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 COLUMN 2−N 320

                         平成23年5月18日
 記

    ”時のおもり”   中日新聞5月18日・朝刊

   〜≪
成長路線からの撤退の好機≫〜

        総合研修大学院大教授 池内 了



 以下は、池内教授の論文からの引用文です。

 「浜岡原発が停止となれば、すぐに夏場の電力不足がうんぬんされるが、私はこの際日本中で20%位の節電を行うべきだと考えている。

 国民全体が東北で被災された人々と苦難を共にするとともに、私たちのエネルギー使い過ぎの体質を考え直す好機にするという意味もある。

 今や一部屋に一台のクーラーが当たり前だが、20年前は一家に一台であった。 あの時代は貧しかったのであろうか。

 むしろ、家族が居間に揃ってクーラーの恩恵を受け、団欒の良い機会になっていたのではないか。

 私達は便利さと安逸さとを引き換えにして、危険な原発と共存することになってしまった 

 それでは日本の経済は失速してしまうと懸念される人もおられるかもしれない。
 しかし、そろそろGDP(国内総生産)信仰の成長路線から撤退すべきではないだろうか。
 
 私たちはつま先立って小走りに進むことばかりに懸命であった。
 しかし、永遠の成長はなく、どこかで打ち止めにしなければならないのは確実である。

     その意味で、今日本は重要な選択期に遭遇している。

 危険と隣り合わせで、なおかつ成長路線を追い求めるのか、身の丈にあった経済規模を維持して其れに見合ったつつましい生活を送るかである。

 私は浜岡原発の永久停止こそ、先見の明ある賢明な選択であったと子孫から言われると信じている。


          以上で、引用文終わり。

 〜私はこのコラムでも何度か取り上げてきました「MORE&MOREの終焉」(難波田 春夫)の書に昭和50年に出会いました。

 それは昭和48年のオイルショック後のことでした。 衝撃を受け、心に受けとめ、また日々の営業活動に矛盾を感じながらも負けたくない、もっと豊かになりたいの気持が勝り、走り続けました。

 その後のことはコラム1−D 「一事が万事、万事が凡事」のNO1589(平成23年4月26日)に掲載しました。

 そして、本日池内教授の文面に出会い、賛同の意味を込めてここに取り上げさせていただきました。

 付け加えるならば、物的なMORE&MOREには限界があるでしょうが、質的なMORE&MOREは無限ではないかと思います。

 私にとっては全く筋違いな分野ですが、文化活動、芸術活動などは国宝と言われる方々や其の道を極められた方の発言を聞いておりましても、極めても極めてもその先があると発言されておられます。

 そこまで行かなくても、今週遠山郷で「ロケット・ストーブ」の制作をしました。 費用は安価で材料はリサイクル、しかも低燃費ですが、燃費は十分。

 その経済効果のみでなく、その間に参加した仲間、地元の方を交えた交流が実に有意義で楽しいものでした。

 このような楽しみ方やそれを活かした生き方など、忘れられているモノや事柄が身近にあるのではないかと考えています。


        

            ↑これなども、その一つでしょうか。




 COLUMN 2−N 319

                         平成23年5月7日
 記

    ”日替わりバー”   作家・長嶋  有

   中日新聞4月27日「紙つぶて」 夕刊 より



   以下、長嶋さんの引用文です。

 『ネットで知り合った青年S君は、原宿でバーをやっているという。

 都心でバーを開店するだなんて、支度金からしては大変なのではないかと思ったが、もうすぐ取り壊す予定の、古い雑居ビル内の3坪のバーを友人数人で、交代で開く形式だそうだ。

 誰も都合がつかない時には閉店。 開店予告はネットに載せるだけ。

 新宿ゴールデン街の飲み屋で同様な店が増えている。
 レンタルやルームシェアといった考えが、店舗経営にも更に浸透しているようだ。

          (中略)
 S君が面白そうな人とだったので、行ってみますとメールした後で、そんなことを言った自分に怯む。
 大勢でバーを経営すること以前に、一人でバーに行くことも苦手なのに。
 
