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 COLUMN 1−D 310

                               平成21年12月20日・記

        「生きる力」      藤原直哉 さん

 〜NPO、日本再生 プログラム推進ファーラム〜


 既にご存知のことと思います。 藤原直哉さんが新たに代表理事に就任さた「NPO 法人 日本再生プログラム推進フォーラム」に多くの方が参加登録されています。

 その方々のご意見やご提案を読んでいますと、世界中で活躍されている様々な日本人の方が存在していることをいまさらながら気付かせていただきます。

 時には、何のお話をされているのだろうと感じてしまう、専門的な意見の交換が行なわれています。

 それらの方々や会員登録された方々にご返事するように、藤原直哉さんが以下のような一文を掲載されました。

 今という大変革の時代に生きている者にとって、勇気と活力そして使命を感じ・与えてくれる一文であると思いますので掲載します。


 『On 2009/12/20, at 0:37, 藤原直哉 wrote:

  みなさん、こんばんは。自己紹介いただいた皆さん、近況報告をいた だいたみなさん、ありがとうございます。藤原直哉です。

 今の時代は本当に生きる力が体内から湧いてこないと、外から来る力 だけでは生きていかれませんね。本当に苦労が多く、また辛い時代だ と思います。

 しかし 同時に人は覚悟を決めて世の中に向かうと、おのずと道が開けてきます。そして気がついたときには新しい境地に立っているものです。

  私は学生の時に自転車部にいました。最近は自転車が大変ブームです が、私が学生のころはマイナーなスポーツでした。今の自転車乗りの 人たちが身につける
プロ並みのきれいな装束は一度も付けたことがありませんでした。

 夏 に北海道を一週間ぐらいキャンプして最後に民宿に行ったら、横井庄 一さんのにおいがすると言われたぐらい、汚らしいものでした(大笑)。

およそ自転車のツーリングで一番楽なのは自転車をこいているときで す。
 
 自転車はどんなに大変な道でもこいでいれば必ず前進し、必ずい つか目的地に着きま す。反対に大変なのは自転車が故障して直しているときや、到着地に ついて真っ暗で雨の中を炊事したりテントを張ったりするときです。
  本当に泣きたくなる のはそういうときです。

  人生も同じではないでしょうか。とにかく前進していればどんなに汚 くなっても必ず目的地に着きますし、それからひと風呂浴びればきれ いになります。人生 は前進しているときが一番楽で、止まっているときが一番辛いもので す。
 どんな形でもよいですから、人生は常に前進するように生きてい きたいですね。

  そして国も同じです。国も前進しているときはいろいろな問題があってもそれを解決することはそれほど困難ではありません。しかし国が 止まってしまうと、 いっぺんに問題が噴き出します。人々の不満や不安もどんどん高まっ ていきます。

 国も前進を止めてはいけません。ぜひともここで日本再生をしていかなければならないと思います。

  どうぞみなさんお知り合いに声をかけていただいて、NPOの趣旨をご覧いただき、一緒にご参加いただければと思います。この フォーラムを通じてみんなで 情報共有し、みんなで勉強し、みんなで声をあげ、みんなで行動して いきたいと思います。

    どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。

                               藤原直哉 拝』


 
「枯れ木も、山の賑わい」と、私も参加登録させていただきました。

 このページをお読みの方も、一度「NPO法人 日本再生プログラム 推進フォーラム」
 あるいは、シンクタンク藤原事務所のポームページを開いてみてください。

 この時代に生を得たことの意義(少々オーバーな表現かな?)と同時に、暗く・冷たい時代を「明るく・温かく生きる力、ヒント」を与えてくれると思います。





 COLUMN 1−D 309

                                 平成21年12月17日・記

  近代日本では2度の大きな時代ギャップがあった

 そして、今、第3回目のギャップが進行中

〜それを、藤原直哉さんは「天地返し」と言われました


    12月16日の中部大学の「近代日本の思想史」を聴講してきました。

 その中で、明治以降の近代日本において、2回の時代ギャップがあったことを学びました。

      その一つは1920年代を挟んでのそれ以前と、それ以後です。

 具体的には1920年代の日本は、1914年から始まったヨーロッパの第1次世界大戦は1919年のベルサイユ講和条約で終わりますが、その間ヨーロッパの産業は悲惨な状況に追い込まれ、戦場とは関係ない日本はその間、ヨーロッパへの輸出で産業が勃興し、近代化の道を進みます。

   その間、1917年ロシア革命が起こり、ソヴエト政権が誕生しています。
 
 それを背景に当時、大阪、名古屋、横浜、東京は産業の基盤が出来、都市が発達して行きました。
 その繁栄にあやかって、大正デモクラシーの自由で・豊かな日常が一部の都市生活者の中で勃興し満喫されました。 その一部を紹介しましょう。

 (小さい活字は私の受講メモからの抜粋です)

 1920年代、映画はハリウッドに影響された。 アバンギャルド、モダンな新ファッションを真似して→「モボモガ」EX、足を丸出し、パーマネント、全てが派手な丸出しであった。

・週刊誌(サンデー毎日、最初の週刊誌、経済紙(東洋経済新報=経済の総合誌〜高橋亀吉、石橋湛山)


