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    COLUMN 2-N  NO250
                                  

                                     平成19年7月11日 記

7月10日松藤民輔さんの「牛之宮ウィークリー」に続き

 本日は浅井隆さんの「経済トレンドレポート」と
     藤原直哉さんの「ワールドレポート」より
 


 私の気持ちがそうなっているから、発想がそのようであるから、同じような考えや予測に同調するのであろうが、それにしても上記の3人の方の他にも、私が勉強させていただいている数人の先生方も、大なり小なり同じような発言と予想をされている。

 船から降りて約1ヶ月強ですが、乗船中・3か月分の各種の情報資料を総合しても、乗船する2月末よりは、その表現は強まり、確信度合いがましているように感じてならない。
 挙句に、世界や日本の政治や政治家がその波を増幅させていると思わざるを得ない。

 浅井隆さんは、今回のレポートノタイトルは、「もう、自分年金を作るしかない!」と、従来からの主張を述べると共に、社会保険庁の職員は、あるいは幹部は「年金は自分達の為にあるもの」と思っているフシがあるとい言い、。また「5000万件の年金記録漏れは「まさか」の事件というよりは、「またか」の事件なのである。と言っているが全くその通りと思う

 もはや誰も信じなくなった年金制度。その仕組みは世代間扶養の仕組みであり、現役世代が納める保険料から高齢者に年金を給付するというもので、”ネズミ講”と同様だと言う

 
 若者の国民年金の納付率が30%という実体ならば、崩壊したと同じといわざるを得ない。
 これ以上紹介することを躊躇してしまう。


 また、藤原直哉さんは、松藤さんや浅井さんと同様に、冷静に時代や社会を分析・評価し警告を発していると同時に、次の時代への心構えと準備と対応をいろんな場で提案し、実践されておられる。(詳しくはhttp://www.fujiwaraoffice.co.jp/へ)

 『こういう時代は特にリーダーは
常に未来に対して積極的(常に明るい出口を目指す)で柔軟な(いくらでも回り道をする)展望を持ち、その展望に向けて日々努力を怠らず、質又は量の成長が確実になされていくように注意を払わなければならない。
 人も会社もボッーとしているとあっという間に月日が過ぎてしまい、育てるべき人を育てそこない、時間を無駄にしてしまう』 

 『世の中で一番大切なものは愛であり創造であると思っている人は、どんな時代にも恐怖感を持たず、秩序は生まれては消えてゆくものであり、一方的な贈与である愛の力で散らばったものを一つに統合することが出来れば、どんな時でも人は幸せに暮らせる。
 
 その反対が世の中の一番大切なものは美であり調和であると思っている人は、一つの秩序が崩壊すると、この世が終わるような猛烈な恐怖感を持ち、体も身も凍結してしまう。
 後者になる人は、大抵非常に真面目で・ひたむきにこの十年間を走ってきた人です。
 戦前の軍国少年少女の末路と同じような悲哀が漂う。

 大きな変化を通じて人は、自然に対する理解を一層ふかめて、自然の力と人間の力を対峙させるのではなく、統合させることで新しい21世紀を作っていくことだと思います』



 〜今回の参議院選挙では、今度こそ『オオカミ爺』にはならないと思い、期待し、発言しているのですが、どのような結果になるのでしょう。
 結果を待つというか、予測するよりはその後に展開する、政治情勢も、それに影響される経済も、そして社会も少なからず、いや、相当の停滞と混乱となることだろう。

 が、それは新たな時代の幕開きであり、前向きに受け入れ、対応してゆくことこそ魂の浄化の一環であると受け止める心構えは、少しは出来ているつもりですが、眼前に展開される事態に口ほどのこともなく、穴に入ることもかなわず、ただ戒めていたオロオロウロウロするばかりなのでしょうか。

 少なくとも、1998年頚椎症で入院という気づきをいただき、翌年の1999年は「ガン摘出」の体験をさせていただき、2000年6月から百姓学校で自然・土から学び始め、翌年(2001)5月9日より「四国88箇所遍路・通し打ち」したものの、「何か変化はありますか」に、「ハーッ」と答える程度。

 2002年、還暦を過ぎて少しは怒りや憎しみ、恨み、嫉みの心根と姿勢は、落ち着いたかなと思っていたが、時に「何の、何処に修行僧か」との声が脳裏を掠める。
 
 「はい、イイカゲン、ええ加減修行僧です」と言い逃れている内に5年の月日が経過して「高齢者の仲間入りと”介護保険料通知書”」が舞い込んだ。

 2007年2月26日神戸港を出港し、”101日間世界一周の船旅”で6月6日帰国。
 見たこと多く、聞いたこと多く、感じたこと多く、考えたこと多く、学んだこと多かったが、果たして、これから拓かれてゆく時代に、足手まといを最小限に、生物として残された時間でどのような考えで・思いで行動をするのか、自問しています。

