このページ以前の
コラムはこちら


 

  お知らせ         平成18年10月23日 記


 前回も紹介しましたが、「修行僧のブログを開設したときくが、なかなか開かない」とのお叱りを受けています。
 右記のように「http://taiki.blog16.jp/」と、「http://」から、全て入力してください。

 ブログの方は大学や各種講座の中から、興味が持てそうなところ、面白い内容、等を選んで掲載しているつもりです。  よろしく。





 COLUMN 2−N NO210
                                平成18年10月23日 記

    この3週間の新聞切抜きの内容
〜『時はいのちだ』と言う、日野原先生の弁、感じる〜


 手帳をめくって見ると、先月末から年末まで予定がほとんど毎日のように書き込まれています。  特に今月に入ってからは時間刻みの日が数日続いています。 
 そのために、昨日・日曜日と本日(雨模様で外出できず)でやっと、学校関係の復習を終了し、切り抜いたままで読むゆとりの無かった新聞の切り抜きに目を通すことが出来ました。

 ちなみに、紹介してみましょう。まずは朝刊から
 @名作新聞連載”みだれ髪” 与謝野晶子(これは切り抜くだけで読んでない)
 A「時代を読む」2回、言論コーナー「視座」1回、「社説」1回。
 B中日新聞編集員、清水美和さんの「アジア観望」(美和さん個人的にも知っている)
  イ)「上海解放戦争」の裏  ロ)中国東方の「戦略的な盾」
 C日曜日の読書欄から「お世継ぎのつくりかた」の書評
 D”中日春秋”10月14日。神武景気、岩戸景気、そして今回は「格差景気」か?・・・
 E”この人”紹介で、田舎暮らしを紹介するブログを本にした主婦「三神亜希子」さん。
 F県内版、熊谷豊根村長3選出馬表明(10月16日の同級会には欠席)
 G近郊版、知事選出馬、石田・犬山市長に聞く。
 Gグーグルが無料ソフト
 D〜GはGを除いて、小さな囲み記事であります。
 
 I日曜版の「culture]コーナーに”いのちの授業”
  94歳のメッセージ 「見えないものに畏敬の念を」 「時は金なり」では感性失う
〜生きる尊さ、戦争体験を伝えよう〜と題した、日野原重明さんです。(聖路加国際病院)
 J日曜版「culture」のもうひとつは、「空の思想」__仏教の言語観
  では、”行くものは行かない”と題して、「主語は既に動作を含む」といい、欧米的実態の概念の批判をされておられる、定方 晟(あきら)さん。
  では、” 生まれることもない、死ぬこともない”と題し、「言葉と現実は異質の世界」 、 「私」「死」は恐怖生む大きな罠と「般若心経」=テンドウ<テンドウの漢字は手動で探し出すのですが、okを出しますと、?マークを出して消えてしまいます)夢想を離れれば心は平安なり恐怖はなくなる」と言い切り、なお死の恐怖から抜け出せないのは、言葉の世界に長時間なじみすぎた結果である。 そのためにも「般若心経」になじむ必要ありと言っておられる。

 夕刊の方は
 @既に5年以上にはなる月曜日の連載”思うままに”の梅原猛哲学者の随筆。
 Aほかは「文化」欄ばかりで
  イ)「デンマークに吹く風」、「不服従」草の根民主主義 早乙女 勝元
  ロ)「戦争責任論に一石 G・グラスの自伝=ドイツのノーベル賞作家」を紹介している、    飯吉 光夫さんは「感化されやすい青年には不可避」とグラスが第二次世界大戦末     期にナチスの武装親衛隊に所属していたことを打ち明けた自伝を紹介している。
  ハ)歴史小説は「鎮魂の書」と言われる、作家・火坂 雅志との「土曜訪問」対談。
 Bウオーキング 無理せず続けることが大切
 C 近中遠にポイントを配分・・デジタルカメラで紅葉を撮る

 以上を個別に取上げて、私がなにを感じ、考えたかを整理してみたものばかりです。
 本日も既に、パソコンに向かって7時間を越えようとしています、両手の人差し指は先ほどからかなり余分な動作を繰り返していますので、もうここらで終了します。

 


 COLUMN 2−N NO20
                                平成18年10月14日 記

 60歳代のアメリカ在住の女性のブログより


 私も参加しています「一六社のブログ」、に掲載されていました方の、1年半ぶりに鹿児島の実家に帰ってこられた時の日記です。
 大変感じるものがありましたので、転記します。
 私は5才で母親を、16歳で父親と死に別れております。 今この歳になって父母が健在ならば、どのような心境なのでしょうか。
 直ぐ目の前が自分の問題となっています、「ボケ」や「寝たきり」の状態に、どのように対処しているのでしょうか。

       60才のばあさんブログ
      娘がボケ防止に始めなさいと言う。はい、今日から始めます。

 <2006年10月13両親を想う>
 
 『1年半ぶりで実家の玄関に立ちました。
タクシーのドアを閉める音がしたら、ニコニコして母か父が玄関にでてきたものです。タクシーのドアを閉めても、玄関のブザーを鳴らしても、もう誰も出てくることはありません。父も母も2年前に亡くなりました。誰も居ない実家に帰る事がこんなにも寂しく悲しいとは。