     編集長を誘って恐る恐る伺うと、大歓迎されて恐縮。

 飲んでいると、次々にS君の友人がやってくる。 告知を見て、様々な職種の知り合いがバラバラのタイミングで集う。

 不思議な感慨がある。 小さなバーが、友人が現れる装置のようだ。

 S君だって昼はバリバリ働いていて、ここで真剣な道楽をしている。
 地味だが、新しい価値観を見せられた気がする』


    以上、引用文

〜10日ほど前に晩酌をやりながら切り抜きをしたものが食卓の隅から出てきました。

 本日は「波動の会」で名古屋に行きますので、話題の一つにでもなるかなと切り抜いておいたものです。

 そうばかりではなく、もう30年ほど前から、いつかはどこかで気楽なカウンター・バーを開店したいものだと持っていましたから・・・

 そのバーには仕事に疲れてしまった人、失恋した人、事業に失敗した人達がお客さん。
 
 私のイメージの中にはは「マ〜そう言わず、考えず、悩まず、一杯飲め」と奢りのビール、焼酎をすすめている光景があったのです。

 勧めるだけなら良いのですが、自分でお先に頂き「開店休業」と言うことになりそうだなと想像し苦笑しています。

 が、やはり変革の時代このようなお店、場所があっても良いのではと・・・
 


 COLUMN 2−N 318

                         平成23年5月7日
 記

  ”思うままに”     大震災を考える(四)

   中日新聞5月2日 夕刊 梅原 猛
 



  以下は梅原さんの文面引用

 「 確かに私は1996年にこの欄で、原発は30年かけて廃止すべきであると論じ、1999年と2002年に同様な主張を続けた。
 
 とすれば、今回の事故で不幸にして私の預言は的中し、私には先見の明があったということになるが、私はそれをある種の深い自省の心で振り替えざるを得ないのである。

 なぜならば、これまでこの欄でそのような主張をしたものの、原発に関して賛成および反対の専門学者達の論をもほとんど読まず、首尾一貫した一つの論をまとめることをしなかった。
 
 それ故に私の筆はいま一つ迫力に欠けていたと思われるが、原因はそれだけではない。

 私は東京電力の社長、会長を務め、経団連の会長も務められた故平岩外四氏と同郷であり、かなり親しかった。
 平岩氏は教養豊かで見識もある立派な実業家であったことは疑いもない。
 また、私が初代所長を務めた国際日本文化研究センターを援助する国際日本文化研究交流財団の理事長に関西電力の社長、会長を務められた小林庄一郎氏が就任してくださった。
 小林氏はこの財団の設立に献身的と言うべき貢献をされた。

         (中略)
 この平岩氏と小林氏のことを考えると、私の反原発の筆は鈍らざるを得なかったが、今はそれを後悔している。

 たしかに東電や関電は超優良企業であった。 それは普通の企業のように競争相手がなく、経営は全く安定しているかのように思われた。

 しかしこのような超優良企業が平成23年3月11日の大震災によって一日にして経営難に浸りかねない企業に転落したのである。

 『平家物語』が語る、全盛を誇った平家のわずか数年での没落よりもはるかに速い転落である。
        (中略)
 東電は日本政府と共に原発の安全性を口を極めて宣伝してきた。
 それゆえに原発事故はたしかに天災ではなく人災である。

 東電の幹部が土下座して被災者に詫びるのは当然であるが、100%人災と言えないのである。

 原発は日本以外の先進国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどでも必要欠くべからざるエネルギー源として採用されていることから考えると、今回の災害は人災であるとともに文明災であるといわねばならない』

  以上で引用終了

       〜梅原さんの真摯な反省に清さを感じた。 

 と言うのも、このところの政治家、官僚、財界、そして学界、マス・メデイアの発言、行動に大いなる不信感を抱いているからです。

 理論整然と解説し説明していた学者が「御用学者」と言われるところの意味が良くわかる近頃です。

 それ故に、哲学者・梅原猛氏がこれまでの自己の発言・行動を自戒しこのような論を発表してくれたことに不信感で固まりそうなところを少しは穏やかにしてくれます。

 梅原氏は西洋哲学、西洋文明に否定的な発言・姿勢を示してこられた。

 中日新聞の連載している『思うままに』で、縄文文化、日本人の精神を根底とした新しい哲学を最後の仕事として成し遂げたいと書かれていた。

 今回の東日本震災復興構想会議の顧問にも就任されておられる、震災復興の構想は未来の日本の姿、ビジョンを示すものであることを期待したい。






 COLUMN 2−N 317

                         平成23年4月26日
 記

  ”思うままに”     大震災を考える(三)

