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 COLUMN 2−N NO190                                                                   平成18年6月6日 記 

 牛之宮ウイークリー 6月6日号より
      ”ファンドの投資家を眺めれば・・・”

 前に書いたことがあると思います。 10数年前「藤原学校」の藤原直哉さんと共同(?)で、牛之宮を経営されていたオーナーの松藤民輔さんが、その後を続けている「牛之宮ウイークリー」です。

『ドバイ65%、サウジは55%、インドは25%、米国は5%下げている。 日本の新興市場はもっと顕著になっている。(中略) 何故村上ファンドの村上は逮捕されたのかと鉄道会社の監査役に訊ねると。 検事総長の就職先です」と返ってきた。
(正直私=加藤には何のことか、分かりません。が、そうかな?と)
 若くてスマートで汗をしない人々の金儲けは、要するに悪なのだ。
 時代は株価暴落、土地暴落の後の金融危機をわすれ、再びバブルに突入した。 政治も経済危機も右にふれた分、おおきく左に傾き始めている。なんと振れ幅の大きい国だろう。 (中略)
 

 戦後のの日本文化は、ひばりに始まりひばりに終わる。
 ひばり以外、都はるみも、山口百恵も小林旭も村田英雄も刺身のつま程度の存在でしかなかった。 ひばりは国立劇場に出演しないかといわれた時、私はミーハーの大衆芸人、大衆とともに生きますと出なかった。
 戦後の日本を支えたひばり等の大衆文化。 その文化の中にこれから百年の時代を読むカギがあると考える。
 バブルの崩壊は間違いなく全世界を覆う。
 これから数年の世界的バブル崩壊で日本に世界の金量の99%が集まる。
 1943年の米国の用に、黄金の国ジパングはその時。産声を上げる。 

〜松藤民輔さんが取り仕切る、「牛之宮プライベートクラブ」の会員は今期は500名を超えているという。 会員費は一人”年3万円から100万円まで”の中で、自分が価値があると思う金額を振り込みくださいというクラブである。
 たった500人と見るか、なんと500人もいるのかと読むのかは、それぞれの判断、価値基準であろう。 
 私は兎に角、13年目の入会となった。 視点、考え方、行動が、その他多数のところでないのが魅力である。
 藤原さんとは両雄あい並び立たずの価値観であるところが勉強になる。
 その両者が、それぞれの感じ方、言い方、考え方で時代の変革を伝えている。
 それに影響されながらも、可能な限り尻馬には乗らずに感じ、考え、行動してゆきたいものfだと思っている。



 COLUMN 2−N NO189                                                                   平成18年6月5日 記 

  藤原学校 第21期4回 2006年5月24日より
    〜やっぱり、世界バブルが弾けたか〜

 以下に紹介しますのは、藤原学校 第24期4回の講義に参考資料として掲載されたのもです。
 2001年10月9日(火)のロイターに掲載されたものです。
 『東京 9日 ロイター
 速水日銀総裁は、これだけ大量の流動性供給をしていると、いずれ何らかを契機として、インフレに火が点く事も起こりうる、と述べた。
 参議院予算委員会で民主党の浅尾慶一郎議員の質問に答えたもの。
 速水日銀総裁は、物価下落について、『物価は世の中にある
財・サービスと流動性の交換比率で決まる。 流動性を増やし続ければ、かならず流動性過多になりインフレになる時期が来ることは間違いあるまい。 だが、いつくるかは、この時点で見ることは難しい』と述べた。
 その上で、速水総裁は、「私の戦中、戦後の経験から見ても、これだけの大量の流動性供給を続けていると、いずれ何かを契機としてインフレに火が点いて、スピード早く燃え広がることもおこりうる」とし、「このような懸念も十分頭においておくのが、中央銀行の責任である」と語った。


 〜この記事、内容については、5年前にも藤原学校で取り上げられていたから、記憶に残っている。 が、当時はデフレ一辺倒の時代で、なにを速水総裁は言っているのかという感じで取り上げられていたと記憶する。
 その後の小泉内閣と福井日銀総裁、そして竹中平蔵大臣の間でどのような密約(?)、話し合いがもたれたかは知る由もないが、日銀はゼロ金利を継続するとともに、資金を市場に大量に出し続けた。 日本にのみならず、世界中に30兆円という金がばら撒かれたということになる。 
 今年になって3月、日銀は資金回収へと政策変更し、世界に出回った30兆円の回収を始めた。 世界的なインフレを懸念してか、それともいかなるお家の事情かは知らないが、その回収速度はすごいスピードである。 5月末までに16兆円を回収したという。 約3ヶ月であるから年に換算してみると、16×4=64兆円となる。 日本中に出回っているお金が75兆円というから、その金額、スピードは大変なものだろうと経済のことにチンプンカンプンな私でも、数字的に計算し異常を感じる。
 まだ、8月までに8兆円を回収するという。
 
 そんな中、5月22日、これまたブラック・マンデーというのだろうか、世界市場で一斉に株や商品の暴落が発生した。 何処の、誰が、どのような損失を蒙ったかは知らないが、間違いなく何処かで、何か負のエネルギーが行き場を求めて苦悶していることであろう。