 家の中を見回すと、全ての物で両親を思い出してしまいます。
このコンピューターも父を思い出し、テレビを見るとなぜか高校野球を見ている父を思い出し、今母が台所でお皿を洗っている様な錯覚を覚えるかと思えば、包帯をしてあるポータブルテーブルの足を見ると、立てなくなった母を思い出してしまいます。

 そして毎日姉と交代で綴った4年間の看病日記。両親にとっても私たちにとってもつらいつらい思い出です。

 テレビも同じ音を出しているのに、家の中も同じ匂いがしているのに、後ろを振り返るとテレビを見ている両親がいないのです。

    今生きている人を大切にしなくては。   』


 
今から、中学時代の同窓会に豊橋に行きます。
 明日は「ピースボード」の寄港地の紹介座談会です。
 16日は小学校時代の同窓会で豊根村に行きます。 40名中、6人の法要を行います。
 何人参加出来るのでしょうか。




 COLUMN 2−N NO208
                                平成18年9月26日 記

  熊谷 弘さんのオフィシャルサイトより
         9月24日の日記より


 面白いと思いましたので、少し長いですがコピー掲載します。

  2006年09月25日(月)
日記9/24
『ロンドン・エコノミスト(16日付)に“The new titans”題する発展途上国の台頭についての特集記事が掲載されていた。筆者はPam Woodallという女性の記者だという。18ページに及ぶ大論文になっていて、実におもしろい。久し振りにワクワクさせる論文を読んだ気がする。

昨年、購買力平価ベースでみるとemerging economiesは世界のGOPの半分を占めるに至った、という。人口は世界の85%を占め、外貨準備高は世界の70%、輸出は43%(1970年には20%)、エネルギー消費の50%をしめるに至ったのだ、というのである。
まさに産業革命以来の経済爆発をもたらしている、と述べている。

このごろ海外に行く機会が多く、この記事の指摘に同感するところが多い。このemerging economiesの台頭は、世界を大きく変えてゆくことになることは間違いあるまい。

Emerging economiesといっても、それは中国やインドのみを指しているのではない。中国とインドは確かに巨大な国ではあるが、emerging economies 全体では、この二国合計しても4分の1を占めているだけなのである。この二国に加えてロシア、ブラジル、を含めてBricksと呼ぶのだが、この4ヶ国合せても5分の2であり、他のemerging economiesも相当な勢いをもつに至っているのである。中国以外の東アジア諸国、石油で潤う湾岸諸国、東欧の国々、メキシコを先頭に立ち直りつつあるラテン・アメリカ諸国と、よく観察してみると地球大でemerging economiesは驚くほど大きな力を持ちつつあるのである。日本も含めた the developed countriesは、この巨大な変化にいよいよまともに向き合わなくてはならなくなりつつあるのだ。

人はしばしば他人の不幸を喜び、他人の幸せに不愉快になるものだが、長く地球を支配してきたと思っているthe Westの人々にとっては、見下してきた連中に焦りとヤキモチの、ない交ぜになった感情をもつのも故なしとしない。まして、名誉白人気取りの日本人がショービニズムに陥るのも、マ、そんなところかとも思うのだが。だからといって物事の解決にはならないことは、ちょっと物の解る人なら簡単に見分けのつくことだ。

とはいうものの、この変化は地球大の舞台における諸国家間の関係に大きなインパクトを与えることになる。産業革命の引き起こした経済的パワーの移動は、世界経済の混乱を伴っていたし、パワー間の移動はスムーズに進むことはなかった。二つの世界大戦、保護主義の高まりと大恐慌を生んだことは、我々に長く記憶されているところだ。

だが、この時の力を古い勢力である the West が阻止することは不可能である。the Westはこの流れに適応してゆかなければならない。そうでなければthe Westは明日のrelatively poor worldになってしまう、というわけである。

それでは、このemerging economies から得るところ大きいのはdeveloped economies の中でもどこなのだろうか。通俗的には、アメリカはヨーロッパの国々より上手くやると考えられているが、これは間違いだとWoodall記者は主張する。

2000年以降ヨーロッパの輸出市場におけるシェアは17%に上昇しているのに対し、アメリカは14%に落ちているのだ。アメリカの経済運営はもろく、今後少なくとも長期にわたる低成長時代を覚悟しなければならぬという。

Shockは、これだけで終らない。アメリカと始めとするthe developed economies は、賃金は下降するのに企業の利益はふくらむという国内の対立要因をどう克服するかという深刻な問題に直面している。米国の借金体制もいつまでも持続できるはずもない。ドル基軸の体制をどうするのか、遅かれ早かれ辛い選択の時がやって来よう。

emerging economiesの側にも山ほど問題が残されている。とりわけ、それぞれが貯蓄を望ましい投資に廻してゆく金融システムを作り上げてゆくことが大事だ、という。』

 
〜「コラム 1−D NO597」は、この記事を読んでから散歩に出掛けたので、どこかに影響していたのかも知れない。
 MORE&MOREと進んできた、世界の覇権は間違いなくここ得きて変化のようそうを示していることは、間違いなさそうである。
 やせ我慢で言うのではなく、これからの5年、そして10年は変化にとんだ面白い時代になりそうだ。 その時代をこの目で、肌で感じられることは幸せである。
 出来ることなら、前向きに対峙してゆきたいものである。
 