 内面からの発露を怠っていれば、外からの変化で押し流されてしまう、それだけは避けたいと考えているのですが・・・・。



    COLUMN 2-N  NO249
                                  

                                     平成19年7月10日 記

  松藤民輔さんの「牛之宮ウィクリー」より

   〜 女性が首相になる時代〜


 このコラムに入力することの価値は
、@読み飛ばしてしまった、あるいは飛ばしそうになった記事(印だけつけてある)を再び読み直すことが出来ること。  
 A読みながら、あるいは読み終わって自分ならどう思うか、どう考えるか、どう行動するかの思考をめぐらすことが出来ること。
 B入力という作業を一度しているので、ただ読んだだけより記憶に残っており、後日同じような課題に関心が及んだ時、時間経過後の自分の思い、考えとを対比することだできること等です。

 このコラムに松藤さんが登場するのは数少ない。 なぜだろうと考えてみたが、特別に思い当たる理由はない。
 彼の発想が人並み以上と言うか、角度・視点・予測が一般の実務家や評論家や学者と大いに異なっているから、私が理解できず、又は自分の意見や感想を語れないからだろうか。

 私自身どちらかといえば、感覚人間、ヒラメキ型で感じ、衝動的な発言、行動をとる性癖があります。
 本日の私の感覚に、共鳴することが多い内容でしたので取上げました。
 内容は多岐に渡るというか、飛びはねますので、箇条書き的にしてみました。

 結論から言えば、主題が「女性が首相になる時代」ということからして、今までとは流れが異なるということ。
 男性的な発想から女性的になるとは理念型から現実的になるということ、兎に角、今までとは異なる潮流の時代に差し掛かっている、その始まりということです。
 本日は、先に私の感想を書いてしまいました。 では、今から松藤調で・・・


『・円がユーロに対して168円になった。ユーロ誕生時に、短期的に崩壊、暴落すると予測した、見事に外れた。

 ・ドルは153円の道を順調に歩んでいる。ドル預金すべきだな! 世界は10年ほどバブル崩壊と、その蘇生の時間帯に入る。 米国資本主義帝国の崩壊と、混乱の時代。

 ・日本は世界に先駆けてのバブル。 それから15年、傷跡も少し疼く程度になった。
 が、世界的資金余剰と東京一極主義は、不動産、特にリートバブルを生んだ。
 ITのインフラの上に21世紀的、安定した社会を目指し始めている。

・この15年の経済的混乱が、政治的混乱を導き、自民党型政党の崩壊が参議院選挙で始まる予感がしている。 年金問題で自民党が負けなければ、この国の道はない。

・戦後60年の全ての汚点が安倍さんに集中、と言って民主の小沢さんも頼りにならない。
 再び、小泉さんが登場して、劇場を賑わすのか。 可能性はある、あるいは、女性の党首に変身するか。(小泉の鶴の一声で女性の党首となるか)

・政党の対立(自民対民主、自民対共産)構造のうらがわのメカニズムの変化。
 それは女性の時代、女性の感性に近づく政治。 平和、安定、女性のより社会参加。
 これは政治の変化というより、パラダイムの変化。

・その政治構造の変化は日本の国力を示す円が次第に弱くなり、社会も国民も還暦を迎えて、年金で生きてゆく時代。
 年金運用が大切な時代。年金の運用が大切、公明正大とした制度が必要。

・ハードとしての年金が確立していなかった日本。 特権的な国家公務員の年金も統合されて、共産主義国家以上の年金国家をうみだす。

・同時に、ソフトとしての年金運用が、政治の中心的課題になる。
 100兆円の資金は、世界経済の波乱要因でもあり、世界を救う唯一の現実的手段。

・日本の本質的強さと年金運用は、国際政治の中心、世界をリード、世界を間接支配。
 老人国家日本に疑問が起ころうが、世界の株式市場、不動産市場の暴落は、世界の資金の流動性を滞らさせる。
 そのときに、日本の年金資産が、自由に世界の投資に向かうとすれば、世界の金融のスターは日本の年金となると、直感している。

・日本の円が弱くなり、国力が低下すると考えるのは、一面の真理、世界トップの技術力とITの先端を走るこの国家に没落はない。

・未成熟な資本主義により、豊かさが偏する社会と異なり、第2次世界大戦の大敗から奇跡的復興を遂げた国家は、歴史上存在しない。
 国家日本はバブル崩壊から抜け、資本主義と民主主義の本質の揃った国家を目指し始める。

・エリートの為の資本主義ではなく、エリートの為の民主主義でもなく、大衆の人民の為の社会構造と資本主義の再構築に進みつつある。
 崩壊とは良い意味での進化であると仮定すれば、われわれは政治的な進化を向かえる為に崩壊に直面している。

