランの世界に生を受けなかったことに感謝する。 いや、コーランの世界にいれば、命より大切な何かに出会っていたかも知れない。
 此処で、再び”常徳、楽徳、我徳、浄徳”となる。
 ”楽徳とは人生苦の連続と知るべし、生老病死なり
    不動の忍耐心を持ち、正しい道を歩む
      ならぬ堪忍、するが堪忍
 安禅必ずしも山水を用いず、心頭を滅すれば火も
自から涼しい
 
 
灯明の灯っている間のみが、この心境と実践の時間なり。 お〜アラ〜よ
 




  COLUMN 2−N NO174                                                                 平成18年3月19日 記 

 ”今週のことば”  池田 勇諦
   中日新聞 3月19日 朝刊


今 いのちが あなたを生きている            「同朋新聞」

この標語は私たちの日常的感覚からは、とても発想できない。 せいぜい”私が今、いのちを生きている”程度か。                                      
 私がこのことばから想起したものは、星野富弘氏の次の詩句であった。          
「いのちが一番大切だと思っていたころ/生きるのが苦しかった/いのちより大切なのもがあることを知った日/生きているのがうれしかった」                      
 「いのち」と言えば、この心臓の鼓動に象徴される現前のいのちだ。  彼は「いのちより大切なもの」が、という。                                      
とんでもない、と言いたいところだが、事実は、現前のいのちが何より大切であればこそ、このいのちを真に生き生きとさせるもの、それとの出遭いが人生最要の課題だと告げているのではないか。                                            
5年間、ありがとうございました。                         
 このコラムでも何度か取上げさせていただきました。 中日新聞の日曜版『人生のページ』に掲載されてきたコラムである。 今回が最終回とのこと寂しくなる。
 
 本日紹介されている、星野富弘さんの「四季妙 風の旅」(1982年1月10日 第1刷)を取り出してみました。 裏表紙の空白に1988(昭和63)年・4月・2日と書かれ、Sさんよりとある。 このときは私が頚椎症で入院していた時期であり、その年5月には会社を退職している。
                    
 今、Sさんのご主人は数年前にゴルフの最中に倒れ、その後回復したが、昨年再度、倒れたと今年の年賀状に書かれていた。 共通の知人の方が近くに居られるので、その後の容態を訊ねてみたが、「奥さんが、もう訪ねてこないで」と言われたので、その後のことは知らないと言う。
 家の前を時折通過するが、2週間前には駐車場からの階段に、車椅子用のリフトが備え付けられていた。 車椅子の生活をされているようである。
 戴いたこの本に、その後の出版された星野さんの書籍を追加して持参するか、宅配便に託してみようかと思っている。
 
 私は、ちょうどその1年後(1999年)の春、同じ時期に今度は大腸ガンで、同じ病院でオペを受けている。 2年とも桜の開花と散るのを病院のベットで眺めたのが思い出される。 その桜の時期がやってきた。 あれから7年目の春である。

 「いのちより大切なもの、めぐり合ってもいないし、これだ!と感じたこともない。
 今、この時を生きる。 
 常徳とは、不生不滅、不増不減の哲理なり
 常徳は公平にして無私、天上の月、常住不変なり
 常徳を養うは諸行は無常、一瞬一瞬が絶対なり
 大宇宙よりみれば不生不滅、現象は無常なり
 
 
毎朝、大声で唱えている「延命十句観音経」の一節である。 これを口にしている時だけは、少なくとも心穏やかでいられる。
 他に、楽徳、我徳、浄徳がある。 命、いのち、命。
 

COLUMN 2−N NO173                                                                  平成18年3月17日 記 

 "くらしの作文” 「我慢比べ」
 中日新聞 3月17日  福井市 三田村丈子
                  (公務員 44歳)


 『朝起きると、部屋がきれいに片付いていた。 夫に「昨日の夜、部屋を片付けてくれとたの? ありがとう」というと、「我慢比べに負けたんや」と言う。
 「我慢比べって?」 と私が聞くと、「汚さに耐える我慢比べや」「お前や子どもたちはどうしてそんなに汚いのが好きなんや」と言う。  (中略)
 私が綺麗にするコツを尋ねると、「元あった場所に戻せばいいだけや」というのだが、何故か私にはまねが出来ない。 これはもう、片付けのセンスの差ではないかと思っている。  残業で疲れて遅く帰ってきたのに、散らかった部屋と、子どもと一緒に熟睡している妻を横目に黙々と片づている夫の姿を想像すると、感謝の気持ちでいっぱいである。
 「綺麗な部屋は気持ちいいね」と私。 夫は「今日は我慢比べに負けないぞ」と、半分笑いながら朝食を食べた。』