 COLUMN 2−N NO207
                                平成18年9月20日 記

     ”この道” 時代は変わる 
    資生堂名誉会長 福原 義春
           中日新聞9月19日夕刊より


 『生まれた時は大正リベラリズムの残り香を嗅ぎ、次第に全体主義の世の中に押し込められて、ある日突然アメリカン・デモクラシーの世になって、その都度名だたる人々が世間から消える。 その中に生きてきたぼくは、いつも世の中の価値観の逆転を体験した。
 それも一回限りではない。 戦争が終わって連合国から提起された戦争裁判だって、時間の経過とともに疑問を持つ人が出てきているようだ。
 その戦争の記憶を持たない人の数が7割を超えてしまった。 理想のように見えた米国の政治や社会や教育も究極のモデルにならなくなった。 (中略)

 僕らの世代は未来への理想も描けず、展望を持てと言われても無理な時代に育った。
 それなのに戦後の経済成長を担わされてしまっって、無我夢中で生きてきた。
 現代の若者たちを見ていると、価値観の多様化が容認される社会で個人ごとの自己実現の欲求が強くなる一方、将来への不安もあって閉塞感に悩んでいる様子だ。
 そのためにハングリー精神に欠け、逆境に弱いのではないかと心配になる』

                  
 
  上下二枚の写真は、9月19日、西高森山の中腹、築水池の上の湿地帯にて
                 ”シラタマホシクサ”とその群生です 
                
           



 〜福原さんは昭和一桁後半、私は昭和の二桁(昭和17年)。たった10年の違いですが、多感な少年時代を10歳代で過ごした方と、まだ十分戦争とその後のことを理解し得ていない者との差は大きいと感じました。
 個人差もあり、業界、企業の成長度のこともあり、ある年代を区切り一律的に語ることは出来ませんので一口では言い切れませんが、昭和30年代半ばから始まった高度経済成長期、昭和48年のオイルショックと、その後の昭和50年代での対応に対して、昭和二桁の者の方が、大胆に発言し、波に乗って行動をしたのではないか。今思えば、 昭和一桁の人たちは、はっきりものを言わず、慎重であったと身近な諸先輩のことから思い起こせます。
 
 私たちの後に続く、「団塊の世代」はまた異なり、全共闘などの活動もありましたが、皆で手をつなぎ仲良くと言ったイメージをこれまた、身近な人々より感じていました。
 また、彼らは高度成長期に青春を迎え、経済的には右肩上がりの社会の中で過ごしてこられた。 その彼らがバブル崩壊、その後に続く「失われた10年、15年」の中、不信・不満・不安を持ちながらも、忍び寄る年波の中、定年退職のときが到来しました。
 良くも悪くも、戦後の時代を自分らの子=団塊2世も含めて、特に大衆消費社会の中で、ファッションをはじめとして消費面を中心として大きな影響力を発揮してきました。

 そんな彼らとたった数年先輩と言うだけで、彼らを踏み台にして、あるいは「成長拡大と言う流れに乗り遅れまい」と、彼らに追い立てられるように昭和45〜60(1970年代後半〜1985)年の十数年を走り続けた。
 何度もこのホームページに書いたことですが、その間何の疑問も持たずにいた訳ではありませんでした。 心の隅で”どこかおかしい、変だぞ”と思い・感じつつ眼前の欲に駆られ、疑問や疑惑を忘れて行動する日々でありました。
 
 が、難波田春夫教授の「警告!日本経済の破綻」(昭和45年刊)、「切迫!日本経済の破局」(昭和48年刊)「突入!日本経済の新時代」(昭和50年刊)等の書物を、昭和51年前後に手にしたとき、そこで語られていた”MORE&MOREの終焉”共産主義も資本主義も終わりに近づいているとの警告に、大いに引っかかるものを感じていたことは事実ですし、その後も脳裏を離れることはありませんでした。
 日本国内のバブル期は香港で新事業の立ち上げの真っ只中でしたので、景気の良い話とは無縁でした。 それ故に、バブル崩壊とその後に続く混乱は、比較的冷静に、またヤッパリなという感じで対応していたように思います。

 団塊の世代が、2007年から本格的に第2の人生に船出しますが、比較的、いやかなり経済的には恵まれた時代の中で過ごされてきました。  が、年金も国=政府も頼りにすることが出来ないところにあり、 誰かの後に追随して行けば何とかなると言う時代ではなく、自らの知恵と努力で切り開いてゆかなければなりません。
 日本社会の仕組み、制度、システムが今後時間を追ってますます崩れてゆくことがハッキリしてくることでしょう。
 彼らと共に夢を見たり、行動を共にしたり、助けられた者として何か出来ることがあるのだろうかと考えない訳ではありませんが、それよりは自分の身をどうするかの方が問題ではないかとの声が聞こえてきます。

 9月12日、コラム1−D NO587「我が家の庭の1・5坪の畑を整理しました」と書いた時には、何の兆候も見せていませんでした”曼殊紗華”=彼岸花、昨日スーと顔を出したところを見とどけました。 もう今朝は数輪花を付けていました。

