エッセイB−01 政治・経済・社会について
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 COLUMN 1−D  NO606
                              平成18年10月7日 記

     築水池の水が空になりました
 〜ブラック・バスが横たわっていました〜

 
 このコラムで「築水池」の光景や風景は何度も登場しています。
 この3週間の間にも2回登場しました。 「コラム1−D NO596 ”チョット調子にに乗りすぎではないですか?〜築水池の水面をながめながら〜」と題して、ユーラシア大陸から、アメリカの覇権が弱まり、追い出されてゆくのではないか? 同時にアングロサクソンの英米の支配する時代が終焉に向かっているのでは、などと書きました。

 「コラム1−D NO604 では、「築水池の底に沈んだ乗用車を思い浮かべながら」と題して、春日井周辺の廃棄物処理場のことや、地球が泣いていると書きました。

 そして、本日です。その築水池の水がとうとう底を付きました。 農業用水、特に水田用の溜池ですので、既に水が必要な時は過ぎ、稲刈りが始まっていますので、多分何年かぶりの池の大ざらえなのでしょう。
 滅多に見れる光景ではありませんので、紹介しましょう。

      
      15メートルの上から撮影           底から2メートルのところから
 
 まだ水が残っているように見えますが、ドロドロの沼地だ反射しているだけです。
              
   水位を調整しながら流す装置です       池の最深部の通水路です。

 ドロドロの沼地と表現しましたが、足を滑らしたら大変です。 多分50Cmは沈み込むことでしょう。 慎重にカメラを向けていたときに、バシャバシャという音がしました。
 右の写真、通水路に流れ込む最後の3〜40センチメートルの泥水の中を、背びれを水面上に出して、登ってゆく魚を発見しました。

            
                 この水路です。
 良く目を凝らして眺めてみましたら、その姿からして、鯉ではありません。時折釣り糸をたれている方たちを見受けましたが、「ブッラク・バス」のようです。
   
       
        ブラック・バスの死骸       ブラック・バスがのたくいるドロ穴

 大きいものは5〜60センチメートルもあり、目測で数えてみますと3〜40匹の数です。 右の写真は水路から離れてしまったために、ドロ地でバシャバシャとのたうって穴が開き、そこで横になって息をしています。

 この池のところに来た時、白サギと青サギが何か啄ばんでいましたので、きっと魚でしょう。 私が去るのを待つかのように、対岸の岸近くで休憩しているようです。
 ブラック・バスがいるということは、その餌になる・なった小魚たちがいるはずですが、その姿は見えません。 先ほどの最深部の通水路から逃げ出して、下流の大谷川にでも下っていったのでしょうか?
 通水路の穴はブラックバスにとっては、小さすぎたのでしょうか?
 氷河期のマンモスのことが頭に浮かびました。 大きくなりすぎて、自分の身を守ることが出来なくなったあのマンモスです。

 足元に、「コラム1−D NO604」で紹介した、池の底の乗用車を眺めなおしました。  前回より更にハッキリとその姿をお見せすることが出来ます。
             
 便利で、何処にでも連れて行ってくれ、力持ちの自動車。 当たり前のように乗り回していますが、「現代の怪物」かもしれません。
 再び、越冬するカモたちがこの築水池に飛来する頃には、マンマンと水が満たされ、この自家用車も姿を消していることでしょう。
 これで一件落着とはいかないな〜と思って今夜も床に就くと、どんな夢を見ることになるのでしょう。
 




 COLUMN 1−D  NO604より
                              平成18年10月4日 記

  築水池の底に沈んだ車を思い浮かべながら


 9月26日「コラム1−D NO597 で”築水池の湖面を眺めならが」と題して、その時感じたことを書きました。
 その中で、あと1〜2メートル水位が落ちたら、何処をどうようにして落ちたのか自家用車が沈んでおり、そのうちに顔を出すだろうと書きました。
 昨日、遂に顔を出しました。
              

    

 一番水位の高いころから比較しますと15メートルは低くなっております。
 9月26日に書きました事は、以下のようでした。
 
 『@景気回復などといっているが、実態はそんな状態ではないのではないか。
 Aユーラシア大陸の国々が新たな動きをしている、アメリカが追い出されるのではないか。地政学上、中央アジアを支配する国が地球を支配すると言うが・・・
 Bアメリカ・イギリスのアングロサクソンによるテロ戦争は敗戦が明確になってきた。
 Cイスラエルの存亡。中近東で新たな戦いが起こるのではないか。イラン対サウジか


 昨夜、池に沈んだ車を思い出しつつ、寝床に着くと浮かんだことは以下のようです。

 何時もの散歩コースのひとつで、既に10数年前に役目を終わった春日井市の廃棄物処理場の跡があります。 今では土盛りしてあって、昔を知っている方でないと、そこが廃棄物処理場であったと言うことは分からないでしょう。 草は生えていますが、それ以上の物は今のところ見当たりません。
 この処分場がイッパイになる前に、春日井と多治見市の県境「内津峠」のところに、新たな処分場が建設されていました。 これは最初から見ていますので分かるのですが、多分「築水池」の半分ほどの大きさと言うか、集塵することが可能と思います。 その処分場も後4〜5年で満杯になると聞いています。

 更にもう一つ、これまた春日井市と多治見市の両方にまたがった、「名古屋市の廃棄物処分場」があります。 目測で築水池の十数倍以上でしょか。 ここも、しばらく行っておりませんので、詳しいことは分かりませんが、数年前の報道から予測して、もう十数年も受け入れ可能と言う状態ではないと思います。 
 数年前訪れた時、上空でカラスの群れが飛んでいたのを思い出します。

 次に浮かんだ映像は、フィリッピンとインドネシアの廃棄物場でアルミ缶や金属類でお金になるものをあさっている子供たちでした。 アフリカの国では、それすらも無いと言うことを紹介していました。
 思ったり、考えたりすることは出来ますし、誰もが異議を言いかねることを口にすることはできますが、果たしてそれで良いのかと自責の念には駆られるのですが、それ以上の行動にはなっていません。
 せめて「ロハスな生活」の一端でも実行しようかと思い、目先の課題に対応していると言うのが実態です。

 私の家の前の角地が春日井市の塵収集場所ですので、週に5回のの実態を目にすることが出来ます。 春日井市も4ヵ月後から、分別ゴミ袋の実施に入ります。
 今まで以上に気をつけて対応しようと思っています。
 『地球は泣いている』と築水池を思い浮かべて、なかなか寝付かれませんでした。

 やっと寝付けた思いましたら、午前1時を知らせる柱時計の音を確認していました。
 夢を見ていたのでしょうか、蜘蛛の糸に引っかかってもがいている残像がありました。

               

 

  COLUMN 1−D  NO597         平成18年9月26日 記

  チョット調子に乗りすぎているかな? その2
 
  〜築水池の水面を眺めながら・・・・〜

 
 散歩コースの廻間町の稲が、1週間前後で刈り取りの時期になりました。

     
  
 左の写真は稗が生えています。 聞くところによると名古屋の方が、田んぼをアチコチに借り受けて、使用管理しているようです。 手不足なのでしょう。
 右は防鳥糸が仕掛けてあります。 立ち止まって眺めていました。 確かにスズメは防鳥の支柱にはとまりますが、稲の穂には降りてゆきませんでした。

               
 築水池の周りにはこのような看板が掲げられていますが、鯉を養殖していたのは、10年くらい前までです。 何方かがその後ブラックバスでも放流したのでしょう。 週末になると釣り糸をたれている光景を見ます。 
 「釣れますか」と尋ねたら、「このくらいのが・・」と言って親指と人差し指で示してくれました。 
 確か2年前、その数年前にもこの時期に池の水位が落ち、今にも池の底が見えるほどになりました。
     

 その時、水門の近くで、何処からどのように浸入して落ち込んだのか分かりませんが、小型自動車が沈んでいました。 あと1〜2メートル水位が下がると、再びその姿が見えるかもしれません。 それとも既に引き上げたのでしょうか。

  そんなことを思い出しながら、水面を眺めておりましたら、こんなことが脳裏を走りました。
 @景気回復などといっているが、実態はそんな状態ではないのではないか。
 Aユーラシア大陸の国々が新たな動きをしている、アメリカが追い出されるのではないか。地政学上、中央アジアを支配する国が地球を支配すると言うが・・・
 Bアメリカ・イギリスのアングロサクソンによるテロ戦争は敗戦が明確になってきた。
 Cイスラエルの存亡。中近東で新たな戦いが起こるのではないか。イラン対サウジか

 薄っすらとかいた額の汗が、心地良い風に冷やされてゆくのを感じながら、このところチョット調子に乗りすぎているのではと感じていますので、反省心が悲観的・後ろ向きなことを思ったのかとも思いました。 
 が、驚いたり、慌てることなく、現実を冷静にながめ、予測しして心構えをしなさいといっているのではないかと思うことにしました。




 COLUMN 2−N NO205
                                平成18年9月11日 記

 ”小泉政権を見送るに当たって”
 〜中日新聞9月10日、「座視」 佐々木 毅〜

 と、増田俊男の時事直言378号より
          「日本国新総理大臣の資格」


 5年5ヶ月の小泉政権が後、十数日となった。 この数が月、この小泉政権についての評価、功罪を各誌・各紙・各氏によって論評、評価されてきたが、読んだうちの一番素直に、読みきれたものが、佐々木 毅さんのものでした。
 私なりにその座視を整理、まとめ、今後の資料としておきたい。

・政権末期になっても支持率が高い、稀有な政権であった。
 ・生み出された
背景→経済の構造的停滞によって自信を喪失し、内向きになった日本社会の中から生み出された。
 ・首相公選論がもてはやされた政党政治の危機的状況を背景としていた
  →徒手空拳で立ち向かった政権である。
  →政党政治を一人で演じ、首相一人でリーダーシップに対する国民の飢餓感を癒した。
 それへの手ごたえ感を与えるのに成功した。 首相と世論のパイプの源泉となった。

 
 (加藤、注。 ここで目前の不安・不信・不満心理を持つ大衆受けとなった。
 「自民党をぶっ潰す!!」などがそのさえたるフレーズであった。)

 刺激的で自己破壊的な言辞が必要であった。→自己破壊なくして次の段階は見えないと言うメッセージは時代の雰囲気とマッチした。
 →それによって、既成のものを破壊したいと言う社会に停滞していた願望を政治的な資源に変えることができた。