・「月給取り」という言葉→中間管理者は月給。当時の肉体労働者は週給。

・「カフェー」
・大衆文化として「築地小劇場」で現代劇が上演、「イプセン」、「リリオン」

・一般市民のところで海外の同時代のことが起こった文化革命であって、「エロ、ゴロ、ナンセンス」と言う過度的な問題提起=ナンセンス。下からの起こった動向

 
 では、もう一つの1960年代の時代・文化ギャップとはどのようなものだったのでしょうか。
 
 上記の1920年代の大正デモクラシーは1930年代に入りますと、欧州が戦後復興すると同時に、日本の産業は行き詰まりの状況になって行きます。

 そのために、活路を求めて中国・東北部での軍部の突出した行動が始まります。
 そのことと平行し、自由な雰囲気から上からの統制の時代へと転換して行きます。

 また、資金需要をアメリカに求めていた日本は、1929年アメリカでニューヨーク株式市場の大暴落、経済恐慌が始まります。

 1932年には金融大恐慌へと突入し、日本はマスマス行き場を失い、1931年の満州事変から日中戦争へと踏み込んで行きます。

 1930年代から第2次世界大戦を挟んで、1950年代末までは、日本では思想的にも、大衆文化の上でも、実りのない時代、暗く・冷たい時代であった。

   それが一気に転換すすのは1950年代末から始まる「高度経済成長」です。

 1960年代に大正時代と同じほどの影響を持ったものは何か
 1950年代末
   ↓   高度成長期〜1920年に匹敵する大衆文化の激震、近代史上の2回目
   ↓   ・00教授曰く、弥生、鎌倉、1960年代、は日本歴史が根本的に変わった        、大断絶期
  
↓   
 ・
197273 何が変化したか
  ・郊外住宅、ベットタウンにそれに伴う鉄道網、道路公団、住宅公団、高速道路、     日本土地改造
  ・結果、風景が変わる、1964年新幹線、庶民の海外旅行=憧れはハワイ。原型が出来    たのが変貌の発端
 
 文化の話
 1975年に大学入学頃は →サザン・オールスタイル〜「勝手にシンドバット」
                   ユーミン〜あの日に帰りたい。アリス〜

→彼らのデヴュー(1975^7年)から30年、今も現役、現在の学生が聴いてもコンテンポラリー。
1975~77年が、20~30年前の音楽を聴けば、違和感を感じる=別の文化

1975~77に作り出した高度成長の文化は、今も同一文化圏。
 同一文化圏に違和感を覚えない。

  では、思想の世界はどのようであったか。 →二重構造であった

 それは伝統的な知識人・文化人、具体的には帝国大学の教授であり、例えば丸山真男、彼らはヨーロッパの文献・知識を紹介し、あるいはそこから持論を展開していた。

 即ちエリートと大衆(民衆)の二重構造であった。
 
 エリートは大衆(民衆)を引っ張ってゆく使命と役割を担っていた。 (かって、東南アジアの国のリーダー達のように、開発独裁的な存在であった。EX、インドネシアのスカルノ、シンガポールのリー・クワン・ユー)近代化のために民衆をひっぱて行く。

 が、高度成長を期にして、日本の思想の世界では丸山真男等に批判の声が上がった。
 それまでの近代化論に批判が起こった。 民衆の自立がエリートへの批判となって現れた。
 共産党においても前衛と言われるリーダーが革命を起し、民衆を引っ張ってゆくと言う考え方に自立した民衆が批判的となった。

 ここまで書きましたので、もう少し具体的なことを書きましょう。

 文学の世界では源氏鶏太、松本清張の文庫本が駅の売店に並びました。
 タブロイド版で「日刊ゲンダイ」、「夕刊フジ」が発売→サラリーマン文学、自己主張。



 以上のように、近代日本には2度の大きな時代ギャップがありました。 それは大衆、民衆の参加でした。

 そして、今、近代日本の第3回目の変化、転換の時にあると考えます。

 「NPO法人日本再生プログラム推進ファーラム」の代表理事に今回就任された藤原直哉さんはその事をこのように表現されておられます。

 『 私もこういう仕事をしていますからいろんな方にお目にかかりますが、どう見ても考えても、草の根のほうに元気で未来を創れる人がいます。

 これは決して判官贔屓ではありません。それは平成に入ってからどんどん明確になってきていて、今や本当に20世紀の常識で上層部に行けばいくほど抜け殻みたいな人が多
いのです。もちろん例外もありますが。

 これは天地返しの時代なのだろうなと私は感じています。有名人や目立つ人を引っ張りこんで一気に有名にする手はいくらでもありますが、そんなことをしても結局は草の根の元気で未来を創れる人が集えないのです。

 ここはとにかく、本当に天が未来を創ろうとしているなら、そういう人たちは必ず現れてくると思って、草の根のご縁のネットワークでみんなに声をかけていき、熱伝導の要領で日本再生への想いと行動を広げていくことが大切だと思っています。』



 皆さんどのようにお考えでしょうか。
 
 私は10数年前から「狼爺」と言われていました、今のような時代がクルクルと騒いでいたからです。

 数年前からは面と向かっては「狼爺」とは言われなくなりましたが(影では言っているかもしれませんが・・)、それよりは2年目のアメリカの「サブ・プライム問題」に端を発し、昨年の「リーマン・ショック」で一気に世界の様相は変化しました。