              

              
 




 COLUMN 2−N NO206
                                平成18年9月19 記

   ひろさちやのほどほど 人生論
   <大志を抱くな! 出世でなく人格磨く>
           中日新聞9月19日朝刊より


 『「青年よ、大志を抱くな!」と、クラーク博士は言いました。
 
 クラーク博士(1826〜86)現在の北海道大学(明治時代の札幌農学校)の教頭に就任した。 博士の言葉は”Boys Be Ambitious !"で、訳せば「青年よ、大志を抱け!」である。
 この言葉には続きがあった。《「青年よ、大志を抱け!」 その大志は金銭や利己的な出世のためであってはならず、また世人が名声と呼ぶがごとき空しきもののためであってはならない。・・・人間として当然備えていなければならぬものを達成するために、大志を抱け》

 大勢の株主を騙し、与党に政治献金をやってしか起業が発展できないのであれば、そんな企業を起こすことは大志ではない。 そんな企業の中で出世をすることが大志ではない。
 人格者の政治家は何処にいる。選挙に勝つことと利権アサリの政治家。
 クラーク博士は「青年よ、大志を抱くな!」と言った。 人格・識見に優れた人間になれ!であった。
 
 一人当たり、誕生した赤ん坊が、600万円の借金を背負わされる。
 それなのに、与党の政治家は、国民に愛国心を植え付けようと躍起になっている。
 政治家の仕事は、誰からも愛される国を造ることではないでしょうか。 愛することの出来ない国を造っておいて、「国を愛せ」とほざくことが政治家の仕事ではありません。
 経済的利害だけに大志を燃やす人間は、人間のクズだと私は思います。
 もっと、高貴な人間にならねばならぬと思うのですが、間違っているでしょうか。


        
           庭からトラノオウ      と       シオン

 〜ひろさちやさんの意見に反対や疑問を持ている訳がありません。 むしろ「よく言ってくれた。その通り」と拍手を送りたい気持です。 
 が、素直に声援を送ることに躊躇してしまいます。 それは、まだ10年前まで、いや正直に申せば60才になるまでは、気持のどこかに、<まだ、俺にだって出来ることがある。 今のやつらは何をしているのか>と言う感情が時に湧き上がって来たことを知っているからです。
 その感情・気持の底には、地位や名声そして金銭欲がまだまだ見え隠れしていたことを隠すことが出来なかったからです。
 では、<今はスッキリと割り切り、洗い流し、サッパリしたものだ>と、後ろめたさなく言えるかと自問しますと、<それ故に修行僧と言い続けているのだ」との弁解語が登場します。

 
 ひろさちやさんの書かれた書物は時々手にしており十数冊近く今でも書棚にあります。
 その中に、昭和59年発行の「”いい加減”のすすめ ”釈迦が教える生き方の自信」というタイトルで、竹村健一さんとの対談の著書があります。
 私のこのホームページ「イイカゲン(好い加減)」にも影響しているのでしょう。

 ところで、ゲスな話ですが、覚えておられる方もありましょうか。
 もう、10数年前のことと思いますが、そのひろさちやさんの家に泥棒が入りました。
 何と、現金で1億円が盗まれました。 当時、大枚のお金をタンスに仕舞っておけるほどの収入があるのだなと思ったり、羨ましくもありました。
 その時、報道機関から感想を求められたひろさちやさんがどの様に答えられたかの正確な記憶はありませんが、「これも何かの必然でしょう」と、淡々と答えておられていたように思います。
 その後、このことについての報道は目にしておりませんので知りませんが、多分その後のさちやさんの言動・行動を見ていますと、変わった様子もなくそれまでの視点や考え方で語り、文章化しておられますので、在家の宗教家としては信頼できる方なのだろうと考えております。
 比べて語る事などするつもりもありません。 また、出来ないどころか、失礼千万の事です。しかしながら、”修行僧”と自称して、言い逃れ、怠け放題の身にも、自問自答の長き夜の”秋のとき”がやってきました。

           
            玉すだれ                   金木犀の花芽
 
 蚊取り線香をともしながら、草むらの虫の音を耳にし、やがて「金木犀」の香りが枕元に忍び寄ります。       「秋が来て 我なにを する人ぞ」 


 

 




 COLUMN 2−N NO205
                                平成18年9月11日 記

 ”小泉政権を見送るに当たって”
 〜中日新聞9月10日、「座視」 佐々木 毅〜

 と、増田俊男の時事直言378号より
          「日本国新総理大臣の資格」


 5年5ヶ月の小泉政権が後、十数日となった。 この数が月、この小泉政権についての評価、功罪を各誌・各紙・各氏によって論評、評価されてきたが、読んだうちの一番素直に、読みきれたものが、佐々木 毅さんのものでした。
 私なりにその座視を整理、まとめ、今後の資料としておきたい。

・政権末期になっても支持率が高い、稀有な政権であった。
 ・生み出された
背景→経済の構造的停滞によって自信を喪失し、内向きになった日本社会の中から生み出された。
 ・首相公選論がもてはやされた政党政治の危機的状況を背景としていた
  →徒手空拳で立ち向かった政権である。
  →政党政治を一人で演じ、首相一人でリーダーシップに対する国民の飢餓感を癒した。
 それへの手ごたえ感を与えるのに成功した。 首相と世論のパイプの源泉となった。

