このページ以前の
コラムはこち



    COLUMN 2-N  NO220                                                          平成18年112月8日 記

 「イラクは内戦」(と言う表現)解禁〜12月7日朝刊
<泥沼の実体に米メデイア、撤退論に追い風か>

   「イラク反戦」貫く 〜12月8日朝刊
   <アナン国連総長 孤高の10年>

〜私はどう感じ、考え、発言していたのだろうか〜

      < 平成13年9月から今日まで>


 いよいよイラク問題でニッチもサッチも行かなくなったアメリカ。 ラムズフェルド国防長官を実質更迭し、威信をかけての政策変更が検討されているが、どのような意思決定がなされるだろうか。
 アメリカのメデイアでも「内戦」と言う報道が始まった。 
 年末で任期終了退任する、国連のアナン事務総長は「イラク戦争は回避できるはず」と言い、ブッシュ・アメリカと渡り合った。 悔いを残して任期を終えることになる。

 ところで、この「イラク問題」をどのように感じ、考えをもっていたのか、このホームページで私はどんな発言していたのか、ペ−ジを括ってみた。
 イラク戦争が開戦されたのは、2003年3月です。その前の2001年「9・11アメリカ中軸テロ事件」から、拾ってみました。

 2001(平成13)年9月11日 日付順 NO119より

 平成13年9月13日 記
 思いもよらぬ所で、思いもよらぬ事が起った
 〜この一週間に感じ、考え、思ったことそして少々の行為

 9月10日夜半からのテレビニュースが飛び込んで来た。その後次々とテレビ、新聞で流される情報はまるで映画を見ているようであり、劇画の世界である。
 今後アメリカが、主要先進国が、中国、ロシアがいかなる態度に出るのであろうか。
 アメリカはその威信にかけて強い態度に出ることは明白である。
 その時、我日本はいかに考え、対応するのか。(湾岸戦争の時と異なり、早々と小泉首相はアメリカ支援の声明を発表している)
 何も言わず、後からズルズルと追随する今までの日本リーダーよりは好感はもてるが、感覚的、情緒的に激して語るところがあり、充分回りの意見を聴き、タイミングを失せずの判断、決断をしてほしい。

 同時に私達国民もこの際、リーダーの発言を待つのみでなく、己の頭で考え、私ならどう考え、どうするかを考え、提案、提起出来るようになりたい。
 人類の、21世紀第1年目の重大な時であるのだから・・・

 9月12日百姓学校で花畑の開墾と整地、畝立て、水仙の球根を植え込んで来た。
 校長と話す。
「思いもよらぬ所から、思いもよらぬことが起こった」
「ついに来ましたネ。生きるということを真底考えなくてはなりませんネ」
「流れがハッキリ変わったのですから、今までの考えを転換しなくてはいけませんネ」
「まだ理解しない人達がいるでしょうかネ」
「居るでしょうネ、もっと身近で肌に実感として体験するまでは他人事でしょうネ」

「この日本には美しい自然と水があり、まだまだ失われていない人間の情があり、伝統文化もある。もっと自信とそれを語り継ぎ、継承してゆく義務がある。
 青々と繁っていた稲は、今黄金の実りとなって初秋の風に揺れている。
豊かな豊かな食の農業がある。
 そんな国に世界の人々がぜひ行ってみたい、触れてみたいとなれば、観光立国にもなれるではないか?」と語ったのである。

 2001(平成13)年9月17日 政治・経済・社会欄 NO122

  平成13年9月17日 記
 < この時代を歩いている者として>
 〜アメリカ中枢同時テロ事件発生〜

 事件発生から6日間がすぎた。
 死者5000人以上との報道がなされるが、今だその全容は解らない。
 あと10時間後に、世界の富の象徴ニューヨークの金融が動き出す。どんな展開が待ち受けているのかまったく予測がつかない。

 このホームページにも“MORE&MOREの終エン”と幾度か書いてきたが、天変地異の予測はしたがこんな形でやってくるとは予想外であった。
 いや、あるならアラーの神、イスラムの行動であろうとの予感はあった。(こんな形で現れるとは予測出来なかったと言うべき)
 歴史、民族、宗教についての知識、見識は持たないが、ルネッサンス以降(産業革命以降といっても良いが)、ひとつの時代のENDINGの時に生を受け、生活している者として、今この時の思いを記録して生きていた証としてペンを取っている。

 ここ1〜2ヶ月前より歴史より学ばなければと、書棚より歴史書を取り出している。
 第2次世界大戦後、数々の地域紛争があったが注目すべきひとつに湾岸戦争がある。
 (当時、香港に駐在しており、日本の意思決定、態度にイライラしていたが、その後日本国憲法、日米安保条約、自衛隊法、集団自衛権等色々勉強させられた)
 その湾岸戦争は西暦11世紀にあった中東世界への侵略者「十字軍」の時代から続いている問題と認識することとなる。(十字軍は正義、イスラム教徒は悪の刷り込みがあった)
 実は、「十字軍はヨーロッパが行った、最初の侵略戦争」であり、ヨーロッパ帝国主義の原点となり、大航海時代のスペイン、ポルトガル、産業革命後のイギリス、フランスというヨーロッパ諸国の世界植民地化のパイオニア的な存在であるということ。
 中東はヨーロッパとアジアを結ぶ戦略上の重要拠点であったのだ。

 第1回の十字軍は大シリアの地にいたイスラム教徒を蹴散らして、キリスト教の国を作った。すなわち「十字軍国家」でその中心がエルサレム王国(1099〜1187年)である。

 第2の十字軍国家とアラブ人に映るのは、イスラエルによる「聖地奪回」という名の下で国が建設されたことである。
 アラブ世界にヨーロッパ帝国主義の出店としてのユダヤ人の国家である。
 シオニストの目指す国家とはアラブ人にとって「第2のエルサレム国家」「十字軍国家」ということになる。
 そのイスラエルの独立は1947年国際連合の「パレスチナ分割決議」を採択し実質的に認められた。
 が、それに立ち向かったのがイスラム世界の英雄サラディン(1138〜93年)の再来ともいわれたエジプトのナセル大統領であったが、第1次、第2次、第3次中東戦争と戦い、アラブはイスラエルにことごとく破れ、ナセルの威信は崩れた。

 1990年8月イラク軍によるクエート侵攻にアメリカ主導の多国籍軍がイラクを攻撃し、この戦争は「欧米による聖地防衛戦争」ともいえるものであったが、その「聖地」とは十字軍時代のエルサレムではなく、「油田」であった。時に大油田サウジアラビアはアメリカ石油会社(メジャー)が押さえていた。
 アメリカは冷戦が起ると「反共の盾」として中東の安全保障をイギリスより引継ぎソ連の南下を防ごうとした。
 それ以降「アイク.ドクトリン」=「石油ドクトリン」として中東でのイラン、サウジアラビアとの友好関係を続けることとなる。

 「歴史的にクエートはイラクの領土」といってもその主張は認められないが、同時にアメリカや欧米諸国の姿勢「十字軍的な行動」もはたして正義といえるのだろうか?

 このように11世紀の十字軍以降、欧米の利害に翻弄された中東に再び、イスラムの英雄サラディン(1138〜93年、ヨーロッパ侵略者を追い払って、エルサレムをイスラム教徒に取り戻し、その後も十字軍の侵攻をはねのけた)は現れ、解放させるのか?

 湾岸戦争より10年、アラブ=イスラムの怨念は1990年代のアメリカの傲慢とも思える世界への対処で、新たな貧豊の格差を生むと同時に、環境問題、防衛問題でも内むきのアメリカのエゴがこのテロを起こさせたのではないか、と同時に、世界の草の根の人々を敵に回しての戦争になるのではないか?

 このテロの黒幕はユーラシア大陸の問題から逃げ出ようとするアメリカを引きずり込むため欧州、ロシアがイスラム過激派をそそのかしたという意見もある。
 十字軍の時代よりイスラム教とキリスト教の対立は武力では勝てない欧州、ロシアがアメリカ軍の力を頼りにしたとも言うが・・・
はたして真相?

