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コラムはこち



COLUMN 2-N  NO230
                                  

                                 平成19年1月3日 記

       清貧ブータン国民総幸福
       豊な国は何処ですか?
金では買えぬ究極の目標 中日新聞1月1日朝刊


 以下の記事と私のコメントはこのコラムNO223で紹介したものです。

 <12月16日 朝刊より
  ブータン 「国民総幸福」掲げた国王   26歳の皇太子に譲位


 『ヒマラヤの小国ブータンのワンチェク国王(51)が、皇太子(26)に国王権限を譲位した。
 ワンチェク国王は16歳で即位し、30年以上にわたって在位した。
 国王は1976年、「GNH(国民総幸福)はGNP(国民総生産)よりも重要」と経済成長よりも心の豊かさを追求するユニークな国づくり方針を提唱した。」(中略)
 
 2008年に、立憲君主制への以降を目指して成文憲法の制定準備が進められている。
 憲法草案にも、「GNH]を国の責務とし、森林などの自然環境の保全、国王の65才定年制などが盛り込まれており、近年先進国の注目も集まっていた。


 〜   

 この地図は中日新聞12月17日朝刊「第15回 ドーハ・アジア大会の参加国です。
 ブータンは丁度地図のまんまん中にあります。緑色しています。
 ブータン国王のような発想で国づくりをすれば、アジア大会に参加したこのユーラシア大陸の中央から東は間違いなく平和な国々になること請け合いです。
 そればかりか、ユーラシア大陸の西=戦いに明け暮れていた地域にも、EUを越えた平和と繁栄が来ること請け合いです。

 石油の利権(大きな国益を失することになった一部の欲深な資本か)が、この地のことは自分達で決めなさいと言えばよいことなのですが、それも言えないほどにクチャクチャにしてしまい、抜けに抜けない状態でもがいています。

    ”ブータンの新国王よ、世に一つのモデルをお示しあれ!!”
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 そして、新春1月1日の元旦号に再び”ブータン”が取上げられていましたので、掲載することにしました。

他国に「民主化」を促し、『安全で豊な国」の仲間を増やそうと疾走を続けた米国が、自らふりまいた混迷にふと気づき、ブレーキに足をかけた状態で新年が明けました。
 この”減速”の時を節目に、米国が追求する「豊かさ」へほのかな疑念が広がっています。
 大国の利権を絡めつつ、自由競争から生み出す経済の繁栄。その傍らで拡大する貧富の格差。
 こんな米国型社会とは対極に、国を挙げて「清貧の豊かさ」を探す小国ブータンと、世界一「豊か」な米国自身が内に抱えるニューヨークの矛盾とを見比べながら、この地上で「ほんとうの豊かな国」は何処にありますか。

 <米は民間保険のみ、未加入6人に1人。 治療費で借金、破産の半数は病気が原因。>

 一方、ブータンでは
 <経済力である程度の幸せを掴むことはできる。 しかし、それ以上の幸福感は、金や物では得られない。 幸福は人の奥深くにある。
 周りに誰か一人でも不幸だと、人は幸福になることは出来ない。
 物欲の達成を追い求めると、環境への悪影響などに気づかなくなる。

 我慢は無理強いしない。 満足感と我慢のバランスが重要だ。
 景色が美しい観光地は世界にいくらでもあるが、ブータンが誇るのは、観光客に安らぎを与える国民の生き方なのだ」と。
 西欧的な尺度ならば、最貧国の一つにあるであろう、ブータンは「周回おくれのトップランナー」に見える。

 〜正月3日のテレビは里帰りした人々をUターンラッシュと伝え、日焼けした海外からの帰国者を映し出している。 
 皆さんそれぞれに満足された顔や言葉を発しているが、どこかに、つかの間の時を過ごしはしたが、明日に向かっての夢や希望に満ちた活力を感じない。
 何処かおかしい、このままでよいのだろうか、と気づき始めている人の群れがはじき出されている光景に見えたのは、何であったのであろうか。



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COLUMN 2-N  NO229
                                  

                                 平成18年12月31日 記

    <年の瀬に目に留まった活字>

   〜たとえ、頑固爺と言われても〜  


 評論家でもなく、ジャーナリストでもなく、学者でもないのに、その手の職業の方と同じように世の負の側面や暗い面をシタリ顔で入力するのは不本意であると思いつつ、身の回りの活字から受け取るものは、そのようなものばかりです。

 これらの活字で示される現象は、水面下でマグマのように湧き出ようとしている近未来の前兆を示している。 そのときになってウロウロ、オロオロしないようにとの天の警告、いや思いやりでもあろうと感じている次第です。
 特に選んだわけでもなく、手元にある活字の中から紹介してみましょう。

 まずは、時々登場します、勝手に師匠と呼ばせていただいている藤原直哉さんから。 
 
「ワールド・レポートNO546号 」より

 「一字で現す2006年の一字表現は”叛”でした。 そして20007年は”流”です。
 時代は明らかに一つの方向に向けて怒涛のように動き出しているのを感じられる。
 今年は叛くと言う年でした、呉越同舟、利害打算だけで寄り集まっていた人や組織が割れ始めた年であり、来年は新しい時代にそぐわないものは流れる年です。
 本当に一人一人が精神的に丸裸にされるような時代で、その精神的な乾布摩擦に耐えて鍛えられて初めて21世紀に楽しい人生が送れるという状況になりつつあります。
 何を幸せと思うか、その幸せの定義によって人生が大きく変わって来てしまうのが今の時代。』
   とあります。


 中日新聞12月29日の全面広告欄には春日井市・高蔵寺出身で、今年、パリ映画祭、AFI映画祭でグランプリを受賞された奥田 瑛二さんが『MY TURN』大人の時代がやって来た”団塊の世代が持つ責任を果たしたい”とこんなことを話しておられます。

「僕は死ぬまで映画監督をやろうと決めていますが、団塊の皆さんも定年退職したら第2の人生ですから、もう死ぬまで定年はない。 であれば、退職金などは半分奥さんにご苦労さんといって渡し、残りの半分で何かやるべきだと思います。 
 まして、バブルを作り、いじめだ虐待だという変な社会を作った世代として、まともな日本にする責任を我々は持たなければいけないと思うのです。
 