・難しい話とゴタゴタは、専門家に任せ、理想高い国家の参加者としてのあるべき情熱を
育んでいたい。
 同時に崩壊する社会にチャンスを見つけ、投資としゃれ込みたい。


      <以上、牛之宮ウィークリーNO657より、抜粋掲載>


〜@年金資金を世界に投資する。それも一つであろうが、その前に日本の汚れた、破壊された自然の回復に日本へ投資して、世界のモデルを創造したらどうか。
 
 政治の崩壊は経済の崩壊を生む、そして、国家破産で年金も支払えないということになると社会的混乱を招くことになるから、政府は輪転機を廻し続けることになるだろう。

 超インフレを防ぎ、失業者を救済する為に、市場に出回った資金を国家が借り受けて、超々公共投資を実施する。(返済は10年後から始める。その頃には社会も落ち着きを見せていることだろう) 
 
  A松藤さんが言う「難しい話とゴタゴタは専門家に任せる」という訳にはゆかないと思っています。
 終戦直後から20年強の年月は、正義感と愛国心から国の復興に寝食を忘れて働く、信頼するに足るリーダーが、政界でも、経済界でも、学会にも、また他の組織にも存在した。
 
 が、今は保身とわれ善しの独善的なリーダーが目立つ。そればかりだといっていい。
 そのようになった要因の一つに、国民大衆が信頼と言う絆で結ばれ、国民大衆も自己の持ち場で汗水流していた頃は良かったが、復興から高度成長と進むに従って、いつの間にか、任せておけば何とかしてくれると思う人頼り根性となり、国家にも・自分にも降りかかる直接・間接の事柄に無関心で、不勉強さとなり、今日を生み出したと考えています。

 Bこれからリーダーたらんとする方々は、まず考え方、理念、将来ビジョンを示し、そのタイムテーブルを国民の前に提示すべきです。
 提示された内容に対し、国民一人ひとりも真剣に考え・参加して、自らもその一員となって行動してゆかなければ、この未曾有の変化の時に、個人としても、家庭も、地域も、国家も健全な姿に生まれかわることはできないと考えます。
 
 松藤さんは、トップレベルの技術力とITの先端性で、また戦後復興を成し遂げた事実から、日本の没落はないというが、神国日本ではない。
 清く・正しく・美しい国の素養は持っているが、神風が吹くわけではない。

 逃げて通れない時代に差し掛かり(いや本当は突入しているのですが、本当のことを知らせないリーダー、本当のことを見ようとしない私たち)、いやが上にも現象化するのは時間の問題と考えます。
 
 結局は、自分で判断し、決断し、行動してゆかなければならない時と考えます。  
 一人で考え、行動して行くことのできる人は、それでよいでしょうが、全ての人はそうなれるとは思いません。

 としたならば、思いや考え方の方向が同じで、信頼しあえる仲間と歩を進めることが出来るならば、一人よりは楽しく、効率的に実現できるのではないかと考えています。
 これからは、そのような許しあい、助け合うことの出来る集団=ネットワークの再結集となるのではないでしょうか。

 追記
 Cもう一つありました。 松藤さん曰く「崩壊する社会にチャンスを見つけ、投資としゃれこみたい」
 松藤さんの真骨頂である。 ご自分の大ピンチの時、いや実体は既に崩壊してた時、「夢と勇気とサム・マネー」という、週間情報を発行された。
 それはバブル崩壊後から6年目の1995(平成7)年8月のことでした。
 松藤さん自身が当時のことを書いておられ、資金的=金銭的にはスッテンテンになられたと書かれていたことを記憶しています。(後日、当時書かれたものを紹介出来ると思います)

 今、再び「崩壊する社会にチャンスを見つけ、投資としゃれこみたい」と表現されました。 
 それは、決して”自分善し”の考えからではなく、世界の金融が混乱に陥った時、日本から世界を立て直そうと考えれおられるのではないかと想像します。

 今、本棚の上のダンボール箱から当時の「夢と勇気とサム・マネー」のファイルを取り出しました。 電話回線で送られた電子コピーは薄くなっておりますが、まだ判読できそうです。
 これからの時代を明るく、元気に、楽しく渡ってゆく指針になると思いますので、私の基準ですが、抜粋・選択して紹介してみたいと考えます。

 このコラムに掲載します。 よろしかったら覗いてください。 



    COLUMN 2-N  NO248
                                  

                                 平成19年7月9日 記

  ”縁のない世界への転進”

  〜中日新聞7月9日 朝刊”中日春秋”より〜


 『・・・坂本 武さん。 東京大学法学部卒で旧建設省に入り、道路資金企画室長や中部地方整備局の総務部長とキャリアを重ね、出向先の農林水産省では農村政策課長になった。
 誰もが「上」を目指すと思っていたが、先月、49歳で役者に転進を果した。