 あと数時間でニューヨークの金融界は朝を迎える。と同時に@換金売り Aガソリン等の高騰 B決済資金の増加等で貨幣供給の増発がなされる。
 又、全世界の経済はスローダウンし、一方戦費は拡大しアメリカは再び財政危機、赤字となり、米国債、米国株は売りとなる。
 それはドルの終エンであり、アメリカ資本主義の終エンである。そこから新しい基軸通貨と秩序にむけた模索が始まる。

 イスラムの歴史と欧米のかかわりをエイヤーと切って頭の整理をしてみた。
同時に、どう考えてみても“MORE&MORE”“人間の傲慢さ”の行きずまり、終エンである。

 が地球は、世界はFAINALITYではない。
 今からBEGINNINGなのだ。

 オロオロ、ウロウロだけはしたくないと言い聞かせて来たが、私自身にもその時が刻々と来ている。
 ここからが、真の修行の始まりである。
 人はこの世に生を受け“生きる”という修行を通じ、魂の浄化をするのだ。

 2001(平成13)年10月22日 政治・経済・社会欄 NO132

 平成13年10月22日 記
 米国中枢テロと日本の役割 そして憲法
 〜9月11日以降、右に左に揺れながら、学び、考え、感じ、思ったこと〜

1・アメリカ追従と言われようと、テロとは戦うという姿勢を早々と示したことは良い。
 私の体験、湾岸戦争時に香港に滞在していて、日本人として何も決定しない、方向性を示せない日本政府にイラダチと失望を強く持った。
 その後何もせず、今又ドロ縄的に“テロ対策特別時限立法”が成立しようとしているが、これを機に平和ボケ、欲ボケで構造改革の進展をまだ先延ばししようとする意識のある我々国民に良い刺激となった。(まだ終わった訳ではない)

2・現日本国憲法は進駐軍アメリカより押しつけられたものである。米国は日本のみならず世界中で、自分に都合の良い要求、行動をとり横柄であり、傲慢でもある。
 が同時に“日米安保条約”により日本は守られ、経済発展の恩恵を得たのであり、感謝を忘れてはならない。
 又、戦後占領政策(特に教育)により日本人としての独立自尊の精神、文化、伝統への自負心を忘れ、失わせるものとなった側面がある。(もちろん日本人自身の問題でもあるのだが・・・)

3・世界の警察とも、一人勝ちの国とも言われるアメリカは(資本主義の象徴)は今回のテロ事件を境に歴史の大転換点に立たされている。
 戦争とも自ら叫んでいるアメリカは、何をもって勝ち負けを決して終結に導かせようとしているのであろうか?
 私の基準「その後の信頼、指導力が増すのか減ずるのか」という点から判断すれば、私は「アメリカの負け」ということになると考える。

4・では、同盟国日本として(感謝すべき側面をもつ日本として)いかに対処すべきか。
 友愛連帯の精神をもって、卑屈に追従の姿勢の今までから脱皮すべき時である。
 かって、アインシュタインが言った。
 「世界が戦争に明け暮れて疲れ切った時、日本が世界に残っていたと世界の人が思うだろう」と
 又、ノストラダムスの予言にもある。
 大きな戦争が起ると「白髪の一つ目の赤い目のおじさんが、東洋から現れる時、ノストラダムスの予言はくつがえされる」と
 そんなことを引き合いに出さずとも、歴史をみれば、日本はイスラム教(中近東諸国)とは西欧、アメリカ、ロシア、中国とは異なり、一度たりとも事を構えたことはないのだ。
 そこに日本の役割をみることが出来る。
 自主、主体性を持って、武力行使なくして世界の平和と共存に寄与する国としての自覚のもとに、今こそ、仲介の役をはたす時である。

5・何ごとも始まりがあれば終わりもある。
 この事態もいつかおさまる。
 その時、我々国民は憲法問題を真正面から取り組むべきである。
 自らの国をどうしたいのか、どうするのか、そのための防衛は?軍備?
 この事柄から逃げて来たのが、一本スジの通った、背骨のシッカリしない国にしてしまって来たのではないか。(大東亜戦争にこりて、眼をつぶり、アツものをふいてきた) 
 私は今回の思考を通じ、独立自尊、友愛連帯、共存の道を歩む国として、当たり前の国として軍隊を持ち、集団自衛権も堂々と行使出来る国になるべきと考えるに至り、再認識した。

6・いうまでもなく、そこには2重、3重のチェック、コントロール機能、機関を持つべきである。
 保持し、行使可能の憲法、法律をもってしても、それは自覚と責任、義務をより深めるためのものであるべきものであり、国家間の信頼を育てるにはあらゆる機会を通じてのコミュニケーションであり、事ある時には“まず話し合い”であるべきだ。
 戦争といわず、環境、貧困等の問題すべてに当てはまり、そこでは先進国が2歩も3歩もゆずる精神、調和の精神を発揮すべきである。
 自由、競争の理念、ルールではもうこの地球レベルの問題は解決しない。

7・その点において、日本、日本人の歴史をみた時『調和』を尊び、それを実践して来た国であり、民である。
 その歴史はあらゆる、文化、文明を受け入れつつも自己を失わずに今日を築いてきた歴史の国である。
 ただ一度、その禁を破ったことがある。(色々な歴史的背景や弁解の余地は多々あるが・・・)
 又同時に私自身のDNAの中に、時として激し、興奮し、冷静さを大いに欠く行為に走ることがあり、個人の差の大小はあれ、国民性としてもある、又あったことを自戒しなければならない。

8・戦後50数余年、今この時身のまわりの政治、経済、社会の混沌とした、暗中模索の時代の中にあって、私達の素晴らしい歴史、文化、精神を思い起こし、呼びもどし、顕在化させる、“調和”を尊ぶ国、民としての役割の出番に答えなければならないと考え、思い、自覚をもった。

[上記の掲載内容は2001年10月22日、以下に掲載する2003年2月11日までの約1年3ヶ月は、何も発言していない・]

 2003(平成15)年2月11日 政治・経済・社会欄 NO294

 <追記>
 ところで、この投稿欄には一度も「イラク問題」を真正面から取り上げていない。何度か試みているが、閃きで書いていない。なにかどこかに構えがあって、純粋でないものを感じて、ここに投稿出来ないでいます。
 今回も、途中まででヤメました。 又 いつか

 2003(平成15)年3月16日 政治・経済・社会欄 NO316

 (316)平成15年3月16日 記
英知と勇気を信じ、望み、この瞬間絶対なりと合掌す
 〜イラク問題、その後の混迷する世界、又その後は?〜

 294の追記で『ところで、この投稿欄には一度も“イラク問題”を真正面から取りあげていない。何度も試みているが、閃きで書いていない。なにかどこかかまえていて、純粋でないものを感じて、ここに投稿できないでいます。今回も、途中まででヤメました。又いつか』と書いています。

 色々な資料や切り抜きも、テレビ・新聞の識者・評論家の話も視聴して知識は増えていくのだが、自分の肝の底にキッチリと納まる考え方にならないからである。
 そもそも@アメリカの9.11をキッカケとしてのテロ撲滅が取りあげられ、アフガニスタンに潜むというテロ首謀者(ビン・ラディン)の逮捕、殲滅から、いつしかテロ支援国家としてイラク問題へと連なってゆく。
 湾岸戦争後の安保理決議(?)国連決議(?)678、687、1441があるから、イラク攻撃は可能といい、世界の世論に押され、新たな国連決議をというものの、思うように進まない。
 いつか、「大量破壊兵器の破棄」であると話が変化し、イラクの態度にイライラし、兵器破壊と撤去のための時間、チャンスを与えることの論議に至って、各国の立場・利害・主導権・存在感の誇示と思惑が様々にからみ、砂嵐が吹き荒れる光景が映し出されつつギリギリのところに追い込まれた(誰がどのように?)。