 今年に入っても続く異常気象、それらを寄せ集めてみると、何か巨大なエネルギーが何処かで爆発してもおかしくないと、またまた感じるのです。
 といいつつ、新しい波、動き、流れを感じてもいるのだから、何のしがらみもない旧来の消え行く流れに身を置いたりせずに、楽しく納得の行く道を歩んで生きたいと思っています。




 COLUMN 2−N NO188                                                                   平成18年5月30日 記 

 ”ひもとく” 「コーランの世界」  P
 〜中日新聞5月30日朝刊から 鈴木 則夫〜

 『ええ憎らしい人間め。  なんたる恩知らず。  
 一体、何から創って戴いた身か。
 ただ一滴の精液から、創って、5体ととのえ、それから道をでやすく、
  やがて殺して、地の埋め・・・・・
 その気になり給えば、また喚び起こすこと思いのまま・・・・

            (80章「眉をひそめて」 16−22節)

      *           *           *         *
 
人間が自身を創造したアッラーへの感謝の念を忘れるのは、カーフィル(不信仰)である「憎たらしい」状態。
 この「道」とは産道。  「喚び」(よぶ)起こされるのは審判の日の復活。

 〜
神=アッラーから見れば、それはそれは憎らしい人間共ということになろう。
 5月25日の切抜きであるが、5日経っても捨てられずに残っていた。 その間数回目を通したのであるが、此処に紹介するための入力の対象からは外れた。
 春日井市議補選の方に私の関心が引きずられていたから・・・・
 その件は、昨日市民からの「異議申し立て」があったので、そこまでは良し思っているが、今日の朝刊を読んでいると、「選管」はウヤムヤのままで通り過ごそうとの気持ちがあるように思えて仕方ない。 不服なら愛知県の選管に審査申し立てがされ、更に不服なら高裁、最高裁と争うことが出来るが、次の選挙は来年の4月(統一地方選挙)となっている、グズグズと引き伸ばしにしてはならない。

 神=アッラーから見れば、目こぼしの範疇であろうか。
 近時の人間どもの、荒んで、非道で、詐欺行為がのさばる数々に、お見通しも、あきれ返り、最後の審判に及ぶのであろうか。
 本日、更に数度読み返している間に、行間に凄さを感じた。
 
 今、巷で「ダヴィンチ・コード」が騒がれている。 最後の審判には、どの様な謎が隠されているのであろうか。
 「マグダラのマリア」の産道を通りし者有や。  一滴は誰ならん。
 このようなこと口にする輩は、殺し、地に埋めしむべき筆頭者なりか。





 COLUMN 2−N NO186−3           
                                平成18年5月29日 記

 春日井市市議補選”定数”ミスの報道のその後
  5月28日選挙終了、
        5月29日、中日新聞の報道より


 コラム2−N NO186−2に記載しました後、報道が尻蕾のように感じました。
 5月25日は報道なし
 5月26日、近郊版にのみ
 「市長選にどう影響 、気をもむ両陣営」 春日井市議補選の被選挙数問題

 5月27日、県内版に
 「「無効」の不安 背に奔走」  当選枠増えてもトップ狙う


 5月28日 近郊版
 「春日井市 投票所の設営 着々と」 きょう投開票

 そして、5月29日の朝刊
           

 〜白票が4400票、無効とかやり直しと書かれた無効票は投票数の1割に当たる7286票に達した。 
 私もその一人である。 どの様な行動を取ろうかと考え、「無効、異議申し立て」と書いてきました。 同じ気持ち、考えの方がこんなにもおり、しかも同じような行動を取られたことを記事で見て、安心というか、安堵しました。
 
 しかし、問題はこれからです。 どの様な決着になるのでしょうか。
 『異議申し立てがある場合は、5月29日からにしてください」との選管の返事でしたので誰も何も起こらなければ、選管に出向こうかと思っていましたが、、5月27日の段階で、市内の72歳になる無職の男性が、抗議文を既に持参し「公民権を行使させない状況にした」と批判し、原因を明らかにし、選挙をやり直すように求めたと報道されている。
 また、共産党も異議申し立てをすると報道されているので、私が出かける必要はなくなった。

 このところ年金不正免除で、またまた、又、社会保険庁は出鱈目である。 
 解体的出直しとか言っているが、もうこの集団、組織の文化はどうしようもないと思います。 お役所仕事とか言うが、こんなお役人、お役所ばかりではないかと疑いでなく、確信してしまう。
 かく言う春日井市も同様に感じてならない。 今回のことでアチコチに電話をかけて、いささか煽動した行動を取ったが、このままでは地元春日井市が駄目になってしまうと思っていたからである。 恥ずかしくもあった。
 というもの、過去に3度提案したり(正式な文章で出した)、電話を入れたりしたが、結局返事なし、あるいはお座なりの返答で、そのご後は音沙汰なしという経験をしていたからです。
 市民が市政に関心を持ち、参加し、時には監視をしなければ、決して住みよい街、「文化の香りする街」という標語の市にはならない、なれないのです。