 役者の経験は高校生時代の文化祭での1回だけで、無いに等しい。 でもそのときの興奮、感動が心の奥底に残っていた。 (中略)

 昨秋から芸能事務所を回り、映画監督で演出家の望月六郎さんの主宰する劇団のオーディションに合格した。若者に無いオーラがあったと聞く。 
 家族の理解も得られ、早坂実の芸名で初舞台を踏む。

 役人から政治家や学者、企業家を目指す人は少なくないが、全く縁のない世界への転進は聞いたことが無い。(中略)

 『論語』には「十有五にして学に志す」とあるが、49にして、いや幾つになっても何かに志す人は生き生きしている。』



〜このコラム2−NのNO247「スピチュアルブーム」を取上げたから、このコラムを書いているわけではありません。

 たった一つの事例で、あたかも多くを代表していると考えるのは早計ですが、どうも色々な話を総合すると、役人の世界でも、民間の会社でも、大学でも、またその他の組織でも仕事のできる人や価値観がハッキリしていて見識を持っている方が、既に続々とそれまでの組織に見切りをつけていると聞きます。
 ということは、今残っているのは、そこにいることしか能の無い人、御身大切な人が残って居る場合が、昔よりズーと多いと言うことになります。大変なことです。

 天下国家を語り、そこで従事することの喜びに心満たされていた時代は終わったのでしょうか。 どうも、高級官僚の世界ではかなり明白なことのようです。

 民間会社でも、御身大事なトップリーダーは自分の身を守るために、有能なあるいは自分の意思に反した意見を具申する者をとうざけるということは、バブル崩壊後によく見られることです。
 そして、ここ数年はマスメディアにそのトップたちが、連日のように頭を下げる光景ばかりではないかと思われて仕方ありません。

 時代は間違いなく、新しい、希望ある、明るい方向に進んでいるようです。
 ただし、その前に天は私たちに一度水を頭から被せることはするようですが・・・

 




    COLUMN 2-N  NO247
                                  

                                 平成19年7月9日 記

  「スピリチュアルブーム」

  〜中日新聞7月7日 夕刊”コンパス”より〜


 『活躍中の若手女性アーティストにインタビューしたときのこと。
「ピカソが好き」という彼女にその理由を尋ねると,真顔で、「私、前世はパリの売れない画家だったみたいなんです、。惹かれるのは、そのとき交流があったからかもしれません」という答えが返ってきました。


 まじめに答えるのが面倒だから煙に巻くために言った、というかんじでもない、受け流すべきか、共感したように見せるべきか、曖昧にうなずいていました。
 (中略)
 そもそも、昔の遺跡などを見ると、生きているのは人間だけで構成されているという今の”常識”自体、比較的新しいものだ。
 死者は常に生者をうがつ存在として近くにあった。

 現世以外のものから学び、よりよく行きたいという願いは、太鼓から人間のDNAに刻みこまれているのかもしれない。』



 〜「波動」のことをもってして、スピチュアルブームと関連づけるのは、間違っているのかもしれませんが、目に見えない世界のこと=波動=エネルギーを結晶写真に撮って、「水からの伝言」として出版し、世界的に注目されている江本 勝さんがおられる。

 私も平成8年5月11日付けで、江本さんが立ち上げた「波動インストラクター」としての、認定書を受けている。
 その後、ほとんど勉強をしていませんので、今は「インストラクター」というには、余りにも知識も見識もありませんので、お恥ずかしいのですが、当時が戦後何度目かの、スピチュアルブームであったというならば、このところ数年その後のスピチュアルブームといえるのではないだろうか。

 しかし、今回は一例として取上げれば、見えない世界のことが例えば「ナノテクノロジー」として、政府の科学技術分野として認められ支援があったり、その後の物理学の研究によって、様々なことが解明され、発表されている。

 バブルの崩壊後、グローバル世界の進行のもと、市場経済があらゆる分野に影響を与えた。  日本では一時、日本的経営ともてはやされた@終身雇用 A年功序列賃金 B労使協議会(協調する労使関係)が、アッと言う間に崩壊した(確信と信念、理念をもって推進していた経営手法でなかったことを暴露させた)

 いや、冷戦構造の崩壊から始まり、グローバル化の進展は、それまでの価値観ややり方を根本的に見直さなければならないところに至らしめたのであろう。
 そのことは現在も進行中で、あるいはもっと深度とスピードを上げて、世界の秩序、構造の変革期といえる。 しかも、それは人類の歴史上における、農業革命、産業革命(工業革命)に継ぐ、大変革と感じられる。

 資本主義、民主主義、自由・平等など当たり前で、正しく、普遍的な真理と思われていたことが、根底から揺さぶられている。
 昔、昔は「スピチュアル」なことは、身近な存在で、私たち一人ひとり、家族そして地域の中に息づいていた。 
 単に、過去を懐かしむだけでない、其処に学ぶべき事柄が多く存在していることに、やっと気づきだしたということだろう。
 また、かってのようにブームが去ってゆくとは思えない、この頃です。