 そんな背景の中3月16日の『サンデープロジェクト』を視聴した。
 異様に感じたのはイラクの立場・考え方をインタビューしたのちに、そのカシム・シャーキル在日イラク代理大使の目の前で元首相宮沢喜一さんや、学者、評論家の討論内容である。
 特にイラク周辺の地図を持ち出し、アメリカ軍がどのように攻撃するか、3つのルートで首都バクダットを目指すのかを図解する。

 それをインターホンを耳にしたカシム代理大使は“なにか良い情報を知った”と表情ひとつ変えずメモをしているのが映し出された時であった。
 明日にでも米・英・スペインが最終的な態度を決断しようとしている時にである。しかも話は続き、補給路の確保はどこまで可能か?ゲリラが補給を断つ動きの場合は?
 首都500万人の市民の生存はどうなる?
 アフガンの時のような山の中の兵士相手ではないのだから…
仮に攻撃が始まるとイラク・フセイン政権は意識面・物量面で内部から分裂・崩壊するのではないかと意見が述べられると、画面後方に映し出されていた代理大使は首を横に振って「これまで長い間経済封鎖に耐えてきたイラク国民はそんなに簡単にギブアップする国民でない。」と語った。

 ここまでくると振り上げた拳を落とさないとおさえられないアメリカ・ブッシュ。
 いやアメリカの経済状況は低落・混迷で、アメリカの中産階級を中心として、その没落が進行し不満の噴出が目に見えてきたので、目をそらすためだろうとも聞こえてくる。
 イギリスの立場・利害・ブレア首相と国民?
 フランスの存在感誇示は何故、石油利権か?
 ロシアはこの際、資源を背景に立ち直りを?アメリカを刺激せずに、敵に回さず?
 中国も国家主席の交代や経済の実態は輸出好調といわれながら貿易収支が赤字となった。どんな思惑を胸に秘めているのか?

 第2次大戦、戦勝国の都合の良い型でつくりあげられたポツダム宣言後の国連は今やその大国のそれぞれの利害の対立する中、まさに崩壊しようとしている。
 国連主義と日米安保の2大外交政策の日本、国連への拠出金も22.5%のアメリカに続いて約20%と第2位のわが国は如何なる論理・政策をもって決断するのか?
 国民は『サンデープロジェクト』の3月14、15日の世論調査によると、新たな国連決議があろうが、なかろうが80〜70%で軍事行動の反対と言っている。
 小泉支持と不支持も1%であるが、逆転してしまって不支持が48.5%。

 アメリカ追従外交、あるいは国民へのアメリカ支持の説明が全然なされていないとの非難をあびながらも刻々と時は経過してゆく。
 そしてどんな結果がまっているのかさっぱり見当もつかぬが、天のみぞ知る、納まるべきところに納まってゆくことになる。
 それは更に世界中を混迷の淵に追いやることになることはまちがいない。イラク戦後の世界秩序に誰も、どの国も何ら明確な構想をもっていない。
 そして安保理の有効性が議論され、同時に第3の国連のあり方が議論のテーブルに上ることだろう。

 その時、日本は混迷する世界情勢をいかに認識し・分析し・予測して21世紀半ば、いや後半のあるべき世界の姿を描き、主張することができるのだろうか?
@ ユーラシア大陸はどうなっているか?ゆくか?その中でのヨーロッパは?バルカン半島は?中近東は?アジアは?北東アジアは?
A 南北アメリカ大陸は?アメリカの覇権は?
B アフリカ大陸は?
 その上に地球環境問題・水・食料・貧困問題等自然とも対話しなくてはならない課題は枚挙にいとまなしである。

 私など手におえる課題ではないと逃げるのは容易であるが、果たしてそれで良いのかと自問する。
 戦争回避の英知と勇気を信じ、望み。
 今、この一時、瞬間が絶対なりと合掌する。

 2004(平成16)年1月28日 政治・経済・社会欄 NO451

 
 NO451 平成16年 1月 28日  記
   陸自本隊に派遣命令 ―イラク支援に 550名―
  〜1度はこのテーマに対して、今の自分の考えを記しておかねばと思いまして〜

 <これで陸・海・空の全自衛隊約1100人の動員が出揃った。
  戦後日本の安全保障政策は大転換した。>

 1989年湾岸戦争の時、私は香港に駐在していた。 現地の社員600人、その代表である幹部社員より「日本は、そして加藤はこの戦争についてどう考え、どう行動するのか」と問いかけられていた。
 幹部の大半(30代)はその親たちが大陸中国から難を逃れてきた子弟であった。
 彼らの勤める会社責任者の考え方を聞くことにより、じぶんの今後の進路を決める1つの目安にしようとしていた。(1997年の香港返還問題にどう対処するか)
 具体的には家族ともども移民するか、それともこのまま香港に留まるかの判断である。
 やっと任せることが出来るようになった彼らを失うことは私にとっては大変な痛手である。

 当時の日本は海部首相であった。 彼1人の問題ではないが、兎に角、右も左もなにも結論がでないのである。 なぜか日本を代表して答弁するような気持ちになっていた。(内心はイライラである)
 私には18と19歳の2人の息子がいた。 「日本国憲法で許されるならば、その内の1人を戦地に赴かせても、イラクの暴挙は制裁されるべきである」と発言した。 (その後長くこの発言は私を時々苦しめた。 中近東の歴史などほとんど知らず、まして近代以降、列強各国がどのような行動をこの地で行ってきたかの知識はゼロに近かったから…・)


 それから14年世界情勢は激変したが、それにもまして日本の対応の変化はそれ以上である。
 今又、私は深く・正しく・広く情勢を分析する知識も能力もなく、為政者の判断・決断にしたがっていいものだろうかと考えずにはいられない。
 イラク復興支援というものの、実質的には日本の軍隊の海外派兵である。 戦後日本の安全保障政策の大転換と言わずして、他に言いようがない。
 <ここでは派遣される自衛官の方・家族への思いについては触れない。 無事に帰ってきてくださいというにとどめます。 >

 1989年当時の日本政府と同様に、今の私は自分の意見も口にせず、判断もせず立ちすくんでいるだけで良いのだろうかと自問し、今ペンを執っている。
 武器を持って戦場にいるわけではないが、当時と同様に600名の社員は責任者である私がどのように発言するのかを注目していたとするならば如何なる言葉を発するのだろうか。

<その結論は自衛隊の派遣には賛意しかねるという考え方である。 それはなぜか?>

@この戦争に正当性がない、大義がない。(ころころと変化しているし、<テロ・アルカイダの殲滅〜大量破壊兵器の破棄〜フセイン政権の打倒> と、その証明もされぬままに。)要は石油がほしかった。
A日本国憲法の常識的判断(憲法学者ではない者)から遺脱している。 解釈問題、言いつくろいでは国が怪しくなると言うだけで事が済まないことはおおくの国民が知り、危惧するところである。

 仮に現憲法成立の過程において、戦後の混乱していた時代、考えの及ばないところが多々あり、また平和希求のおもいが多面的な思考を妨げたり、させてもらえなかったという、その成り立ちの事実もふくめて、戦後半世紀も過ぎた今、自主・自立の国民としての自覚と責任を持った上で、現憲法にいかなる判断をするのかが問われていると考えます。
 主体性を持った国民としてこのままズルズルと大きく変わる世界情勢の中、日露戦争以降と同様、正しい情報も知らずに、目隠しされたまま勝てば官軍よろしく、神国日本までとも思いこませ、あの最悪の道を歩む事となった事実を反省しなければなりません。
 シッカリと1人ひとりが自覚と責任をもってこのテーマに相対する時です。

 次ぎに、派遣の判断・道筋をつけていったリーダー(小泉首相)について
 首相は冷静な精神で・主体的な決断をしていたのだろうか?ということです。
 この方勘が良いというのか、瞬間的に事を決し目先の勝ち負け、政策決定で多くの支持を得てきました。
 が、大きなテーマ、世界観・国家観という国の将来を決定するというようなことに対しての発言もほとんどしていませんし、関心・能力も持ち合わせが少ないように思えます。