 そこで、感じるのは僕らより上の年代の人ってみんな面倒くさがっている。 いい大人が面倒くさがっていては何も生まれない。 (中略)
 面倒くさがらずに果敢に、社会に向かって吼える。 そうすると、遠い記憶、日本人の独特の情緒感もやさしさも蘇ってくるはずです。 それは心の問題なのですから。
 そう信じて『長い散歩』を撮りました。」

〜奥田さんの作った映画は海外でも評価されたのですから、現在の日本の問題は、けっして日本だけのものではなく、世界の先進国に共通した事柄なのであろうと思いました。
 
 なお、中日新聞で356回にわたり連載されていました「戦力外通告」藤田 宣永・著が本日最終回でした。 長野県千曲川の故郷から上京した団塊の世代の同級生達が、様々な人生を歩き、競い合い、時に助け合い人間関係織り成す新聞小説でした。
 私は途中から読み始めたのですが、本日(最終回)をもって終わりでなく、今日から明日に続くスタートである。 これから続く人生本番始まりの期待と、一抹の寂しさ、哀愁をおびた背中が描かれた挿絵で締めくくられていました。


 〜最後は12月30日と31日の中日新聞の社説です。
 12月30日は「安倍政権発足から100日”羅針盤が崩れてないか
 12月31日は「大晦日に考える 「私」でなく「公」の意識を」
  です。

〜内容は掲載しません。 読んでいても良くもこれほどまでの数と、またその内容です。
 
 但し、その中で、政治家や経済界のことの他に、「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」日本新聞協会が募集の「新聞広告クリエイテイブコンテスト」の最優秀に選ばれた作品「エコ買い」の惹句です。→ 「エゴ買い」
 牛乳パックに記されたこの言葉の横に説明書きがあります。
自宅の冷蔵庫では古い牛乳から飲んでいるのに、スーパーでは新しい牛乳を買っていませんか>と


 〜他人様のことはとやかく言えますが、こと自分の事となりますと甘くなってしまっています。 わが身に降りかかることを恐れ、見て見ぬフリをする、聞いて聞かぬフリをするという自分に時折、反省と少々の嫌悪感を持つことがあります。
 奥田さんに指摘されるまでもなく、いい大人の面倒くさがりばかりでなく、責任逃れではないかと反省すること多しです。
 
 「口やかましく、もの申す年寄り」と言われ、嫌がられても、頑固な親父がいなくなったことを寂しく感じずにはいられません。
 権力ゼロ、体力も日増しに衰えてゆくとは言え、経験、体験に裏打ちされた反省多き知恵があるはずと思いたい。
 多くの様々な考えや意見に耳を傾けながら、自らも発言して、身体を動かしイキイキと新たな年を迎えたい。



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COLUMN 2-N  NO228
                                  

                                 平成18年12月29日 記

<目に留まった記事>12月28日朝刊中日新聞より
 進む「人間消費社会」情報洪水で直ぐに忘却?

     12月27日朝刊「けさのことば」より
    


 まずは12月28日、朝刊より

*ホリエモンこと堀江被告は「時代の寵児」の名をほしいままにした。 Tシャツ、ノーネクタイ・
 衝撃の逮捕から11ヶ月。12月22日の法廷では、傍聴席では居眠りする人も。 9月の初公判では2000人が傍聴を求めて抽選で並んだが、この日は156人。
*ボクシングの世界王者、亀田興毅選手も「天国と地獄」を”味わった一人。
*昨年9月の郵政選挙で当選した「小泉チルドレン」にも”使い捨て”感が漂う。

 若手思想家「愛と暴力の現代思想」の共著がある矢部史郎氏は「この現象は一種の見世物小屋」とみなし、背景には市場原理主義による身分社会の復活があると分析する。
 「天国と地獄を行ったり来たりする多くは各分野の2世、3世といった特権階層ではない。
 堀江被告もそうだし、「刺客」でもイジリやすい女性議員が対象になる。
 その乱高下が見世物で、出演者は身分の低い人間が無難。 同じ階層の観客達がそのドラマを見て、うっぷん晴らしをしている。」と見ている。(中略)

 この先、何処へ行くのか。思想家で文芸評論家の吉本隆明氏は「若い人は持続性や根気のいることが好きではない。『どうせ社会は良くならない』としらけている。文学でも短距離、瞬間的な作品が大勢を占め、そうでなかった人も引きずられている」
 
 では、その傾向の原因が何処にあるのか。
 吉本氏は情報社会の進展による「都市化」を指摘する。
「生産から消費までのサイクルはコミニュケーションの発達した大都市ほど短い。 何時もそわそわ過ぎてゆくのが都市で、その傾向が強まっている。」(中略)

 「こうした状況は安倍首相も小泉前首相時代も同じだが、政治権力にとってはやりやすい。
 刺激が繰り返されると、心理的にマヒしてしまうのは動物実験でも明白な現象だ」


 この記事はではどうしたらよいかは触れていない。 「人間消費社会」と指摘し、それは何がもたらしたのか、社会のどんな変化を投影しているかを、識者の見解を紹介しているに過ぎない。
 新聞社も、その記者も”そわそわ”と、「都市化」した情報発信者なのだろうか。


 12月27日の「けさのことば」(岡井 隆)を切り抜いていた。

『自ら飼育した牛の乳を飲み、自らの畑からパンを得、自らの羊毛で負った衣服を纏い、夏には庭の木陰で休み、冬にはその薪で暖をとる』 
            「隠栖の賦」(いんせいのふ)平井正穂訳 ポウプ


 18世紀のイギリスの詩人ポウプは「こういい人こそ幸福な人なのだ」と歌った。12歳の時の作品と言う。
 この作品を切り抜いた私は、憧れなのか、ありたいと思ったのか、何なんだったでしょうか。

 
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    COLUMN 2-N  NO227
                                  

                                 平成18年12月27日 記

<目に留まった記事>12月26日朝刊 中日新聞より

 エッセー 心のしおり ”賀状雑感” 澤田 ふじ子
    


 『(前略)
・・・ところで私は今年、還暦を迎えた。 これを人生の節目の年であると思うことにして、かねてより懸案事項をいくつか実施した。 その一つが、年賀状の廃止である。(中略)
 