 


    COLUMN 2-N  NO246
                                  

                                 平成19年7月2日 記

 ”けさのことば”  岡井 隆
                     ”手紙”
     〜中日新聞7月2日 朝刊より〜


 『これらの手紙を書かねばならぬと思うと、いらいらし、へとへとに疲れる。
            「ジッドの日記」 (新庄 嘉章 訳)

 手紙の返事は負担になることがある。  しかし、結局は書いてしまう。 それは気持ちを休めるため」であり、「自分と和解するためだ」と青年ジッドは言う。
 書かないでいると「気になってしょうがない」心理。
 しかし書けば相手は喜んで返事が来る。 そのまた返事に悩むことになる。』

 
〜実に日常的な事を取上げているが、私にとっては賛同するというか、大変同じ思いの心理であります。

 可能な限りというよりは、多分今まで時候の挨拶から始まって、様々な便りを頂いたが、一通たりとも返信を怠ったことはないと思っています。
 ここ数年は印刷されてた定年退職のあいさつ文を頂くことが多いし、時には奥様からご主人様の死去の知らせまでが届く様になった。 それらにも、全て返信を書いている。 

 時には、それほど親しく付き合ったこともなく、その後の消息もほとんど知らずで、返事の内容に戸惑うこともあるが、それでも何かをしたためて返信をしています。

 近頃は、メールの便りも多くなりました。 メールにはメールで返信していますが、何か味気ない気もしないではない。
 
 数日前のこと、「加藤さんの手紙を読むのは大変だ」と面と向かって知人から言われた。  私からの手紙を受け取った方なら、頷いて直ぐにお分かりになることでしょう。
 兎に角、書きなぐりとでも言うような荒れた酷い書体で、しかも崩し書きになっているのだから大変です。 時には私が書いた、親族宛の手紙を何かの理由で読み返すことがありますが、自分でも読めない字があります。

 数週間前のことです、手紙を差し上げて方からメールがありまして、「人生」と横書きしてあったのですが、縦書きの読み方で「金」と読まれたそうです。 
 「人生」を「金」と読み続けても、意味が通じて最後まで読みきったということでした。 
 そして、2日目に「金」ではなくて、「人生」と読み替えたとありました。

 必ず返事を書くことにしていることは、時に苦痛のこともありますが、これからも出し続けたいと思っています。 
 それにしてももう少し楷書で書かなければと思うのですが、ユックリ・ノンビリ書いていますと、ヒラメイタことをそのまま書き記す私としては、そんなことをすると文章は続きませんし、書くのが留まってしまい、投函に至らない事になってしまいそうです。

 こんな言い訳を思いながらこれからの手紙を書こうと思っています。



    COLUMN 2-N  NO245
                                  

                                 平成19年6月28日 記

 ”けさのことば”  岡井 隆
          ”自分のことばかり”
     〜中日新聞6月27日 朝刊より〜


 『人が話す中身はほとんど自分のことばかりだ。
         『ハズリット箴言集』 (中川 誠 訳)
                           W,ハズリット』

 ずいぶんと客観的に他人事のように話しているように見えて、人は「自分のことばかりしゃゃべっているものだ。
 自己中心的などというが皆そうなのである。 しかし、「でしゃばりより沈黙の方が嫌われる場合もある」。
 大いにしゃべって自分を人目にさらすのもわるくはない。



 〜『沈黙』なんて私の柄ではない。 いや、できないといった方が正直だろう。
それ故に、「大いにしゃべって人目に晒すのもわるくない」というのに賛同する。

 しかし、このところ大いにしゃべってどころか、「自慢話」と「自己主張」。 付け加えるに「自己肯定評価」と「自己ご満悦」となり、自戒、自己反省のない対人関係である。
 さぞかし、相手は面食らうどころか、鼻持ちならないやつだと思い・感じているのだろうと想像しています。

 どうも、65歳となって、何かというと「高齢者の何々」という枕詞が耳に入り、なら場とばかりに堰を切ったように、従来にまして我儘根性が丸出しになってきているように思える。

 好きなこと、納得できること以外は行動に移さないことにしているが、いつまでもそんな気持ちでよいのであろうかと、”けさのことば”に反応した。




    COLUMN 2-N  NO244
                                  

                                 平成19年6月27日 記

 「分度杯」のことご存知ですか?