 言いうまでもなく冷戦構造崩壊後、グローバル化された自由競争社会(市場経済)において、当初のアメリカ一国の1人勝ち・アメリカの正義がまかりとおる時代から、間違いなく多極化時代へと日々刻々と移っています。 このままではアメリカのエゴ丸だしです。
 が、小泉首相は目先の安全保障と目先の政治・経済関係に目を奪われすぎているのではないでしょうか。
 思考停止していると言っても良いかとも思います。 それは追従という言葉で批判されていますが、それだけに留まらず、主体・自主の精神のなさからもたらされたものではないかと思えるのです。
 もっとしたたかな精神と柔軟な思考で持って事に当たらないことには、日本が沈んでいってしまいます。
 ユーラシヤ大陸の東の果てに位置する日本、その中心・中近東で起こっていることに対しての、歴史的将来的展望力が欠如しているのではないでしょうか。

 私は嫌アメリカではありません。 どちらかと言うと好アメリカだと思っています。
(ただこの時、私の頭の映像にはアメリカの西・カルフォルニアが大きいのです。 どうもアメリカの東・ニューヨークやワシントンは西以上に分からないのです。 でも彼らがアメリカを動かしているのです)
 アメリカ以外の大国(国連5カ国)のロシア・中国は力で押す覇権国家の印象が強いですし、ヨーロッパのフランス、イギリスも手練手管の国に感じてしまい簡単には信用できないのです。
 そう考えるとアメリカは悪い国とは思えないのですが、何処でもあるようにトップになってしまうと気づかないこと、ワガママなところが出てしまうのでしょうか。

 だとしたならば、真の友人(同盟者)としてもっとハッキリと忠告し、意見具申をすることが大切と考えます。
 元に戻って言うならば、小泉首相には今起こっている世界秩序の変革期であることの認識が浅く、新しい時代の国家の将来像・ビジョンが示せない故に、日本の取るべき進路に従っての判断・決断できないということではないでしょうか。
 多分、道路公団同様に、手元の郵政民営化も、財政改革もあらゆる課題は「改革なくして成長なし」の掛け声がコダマして終わってゆくのでしょう。
 これが私達のえらんだトップリーダーなのです。 私達の問題です。

 話しが何処かに言ってしまいました。 戻してまとめてみます。
 @イラク自衛隊派遣に反対です。 正当性・大義がありません。(派遣自衛隊員・家族の方にはご無事なお帰りを願ってやみません)
 A憲法改正あるいは現状維持 どちらにしても情報を公開して、その議論の過程を通し国民自らの意思と責任の反映された自前の憲法とする。
 一握りのリーダーに任しておく時代は終わったと考えます。 
 何が起こっても不思議でない時代であると思います。 1人ひとりが自分の価値観で生き方を決める、自己責任の時と思います。 その総和が国の力と考えます。
 
 Bそうなれば、日本の国際貢献のあり方・国防・外交もおのずから明確になります。
 Cそれにはまず、今世界はどのような方向に動いているのか、これから求められる秩序・価値観はなにか? どうあるべきか?の論議も公開されるべきであると考えます。
 D日本は地政学上においても、歴史・伝統・文化・宗教どれをとっても世界の中でユニークな存在であると思います。 
 同時にそれはこの国のあり様、個人・家庭・会社の姿・形であり、この地球上にひとつの普遍的な価値をもたらすものになると考えます。

 そんな自覚と責任、希望と勇気を持って日々を送りたいと考えています。


 以上がイラク戦争に関する私の書いたものです。
 これで、イラク戦争は終焉したというどころか、アメリカの国益(しかも一部の人々のため)のため、大きな犠牲を払い、今後もまだ混乱が続くことでしょう。
 が、この戦いの実体はアメリカの負けという形で、収束に向かうのであろう。
 そこに絡む、世界の大国といわれる国々の国益、思惑で、さらに新たな火種が噴出すとも限らないと感じています。
 
 それにしても、「内戦」といわれるように、目先の行き先も見えない。 
しかし、その地域のこと、国のことはその国の人々に任し、委ねるより解決策はないと考えます。
 彼らが引いた道筋に、どのような支援や援助が出来るのかが、この戦争に関わったものの責任であると考えます。

            



    COLUMN 2-N  NO219
                                
平成18年12月4日 記

本当に、あの船井幸雄先生が知らなかっただろうか
 〜”日本は近々国家破産する”
 <船井幸雄の今知らせたいこと>12月1日より


 〜昭和51(1976)年から約5年間、月に1回ないし、2ヶ月に1回、(後半は四半期に1度)船井幸雄先生に直接面談してのご指導をいただいた経験があります。
 兎に角、戦いに勝つための戦術は卓越しており、実践的で具体的であった。 アチコチの会社から引っ張りだことなり、またあまりにも勝ちすぎて指導先の会社同士が戦うところまでに至ってしまったのではなかったのではないだろうか。
 
 その頃から、先生の関心事は変化し、損得・勝ち負けの世界に直接指導することは限定され、社会全体の安寧や発展、人間の生死に関することに多くの時間が費やされ、その方面の著書が発表されるようになった。
 その変化を読めない・あるいは先生の心情を知らない人々は、先生が「神ががかってきた」と口にするようになった。 
 
 私は直接指導が終了した後も、先生が次々に出版される書籍は購入し続けた。
 10年頃前頃から、知らぬ間に先生の著書は新聞広告から知るのみとなっていました。 (著書の発表も少なくなったのではないでしょうか)
 今、本棚を調べてみましたら1995年10月発行の「エゴからエヴァへ〜地球が変わる・人類が変わる〜」。 そして1996年7月発行の「エヴァへの道〜地に足をつけ・ゆったりと・21世紀に向かおう〜」が最終購入の本となっています。

 ある会の話題の中には必ずといっていいほど先生の話は出てきますので、それなりにどのような考えで発言をされ、関心を持っておられるのかは存じ上げていました。
 あるとき、その会のある方の発言に触発されて、インターネット「お気に入り」に登録して、先生のページを読み始めました。
 そして、本日の紹介する記事に出会いました。

・・・・・・・・:*     *       *       *       *      *
 
                                         2006年12月1日
 「船井幸雄の今知らせたいこと」
     
      日本は近々国家破産する

 先週11月24日に久しぶりに森木 亮さんと、ゆっくり話しました。
 最近の私は、彼の近著の『2008年 IMF占領』(2005年 光文社刊)と『日本国破産への最終警告』(2006年 PHP研究所刊)を読んで、「森木さんはやはり天才だ。発言は正しい」と判断していました。
 後著には、「日本国は最終破産前夜だ」というページがあります。とりあえずそのところを紹介します。読んでください。                           