 平安時代の女流文学者として名高い紫式部は、自分の父親に従って越前(現在の福井県)へ、親しい女友達は筑紫(現在の福岡県)へとばらばらになってしまうに際し、__北へ行く 雁のつばさにことづてよ 雲のうはがき かき絶えずして
 「北へ帰ってゆく雁の翼に言付けて、私に便りをくださいよ。書き絶やすことなく」という和歌を詠んでいる。
 
 なにしろ当時は遠方の国司として赴任する貴族など、数年に渡って友人とも会えず心寂しい日々を送るのが当たり前。 そんな時代の手紙と言うのもは、現在の我々とは比べ物にならない。(中略)


 現代は人も情報もたやすく行き来出来てしまう。(中略)
 それに、年賀状をやり取りすることによって、滅多に会えない知人との交流が<年賀状>にすべて集約されてしまう感があることにも抵抗があった。(中略)

 年賀状廃止が、先方に失礼に当たることは百も承知である。 しかし、人との関わりは、形式的なやり取りによって形作られるのではない。 年末に儀礼的に書く年賀状よりも、普段から折につけお手紙を出す方がよっぽど礼儀にかなっているのではないだろうか。』



 〜このことについては、どなたも一度はお考えになったことはあるのではないでしょうか。
 私も1998年に一度、其れなりの基準を作って実施したことがありました。 が、特に年賀状を中止するという便りも出していませんでしたので、従来どうり年賀状を頂くことになりました。(中には年賀状を頂かなかった方もおられ、それを期に交流がなくなった方もあります)

 その前年の年末31日に義父が他界したことこともあって、それ故に賀状を出しませんでしたと、正月早々”寒中見舞い”を出しましたことを覚えています。

 かって、ご指導受けた方、親しくお付き合い、関係のあった方は別として、ただ組織の中での上下の関係や礼儀的な関係であった方からの年賀状も多くあります。
 そのような方でも、ご縁があったのだからと考えて続けて出しておりますが、先方さんからの賀状が時に途絶えることがあります。 が、私が出しているので正月も4日以降に投函されて配達されてくるものもあります。

 澤田さんの言われるように<年賀状に全てを集約してしまう>と言う感は否めないところがあります。 また、年に一度のことだからと惰性で出している感を免れないところもあります。
 
 このところ頂く葉書に定年退職したというものが多くなりました。 そのお手紙やお葉書には必ず返信をしております。 そして、その後もお互いに元気で、明るく、これからが本当(本物)の人生だとの思いもこめて、年に一度の年賀状を出しております。
 それで良いではないか、続けられるところまでは続けてみようと思って本年は投函を終えています。
 と言いつつ、来年1月で65歳です。 これを期に相手さんも迷惑しているかもしれないから、どうしようかと考えているところにこのエッセーを読みましたので、ここに取上げました。


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    COLUMN 2-N  NO226
                                  

                                 平成18年12月22日 記

 <目に留まった記事>12月21日夕刊 中日新聞より

   ”異界”の役割を問い直す   小松 和彦
 〜精神世界の空洞化、死生と向き合い再生〜
   


 『(前略)・・現代において異界界や死生観を問い直す。 それは今の日本人を、歴史や死者、自然、さらに言えば神や仏との関係の中で、眺めなおすということ。(中略)

 私達の生活世界は物質文化に埋め尽くされ、空間的にもグローバル化している。
 しかも何事も合理的に考える考え方が広く浸透している。 それに反比例するように、個人個人の内面を形成する世界観が、狭く、閉ざされたものになっているとも言う。
  
 もしかしたら、自殺した人たちはそうした狭く閉ざされた世界観のなかで、生き死にを判断したのではないだろうか。 そのために、社会に追い詰められた時、死しか選べなかったのではないだろうか。
 もしそうだとすれば、かっての日本人の異界観や死生観やそれによって生み出された、豊かで懐の深い習俗に触れることで、自殺を思い留ませることが出来るかもしれない。

 例を挙げれば、四国八十八ケ所巡礼。 熊野三山と観音の霊場を巡る巡礼の道。(中略)
 俗世での夢破れた人たちが身を引いて自己を見つめ直す空間としての機能をもっていた。
 西行や鴨長明のような「世捨て人」は、そこで第2の人生を生きた人であった。(中略)

 日本人の『生活世界」は、そうした異界観・異界領域を抱え持つことで陰影を持っていた。
 日本人にとって死や死後の世界とはなんだったのか、神や仏は何だったのか、人生や生きることとは何だったのか、そうしたことを本腰を入れて、見つめなおし、社会的に再構築することが、自殺の問題を含めた今日の日本人の精神世界の空洞化という急務の課題を、根本的に解決するような気がしてならない。』

〜小林教授の論文のように深く考えたわけではない。 
 ただ、近代社会の特徴を示す合理性や効率性、あるいは科学的という言葉や考え方では、混沌さが時間経過と共に増して行く今日、世界の秩序や体制を立て直すことは限界を超えていると感じています。

  十数年前まではそのようなこと(神だ、仏だ、精神文化だ、波動だ)を口にすることすら憚られたが、バブルが弾け、不信、不安、不満あるいは不透明感と言う言葉が多く聞かれるようになってからは、人前で口にしても以前よりは怪訝な顔をされなくなったように感じていました。

 私が四国遍路をしたのは、既に6年前になります。 夢破れ、疲れた心を癒すためでもありませんでしたし、深く人生を考えてみる、生死を考えてみるなどと言うテーマを持って出かけたわけでもありませんでした。
 帰宅して多くの方に尋ねられました。「何が悟れたか。気持ちの上で何か変化はあるか?」などでしたが、そのとき「別にどうということはなかった。満願の最終寺・八十八番札所の”大窪寺”で最後の記帳をしていただいたときにも、特に感激はなかった」と、素直な気持ちを伝えたものでした。

 今、この入力をしているときに、肌身離さずに持っていました「空海の史跡を尋ねて”四国遍路一人歩き同行二人”へんろみち保存協力会編)の地図を取り出しましたら、雨のシミの跡や表紙はささくれています。
 そして、時間の経過と共に、その後の私にジワジワと漢方薬のように、何か・どこかに効き目があるように感じられます。 