 〜藤原 直哉のワールドレポート NO575より〜


 『 「分度杯」、これは小さな盃ですが、容量の85%程度以上の液体を入れると小さな穴から突然底に開いた小さな穴から液体が全部流れ出してしまう盃です。
 即ち、酒を注ぎすぎますと注ぎすぎた分だけ溢れるのではなく、全てが流れ出てしまう。
 限界を超えて健康や環境WP蝕むと全てがなくなることを示しています。

 南米チリのパタゴニア地方にある広さ1平方メートルキロ、深さ30メートルの湖が突然干上がってしまう事件が起こった。 地震で湖底に亀裂が出来たという説もあるが、地球環境問題の影響説もあると言う。
 もしかしたら、天然版の分度杯なのかも知れない。』


 〜昨年来、数え切れない自然災害が発生しています。
 今年に入って四国は水不足ですし、気象庁の予報どおりですと、水不足で電力不足は避けて通れそうにもありません。 行く過ぎの状態に入ったのでしょうか。
 自然との関係において、双方が持続可能な均衡に向かって、行き過ぎから戻り始めているとも考えられます。

 私は知人から「では、加藤さんどの時代に戻ればよいのですか」と訊ねられます。
 私の答えは「昭和40年代前半です」と答えています。 各家庭には3種の神器はほとんどありました、自家用車は全ての家庭とまでは行きませんでしたが、当時の空気はマダマダ綺麗でした。
 藤原さんは以下のように言って居られます。

 『ここまで戻れば均衡が取り戻せるかはやってみなければわかりませんが、経済に関しては少なくとも1980年代(昭和55年以降〜60年代前半)の水準からやり直さなければいけないのではないだろうか。
 先のバブルで高騰した不動産価額もこの辺りまでは
スルスルと落ちてきましたし、日本に黒字が一方的に高まり始めたのもこの頃からで、プラスマイナスゼロからやり直すということならば、この頃でしょう。
 
 今の時代は行き過ぎから戻ることに積極的で前向きな発想と行動をしないと、これまで手にした小さな幸せが一つ一つ失われ、奪われてゆくような焦燥感にさいなまれて、物心両面でへたり込んでしまう。
 単に衰退に向けて道を戻ってゆくという発想ではなく、戦略的に低エネルギー生活を実現し、人間の都合に会われるのではなく、自然の都合に人間を合わせるように変えてゆけば見かけは衰退しているようであるが、中身はらせん状に前向きに成長していることになる。』


〜理屈ではよく理解はするのですが、腹に入っていないためでしょう、腹で納得していないのでしょう、後からハッとし・反省するような行動ばかりです。
 小さなことでも、「ハチドリ」の一滴のように、嘴で水を運び、山火事に対処しなければいけないと言い聞かせています。





    COLUMN 2-N  NO243
                                  

                                 平成19年6月25日 記

 時には時間をずらして(遅れて)読むのも良いものだ

〜昨年5月の熊谷弘さんのコラム
     と今年の船旅中の藤原学校のテープを聴く〜


  熊谷 弘さんの2006年5月1日のコラムより

 『台湾政府の対日工作が大々的におこなられている由。 自民、民主の若手議員が盛大に接待攻撃の対象になっている由。
 言論界では、中西輝政、桜井よし子などが音頭とりになっているとのこと。
 文春、新潮、小学館などがあと押ししているらしい。 
 台湾としては米中接近の中、日本と中国の対立を煽ることが自分達の生き残りのため絶対的必要と考えているとの由。 この動きの中心にいるのは李 登輝と繋がる経済界のメンバー(清水など)と学者達(学習院大学教授)だという。

・規制緩和で儲かるビジネス、新利権派の業界人が一方の勢力となっている由。
 宮内(オリックス)、飯田(セコム警備会社)=規制緩和ビジネス、その他東京石原都知事と結託した大都市開発ビジネス(鹿島建設)などが代表例だという。
 こうした連中の総元締めが牛尾(ウシオ電機会長)である。
 これに外国金融機関を加えれば改革政治なるもののもたらした姿の実相がはっきりと浮かび上がってくる。

・目下のところ、日本の新最高指導者はシーファ米国大使だという。 彼に対して小泉以下政治も官僚もメデイァもひれ伏すらしい。』


 〜一年強前のコラムである。 
 たった1年であるが、経過するとその実体がより鮮明に見えてきていることと、時は流れて政治、経済、社会が多く変化していることも分かる。

 鮮明に見えてきたことは、2007年李 登輝氏が来日して、講演や靖国神社を参拝して行ったようだ。「ようだ」と書いたのは、船旅中であったことと、帰宅後であったのか、注目している暇がなかった。
 
 言論界のことも同様で、テレビも新聞も雑誌にも、ほとんど目を通していないから目先の
現象のことは分からない。

 ただ、たった1年で大きく変化してきていることは分かる。 
 今までの流れの中で損得を競っていた人たち(規制緩和で利権を得ていた人々)には、時間の経過とともに段々とやりにくくなると同時に、儲け話が少なくなった、いややりにくくなったということであろう。
 (庶民も勉強しているし、ここまで追い詰められてくると不信と不満をもって、潜在的とでもいう勘が働きだす。  政治家、役人、財界のリーダーの実態、学者や評論家・知識人という特にテレビでけたたましくガなり立てている輩をそれなりに評価し始めた)
 