 かくして→隠蔽や曖昧さに代わって、露出と率直さがプラスの政治スタイルに転化し、政治の劇化はその一つの帰結であった。

 ・この政権は結果的に既成のものを破壊してきた。 →格差問題や地域の「痛み」の指摘
は因果関係はともかくとして、破壊を装った現状維持の中で、破壊を裏付ける。
最も重要なものは→政府に対する期待感の水準訂正を行ったこと。
 →パターナリズムの終焉、既成の官民関係の見直し→公共事業による地域の需要喚起政策に対して、多くの抵抗感や諦観(諦める、テイカン)が定着した。
 ・精彩を放った政策は、「政府は何をしないか(すべきでないか)について語ると時で、結果として民間部門の構造改革や活性化につながった。

 
(加藤、注。 一部の財界の有力者による各種委員会において、特権誘導の規制改革がなされたと言わざるを得ない面が、特に政権後半に露呈した)

 が、→「政府は何をすべきか(するべきか)の青写真はなかったし、アイデイアも乏しかった。
・道路公団や郵政の改革、社会保険庁の改革は規制緩和の推進に比べて切れ味が悪かった。 →「三位一体改革は課題を残した。←中央政府のツメがなかったから・・
・公務員制度改革の最も直接的な所掌課題も解決なし。
 →、結果、政府はきわめて曖昧な存在となり、次期政権に引き継がされた。

 ・外交→徹底的に内向きの時代の政権にとって、外交は土地勘の乏しい領域であった。
 国内政治で通用した敵味方二分法は適用力に限界があった。→中韓関係は典型。
・外交も「官から民へ」と皮肉られることとなった。
・小泉政権は内向き時代の産物であるとともに、その犠牲者であった。
、・次の政権の課題が、制約から自由に政治の可能性を追求することにある。
 

 〜以上が、佐々木毅さんの論文「座視」の要約文である。
 私はこの十数年注目して、その著書や論文発言に注目してきた方が3人いる。
 @藤原 直哉さん (藤原事務所 所長)、 「ワールド・レポート」発行・執筆者)
 A松藤 民輔さん (株式会社ジパング社長、牛之宮ウイークリー発行・編集・執筆者)
 B浅井 隆さん  (株式会社第二海援隊 社長、経済トレンドレポート発行・執筆者)

 上記の3人に加えるに、実にアメリカ社会の中で揉まれ、活躍されてこられ10数年前に、船井幸雄さんが推薦・紹介された増田 俊男さんがいる。
 増田さんの発言内容は、当初、私にとっては常識をはるかに超えるというか、次元・視点の隔たりが大きくて驚いたり、本当かなと思ったりしていたが、この数年は増田さんの視点は常にマークしておかなければならない情報として、インターネットの「お気に入り」に登録して、読ませていただいている。

 その他といっては失礼であるが、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌に登場する方で、多くの方々がいる中で、以下の方々の発言には目や耳が立ち止まる。
 今、思い出す方だけを紹介する。
 イ)寺島 実郎 (三井物産戦略研究所所長、日本総合研究所・所長)→バランスの取れた            リベラリスト
 ロ)内藤 直人 (法政大学院教授)→弱者の視点からのものの見方・発言に注目
 ハ)金子 勝  (慶応大学教授、学生時代、民主青年同盟のメンバー)→シャープな話し方            と切り口で語る社会批評)
 ニ)左高 信  (週間金曜日「辛口評論」)
 ホ)佐々木毅  (元・東京大学学長、学習院大学教授)→バランス良い政治論評
 ヘ)中西政輝  (京都大学教授)→右傾向・思想の政治学者?
ト)ジェラルド・カーテイス (中日新聞客員 米コロンビア大学教授)
チ)ロナルド・ドーア (英国 政治経済学院 名誉教授)
 と思い出すまま、書き上げてみたが、拾い出してみたら次々に名前が出てくるが、果たしてそれぞれの方への私の定見があるのかと考え直し、これ以上は止めます。

 さて、増田 俊男さんの「日本国新総理大臣の資格」より

 ・一国の首相には@「目指す国家像」を明確にして、
           A「理想の国家実現のための「国の形」を示し
           B国の存在理由である「安全保障」のあり方を打ち出す必要がある。
 以上の3点を明確にしているのは「安倍晋三」だけである。
 @「普通の国」を目指している。→現行日本国憲法と日米安全保障条約下の日本は普通の国ではない。自国の危機を認識した時、自国の国権の意思で国防が出来ない国は普通の国ではない。 憲法前文の非武装中立の思想は非現実的である。
 →安倍氏は憲法改正を唱えている。
 「平和と戦争はともに、国家目標達成のための手段」であると言う政治力学を知らねばならない。
 戦後60余年のうちに「日本は他国の目的のための手段や場になってきた」のではないか。

 安倍氏の「憲法前文と憲法第9条第2項の変更」による「自衛権行使の確立」、更に「集団的自衛権行使容認」は、日本が普通の国になるための基本条件である。
 隣村に、自転車で情報を伝えていた時代の都道府県制度は、機能しなくなっている。
 情報革命時代に即した「中央官庁再々編成」と『道州制導入」を「新しい国の形」として強調している。
 「日本の顔」を作くろうとしている。 国益の最大要因は「国家の安全」である。
 そのためにアメリカの国家安全保障会議(NSC)は安全を中心とした外交戦略を大統領に助言する機関。日本版NSCを創設、官邸に助言機関を持って、「日本の顔」を作る。

 日本のリーダーを目指す安倍氏の姿勢は完璧。 が、「理想倒れ」にならないためには「霞ヶ関に対する指導力」が決め手。
 特に、「国の形」と「道州制」には官僚の抵抗は必至。 小泉のトラの威を借りた・飯島首相秘書官は役人を呼びつけて土下座までさせたが、安倍氏には対官僚政治カードはあるのか。
 国民(マスコミ)を味方につけて、官僚と徹底抗戦する覚悟と戦略が必要である。

 安倍長期政権のためには戦略が必要。 歴史認識についても「安倍談話」(「村山談話」を理解するも)があっても良い。
 客観的かつ共通の時代認識こそが、他国、特にアジア諸国との理解を深める。
 靖国問題などは「小手先」であって、正統な国際問題ではないから無視!
 「若きプリンス」を日本のために支える気概が全国会議員に求められる。


 

 
〜さて、最後に以上の増田俊男さんの考え方、意見に対する私の考え方であるが、悲しいかな、現在明確に答えうる意見を書きれなかったので、入力したものを消すことにしました。
 この問題は、避けては通れませんので、必ず再登場させます。
 ただ一点、「普通の国」の定義が増田氏のそれで良いのか、また前提に考えてよいのか、話してよいのか。
 「普通の国」を選択するとするならば、「どんな国家の形か」をイメージしなければなりませんし、具体的に語らなければいけないと考えています。
 が、どうも、日本は「普通の国」以外の道の選択があるのではと今のところ思っているのですが・・・






 COLUMN 1−D  NO586より
                              平成18年9月7日 記

  1年前に書いたことを読み直す
 ^第44回衆議院総選挙前日とその翌日〜

 そして、平成18年9月7日に思っていること

 
 『10年日記』を利用していますので、月が替わり、季節が移ろいで行くと、10年前は、5年前はそして昨年は何があったかを、読み返して振り返ることがあります。
 本日9月7日には、『藤原直哉さんの”ワールドレポート”のNO479からNO481』を私なりに編集・構築しなおして、ホームページの「エッセイ、政治・経済・社会」蘭に掲載しました、と書いてあります。
 
 その論文を読んで9月11日に実施される「衆議院選挙の予想やその後のことを予測して私の考えや思い」を掲載しています。
 続いて、日記のページを前に括ると、9月11日の小泉自民党が圧倒的な勝利を挙げた
 結果と、私の予測大敗北した理由・言い訳・弁解を長々と書き、エッセイの「政治・経済・社会」欄に掲載しています。

 読み直して、その一部を拾い出してみます。
 まずは、平成17年9月10日、総選挙1日前に書いたものから。一番最後のまとめとして・・

 

  『これから始まる混乱の時代に・・・

 今回の選挙はバブル崩壊後15年、一時政権を離れた時はあったというものの常に政権党であった自民党、賞味期限切れ真じかのところで「自民党をぶっ潰す」と啖呵を切って目くらました小泉選挙人気総理に寄りかかって4年4ヶ月を過ごし、利用してきたが、マヤカシの改革とアメリカ追随一辺倒までは妥協してきたものの、派閥の力学無視、利権のカットと党内運営に強権で対応していると反旗を挙げた人たちによって、思いがけず分裂した総選挙となった。 
 そこからがまた小泉流である、刺客は送るし、脅しとも取れるアメムチの発言が続く。 テレビを見ているには面白ところもあろうが、時代はそんなレベルにないことは明確である。
 それ故に、国民がどのような判断をするか、結果に興味以上のものを持っております。 小泉自民党は選挙戦術として、郵政民営化に絞込み、分かりやすい白黒の選択を求め、話題性のある候補者を立て、お祭りのようにはやし立てて面白可笑しく仕立てた芝居のような演出をしたが、果たして国民はどのような判定をするのであろうか。
 
 どんな結果になっても、1800年代のアメリカ南北戦争と、それに続く50年間と同様に、1回では決着がつかないことだろう。
   混乱の時代に入るといわざるを得ない。

 国家・地方財政の行き詰まりから崩壊、年金・保険・介護の社会保障の行き詰まり・崩壊、増税に次ぐ増税でも先が見えない。 お金を吸い上げ・集め分配する中央集権構造は崩壊するしか道はない。 お金を刷りまくって名目の支払いをするだろうが、ハイパーインフレと通貨の下落で、多くの庶民の暮らしは大きく変貌し・困窮することになろう。
 それでも、戦争と異なり全が灰に帰することはないから、世界に通じる産業の更なる強化と育成、この国の歴史・伝統・文化に立脚した観光立国=地域振興、また土に根ざし、多くの人が土から、自然から学び、暮らしてゆける仕組みを再生するといったことが取り上げられ、推進される事になろう。
 
 どれも難しい事ではないと考えます。 日本人は「よし分かった」と腹に収めれば、もともとあるDNAが自然と顕在化し、立ち上がり活躍を始めると思う。
そんな中から一つ一つモデルが生まれ、リーダーが生まれてくるのではないかと考えています。 
 今までの国会議員さんは一度退陣ということになるだろう。 なかには残る方も居ろうが大半の市会議員的国会議員族が入れ替わったとき、多分早くて5年、恐らく10年単位の話であろう。 
その間まだ、平均寿命としてはお世話になっている身としては可能な限り、健康でご厄介になる率を低める努力をしなければと考えつつ、明日の投票に行くつもりです。』