 歩き遍路の翌年には車で廻りましたが、再来年には再び出かけてみようかと思っています。




    COLUMN 2-N  NO225
                                  

                                 平成18年12月21日 記

 <目に留まった記事> 12月20日 中日新聞より
   <60歳以降も働く・・・・
   <60歳からの別住結婚・・・・


 <60才以降も働く>7割
 
 改めて、新聞に掲載されている数字は書きません。
 私は56歳でリタイアーしました。 知人からはそれでも「飯が食えるのだから、羨ましいよ」といわれましたが、決して暢気なものではありませんでした。
 退院後、体力が回復すると直ぐに、社会保険庁・名古屋北センターに行って、年金見込み額の照会をしたり、年金受給までの繋ぎ資金が間に合うかと計算したりしました。
 
 知人に再就職をしないのかと訊ねられたり、薦められたりしましたが、お金のために働く気はほとんど起こりませんでした。
 何かやるなら、今までとは全く異なったことをしよう、そのためには人間関係もゼロからスタートしようと考えておりました。 
 ですから、それ以降ゴルフも3回しかしておりません。

 ここ数年、かっての仲間から退職の案内が届きますが、半分以上の方が再就職や職場を継続されています。 年金の支給時期のこともありましょうが、やはり働くことに意義を見出されておられるようです。


 12月20日、中日新聞広告欄より
 
 『50代60代の夫婦のためのセカンドライフ・マガジン雑誌「百楽」
から
       テーマ特集 「60歳からの別住結婚」
 
        
夫婦定年が欲しい! シニア世代のショッキングな本音
 60歳になったら、入籍したまま別々に住む、シニアのご夫婦の間に「卒業婚」と言う考え方が急増しています。 そんな風潮をあなたは?


〜どちらからの要望・要求が強い・多いのでしょうか?
 かっては「濡れ落ち葉」だの、「ワシも行く族」とか言って、奥様の出かける先に、旦那が着いてゆくことを比喩した表現でした。
 この二つから推察すると、”元気な奥様、シミたれた旦那”と言う構造のようですが、さらにその傾向が増しているのか、その後は少しは変化したのか、この手に関係する流行語が見当たりません。  当たり前になった現象であるから、面白味もないということでしょうか。

 それにしても、別々の住むということは経済的にも大変なことですからどうなんでしょう。
 それとも、強い絆のあるという母娘の関係で、母娘の同居と言うことでしょうか?
 それもかなわずに、同居別居で我慢と言うところが、一般的でしょうか。
 お互いに、人生後半の生き甲斐をもって、毎日を過ごすことが大切のようです。


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    COLUMN 2-N  NO224
                                  

                                 平成18年12月18日 記

    <目に留まった記事> 
    12月18日 中日新聞より


 

 12月18日 朝刊より
 「この人」  大林 宣彦 
〜長野市を舞台に「転校生」を再映画化する監督 

 〜私は見ていないのですが
 
 『神社の石段を転げ落ちたことをきっかけに、心と身体が入れ替わった男女二人の友情を描いた「転校生」。
 スクリーンに映し出される美しい町並みが映画ファンの心をとらえ、ロケ地の広島県尾道市を一躍有名にした名作を、25年ぶりに再映画化する。(中略)

 前作が公開されたのは1982年。 豊かさや便利さを追い求めた時代に、穏やかな時間の流れを残す尾道の姿を撮影したことで「歴史の中で役割を持つことが出来た」と述懐する。

 「これからの日本人のくらしには、ゆったりとした時間をかけて、大切な物を育てることが、いろんな意味で資源になる。 新しい世代に、そういうことを伝えてゆきたい」
 2007年夏に公開予定。


 〜「静かで、穏やか、シットリとした、質の高い日本人の暮らし」 と、21世紀の日本の姿、また、そんな生活態度で生きてゆきたいと願い・思っていますので、この記事が目に留まりました。 映画の公開が待たれる。


 12月18日 朝刊より
    「社説 松坂正式契約」 
鮮烈な興奮を楽しもう

 松坂の落札価額が問題ではありません。 社説の中にこんな表現がなされていました。

 『(前略)・・、これほど楽しめるスポーツシーンは滅多にあるものではない。 暗くよどみがちな世相の中で、その一球一球にだけは純粋に胸わくわくさせることが出来そうだ。
 さらにこれは、日米両球界に新しい関係をもたらすきっかけとなるかもしれない。(中略)

 米国ファンをもこれだけわかせたということは大きな意義があるはずだ。
 それは日米が対等な関係となる可能性を、一つの面で現しているのではないか。


 〜この社説は言外に、日米の政治、経済、社会等、あらゆる側面で新たなパートナーシュップへの期待を込めているのでしょうか。
 私はそう読みましたし、そうあってほしいと願っています。
 
 アメリカの全てとは言いませんが、私の目や耳にする内容から判断しますと、まだまだ超大国アメリカは自国のしてきたことに正しく気づいていませんし、それ故に反省も十分とはいえないと考えています。
 日本が友好国であり、同盟国ならばもっとスッキリ・ハッキリと助言、進言をすることこそ大切と考えています。
 
 日本はこの60年間、世界の情勢や自国の立場を自ら意思と責任で分析、評価し、決断し行動をとってこなかった。 時間の長短はあったが、最終的にはアメリカの示す方向で動いてきた。 それが有効と言うよりは、結果よしとなって依存体質化してしまった。
 いつの間にか、主体性、自主性のない国になってしまった。 それが現在、日本社会のあらゆる側面に現象化してしまっているのではないでしょうか。

 苦しみ、悩み、傷つきながら自ら選び・決定してきたことでないので(体質が依存体質になってしまったので)、大きく世界が、時代が変革している今、自らの意思や判断で方向転換することが出来なくなってしまっているのではないでしょうか。 
 この時になっても誰かが次の道を示してくれるのを待っている状況ではないのでしょうか。