 今回の市議補選は良い機会、更に継続して注目してゆきたい。




 COLUMN 2−N NO187           
                                平成18年5月26日 記

     熊谷 弘 オフィシャルサイトと
 藤原 直弥さんの「ワールドレポートNO517」より


 〜熊谷さんは、昭和39年に一橋大学を卒業し、その年に通商産業省に入省、昭和58年、静岡県から衆議院選挙に出馬、当選6回。 細川内閣の時、通商産業大臣、羽田内閣で国務大臣・内閣官房長官を歴任し、平成15年11月、政界引退。 平成16年4月から浜松大学で非常勤の講師をされておられます。
 御自身のホームページには得意分野をマクロ経済、国際関係、外交安全保障論、政治論と書かれています。
  良くは存じませんが、藤原直哉さんとは面識があり、情報交換やご一緒にこれからの日本のことを検討されておられる方と存じ上げています。(詳しくはホームページを) 
 そのオフィシャルサイトの5月24日の日記から

 『つらつら思うに、日銀の政策転換はやはり大きい。
 世界大の過剰流動性が縮小し始めているらしいが、世界大の過剰流動性を作り出している根源は日銀であったことが良く分かる。

 商品市場、新興市場なども大きな影響がでているらしい。
 問題は米国である。 基軸通過ドルにいずれ来るであろう衝撃を皆が心配し始めたようだ。
 不思議なことに日本の経済ジャーナリストはこのことに触れていない。 
 どういうことだろうか。


 藤原直哉さんの「ワールドーレポートNO517」(5月17ひ)より
『今年の3月初めの量的金融緩解除以来
、日銀は既に16兆円のマネーを回収した。2ヵ月半で、世界市場からこれだけの金を抜けば株が暴落するのはあたりまえ。 日銀はこれを歓迎している。 このままにしておけばインフレが全世界で続いてしまう。 (中略) 金融破綻や経済破綻が起こっても、その処理は政府の担当、悪いのは日銀の金融政策ではなく、自己責任原則のリスクを怠った民間企業。 同時に民間への監督がずさんな金融庁が悪い。(中略)
 小泉内閣になってから量的金融緩和と称してマネーを出しすぎたそのものが日銀の失敗。 
 かって、前任の速水総裁が国会で言った、今のようにマネーを出し続けていると何らかの原因でインフレとなると警告を発していた。数年で現実となった。』

 〜
私には特別の解説はありません。
 直感でオカシイ、オカシイと思っていたことが、現実になってきたように思える。
 1990年バブル崩壊から16年目、インターネット取引とか言って、1日十数億株の取引があるという、ドラえもんではなく「ホリエモン」事件といい、村上何某といい、私の知識・経験では理解できない。
 これが新しい時代なのかと思ってみたり、それにしてもどこかオカシイと感じ、答えはないかと新聞を読んだり、政治経済テレビを視聴したりしているが、誰も何処にもオカシイとはハッキリ書いても、言ってもいない。 
 インターネット取引の中心が、たった15年前のバブルを知らない若者であるとしたならば、既に大怪我をしている者がいることだろう。
 政府も、日銀も、政治家も、官僚・役人も、学者も、経営者も通り一遍のことしか口にしていない。 黙って準備対応しているということだろうか。
 
 更に世界的な大波に晒されなければ、止まらず、このまま突っ込むということだろうか。
 次の波はいささか簡単なものでないと、これまた直感で感じているのだが・・・
 
既に、感覚麻痺した足元に打ち寄せているのかもしれない。
 




 COLUMN 2−N NO186−2           
                                平成18年5月24日 記

 春日井市市議補選”定数”ミスの報道のその後
  〜昨日に続いて 中日新聞5月24日朝刊
              中日新聞5月23日夕刊より〜


 まず、5月23日の夕刊のタイトルより
 ・読み誤った公選法条文  選管も惑わす あいまいさ
 ・春日井市の”定数”訂正 市選管に苦情次々 市民「やり直せ」「無効だ」
 (
この問題に端を発して昨年8月市議補選が実施された美濃加茂市も”定数」ミス
 「ひょっとして」誤り発覚とある。)

 そして、5月24日の中日新聞の朝刊のタイトル・1面より
 『春日井市”定数”ミス 市議「補選やり直せ」 、同じく1面の「中日春秋」にも取上げられている。
 3面では、それでも続選挙戦 候補者 複雑な心境
               選管 打つ手なし やり直しは”住民頼み”
 
県内版には、「選挙の根幹にかかわる」 「責任問う声大きくなる」 とあります。
 
  
〜以上が、中日新聞の報道のタイトルです。 細部の内容は控えますが、私としては中日新聞・春日井支局や本局の「読者センター」に電話したり、春日井市役所の選挙管理事務局に電話したりして、”出直しすべきだ”との意見をいい、中日新聞にはもっとハッキリと社の意見を載せるべきだと伝えていたので、今日の紙面はそれなりに満足はしたが、まだ結論が出たわけではないので、本日も中日新聞・春日井支局に電話をいれ、「前日より明確な報道でよかった。 更に投票日までには時間があり、変更は可能であるので、取材を続けて、市民の声を反映して欲しい」と依頼した。 
 若い?支局の記者なのであろう、記事内容を褒めておいたので、嬉しそうな声で「ありがとうございます」と返事が返ってきた。