 そして、平成17年9月12日付けではこんなことも書いていました。
 長々と第44回衆議院総選挙も希望的加藤の予測大外れの、弁解・言い訳に続いて・・

 『酔わした小泉首相は責められない(大いに不満ではあるが・・・。  なぜ、今一番肝心な事を語らず・示さない、戦術勝利を企んだから・・。 乗せられた方が未熟と反省するしかない)
 首相自身は勝つ算段があったかもしれないが、政治生命をかけ「郵政民営化」についての国民の賛否を聞いてみたいと言う一心であったのであろうし、そこに絞れば戦術的に勝てると踏んでいた。また、それだけの覚悟をしていた・・。 結果、首相のヒラメキ、戦術、舞台演出が圧倒的に勝利したのだと思う。
 その劇場(激情)マジックにまんまと載せられたマスコミ、そのマスコミの尻馬に乗ってバンドワゴン(勝ち戦に乗る効果)現象を出現させてしまった我々国民。 
 従来の選挙では常に持ち合わせていたバランス感覚はどうしてしまったのだろうか。 今になって“こんなはずではなかった”と言って、新たな不安と不満を口にするなんて・・・

 今回の選挙前、結果予想で書きましたように、<自公>も<民主>も過半数を取れず、不安定な政権となり、また小党分立となって混乱の時代になる。 中央=都市は権限が失われ、力が弱ると予想しましたが、結果はその大反対でした。
 では、政治は安定し、期待されるような改革がなされ、順調に国家経営は成されてゆくのでしょうか。 答えはNOです。
 新小泉政権は今後国民より全てを委任されたと思い、強権的な運営と政策決定・推進をすることでしょう。 
 がしかし、政策決定がなされるたびに置いてきぼりと感じる敗者=負け組の声が大きくなると予測します。 その声に耳をかすどころか勝者=勝ち組に押され、勝ち組の声にこたえる政策をますます推進する事になると予想します。
 其れが、新しい日本への脱皮だと疑う事なく、臆せず進めるとおもいます。 そこで国民意識・心理、現実との埋められないギャップが明確になってくると考えます。
 「自民党をぶっ潰す」公約を守り、実現しました。 これはこれで評価される事ですが、結果良かれと判断し、決断し・推し進める事が、時の経過と共に国民意識とかけ離れたものになってしまったということになると思うからです。

 その根本原因はこれほど世界の秩序が揺らぎ・変化している時に“どのような日本国家をめざすのか」、「どのような未来社会像」を描いているのかを示さず、語らずに、旧来の世界秩序とルールが続くという認識の下で政策の決定がなされて行くと考えるからです。
 グローバルスタンダードという市場原理主義の中で勝ち・生き残ってゆく者の数は知れていますし、またそこで勝ち残った者も最後は結局食べつくして終わりということになると考えます。
 
 新小泉政権は新しい時代、新たな世界秩序が構築されなければならない今、新しい日本を創り挙げてゆくという、決心と覚悟をもった認識と見識、その上にたった肝識(たんしき)をもった勇気ある行動が取れるのでしょうか。 
 過去の実績を眺めると、旧来の自民党の首相にはない派閥にとらわれない、しがらみの少ない背景を生かして改革と呼ぶに相応しいかは別として自民党内のコップの嵐を演出し、変化を起こしたことは事実である。
 が、ことの重要さはそこにあるのでなく、先送りしてきた重要課題、自分好み・あるいは約束させられた課題に終始してきたのではないかといわざるを得ない。
 いま、絶対安定多数の構造が出来、支持率を背景に、何でも国会を通過できる条件が整った。この時、時間の経過と共に流れは変わってゆく。 其れは小泉流やり方にはなくてはならない劇場演出の適当な敵役がいつの間にか見当たらなくなった。 どんな敵役を作って行けるのか。
 
 歴史的・大局的視点に立った国家観・社会像の示されないまま、ことが進められると多くの国民との間にギャップどころか、国民大衆が敵役となっていなければ良いのだが・・・
 なんと言っても、一時の酔いの間に選んだ政権といえども私たちが選んだことには違いない。 この責任を同時に背負う国民でなければ、どんなに素晴らしいリーダーが出てきても、どんなに立派な国家像、社会像が示されても実現に向けての苦労の行動が続かない事になる。
 中央があろうが、なかろうが。 中央が頼りになろうが、なかろうが、ここは私たち一人ひとりが自主・自立の精神を持ち、新小泉政権の進める政治に注目しなければならない。 いつ何時、どのような状況になろうともウロウロ、オロオロすることなく歩める人になりたい。』 以上、昨年の今頃、書いたこと。

 平成18年9月7日 記

 5年半の小泉政権がおわり、新安倍政権が誕生しようとしている。
 この1年間(平成17年9月から、平成18年8月まで)、大勝利をした小泉内閣は、その勢いをかって、それまで進めてきた政策の総仕上げとして強力に推進し、そのことが国民の思いとの間に現実問題としての大きなギャップをうみ、小泉内閣は人気が低落し、結果として国民の期待心理が遊離し、社会転換が早まるんではないのかと思っていた。
 
 ところが、新政権発足と時を同じくして、郵政民営化に伴う初代の社長に、色々と問題が取り出さされていた元住友銀行会長の西川氏を登用すると発表。    
 また、小泉政権の懐刀であって、アメリカが操っていた竹中大臣が浮き上がりだし、ライブドアの「ホリエモンが逮捕」が平成18年1月23日、姉歯建築士による「耐震偽装問題」の発覚、続いて村上ファンドの村上氏が6月5日に逮捕、証券取引法違反(インサイダー取引。日銀福井総裁との関係も表面化)と小泉政権の周辺で次々と事件や不祥事が発覚して強力に政策を推進できるような状況ではなくなった。

 この間、アメリカ・ブッシュ大統領は強い絆の日米関係を取り結ぶ小泉首相との関係が、少しずづつ、小泉首相の対中韓外交に違和感を持ち始め、おかしくなりはじめていた。
 しかも、ブッシュ大統領の支持率は20%台に落ち、アメリカ中間選挙の趨勢は民主党が勝利間違いなしとの予測が出るし、イラク問題は明確にアメリカの負けとの結果になる。 それを反映したように原油値上がり、金の暴騰と紙の信用力が一段と劣化していった。
 どちらにしても、歴代の自民党内閣と比較すれば、一風変わった変人による政権が思いのほか長く続き、旧来の自民党派閥政治は一応崩壊したように見受けられる。
 多分、特に地方の支持基盤が崩れたから、元に戻ることは無いであろう。
 同時に都市の無党派の浮き投票は、今後も何処に行くか分からない。
 「官から民へ」「中央から地方へ」「自民党をぶっ潰す!」と言った、小泉劇場内閣は、ここで終焉となる。 
 小泉首相がどんなに改革と言って拳を振り上げても、21世紀に通用する政治、社会の創造は出来無かったし、無理であった。 その理念、構想が無かったのだから・・ 
 
 そして、今度の新政権であるが、誰がなったとしてもこれまでの延長線上の政治からは抜け出せないことだろう。
 民主党小沢政権が来年の参議院選挙に勝利しても(連立内閣が誕生)しても同じことだろうが、それでも自民政治が継続するよりは、場面をゴロリと1回転させることにはなるのだろう。
 が、対アメリカのくび木から自立し、主体性を持た新たな価値観にもとずく、日本の歴史・自然・文化・伝統に立脚した国家戦略を待ち、実行に向かって行動を起こさない限り21世紀に通用する新たな道を歩み始めたと言うことにはならないように考えます。
 アメリカにとって(世界にとっても)、日本が自立・自尊の主体性を持った国の方が、何でもハイハイと聞くような(あるいは、振りをしている)日本よりは、かえって真に頼りになる同盟国となるのではないかと考えますし、世界に一つのモデルを提案できることになると考えます。

 既に、新しい芽は、動きは、多くの人々によって動き始めています。 それどころか、失われたこの15年間と言われる中で、新たな道を築かれ、多くの方々に喜ばれる企業となって、軌道に載せておられる方々が数々紹介されています。
 それらの方々、グループの考え方ややり方そして生き方(質を重視し、見える顧客に対応している)を素直に参考にし、学び実践するならば道は間違いなく開けてくることでしょう。  私も遅ればせながら実践、修行したいと考えています。




 COLUMN 1−D  NO565より
                              平成18年7月17日 記

 世界の歴史を学んでゆくと、宗教を学ぶことになる
 〜今、八百万の神の下の日本人は・・・・〜

 
 ここで学んだことの一部、感じたことの一部を披露するなどという、出来もしないことを書こうとしているのではありません。
 「ヨーロッパを学ぶには宗教を学ばなければ成らない」の言葉に始まった「ヨーロッパを知る」と「比較文化研究」という講座。
 その宗教を学ぶにはユダヤ人・ユダヤ教の歴史から始まり、キリスト教との関係。そして時代が下がりイスラム教がどのような背景から生まれ、力を伸ばし、ヨーロッパに様々な影響を及ぼしていったかの一端を知ることによって、刷り込まれていた既成概念の大きな修正を必要としていることを強く感じさせられているということを書き留めて置かねばという事に過ぎません。

 また、今年の5月より「インド学への誘い」という特別講座を受講しておりまして、その内容もさることながら、インドで生まれ育ち20数年、その後30数年日本で暮らしている担当教授の話しぶり、態度、そしてその内容からも異文化体験をしております。
 7月12日で講義の半分が終わり、後半は8月23日から始まるのですが、前半を終わり「疑問、質問、これからの講義への注文があれば、提出してほしい」とのお話でしたので、このような内容の文章を書きました。

 「インド学への誘い」前半戦を終えて

@回を追うごとに面白くなっている。
A参加者の顔ぶれを見ると、ビジネスに拘ることはないと思う。
 前半、ビジネスのことを特別多く取り上げてはいなかったが・・後半のタイトルを見て

質問と希望
@第1回で話された、インド哲学的な話はそれなりに興味が持てた。
→生まれ変わり(過去^現在〜未来論)、存在・価値観(乞食に施す行為)
Aインドの宗教(イスラム、ヒンズー、仏教)の歴史、関係を取り上げてほしい。
Bカースト制がインドの人々の生活の中で、どのように具体的に影響しているのか。 
 30%3億の人々にとって、70%7億の人々にとって、それは異なるのか、同じか。
 30%の人は、現代グローバル社会のビジネスの価値観で生活、行動しているのでしょうか?  インドの人から見た、アメリカ、日本、インド、中国、ヨーロッパの価値観?
C過去700年のインドの歴史から、日本人の心の傷を理解しているといわれたが、
 では、その700年の間にインドの人々は一番どのような傷を負ったのか?
D日本人ならばアバウト精神のインド人を変革可能といわれたが、何を持ってそういえるのか?
 日本人の特徴、特性の何が、インド人の変革を可能にすると考えますか?
Eインド人は日本人にプラトニック・ラブ的な愛を持っているというが、何時頃から、どのようなところから生まれたものなのか?


