→パターナリズムの終焉、既成の官民関係の見直し→公共事業による地域の需要喚起政策に対して、多くの抵抗感や諦観(諦める、テイカン)が定着した。 ・精彩を放った政策は、「政府は何をしないか(すべきでないか)について語ると時で、結果として民間部門の構造改革や活性化につながった。 (加藤、注。 一部の財界の有力者による各種委員会において、特権誘導の規制改革がなされたと言わざるを得ない面が、特に政権後半に露呈した) が、→「政府は何をすべきか(するべきか)の青写真はなかったし、アイデイアも乏しかった。 ・道路公団や郵政の改革、社会保険庁の改革は規制緩和の推進に比べて切れ味が悪かった。 →「三位一体改革は課題を残した。←中央政府のツメがなかったから・・ ・公務員制度改革の最も直接的な所掌課題も解決なし。 →、結果、政府はきわめて曖昧な存在となり、次期政権に引き継がされた。 ・外交→徹底的に内向きの時代の政権にとって、外交は土地勘の乏しい領域であった。 国内政治で通用した敵味方二分法は適用力に限界があった。→中韓関係は典型。 ・外交も「官から民へ」と皮肉られることとなった。 ・小泉政権は内向き時代の産物であるとともに、その犠牲者であった。 、・次の政権の課題が、制約から自由に政治の可能性を追求することにある。 〜以上が、佐々木毅さんの論文「座視」の要約文である。 私はこの十数年注目して、その著書や論文発言に注目してきた方が3人いる。 @藤原 直哉さん (藤原事務所 所長)、 「ワールド・レポート」発行・執筆者) A松藤 民輔さん (株式会社ジパング社長、牛之宮ウイークリー発行・編集・執筆者) B浅井 隆さん (株式会社第二海援隊 社長、経済トレンドレポート発行・執筆者) 上記の3人に加えるに、実にアメリカ社会の中で揉まれ、活躍されてこられ10数年前に、船井幸雄さんが推薦・紹介された増田 俊男さんがいる。 増田さんの発言内容は、当初、私にとっては常識をはるかに超えるというか、次元・視点の隔たりが大きくて驚いたり、本当かなと思ったりしていたが、この数年は増田さんの視点は常にマークしておかなければならない情報として、インターネットの「お気に入り」に登録して、読ませていただいている。 その他といっては失礼であるが、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌に登場する方で、多くの方々がいる中で、以下の方々の発言には目や耳が立ち止まる。 今、思い出す方だけを紹介する。 イ)寺島 実郎 (三井物産戦略研究所所長、日本総合研究所・所長)→バランスの取れた リベラリスト ロ)内藤 直人 (法政大学院教授)→弱者の視点からのものの見方・発言に注目 ハ)金子 勝 (慶応大学教授、学生時代、民主青年同盟のメンバー)→シャープな話し方 と切り口で語る社会批評) ニ)左高 信 (週間金曜日「辛口評論」) ホ)佐々木毅 (元・東京大学学長、学習院大学教授)→バランス良い政治論評 ヘ)中西政輝 (京都大学教授)→右傾向・思想の政治学者? ト)ジェラルド・カーテイス (中日新聞客員 米コロンビア大学教授) チ)ロナルド・ドーア (英国 政治経済学院 名誉教授) と思い出すまま、書き上げてみたが、拾い出してみたら次々に名前が出てくるが、果たしてそれぞれの方への私の定見があるのかと考え直し、これ以上は止めます。 さて、増田 俊男さんの「日本国新総理大臣の資格」より ・一国の首相には@「目指す国家像」を明確にして、 A「理想の国家実現のための「国の形」を示し B国の存在理由である「安全保障」のあり方を打ち出す必要がある。 以上の3点を明確にしているのは「安倍晋三」だけである。 @「普通の国」を目指している。→現行日本国憲法と日米安全保障条約下の日本は普通の国ではない。自国の危機を認識した時、自国の国権の意思で国防が出来ない国は普通の国ではない。 憲法前文の非武装中立の思想は非現実的である。 →安倍氏は憲法改正を唱えている。 「平和と戦争はともに、国家目標達成のための手段」であると言う政治力学を知らねばならない。 戦後60余年のうちに「日本は他国の目的のための手段や場になってきた」のではないか。 