 更に、選管事務局に電話を入れて、「昨日はどれほどの苦情電話が入ったのだ」との問いに、「手元に資料がありませんし、6台の電話で対応しましたので、話中が多くご不便をかけ実数は分からない」という、「情報公開できない内容でもないのだから」というと、「はい、そうです」とは答えた。 最初電話に出たのは、選挙のために他部署から応援に来ている職員で、普段は担当主査と職員2人との事であった。
 私は「このまま選挙になるのなら、異議申し立てをしたいが、そのためにはそこに行けばよいのか、どのような書類が必要か、他に市民か市民団体でそのような声は上がっていないか」との質問には、「公職選挙法」の条文を繰り返し読むだけなので、「一度このまま続けられるのなら、そこに伺います」と言って電話を切った。
 
 多分、総務部長が事務局の最高責任者であろうが、主査が直接の責任者として事に当たっている様子である。 「貴方は大変だろうが、このまま選挙をしてしまったほうが、後々更に大変にありますよ。 誰にでも間違いはあるのだから、法律上は間違っては居ないなどと杓子定規なことを言って進めるよりは、ここは素直に誤りを認めて出直したほうが、きっとベターである」と言っておいた。

 
その後、新聞の報道を読んでいると、市議会、および各会派も通り一遍な見解を述べているだけで、事の重要さを感じていないように思えたので、議会事務局に電話を入れたところ、本日は33名の議員中6名しか出てきていないし、皆さん昼食に出かけて不在との事。
 「午後から来られるか」と訊ねたら「市長選挙で忙しいから、来ないでしょう」との返事。
 市長選挙は既に決まったも同然な選挙戦である。 30%の投票率ではないかと予測しているが、市議補選で注目が集まり投票率が上がるのだろうか。
 それよりも、出直して行なわれるべきと考えているので、そんなことでは済まされない。
 ここ2・3日の内に選管事務局に言って、「異議申し立て」の件、調べようかと思っている。
 私だけが納得しきれないのだろうか。 市民が自分のこととして市政に参加しないことには、これからやってくる時代に対応しきれないと考えているのですが・・・・

 追記 5月25日 朝5時
 昨日、「朝日新聞」の5月23日夕刊と5月24日朝刊を入手してきました。 この件に関するタイトルのみ掲載しておきます。
 5月23日 夕刊
 ・市議補選ミス 美濃加茂市も
   昨年8月 被選挙数減少 異議申し立て期間過ぎる

 5月24日 朝刊
 ・苦情など50件超 春日井市 市議会、申し入れせず 被選挙数変更
 ・公選法条文、読みにくい  研修・勉強会で周知徹底へ 各選管

 (加藤感想)
〜朝日新聞を読んで、まったく通り一遍の記事内容、 事の重さを感じさせない

 



 COLUMN 2−N NO186−1           
                                平成18年5月23日 記

 「春日井市選管 市長選絡み混乱
      市議補選”定数”告示後に訂正 
 被選挙数 1から3に 中日新聞5月23日・朝刊 


 『春日井市選挙管理委員会は22日、前日に告示したばかりの市議補選の被選挙数を一から三に訂正すると発表した。  同補選には新人4人が立候補、選挙運動をしている。    (中略)
 入院治療中の市長が辞職届を提出、4月13日、市長選日程を決定。 昨年2月に現職が病死し、欠員一だった市議の補選も市長選と同じ5月21日告示、28日投開票で行なうこととした。 市長選には現職市議二人が出馬表明し、市議を辞任した。(11日と17日)
 公選法には市町村選に伴い同時に行なわれる市町村議補選については、首長選告示の前日から10日以内に議会に欠員が生じた場合は、補選を実施しなくても良いとしている。
 今回は既に補選の実施が決まっているのに、春日井市選管はこの条文を「10日以内に出た欠員は被選挙数に加えなくても良い」と読み間違えた。 (後略)』
 
 以上が1面に記載され、3面にも『選管平謝り 市民は怒り』と記事が載っている。

 〜朝、この記事を読んで、このまま選挙を終わらしてはいけないと、まず中日新聞・春日井支局に電話する。  自己紹介をしてから本日の新聞内容について意見を言う、「中日新聞の主張が感じられない。 いくら第3者的な立場といっても、ただ事実を伝えるだけでは報道機関としての責任を果たしていない。市民が怒っているだけと書いてあるだけではないか」と言う。 若い記者と思われる声で「十分意見を言っていると思いますが・・」との返事。
 
 午前10時にオープンするという本社の「読者のコーナー」に電話する。 ベテランの方の声が繋がった。 「中日新聞の意見を社説に掲載して欲しい」と。 これに対しては何の返事もなかったが、終始落ち着いた応答であった。 様々な声が届けられているのであろうからいちいちその場での返答はしないことになっているのだろう


 春日井市役所の総務部・選挙管理委員会へつなげてもらう。 岡田という担当が出る。
 「新聞報道にあるように、このまま選挙を実施すれば後々必ず問題になる。 出直すべきだ」と意見を言う。 それに答える立場にもないでしょうし、このまま補選を実施するという委員会の決定に従うしかないのだろうと、それ以上は言わなかったが、近くの電話の音が聞こえたので、「何本の電話で対応しているのだ」と尋ねると「6本です」という。
 「この意見は必ず上に伝えて欲しいし、必要ならば市役所に直接出かけても良いから」と改めて、住所と電話番号、氏名を伝えて電話を切った。