 どのように、今後講義の中で答えがいただけるか楽しみである。

 もう一つ、イスラムに関する講義を受講している。 野町和嘉/著、カラー版”メッカ”−聖地の素顔 岩波新書を参考図書に、イスラム教の原点を多くの写真入の本の解説で学んでいる。
 上記のユダヤ教、キリスト教との関連もあり、大変興味深く学んでいる。
 昨年の「愛・地球博」の折、会場の何処かで「イスラーム」世界宗教の教えとその文明という小冊子をいただいて、斜め読みしただけで本棚にしまっておいたが、本日引っ張り出して再読しました。 その中で、「イスラームから見た日本社会」という項があり、このように紹介されています。
 「イスラーム世界と日本の交流が盛んになり、近年では、イスラーム世界から日本を訪れる人たちや留学生も増えています。 彼らに日本について尋ねると、誰もが日本への賛美を口にしますが、特に、「イスラームの価値観と似ているものがたくさんある」という感想を聞きます。 どのようなところが似ているのでしょうか。特に話題になることもの紹介します。
 
(1)両親への敬愛、親孝行       (5)勤労精神
 (2)家族の重視              (6)社会的相互扶助
 (3)清潔                  (7)j自己抑制と他人への思いやり
 (4)真面目さ、誠実さ           (8)宗教心の尊重
 このような面を見ると、ムスリムたちが日本に対して親近感と尊敬心を持っていることがよく分かります。 これまでは互いに遠い世界だったかもしれませんが、相互理解の道は大きく開かれているのではないでしょうか。

 以上ですが、如何ですか。 私は3度内容を読み返しました。 どこか気恥ずかしくなる思いになりましたが、皆さん如何でしょうか。
 と言いますのも、先週15日に毎月集まっているある会で、今の日本は既に崩壊している、が新しい希望の芽も水面下で芽生えているという話をしてきたところだからです。
 インド学の先生が「アバウトなインド人を改革できるのは日本人である」と言われました、日本人のどのような特質、特性がそのような言葉を言ったのか、ますます聞いてみたくなりました。 
 私たちには長い歴史、伝統、文化に育まれ、それがメンメンと受け継がれて、今も厳然として残っている日本人(日本社会)の素晴らしさがあると考えています。。 
 今のうちなら何とか成る(何とかしなければ)と思いつつも、外から見ておられる目のようには、私が強く気づいていないだけなのではないか。
  この混迷深まる世界にあって、これからの時代、社会の中で、価値観・生き方の一つのモデルを示すことが出来る日本(日本人)であるのではないか、あるいは期待されているのではないかと言いつつも、確信を持って言い切り、行動していないのではないかと自戒します。 
 もっと、自信と使命感を持って足元から立ち上げるべきではないかと、教えられているように感じながら学んでいますが、行動が共わなければと、今日も教えられています。
 
 八百万の神は何時、どのように私たちに、新たなる奮起をお示しになるのでしょうか。
 この神はそんなことはなさらずに、自問し、答えを出し、行為しなさいと自然体でお示しになったいるのでしょう。 気づく気づかないは、私自身の問題、「君の横にある、前にいる、後ろに座っている山川草木が語っている」と。

                        

 





COLUMN 1−D  NO555 より
                              平成18年7月1日 記

  「エネルギーの持続可能性について」の対談
 〜日本再生プログラム推進フォーラム
  専務理事 宮崎 龍雄さんと藤原 直哉さん〜  

 
 日本再生プログラムとは、以下のように紹介されています。
 
      




日本再生プログラム推進フォーラムは、日本の経済を真に活性化させるために、その源となる地域経済を支える人たちの自己啓発と自己研鑽の場を拡大、定着させ、地域の国際化と地域経済の活性化を推進し、日本全体のあらゆる活力を高めるための活動を実践しています。
私たちは、日本の経済が真に活性化するためには、地域の人々が国際化し、地域の経済、文化がともに活性化し、あらゆる地域の活力がみなぎらなければならないと考えています。

 
 今回はそのフォーラムの専務理事・エネルギーの専門家でもあります宮崎龍雄さんと藤原直哉さんが対談されています。
 ・今の私たちは1人当たり、江戸時代の10万倍のエネルギーを消費している。
 ・原子力エネルギーへの嫌悪感は理解するが、工場を動かし、製品を作るためには自然エネルギーでは到底まかなえない。当面は原子力が必要である。
 ・現状は綱渡りのエネルギー状況である。
 ・CO2を回収する技術開発が求められ、進んでいる。
 ・エネルギー資源の安定供給のためには、各国との信頼関係の確立が求められている。
 ・信頼されるために日本は教育関係での協力が出来る国である。
 ・家庭でできる省エネルギーは当たり前のことをすること。
 ・原子力が嫌なら、何ができるのか、どれだけ耐えられるのかを考えてみる必要がある。
 など、興味あるお話が分かりやすく語られています。

 「日本再生プログラム推進フォーラム」で検索すれば、直ぐに見つかります。 
 1時間弱の対談です。 時間が許し、気分の落ち着いているときに耳を傾けてください。

 追記
 何とかエヤコンを点けずに聞き終えましたが、このブログを入力する時には、30度を越えて汗が噴出し26度設定で入力を終えようとしております。
 「言うは易く、行うは難し」です。 いつの間には「ジリジリと焼け付く、8月15日の炎天下のイメージ」が思い起こされました。
 在ってほしくない、在ってはならない敗戦の日が横切りました。








 COLUMN 2−N NO193より
                           平成18年6月16日 記

 福井日銀総裁「日本の信頼に傷がつく」 6月16日
          「これは辞任に値する」  6月15日
     中日新聞 朝刊 より 


 6月15日 朝刊中日新聞社説より
 「日銀の福井俊彦総裁が村上ファンドに一千万円を投資していた問題が波紋を広げている。 金融市場は日銀の独立性に疑問を投げかけた。
 信認を失った以上、速やかに総裁を辞任するほかない。

 
同日の経済面には・道義的責任ある/辞める必要ない 批判と擁護交錯
              利益は億単位? 憶測飛び交う

 6月16日 朝刊中日新聞社説より
 「福井俊彦日銀総裁の村上ファンド出資問題は異様さを通り越して、どこか醜悪な様相を呈してきた。  
 このままでは、福井氏や日銀だけでなく、日本経済と金融政策への信頼が傷つく。

 そして、1面トップに
 
             「日銀総裁 辞任を否定  複数企業の株も保有」とある。


 〜中部地方を中心の新聞とはいえ、全国紙にも引けをとらないと見ている中日新聞が、2日間に渡って「社説」に取り上げるのはめったにないことである。
 このこととは、直接関係はないが「コラム2−N NO189で「ヤッパリ、世界バブルが弾けたか?」の項で、2001年10月9日の前日銀総裁速水氏の発言を取り上げた。
 福井総裁は少なくとも前・日銀速水総裁とはまったく反対の金融政策をとった。
 ゼロ金利に、ジャブジャブとお金を世界にばら撒いた。 日銀総裁になるのに政府に借りがあったとかで、そのような金融政策をとったとか、あるいは小泉政権の次の政権になるまでに、これまでの政策転換をしておき、フリーハンドになっておきたかったとかの情報があるが、私には遠くの話である。

 が、どうもここきて人気絶頂であった小泉政権も昨年末よりヨレヨレになってきたようだ。
 国会の延長もなく、早々と終了するのは、これ以上やっていると化けの皮が剥がれるか、全ての献金が森派(小泉政権に通じる人々)に流れていたが、流れが変わって検察の動きも変化きたという。(押さえ込まれていた人々が、米国の小泉離れの変化を読み取って)
 小泉政権が誰に変わろうと、政権交代しようが、もっと大きな時代の流れの中では大したことはなさそうである。 と言って、金融の総元締めの日銀総裁問題がこのまま玉虫色の決着に終わるのであるならば、やはり問題である。
 それを許している、マスコミ、評論家、政治家、そして私たち庶民も如何なものだと感じ、考えているのだが、年寄りの冷や水であろうか。
 
 リーダーや責任ある立場の人間が、イイカゲンであるから世の中乱れるのである。





 COLUMN 2−N NO186 より          
                                平成18年5月23日 記

 「春日井市選管 市長選絡み混乱
      市議補選”定数”告示後に訂正 
 被選挙数 1から3に 中日新聞5月23日・朝刊 


 『春日井市選挙管理委員会は22日、前日に告示したばかりの市議補選の被選挙数を一から三に訂正すると発表した。  同補選には新人4人が立候補、選挙運動をしている。    (中略)
 入院治療中の市長が辞職届を提出、4月13日、市長選日程を決定。 昨年2月に現職が病死し、欠員一だった市議の補選も市長選と同じ5月21日告示、28日投開票で行なうこととした。 市長選には現職市議二人が出馬表明し、市議を辞任した。(11日と17日)
 公選法には市町村選に伴い同時に行なわれる市町村議補選については、首長選告示の前日から10日以内に議会に欠員が生じた場合は、補選を実施しなくても良いとしている。
 今回は既に補選の実施が決まっているのに、春日井市選管はこの条文を「10日以内に出た欠員は被選挙数に加えなくても良い」と読み間違えた。 (後略)』
 
 以上が1面に記載され、3面にも『選管平謝り 市民は怒り』と記事が載っている。

 〜朝、この記事を読んで、このまま選挙を終わらしてはいけないと、まず中日新聞・春日井支局に電話する。  自己紹介をしてから本日の新聞内容について意見を言う、「中日新聞の主張が感じられない。 いくら第3者的な立場といっても、ただ事実を伝えるだけでは報道機関としての責任を果たしていない。市民が怒っているだけと書いてあるだけではないか」と言う。 若い記者と思われる声で「十分意見を言っていると思いますが・・」との返事。
 