 あらゆる禁じ手を投入して何とか金融、経済の表面をつくろっていますが、所詮、時間の問題と考えています。

 そのように感じているならば、「お前は今何をしているのだ。何をしようとしているのだ。」と問いかけや、叱責を頂いています。

 こんなことをしていますと言えるほどのことは何もしていません。 このホームページに掲載しているような毎日「イイカゲン、修行僧」です。

 毎度のことながら、健康に留意し、少しでも「健康保険」を使わないようにすることと、身近で迷っている方、元気がない方とお会いしたら、一緒にお酒でも飲みましょうとお誘いすることぐらいしか出来ません。

 もう一つ「農業体験」をしませんかと声を掛けることにしています。

 本日は長くなりました。昨日までの大学の講義の活字化を残したままで、午前中が終わってしまいました。 

 




 COLUMN 1−D 1179  より

                                 平成21年12月5日・記

  こんな所からも、急速な時代の変化を感じました

 〜本日の午後は「現代中国の宗教」の勉強です〜



         20数年前から「電動ハブラシ」を愛用しています。

 12年前、離職した時に、前の歯科医に紹介してもらってかかり付けの歯医者を代えました。 それまでの歯科医が良かったとかの問題ではなく、当時は何処の歯科医も殆ど「電動ハブラシ」を推奨していなかったと思います。

 歯槽膿漏や歯周菌の予防や除去には「歯間ハブラシ」や「糸」での手当てを推奨していたと思います。

 軽い歯槽膿漏になったり、虫歯の詰め物が外れたりして通院していましたが、相変わらず「歯間ハブラシ」、「電動ハブラシ」、そして普通のハブラシを使用しています。

 そして、医師からは「加藤さんは上手に磨かれていますので、これなら80歳で自分の歯20本は間違いない」などと評価されています。

       昨日、詰めもが外れましたので、手当てに行きました。

 その折、受付の窓口に「超電動ハブラシ〜1分間に20000回〜」が販売されていました。

 受付女に「電動ハブラシはOKになったのですか」と尋ねると、明確な返事がありませんでした。

 「確か、かっては電動ハブラシは推奨製品ではなかったですよね」というと、後の席のご婦人が「そうですね。 使ってはダメ」と言われていましたと相槌です。

 そこで、私が「政権も変わったから、歯科医師会も自民党推薦から変更になっているようだし、推奨製品も代わったのかな・・」と笑って口にしましたら、他のお客様もニヤニヤとされておりました。

 歯科医師会のみならず、日本医師会もまた看護・介護師会も支持政党や推薦者を変更するような記事を目にしたことを思い出しました。

  
 以上のことは昨日のある一場面でしたが、その数時間後、大手の旅行会社の方との面談を側で聞いていながら、近時の旅行業界の大変さだけでなく、これまでの商いのやり方が通じなくなっていることを強く感じました。

 このようなことはどの業界でも起こっていることと思います。しかも、これまで大手、大企業といわれていたところほどこの時代の変化に対応するフットワークが鈍く・遅いように感じます。 それどころか、実施していることはリストラや事業所閉鎖などの後ろ向きなことばかりです。 これでは志気が上がりません。

 期待大きくスタートした民主党政権ですが、3ヶ月を過ぎて本当の覚悟と決断が求められているところにきました。

 残念ながら、政治家やその他のリーダーの問題ばかりではなく、国民全体も行くところまで行かないと、時代の転換、変換の時であると認識した新たな行動に移りかえれないように感じてなりません。

      かく言う、私自身はと、反省と自問をしています。


 〜本日の午後は「現代中国の宗教」の勉強です〜

  本日は「現代中国宗教の群像」と題された、中部大学・中国関係学科・開設記念シンポジュムに行きます。

 「中国がバブルだ」、「中国の発表する数値は信用出来ない」、「中国はそのうちに分裂する」などとさまざまに言われています。が一方「5年後には、世界NO1の国となる」とも言われています。

 春学期で「中国の宗教」の講義を受講しました。 中国と言うと儒教のことが直ぐに浮かびますが、あれは宗教ではないということは理解しました。

 「道教」が中国人の精神・心理の中に息づいているとも学びました。そのほか、民族毎の宗教の多彩さを通じて、中国の国の大きさと深さの一端を学びました。

 中国に文化革命とという、どう考えても後戻りの時代がありました(それは、その後の中国の為には必然、必要なことであったと認識するようになりましたが・・・)

 その終焉から改革開放政策、そして市場経済化政策により、かなりの伝統復興がなされ、とりわけ各所の宗教活動は革命前より活発になったと言います。

 これからの中国の行く末の勢いを知るのは、その背景にある人々の精神としての宗教活動の理解をしなければならないと考えます。

 日本にとって、これからも切っても切れない関係になってゆく中国の底力になっている宗教活動を学んできます。




COLUMN 2−N 308
                                平成21年11月30日 記

  「日米関係の現実」を言い当てた論評
 
 〜天木 直人さんのメルマガ第473号より


 以下は11月30日の「天木 直人さんのメールマガジン」からの転記です。

 私の感想などはありませんが、私が知らないこと、気付かなかったこと、なるほどと感じたことがたくさんありました。

 月当たり500円の有料マガジンですが、お読みでない方もあろうかと思い、掲載することとしました。

□■    天木直人のメールマガジン 2009年11月30日発行 第473号
■       
      ──────────────────────────────          はじめて目にする「日米関係の現実」を言い当てた論評

     ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
       日米関係は日本人にとって最重要な二国間関係だ。

 しかし、それをめぐる論評は、反米・嫌米であるか、親米・従米であるかの両極端に
わかれ、その中間がない。

 日米関係の現実を正しく言い当てた論評を私はついぞ目にすることがなかった。

 きょうの読売新聞を読むまでは。

 11月30日の読売新聞に池内恵(いけうち・さとし)東大准教授の「ワシントン報告」と
いうのがあった。

 彼は現在ワシントンDCのウッドロー・ウィルソン客員教授として米国に滞在し、オバマ政権の
対イスラム世界政策を研究しているという。

 その米国滞在で感じた事を書いている。その要旨は次の通りだ。

1.日米の政治的なコミュニケーションの経路は「ジャパン・ハンド」と呼ばれる、米国の少数の
日米関係専門家に過度に偏っている。

2.彼らが過度に発言力を持つ原因は、米側で日米関係への関心が薄く、日本の世論や政策決定と
実施の過程を読みこなせる人材が米側に育っていないことだ。

3.日本は(もはや)エリートが主導する社会ではなく、分厚い中間層の世論が政治を根底で規定する。
政策を「決定」するのは政治家や官僚だが、それを「実施」する過程は世論の支持なしには進まない
(この傾向は今後更に進む)。

4.米国では非西洋の諸地域を対象とする政治研究は、多くがその地域の出身者か移民の子孫によって
担われるが、日本研究に限っては日本出身者や日系米国人は中心ではない。

5.その理由は、一つは日系人が、不幸な日米間の過去のため、米国社会においてエスニックな集団
として政治力を求める機会を逸したこと。

6.もうひとつは、米国への移民、留学が進まなかったことである。留学しても永住せず、日本に帰って
就職するので、日本研究は日本の大学のほうが水準は高い。これは、優秀な学生が米国で自国を研究し、
米国で就職を目指す、多くの非西洋諸国の趨勢と対照的である。

7.しかし、これは本来の国民国家の姿である。自国(日本)の生活環境が快適で、治安がよく、
教育や就職に恵まれていたからだ(少なくともこれまでは)。

8.同様に、米国の対外政策で日本が軽視されるのも、(少なくとも戦後の)日本が脅威とならない
(迷惑をかけない)国だったからだ。

9・もし日本で核武装論が高まり、紛争やテロリズムが続発すれば、対日政策は米国の主要な課題となり、
日本の言語や社会や政治を(米国は)徹底的に理解しようとするだろう。もちろんこれは日米関係の
望ましい姿ではない(のだが・・・)

 まったくその通りであると私は思う。ここまで明快に日米関係の現実を言い当てたものを私は知らない。

 問題はこの冷徹な認識に立って、今後日本はどう対米関係を進めていくべきか、つまり正しい日米関係
はどうあるべきか、ということである。

 この点について池内氏は何も語っていない。

 唯一語っていることは、最後に書いている、日本が核武装国やテロ続発国などといったネガティブな
形で米国の関心を惹くような国になってはいけない、という事である。

 これは、「日本も北朝鮮のように核兵器保有国にならなければ世界から舐められる」と繰り返す、あの
田母神氏の言動を戒める、ものであること言うまでもない。

 しかし池内氏には、ポジティブな意味での日本関係のあり方、つまり正しい対米外交についてこそ、
この論説で語ってもらいたかった。

 それは何か。

 今こそ日本は世界最大の軍事国家であり戦争国家である米国から自立し、平和外交に徹する国に
なることだ。

 決して日米同盟重視をお経のように唱えて、対米従属を続ける事ではない。

 誰がどのような理由付けを行おうとも、これ以外に日本が目指す外交はない。

 この事が正しいと、皆が気づく時が必ず来る。


       __________________________________________           
   

COLUMN 2−N 307
                                平成21年11月9日 記

  「どのツラ下げて」 
 
 〜天木 直人さんのメルマガ第440号より


 私も日本シリーズの東京ドームに前米国大統領ブッシュ氏が来日し、始球式をするなどとは全く知らなかった。

    と同時に、場違いな登場人物が現われたものだと感じました。

 その事を取上げた「天木 直人」さんのメルマガを読みましたので、そのまま掲載します。
     ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 『この激しい言葉は私の言葉ではない。11月8日の東京新聞「本音のコラム」で、北海道大学教授の
山口二郎氏が、先日訪日したブッシュ米前大統領が始球式の場に出てきた時の事を形容して不快感を
示した言葉である。

 このブッシュ前大統領の訪日の不適切さ、場違いさ加減については、私もつとに書いて来た。

 私が初めてこの話を知ったのは、10月中旬に突然私の携帯電話にTBSから取材の電話がかかってきて、
コメントを求められた時であった。

 そんな馬鹿げた事があるのだろうか。今ごろになってブッシュ前大統領が日本に来て小泉元首相と
日本シリーズの始球式を楽しむ、それを世界が知る、そんな事は日本の恥ではないか。