安倍氏の「憲法前文と憲法第9条第2項の変更」による「自衛権行使の確立」、更に「集団的自衛権行使容認」は、日本が普通の国になるための基本条件である。 隣村に、自転車で情報を伝えていた時代の都道府県制度は、機能しなくなっている。 情報革命時代に即した「中央官庁再々編成」と『道州制導入」を「新しい国の形」として強調している。 「日本の顔」を作くろうとしている。 国益の最大要因は「国家の安全」である。 そのためにアメリカの国家安全保障会議(NSC)は安全を中心とした外交戦略を大統領に助言する機関。日本版NSCを創設、官邸に助言機関を持って、「日本の顔」を作る。 日本のリーダーを目指す安倍氏の姿勢は完璧。 が、「理想倒れ」にならないためには「霞ヶ関に対する指導力」が決め手。 特に、「国の形」と「道州制」には官僚の抵抗は必至。 小泉のトラの威を借りた・飯島首相秘書官は役人を呼びつけて土下座までさせたが、安倍氏には対官僚政治カードはあるのか。 国民(マスコミ)を味方につけて、官僚と徹底抗戦する覚悟と戦略が必要である。 安倍長期政権のためには戦略が必要。 歴史認識についても「安倍談話」(「村山談話」を理解するも)があっても良い。 客観的かつ共通の時代認識こそが、他国、特にアジア諸国との理解を深める。 靖国問題などは「小手先」であって、正統な国際問題ではないから無視! 「若きプリンス」を日本のために支える気概が全国会議員に求められる。 〜さて、最後に以上の増田俊男さんの考え方、意見に対する私の考え方であるが、悲しいかな、現在明確に答えうる意見を書きれなかったので、入力したものを消すことにしました。 この問題は、避けては通れませんので、必ず再登場させます。 ただ一点、「普通の国」の定義が増田氏のそれで良いのか、また前提に考えてよいのか、話してよいのか。 「普通の国」を選択するとするならば、「どんな国家の形か」をイメージしなければなりませんし、具体的に語らなければいけないと考えています。 が、どうも、日本は「普通の国」以外の道の選択があるのではと今のところ思っているのですが・・・
COLUMN 1−D NO555 より 平成18年7月1日 記 「エネルギーの持続可能性について」の対談
|
|
今回はそのフォーラムの専務理事・エネルギーの専門家でもあります宮崎龍雄さんと藤原直哉さんが対談されています。 ・今の私たちは1人当たり、江戸時代の10万倍のエネルギーを消費している。 ・原子力エネルギーへの嫌悪感は理解するが、工場を動かし、製品を作るためには自然エネルギーでは到底まかなえない。当面は原子力が必要である。 ・現状は綱渡りのエネルギー状況である。 ・CO2を回収する技術開発が求められ、進んでいる。 ・エネルギー資源の安定供給のためには、各国との信頼関係の確立が求められている。 ・信頼されるために日本は教育関係での協力が出来る国である。 ・家庭でできる省エネルギーは当たり前のことをすること。 ・原子力が嫌なら、何ができるのか、どれだけ耐えられるのかを考えてみる必要がある。 など、興味あるお話が分かりやすく語られています。 「日本再生プログラム推進フォーラム」で検索すれば、直ぐに見つかります。 1時間弱の対談です。 時間が許し、気分の落ち着いているときに耳を傾けてください。 追記 何とかエヤコンを点けずに聞き終えましたが、このブログを入力する時には、30度を越えて汗が噴出し26度設定で入力を終えようとしております。 「言うは易く、行うは難し」です。 いつの間には「ジリジリと焼け付く、8月15日の炎天下のイメージ」が思い起こされました。 在ってほしくない、在ってはならない敗戦の日が横切りました。 |
COLUMN 2−N NO193より 平成18年6月16日 記 福井日銀総裁「日本の信頼に傷がつく」 6月16日
|