 午前10時にオープンするという本社の「読者のコーナー」に電話する。 ベテランの方の声が繋がった。 「中日新聞の意見を社説に掲載して欲しい」と。 これに対しては何の返事もなかったが、終始落ち着いた応答であった。 様々な声が届けられているのであろうからいちいちその場での返答はしないことになっているのだろう


 春日井市役所の総務部・選挙管理委員会へつなげてもらう。 岡田という担当が出る。
 「新聞報道にあるように、このまま選挙を実施すれば後々必ず問題になる。 出直すべきだ」と意見を言う。 それに答える立場にもないでしょうし、このまま補選を実施するという委員会の決定に従うしかないのだろうと、それ以上は言わなかったが、近くの電話の音が聞こえたので、「何本の電話で対応しているのだ」と尋ねると「6本です」という。
 「この意見は必ず上に伝えて欲しいし、必要ならば市役所に直接出かけても良いから」と改めて、住所と電話番号、氏名を伝えて電話を切った。


 たった1週間の選挙戦のこととはいえ、あと5日ある。 間違いは何処にでも、誰にでもあるものだ。 気づいた時すばやく過ちを認め、ヘンな理屈をつけずに修正することであることを、過去の経験から教えられている。 我が春日井市の選挙管理委員会はどのように判断、決断するのか。
 
 それを聞いていた女房が「暇でうるさい人が増えているから、大変だ」と一言漏らす。
 30万市政だの、開かれた市政だの、暖かい市政だの、環境に優しい市政だのということは簡単。 それを実現するのは市民一人ひとりの自覚と行動によると自分に言い聞かした。

  




 COLUMN 1−D NO523 より
                            平成18年5月9日 記

    やはり気になる、金価額の上昇 

 
 私と10年前に会って、その後も付き合いが続いている方なら、また”オオカミ爺”が同じ事を話し始めた、これで何回目だと言われることでしょう。
 が、メモ用紙を捨ててしまおうかと考えていたが、1週間過ぎても手元に残っていた以下の数字を見ていただきたい。 
   
             米ドル/1オンス平均    為替平均    田中平均/g金価額
    1973年     97・22          269・25円         958円
    1980年    612・13          227・07          4499
    1987年    446・67          145・71          2133
    1989年    381・00          139・01          1723
    1995年    384・16           95・10          1209
    2000年    279・16          108・00          1014
    2001年    271・01          122・54          1105
    2005年    444・12          111・23          1619
    2006年1月 549・15           116・47          2074
    2006年2月 555・20           118・97          2136
    2006年3月 567・00           118・39          2128
    
 2006年5月3日 668・50     5月8日  102・??  5月8日  2605 

 5月7日、コラム2−N NO184「修行について」のところでも書きましたが、世界の各地で起こっている現象は、かなり怪しいと感じない訳にはいかない。
 現物市況の石油高騰が生活を直接脅かすと言うことで注目されている。 石油の原油の生産量のピークは2005年で、10年ほどで石油不足は明確になると。
 そして、1バーレルが90ドルになると、米国の国民は収入の増加分は全て石油に持っていかれ、90ドルを超えると家計が持たなくなるとの記事も読んだ。
 3年後には米国社会の過剰消費と借金が米国を暴落させるとも語っている。
 これまでの10年間で金利ゼロの世界が身についてしまった、これから金利が上がるとなれば、急速でしかも長期に続くのではないだろうか。
 素人の勘である。 何度も「オオカミ爺」と言われてきたが、今度もそうなれば結構なことであるが、そんな状況にはならない、なれない条件と環境が深く広がったと思う。

 金を空売りして、力で持って金価額を押さえ込もうとしている人たちもいた。 日本で金貯蓄と言う名前で金投資をしていた会社があった。私のところにも電話が入ったことがある。
 金預蓄をしていた人たちが、現物の金をほしいと言った時、果たして金は存在するのであろうか。
 ここ数年、金の生産は環境問題や低く押さえつけられた価額で採算があわず、減産続きであると聞いている。 と言うことは、金現物はないと言うことになる。
 そのことが分かっている人たちによって、金は買い集められて上昇しているのであろうか。 金がどうなろうと関係ないが、この動きを見ながら、「オオカミ爺」の予測していた時代が近づきつつあるのではないかと、思い此処に書いてみた。
 有事の時には金といわれているが、真坂のマサカが起こらないとも限らないことをしめしているのでなければ良いのだが・・・・
     




 
                            平成18年3月22日 記

 ライブドア、ホリエモンこと堀江 貴文氏のこと
 〜何時の日か、実業人として完成するか〜


 3週間前より書棚の整理をしているので、1980〜1986(昭和55〜61)年当時に購入した書籍を手にすることになった。 その中に東洋学を基本に人物評論家となり「一人によって国は興り、一人によって国は亡びる」の原則に立って、特異な分野を目指した著者に伊藤 肇氏がいる。(大正15年1月生まれで、昭和55年10月、病死)
 十数冊ある氏の著書に内の「左遷の哲学」<嵐の中でも時間(とき)はたつ>をめくった。
 『”電力の鬼”といわれた松永安左エ門の言い残した名言がある。
 「実業人が実業人として完成するためには、三つの段階を通らぬとダメだ。 第1は長い闘病生活、第2は長い浪人生活、第3は長い投獄生活である。
 三つを経験するのは、なかなかたいへんなことであるが、少なくとも、このうちの一つぐらいは通らないと実業人のはしくれにもならない』
 松永自身は、全部経験してきているから台詞に迫力があるが、何故、実業人になるために、この三つの関門が必要なのか。
                         と
書かれ、その意味するところが続く。

〜ところで、堀江氏はその一つの投獄生活をすごしている。 ”長い投獄生活”とはどのくらいのことを指すのかは知らないが、少なくとも同社のNO2であった前取締役・宮内亮治や前代表取締役熊谷史人氏らは保釈されたが、堀江氏はまだ牢屋の中である。
 前記の2氏は容疑を認めたために保釈されたようだが、堀江氏は容疑を依然否認しているようである。
 勘ぐれば、政府や自民党の有力者の弱みを握っており、彼らが手を回して何らかの手を打っているだろうと読んでいるか、いざとなれば”真実は・・”と申し立てをするぞ!と言わんばかりの沈黙なのかととも思え、高を括っているのだろうか
 
 
この事件関連では沖縄での不可解なN氏の死亡など絡んでいるようだが、警察も検察も一向に本腰を上げずに、自殺として早々とケリをつけようとしているように思われる。  暴力団がらみですらこの程度であるから、政府・与党の中軸への操作やアメリカ・ユダヤ金融・ゴールドマン・サックスが裏で動いていたことなど、到底表には出てこないことだろうことは既に決まったようなものである。 
 また、実に情けない野党・民主党の「送金指示メール」問題も、ズルズルと決着が引き延ばされている。 私は多分、ほとんど武部氏の息子なり、関係者に資金が届けられているのは事実であろうと思っている。 永田衆議院議員の手柄の独り占めを狙った行動や若い民主執行部の稚拙さが原因となって、逆に足元をすくわれる事になったのだろう。 彼ら自身が「すいませんでした」と言って謝れば済む問題でない。またもや、野党政治の機能が働かないことを示してしまった。 
 いつも此処まで来ると、その議員たちを選んだわれわれ国民のレベルの問題とのおもいにいたり、何ともやるせなくなる。
 
 そうこうしているうちに、舞台は次の展開を始めた。 有線放送大手のUSENが、ライブドアを支援するために、業務提携をする。 更にフジテレビジョンが保有するライブドア株式を買い取ることも基本合意したと言う。
 この世界、次から次えと役者が登場する。 やはり21世紀の時代を形成してゆく業界なのであろう。
 3月21日午後の7時半から10時半の3時間番組で、NHKスペシャル「放送記念番組特集A徹底討論・テレビは誰のものか」が放送された。
 *ネットとの”融合”は何をもたらすか。 * テレビの”公共性”とは何か。など、今後進展する時代・社会を知り、学ぶのに役に立った。
 司会の桂文珍さんは流石である。 ことの本質をかなり掴んでいなければ、アレだけの司会は出来ないだろうし、NHK側が返答に窮する質問にも、さりげなく救いの展開をしていた。

 話は本題から離れてしまった。 何時の日にか、監獄生活をしたホリエモンは再び、実業人として脚光を浴び、実ある業を世に問うことがあるのだろうか。 ぜひ、この体験を無にしてほしくないと思うが、志が低く、人質が貧素ならば同じことの繰り返しになることだろう。
 二十数万人の若者を中心とした株主に一度は夢を与えたのであるから・・・・・

 やはり一度、天は大掃除を我等に示されるのであろうか。


 
 
 

                            平成18年3月19日 記

 これからの 「観光」とは光を観ることなり
 〜「日本昭和村」に節句飾りを寄贈した時の事〜


 『 加藤 大喜様

 拝啓
  ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。 平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
 先日は、昭和にまつわる懐かしい品物をご寄贈いただきまして、まことにありがとうございました。 昭和村としましては、昭和30年代の古きよき時代をご来園いただきましたお客様に感じ取っていただけますよう、皆様の品物を大切に保管、管理させていただきます。
 今後とも昭和村をご愛顧いただきますよう、宜しくお願いいたします。
                                           敬具

                             平成記念公園 日本昭和村
                           美濃加茂市山之上町2292−1

                             (0574) 23−0066
                                支配人 杉山 智弘    』
              
 
3月15日に持参・展示、寄贈してきました「節句飾り(五月人形)」のお礼文が、4枚のご招待入場券と共に、上記の一文が3月18日に送られてきました。
 それ以前の3月16日、寄贈時の受け入れ態度、仕組みにいささか疑念を抱いておりましたので、2週間経過して何も連絡がなかったら、経営主体の岐阜県の行政窓口に送りましょうと、以下の文面をパソコンのワープロ機能に入力しておきました。