 
 (加藤、注。 ここで目前の不安・不信・不満心理を持つ大衆受けとなった。
 「自民党をぶっ潰す!!」などがそのさえたるフレーズであった。)

 刺激的で自己破壊的な言辞が必要であった。→自己破壊なくして次の段階は見えないと言うメッセージは時代の雰囲気とマッチした。
 →それによって、既成のものを破壊したいと言う社会に停滞していた願望を政治的な資源に変えることができた。

 かくして→隠蔽や曖昧さに代わって、露出と率直さがプラスの政治スタイルに転化し、政治の劇化はその一つの帰結であった。

 ・この政権は結果的に既成のものを破壊してきた。 →格差問題や地域の「痛み」の指摘
は因果関係はともかくとして、破壊を装った現状維持の中で、破壊を裏付ける。
 最も重要なものは→政府に対する期待感の水準訂正を行ったこと。
 →パターナリズムの終焉、既成の官民関係の見直し→公共事業による地域の需要喚起政策に対して、多くの抵抗感や諦観(諦める、テイカン)が定着した。
 ・精彩を放った政策は、「政府は何をしないか(すべきでないか)について語ると時で、結果として民間部門の構造改革や活性化につながった。

 
(加藤、注。 一部の財界の有力者による各種委員会において、特権誘導の規制改革がなされたと言わざるを得ない面が、特に政権後半に露呈した)

 が、→「政府は何をすべきか(するべきか)の青写真はなかったし、アイデイアも乏しかった。
・道路公団や郵政の改革、社会保険庁の改革は規制緩和の推進に比べて切れ味が悪かった。 →「三位一体改革は課題を残した。←中央政府のツメがなかったから・・
・公務員制度改革の最も直接的な所掌課題も解決なし。
 →、結果、政府はきわめて曖昧な存在となり、次期政権に引き継がされた。

 ・外交→徹底的に内向きの時代の政権にとって、外交は土地勘の乏しい領域であった。
 国内政治で通用した敵味方二分法は適用力に限界があった。→中韓関係は典型。
・外交も「官から民へ」と皮肉られることとなった。
・小泉政権は内向き時代の産物であるとともに、その犠牲者であった。
、・次の政権の課題が、制約から自由に政治の可能性を追求することにある。
 

 〜以上が、佐々木毅さんの論文「座視」の要約文である。
 私はこの十数年注目して、その著書や論文発言に注目してきた方が3人いる。
 @藤原 直哉さん (藤原事務所 所長)、 「ワールド・レポート」発行・執筆者)
 A松藤 民輔さん (株式会社ジパング社長、牛之宮ウイークリー発行・編集・執筆者)
 B浅井 隆さん  (株式会社第二海援隊 社長、経済トレンドレポート発行・執筆者)

 上記の3人に加えるに、実にアメリカ社会の中で揉まれ、活躍されてこられ10数年前に、船井幸雄さんが推薦・紹介された増田 俊男さんがいる。
 増田さんの発言内容は、当初、私にとっては常識をはるかに超えるというか、次元・視点の隔たりが大きくて驚いたり、本当かなと思ったりしていたが、この数年は増田さんの視点は常にマークしておかなければならない情報として、インターネットの「お気に入り」に登録して、読ませていただいている。

 その他といっては失礼であるが、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌に登場する方で、多くの方々がいる中で、以下の方々の発言には目や耳が立ち止まる。
 今、思い出す方だけを紹介する。
 イ)寺島 実郎 (三井物産戦略研究所所長、日本総合研究所・所長)→バランスの取れた            リベラリスト
 ロ)内藤 直人 (法政大学院教授)→弱者の視点からのものの見方・発言に注目
 ハ)金子 勝  (慶応大学教授、学生時代、民主青年同盟のメンバー)→シャープな話し方            と切り口で語る社会批評)
 ニ)左高 信  (週間金曜日「辛口評論」)
 ホ)佐々木毅  (元・東京大学学長、学習院大学教授)→バランス良い政治論評
 ヘ)中西政輝  (京都大学教授)→右傾向・思想の政治学者?
 ト)ジェラルド・カーテイス (米国コロンビア大学教授)
 チ)ロナルド・ドーア (英国ロンドン大学 政治経済学院名誉客員)
 と思い出すまま、書き上げてみたが、拾い出してみたら次々に名前が出てくるが、果たしてそれぞれの方への私の定見があるのかと考え直し、これ以上は止めます。

 さて、増田 俊男さんの「日本国新総理大臣の資格」より

 ・一国の首相には@「目指す国家像」を明確にして、
           A「理想の国家実現のための「国の形」を示し
           B国の存在理由である「安全保障」のあり方を打ち出す必要がある。
 以上の3点を明確にしているのは「安倍晋三」だけである。
 @「普通の国」を目指している。→現行日本国憲法と日米安全保障条約下の日本は普通の国ではない。自国の危機を認識した時、自国の国権の意思で国防が出来ない国は普通の国ではない。 憲法前文の非武装中立の思想は非現実的である。
 →安倍氏は憲法改正を唱えている。
 「平和と戦争はともに、国家目標達成のための手段」であると言う政治力学を知らねばならない。
 戦後60余年のうちに「日本は他国の目的のための手段や場になってきた」のではないか。