6月15日 朝刊中日新聞社説より 「日銀の福井俊彦総裁が村上ファンドに一千万円を投資していた問題が波紋を広げている。 金融市場は日銀の独立性に疑問を投げかけた。 信認を失った以上、速やかに総裁を辞任するほかない。 同日の経済面には・道義的責任ある/辞める必要ない 批判と擁護交錯 利益は億単位? 憶測飛び交う 6月16日 朝刊中日新聞社説より 「福井俊彦日銀総裁の村上ファンド出資問題は異様さを通り越して、どこか醜悪な様相を呈してきた。 このままでは、福井氏や日銀だけでなく、日本経済と金融政策への信頼が傷つく。 そして、1面トップに 「日銀総裁 辞任を否定 複数企業の株も保有」とある。 〜中部地方を中心の新聞とはいえ、全国紙にも引けをとらないと見ている中日新聞が、2日間に渡って「社説」に取り上げるのはめったにないことである。 このこととは、直接関係はないが「コラム2−N NO189で「ヤッパリ、世界バブルが弾けたか?」の項で、2001年10月9日の前日銀総裁速水氏の発言を取り上げた。 福井総裁は少なくとも前・日銀速水総裁とはまったく反対の金融政策をとった。 ゼロ金利に、ジャブジャブとお金を世界にばら撒いた。 日銀総裁になるのに政府に借りがあったとかで、そのような金融政策をとったとか、あるいは小泉政権の次の政権になるまでに、これまでの政策転換をしておき、フリーハンドになっておきたかったとかの情報があるが、私には遠くの話である。 が、どうもここきて人気絶頂であった小泉政権も昨年末よりヨレヨレになってきたようだ。 国会の延長もなく、早々と終了するのは、これ以上やっていると化けの皮が剥がれるか、全ての献金が森派(小泉政権に通じる人々)に流れていたが、流れが変わって検察の動きも変化きたという。(押さえ込まれていた人々が、米国の小泉離れの変化を読み取って) 小泉政権が誰に変わろうと、政権交代しようが、もっと大きな時代の流れの中では大したことはなさそうである。 と言って、金融の総元締めの日銀総裁問題がこのまま玉虫色の決着に終わるのであるならば、やはり問題である。 それを許している、マスコミ、評論家、政治家、そして私たち庶民も如何なものだと感じ、考えているのだが、年寄りの冷や水であろうか。 リーダーや責任ある立場の人間が、イイカゲンであるから世の中乱れるのである。 |
COLUMN 2−N NO186 より 平成18年5月23日 記 「春日井市選管 市長選絡み混乱
|
『春日井市選挙管理委員会は22日、前日に告示したばかりの市議補選の被選挙数を一から三に訂正すると発表した。 同補選には新人4人が立候補、選挙運動をしている。 (中略) 入院治療中の市長が辞職届を提出、4月13日、市長選日程を決定。 昨年2月に現職が病死し、欠員一だった市議の補選も市長選と同じ5月21日告示、28日投開票で行なうこととした。 市長選には現職市議二人が出馬表明し、市議を辞任した。(11日と17日) 公選法には市町村選に伴い同時に行なわれる市町村議補選については、首長選告示の前日から10日以内に議会に欠員が生じた場合は、補選を実施しなくても良いとしている。 今回は既に補選の実施が決まっているのに、春日井市選管はこの条文を「10日以内に出た欠員は被選挙数に加えなくても良い」と読み間違えた。 (後略)』 以上が1面に記載され、3面にも『選管平謝り 市民は怒り』と記事が載っている。 〜朝、この記事を読んで、このまま選挙を終わらしてはいけないと、まず中日新聞・春日井支局に電話する。 自己紹介をしてから本日の新聞内容について意見を言う、「中日新聞の主張が感じられない。 いくら第3者的な立場といっても、ただ事実を伝えるだけでは報道機関としての責任を果たしていない。市民が怒っているだけと書いてあるだけではないか」と言う。 若い記者と思われる声で「十分意見を言っていると思いますが・・」との返事。 午前10時にオープンするという本社の「読者のコーナー」に電話する。 ベテランの方の声が繋がった。 「中日新聞の意見を社説に掲載して欲しい」と。 これに対しては何の返事もなかったが、終始落ち着いた応答であった。 様々な声が届けられているのであろうからいちいちその場での返答はしないことになっているのだろう。 春日井市役所の総務部・選挙管理委員会へつなげてもらう。 岡田という担当が出る。 「新聞報道にあるように、このまま選挙を実施すれば後々必ず問題になる。 出直すべきだ」と意見を言う。 それに答える立場にもないでしょうし、このまま補選を実施するという委員会の決定に従うしかないのだろうと、それ以上は言わなかったが、近くの電話の音が聞こえたので、「何本の電話で対応しているのだ」と尋ねると「6本です」という。 