  以下がその内容です。
 

 『 岐阜県県営 平成記念公園 「日本昭和村」 御中

・はじめに 
 3月15日「昭和村」に昭和17年制作の節句飾り(5月人形)の寄贈受理を受けて、持参して展示してきた者です。
 押入れの隅に長い間置きっぱなしになっていた節句飾りでしたので、少しでも多くの方の目に触れていただき、懐かしんでいただければと喜んで持参しました。
 がその折、受け入れの仕組みと手順に接し、寄贈した節句飾りが今後どのように扱われるのか、いささか危惧の念を持ちましたので一文を送らせていただきます。

・寄贈品の受理システムはどのようになっているのでしょうか。
 危惧の念を抱いた事柄の内容は簡単なことです。
 担当スタッフの方には、持参前日にお電話を差し上げてありましたので、スムーズに受付が出来ました。 展示場所は整理されており、工房の係りの方にもお手伝いの指示が既に成されていたようでした。 係りの方は展示が慣れておられるのか、大変手際もよくとても助かりましたし、「来年は貴方が飾りツケをされるのでしょうか?」と訊ねると「多分私がすることになります」とのご返事でした。 この方が今後扱ってくれるなら安心だと感じたものでした。
 約1時間で展示が終わる頃、担当のスタッフの方が顔を出されました、一言「おオ〜」と言われました。 そして、「今、支配人が不在ですので、ご挨拶が出来ませんが、また改めて手紙なり、電話を差し上げたいと思っています」との言葉があり、続けて「どうぞ、ごゆっくり村内を見学していってください」とも言っていただきましたが、その後の予定もありましたので、早々と引き上げさせていただきました。
 その時、正式に私の氏名、住所なりのお訊ねがあることだろうと思っていましたが、(メールのやり取りをしていましたので、お分かりのこととは思いますが)何もありませんでした。
 私の気持ちとしてはヤレヤレとの想いと同時に、子どもを預けた親のような気持ちも少しあり、どこか心配というか、心残りを感じながら村を後にしました。
 それから、本日で××週間が過ぎました。 何の音沙汰もありません。

・観光とサービスに関する私の私見
 小泉政権の数ある改革と称せられる施策の中で、ほとんどマスコミには取り上げられていませんが、今後長期的に見て有効、有望なものとして「観光開発」があると考え、注目しております。
 昨年の「愛・地球博」が成功した要因は1箇所で世界と出会える、また楽しく・面白い各企業のパビリオンによって人気が盛り上がったことでしょうが、いま一つ忘れてはいけないことに市民参加、ボランテイアの方々の活躍が大きかったと考えています。
 自主的、主体的に参加した方々の参画意識の高さは、多くの来場者に好評を博しました。
これからの「観光」、「観光サービス」は従来のような、非日常性を求めて物見遊山に出かけて、飲み食いをして帰ってくると言うようなものでなく、その地で生活している人びとの暮らしぶりや、たち働いている方々がどのような意識で、どのような行動をしているのかを感じに行く、あるいは学びに行くというところが大きなウエイトを占めてくると考えます。 すなわち、自分の働いている地に、所に自信やプライドを持って立ち振る舞っている方々の姿に接すれば多くに人びとは憧れと尊敬の念を持ち、そして感動するのではないでしょうか。
 それは「観光は光を観る」と言う意味の「観光」になっているのではないでしょうか。
 と言う、視点と観点をもっている私としては、国政と異なり、市民・住民の身近なところに位地する県政、市・町政は地域住民へのサービル業と考えます。
「安心、安全、信頼、親しみ」という言葉で表現されるレベルの高いサービスが求められていると思います。
 そこでは市民参加、市民参画型の運営がなされなくてはなりませんし、そこで働く職員は高い見識とモラルを持っての新しいリーダーシップを発揮しなければならないと考えます。(新しいリーダーシップについては割愛しますが、お上的発想=やってやる=おき着せ=冷淡=無愛想=これが正しい・ルール・制度などの権力に基づく運営姿勢)
 前々から言われていていることで言うまでもないことなのですが、高度成長期からその後に続くいわゆる箱物行政は、そこに注がれ・発揮されるべき精神や魂が入っていない運営によって、今後更にスピードをあげて、間違いなく急速に朽ちてゆく時代が既に到来しているのが今という環境と社会であります。
 日々質的な進化をしてゆかなければなりません。

日に日に“昭和は遠くなりにけり”と言う感がするこの頃です。 
時間の経過と共に消えてゆく時代を残すことの大切さを考えます。 その意味において、昭和村の建設が成されたことは大変意義のあるとこと考えています。
 当地には「明治村」「大正村」そして日本各地にある「昭和村」とは一味違うものを求めて「日本昭和村」と“日本”と言う冠をつけた近代以降の日本が全て揃っています。
 時間の経過と共に価値が増してくると考えます。 それ故に、ただ思い出す、懐かしむと言うだけでなく、日本の歴史の中で昭和と言う時代がどんな役割を果たし、何を生み出し、何を残したのか。 同時にまた国家として、国民として反省材料も数多くあります。       これらが未来永劫に続く日本の大いなる財産である(財産にしなければならない)と考えます。 そのような施設であり、内容であり、運営であって、訪れる人びとにこれからの時代の「光を観る」村の姿、運営となって貰いたいものだと願い、期待しております。

・最後に
いささか持って回った言い方をしたのではないかと反省しています。
寄贈受理がされたことに素直に喜ぶと同時に、どこかスッキリしないところがありましたので、一文を遅らせていただきました。
 意のあるところをおくみ取りいただければ幸いです。』


 「日本昭和村」から礼状をいただきながら、こんなことを考えました。 「光を観る観光」の運営とか、心配りを具体的に提案するとしたならば何があるのだろうか?と
 上記の戴いた礼状の最後に、支配人のワープロの活字の後に、最低限支配人の肉質のサインがあったなら、更に一行でも書き添えられていたならと思いました。
 何か出来合いの礼状を戴いたようで、無味乾燥な思いがいたしました。
 人様の事にはいろいろ注文を付けますが、自分はどうかと反省の機会ともなりました。

 追伸
 私の入力した文章中「観光とは光を観ることなり」は私のオリジナルではありません。
 何度もこのホームページにも登場してきます、私が勝手に”師匠”とお呼びしている藤原 直哉さんから教わった言葉です。
 まだ、読んでいませんが、本日(3月19日)の中日新聞「中日サンデー版」は”YOKOSO! JAPAN  訪日外国人旅行者  2010年に1000万人めざす”です
 
日本を訪れる外国人の方が日本のアチコチで光輝く人びとの姿を求めて、訪れていただけるようにな日本にしたいものです。

               





  COLUMN 1−D NO475
                             平成18年3月10日 記

この際、とことん改修したらどうか。 
「改修」どころではありません。 


 タイトルがいささか、いや大いに大げさである。 昨日の散歩で今春初めて「ショウジョウバカマ」の開花をみた。 期待もせずに西高森山への急な坂道を登っているとき、弾んだ息を整えようとしたとき、目に飛び込んできました。                              

           

 コラム1−D NO465 「気づいたり、気づかなかったり」のときは、枯葉を取り除いての撮影でしたが、今回は自らの力で私に呼びかけました。(場所は別なところです)                    
       
コラム1−D NO465、2月25日のショウジョウバカマ 

 築水池を一周りして10日前より何か工事している植物園、閉園を告げる音楽が流れている中を潜り込みました。 園内の池の改修工事です。 何が目的かは良くは分かりませんが、私にはより自然に戻すための工事に見えました。                         


茶色に見えるところの前後に石を敷き詰めています。 こうすれば 小魚が生息できるのではないかと想像したのですが・・・ (白色のところは工事のために水を堰きとめている砂袋です)  さらに茶色のところをアップしてみますと、なにやら芽が見えます。          
                                               
今のところは何が出てくるのか分かりません。
日増しに暖かくなります、どんな姿を見せてくれるか期待したいです。

この春はどんな池に変化するのでしょうか?

 そこで思いました、この50年間コンクリートや効率的で人工的なもので固めてしまった自然をもとの姿に返したらどうでしょうか。 「お前は再び、無駄な公共投資をする気なのか?」とお叱りを受けそうですが、”この50年間の政策が的はずれであった”のではないでしょうか。
 此処でこれから百年後、二百年後の日本のあるべき姿、ありたい姿を考え、語り合ったらどうでしょうか。 キットその中にこれまでの間違いを修正しようという意見、考え方が出てくると思います。 そして、それを修正しようではないかという思いと、行動がとられることだろうと考えます。 合意形成が可能と考えます。                                                 
 戦後復興、再建のために必要と思って実行した人工林は今や放り出されたまま、山はあれ災害を起こし、命の水も危ぶまれています。  除筏・間伐をして広葉樹と混合の山に戻したらどうでしょうか。 海岸線についても同じようなことがいえますし、街中の道路、街路樹、公園についても、自然に戻すことの必要性が多々あるのではないでしょうか。           生活空間の快適さ、環境の良さは何モノにも変えがたい豊かさを提供してくれることになると思います。                                                  
 そんな資金が何処にあると言われる方もいられると思いますが、今、この時には効果が見えなくとも時の経過と共に国民全体の財産になることがあります。                 かって新幹線、高速道路の計画が成されたときはどうだったのでしょうか。          
国民健康保険の開始時期はどうだったのでしょうか。 今もいろいろな課題はありますが、世界に誇れる保険制度でありますし、新幹線網ではありませんか。 モノや形に残るものでなくても良いと思います。 人びとが安心して、穏やかな気持ちで日々をすごせるための相互助け合いの(競争による生き残りでなく)制度、仕組みを始めたらどうでしょうか。      
 資金のことに戻れば、郵便貯金や簡保など世界のハゲタカに狙われ、守るすべの無い制度の中、どこかに力ずくで持ち逃げされ戻る当てない結果になるか。  あるいは、安心して身の置きどころの無い金が金を生み出すペーパーマネーの争奪戦の中で消耗して行くよりは、そんな世界から早くさよならしたらどうでしょうか。                      
新たな希望ある時代の日本建設に向かう理念や内容が示されたならば、きっと多くの国民は賛同し、金利ゼロに不満を言うことではなく、喜んで参加してくるのではないでしょうか   今、多くの人びとは日々の生活に追いかけながらも、どこかでその限界や行為に疑問を抱いております。 自らこのあり地獄から抜け出そうともがいています。