 そう思っていたら、それが現実になった。

 しかし、私の場合、山口二郎教授のように怒りはしたが、その後、直ちにその怒りは他のところへ移った。

 こんな馬鹿な事をメディアはどう書くのか。メディアはどこまでこの馬鹿な事件の背景を我々に教えて
くれるのか。小泉元首相は果たしてどのように対応するのか。そっちの方に関心が移ったのである。

 そして私は今日まで、このブッシュ前大統領訪日の行動を伝える報道を、注意して見落とさないよう
フォローしてきた。

 不思議なほどに報道がない。

 確かに始球式を行ったという事だけは写真入りで報道はされた。しかしテレビも新聞もそれ以上の事は
一切報じていない。

 唯一産経新聞だけが11月5日の朝刊で早稲田大学で講演したという記事を載せていたが、それも
大リーグ・テキサスレンジャーズのオーナーを務めた経験を話すだけで政治や外交については一切語ることの
ない異例な講演だったと書いている。

 掲載された写真も、壇上で早稲田のチアガールに囲まれて笑っている、しまらない写真である。

 ブッシュ前大統領はかわいそうだ。恥をかかされに来たようなものだ。

 招待したのは誰だ。加藤良三プロ野球コミッシナー(前駐米大使)が声をかけたのはそうかも知れない。
しかし彼が招待するはずはない。彼はそんな金はない。

 今回のブッシュ訪日には多額の講演料と言う名目の謝金が払われているはずだ。スポンサーは他にいる。

 一体ブッシュ前大統領の二日間の日本滞在の内容は何か。始球式や早稲田の講演だけの為にわざわざ日本に
来るはずはないだろう。誰に会ってどんな話をしていて帰って行ったのか。

 日本だけを往復するはずはない。他のアジア諸国のどこに立ち寄ったのか。

 それらが一切報道されない。まるでメディアも関り合いを持ちたくないがごとくだ。

 私の勝手な推測はこうだ。

 今度のブッシュ大統領の訪日は政権交代前に招待され、合意されていたものに違いない。

 政権交代交替が起きていなければ、小泉元首相ももっと前面に出てお祭り騒ぎをするつもりだったの
かも知れない。

 ところが日本もチェンジした。とても騒ぐどころではない。さりとて中止するわけにもいかない。

 この際はむしろメディアに騒がれないようにして静かに帰ってもらおう、そういう事ではないのか。

 資金源は例の奥田碩氏が音頭をとって経団連企業の寄付から作った小泉元首相を名誉顧問とする
シンクタンクではないのか。

 そういう裏話を報じる情報さえ出てこない事が不思議だ。

 これから日刊ゲンダイやゴシップ雑誌がそれを教えてくれる事を私は期待している。


 〜マスメディアでは取上げられない情報がインターネットを通じてドンドンと提供される。
 気をつけないと悪意からの情報、嫌がらせ、偽情報とあらゆる物が錯綜して提供されるので、気をつけなければならない。

    私の場合、現在20数の有料、無料の情報を定期的に入手しています。

 マスメディアだけでは、いやマスメディアなればこそ恣意的に削除している情報を手にしなけばいけないとさえ考えています。

 しかし、そのうちのどれを・何を、正しい情報として取り入れるかは私自身の考え方、見方、価値観であり、当たり前のことですが責任は私自身に帰着すると戒めています。

 




COLUMN 2−N 306
                                平成21年10月28日 記

   『紙つぶて』   中日新聞  10月27日

 「成長は万能か」 三菱UFJ証券 水野 和夫



 『民主党政権に対して、成長戦略なるものが見えないとの批判が多い。
 それは近代社会がよって立つ基盤が揺らいでいなければ正しいが、21世紀のグローバル化はそれを突き崩している。

 世界の67億人が「成長」を目指すには地球は小さすぎる。 だとすれば、近代化の先頭を走る日本に課せられた課題は、「欲望の解放」から卒業し、地球の存続可能性を目標とすべきだ。

 「成長」と言う概念は古代・中世には無く、近代になって初めて意識されるようになった。
 「より遠くへ、より速く、より正確に」が望ましいとされ、これらを忠実に実行すれば経済が成長し、利潤を極大化することが出来た。

 その先進国の成長を裏側で支えたのが、化石燃料や食料など資源を安く提供してくれた資源国をはじめ途上国だった。

 「中核」(先進国)に奉仕する「辺境」(途上国)のおかげで、ただ同然の化石燃料を好きなだけ消費できたから、先進国は豊かな生活を享受できてきたのである。

 21世紀のグローバル化が従来と決定的に異なるのは、「辺境」であった途上国が「中核」の仲間入りを目指すことで、世界は人類史上初めて「辺境」を消滅させるプロセスに入ったことにある。