   中日新聞4月25日 夕刊 梅原 猛
 



  以下、引用文です

私はこの「思うままに」という連載エッセーを1992年から続けていますが、これまでに三度にわたって原発について論じている。 中略

 この3つのエッセにおける主張はほぼ同じであるが、ここでは1度目(1996年8月)の一部を引用することにしましょう。

 ≪〈原発は段階的に廃止されるべきものであると思う。 なぜかといえば、それは危険なばかりか、その廃棄物は少なくとも今の科学の発展段階では、現在及び未来の人類の生存に対して脅威を与えるからである。(中略)

 代替エネルギーの問題が起こっているが、一つは消費を抑え、一つは原発に代わるエネルギ源を開発すべきであると思う。

 私は、大量生産、大量消費のこの文明の性格を改めない限り、人類の末長い繁栄はあり得ないと思う。

 それにはまずエネルギー消費を抑えることが先決問題である。 今はむしろエネルギー消費が資本主義経済を活発にするものであるとして奨励されているが、それでは人間は自ら自分の首を絞めているようなものである。
 エネルギーの節約は先ず電力から行われなければならない。
 今の日本には無用と思われる電力消費が多くある。

 東京の街の夜の明かるさは今の五分の一であっても、街の品位と安全は保たれると思う。

 かつて石油危機に、国も、地方自治体も、企業も、エネルギーの無駄使いをなくそうと努力して効果を上げたが、そういう倹約の風習はバブル経済謳歌の時代にすっかり失われてしまった。

 このように消費を出来るだけ減らすとともに、原発に代わるエネルギーを開発しなければならないが、石炭は環境破壊がひどく、石油もあと50年くらいしかもたないとしたなら、残るところは太陽熱の利用である。

 太陽熱はまだ無限であり、しかも産業廃棄物も伴わない。 このエネルギーを開発すべきと思うが、今のところその技術はコストが高く実益が少なく、あまり相手にされない。

 しかし、これは必要が乏しいゆえに、まだその技術が十分に開発されていないというのが実態であろう。

 しかし、21世紀になると、もう石油はほとんどなくなり、原子力も危険となると、太陽熱に頼るより仕方がなくなる。

 必要は発明の母と言うように、私はこの太陽熱のエネルギー化に偉大な技術革新が起こるに違いないと思う。

 この研究を続け、今の電力のいくらかを太陽熱発電に置き換えることによって原発を徐々に減らし、30年後には全廃出来ればと願う〉


 福島原発の大事故が起こった現在においても、私の主張は変わっていない。
 もしあの時、30年かけて原発を漸次的に廃止するという私の提案が採用されていたならば、あるいは福島原発が廃止され、今回の原発事故は起こらなかったのではないかと思う。


 以上、引用文でした

 〜特に、私のコメントはありません。

  昨日コラム 1ーD NO1589に書いたことが、過去における私の行動であり、反省であります。 そして、その後現在に至る姿です。



 COLUMN 2−N 316

                         平成23年1月13日
 記

  ”真の「開国」”    内橋 克人
     中日新聞 夕刊 「紙つぶて」より


   タイガーマスク(伊達 直人)全国に現れる



    以下の内容が内橋さんが書かれた内容の一部です。

 『ケニアでは治療費が払えないために医療から見捨てられ、亡くなっていく子供たちが後を絶たない。 子供を救う為に何ができるのか。

 一人の日本人が医療支援の仕組みをつくった。
 日本からの支援者とケニアの子供一人ひとりをインターネットで結ぶ。
 
 日本の支援者が月千円を拠出すると、ケニアの子供たちに15歳まで有効の「無料診察券」が届く。

 支援者はチャイルドドクターと呼ばれる。 慶応大で「特別公開授業」を開いたところ、たちまちチャイルドドクター志望の学生が千人が殺到した。

 いまも支援団体の結成が続く・・・。
 
  NHK・BS1.『地球ドキュメント ミッション」に私は魅せられている。
   
 (中略)