 安倍氏の「憲法前文と憲法第9条第2項の変更」による「自衛権行使の確立」、更に「集団的自衛権行使容認」は、日本が普通の国になるための基本条件である。
 隣村に、自転車で情報を伝えていた時代の都道府県制度は、機能しなくなっている。
 情報革命時代に即した「中央官庁再々編成」と『道州制導入」を「新しい国の形」として強調している。
 「日本の顔」を作くろうとしている。 国益の最大要因は「国家の安全」である。
 そのためにアメリカの国家安全保障会議(NSC)は安全を中心とした外交戦略を大統領に助言する機関。日本版NSCを創設、官邸に助言機関を持って、「日本の顔」を作る。

 日本のリーダーを目指す安倍氏の姿勢は完璧。 が、「理想倒れ」にならないためには「霞ヶ関に対する指導力」が決め手。
 特に、「国の形」と「道州制」には官僚の抵抗は必至。 小泉のトラの威を借りた・飯島首相秘書官は役人を呼びつけて土下座までさせたが、安倍氏には対官僚政治カードはあるのか。
 国民(マスコミ)を味方につけて、官僚と徹底抗戦する覚悟と戦略が必要である。

 安倍長期政権のためには戦略が必要。 歴史認識についても「安倍談話」(「村山談話」を理解するも)があっても良い。
 客観的かつ共通の時代認識こそが、他国、特にアジア諸国との理解を深める。
 靖国問題などは「小手先」であって、正統な国際問題ではないから無視!
 「若きプリンス」を日本のために支える気概が全国会議員に求められる。


 

 
〜さて、最後に以上の増田俊男さんの考え方、意見に対する私の考え方であるが、悲しいかな、現在明確に答えうる意見を書きれなかったので、入力したものを消すことにしました。
 この問題は、避けては通れませんので、必ず再登場させます。
 ただ一点、「普通の国」の定義が増田氏のそれで良いのか、また前提に考えてよいのか、話してよいのか。
 「普通の国」を選択するとするならば、「どんな国家の形か」をイメージしなければなりませんし、具体的に語らなければいけないと考えています。
 が、どうも、日本は「普通の国」以外の道の選択があるのではと今のところ思っているのですが・・・



 

 COLUMN 2−N NO204

                                平成18年9月5日 記

 ”元気な心の素 スパイスみーっけ!”
  〜「タウン ニュース」 No328号より〜


 「タウン ニュース」というのは、高蔵寺ニュータウンとその周辺に無料で配布されている、発行部数が約3万枚のミニコミ紙です。 10年前頃、数回月2回発行されましたが、それ以前と以後は月1回、毎月1日の発行です。
 ですから、1年12回としますと、なんと25年以上も続いています。 ニュータウンに入居が始まったのは昭和43年(1968)ですから、38年目の今年ですので、その長さが分かります。 確か地域の主婦の方がグループで編集から、広告募集まで実施されておられます。
 「人と人、人と地域をつなげます」のキャッチフレーズのように、ほとんどがニュータウンおよびその周辺の方の紹介、活動などが中心で編集されています。

       

 今回とりあげましたのは、この夏、子供たちに「人に言われてうれしかった言葉、悲しかった言葉」をアンケートした内容を紹介していたからです。 6才から18歳までの38人の子供たちです。

 「うれしかった言葉」は何と38人中21人は同じ答えでした。
 ・ありがとう ・大好き、かわいい ・すげーっ ・だいじょうぶ ・よくできたね
 ・がんばるようにね ・がんがったね ・上手だよ ・よくがんばったね
 ・えらいね ・おめでとう ・すごい ・あんたやればできるじゃん ・大好き
 
 「
悲しかった言葉」は
 ・ブタ ・うるせえ ・バカ ・あほ ・死ね ・ダメじゃない ・ウザイ ・気持悪い
 ・腹でてるね ・さよなら かえれ 

 
ありがとうを始め、どれをとっても「自分が認められ、 喜ばれていると感じる言葉」
 大人も同じ、ほめられればうれしくなって心がふわっと膨らんで、そして元気が出ます。
 反対に、「マイナス感情をそのままぶっつければ相手を悲しませる言葉」となります。
 「私たちももう一度、人から言われて嬉しくなった言葉を書き出してみませんか。
 そしてその言葉をで、家庭や社会を満たしていけたら素敵ですよね」

 私が何もコメントすることはありません。そのままです。
 今年に入って中日新聞の「中日春秋」の内容が変わったように感じています。
 社会の暗い面や社会批判ばかりで無く、明るい面や出来事を意識して取り上げているように感じています。 
 毎日テレビを視聴していて、子殺し、親殺し、友人殺しに、仲間殺しと悲しいと言うよりは怖い事件ばかり続きます。 逃げてはいけないとは思うのですが、なんとなく心が汚れるように思えて、何時の間にか、スイッチを切ってしまっています。