 400年かけて豊かになった10億人の先進国に対し、40億人の新興国の人々は1,2世代で豊かになれると期待する。

 地球の永続性を考慮すれば、日本がまず脱近代化することだ。』



〜 言葉の上では「静かで、穏やか、やさしい低エネルギーの社会・生活を目指す」などと口にしてきたし、書いても来ました。

 本日、改めて人様が書かれた一文(紙つぶて)を読み、その通りだと認識すると同時に、では私はどのような日々の行動をしているのだろうかと振り返ることとなった。

 かって、「加藤さんは、低エネルギーの社会と言うが、どの辺りの生活レベルを考えているのか」と問われたことがありました。

 そのときの私の答えは「昭和40年代前半です」と答えました。 その年・昭和40年は私が社会に巣立った時のことを思い出していたからです。

 鳩山首相の言うCO2の削減目標25%に合致、あるいは及第する排出量なのかどうかは分かりませんが、決して物質的に貧しいとは考えていませんでした。

 但し、上昇志向に対しては、夢も希望もありましたし、努力すれば実現可能性があると前向きな精神状態でありました。 求めていたものは物的・金銭的でしたが・・・

 さて、「静かで、穏やかで、やさしい低エネルギー社会・生活」と言った時、年齢からくることなのでしょうか、何か実現可能な気がしないでもありません。

 毎朝の礼拝のとき大声で読み上げる祝詞や心構えの中に色々なご指導・ご教示の数々があります。

 「感謝と反省」です。 自分に降りかかる一切の事柄は、素直に受け入れよ。  そのほか 肉類は出来るだけ避け、野菜とご飯が中心。 素直な心で神仏に対せよ。
 整理整頓、掃除を心掛ける。良いと思ったら直ぐに行い、悪いと思ったら直ぐに止める。等々です。

 それらの心がけと行動が低エネルギー社会や生活とはいえませんが、少なくとも一日の始まりが、「心静かで、穏やかで、やさしい気持ち」でスタート出来ることは確かです。

   順番が狂ったり、詰まったりしている時は、集中心の不足です。
       「それもよし」と苦笑いして、朝の食卓につきます。

   ものの見方、考え方、感じ方、これまでの価値観・こだわりからの脱皮でしょうか。


COLUMN 2−N 305
                                平成21年10月17日 記

       今週の言葉    中村薫

  〜中日新聞 10月17日、朝刊より〜


 
  「汝いのちの寿命はいくばくぞ。 阿吽の呼吸の間でございます・
                                     「四十ニ章経」

 
お釈迦様がお弟子に質問された。
                        「汝はどれだけ生きられると思うか」。


 最初の弟子は1週間は大丈夫でしょうと答えた。 汝は分かっていない。

 二番目のお弟子が今日一日は大丈夫でしょうと答えた。汝も分かっていない。

 三番目のお弟子は「阿吽の呼吸の間です」と答えた。
              すると、お釈迦様は「その通りだ」と言われた。

 仏教ではいのちを呼吸死と見ている。 我々のいのちの保証は、吐く息・吸う息のどちらかが途切れた時に終わる。 一瞬である。

 今日、臓器移植法では、脳死は死であると法制化された。
 仏教では脳死は死ではない。心拍停止を肉体の死と見ている。極めて常識的である。

 ただ、臓器移植の一点で「脳死は死」としているのである。

 将来に禍根を残さないか心配である。



 〜さて、私にこの質問をされたらなんと答えていただろうと考えた。

 「行けるところまで・・」と答えるのかなと考えた。 

 では「行けるところまでとは、何処までか」と問われたら、「分かりません、お任せしています」とでも答えることだろう。

 今は体調も良く、毎日を楽しく過ごさせていただいているから、そんな答え方をするのであろうが、これが体調不良や心配事・不安なことなどがあったらな、なんと答えるのであろうか。

 できるかどうかはまったく自信やそれに見合う修養をしている訳ではないが、死に際は「ありがとう、それでは皆さん、サヨウナラ」と言って、息を引き取りたいと願っている。
 
 口悪友人が「七転八倒し、”マダマダ・生きたいのじゃ”とのた打ち回るのではない」と言っていたが、それを否定するものは何も無い。

 今年は10月中旬になったが(ここ数年は敬老の日前後に書き改めていた)『終末治療の中止を求める意思表明書」に、日付を書き足し、署名・捺印しました。

 合わせて、葬儀のこと、墓のことの手順と要望書も添えました。

       たった、これだけのことですが、なぜか気分がスッキリします。

       後は、「阿吽の呼吸の間」を待てばよいのですが・・・

    あれもしたい、これもしたい、あれは飲んでおきたい、と湧いてきます。
 



COLUMN 2−N 304
                                平成21年8月26日 記

  藤原 直弥 の「ワールドレポート」より
    今回の衆議院選挙について
               〜NO688, 8月26日〜


 抜書きします

 『昭和のバブル崩壊から20年かかって日本人が本音で明確な意思を国民全体として表明した最初の本格的な選挙だということであり、それは20世紀型社会というか明治政府以

 来の中央集権国家が、本格的な21世紀型社会というか分権化されて多様性を包含した新しい国家への大きく変わって行く出発点になる選挙だと言うことです。


 そして、それは日本に遅れて次々にバブルが崩壊して混乱が広がっていく諸外国もやがて追随してくる方向だと考えられますから、今年の日本は図らずも本格的な21世紀世界の扉を自ら先頭を切って押し開いたということになるのだと思います。

 中略
 「中央から地方」、「経済から生活」、「成長から成熟」、「生産から循環」、「自分の為から世のため・人の為」とバブル崩壊後の日本人の心境の変化を言葉によって知ることが出来ます。