 
◆日本国は最終破産前夜だ

 明治維新から138年たつが、この間、日本は二回も国家破産を経験している。
 一回目は日露戦争勃発(1904年=明治37年)から第一次世界大戦のさなか(1916年=大正5年)までの12年間である。
 二回目は、満州事変勃発(1931年=昭和6年)から太平洋戦争が終わった年(1945年=昭和20年)までの14年間である。
 過去二回の国家破産は、いうまでもなく戦争が原因だった。膨大な戦費をまかなうため、多額な負債を抱えこんだからである。このため、国民は大増税と超インフレに襲われ、過酷な生活にさらされた。当然のことながら、国民が買わされた国債も、乏しいなかからお国のために預けた郵便貯金も紙くずとなった。わずかに残った財産も、日常生活を維持するだけの食料や燃料や衣類に替わったのである。
 そういう国家破産の時代がみたび訪れようとしている。
 すなわち三回目の国家破産はすでに1999年(平成11)に始まっている。それから今年は7年目だ。
 財政学では財政爆発曲線に入ると、その国はやがて破産するといわれる。
 財政爆発曲線とは一言でいえば、その年に返さなければならない国の借金総額がその年の税収の何倍になっているかという指数である。国の借金総額とは、具体的には国債の利子と満期がきた国債を精算するために発行される新たな国債=借換債の合計だ。
 たとえば、ある年に48兆円しか税収がないのに、その年に返さなければならない利子と借換債の合計が130兆円ならば「2.708」という数字が出る。これを指数化するために100をかけると270.8となる。これを財政爆発指数という。
 現実の日本にあてはめて見てみよう。
 2005年度(平成17年度)の政府予算では、(利子9.3兆円+借換債103.8兆円)÷税収47兆円=2.406となる。これに100をかけると240.6だ。しかし、本当は分子に「隠れ借金」を入れて計算すべきだ。隠れ借金とは、財政投融資からの借り入れのことで、国会の議決を必要としないから、隠れ借金などといわれる。
 まあ、そこはとりあえず厳しく詮索しないでも、財政爆発指数が240.6というのは、実はとんでもない指数なのである。
 私は、この財政爆発指数が300に近づいたとき、日本の財政的な国家破産が、誰の目にも明らかになるのではないかと判断している。
 私の予測では、2008年度(平成20年度)には、[(利子22兆円+借換債119兆円)÷税収48兆円]×100=294となる。
 2008年とはどういう年だろう。7月には日本でサミット(先進国首脳会議)が開かれ、8月8日午後8時には北京オリンピックが開幕する。
 そういう年に日本の国家財政は破産する。しかし、世界経済そのものは明るくなる見通しで、株価も上昇するはずだ。だから私は、利子を2005年の約2倍に想定した。株価が上がれば、現在1.5%である十年物国債の長期金利も倍になると想定しなければいけないからだ(転載ここまで)。
 
 つぎに破産するとどうなるかですが、それはIMF(国際通貨基金)の管理下におかれるようになる・・・ということですが、すでにそれはネバダ・レポートとして、2002年2月14日に、竹中平蔵さんが国会で、その存在を認めたので周知になっています。つぎのようになる可能性が大きいのです。

(一) 公務員の総数および給料の30%カット、ボーナスはすべてカット
(二) 公務員の退職金は100%カット
(三) 年金は一律30%カット
(四) 国債の利払いは5年から10年間停止
(五) 消費税を15%引き上げて20%へ
(六) 課税最低限を年収100万円まで引き下げ
(七) 資産税を導入して、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券・社債に対しては5〜15%課税。株式は取得価格の1%課税
(八) 預金は一律にペイオフを実施するとともに、第二段階として預金額を30〜40%カットする


 財政学のエキスパートである森木さんとの、話しは楽しかったのですが、「多分、多くの日本人は、このことを知らないのだろう。だから小泉内閣を支持し郵政民営化に賛成したのだろう」と気がつき、私は言論人として、このような大事なことを知らそうとしなかった自分の怠惰さに気づき、2日間くらい睡れませんでした。
 「私も日本人だなあ」と、つくづくびっくりしたのですが、ぜひ森木さんの近著を一冊くらい読み、危機感を持ってほしいと思います。常識的には、彼の言は正しいと言えます。ついでに、’97年に国家破産し、IMFの管理下に入った韓国のその後を勉強すると、国家破産の大変さが、よく分ります。たとえば33あった銀行が三つに減ったのです。
                                            =以上=


     *      *      *      *     *      *

 〜私が「狼爺」と言われながらも言い続けてきた価値観や現状認識に照らしても、同意できる内容です。
 あっては困ったことだとも思うと同時に、通過しなければならない必然が近づいてきたとも考えるのです。
 
 それにしても、あの船井先生が気づかなかったなどと言うことは信じられない。
 知っていても、気づいていても、何かの理由で公には出来なかったことがあるのだろうとしか思えません。 しかし、ここに来て取上げられるということは、現実味が増してきたということだろうと逆に思わずにはいられません。
 ウロウロ・オロオロせず、心穏やかに対応してゆきたいものだと言い聞かせています。






    COLUMN 2-N  NO218
                                  

                                 平成18年12月3日 記

 今週、気になった記事、切り抜いた記事
 〜11月27日〜12月3日 中日新聞・朝刊・夕刊〜


 このコラムは中日新聞を中心として、その他の雑誌やレポートから気にとまった内容のものを紹介し、そのことについて私の気づいたこと、考えたこと、思ったことを書き留めています。

 新聞は1週間分となりますと、気になった記事には印をつけてあるのですが、改めてめくり直すと見落としていた記事、そのときは読み飛ばしていた記事の中にも考えさせられる内容のものがあり、結構な時間となります。
 可能ならば3日分ぐらいづつ整理をするのが理想ですが、今週は7日分となりました。
 どのような内容のものだったか紹介します。

 ・11月27日の夕刊、「造反11人、自民復党へ、平沼氏、誓約を拒否」

 ・11月28日の朝刊、社説「造反組」復党。 一体誰が納得するのか
〜上記の「造反組の復党」については、12月3日の社説で取上げられています。

 ・11月30日の夕刊、「ポーランドとの隠れた関係」 ”杉原千畝 人道ヴィザ

 〜
文化欄に掲載されました。 現ワルシャワ大学教授のエヴァ・パワス=ルトコフスカさんの論文ですが、昨年から学んでいる世界の各地・各年代の歴史の中でも、関心を持って受講しています「中欧を知る」の講義内容にも登場してきますので、目に留まりました。
 
 ここで、
本文を紹介したり、コメントしていますと長くなりますのでいたしませんが、中欧の世界遺産に登録されている観光地は、近時日本からの観光客が増加しています。 大国となったり、あるいは国が消滅してしまった歴史を持つポーランド、そのお隣の国ハンガリー、チェコと共にこれからも注目されてゆくことでしょう。

 杉原 千畝さんはリトアニアの領事館に勤務していた第2次世界大戦中の1940年7月末から、ポーランド国籍のヤダヤ人に日本経由の通過ヴィザを発給したことで良く知られている岐阜県出身の方です。

 ・11月30日朝刊、県内版「どう残す」熟慮の時  「花祭りと過疎」

            分裂した

 
〜しばしば登場「花祭り」します、私の小学校時代を過ごした北設楽郡豊根村や隣の東栄町の「花祭り」の記事です。 遂に豊根村間黒(まくろ)地区の花祭りは地区住民43人、平均年齢は71歳、半数以上が独身世帯と言うことで、夜を徹して行われる2日間をまかないきれないと中止を決定したとありました。 伝統の灯は消さないでと思うのですが・・・

 ・11月30日夕刊、”1000年ぶりに融和”

            

イスタンブールの聖ジョージ教会でローマ法王と東方正教会の指導者が対話をされました。 1000年近く前に分裂した、東西のキリスト教会の融和は進むのでしょうか。
 翌日には、ベネデイクト16世ローマ法王はイスラム教礼拝所のモスクを訪問。 イスラム式で礼拝をしたと報じられていました。(昨年、今年だったかな?ローマ法王の発言でイスラム教徒がローマ法王に怒りの行動を起こしています)
 
「世界平和」が叫ばれているものの、その実体は遠い世界です。 宗教がその役割の一端果たすかとも考えるのですが、その宗教をめぐっての争いとう側面もあります。

  
宗教から解放の歴史でスタートした近代でもあったのですが、合理主義と自同律(対比、相互律)による「MORE & MORE]によって、ここにきてそれが持つ矛盾で立ち往生しています。 新たな世界秩序が求められています。 宗教は何が可能でしょうか。

 ・12月1日朝刊、「ロシア元中佐 謎の死から1週間」
〜無理に結びつける考えはありませんが、国のエゴ・覇権・国益追求、国のリーダーのエゴ・権力欲(=MORE & MORE)がなせる結果と思われます。

 ・12月1日夕刊、「あの人に迫る」 串岡 宏昭(元トナミ運輸社員)
        「異端扱い怖れず 自由な発言貫け}

〜1946年富山県新湊市生まれ。70年大学卒業後、「トナミ運輸」に入社。 74年、トラック運輸業界の闇カルテルと不生運賃収受を内部告発した。 報復として教育研究所に配置転換された。2002年、トナミ運輸相手に損害賠償と謝罪を求めて提訴。
 控訴審では一審判決の趣旨を尊重する_などを条件に和解成立。
 本年、9月20日、同社を定年退職した。