 たった1週間の選挙戦のこととはいえ、あと5日ある。 間違いは何処にでも、誰にでもあるものだ。 気づいた時すばやく過ちを認め、ヘンな理屈をつけずに修正することであることを、過去の経験から教えられている。 我が春日井市の選挙管理委員会はどのように判断、決断するのか。
 
 それを聞いていた女房が「暇でうるさい人が増えているから、大変だ」と一言漏らす。
 30万市政だの、開かれた市政だの、暖かい市政だの、環境に優しい市政だのということは簡単。 それを実現するのは市民一人ひとりの自覚と行動によると自分に言い聞かした。

  



 COLUMN 2−N NO185           
                                平成18年5月11日 記

    まったく関連性ない、切り抜き3点
 ・ひもとく 「コーランの世界」 中日新聞5月10日
 ・けさの言葉           中日新聞5月10日
 ・時事 川柳           中日新聞5月11日


 コラム 2−N「新聞を読んで、眺めて、切り抜いて」は、コラム1−D 「一事が万事、万事が凡事」と同じ時期にスタートしたが、毎日の事を書く「一事が万事・・・」が既に5百回を超えているのに、「新聞を読んで、眺めて・・・」の方は、2百回にもなっていない。
 しかも、近頃は「ひもとく」「けさのことば」「今週のことば」と取上げる事柄が固定されている。 新聞や雑誌等から得られる情報に反応する度合いが薄くなっている。
 私の感性、感覚が弱まっているのか、マヒしているのか。 それとも提供される情報・内容が人間性を欠くというのか、暗く悲劇的で情けなくなることばかりが続き、取上げる気持ちにならないでいるのだろうか。 
 そんな中、数行の活字で纏められた「コラム」が、心に残る。

 ひもとく 「コーランの世界」 鈴木 則夫
 
「・・・いつまでたっても味の変わらぬ乳の河あり、飲めばえも言われぬ美酒の河あり、澄み切った蜜の河あり。・・・そのうえ神様からは罪の赦しが戴ける・・・
                     (47章「ムハンマド」16−17節)
         *                   *                    *
 飲んで頭痛や酔って性根をなくすこともない、天上の至福の象徴である酒を、「そっとひそんだ真珠のような」(52章24節) 「永遠の若さを享(う)けた(お小姓たち)がお酌に回る」(56章17節)。
 そこでは「馬鹿話や嘘偽りを聞かされることもない」(78章35節)


 〜何度読み返しても、これが正しい読み方、理解の仕方であろうと言う自信がもてない内容と解説である。 
 飲んで、翌日二日酔いで苦しむこともなく、嘘偽りの醜い話を聞くこともない世界がある。
 その世界がコーランの教える世界であると言うならば、覗いて見たいものだと思う。
 中部大学の2つの講義内容は、ヨーロッパを知るにはキリスト教を知らなければならない、そのキリスト教を知るには、下半身であるユダヤ教を知らなければならないと言うことで、イエス誕生前のユダヤ王国の歴史から学んでいる。
 また、一方「イスラム」についても、メッカ、メデイナなどの地を通じて、イスラムの教義等を学んでいる。 昨日はグーグルでイスラムのことを多数検索して、印刷をした。 
 お酒飲むより至福の時を感じることが出来るのであろうか。

 「けさのことば」 岡井 隆
 
「素足で歩くとしたら、以下のどの上がもとっも快いと思いますか? 
 大理石、牧草地、毛皮、ぬかるみ、畳、砂浜。
         『谷川 俊太郎の33の質問』 谷川 俊太郎
 
 武満 徹「もっともか」
 谷川「一つじゃなくていいよ。あなたがどのくらい官能的かっていう事を」。 
 武満「僕の好きなのは砂とたたみだ」
 谷川「まさに日本だね」
 武満「だめだねえ(笑)おはずかしいよ」。
 前衛的な音楽家の官能の底にある「日本」がみえるようだ。

あなたは何を選択しますか。 私は「大理石」はつめたいだろうな〜と直ぐに思いました。 「牧草地」が良いかなと思いました。これは我が家の庭の芝生を思い出したのですが、直ぐに、牧草地は湿り気があり、「ハコベ」を思い出し、違うなと考えた。
 「毛布」「ぬかるみ」は直ぐにパスした。
 「砂浜」は夏の日差しに焼かれた砂浜を思い出して、これも違うと感じた。
 残ったのは「畳」であった。 
 数日前、入る時ヒヤットした苗床を思い出した。アレは「ぬかるみ」ではない、がそれに近いのかなと思った。 昨年、裸足で田植えをした、その後数日「泥パック」のためか、肌がスベスベしていたのを思い出した。

 「時事 川柳」
 
5年間も 行く先言わぬ 羅針盤 (飛騨市  中田 久一)

 
〜「自民党をぶっ潰す!」「行革なくして成長無し」「中央から地方へ 官から民へ」と小泉政権も最終に近づいた。 羅針盤、向かう港を示さないまま、兎に角流れた。
 今、「中央から地方へ」の変換をした時、「チホウ」に「痴呆」とでた。
 騙されたのでもなく、選んだのでもないが、次の時代へと間違いなく世界は動いた。