 〜いや、この文章は共働きの奥さんが書いておられるので、大分我が家と条件が異なるが、”我慢比べに負けた”との一言は、実感できる。
 会社を辞めて数ヵ月後から私の掃除場所が知らないうちに確定した。 しかも時間の経過と共に拡大し、現在は家全体の約60%が私の受け持ちになっている。 なお、私の担当場所はほとんど毎日、置物を移動して手が入っているので、不意のお客さんが来られても大丈夫である。  時折、見かねて手を出そうとすると、実に嫌な顔をするので、このごろは見ないことにしている。
 と言っても洗濯場所と同じ所にある洗面所は水がスムーズに流れないと困ってしまう。 もちろん、その前に流し口に引っかかったり、詰まった髪の毛や塵を取り除けば良いのだが、私には髪の毛がほとんど無いので原因発生の責任は薄いと思っている。
 そこで我慢比べとなる。 多分以前は3勝7敗くらいで負けが込んでいたが、このところの我慢比べでは3連勝していると思う。
 
 以前、綺麗好きと思われる奥さんの知人に訊ねたことがるが、以外にも「それがどうして、どうして」との返答であった。 他の人にも訊ねてみたが、同じような意見が聞かれることのほうが多かった。 それ以来、女性は姿、形、化粧、身なりには気を使うが、実のところは整理整頓は不向きというか、性格的に上手ではないと理解し、我が相方の日頃の行動の基準を少し下げました。 
 下げた結果、「我慢比べで優位な情況を生むようになった」と思われる。
 ちなみに、私の整理整頓のコツは「整理とは使わないものは捨てること、整頓とは使ったら元の位置に戻すこと」である。 
 と言いつつ、”整理”=捨てるがなかなか出来ない(貧乏性かモッタイナイか)。     書斎の本棚の整理を始めて、本日で10日ほど経過したが、思ったほど進行していない。
 基準を作って棚から下ろして、いつでも資源ごみに出せる状態にはしてあるのだが、紐で括られたまま、まだ片隅に積み上げられている。
 



 COLUMN 2−N NO172                                                                   平成18年3月7日 記 

 「こまち通信」 2006年 3月号
”日本農業は大きな政策変更をします” 涌井徹さん

 久しぶりに秋田県・大潟村あきたこまち生産者協会を取り上げます。
 詳しくはホームページ http://www.akitakomachi.co.jp/をお読みください。
 
 『平成18年度、37年間続いた減反政策が今年でおわりになるために、19年度から新しい農業政策は始まります。
 そのポイントは所有面積4ヘクタール以下の農家は、国にとっては補助や融資の対象にしないという事。 所有面積の少ない農家が補助や融資を受けるには、他の農家との共同経営により20ヘクタール以上の法人経営を営むことが必要となる。
 日本の農家の95%以上が4ヘクタール以下の所有面積です。 多くの農家が集まって法人経営を行うことはとても難しいことです。

 国は、財政上の理由で政策の集中化をすすめて行きます。 そして、日本の将来にとって、残す必要のある農家と、無くなってもよい農家の選択に入っていくことになります。

 大潟村あきたこまち生産者協会は、協会を創って15年が経過しました。
 協会を創り、会員に直接お米を届けるようにした。その間多くの困難(加藤注・妨害)の連続、次にお米の機能性食品の開発に取り組んだ。
 今年から、大豆、米ヌカ、玄米、白米等を粉末化する事によって、より機能性食品の開発に取り組むことになった。

 37年間続いた減反政策があり、時に行政や農業団体から様々な圧力を受けたことにより、人間としても経営者としても、とても良い勉強をさせていただいたと、今では大変感謝している。この減反政策がなければ、今日の協会はもちろん、今日の私もなかった確信しております。』