最後にこんな記事を目にしましたので、紹介します。

「成長の限界 人類の選択」の中に次のような一節がある。

・ どこをみても、地球のことやほかの人のこと、子どもや孫の世代の生活の豊かさを気にかけている人々がいる。自分のまわりにみられる人間の不幸や環境の質の低下に気づいていて、これまでと同じような「もっと成長を!」という政策で、物事は発展するのだろうかと疑問を感じているのだ。・・・・
こうした人々は、「自分が取り組むことで何かが前向きに変れる」と確信できるなら、その必要な変化を起こすために進んで努力するだろう。

・ 持続可能でありながら人々が充足し公正な社会にするためには、構造的な変革が必要なのだ。革命が必要なのである。
フランス革命のような政治的革命ではなく、農業革命や産業革命のような、より深い意味での革命である。
リサイクルも大切ではあるが、それだけでは革命をもたらすことはできない。







 COLUMN1ーD NO.441より                                                                  平成18年1月21日 記

 一昨日の講演に引っかかるものを感じて
 ^中国人留学生と駐日社会人の言葉〜


COLUMN 1−D NO441      
                             平成18年1月21日 記
 一昨日の講演にひっかかるものを感じて・・
  〜中国人留学生と駐日社会人の言葉〜

 エッセイ F 『文化・スポーツ、講演会』に、1月20日付けで入力した「2006 どうなる日本経済」と題した、黒岩 祐治さんの講演内容を書いているとき、以下のところで違和感というか、反論というか、一言何か言いたい気分になっていた。 その内容は↓

 『・当時、中国での反日の動きを分析していた。→中国政府が反日教育をしているからだ。との一つの結論もあった。 そのとき中国人の友人に会った。 そして、彼は言った。@ 反日教育は昔からあった、が、僕たちは戦後ゼロから立ち上がった日本にあこがれていた→留学をした。 今の若い中国人にはその感情が無い。今の日本人の誇り、パワーに尊敬の念を抱いていない。』
 
 そして、今朝目覚めのときに、枕もとにおいてあるメモ用紙に手が伸びた。 そして、こんなことがメモがなされていた。
 中国の若者は日本の何に、どんなところに尊敬の念を抱いたのだろうか? 
 中国の歴史を眺めると、いろんな側面が見える。 世界NO1の文明・文化を誇るときもあった。 その反面、”どのようにして数億満人の民が暴動・反乱にいたらず、食っていけるか”という課題も常に内包していた。 
 1950〜60年代の中国から日本を見れば、戦後復興と経済発展している姿は羨ましく、素晴らしく見えたことだろう。 
 その後の中国は1960年代の「文化革命」嵐の後は、1970年代に入り「 経済改革・解放」により、結果としていささかバランスを欠いた貧富の生まれた中国ではあるが、全体から見れば破竹の勢いで現在も、数字上は進軍している。
  それゆえに、食を求めることを脱し、物の豊さを手にした人から見たとき、日本は尊敬し、憧れる国で無くなったということであろう。

 今多くの日本人は一時の自信を失い、「不安・不満・不信」の日々の中にいるといえるだろう。    それはどんな価値観や生き方からの自信喪失なのであろうか。
 良くも悪くも私たちは明治以来積み上げられてきた、「近代西欧思想・価値観」の中でかなりの部分骨の奥深くまで刷り込まれてしまい今日に至った。 
 その模範としてきた欧米はどのような歴史過程の中から、「近代社会」を生み出し、今日にいたったのであろうか。 高が、1年ばかり歴史を学んだ程度では、学者先生の解説の一つ、二つを聞いた程度のことで自説などもてるわけがありません。 が、科学的・実証的ではないが直感と思いつき程度のことなら、ゼロというわけでもありません。
 ここで、勉強の一端を整理してみることの大切さを感じさせていただいています。が、ここの主題ではないので続けません。 (生半可なことでは到底まとめられないことぐらいは感じています)

 と言いつつ。→ メソポタミア・エジプトに端を発するオリエント文明から始まり、ギリシャ・ヘレニズム文明へと伝播し、やがて地中海全域から西アジアまでを包む、永遠に続くかと思われた古代ローマ社会に引き継がれていった。 
 そして、ある地域とある時代では平和と繁栄の時もあったが、それは一部の貴族やエリートの話で、多くの民衆にとっては「貧困と抑圧」、そして「混乱と抗争」の中、中世〜近世〜近代へと時は流れていったと私には思える。
 ヨーロッパの中心は中欧から西に移動し、「大航海時代」となった。
 ここで、今日に通じる「産業文明の成立」と「国民国家の形成」となって集約された。
 目的に向かって合理性を重要視し、人類社会の進歩の最先端を行くとの自負と使命を持った。 同時にそこには、ヨーヨッパ社会以外には侵略的・攻撃的な行動となった。(植民地経営、奴隷貿易などはその典型である)

 ここで、その近代ヨーロパ社会を非難の対象にするつもりはない。それどころか、人類の歴史を先進させたと考えます。ただ、進歩のみが強調されたのでは手落ちになるのではないでしょうか。 が、  いつの時代も、どんな場面でも、物事には裏表があることぐらいは体験し、知識として持ち合わせているつもりです。
 ただ、欧米社会が作り上げて来た思想、文明、社会システムは、今、行き詰まり、にっちもさっちもいかなくなっているのではないかと思い、感じるのです。
 「MORE AND MORE]と「物的豊かさを求める」思想と仕組です。
 米国を頂点とする覇権主義は時間の経過と共に急速に破局に向かっているのではないでしょうか。 
 
 わが日本の小泉大総理の最後の施政方針演説も、本日の3面に記載され、トップは「米穀牛肉再び前面禁輸」です。
 拾い読みした小泉演説は「改革を続行し、簡素で効率的な政府の実現」と言っています。 がこれは、競争社会=格差社会の出現ということなのではないでしょうか。
 20世紀社会のシステムが動脈硬化し、使い物にならなくなったから、改良・改善・改革をしようということでしょうが、果たしてそんなことで、今という時代は農業革命や産業革命時代のような大変革の中にあると考えます。 
 声高に、髪振り乱し、拳を振り上げているが的を得ているのでしょうか。
 20世紀の思想、理念、仕組みの延長線上では、時間の経過と共に地平線のかなたに消え行くのではないでしょうか。
 しかも、それは直感的にそんな長い時間がかかるとは思えないのです。 だって、20世紀体質の私ですら受け入れることができそうな、『楽しく、好きになれ、納得できる事柄』が垣間見れるからです。

 最後に、今回で2回目となりますが、「国家に品格」藤原 正彦 著、本日の朝刊広告の一部を記載します。
 できることなら、多くの世界の国、人びとに注目され、尊敬される国となりたいものだと思うからです。 一人ひとりが自分を生かす生き方、それがネットワークとなり、地域の集合体となって、21世紀の一つのモデルとなればイイナア〜と考えています。

 『日本人は貧しい。 しかし高貴だ。 世界でただ一つ、どうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、それは日本人だ』 
                        (ポール・クローデル、1943年、パリにて)

 ~『聖ジュヌヴィエヴ』と題されたその詩集は、大正末期から昭和の初めにかけて、駐フランス大使を務めた詩人、ポール・クローデルの著作です。
 日本人の自然観や美的情緒に惹かれ、日本を「非常に古い文明を持ちながら、それを見事に近代文明に適応させた国」と賞賛した詩人大使は、戦争の帰趨定まった頃に、上に掲げたような言葉を遺していました。

 それから60余年ーーー。
 日本人は戦禍をを生き延び、奇跡の復興を遂げ、かってない繁栄を謳歌しています。しかし、それは詩人大使が敬愛してやまなかった「高貴な国」の姿でしょうか。
 日本をはじめ世界中の先進国で社会の荒廃が進んでいるのはなぜなのか。
 「論理と合理」という欧米型文明の基本思想が本来抱えている限界。 
 それに代わりうる価値としての「情緒と形」の可能性。
 藤原氏は、日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」であり、世界に誇るこの独自の国柄を今こそ取り戻すべきとである、と説きます。
 そして、稿を締めくくるに当たって紹介しているのが、この詩人の言葉なのです。』




 COLUMN1ーD NO.414より                                                                          平成17年12月18日 記

 「波動の会」東海ブロック・インストラクター忘年会
 〜気軽に、気兼ねなく何でも語れる会〜

 『観察の重視や技術的な工夫の進展が顕著に現れはじめたルネッサンス期、さらに17世紀の科学革命といわれる時代、これらを経てヨーロッパでは、科学的な実験や発見が積み重ねられてきた。
 大まかに拾ってみると〜
 ・17世紀後半の農法の技術改良、農機具の改良実現、家畜の品種改良、干拓や排水事業の推進→食糧事情の好転ー飢餓という危機からの脱出開始された。
 ・プロト工業のカ=本格的な工場における工業生産の前段階→動力を用いた機械制の工場→動力を正確に伝えるしくみや作動する機械→ユニットとアセンブルの正確さと分業→→”機械時計生産”の手工業←『時計産業』が産業革命を用意した。
 
 18世紀後半にイギリスで、開始された「産業革命」=ものの生産が機械によって行われる。 その機械も動力の機械を使い自然力以外のよって供給。 機械制大工場。
 新エネルギー石炭の火力で蒸気を作る機械→ジェームス・ワットによりピストンの往復運動を回転運動に(1781年)

 この間に、政治・経済・社会システムも新時代の到来を告げる変化をしていた。
 特に技術的な先進性と優位とが、19世紀を「ヨーロッパの世紀」とする大きな意味を持っていた。
 科学技術の発展と工業化の進展は切り離す事はできない。 19世紀後半、科学技術の進歩は急展開、現実の社会や経済を大きく変貌させた。→人々の暮らしのあり方、行動の仕方、ものの考え方という面も大きく変え始めた。→人間生活や価値観の世界まで変える、文明的な変化が生じた。→「産業文明の成立」と呼んだ。』

 以上は放送大学「近代ヨーロッパ史」 福井憲彦教授の教科書より引用した。
 上記のとおりの記述がなされていたのではありません、私が選択し、あるいは割愛し、つなげ合わせたものです。 よって真意を正確に伝えていない事もありえます。 文責は私です。

 
さて、放送大学の後期の試験を1ヵ月後に控えておりますので、少々試験勉強をしたわけではありません。 「波動の会」の説明をするために書き出したのですが、どのように関係つけるかいささか思案中です。 いま少し教科書からの引用にお付き合いください。 と言いますのも、これは現在私たちが心の片隅で、あるいは人によっては現代社会の矛盾や弊害の現象化に憤りやアキラメを感じている。 先行きに希望が感じられないと感じたり・思っていることと、いささか関係があると思えるからです。 
 科学一辺倒、あるいは福井教授の言葉をお借りすれば『「産業文明」から次の段階へと展開する文明史的な転換期にあるのが21世紀と言う、今』と言うことになります。
 