 COLUMN 2−N NO184           
                                平成18年5月7日 記

 ”今週のことば”   青山  中日新聞5月7日 
         〜『修行』について〜


 『身肉手足を断つことは易きことなり。 よりくることに心品(しんぽん)をととのうるは、難きなり            道元禅師

 
「しゅぎょう」には「修業」と「修行」がある。
 「修業」は「なりわい」や芸事の時に使い、一応の卒業もある。
 「修行」は人生の生き方であり、これには卒業がなく、むしろ深まるほどに足りない自分に気づくというものであろう。
 「修行」にも二つのあり方があり、千日回峰行というように、また修験道の方がする火渡りのように、一定の期間を区切り、あるいは特殊な事に限定しての修行がその一つである。
 道元禅師はそのような特殊な修行を否定され、お便所の用の足し方から洗面の仕方や水一滴の使い方まで、一日24時間、一生という姿勢で、いかなることもわが人生の歩みとして大切に勤めてゆくことの方がはるかに難しく、しかもそのことの方が大切だ、と示される。


 〜
さて、自称「修行僧」という私の”修行”とは何を自分に言い聞かせているのでしょうか。
 現在、平成16年4月26日から書き始めました、この”イイカゲン(好い加減)ホームページ”の前身であります「地域ホームページ 高蔵寺」に始めて投稿した時に、こんなことを書きました。
 長い引用になりますが、そのまま掲載します。
 
『□ No.1
 修行には「山の修行」と「里の修行」があると教わったのは20数年前になる。「山の修行」とは山伏、修験者が山に篭り、滝に打たれ、野山を駆けめぐり荒行する。あるいは晴耕雨読で座禅三昧の日々を送り、我欲を捨て、煩悩と対峙する生活を送ること。一方、「里の修行」とは相争い、勝ったの、負けたの、取ったの、取られたのと泣き、笑い、怒り、憎み合い、酒あり、恋ありの世間一般の生活の場のことである。君は今その「里の修行」の真只中に居るのだ。「山の修行」も厳しいが「里の修行」も生半可なものでない。「今はこれに集中することだな」と言われ納得したものであった。

 又、当時その後今日に到るもズーと脳裏をはなれることはない書籍との出合いがあった。それは経済学者というよりは哲学者とも思えた難波田春夫先生の著書であった。今も書棚の一番手近かなところに10冊ほどが並んでいる。その内容は『第一次オイル・ショック後の高度成長から低成長へといわれていた日本経済、これは数量的な変化ではなく、質的変化でありこの経済の危機の底流は過去200年あまり続いてきた近代という時代の終焉で、新しい時代への移行という事実が進行しているのである。近代の終焉、MORE&MOREの終焉であり、物的無駄の制度化の行き詰まりである。』と書かれており、オイル・ショックによる矛盾の表面化ということであると迷いなく言い切っていた。

 1970年代後半(昭和50年代前半)私は30代半ばであり、「山の修行と里の修行」「MORE&MORE、近代の終焉」という言葉、文字が時に横切りつつ、気になりながらも欲と煩悩の「里の修行」の中を走りつづけていた。私が学卒一期生という立場であったこともあるだろうが、私より4−5年あとの世代・戦後の政治・経済・社会に多大な影響を与えつづけた団塊の世代の人々に押されるごとく、あるいは煽らされて、いや彼等を足場にして旗を振っていた、振らされていたのかもしれない。

 と、ここまで書いてきた時に、正に団塊の世代(昭和21年生まれ)の友人から残暑見舞いが届いた。『残暑厳しい折、いかがお過ごしでしょうか。相変わらず、野に山へと溶けこんでいるのでしょうか?私は今も○△店舗にて早や4年目をむかえております。いよいよ我々昭和44年卒入社組もそろそろ役職定年の55歳が近づき、ここ1−2年で皆お役御免となり、もっぱらその話題でもち切りです。30数年間あっという間に過ぎていってしまいました。結局、なんだったのでしょうか?もうじき落葉の季節を迎えます。』とあった。昨年の暑中見舞いとだいぶ様子が変わったなと探し出してみた。

 『暑中見舞い申し上げます。その後いかがお過ごしでしょうか。相変わらず身体を動かしたり、思考をめぐらしたりしているのでしょうか。それとも石のごとくドッシリと構えておられるのでしょうか。6月に家族3人で北海道に行ってきました。今回は始めて、富良野・美瑛と丘めぐりをしてきました。まあ!なんと感激ものでした。「パッチワークの路」とかで、よく名前をつけたものです。昔の分校が「拓真館」という名で前田真三氏の写真館になっていました。魂を揺り動かす数々の写真集でした。』

 365日のある一日の時間、場面を切り取ったものとはいえ、私には変化が大きく思えたものでした。そして、こんな返信をしました。

 『近況を報告します。その1、本年5月より瑞浪市日吉町での百姓学校に試行入学しております。畑もやっているのですが、本年は米作りをしようということで、4―5年休耕田になっていたところへの挑戦です。