「この意見は必ず上に伝えて欲しいし、必要ならば市役所に直接出かけても良いから」と改めて、住所と電話番号、氏名を伝えて電話を切った。 たった1週間の選挙戦のこととはいえ、あと5日ある。 間違いは何処にでも、誰にでもあるものだ。 気づいた時すばやく過ちを認め、ヘンな理屈をつけずに修正することであることを、過去の経験から教えられている。 我が春日井市の選挙管理委員会はどのように判断、決断するのか。 それを聞いていた女房が「暇でうるさい人が増えているから、大変だ」と一言漏らす。 30万市政だの、開かれた市政だの、暖かい市政だの、環境に優しい市政だのということは簡単。 それを実現するのは市民一人ひとりの自覚と行動によると自分に言い聞かした。 |
COLUMN 1−D NO523 より 平成18年5月9日 記 やはり気になる、金価額の上昇 |
私と10年前に会って、その後も付き合いが続いている方なら、また”オオカミ爺”が同じ事を話し始めた、これで何回目だと言われることでしょう。 が、メモ用紙を捨ててしまおうかと考えていたが、1週間過ぎても手元に残っていた以下の数字を見ていただきたい。 米ドル/1オンス平均 為替平均 田中平均/g金価額 1973年 97・22 269・25円 958円 1980年 612・13 227・07 4499 1987年 446・67 145・71 2133 1989年 381・00 139・01 1723 1995年 384・16 95・10 1209 2000年 279・16 108・00 1014 2001年 271・01 122・54 1105 2005年 444・12 111・23 1619 2006年1月 549・15 116・47 2074 2006年2月 555・20 118・97 2136 2006年3月 567・00 118・39 2128 2006年5月3日 668・50 5月8日 102・?? 5月8日 2605 5月7日、コラム2−N NO184「修行について」のところでも書きましたが、世界の各地で起こっている現象は、かなり怪しいと感じない訳にはいかない。 現物市況の石油高騰が生活を直接脅かすと言うことで注目されている。 石油の原油の生産量のピークは2005年で、10年ほどで石油不足は明確になると。 そして、1バーレルが90ドルになると、米国の国民は収入の増加分は全て石油に持っていかれ、90ドルを超えると家計が持たなくなるとの記事も読んだ。 3年後には米国社会の過剰消費と借金が米国を暴落させるとも語っている。 これまでの10年間で金利ゼロの世界が身についてしまった、これから金利が上がるとなれば、急速でしかも長期に続くのではないだろうか。 素人の勘である。 何度も「オオカミ爺」と言われてきたが、今度もそうなれば結構なことであるが、そんな状況にはならない、なれない条件と環境が深く広がったと思う。 金を空売りして、力で持って金価額を押さえ込もうとしている人たちもいた。 日本で金貯蓄と言う名前で金投資をしていた会社があった。私のところにも電話が入ったことがある。 金預蓄をしていた人たちが、現物の金をほしいと言った時、果たして金は存在するのであろうか。 ここ数年、金の生産は環境問題や低く押さえつけられた価額で採算があわず、減産続きであると聞いている。 と言うことは、金現物はないと言うことになる。 そのことが分かっている人たちによって、金は買い集められて上昇しているのであろうか。 金がどうなろうと関係ないが、この動きを見ながら、「オオカミ爺」の予測していた時代が近づきつつあるのではないかと、思い此処に書いてみた。 有事の時には金といわれているが、真坂のマサカが起こらないとも限らないことをしめしているのでなければ良いのだが・・・・ |
平成18年3月22日 記 ライブドア、ホリエモンこと堀江 貴文氏のこと
|
|
|
COLUMN1ーD NO.441より 平成18年1月21日 記 |
一昨日の講演に引っかかるものを感じて
|
COLUMN1ーD NO.414より 平成17年12月18日 記 |
「波動の会」東海ブロック・インストラクター忘年会
|