 現実から逃げてはいけないと言い聞かせつつ、同じ事柄でも別な角度、明るく・前向きな角度から捉えるように心がけているこのごろです。





 COLUMN 2−N NO203
                                平成18年9月5日 記

 「春日井市議補選は無効」
 〜”定数ミスで県選管 全会一致採決〜
              8月28日 中日新聞夕刊

    <後半、岐阜県庁の裏金問題から>


 続いて、翌日(29日)の朝刊にも
 「行政ミス 市民にツケ」 市議補選「無効 との記事


 同時に「トップ当選者は提訴へ」 再選挙実施は微妙 と記事が載っている

 ほとんどの方はお忘れになっているだろうが、私は5月23日このコラム2ーN NO186−1、 5月24日ーNO186−2、そして、続いてその投票結果が出た翌日にNo186−3でも取り上げた。 
 多くの批判票や白紙投票4400(投票総数9・9%)があったものの、5月28日の投票は終了した。

 その後、市民からに不服申し立てがあり、春日井市選管の下した結果は「無効請求の棄却決定」 結果に影響なし (6月26日朝刊 中日新聞報道)で言うものであり、4人の関係者の処分と2人の注意と言うものであった。
 
市民70数人は直ちに、愛知県選管に異議申し立てを行った結果が、今回の裁定であった。 (愛知県の選管がマトモな裁定を下してくれて、少しは安心した)
 が、この採決を受けてトップ当選の市議が、県選管を被告に選挙無効の採決取り消しを求めて控訴を名古屋高裁の起こした。
 告示翌日に被選挙数を一から三に訂正した補選の無効は法廷に持ち込まれることになった。
 春日井市議の任期は来年の4月30日まで、任期満了の6ヶ月前である10月30日までに選挙無効が確定しなければ、再選挙は実施されない。
 10月30日以降に無効決定が確定した場合、当市議は失職するが、欠員のまま次回選挙が実施する形になりそうだという。 (選挙費用が数千万、数億円?)

 ただでも厳しい市の財政事情ではあるが、民主主義・市民の権利をまもる、あるいは市政への参加こそ重要である。 お金のタカの問題ではないと考える。
 処分も身内の擁護意識が先行したもので、納得できなかった。

 
 ここから、岐阜県庁の裏金問題から
 
 このところ、岐阜県庁の裏金問題で大揺れであるが、これまた徹底的に情報を公開すべきである。
 愛知県民として、東海3県の知事で、マニュフェスト選挙を提唱し実績を残した前三重県知事の北川さん、花フェスタなど後に残る公共事業を積極的に展開した岐阜県の梶原前知事は、全国区的に見ても革新知事として注目された。
 それに対し、リーダーシップをとるべき立場、とり得る地位にありながら、真面目で正直者には見えるが愛知県の現知事である神田知事は、いささか物足りなく感じていた。
 が、北川さんは知事を引退するに当たって何か裏があった噂をきいた。
 そして、今度の岐阜県知事であった梶原さんである。

 知事自身を初め公職にある者は、公僕(こんな言葉があったはず)として身を正さねばならないことは論を待たないが、私たち県民・市民が県政に・市政に関心を持って見守らねばならないことを示した一件であると感じた。
 これからは、ますます地方に権限が移管されてくる、移管されるのは良いが、県・市政を経営・運営する能力が無くては、何にもならないどころか、悲惨な目にあうことになろう。

 ここまで書いて、2日前の新聞に地方公務員の給与が、民間企業より2割高いと報道されていた。 分かりきったことを今頃報道する、マスコミも役割を果たしていないのではないかと言わざるを得ない。
 公務員の給与を下げればよいと言っているのではないが、怒りを覚えるとともに、この問題は”国家が破滅しない限り、解決しない”という、世界の例を学んでいるから気が滅入ってしまう。
 安倍さんだろうが、来年の参議院選挙で小沢民主党は勝とうが、この問題を含めて真に新しい時代・社会は簡単に到来しそうも無い。
 (が、視点を変えてみたり、価値観を変更してみると、実に多くの新しい芽が、動きが随所に見えるし、行動している方の活躍ぶりが伝わってくる)
 自分たち自身で、現実をよく見、足元をシッカリさせ、勉強し、許しあい・助け合える仲間・メンバーを一人でも多く創ることが、一番大切であるとの結論になる。

 それでも、県政・市政、こちろん国政にも権利を有すると同時に、義務があるとの意識でいたい。

  

 COLUMN 2−N NO202
                                平成18年8月17日 記

 『百霊峰巡礼』を歩く
 〜大自然の中、菩薩となる 立松 和平〜
        中日新聞 8月16日 夕刊


 加藤の抜書き
 
 『頂上をひたすらめざす山登りを繰り返す人を、ピークハンターと言う。 山の頂上に立たなければ、登山の価値がないと思っている人がいる。 この考え方の根底には、山を支配すると言う根強い思想がある。
 ・そんな征服の思想から逃れたいと言う思いで、「百霊峰巡礼」を始めた。 日本の山にはほとんど神仏が棲むところで、山中の水源には竜神を祀って、人間の破壊を防ごうとした。
 山に登るとは、神仏に近づこうとする行為だった。
 ・日本古来の山登りである修験道は、精進潔斎をし、つまり肉や魚などのたんぱく質を取らないで山にはいる。 時には五穀断ちをした。 体力を弱らせて傲慢な自我を殺し、神仏に近づき、神仏を感応することを願ったからである。 
 山はそのための修業道場であった。
 自然と少しでも一体化としようとするために山行きの苦しい行をする。
・どうしてこんなに苦しい道なのだろうと思案して登る。 ふと気づく。 ここは修行道場なのである。 自分を高めるために修行する道場ならば、苦しいのは当然で、むしろありがたい。
 ・明治初年の神仏分離政策によって廃仏稀釈で仏教は排せられた。 戦後は観光開発で霊峰は苦しめられてきた。 これらは文化の根底的な破壊であると感じる。