 松坂投手の話から、えらいところに話が及びました。 
 かく言う、私自身の問題として、残りの人生をいかに修行するかと自問する年末です。



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    COLUMN 2-N  NO223
                                  

                                 平成18年12月17日 記

    <目に留まった記事> 
    12月16日〜17日 中日新聞より


  12月16日朝刊より 社説「行く先は未来か過去か」
           
教育基本法59年ぶり改定

『(前略) 先進国中に教育基本法を持つ国はほとんどなく、法律に理念や価値を語らせのも異例だが、何よりも勅語の存在が基本法を発案させた。(中略)
 基本法にこめられた「個人の尊厳」「真理と正義への愛」「自主的精神」には、亡国に至った狭隘な国家主義、軍国主義への深甚は反省がある。 より高次の人類普遍の原理から祖国復興と教育だった。(中略)

 不当な支配をする対象は国家や行政が想定されてきた。(中略)

 政令や学習指導要領、通達も法律の一部。 国や行政が不当な支配の対象から外され、教育内容に介入することに正当性を得ることになる。この歴史史的転換に深刻さがある。(中略)
 権力が腐敗し暴走するのは、歴史と人間研究からの真理だ。 その教訓から憲法と憲法規範を織り込んだ教育基本法によって権力を縛り、個人の自由と権利を保障しようとした立憲主義の知恵と戦後の基本精神は大きく変えられることになる。

 公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につくことこそ望ましい。 国、行政のよって強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。(中略)

 現場の教職員の協力と実践、献身と情熱なしに愛国心や公共の精神が習得できるとは思えない。 国や行政がこれまで以上にに現場を尊重し、その声に耳を傾ける必要がある。

 安倍首相の言う「21世紀を切り開く国民を育成する教育にふさわしい基本法」は、同時に復興的で過去に向かう危険性を持つ。
 改定を悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心を持ち続けたい。』

〜社説の締めくくりにある言葉の通りである。
 私達が関心を持ち、どのような具体的な内容が今後提示され、実行されるのかを見続けなければいけない。 
 どうも、目の前の損得以外のことには、国や行政にお任せで、後から身に降りかかってきたときに不満、不信、不安を口にしも、時既に遅しとなる。 自戒したい。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・__
 
 その翌日12月17日「考える・論じる座視」にロナルド・ドーア(英ロンドン大学、政治経済学院名誉客員)が「形見の狭い期間」の後は」
と題してこんなことを書いておられた。

 内容は今月6日に発表されたベーカー・ハミルトン超党派により、「イラク問題」への新政策の提言である。 ここでその内容のことを紹介をしようというのではありません。
 ドーアさんはこんな発言をしております。
 
 「圧倒的優勢な軍事力を誇って、それにいかれて、冒険的な「民主主義普及戦争」を吹っかけた国の失敗を前にして、日本の国会が防衛庁を防衛省に昇格させる法を成立させた。 「普通の国」へのもう一歩。
 
 15年前、湾岸戦争のあとで、「一国平和主義」に拘るより、憲法を改正して日本が国連主導の平和維持活動に全面的に参加できるようにした方がいいと思った。(中略)
 今、スーダン・ダルフール地方の大量虐殺を本気で止めることのできない、弱体化した国連となった。 一方、日本の自衛隊がますます米軍と統合された存在となった。
 私も、一国平和主義を再評価せざるを得ない。

 大正10年ごろ、シベリア派兵の失敗のあと、軍人が電車に乗るときには平服に着替えたくらい形見がせまかった。
 それから20年もたたないうちに国家権力を完全に牛耳るほど幅をきかせた。

 今度の形見が狭い期間は、敗戦から60年間続いた。これから幅の利かせようが気になる。

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 12月16日「帝国」への回帰 〜ソ連崩壊15年〜
 

 〜
4回続きの記事であった。 世界の歴史を学んでいるが、ソ連(ロシア)は近代以降の歴史の中で、ヨーロッパの関連から取上げられるとことが多く、単独では学んではいなかったが、春日井市の市民講座で、名古屋学院大学連携講座{新時代のアジアをたどる「東アジア回廊のゆけえ」}の中で、ロシア連邦シベリア「歴史の光と影」が取上げられ、講義を受けた。

 その講義を受けていたので、この連載記事を興味もって読ませてもらった。
 最終回から一部紹介しますと

 「ロシア経済は今、空前の原油高を背景に好調を維持しているが、国の輸出全体に占めるエネルギー部門の比率は年々上昇し、05年は約64%。
 資源依存体質が強まる一方で、壊滅した製造業を復活させるなど産業構造の改革は後回しだ。」


 〜ソ連(ロシア)の経済を見ていると、資源価額が上昇している時には豊な国となり、資源価額が低迷するとおかしくなる。 自分達の手足で資源を掘り出してはいるが、付加価値を生み出すような積上げられた技術や技能でもって生産するということに力が発揮されていない
 中国、インドなどの成長が何時までも続き、資源需要がこのままとは思えないが・・・

 視点は異なるが、シベリア・極東の開発については、インフラへの投資はロシア自身がするが、それ以上の投資は外国頼りである。
 また、ロシア人の平均寿命は短く、今後10年で日本の人口を下回るともWHOが推計している。(現在の人口は1億4千万強)
 ロシアはプーチンの出身地でもあるサンストベルグを中心とする欧州部に開発の視点がある。バルト3国からベラルーシ、ウクライナ、そして黒海へと続くラインに注目が集まる。
  
 人口もウラル山脈の東は全人口の三分の一であり、欧州部に三分の二が住んでおり、しかも欧州部はポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニアなどと接し、EU加盟などが検討されている。 大きな消費地であると同時に、このところ人件費が上昇してきた中国に対抗しうる体制を築いている。
 アジア経済統合のゆくえと共に目が離せない。

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 12月16日 朝刊より
  ブータン 「国民総幸福」掲げた国王   26歳の皇太子に譲位


 『ヒマラヤの小国ブータンのワンチェク国王(51)が、皇太子(26)に国王権限を譲位した。
 ワンチェク国王は16歳で即位し、30年以上にわたって在位した。
 国王は1976年、「GNH(国民総幸福)はGNP(国民総生産)よりも重要」と経済成長よりも心の豊かさを追求するユニークな国づくり方針を提唱した。」(中略)
 
 2008年に、立憲君主制への以降を目指して成文憲法の制定準備が進められている。
 憲法草案にも、「GNH]を国の責務とし、森林などの自然環境の保全、国王の65才定年制などが盛り込まれており、近年先進国の注目も集まっていた。