・12月2日 編集局デスク 「チベット悠々」 編集長 加藤 幹敏
 〜コラムの内容を抜書きしてみます。

『20年前、ヒマラヤ登山の同行記者としてチベットを訪れたときのこと。 平原の一本道、舞い上がる土煙の向こうで、二人の男が倒れこむように全身を投げ出して、地面にひれ伏している。 立ち上がって合掌する。また、膝を曲げてひれ伏す。 「五体投地」と言う礼拝だった。 一回で進むのは、自分の背丈分のみ。 手足に血をこびりつかせた父子の巡礼者は言った。「故郷の村を出て、約1年、あと3ヶ月もすればラマ教の聖地、サラに着くよ。もう直ぐだ。」
 (中略) 文明は、人類にスピードという贈り物を授けてくれた。 とても便利で快適な生活を享受している。 だが、それによって失ったものも、決して小さくないのではなかろうか。
 チベットに流れる時間を、近代化が遅れているからだ、信仰のせいだ、と解説するのはたやすい。 が、私達はチベットの人々より幸福だと誰が言い切れよう。
 彼らのキラキラ輝いていた目を忘れることは出来ない。』


・12月1日夕刊、「残留孤児 国に賠償命令」〜祖国希望は生きていた〜・

      

 ・12月2日朝刊、「全アジア、平和行進・ドーハ大会開催」

 ・12月3日朝刊、「無宗教の不安」 「死ねば無」で快楽主義助長
             
阿満 利麻 明治大学名誉教授
 

〜この論文の内容は単独で取上げるべきかもしれない。が今週は(上)となっているので、来週も続くと思われるから、最後の纏めのところを紹介しておきます。
 
 「人は死ねばどうなるのか、自分の死にどのような意味を与えれば納得して人生を終えることが出来るのか、が重要であり、それは取りも直さず、この人生を如何に生きるかという問題と切り離せない事柄だという点にある とありました。

〜時々、「死に方」について考えます。 ほとんどの人が「ピンピン・コロリ」を願っていると思います。 私もご多分いもれずそうありたいと願っていますが、こればかりは分りません。
  私が自分のことを”修行僧”と言っていますのは、この世に生がある限りは全て修行だと思っているからです。 私の修行内容では、再度「苦」の世界=今世に何度も出戻りになると思っていますので、そのことから「輪廻転生」と考えています。 本来の意味する輪廻転生とは異なるのでしょうが、私の理解の仕方です。 

 ・12月3日朝刊、社説 「民意の離反 恐るべし」
〜造反議員の復党問題である。 以下、抜粋します。

 『復党議員の復党後の記者会見の発言を取上げます。 「私達は絶対に忘れない」来るべき選挙では、候補者一覧に公選法に引っかからねば、「複」のマークを載せて報道する。(中略)
 安倍首相も早く、騒ぎを打ちとめたい。 そこで打ち出したのが「道路特定財源の一般財源化」<国民を味方にする心ねが見え透いている> (中略)
 就任後、中国・韓国を訪問、首脳会談が復活。 財界は評価、が作用あれば反作用もある。(中略)
 やたらナショナリズムを刺激する政治手法は、健全でない。(中略)

 かって民意は「戦争」へ雪崩を打ちました。 新聞も煽った。だから自戒をこめて書きます。 民意恐るべし、離反も恐るべし、と
 多数意見が常に正しいとは限らない。だからといって、軽視するのも、闇雲に追従するのも、具の骨頂。政治には優れたバランス感覚が必要とされるゆえんです。」

 
    

 〜初めて、1週間分の新聞を読み直し、切り抜き、ここに紹介しました。
 一つの記事に対応して、自分の考えをコメントすることと違った感触を受けています。
が、まとめて整理してみると、自分の関心事が何処にあるのかを知ることも出来ました。
 
 今週の場合は、現在学んでおります「歴史」について多くの記事が目に留まりました。
 また、弱い立場ある人のこと、社会の隅に追いやられた事柄に関心が向いていることにも気づかされました。
 新聞自体がそのような意図を持って取上げているのかとも思いますが、目立たない事柄に目配りできる見識と心のゆとりを持ちたいものだと感じ・学びました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    COLUMN 2-N  NO217                                  
                                 平成18年11月27日 記

  考える・論じる  11月を送る
  ”内村鑑三と愛国の情”
 中日新聞 常務。編集担当 小出 宣昭
   〜中日新聞 11月26日 朝刊 より〜


 「明治24(1891)年1月、発布されたばかりの「教育勅語」をめぐり東京の第一高等中学でおもわぬ事件が起こった。
 天皇の署名の入った勅語に教員達がつぎつぎに最敬礼する式典で、一人の男が直立不動のままで頭を下げなかったのだ。 クリスチャンで米国留学から帰った講師、内村鑑三である。 (中略)
 内村はアメリカ人に対して「大和魂」の論文を展開した情熱的な愛国者だったのだ。
 彼が敬礼しなかったのは明治天皇を敬しなかったからではなく、キリスト者の神以外を「拝礼」することに良心が許さなかったからだった。
 内村は愛国者として日清戦争を支持したが、日露戦争に大勝利した明治38年、考え方を変える。

「日清戦争は、その名は東洋平和のためでありました。 然るにこの戦争はさらに日露戦争を生み出しました。 日露戦争もまた、その名は東洋平和のためでありました。
  しかし、これはさらに大いなる東洋平和の戦争を生むのであろふと思ひます」(日露戦争より余がうけし利益)
 このとき戦争に酔う日本国中が誤っていて、内村ただ一人は正しかったことをその後の歴史は証明している。(中略)

 今、教育基本法の改正をめぐり国会の審議は大詰めである。(中略)
 内村鑑三に見るように、国を愛する形はさまざまであり、それを一律にすることの方がもっと国を危うくすると思う。
 もし、国を愛する心はこう表さなければならないと規定すれば、内村鑑三の勇気と信念、洞察力をどうやって子供達に教えることが出来るのか。
 「踏み絵」を踏む人間だけが常に愛国者とは限らない。 (中略)

 江戸時代までの「いとおしむ」「いとおしい」が胸に響く、皇后陛下が使われる「思いを寄せる」もすばらしい。
 祖国への思いとはこういう次元のものであり、それこそ内村鑑三の情だろう。
 声高な愛国心のかけ声は「太鼓の鳴るは(中身が)空虚なるがため」(夏目漱石)


 
〜この記事を取上げた背景には2つあります。
 @教育基本法の改定に関心を持っているからです。
 前にも書きましたが、あまりにも拙速です。 何をそんなに慌てるのでしょうか。 
 子供の自殺やいじめが表面化しているからでしょうか。 
 穿った見方ですが、安倍内閣は来年の参議院選挙に向けて、国民が関心を持っている政治問題化しつつある格差社会への対応、税の抜本的改正問題、年金福祉関連の課題等に対して、国の財政事情も絡んで手が付けられないからなのではないのでしょうか。
 アメリカの覇権の衰退が見える、あるいは外交の失敗に絡み、その尻馬に載って進んだ小泉政権の後を継いだ安倍政権の辻褄あわせに無理が生じていることの背景があるからでしょうか。

 憲法問題とあわせ、より多くの人々が国の行く末を考え・議論し、いや、国だの社会などと大層に振りかぶるのではなく、今私達が立っている時代は過去の歴史に照らし合わせるとどのように位置づけられるか。
 その上に立って、現状の事実をただしく認識・共有しなければ、相当な覚悟も生まれず、結果、真の改革も起こらないのではないでしょうか。
 知らずにあり地獄に引きずりこまれてしまうのではないでしょうか。(楽観していますが)