 民主党は生活を第一に守り、弱者を助ける政策を掲げています。 これまでの自民党の経済優先・弱者切捨ての政策とは異なる政策です。

 経済についても「道徳ある経済」という言葉が聞かれます。

 中略
 小泉・竹中改革を進めてきた経団連系の大企業のやりたい放題をやってきた大手金融機関、あるいは政府に寄生して甘い汁を吸い続けている組織は存立の余地がなくなるということです。

 中略
 「道徳ある経済」、振り返ってみれば渋沢栄一の時代もまず、民間で銀行を作りました。
 それから産業を育成しました。 さらにそうした動きを国家として統合させていった。

 単に目の前の利益だけで動く意識の低い商人や職人がどれ程集まっても決して出来なかったことであり、世のため・人のためを最初に考える武士の魂を持った人が主導権を握ったからこそ出来たことなのです。

 当時はお雇い外国人がたくさん日本にいましたが、それは日本人が外人を雇っていたのであって、今のように外人に日本人が雇われていたのではないのです。

 何か新しい日本が今回の選挙から始まりそうな予感がします。



 〜藤原さんのレポートを読んでいると、既に選挙結果後の日本の進路、そして方針・政策を具体的にイメージしておられるように感じます。 

 月に一度お会いさせていただき、そのときはお酒を飲んで楽しいひと時を過ごすだけですが、一言・二言の会話の中からどのように考え、どのような施策を秘めておられるかの一端は感じさせていただいています。

 ここ数ヶ月前までは、慌てずに時の来るのを待っているという感じでした。

 いよいよ、時節到来です。 と言って、勇んで足早に前進するにのみを言うわけにはいかないでしょう。

 まずは、今の日本がどのような状態、状況になっているかの実態を可能な限り国民に
知らしめることでしょう。

 そして、認識会わせ、意識あわせをする必要があると思います。

 新たな時代の創出の時と場面に立っていられることに感謝し、歩んでゆきたいものです。

COLUMN 2−N 303
                                平成21年4月9日 記

  シニア・ライフを生きる法   養老 孟司さん

        〜中日新聞・夕刊 より〜



 要約

 人間は社会的動物ですから、全く孤独では人生に意味がない。 歳をとって元気で過ごせるのは第1の関門は、家族を含めて、世の中との繋がりだと思う。

 長生きの家系は長生きだと言うことは、たいていの人は知っているはずです。
 歳をとれば、身体の具合がどこか悪いのは当然です。 それを断固治そうとする人もいるが、むしろ適当に折り合いをつけることが大切ではないでしょうか。

 @丁寧に身体の面倒を見ながら、ヨタヨタ10年長生きするのと、A気にせず元気に動き回って、気がついたら死んでいたというのと、どちらがいいかといえば、後者をとります。

 私は定年前に勤めをやめました。 その後は余程の用件のない限り、元の勤務先には行ったことはない。 あれは前世だったと思っている。
 そこまで極端に思う人は少ないでしょうが、でも切る時は切らないと、まさに未練が残ります。
 西行は妻子を縁側から蹴落として出家したと言う話があります。
 多分、この話はウソでしょうが、そのくらいの気持ちがないといけないよと、昔の人は言いたかったことでしょう。

 昔と今は違うと言うが、それは人生に対するたいていの人の<いいわけ>です。

 私はそうは思いません。 時代を経たら、人間が利口になるなんて証拠はない。
 
 たまには昔の人の生き方を本気でたどってみたらどうでしょうか。


 〜この切抜きは1週間以上前だったと思います。 切抜きの何処にも日付が書かれていないので分りません。 兎に角、1週間は残してありました。

 私の理想も多くの方が望まれるように「ピンピン・コロり」です。 この点に関しては、「親父の死に際」に立ち会いましたから、なおさらその気持ちが強いのです。

 死に際の一言は「有難う、それでは皆さん、サヨウナラ」と決めています。 
 これは親父の「それでは皆さんサヨウナラ」の一言に「有難う」を付け加えています。

 こればかりは出来るのかどうか予測も自信もありませんが、毎日強く念じています。

 養老先生は退職後、余程のことがない限り昔の勤務先には行ったことがないと言われていますが、私も同様です。

 OB/OG会には福祉面で有利なことがあります入会しています。
 (EX、自動車保険は自動引き落としで、しかも割引率が高い。とか、火災保険、医療保険等でも便宜が図られている等です)

 一年に1回ある総会とか、懇親旅行、ゴルフの会には、これまでのところ一度も出席しておりません。 偶然、お会いすることや関係した方々との会に出かけることはありますが、昔話に終始することについていけません。 と言うか、面白くないからです。

 特に、このようなご時勢になっては、昔話どころではないと感じ・考えているからです。
 ここから、一山、二山の修行人生と思っていますので・・・。





 COLUMN 2−N 302
                                平成21年3月18日 記

  マンガ家「北見 けんいちさん」の"この道

  〜中日新聞 夕刊 "連載、この道”より〜


  北見けんいち(きたみ−、本名、北見健一(きたみ けんいち)、1940年12月11日 - )は、日本漫画家満州新京出身。代表作に『釣りバカ日誌』。多摩美術大学付属芸術学園卒業。