 〜御岳山に登ったのは7年前になるのだろうか。 その後も長野県、岐阜県の初心者向きの山歩きをしていた。 その時の参考図書が残っている。
 ・「三河、遠州、南信州の山歩き」 風媒社・  あつた勤労者山岳会・発行
 ・「岐阜の山歩き ベスト55コース」 風媒社 ・八代 竜也

 昨年、一生に一度は「富士登山」をしてみたいと言っていたら、知人に声をかけられたが行かずじまいであった。 春日井3山の標高400メートル強で、訓練していると言ってもレベルが異なると思い、いまひとつ腰が上がらない。 それに相方が「私も連れて行け」と言うことは分かっているので、更に腰が引ける。
 立松さんが言うように、たとえどんなに低い山であろうとも、息が切れてくると”これは修行である”と何時か言い聞かせている。
 山に登るだけではなく、日々何事もなく過ごしているのも大変な修行の日々であると感じるこのごろである。
 明日から、エジプト行きである。 気温が40度のこともありますからと、添乗員からの事前の連絡が入った。 どんな修行が待ち受けているのであろうか。


 COLUMN 2−N NO201
                                平成18年8月8日 記

"時のおもり” 「二つの中央銀行物語」
 洋の東西でこうも違うのか  中日新聞8月8日
  浜 同志社大ビジネススクール教授


 加藤の抜書き
 
 『・ポーランドの中銀の総裁は名物男である。 その名をバルセロビッチという。
 ・ポーランドが脱社会主義化する中で、経済改革の基本設計を主導した人物である。
 ・総裁就任後は、通貨の番人としての姿勢が徹底していた。インフレ退治と為替安定。
 ・厳格な金融政策で、高金利政策の下でいかに失業があろうと微動だにしなかった。
 ・権力に屈しないバルセロビッチ氏は歴代の政府と衝突した。
 誕生間もない、現政権=国粋主義的ポピュリズム政権とは対峙構図が鮮明である。
 ・大統領と総理大臣のカチンスキー兄弟とは大宿敵である。
 ・宿敵の牙を抜かんと、今回の金融権限体制変更処置=権限縮小である。
 ・ポーランドは2004年5月他の9カ国とともにEUに加盟した。次の目標がヨーロ導入である。 このようなときに金融システムに政治支配が乗り出すとなれば、ECB(欧州中央銀行)のみならず、国際通貨基金(IMF)も今回の処置の妥当性を疑問視している。
 ・窮地に立たされたバルセロビッチ氏の命運やいかに。忽然といなくなることはないだろうが、気がかりである。
 ・中央銀行の総裁とはそういう職務だ。 独立性とはこういう形で危機にさらされる。だからこそ、命がけで守らなければいけないものなのだ。
 ・この職務は、決して政治家にその去就をとやかく言われてはいけない。
・いわんや、利殖問題で物議をかもし、時の首相にかばってもらうなどの、借りを作ってしまえば、いくら制度的に独立が保障されている中央銀行でも、その金融政策の自律性は信用できない。 』

 
〜このコラムNO193で中日新聞6月15日と16日の社説を引用し、福井総裁の辞任問題を取り上げた。 
 あれから、2ヶ月も経過していないと言うのに、この問題は忘れ去られているようだ。
 5年ぶりのゼロ金利解除をして、総裁辞任をするのではないかとの憶測も流れていたが、そんな話は何処にあったのかと思われるほどである。
 バブル崩壊後の日銀の不祥事事件の時も、当時副総裁であった現福井総裁は、辞任はしたものの、どこかウヤムヤのままで、責任逃れをしたように感じていた。 
 それ故にか、様々な利害や思惑が絡んで再び日銀総裁としてで戻ってきた。
 小泉政権時代のゼロ金利、ジャブジャブの金融緩和は何処かで糸が結ばれていた、いるのではないだろうか。
 弱者が生活保障を減額され、社会負担を増額され、ゼロ金利でいじめられている時に、最高のインサイダー情報を持ち、権力を持っている立場の人間が、濡れ手に粟の大金を手にする。 
 
このような状況にあったも庶民は怒りを表さないどうなっているのだろうか。
 
マスコミも尻切れトンボ。 わが愛読新聞、中日新聞もどうなっているのだろうかといささか怒りを覚えると同時に、情けなくなってくる。
 こんなに庶民を馬鹿したような状態を放置しておいて、このまますんなりと世の中が収まるとは思えない。 
 ここで、憤懣を書き記して終わりと言うのでは情けない。
 天道様は見ているのだろうか。 知っているのであろうか。 
 きっと、全てお見通しのことと思わずにはいられない。



前のページはこちらからどうぞ