 米国追従一点張り(ポチ)で、名ばかりの規制改革で庶民を煙に巻いた小泉首相は居ず、引き継いだ安倍は参議院選挙の結果を見る前に、何処かギシギシと、いやガタガタとタガが外れているようだ。
 と言って、野党・民主党に任せておけば安心などとも言っておられない。
 一人ひとりが各自の考え方、価値観でもって行動し、信頼・許しあえる仲間と連携することの必要性を感じないわけには行かない時が、ますます明確になってきた。


 藤原学校の本年2月から5月までのテープを聴いていますが、たった2〜3ヶ月前のことが、ズーと昔のことのように聞こえる事柄と、ますます現象が近づいていていることを感じる事象があります。
 この流れは止めることはできないし、結果大きな波に一度飲み込まれることだろう。
 それは決して、悲しいことでも、辛い事でも、暗いことでもなく、新しい価値への転換をもたらし、明るい新時代への道が開き始めたことを意味すると思っています。





    COLUMN 2-N  NO242
                                  

                                 平成19年6月25日 記

 ”けさのことば” 岡井 隆
 〜中日新聞 6月25日  朝刊 より〜 
      
        ”男の年齢、女の年齢・・・” 


 『男の年齢は、どう感ずるかで決まり/
 
          女の年齢は、どう見えるかで
決まる』

 
                《医》をめぐる言葉の辞典
                 (ジョン・ディティス他編。長野 敬約)
 

 これはコリンズ(
作家)の警句だが「男は60歳で成人に達する。女は15歳で。」(スティーヴィンス)と言う見方もあり、男女では年齢にとり方も違うらしい。
 「人は、その動脈と同じだけの年齢である」(シデナム医師)と言うのが公平で真実な意見でだろう。



〜シデナム医師の言う「動脈と同じだけの年齢である」とは、いかなる意味を有するのか分からないので、もどかしい。         どなたか教えて欲しい。

 コリンズの意見も、スティーヴィンスの意見も理解できるつもりであるが、「男は60歳で成人」とは、其処までは餓鬼ということか、あるいはその年齢までは夢や希望を持って憧れに生きているとでもいうのだろうか。

 餓鬼の部分があるいうことならば理解できる、しかし、この頃は餓鬼のところの持ち合わせも少なくなった故にか、「夢や希望、憧れ」と言う面が失せてしまっているのではないだろうか。
 近代の終焉間近、競争社会(市場主義)の行き詰まり(限界が見える、矛盾の表面化、そのさえたる事柄は格差社会)がもたらしたものであろうか。
 
 このコラム1−N NO240に藤原さんのレポートで紹介して以下の表現がある
 『混乱期になぜ女性が強いのか。 女性はどんな混乱期でも日常生活のための作業をしなければならないという役割を持っているからだと思う。
 未来を心配してじっとしている暇があったら、今日の生活のために身体を動かさなければならない。 ですから、未来に対する懸念は妄想のように広がりにくいのです。

 同時に、普段の日常生活の中でふとした変化・兆候でも未来のことを感じられるものです。
 また、男と違って理屈の色眼鏡で世の中を見ることをあまりしないから、自然が我々に与えてくれる兆候には男よりも早く確実に気がつくのだろう。』

 男達が精悍で逞しいとまでは行かなくても、元気で明るく楽しく時を過ごしていなくても、女性は何時までも若々しく、美しくいられるのだろうか。
 全てが全てとは行かないまでも、この激変期にはどうも女性の方に軍配が上げられそうである。
 どう見えるか、どう見えられたいか気を使う度合い、エネルギー、執着心は女性の方が上のようだ。




    COLUMN 2-N  NO241
                                  

                                 平成19年6月21日 記

 松藤 民輔さんのブログ”1929年の新聞”より
     
              と

   藤原 直哉さんの「日本再生プログラム」   


  『 テーマ: 経済

   サムマネー・・・1929年の新聞記事より

   1928年11月5日
      「我々はこれから始まる黄金期にさしかかったばかりである
                         アービン・フィッシャー、ブッシュターミナルカンパニー社長
   1929年3月5日
  「現在の状況において危険性は感じられない。投資家が市場に興味を持ち、熱心であり続ければ、市場は上がり続ける。」
                         チャールズ・シュワブ、ベツレヘムスティール社長

   1929年9月20日
  「かなりの投機が米国内でなされているが、全体的には市場は健全な状態にある。」
                         チャールズ・ミッチェル、ナショナルシティー銀行会長
  
   1929年10月9日
「この国には経済的成長と繁栄に足る充分な理由があり、企業の増益を反映して、株が更に高い価格帯にゆく可能性も充分にある。」
                          ファイナンシャル・ワールド

   1929年10月15日
「多くの一流企業の株は完全に正常なレベルであり、10年前と比べても堅調である。すべての基礎産業は満足のゆく業績であり、予測し得ない何かが起こらない限りそのままの状態であろう。何人かの人が警告するような何かは察知できない。」
                         チャールズ・ミッチェル、ナショナル・シティー銀行社長

    1929年10月24日
   世界恐慌のはじまり・・・・

     さて、現在の新聞には何と書いてありますか?