 Aつ目は、”修行僧のつぶやき”とのタイトルでブログ、http://taiki.blog16.jp に、11月24日・「明治期のキリスト教について」と題して、受講ノートを掲載したからです。 
 その講義では時間切れで内村鑑三のことには多くの時間が取れませんでしたが、今日に至るまで内村鑑三の精神=岩波文化が脈々と流れていることを教わっていたからです。
 新聞を読んでいると、アチコチで費やした事柄や学んだことと符合して時間が過ぎてゆく。


___________________________________________



    COLUMN 2-N  NO216                                   
                                 平成18年11月19日 記

  考える・論じる ”座視”  ロナルド・ドーア
  (・英ロンドン大学  ・政治経済学院名誉客員)
      ”格差社会で変質する日本企業” 
   〜中日新聞 11月19日 朝刊 より〜


 『好況がもう57ヶ月もつづいて、年率2%ぐらいの勢いで経済が成長している事を大喜びしている向きもあるようだが、果たして持続的な景気なのか。
 
 輸出も順調だし、企業の投資も伸びている。 しかし、総需要の最大の要素の個人消費となれば「このところ伸びが鈍化している」と月例報告に書いてある。 
 当たり前である。 春闘も形骸化され、物分りの良すぎる企業内組合が「会社は苦しいから」と言う経営者の説得に甘んじている世の中になった。
 (中略)
 経済学者が言う。月例報告が言うように「雇用情勢の厳しさが残る」と。 当分は、低賃金現象は仕方ない。自然な現象だ、と。
 (中略)

 格差について、『市民としての尊厳の格差」もある。 企業内で尊厳は重要な点である。
 QCサークル。 現場の平の従業員も、自分達の毎日の仕事を見つめれば、それより効率的にするいい知恵が必ず出てくるという信念を前提にしていた。
 日本的経営の大成功の重要な要素だと、大々的に宣伝されていた。
 
 経営者は従業員を「協力者」として認めて、自主的人間としの存在を評価していたことを象徴する制度であった。
 最近、QCサークルを聞かなくなったし、協力的態度より「成果」を求める方向に人事管理が変わった。
 日本的企業を日本人の知恵として、政治家も財界人も褒め称えた時代の「従業員」「社員」は、もうなるべく安く買う「労働力」になりつつある。


 ~何もコメントする必要がない。本日の冒頭 「コラム2−N NO212、 宇井 純さんを偲んで」のコメントにも書いたが、政治とつるんで御用学者が食い物にしている。
 其のうちに、十把ひとからげで化けの皮が剥がれようが、一番痛い目を会うのは我ら民衆である。 目の前の美味しい餌に食らいつきたい時もあるが、このごろは手ごろな餌もなく成ったのか、それとも、餌をつける余裕もなくなったのか、見え見えで棹を投げ出してくる。
 棹なら良いが、其のうちに棹と思いきや、鞭であったということにならねば良いがとも思う。

 やはり、大衆が歴史を学び、現実の正しい情報、事実を掴み、心して日々送らねば成らないと思う。
 以上、本日は5本、かってなこと、いや本気で書きました。 






    COLUMN 2-N  NO215                                                          平成18年11月19日 記

    今週のことば    青山 俊董
  中日新聞  11月19日朝刊より


    行道(ぎょうどう)の未だしきことのみ思うべし。  道元禅師』

 中国・唐代の禅の匠、胴山大師が雲水に質ねられた。
「何が一番苦しいことかね」と。 雲水は「地獄の苦しみです。」と。
 胴山大師は「いや、そうではない。人と生まれながら生命の尊さに気づかず、今ここの一歩をどう踏み出したらよいか、今この一息をどう生きたら良いかわからぬことこそ、苦とすべきことだ」と諌められたという。
 
 「行道の未だしきことのみを思うべし」と示された道元禅師のお心も同じであろう。
 人として生きるべき道を求め、会得し、一歩一歩に実践してはじめて生命の輝きを見せると言うものであろう。

 どうでも良いことにふりまわされ、悩んでいなかったか、悩むべきこと、苦とすべきことは何であったかと、限りなく自らに問い続けてゆきたい。」

 
〜さて、上記のことに対する私の気持ちを書く前に、腹が減ったので、一服とする。
 

 カップヌードルの昼飯であった。  豊橋から送られてきた2箱目の柿に、熟してきたものがあった。 カリカリと歯応えのあるものも美味しいが、捨て去られる直前の柿も美味しい。 腐って捨てられても何も言わない柿。 その前に食し、命いただいたこの身の修行や如何にとふりかえった。
 悩みも、苦しみも特に感じずに日々が過ぎている、そのことの幸せと何も感じないことに「これでよいのか」との問いがささやいた。
  


    COLUMN 2-N  NO214                                                          平成18年11月19日 記

 "世界どこでも ずんがずんが旅” 椎名 誠
     〜中日新聞 11月17日 夕刊より〜


            
                チベット(中国)、親子の巡礼

 
〜活字ばかりが2本続いたので、ここらで写真の一枚も入れなければと考えました。
 が、良く考えて見れば、本日(11月11日)私のとっては3本目の記録となりますが、お読みいただいている方からすれば、今のところ最初と言うことになります。
 この後、本日・日曜日の新聞から2本を予定していますので、前後は写真なしと言うことになりますので、何の記事のことかと思われることでしょう。

 この写真に特別な意味があるわけではありません。 椎名 誠さんの世界旅のシリーズの一コマなのですが、春日井市と「名古屋学院大学」提携の”親時代のアジアをたどる「東アジア回廊のゆくえ」”という、講座の第3回目に、自然と暮らす「アジアにおける少数民族の文化と社会」というのを受講していました、そこにこのチベットも含まれておりまして、一度訪れてみたいと思って切り抜いたものです。
 
 確か、今年、北京からチベットのサラまで、世界で一番高いところを走る鉄道が出来たと報じられていたと記憶しています。 早く訪ねなければ、チベットの良さが失われて行くのでしょうか。
 また、昨日は同じ講座で、アジアの新しい経済発展とは「自然のエネルギーで村おこし、町おこし」という講義で、インドが対象でした。 これまた、大変興味を持ちました。

 このチベット(あるいはネパール)、そしてインドはずーと昔から関心を持っている国、地域です。 来年は船旅の世界一周ですが、出来るだけ早くにインドは出掛けて見たいと思っており、既に資料ファイルには数十枚が収められています。
 これだけのことです。
 
 「カラカス山」6714メートル。仏教、ボン教、ヒンドウ教の聖山。だれも登ったことのない神の山の周囲を荷を積んだヤク(牛)と時計回りに回ると言う。

             
  最後に、チベットの巡礼の母と子の写真を一枚掲載します。 輝く目、真っ黒な肌。





    COLUMN 2-N  NO213                                                           平成18年11月19日 記

 「もっと助言仰ぎたかった」
     〜鵜飼前春日井市長・市葬儀 〜
        平成18年11月17日、中日近郊版より

    →”来年の愛知知事選挙を考える”。


 『 伊藤春日井市長、神田真秋愛知県知事ら、市民約1500人が参列し、4期15年に渡る功績を振り返り、人柄を偲んだ。

 〜鵜飼前市長の実家は私の家から、「春日井青少年の森」の一山越えた、春日井明智町です。
 今から16〜17前までは、私自身で松の剪定が出来ずに、明智町の職人さんに依頼していましたので、市長選挙に立候補されるときに、鵜飼さん応援団のその職人さんは、「鵜飼をよろしく」と言ってこられた。 その後も選挙の度に、声が掛かった。

 春日井市が主催する「講演会」や各種の催しに出かけると、決まって冒頭の主催者挨拶に立たれた鵜飼さんは、生真面目で、そつのない言葉で、短い時間に上手に纏められていた。 これも選挙活動の一貫化と思っていたが、その後、鵜飼さんの情報が多く入るようになり、春日井市役所に勤め、総務部長から市長になった生粋の春日井市行政のベテランと知ることになった。 
 特に、突然に倒れられ、その後の情報から鵜飼さんは、私のイメージ・生真面目で、そつはないが、新しい改革の出来る行政マンとは思えないと言う、思い込みが薄らいでゆきました。 なかなかの改革者でもあったのです。