 1964年に、赤塚不二夫のアシスタントとしてフジオ・プロダクション入り、1979年少年キングにて、『どじょっこふなっこ』でデビュー。

 2008年8月2日に死去した師:赤塚不二夫の葬儀ではフジオプロでの兄弟弟子であった古谷三敏高井研一郎と共に三人で弔辞を読んだ。
 また、8月25日発売のビッグコミックで自身が連載している『北見けんいちの昭和トラベラー』にて、1963年頃のフジオプロの風景を描いて、師:赤塚不二夫へのオマージュとしていた。
 第28回(1982年度)小学館漫画賞受賞(『釣りバカ日誌』)。
 第18回(1989年度)日本漫画家協会賞優秀賞(『焼けあとの元気くん』)

                     

               

        ↑ 現在、中日新聞の夕刊 連載中の”この道”のタイトル画

 3月17日第14回にこのような記述があった。

 『昭和28年テレビの本格放送が始まった年です。 でも、うちにはテレビはなかった。
 大卒初任給が1万円もいかない時代に受像機が20万円もしたんですから、手が出ませんよね。

 (中略)
 当時の中学は校舎建設が追いつかなかったのか、一クラスの生徒数がやたらに多くて、僕のクラスは63人でした。 他のクラスも同じくらいで、それが9学級だたら一学年で500人以上。
 机が教室にやっと入るという、今じゃかんがえられないキュー詰めです。

 赤羽中学は、夜は定時制高校に切り替わったんです。 』

〜特に変わったことが書かれていたわけではありませんが、昭和29年、一学年30数人の豊根村・黒川小学校から豊橋市内中心部の豊城中学に入学した私は、驚いてしまいました。
 
 北見さんほどではありませんでしたが、一クラスが55人で確か11学級ありましたから、一学年600人以上です。

 しかも、校舎は旧陸軍豊橋18歩兵連隊の兵舎でした。 日本経済にユトリがなく、何処もすし詰め教室だったのだと、改めて知ることと成りました。

 私はその豊城中学を卒業後、夜には夜間高校となる豊橋市立高校に通学しましたから、7年間同じ校舎に通ったことと成ります。

 これだけのことですが、中日新聞に毎日曜日長い間、連載されていたマンガを愛読していました北見さんの”この道”を懐かしく今度は毎夕楽しみに読ませていただいています。



 COLUMN 2−N 301
                                平成21年3月17日 記

  詐欺事件にみる米国の本質

 〜牛乃宮ウイークリー No727より〜 


 『前のナスダックの証券取引所の理事長にして金融取引の専門家というマドフは、1980年当初より運用会社を設立し、ネズミ講よろしく、年間10%〜15%の運用利回りを長年示し、預けられた資金を配当としながら総額15兆円の講を作り上げた。

 昨年10月のニューヨークの株の暴落で、解約を迫る投資家の要求に応じられず、12月に破綻。 
 12月末の顧客に送った預かり資金は約6兆円があることになっていたが、1千億円の資金しかなく、過去13年間ほどは一切株式運用や証券運用をせずにいた事実が明らかとなった。 (中略)

 このファンドには野村証券も、世界の名だたる証券やファンドや有名人が投資している。
 (中略)
 事件の内容が解明されると詐欺事件が世界的なプロの間で堂々とまかり通ったことに驚き、感動せざるを得ない。
 死人もなく、ただ金持ちの資産が減少しただけ。 (中略)
 
 時代が大きく変わるとき、この種の詐欺やこっけいな破廉恥事件は出てくる。(中略)

 直近のこの2~3年投資家になった人々は全てを失い、古い投資家は、資産を何倍にもしているようだ。
 嘘に乗る勇気と最初に乗った決断は英断であろう。 (中略)

 事実は小説よりも奇なり。 まさにこのことであろう。
 世の名声、富、権力、それが10〜15%の運用利回りでつくられた米国社会の面白い話に、僕はなんだか腹の底から笑いたい気分でいる。』

 

〜また、同じ紙面で著者・松藤さんはこのようなことも言っている。
 
 『これから始まる恐慌がいかに巨大で冷酷か確認することになる。
 1、エクセレントカンパニーが潰れる
 2、世の中の価値観が変更する
 3、新しいリーダーと新しい覇権が登場。まだ、見たこともない新しい事件が始まる」と

 〜さて、私がなぜこのウィークリーを取り上げたか。
 一つのは、「世の中の価値観が変わる」、「新しいリーダーが登場する」、まだ、「見たこともない新しい事件が始まる」。と言うことに肯けるからです。

 今、一つは少しばかり著者・松藤さんのここ15年ほどの言動と行動をウォッチしているからです。
 昨年から今年にかけて6冊の新刊書を世に出した。 週刊誌の宣伝文にも大きく取り上げられていました。

 10年前頃までは、志を持ちながらなかなか思うようには捗っていなかった。 恐慌が来る、時代は繰り返す、そのときは金だ、金鉱だと言っていたことが、ここに来て花が咲き始めたようだ。

 彼が大法螺を吹き、寄せ集めた資金はマドフ氏には遠く及ばないが、今のところ嘘にはならなかった。 高値掴みをしてホゾを噛んでいる方も居られるようだが・・・

 さて、ここからだ。彼が新しい価値観を示し、新しいリーダーのひとりとなってくれたら、片隅で眺めていたファンの一人として嬉しいのだが・・・。
 


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