 〜尻馬に乗って口を開くことはしません。 既に10数年にわたり、私は「オオカミ爺」と言われ続けてきましたから・・・・
 今度もそうなれば、幸いの事かもしれませんが、更に問題が先延ばしされ、地球は更に・更に悲鳴を上げることでしょうし、事柄は更に深刻度を増すということになると考えます。

 このコラム2−N NO240で『藤原 直哉さん』のことを取上げました。
 そして本日でもって、帰国後の机の上がおおよそ整理できました。 
 藤原 直哉さんの「ワールド・レポート」も読み終わり、「藤原直哉さんのインターネット放送局」も聞き終わりました。
 そして、新生日本の国家ビジョン「グレイトコラボレーション」につづいて、「日本再生戦略」が掲載されていました。
 
 その内容は

    『日本再生戦略
               日本再生プログラムの骨子   
                                 2007年5月7日
                                    経済アナリスト 藤原直哉

 1. 世界最高品質で個性的なモノとサービスを健康と持続可能性の高いシステムのもとで生み出し、少子高齢化社会においても日本の競争力を維持すると同時に、世界に品質の高さで貢献していく。そのための日本再生プログラムは期間を10年間とする

 2. 品質は国家として目標を決め、国民にガイドラインとして呈示する

 3. 日本再生プログラムを動かす中心として、国家がシンクタンク機能とインベストメントバンク機能を持つ

 4. シンクタンクは「観光カリスマ百選」をモデルとして、国内にいる人材、国内にあるノウハウの発掘と紹介を主たる任務とする(情報を生み出すことより聞き出すこと)

 5. インベストメントバンクは、日本再生プログラムの呼び水として、財政の大規模支出を必要とする。この時、今までの財政赤字は棚上げとし、実質的に新勘定で行う

 6. インベストメントバンクの資金配分は審議会等を駆使しながら政治主導で行う

 7. 日本再生プログラムでは、国民の雇用確保を最も重要な政策とする。しかもその雇用は熟練の技、品質の高さ、個性の発揮に基づいたものでなければ健康と持続可能性が保てない。したがって持続可能性の高い労働力、雇用を生み出すために必用な期間として10年間を見込み、その間はインベストメントバンクが資金の支援をする

 8. 日本再生プログラムの資金投資の中心は、日本列島の大掃除と安全確保のための大規模公共事業とする。この公共事業は、10年間を目途として、その間国家で決めた品質目標を日本列島全体が達成できるように日本列島の新インフラ整備を行う

 9. さらに日本再生プログラムの人材投資の中心は、都市部の人口を地方に大規模に移住させることである。そのために引き続き観光立国、多目的農業の振興を加速させると共に、小中学校、IT企業などを地方に移転させ、都市から地方への人口移動の呼び水とする

 10. 持続可能な社会の建設のためには、資金投資も短期的な利益を追いすぎるものであってはならないし、企業運営も長期的な視点に立ったものでなくてはならない。したがって現在の、あまりにも時価に重きを置きすぎた金融経済のルールは、修正しなければならない

 11. 世界に対しては、日本は10年間の再生期間に入るので、その間は国際金融取引でも国際的なモノやサービスの取引でも、国内優先にならざるを得ない部分があることを了解してもらう

 12. 同時に日本再生プログラムに共感し、健康と持続可能性の高い国創りを進めたい国々(特にユーラシア大陸)との関係を積極的に強化して行く

 13. 日本国憲法、日米安保条約は日本再生プログラムが終了するまで、10年間議論を棚上げする。その間防衛は専守防衛を旨とし、日米関係は是々非々の関係にもっていく。』

〜今の日本のリーダーと言われる方々は、目先の事はあーだコーダと言っていますが、御身のためのもので、真に21世紀に通用する将来ビジョウンは示されず、従来の延長線上か、その修正版ばかりです。

 藤原さんの戦略提言は、それらとはハッキリと一線をかすものであると考えます。
 一つの提案であり、しかもただの提案ではなく、藤原さんはそれに向かって行動を開始されました。
 私もただただ感心しているのみでは、何のために十数年も「藤原学校」にテープ通学したのかと、自戒と反省を強いられます。
 
 また、同時期より松藤 民輔さんのクラブ会員を続けてきています。
 
 ”船旅・地球一周101日間”の思いも混ぜ合わせて、さて、サテ、さてと言うところです。

 
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