『観察の重視や技術的な工夫の進展が顕著に現れはじめたルネッサンス期、さらに17世紀の科学革命といわれる時代、これらを経てヨーロッパでは、科学的な実験や発見が積み重ねられてきた。 大まかに拾ってみると〜 ・17世紀後半の農法の技術改良、農機具の改良実現、家畜の品種改良、干拓や排水事業の推進→食糧事情の好転ー飢餓という危機からの脱出開始された。 ・プロト工業のカ=本格的な工場における工業生産の前段階→動力を用いた機械制の工場→動力を正確に伝えるしくみや作動する機械→ユニットとアセンブルの正確さと分業→→”機械時計生産”の手工業←『時計産業』が産業革命を用意した。 18世紀後半にイギリスで、開始された「産業革命」=ものの生産が機械によって行われる。 その機械も動力の機械を使い自然力以外のよって供給。 機械制大工場。 新エネルギー石炭の火力で蒸気を作る機械→ジェームス・ワットによりピストンの往復運動を回転運動に(1781年) この間に、政治・経済・社会システムも新時代の到来を告げる変化をしていた。 特に技術的な先進性と優位とが、19世紀を「ヨーロッパの世紀」とする大きな意味を持っていた。 科学技術の発展と工業化の進展は切り離す事はできない。 19世紀後半、科学技術の進歩は急展開、現実の社会や経済を大きく変貌させた。→人々の暮らしのあり方、行動の仕方、ものの考え方という面も大きく変え始めた。→人間生活や価値観の世界まで変える、文明的な変化が生じた。→「産業文明の成立」と呼んだ。』 以上は放送大学「近代ヨーロッパ史」 福井憲彦教授の教科書より引用した。 上記のとおりの記述がなされていたのではありません、私が選択し、あるいは割愛し、つなげ合わせたものです。 よって真意を正確に伝えていない事もありえます。 文責は私です。 さて、放送大学の後期の試験を1ヵ月後に控えておりますので、少々試験勉強をしたわけではありません。 「波動の会」の説明をするために書き出したのですが、どのように関係つけるかいささか思案中です。 いま少し教科書からの引用にお付き合いください。 と言いますのも、これは現在私たちが心の片隅で、あるいは人によっては現代社会の矛盾や弊害の現象化に憤りやアキラメを感じている。 先行きに希望が感じられないと感じたり・思っていることと、いささか関係があると思えるからです。 科学一辺倒、あるいは福井教授の言葉をお借りすれば『「産業文明」から次の段階へと展開する文明史的な転換期にあるのが21世紀と言う、今』と言うことになります。 『科学技術の進歩と応用」 ・「電気の実用化」からみましょう→ランプやガス灯から「電灯」、家庭製品の全て、コンピューター、携帯電話の充電、動かないオモチャ。鉄道のスピード、船舶輸送に置ける大型化と安定度、 ・19世紀末「自転車」もスピードのある快適な移動手段として登場。 ・自動車は言うに及ばないでしょう。 ・海底ケーブルは地球上のあらゆるところに→そして宇宙衛星による携帯電話。 「見えないものを見る」 ・細菌→殺菌法の開発、予防接種←1880年狂犬病の予防接種 ・結核菌、コレラ菌の発見と対策。 ・上記の伝染病の対策にから「社会衛生」に→健診による身体衛生、上下水道などの社会衛生、→其れを支える合理的な考え方、行動の仕方、道徳心という、社会に対しての近代的な思考や行動を説く、近代的な思考の伝道者の役割(パスツール、ゴッホ) ・精神分析の試み→フロイト「夢の解釈」→人間の深層心理を捉えることの出来る、普遍性を持った理論が可能である=合理的な説明原理をたて、不可知論にはならない。 ・放射線、原子核物理学→目に見えない働き、ミクロの世界へと進歩→分子生物学、遺伝子学へ』 さて、このように「科学技術の時代」は進展、進歩してきたのですが、人類の悩みを解消することが出来ただろうか。 出来た部分もあるが、更に一層見届けられないところにもぶつかり、もがいていると言うことも出来るのではないだろうか。 更にこの先、今までの延長でこのまま進む事の危惧を抱かないわけにはいかない。 仮に、其れが現代社会を生み出した「科学技術の発展」に端を発する、ものの見方、価値観、それにもとずく政治・経済・社会のシステム・仕組みであるならば、その根本から見直さなければ輝き希望の21世紀はならないと言うことになると考えます。 