 〜   

 この地図は中日新聞12月17日朝刊「第15回 ドーハ・アジア大会の参加国です。
 ブータンは丁度地図のまんまん中にあります。緑色しています。
 ブータン国王のような発想で国づくりをすれば、アジア大会に参加したこのユーラシア大陸の中央から東は間違いなく平和な国々になること請け合いです。
 そればかりか、ユーラシア大陸の西=戦いに明け暮れていた地域にも、EUを越えた平和と繁栄が来ること請け合いです。

 石油の利権(大きな国益を失することになった一部の欲深な資本か)が、この地のことは自分達で決めなさいと言えばよいことなのですが、それも言えないほどにクチャクチャにしてしまい、抜けに抜けない状態でもがいています。

    ”ブータンの新国王よ、世に一つのモデルをお示しあれ!!”
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    COLUMN 2-N  NO222
                                  

                                 平成18年12月15日 記

    今週目に留まった記事 
    12月10日〜15日 中日新聞より


 新聞が溜まってしまうと大変なので、できる限り毎日処理しようとすると、集中して目を通すのと違った連想や考えとなるようだ。
 この6日間は2日に1回のわりで、このコラムを書いた。

 
12月10日 朝刊 
 「読書」欄より 『芸者論」 岩下 尚史・著
    評者 石井 妙子

『芸者と呼ばれた女達が誕生するのは江戸時代のこと。
 だが、本書は溯って「巫女」と神の間で行われた神事の記憶こそが花柳界を支えてきた日本人の心性であると論じる。
 巫女たちは白拍子となり、さらに遊女へと姿を変えてゆく。(中略)
 やがて芸者と呼ばれる女達に連なってゆく。
 官許の遊郭である吉原が誕生すると、客の相手をする花魁とは別に宴席を盛り上げる女達が必要とされ、これが芸者の起こりとなる。
 
 西にも芸子(著者は芸妓と書き「げいこ」と呼ばせるのは価値が意図して芸子の表記を用いている)
 西の芸子と東の芸者の違いを、「根本的なことを言えば、上方の廓の流れを引き関西の芸子は一夜妻の伝統を色濃く帯びており、江戸の吉原の大夫芸から分化した東京の芸者は芸人としての性格が強い。

 最近は、花柳界といえば京都の祇園が代表のように誤解されるが、芸者は元々東のものである。
 美貌と色気より技芸が重視されていく明治後半からの逸話も読ませる。』

 〜
芸者遊びなど縁もなかったが、興味はあった。 
 高校の先生が行きつけているイッパイ飲み屋(今になって思えば、芸者さんであった女将さんであろうか方が、きっと営業していたのではないかと想像する)
 「加藤君この都都逸(?)の一つを知っていれば、将来きっと役に立つよ」と女将さんの三味線に合わせて教えてくれた都都逸(?)は今でも唸れる。
 「丸橋や 堀の深さは イクセキあれど〜 サッサ
   かかる所へ イズノカミ  ”そちゃ、何者なるぞ”・・・・・」と続く
  
 ご覧のように、漢字で書くことは出来ない。 正しく、口伝である
 
 高校時代と書いたが、当時の高校生は皆丸刈りのクルクル坊主頭であったが、こちらは夜間高校生で長髪であったので、頭2つはその面では長けていた。
 それでも、先生が連れて行ってくれたのは、卒業式の終わった後であったろうか?
 
 12月10日 朝刊
 国土形成計画シンポジウム  
 「観光と国際交流で魅了ある中部を」
〜万博が示した市民参加の力〜

 
基調講演 愛・地球博広報プロジュサー   マリ クリステイーヌさん

 『万博が残した大きな財産の一つは、中部の人々にホスピタリテイの心をもてたこと。
アジアをはじめ世界の人々にもっと日本のことを知ってもらうためには、今ある産業や観光の資源を生かすことともに、ここに住む人々が地域でどう人の役に立つかを考え実践すること。
 万博の成功はそれを示し、財産として残してくれた。 (中略)
 交流には観光する場所とホスピタリテイが大切です。


 基調講演のほかに、パネルデイカッションがあり、その中で他のパネリストが語られたこと。
万博の成功は2200万人が来場したことではない。 世界と交流があった、環境と向かい合った。の二点です。 中部の人はこれを持続する責任がある。
・国際交流は、普段着のお付き合いでなくてはならない。 世界で国際都市といえるのはニューヨークとロンドンだけ。 隣近所の、普段の生活の中にいろんな国の人が
いる。
 東京は国際色ある都市というだけで国際都市ではない。

 〜ほんのチョットであったが、ボランテイアとして万博に参加した者として、体験できた喜びと、少しばかりの自負を持っている。

 12月11日 夕刊
 「本当に余人に替え難い?  石原都知事、画家の四男重用」
 
 〜福島県、和歌山県、そして宮崎県と続いて「天の声」と知事逮捕。
 石原知事は3選出馬を表明したが、どうも少しおかしくなって来たのだろうか。
 作家らしく創造的で歯切れの良い話し方に、何時も関心を持って視聴いていたが(日曜日の政治テレビ番組)、こんな記事が載るようでは、東京から日本を変えるなどは出来はしない。

 12月11日 夕刊
 「ばかな!」 
コルバチョフ激怒  エリツイン「ブッシュは知っている」
  「ベロベージュ合意」ソ連解体決定の内幕


 『ソ連崩壊〜ソ連を構成していたロシア共和国などスラブ系3共和国(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ)首脳が1991年12月8日、ソ連消滅と独立国家共同体(CiS)創設を宣言。
 これをうけて同21日には、ソ連の全15共和国のうちバルト3国を除く11共和国がCiS加盟に合意。 同25日にコルバチョフ大統領が辞任し、ソ連は崩壊した。


 〜時が経ちベラルーシ共和国の元議長が語った。 15年前の話であるが、それからの世界の情勢の変化はめまぐるしい。 当時はパパ・ブッシュが主役、息子のブッシュは今四苦八苦。