 『科学技術の進歩と応用」
 ・「電気の実用化」からみましょう→ランプやガス灯から「電灯」、家庭製品の全て、コンピューター、携帯電話の充電、動かないオモチャ。鉄道のスピード、船舶輸送に置ける大型化と安定度、
 ・19世紀末「自転車」もスピードのある快適な移動手段として登場。
 ・自動車は言うに及ばないでしょう。
 ・海底ケーブルは地球上のあらゆるところに→そして宇宙衛星による携帯電話。

 「見えないものを見る」
 ・細菌→殺菌法の開発、予防接種←1880年狂犬病の予防接種
 ・結核菌、コレラ菌の発見と対策。
 ・上記の伝染病の対策にから「社会衛生」に→健診による身体衛生、上下水道などの社会衛生、→其れを支える合理的な考え方、行動の仕方、道徳心という、社会に対しての近代的な思考や行動を説く、近代的な思考の伝道者の役割(パスツール、ゴッホ)
・精神分析の試み→フロイト「夢の解釈」→人間の深層心理を捉えることの出来る、普遍性を持った理論が可能である=合理的な説明原理をたて、不可知論にはならない。
 ・放射線、原子核物理学→目に見えない働き、ミクロの世界へと進歩→分子生物学、遺伝子学へ』

 さて、このように「科学技術の時代」は進展、進歩してきたのですが、人類の悩みを解消することが出来ただろうか。 出来た部分もあるが、更に一層見届けられないところにもぶつかり、もがいていると言うことも出来るのではないだろうか。
 更にこの先、今までの延長でこのまま進む事の危惧を抱かないわけにはいかない。
 仮に、其れが現代社会を生み出した「科学技術の発展」に端を発する、ものの見方、価値観、それにもとずく政治・経済・社会のシステム・仕組みであるならば、その根本から見直さなければ輝き希望の21世紀はならないと言うことになると考えます。

 さて、「波動の会」との関係ですが、ここまで入力してきまして、今まで「波動」と言う単語は聞いた事はあるが内容は知らない、あるいは「波動」なんて言葉は聞いた事もないと言われる方に、私のイイカゲンな知識や体験では到底理解していただけないと思います。よって本日はここまでといたします。
 「波動」の事、「波動の会」の生い立ち、活動状況、これからのことなどをお訊ねになりたい方には適切な著書や写真集、集会等のご案内を差し上げるに適任の方を紹介しますので、連絡ください。
 12月17日「波動の会・東海」に参集したメンバーは見えない世界の事を本気で話しても、不思議がりもしませんし、否定もしません。 逆に其れはありうることと肯定するメンバーです。 
               
 そんなメンバー達と年に約10回程、メンバーの一人が所有する名古屋、伏見のマンション12階でお酒を飲みながら日本・世界の政治・経済・社会について談義をしております。 人生相談もありです。ご興味がありましたら気軽にどうぞ。





 コラム2−N  NO148より
                                   平成17年10月8日 記

 ”愛・地球博”185日間のデータ発表
 〜中日新聞 10月6日 朝刊〜博覧会協会まとめ


 入場総数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2204万9544人          
 一日平均入場者数                     11万9186人
 一日最多入場者数                     28万1441人(9月18日)
 一日最小入場者数                      4万3023人(3月25日)
 最も入場者数の多い曜日                 土曜日(平均14万140人)
 
 入場者の平均滞在時間                  6時間55分
 入場者の地元率(東海・北陸地方の占める割合)  60・9%
 リピーター率(2回以上の入場者数)           38・1%
 外国人の入場者割合                    4・6%(最多は台湾18・8%)
 入場券の総販売枚数                 1632万枚(9月の会場外販売分を除く)

 迷子の保護人数                      584人
 拾得物の数                         2万8521人
 熱中症患者                         194人
 「良かった」と答えた人の割合              約80%
 「また来たい」と答えた人の割合             約75%
 全期間入場券での平均入場回数            11・05回
 1人で最も多く入場した回数               270回(一日に複数回入場を含む)

 
  この地方の方でないと目にする機会が少ないだろうと掲載しました。
 この他にも交通手段の調査結果では約2千2百5万人の総入場者のうち、鉄道系の利用が千八十万人(48・9%)、道路系が七百七十一万人(35%)。
 リニモは増発もあり、全体の40%近い八百五十四万人が利用、名古屋からのシャトルバスも百五十万人(6・8%)。
 一方、当初計画に無かった民間駐車場、自転車、タクシーなどの利用者は三百五十四万人(16・1%)に上がった。

 モリゾーゴンドラ(長久手会場と瀬戸会場を結ぶ)(336万人)、燃料電池バス(100万人)、長久手会場の隊列走行バス「IMTS](179万人)、キッコロゴンドラ(434万人)など当初計画をいずれも上回った。

 このような数字が会期終了後、約2週間で発表されるという事は入場券の裏に埋め込まれたチップによるカウントが可能にした事でしょうし、その他各種の先端技術によるものだったのと想像します。 IT革命などと大げさに言わずとも、日々刻々私たちの生活の中に・側で大きな変化の波が起こっています。 (コラム1−D NO367に掲載する予定の内容、そこで勉強してきました。 消費者から見たー近未来のインターネットー)

 これらの数字を見て、最大入場者の日9月18日と最小入場者数の3月25日の両日とも私は足を運んでいました。 3月25日は肌寒い日でした。 9月18日は散歩代わりに出掛けたのですが、余りの人の多さに早々と帰って来てしまいました。
 全期間入場券の利用回数は21回でしたので平均の2倍、平均滞在時間時間は6時間20分でしたので、ほぼ平均並みでした。

 迷い子や熱中症の数が思ったより少なかった事は、色々な対策が効果を発揮したのでしょう。 「良かった」「また来たい」と言っていただいたパーセントがこんなにも高たった事に驚くとともに、少しばかりボランテイアとして関わった者として嬉しく思っております。
 
 色々な報道・評価がなされていますが、「自然の叡智」という、とっつき難いテーマでしたが、お客様=入場者との接点では「ゴミの分別・回収」(回収のみならず、その再利用)「エコマネー」「ボランテイアの活動」に好感を持っていただけたようですし、会場づくりにおいても自然の景観を出来うる限り残し、勾配を補うための木製で出来たグローバルループ(空中回路)が好評で、歩くのが疲れずここを歩いているだけで楽しいとも言って居られるのを何度も耳にしました。
 市民参加と運営による手づくりの「市民パビリオン」や「地球市民村」も会期後半になるに従って、訪問者が増えていったように感じました。

 愛知・瀬戸・海上(かいしょ)の森から始まった計画は大きな評価を受けて5年後の「上海」へと引き継がれる。そこでのテーマは「よりよい都市、よりよい生活」という。
 経済成長著しい中国であるが環境配慮は避けて通れない。 
 サブテーマを5つ設定するという。 「経済の発展、技術の発展、文化交流、人間関係、都市と農村関係」 。これは上海博のテーマにとどまらず、日本そして多くの国が抱えている課題でもある。
 「海上の森」から「上海」にと繋がる架け橋はどのような気づき、発見、体験をさせてくれるのであろうか。 今から楽しみである。
 「2010年の上海博覧会」へ心身ともに健全で参加したい。

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 コラム1−D NO.356 より                                                                       平成17年9月22日 記

 これからの時代、どのように進んでいくのでしょうか
 〜藤原直哉さんからFAXが届きました〜

 
 これはコラム1−Dに掲載したものです。
 「コラム 2−N NO146に関係あるものですので、このエッセイ欄にも掲載します。

 こんなFAXを藤原さんに送りました。

 『前略 何度も繰り返して「ワールドレポート NO482」(私のホームページ、コラム2−N NO146 「藤原直哉のワールドレポートNO482 〜衆議院選挙の結果」を参照ください)を読み返しました。
 先生のように長期に渡り、歴史的・大局的視点に立って突き詰めて見・考えている身ではありませんので、NO482に展開された内容には追いついてゆけないというか、本当にそこまで行くのかなと思ったりしていますが、天意が働けばやはりそこまで行くしかないのかなと思ったりしています。

 ところで、今と言う時代、先生は室町時代・末〜戦国時代と言っておられますが、世界、人類の歴史上では如何なる時代の何処の地域・国の様相なのでしょうか?
 又、そのことを知り、学ぶために推薦される書籍は何でしょうか?
 お教えいただければ有難いです。

 愛・地球博もあと9日で閉幕です。 祭りの後、名古屋・愛知・中部は今後どのように展開してゆくのでしょうか。 
 豊かな自然のヒターランドをもち、堅実な生活の県民性ではあるのですが・・・・
 打ち寄せる大波にどのように対処してゆくのでしょうか。
 結局最後は一人ひとりの心構えと生き方が問われるのでしょうが・・・・
   よろしく お願いします』

 このようなFAXをいただきました。
 『加藤様 こんにちは。 いつもお世話になります。  すっかりごぶたさしておりますがお元気にお過ごしでしょうか。
 お問い合わせありがとうございました。
 
 米国の覇権の衰退と共に米国の属国である日本も世界も次第に戦国時代の様相を呈しつつあります。
 キーワードとしては ・応仁の乱  ・領国経営  ・無縁・公界・楽  ・楽市楽座
 ・分国法  ・太平記  ・京(応仁の乱前後の変化)  ・守護大名と戦国大名
 ・惣  ・荘園の消滅  ・遷都
 あたりでいろいろな解説や本を読んでいただけると、イメージが湧いてくると思います。
 実際に時代が進展してくれば、決して驚くような話ではなく、ごく自然に気がついたらそういう時代になって居ると思います。
 たとえば、15年前の1990年にこの1年間に日本に起きたニュースを霊視などで見たとしたら、みんな卒倒してしまうでしょう。
 しかし実際に生きていれば、ごく普通にそうなっているのです。
 しっかり足元を固めていけば、決して未来が暗くなるような事ではありません。
 どうぞ、ますますご活躍ください。

 PS
 中部地方ですが、トヨタはすでに内部でおかしくなっているのではないでしょうか。
 この1年くらいで状況が急変するかもしれません。 
 その様子を見てまた考えましょう。』




NO.
            平17年9月20日 記

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