      続いて、カンボジアの無医村からのことが紹介されている。

 番組放送から半年後、現地で額を寄せあう視聴者だった日本人医師、薬剤師たちの姿があった。

 番組が善意を呼び、善意が次の番組を生むのだ。
 
    真の「開国」とは何か、彼らの行動が教えてくれる。




 このところテレビ、新聞をにぎわしている報道に「タイガーマスク」があります。   一人の方の行為が全国に伝播しています。
 
 本日の中日新聞・夕刊には「タイガー前からも匿名の「善意」が20年間も続けられているとの報道が掲載されていました。

 権力や金の時代の行きづまりの中、新しい流れが散見されます。

 ところで自分はと考え、何時もは床に就く時間ですが、入力しました。



 COLUMN 2−N 315
                             平成23年1月7日
 記

    掲載されていなかったNO312〜314


  けさの言葉  岡井 隆
        中日新聞 1月7日 朝刊より



 久しぶりにこのコーナーにアクセスしたら、

 NO312、平成22年1月26日付け「牛の宮ウイークリーNO763を読んで
 〜父親の心情・愛情そして勇気を感じた〜」

 NO313、平成22年3月05日付け「けさの言葉 岡井 隆 〜世紀の変わり目に、しゃがみ込んでいるよりは〜

 NO314 、平成22年4月02日付け「けさの言葉 〜・・」

 が掲載されていないことに気づきました。

 タイトルだけは記録してある用紙が有りましたので分かりましたが、1年前のことですので内容までは思い出せません。

 No312は少しばかり思い出せます。がそれ以上のことではありません。


 では、本日の「けさの言葉 岡井 隆

 ”本当に明らかな道は暗いように見え、
    本当に進んでゆく道は 退いているように見え、
     
       本当に平らかな道は でこぼこしているように見える。”
  
          『老子 』   (蜂屋 邦彦訳注)

 暗い道には入りたくない。 後退はしたくない。
                        凸凹の道は避けたいと思う。

 だが、意外にそういう道こそ本当は平明で先方へと導く道だったりする。

 一歩踏み出してみないか。 『老子』の「道」を、あえてこう解しても悪くは  あるまい。



〜前にも書いたことがありますが、和室の床の間には、平成15(2003)年12月30日から平成16年1月5日まで、中国杭州、上海へ船旅した時に購入した掛け軸があります。

     其の掛け軸には唯一文字「道」と書かれています。
 
 掛け軸は数本しかありませんが、この「道」の掛け軸が気に入っており、7年に渡り・年がら年中この掛け軸ばかりです。

 極めてみたい道があるわけでもなく、唯々、日々出会う全ての事柄が修行であると思っています。

 と言うものの、欲は深く、我は強く、出来るとこなら今少し楽しく・面白く・美味しい道はないものかとキョロキョロしています。

 意識して撰び、肉体的にも精神的にも厳しい山の修行(荒行)など、滅相もないことです。
 
 が、目先が暗く感じたり、後ろを振り返ったり、凸凹道に足を取られることがあった時には、必要にして・必然なりとその道を歩みます。



 COLUMN 2−N No311
                              平成22年1月15日 記

    けさのことば     岡井 隆
         中日新聞 1月15日 朝刊より
 

 〜私の葬式について (遺言書に記してある)〜


 

 葬式は単純なるをよしとす。 葬式は単純なるだけ それだけ荘厳なり。
        
                「内村鑑三所感集」 (鈴木
  俊郎編)
 

明治時代のキリスト教の指導者鑑三には、葬式や結婚式や洗礼などで必要以上に「荘厳を装う」例が多くみられたのだろう。

 葬式の「証人は神と天然と少数の友人にて足れリ」と言っている。

 「天然」とは自然環境のこと。 美しい野原で行なわれる「単純」で心のこもった葬式が想像される。



〜私の葬式については既に遺言状に書いてあります。(既に日記に書きました) 

 内村鑑三を引き合いに出すまでも無く、「荘厳」さなど、全く気遣う心配など無い生い立ち、経歴、身分、立場であすが、親族や少しばかりの知人・友人に少しでもご迷惑のかからないようにと思って遺言状に書いた積りです。

 書かれていることは世間一般の葬式などは考えていませんので、かえって後日気を使わせることになるのかとも心配しています。

 が、既に女房と息子にはその辺のことは気遣うようにと申し伝えてありますので良いとは思っていますが、なにぶん当人はどうしようもなく、あずかり出来ない状況でのことですのでどのようになりますことやら・・・・

             どうぞ、その節はよろしくお願いします。


  追記
 私、TWITTER=ツイッターを始めました。
 アドレスはhttp://twitter/k_taiki  です。 始めたばかりで、上手くいきませんが、双方向のコミュニケーションのは向いていると思います。

 貴方様も登録されたら如何でしょうか。

  
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