 12月12日、13日・夕刊より
 「ローマ人の物語」(全15巻)完結  作家・塩野七生に聞く
 
 
1992年から年一冊ずつ刊行されてきた、大著「ローマ人の物語」が、15日発売の第15巻「ローマ世界の終焉」で完結した。

 〜7年前、春日井の図書館で借りてきて第8巻までは読んだ記憶がある。
 その後、年に1回の発刊なので、ストップしてしまった。 
 2年前から世界の歴史を学んでいます。 その中で「古代地中海世界の歴史」は大変興味が持てた講座でした。 この講座の最後は「古代末期と地中海文明の変質」__5〜7世紀でした。
 その中に”西ローマ帝国の消滅” ”ローマ帝国は没落したのか?”(没落史観への批判)で終わっていましたが、多分塩野さんのローマ人の物語はそこで終わっていないように思えるのですが・・・・(読んでいないので分かりません) 
 
 西ローマ帝国の消滅後の、東ローマ帝国(ビサンテイン帝国)はどのように扱われているのでしょう。 大変興味があります。
 が、現在の私の時間配分からすると、この「ローマ人の物語」を組み込むとパンクすることは分かっていますので、もう少し時間をずらそうと思っています。
 子供の頃、美味しい食べ物は後に残しておきましたが、この頃は、食べれるうちにと先に食べることにしています。 
 が、この本は残しておこうかと思っています。 


 12月14日朝刊より
 社説「やらせ質問」 けじめが給与返納とは

「(前略) 平穏に済ましたいという役人の保身がはたらいたのだろうか。 「国民との対話」と言う看板をかかげていたのだから、国民を欺くことは知っていたはずだ。
 「やらせ質問」は、国民生活に関わる教育改革と司法制度改革に集中していた。
 二つとも世論が割れている問題だ。 報告書は「政府の方針を浸透させる『世論誘導』の疑念を払拭できない」と結論付けた。
 「疑念」ではなく、誘導そのものではなかったか。(中略)
 首相の給与返納で済む問題でもあるまい。安易な幕引きはいけない。

 
〜この社説を読む前に直ぐに思ったことは、悪いことがバレたら「ごめんなさい、許してお金上げる」と言っている場面が脳裏を走った。
 このところ、民間企業でも、政府・行政においても「内部告発」で様々なことが表に出てくる。
 それはそれで望ましいことと思うのですが、何でこんなに次から次なのだろうかと考えてしまう。
 自由競争下で生き延びるために、厳しい評価査定や人員削減が続いているためなのであろうか。 グローバル世界の中では仕方ないといっているのではなく、生き方を変える、価値基準を変更することの本質的な変革をしなければ、新しい希望と夢のある時代にはならないのではないかと思っています。



    COLUMN 2-N  NO221
                                  

                                 平成18年12月9日 記

    今週目に留まった記事 
    12月4日〜9日 中日新聞より


 先週、1週間分を纏めて掲載したら、それ以前よりも多くの反応がありました。
 バラバラ書くより、皆さんお忙しいので、纏めた方が都合が良いのでしょうか。
 別に読まなくても良いのですから、纏めた方が良い理由にもなりませんから、どうしてなのでしょうか。    独立しているより、私のコメントが短いからでしょうか。
 
 では今週、私の目に留まった記事と少しのコメントと共に掲載します。

 12月6日 朝刊 「あしたの夢」   瀬戸内 寂聴
  〜「魅せられた本『黄泉の犬』〜
 
「『黄泉の犬』 藤原新也
さんの新刊書。(前半、タイトルの名の所以など省略)
 
 藤原さんの本質は詩人だと私は思う。 書かれたたものを見れば、物の捉えたかが詩人の視点である。
 詩人は自分の感性しか信じないし、好悪の感情もはっきり打ち出して憚らない。
 強者つまり権力を持つ者には、素手でも戦う意気込みがあるが、弱者に対しては限りなく優しい。 (中略)
 
 この本の中で最も衝撃だったには、オウム事件についての記事であった。
 この本は「週刊プレイボーイ」(集英社)に1995年7月から連載されものが多いが、その連載の途中で、突然休載になった経緯を持つ問題作である。
 休載の理由は麻原彰晃の実兄、松本満弘氏からの激しいクレームが原因だった。(中略)

 麻原の故郷・熊本・八代を訪ね、さらに八代から出奔して大阪に身を隠している満弘氏を訪ねる下りは、圧巻である。
 麻原の眼の悪い身体的コンプレックスがあの事件を産んだ元凶だし、その眼疾は水俣病が原因だというスリリングな発想の展開は、推理小説のようで息を呑む。 (中略)
 
 自分の存在のリアリテイを突きとめるため、旅をつづけるという著者は、他社の存在のリアリテイにも無関心ではいられないのである。
 あらためて、この本を生きる喜びの希薄に見える現代の若者にぜひ読ませたい』

 〜 
加藤コメント 黙秘のまま死刑判決が下った麻原。 彼自身にも、またその縁者にも言いたいことがイッパイあるのであろう。
 彼を、また彼の周りに集まった優秀な若者達。 何がそうさせたのか、解き明かせないところが、今日の不安、不信、不満の根源であろうと思いのだが・・・・

 
 12月6日朝刊、「近郊版」
ですので、春日井周辺の方しか、目にするとは出来ません。
 「明治の息吹漂う 鉄道遺稿守ろう
                     
〜春日井・玉野トンネルなど視察〜
 
 明治期に築かれた旧国鉄中央線の単線トンネルが近代化遺産としてふさわしいかどうか調べる調査会。
 現在の定光寺駅付近の玉野トンネルをはじめ高蔵寺(春日井)〜多治見(岐阜県)間の14箇所、総延長2・7Km。 トンネルは長短のレンガを積上げた「イギリス積み」工法。
 中央線の複線化と共に66年以降、廃線となった。 明治の息吹が残っている。