さて、「波動の会」との関係ですが、ここまで入力してきまして、今まで「波動」と言う単語は聞いた事はあるが内容は知らない、あるいは「波動」なんて言葉は聞いた事もないと言われる方に、私のイイカゲンな知識や体験では到底理解していただけないと思います。よって本日はここまでといたします。 「波動」の事、「波動の会」の生い立ち、活動状況、これからのことなどをお訊ねになりたい方には適切な著書や写真集、集会等のご案内を差し上げるに適任の方を紹介しますので、連絡ください。 12月17日「波動の会・東海」に参集したメンバーは見えない世界の事を本気で話しても、不思議がりもしませんし、否定もしません。 逆に其れはありうることと肯定するメンバーです。 そんなメンバー達と年に約10回程、メンバーの一人が所有する名古屋、伏見のマンション12階でお酒を飲みながら日本・世界の政治・経済・社会について談義をしております。 人生相談もありです。ご興味がありましたら気軽にどうぞ。 |
コラム2−N NO148より 平成17年10月8日 記 |
”愛・地球博”185日間のデータ発表
|
入場総数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2204万9544人 一日平均入場者数 11万9186人 一日最多入場者数 28万1441人(9月18日) 一日最小入場者数 4万3023人(3月25日) 最も入場者数の多い曜日 土曜日(平均14万140人) 入場者の平均滞在時間 6時間55分 入場者の地元率(東海・北陸地方の占める割合) 60・9% リピーター率(2回以上の入場者数) 38・1% 外国人の入場者割合 4・6%(最多は台湾18・8%) 入場券の総販売枚数 1632万枚(9月の会場外販売分を除く) 迷子の保護人数 584人 拾得物の数 2万8521人 熱中症患者 194人 「良かった」と答えた人の割合 約80% 「また来たい」と答えた人の割合 約75% 全期間入場券での平均入場回数 11・05回 1人で最も多く入場した回数 270回(一日に複数回入場を含む) この地方の方でないと目にする機会が少ないだろうと掲載しました。 この他にも交通手段の調査結果では約2千2百5万人の総入場者のうち、鉄道系の利用が千八十万人(48・9%)、道路系が七百七十一万人(35%)。 リニモは増発もあり、全体の40%近い八百五十四万人が利用、名古屋からのシャトルバスも百五十万人(6・8%)。 一方、当初計画に無かった民間駐車場、自転車、タクシーなどの利用者は三百五十四万人(16・1%)に上がった。 モリゾーゴンドラ(長久手会場と瀬戸会場を結ぶ)(336万人)、燃料電池バス(100万人)、長久手会場の隊列走行バス「IMTS](179万人)、キッコロゴンドラ(434万人)など当初計画をいずれも上回った。 このような数字が会期終了後、約2週間で発表されるという事は入場券の裏に埋め込まれたチップによるカウントが可能にした事でしょうし、その他各種の先端技術によるものだったのと想像します。 IT革命などと大げさに言わずとも、日々刻々私たちの生活の中に・側で大きな変化の波が起こっています。 (コラム1−D NO367に掲載する予定の内容、そこで勉強してきました。 消費者から見たー近未来のインターネットー) これらの数字を見て、最大入場者の日9月18日と最小入場者数の3月25日の両日とも私は足を運んでいました。 3月25日は肌寒い日でした。 9月18日は散歩代わりに出掛けたのですが、余りの人の多さに早々と帰って来てしまいました。 全期間入場券の利用回数は21回でしたので平均の2倍、平均滞在時間時間は6時間20分でしたので、ほぼ平均並みでした。 迷い子や熱中症の数が思ったより少なかった事は、色々な対策が効果を発揮したのでしょう。 「良かった」「また来たい」と言っていただいたパーセントがこんなにも高たった事に驚くとともに、少しばかりボランテイアとして関わった者として嬉しく思っております。 色々な報道・評価がなされていますが、「自然の叡智」という、とっつき難いテーマでしたが、お客様=入場者との接点では「ゴミの分別・回収」(回収のみならず、その再利用)「エコマネー」「ボランテイアの活動」に好感を持っていただけたようですし、会場づくりにおいても自然の景観を出来うる限り残し、勾配を補うための木製で出来たグローバルループ(空中回路)が好評で、歩くのが疲れずここを歩いているだけで楽しいとも言って居られるのを何度も耳にしました。 