 1泊2日なのですが、初日雑草刈り(自動草刈り機を初めて動かしてみました)は事始め、堰をつくる、詰まった用水の土を掘り起こすという土木工事からです。やっと水が通って少々感激したものの、水は抜けて田には水がたまらず日が暮れてしまいました。私たちが帰ってしまった後、指導の校長先生のその後の手当てで1ヵ月後の6月中旬―下旬には1500平方メートルほどの田植えを終えました。密植や粗植の実験もしているのでどんな結果が出るのか楽しみです。その後7月下旬に見に行くと青々と元気に成長していました。

 報告その2、オール・ナイト・ウォーキングに参加しました。毎年南設楽郡鳳来町の黄柳野高校が主催で実施しているもので、豊橋公園を午後7時に出発し豊川をさかのぼって行きます。昼間車で通過した記憶のある交差点を横切ったり、帰宅の車が堤防の道を走るためにそれを避けて堤防下の河川敷の小道をヘッドランプの明りをたよりに歩く。午後11時過ぎには飯田線の最終電車だろう2両編成が、月明かりに照らされて山陰に消えてゆく。20kmを過ぎると前後の人影が消え迷っているのではないかなとちょっと不安になりながら、父兄の声援で最後の吉川峠を越えて午前4時36.7kmを完歩する。完歩の感激に浸るより、そこのあった2,3切れのスイカのおいしかったこと。そのまま隣接の音楽堂の板の間に寝込んでしまいました。

 ところで貴男の「この30数年間はなんだったろうか?」との問いにこんなことが浮かんできました。私たちが授かりし生命=魂の浄化のための修行の日々であったのではないか。喜怒哀楽すべての事柄が魂浄化の時と場であったのではないか。30数年という里の修行の一区切りが役職定年であり、振り返るのではなく、次に続く魂浄化の修行の休憩地点ではないでしょうか。輪廻転生を人として修行させていただいたことに感謝を申し上げる機会を与えられたのではないでしょうか。欲望、MORE&MOREに振り回されて、心の不安や安らぎのない今までの生活を"少欲知足"のギアに切り替えるチャンスを与えられたのではないか。それもこれも30数年という年月があって初めて気付かせてもらえるのではないでしょうか。』

                           残暑厳しい2000年8月 』
 

 今年は2006年、約6年前の書いたものです。
 上記の中に登場しました書中見舞いをくれた彼も来年は定年退職であるとの便りを2週間前にメールで戴きました。 そのほか彼の同期の2人からも前後して同じような、手紙を戴いております。
 皆さん、それぞれに「里の修行」の一区切りを終えて、続いて人生後半の修行道へと歩を進められようとしています。
 イラク問題を筆頭としたブッシュのアメリカ、そのアメリカに追随したブレアのイギリス、フランスの若者が就職の関する法律での反対運動で勝利したヨーロッパ、ドイツも東西ドイツで相変わらず苦しみ、イタリアの政権交代。
 ロシアは資源高騰で経済は絶好調とのことだそうですが、実態は・・・?
 中国のバブルは弾けたようで、資金不足とエネルギー不足で形振りかまわず、世界中を走り回っている。 アメリカの裏庭といわれた中南米にも手足と口を挟んでいる。 何か問題が起こるかと思ったが、米中が裏で手を組んだようで表面は穏やかである。 困り果てた二国の首脳が結ばれたということは、日本はどうなるのでしょうか。
 どちらにしても振り回されることが、日本の宿命なのでしょうか。
 小泉政権も9月まであと4ヶ月、ポスト小泉が日増しにヒートアップしてゆくのでしょうが、どのような日本の未来像を示しての政権構想争いなのかを示して欲しいものである。

   「どんなに世界が、日本が変わろうと日々の修行道には変化無し」




 COLUMN 2−N NO183           
                                平成18年5月4日 記

 ”けさのことば”   岡井 隆 中日新聞5月3日 


 『きっかけをつくるまでに半年/打ち明けるまでにさらに半年
                          「花を育てる人の気持ち」辻仁成
 
「キスをするまでにあと半年/そのあとにさらに半年」と続くこの詩は、どうやら「愛を育てる人の気持ち」にたとえて花を育てる話をしているらしいが、本当は逆なのかもしてない。
 それにしても「咲いたのがコスモスじゃなくて/フリージアだと気づくまでに/あと半年」という結びは気になる。


〜ひさしぶりに”けさのことば”が目にとまった。 この間、このコーナーを読まなかったわけではないが、取上げてみたくなる「ことば」がなかった。
 今日とてこれと言って特別なことはないが、今年はこの時期、長旅にもでていないので、毎日庭の木々・草花と対面してりる関係かフッとこのコーナーにチュックが入った。
 「花を育てる話」と「愛を育てる人の気持ち」の関係など考えたことはない。 
 だが、「コスモスと思って育て、フリージアが咲いた」そのことに気付くまでに半年
 
花自体は初めからフリージアであったのだが、コスモスと思って育てていたと言うことは人の世界ではよくあること。
 
 バブル崩壊して16年目、その間「失われた10年」などといわれたが、この間に何を、どのような気持ちで植え、育てたかが現象化してくる時が到来してきているようだ。
 花を植え毎年楽しんだか、枯れてしまったか。種はとれたか。
 木を植え、水やりし、剪定したか。 途中で立ち枯れしたか。枝振りが様になってきたか。
 