 
〜この付近のことなら大体のことは知っているつもりでしたが初耳でした。 既に目にしているのかもしれませんが、何処のどれかは分かりませんので、興味を持ちました。

 ・12月6日 朝刊 より
        『東海道中膝栗毛」 文人狂歌は十返舎一九の自作
           〜
尾張にて もてなしを受け 恩返し〜

 
〜かってなら、ほとんど目に留まらなかった記事でしょうが、日本史を古代から〜近代まで、受講していますので目に留まりました。
 
 同時に江戸時代というと、それまでの私は封建時代・鎖国時代。  ステレオタイプの知識によって、庶民は貧しい暮らし・虐げられた生活しをしていたと思っていましたが、決してそんなことはなく、年貢はお米に掛かるだけで、雑穀には税は掛からなかったと教えられました。
 同時に、東海道を初め主要な5街道は既に整備され熊野詣や、伊勢参りなども盛んでした。、瓦版や他の情報物も発行され様々な情報も手に入っており、旅を楽しんでいたのです。

 鎖国といっても3年に1度は、長崎の出島からはオランダ商館の人々が江戸に参勤交代で登ってゆきましたので、庶民は異人の存在を知っていたのです。
 
 庶民のことはほとんど取上げてはいませんが、ブログ<http://taiki.blog16.jp>の「近代東洋思想」の受講ノートを掲載しております。
 その中の、10月26日付け「日本には<鎖国>はなかった」。 10月27日付け「<鎖国令>などなかった。 幕府のエリートは世界の情勢を知っていた」をお読みください。

 12月7日夕刊
 「忘れられない演劇創造の情熱
     
〜木下順二先生を悼む  菅井 幸雄〜

〜私が特に木下順二さんを尊敬していたとが、好きだったということではありません。
 大学時代、演劇研究会で出し物を検討している時、私の通学していた学校は講義の80%が共産主義・社会主義思想のものであり、それに影響されて学生も左翼系の考えが強く、結果選ぶ戯曲もその方面のものでした。 が、本来、天邪鬼の性格の私は、それに反発して”民話”を取上げようと主張していたことを思い出しました。 木下先生の「夕鶴」や「彦市ばなし」はその一つでした。 
 しかし、今思うと先生の考えの根底には何があったのかを、この新聞記事に出会い、今頃になって考えています。 

 12月7日夕刊より
     「明治文化の一源泉」 
〜中村正直『西国立志編」  平川 すけひろ

『明治維新とは政治的には徳川幕府が崩壊して天皇中心の新政府が成立した過程をさす。
 それは、内輪の狭義の定義ではないか。 
 広角の比較文化史的見地に立てば、明治維新とは日本が漢字文化圏に背を向けて西洋文化圏に目を向けた方向転換をさす。(中略)
 「今後は漢籍より英書を読め」といった福沢諭吉。 その諭吉とならんだ立役者が中村正直である。
 彼はスマイルズのSelf -Help(自助論)を「西国立志編」と題して刊行した。(大きく中略)

 平川教授が「西国立志編」を中国や台湾で教えたいたとき、 中国の人は儒者の中村が進んで西洋学を志したことを解しかねていた。
 清朝シナや李朝朝鮮の一元的な思想統制に比べて、漢学、国学、蘭学が共存した徳川日本は、複数の志向から選択する可能性を秘めていた。
 千年前、「和魂漢才」を唱えていた日本では漢学を捨てて「和魂洋才」に切り替えることは比較的容易であった。 中国人にとっては漢学を捨てることは自分を捨てることである。(中略)
 
 明治日本に亡命した梁 啓超、康 有為は中村の書いた「自助論第二編叙」などを愛読した。そこから「明治維新ハ中国革命ノ第一歩}という日本の近代化を範としようとする発想も生まれた。
 中村を介して西洋・日本・中国の三点測量を続けることは深い意味を持つと思われる」

〜長い引用をしました。 「自助論」のことは知っていたが、それが中村正直の「西国立志編」とは、知りませんでした。
 知りもしないで,「好きだ・嫌いだ」、「正しい、正しくない」と言っている。
 冷静に、謙虚に、客観的に事実を、歴史を見る目を養わなければと痛感する。
 かく思っても、その場になると、つい感情的に、情感的になってしまい、後で自分に少々嫌気がさしてしまう。
 それにしても、現在の日本、日本のリーダー、そして私達大衆レベルは、どれほど「自助精神」が備わっているのだろうか。 他人に問うより、自分に問いかけです。

 12月7日朝刊と12月8日の朝刊より

           
  
徳山ダムの"名残雪”旧小学校が沈む    豊橋、豊作貧乏でキャベツ20万個処分

 12月8日夕刊より
      「あの人に迫る」  
北原 保雄 日本語学者
       
〜変な若者言葉を TVが増幅する〜
 
 『人生には多くの分岐点がある。 そこでシッカリと選択肢を持つためには教養が大切。
 多くの選択肢の中から、賢明に選択する。 その軌跡が人生です。
 これからの日本について〜大人が自信を持って若い人をリードしなくてはだめだと思う。
 教育基本法の前に”大人基本法”作らないといけない。
 「けじめ」「らしさ」がなくなってしまった。


 
〜自信を持ってリード出来るほどの自信はないが、たとえ頑固爺と言われようと、これまでに学び、体験してきたことから持っている考え方や判断の基準、価値観を持って若い人とも接してきたと思っている。。
 
若い人にハッキリした一つの壁(考え方、価値観)を示すことによって、それを無視するのもよし、気になって乗り越えようとするのも、なおよしと考えています。
 こちらがウロウロ、オロオロして右往左往していたのでは、壁としての存在価値がないと考えています。
 
これからも学び、体験し、誤っていたと気づいたら素直に謝り、変更できる柔軟性は持っていたいと言い聞かせています。

 12月5日から始まった連載「堕落論」 坂口 安吾
 
 
 前回までは、坂口安吾の「白痴」が連載されていた。 そして今回の「堕落論」

 
〜敗戦直後に、このような作品を書けるということは、天才というか、狂人ではないかと感じてしまう。 戦争中の間、あの異常な国家体制の中で、考え続けていたのであろう。
 そして、縛られたものが解れた時、ほとばしるように書き上げたのであろうか。 
 どんな雨露をしのぐ屋根の下で、どんな食糧を口にして、どんな原稿用紙の上に、どんな書き物で、どんな筆文字で書き進められたのであろうか。

 
「平和ボケ」といわれる今、どんな作品が何処で書かれているのだろうか。
 多分、私が知らないところで、すばらしい感性と研ぎ澄まされた知性の方が人知れずに書き進められているものがきっとあるはずだ。 手に、目にしたいものである。
  


 
 
 




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