 さて、来年の4月には愛知県の知事選挙です。

  現知事神田さんに対しては、鵜飼前市長に当初抱いていたと同様に、真面目で、派手なことはせず、回りの声を良く効いて行政を進めていると言うイメージで捉えています。

 「中部国際空港」、「愛・地球博」と、そつなくというよりは、成功裏にスタート、あるいは終了したと言う評価を私もしていますが、ではその後、刻々と起こっている世界の変化に対し、ますます求められる主体性ある地方自治に対して、先取りして新たな方向付けを示し、課題の優先付けをして愛知、あるいは東海、中部地域の経営の舵取りをしてゆくに相応しい資質を持っておられるのか、私なりの判断をしようとしているところです。
 
 対して登場したのが、春日井市の隣の犬山市長である石田現市長である。
 記憶にあるところでは、教育改革に対し全国的に見ても進んだと言うか、思い切った施策を実行に移している。 当選の暁には、愛知県全体に広めたいと抱負を述べている。
 新聞紙上を賑わしている、痛ましい子供達の「イジメと自殺問題」「親の子殺し」など、教育現場は荒れている。(本質は社会の乱れと思っている)
 親の問題、先生・学校の問題、教育委員会・文部省の問題とアチコチ突きまわしても、ここが急所と言うところが私も分からない。 石田教育改革は正解なのだろうか。

 神田現知事よりも改革精神が旺盛のように感じるが、果たしてそれがこの時代にとって的を得た、他より適切な回答なのかどうかも併せ考えてみたい。

 700万県民がどのように時代を見、読み、誰を選ぶのか、何が重要であると判断し結論を出すのか大いなる関心を思って来年4月の選挙、そしてその後を注目してゆきたい。
 


    COLUMN 2-N  NO212                                   
                     平成18年11月19日 記

 ”宇井 純 さんを偲んで”  柴田 徳衛
 〜 反公害の戦い、権威にも歯に衣着せぬ発言〜
       中日新聞 11月 16日 夕刊より


 今から11月19日付けで、5本の「新聞を読んで、眺めて、切り抜いて」を掲載します。

 「コラム1−D」と同じ時から始まった、この「コラム2−N]ですが、今回でNO212、それに比べると「コラム1−D」は既に、NO629回にもなっています。
 ”新聞を読んで、眺めて、切り抜いて”が少ないと言うことは、新聞から受ける私の感性、感動が鈍いと言うことなのでしょうか。
 いや、きっと日々直接体験する「一事が万事、万事は凡事」の方が多いということでしょう。

 それにしては、本日約1週間分の読み直し、切抜きで5本も取上げると言うことは、初めてのことではないだろうか。 読み返せば、”一事が万事と”と代わりのない、どうでも良いことなのですが、それでも目に留まり、印つけ、切り抜いたのであすから、その記録として書き留めておきます。

 さて、「宇井 純さん」のこと。
 この記事を読むまでは、知らない方でした。 そして読み終わったあと、新聞の隅にこんなことをメモしてありました。「東大にも御用学者ばかりではない方が居る。 しかし万年助手」。

『宇井さんをめぐり、かってひとつの噂が流れました。 __東京大学には総長が二人いる。 昼の総長に対し、自主講座「公害原論」を主催する宇井さんが夜の総長で、昼の肩書きは万年助手だが、夜ともなればその威力は昼の総長よりも強く、大物教授や財界人も怖れる_と言うものでした。
 (中略)
・・水俣病を告発する会の自主出版「水俣病」を刊行しました。 著書名は「富田 八郎」でしたが、それは「トンダ・ヤロウ」と読むのでした。
 (中略)
 ・・こうして規制の権威ある大教授が『それは教科書に書いてない」と言い、偉いお役人が「前例にないからないことにしよう」と切り捨てるのに対し、宇井さんは、『現実を見よ』と敢然と立ち向かいました。

 宇井さんが「生をかけて戦った努力の跡を偲び、新しく現れる環境破壊の現実に飛び込んで解決の戦いを進めること、これが宇井さんの霊を慰める最大の道と思われる。』

 〜戦後60年、戦前から続いた中央集権=官僚主導の政治・社会体制は、その後の世界の冷戦構造下=アメリカ支配・追随の中、経済発展という恩恵を受けて、物質的な回復・発展はなされたと言うものの、「平和ボケ」で、「動物的な生命力を失い・忘れてしまった日本」ではないだろうか。
 
 その官僚機構の頂点に立っていたのが、東大卒と言えるのではないでしょうか。
 バブル崩壊、その後、彼らの示す経済政策は行き詰まり、その後に登場してきたのが「慶応経済学」と言えるのでしょうか。
 その慶応経済学も「格差拡大」と言う、負の現象を表面化させました。
 ある面、これは東大、慶応が悪いのでもなく、近代「経済学」=<皆が安心して、平和に飯が食える>と言う、命題に答えが出せなくなったと言うことでしょう。
 悪あがき、言い訳をし、立場と権利、権益を守ろうとするから、ますます悪化しています。

 為政者を責めることはできません、情報操作や飴玉をしゃぶらされて、彼らを選んできたのは間違いなく私たちです。 歴史に 現実に学び、時代を新たな方向に進める行動をしなくてはと思っております。
 
 





    COLUMN 2-N  NO211                                   
                     平成18年11月3日 記

 ”けさのことば”      岡井 隆
       〜中日新聞 11月3日 朝刊より〜

 
 『食欲なくして食べることが健康に害があるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶を損ない、記憶したことを保存しない。

        『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』  (杉浦明平訳)
 
 学習の前に、学びたいとおもう「欲望」のあることが大事だ。
 好奇心からでもいいし、虚栄心からでもいいかもしれない。
 知りたいとおもい、身につけたいとおもう強い「欲望」がないと、学んだことも直ぐにわすれてしまう。』


 〜今朝、このコラムを目にしたとき、本当にそうだとおもった。
 私は元来、学校の勉強で記憶することが大の苦手であった。 中学の時友人とほとんど徹夜で記憶したことが、少しの睡魔に負けて一眠りした後は、50%以上残っていなかった。
 記憶力が弱いこともあろうが、何の意味があるのだろうと考えながら、ただ点数がほしいさの勉強に疑問をもっていたからでもあろう。 強い欲望がなかったことになる。

 それに比べて、2年前からの放送大学や中部大学の講義は実に楽しく、細かいところまでの記憶は出来ないが、何故そうなったか、どうしてそうなったか、この先どうなるのであろうかと言うことを知りたい欲求から受講し始めたので、頭の柔らかであったはずの中学や高校時代より数段、記憶に残っている感じがしている。

 事実、途中で勉強方法も変更したが、放送大学の試験の成績は時間の経過と共に上昇しました。(と言いながら、今期に入っては中間レポートは提出しているが、試験を受けていない) 他にもっと時間を費やしたいことが出てきたからです。
 私の勉強方法はかなり時間を必要とするのです。(印刷教材を使った講義を聞いた後に、丸々自分流の教科書に作り変えていたからです)

 虚栄心で大学の聴講生になっている訳ではありません。 
 前にもお話しましたように、「どうしてこんな日本、社会になってしまったのだろう。
 これからの日本は・世界はどうなるのだろう。 最後に何か出来ることはあるのだろうか?」と言う、疑問と言うか、自分の生きた時代に納得がいかず、では世界の歴史を学んでみよう。 そうすれば、答えの一端は見えるのではないかと考えたところがスタートでした」

 約2年間の結果は、このところというか、今年に入って将来は明るい、希望が持てると感じるようになりましたので、その効果はあったのではないかと思っています。
 来年は座学を一時はなれ、この目、耳、肌、手、足を使って世界旅行をしてくる計画を進めています。 旅の最後に明るい未来を確信できるのではないかと思っています。




前のページはこちらからどうぞ