 眼前の春日井3山は今年も燃える緑に覆われている。 
 
 




 COLUMN 2−N NO182            
                                平成18年5月1日 記

 「団塊の世代」の言い換え
 〜「ビートルズ世代」 が45%〜中日新聞5月1日 


 「団塊の世代」を言い換えるなら「ビートルズ世代」−。
 生涯学習のユーキャンが、団塊世代サラリーマンの生活感覚などの調査結果をまとめた。
 調査は二月にインターネットで実施。56~59歳の、既婚で子どももいる会社員男性300人が回答した。
 「団塊の世代を言い換えるとしたら、どんな言葉がいいと思いますか」への回答では、「ビートルズ世代」が45%を占め、「全共闘世代」(30・3%)を上回った。
 定年後のイメージを「悠々自適」か「質素倹約」の二者択一出聞くと、「質素倹約」が73・7%、団塊世代の消費拡大が期待される一方で、本人たちのえがく「定年後」は少々違うようだ。
 子どもへの経済的援助では、「現在援助している」が58%。
 「一ヶ月に自由に使えるお金」は「五万円」がトップで31・3%。 ただ、10万円以上の金額を答えた人が12・3%おり、幅がある。
 「取得してみたい資格」に一位はマンション管理士(10%)だった。

 〜ここ2週間の間に、定年となりましたとの便りが2通、あと1年で定年となりますとのメールが1通入ってきました。
 3人共に、再雇用制度・あるいは再就職によりあと2〜3年
く予定ですとあった。
 少しの違いはあるようだが、年金が満額支給されるには、62か63歳にならないとダメで、 更に現在56歳以下の方は満額支給は65歳からとある。
 皆さん働き者であると同時に、そこまでは頑張らなければという意味がこめられているように感じました。
 たった、4〜5年の違いですが、私には「ビートルズ世代」と言われても、ピンときません。
 こちとっらが、演歌肌であったこともあるのだろうか。
 それにしても、皆さん虎の子の退職金とそれ以降の年金を予定している。
 悩んでみたとてどうしようもないのかもしれないが、年金が老後安心して支給されるのか、疑ったことはないのだろうか。
 この点についても調査してみると良いと思うのだが・・・
 「年金の逃げ切り世代」とか揶揄される団塊の世代、生まれたときからこれからも大変なことだ。 彼らを踏み台にしてきたものとして、何が出来るのだろうかと・・・
 







 COLUMN 2−N NO181            
                                平成18年4月28日 記

 知人からこんな記事が送られてきました 
       〜食品捨てれば優良店〜     


 百姓学校や波動の会の仲間でもあるNさんから、以下のような内容のメールが送られてきました。
 
 『食品捨てれば優良店!? コンビニ、30万円ノルマも

                   2006年 4月25日 (火) 03:02  産経新聞社


 大手コンビニエンスストアに、一カ月に出す廃棄物の“下限数値目標”が存在することが分かった。その多くは弁当や総菜といった食品ゴミで、目標を達成すると、「優良店」となるシステムもあるという。

 産経新聞が入手した文書によると、「原価(仕入れ値)で(月に)三十万円以上(廃棄する)」と記されている。背景には廃棄を恐れずに品ぞろえを豊かにしなければ、「コンビニ戦争」を勝ち抜けない事情と、より新しいものを求める消費者ニーズの高まりがある。

 調査によると、一年間でコンビニ1店から出る生ゴミは平均で四−五トン。「食品リサイクル法」が施行されるなど環境対策の必要性が指摘されるが、経営戦略上、食品ゴミを劇的に減らすことは困難とみられている。』

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−こんなあほなことが続けられている。
     食料自給率30%台の国の所作とは思えません。

 〜以上を転記掲載しており、変換をしましたところ、「優良店」のところで”有料店”と出てきました。 笑ってしまったと言うか、物言わぬパソコンも分かっているのかなと思いました。
 
 小売業界の中にあって、つい数年前まで大量出店で拡大路線を続けていたコンビニ業態も、既存店売り上げが頭打ちになり、大手同士の直接対決が繰り広げられています。
 一社あたりで、年間に数百店舗の新規出店と時には同じ数の閉店が行われている。
 
 三拾数年前に学んだ小売業の法則は今も生き続けているのだな
、改めて思った。
 その法則もその後、どのように進化発展しているのだろうか? 
 新たな小売業態が登場して、新規の需要が生まれている、あるいは消費者に喜ばれていると言う情報は聞かない。(勉強不足か?)
 上記の記事内容に見られるがごとく、目先の対応と言うか、小手先の戦術に終始しているように思える。
 もっと大きく変化している時代環境、要請に応えるのでなくてはと、責任のない傍観者としての感じ方をしている。
 責任無しとはいえ、かって情熱を傾け・必死に走った世界のこと、いささか寂しい。
 書棚整理でこの業界の雄・中内 功元ダイエー社長の著「我が安売り哲学」は、大事に残してある。
 「今、君がそこに居たならば・・
と問われたならば、何と答える? 答えありや?
 一度、気づくままをメモしてみようという思いになりました。




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