市民参加と運営による手づくりの「市民パビリオン」や「地球市民村」も会期後半になるに従って、訪問者が増えていったように感じました。 愛知・瀬戸・海上(かいしょ)の森から始まった計画は大きな評価を受けて5年後の「上海」へと引き継がれる。そこでのテーマは「よりよい都市、よりよい生活」という。 経済成長著しい中国であるが環境配慮は避けて通れない。 サブテーマを5つ設定するという。 「経済の発展、技術の発展、文化交流、人間関係、都市と農村関係」 。これは上海博のテーマにとどまらず、日本そして多くの国が抱えている課題でもある。 「海上の森」から「上海」にと繋がる架け橋はどのような気づき、発見、体験をさせてくれるのであろうか。 今から楽しみである。 「2010年の上海博覧会」へ心身ともに健全で参加したい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー |
コラム1−D NO.356 より 平成17年9月22日 記 |
これからの時代、どのように進んでいくのでしょうか
|
これはコラム1−Dに掲載したものです。 「コラム 2−N NO146に関係あるものですので、このエッセイ欄にも掲載します。 こんなFAXを藤原さんに送りました。 『前略 何度も繰り返して「ワールドレポート NO482」(私のホームページ、コラム2−N NO146 「藤原直哉のワールドレポートNO482 〜衆議院選挙の結果」を参照ください)を読み返しました。 先生のように長期に渡り、歴史的・大局的視点に立って突き詰めて見・考えている身ではありませんので、NO482に展開された内容には追いついてゆけないというか、本当にそこまで行くのかなと思ったりしていますが、天意が働けばやはりそこまで行くしかないのかなと思ったりしています。 ところで、今と言う時代、先生は室町時代・末〜戦国時代と言っておられますが、世界、人類の歴史上では如何なる時代の何処の地域・国の様相なのでしょうか? 又、そのことを知り、学ぶために推薦される書籍は何でしょうか? お教えいただければ有難いです。 愛・地球博もあと9日で閉幕です。 祭りの後、名古屋・愛知・中部は今後どのように展開してゆくのでしょうか。 豊かな自然のヒターランドをもち、堅実な生活の県民性ではあるのですが・・・・ 打ち寄せる大波にどのように対処してゆくのでしょうか。 結局最後は一人ひとりの心構えと生き方が問われるのでしょうが・・・・ よろしく お願いします』 このようなFAXをいただきました。 『加藤様 こんにちは。 いつもお世話になります。 すっかりごぶたさしておりますがお元気にお過ごしでしょうか。 お問い合わせありがとうございました。 米国の覇権の衰退と共に米国の属国である日本も世界も次第に戦国時代の様相を呈しつつあります。 キーワードとしては ・応仁の乱 ・領国経営 ・無縁・公界・楽 ・楽市楽座 ・分国法 ・太平記 ・京(応仁の乱前後の変化) ・守護大名と戦国大名 ・惣 ・荘園の消滅 ・遷都 あたりでいろいろな解説や本を読んでいただけると、イメージが湧いてくると思います。 実際に時代が進展してくれば、決して驚くような話ではなく、ごく自然に気がついたらそういう時代になって居ると思います。 たとえば、15年前の1990年にこの1年間に日本に起きたニュースを霊視などで見たとしたら、みんな卒倒してしまうでしょう。 しかし実際に生きていれば、ごく普通にそうなっているのです。 しっかり足元を固めていけば、決して未来が暗くなるような事ではありません。 どうぞ、ますますご活躍ください。 PS 中部地方ですが、トヨタはすでに内部でおかしくなっているのではないでしょうか。 この1年くらいで状況が急変するかもしれません。 その様子を見てまた考えましょう。』 |
NO. 平17年9月20日 記 |
新ページ作成 |
「このページ以前のエッセイはこちらへ」をクリックしてください。 |
|
前のページはこちらからどうぞ |