 〜読んでしまえばこれだけのことですが、私がこの協会のお米を取り寄せるようになったのは1995年4月2日に中日新聞に掲載された「お母さんに伝えたい大事なお手紙です」という、タイトルに目が留まってからです。
 その後、私自身が少しばかりのお米作りをしておりますが、涌井さんを初めとする「あきたこまち生産者協会」の方々の考え方、取り組み姿勢に共感し、子どもたちが家を巣立ってからは、以前の半分にも満たない毎月の数量ですが、取り寄せさせていただいております。 それはもちろんお米自体が美味しいことはもちろんのこと、協会の皆様の精神を戴いていると感じているからです。
 精神ばかりでなく、2003(平成15)年、7月1日より「東北〜北海道の車旅」の折、7月5日にこの大潟村の協会に立ち寄りました。(この記録はエッセイ「日付順NO370 7月5日にあり)。 予想どおりに行き届いた応対振りが今でも思い起こせます。
 ただ単にお米を戴くというよりは、やはりその精神と行動に共感を覚えるからです。
 協会のますますの発展とこれからの日本農業に、一つのモデルを示し続けてほしいと思います。





 COLUMN 2−N NO171                                                                   平成18年3月1日 記 

 ”ひもとく” 「コーランの世界」 IJKL
 〜中日新聞2月26日から3月1日 鈴木 則夫〜

 昭和17年、時代背景もありましょうが、生まれたときはそれほど物質的に恵まれ無い家庭環境でもなかったようですが、戦後はかなり厳しいというか、北設楽郡豊根村の山の中の薬屋さんでしたが、親父の生き方に影響されて、どちらかというと物的には惨めな生活の中にあったように思います。
 そのためか、金銭感覚は人一倍養われたように思います。 まずは自分のことが第一優先で、少しのユトリが出来たとしても弱者に対しての思いやりは欠けた感覚で生きてきたように思います。 街頭での寄付行為に対しても、意識して自分に言い聞かせないと、自発的行為になかなか進めないことが今でも続いています。

 そのためでしょうか、今回の4回にわたる「コーランの世界」に活字を見過ごすことが出来ませんでした。 読んで、ここに記録するだけではなんの役にも立ちませんが、それでもと思い直して、入力することにしました。

 2月26日より
 『・・・本当の宗教心とは、アッラーと
最後(いやはて)の(審判の)日と諸天使と聖典と預言者たちとを信仰し、己が惜しみの財産を親類縁者や孤児や貧民、また旅路にある人や物乞いに分け与え、とらわれの(奴隷)を購って(あがなって)(解放し)、・・・・             (第2章「牝牛」172節)
     *           *           *            *
 
不平等の存在が大前提の現実世界で、自分の富を必要とする人びとに分け与える行為は、魂の浄化に通じる。 それは形ばかりの礼拝に終わらない信仰実践の基本の一つ。


 2月27日より
 『・・・また礼拝のつとめをよく守り、こころよく喜捨を出し、一旦約束したならば約束を果たし、困窮や不幸に陥っても危急のときにのぞんでも毅然としてそれを堪えて行く人、・・・・そういうのが誠実な人、そういうのこそ真に神を畏れる心を持った人。       (第2章「牝牛」172節)
     *           *            *           *
 
信仰の基本は、礼拝と喜捨だとコーランでは繰り返し言及される。 公認の義務的喜捨は、清める意味の動詞ザッカーにつながるザカート、自発的な喜捨はサダカという。


 2月28日 より
 『それも、信仰ただ一筋にアッラーに仕え、純粋な信仰の人として、礼拝の務めを果たし、喜捨を出せ、とただそれだけの御命(みこと)であったに。 これこそ本当に宗教の(真髄)であろうに。 
               (98章「神兆}4節)
     *          *            *           *
 
ムスムリの義務としての喜捨は、迫害でメデイナ(シリア)に移住し窮乏していた初期信徒救済のため、共同体の支出を補う救貧税として制度化された。 
ザカートもシリア語でキリスト教に起源があると考えられる。


 3月1日より
 『お前たち、他人の財産で得とろうとて利息つきで貸し付けても、そのようなものはアッラーのもとでは全然殖えはせぬ。 アッラーのお顔を拝したいばかりに喜捨したもの、そういうものこそ、二倍になって還ってくる。
              (30章「ギリシャ人」38節)
      *            *            *          *
 
高利貸しの禁止は3章「イムラーン一家」125節でも明言されている。 後半部分には、富の一部を神が取り分として喜捨すれば魂の寄与目となるという考えかたが反映されている。
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