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COLUMN 1−D 2750 より
平成27年7月17日・記
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中部大学 秋期の受講申し込みが始まる
〜11年目の今年後半も、ボケ防止で続ける〜
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今月末で春期の講義が終了する。
秋期・聴講生として参加できる講義内容は工学部、生命健学部、応用生物学部、経営情報学部、日本語日本学部、英語英米文化学部、コミュニケ^ション学科、心理学科等がある。
この11年間はほとんど歴史地理学科、国際関係学部で欧米、中東、中国、東南アジア、アフリカの歴史、思想、文化、宗教でした。
当初はお目当ての教授が居りその講義に集中参加していたが、その教授の講義に人気高く、学生と同じ講義を受けるので制限が加えられた。
抽選で選ぶのでここ数年は当選するとことが全くなくなった。
農作業と定期の講義があると長旅の旅行は年度末の1月末から3月上旬までした時間がとれない。
今春も予約を入れたが、姉の病状が変化してキャンセルとなった。
キャンピングカーでもう一度北海道旅行と思っているが、冬場は避けたいし、今度は体力が続くのだろうかとも気になっている。
横道のそれましたが、今年の秋期の講義は以下を選定しました。
応募者が多いとこれまた抽選ですので、どうなりますことやら・・。
選んだ科目は「中国国際関係研究」・・この科目ガイドには以下のことが認められています。
「中華人民共和国の外交及び国際関係上、非常に大きな存在である台湾の歴史を学ぶ、合わせて台湾が中華人民共和国に与えている(与えた)
文化的・経済的影響、そして中華人民共和国との関係について概論する。」
今一つが、これまた中国関係を選択しました。
『中国社会研究特殊講義B]です。 科目ガイドは以下のようです。
『中国と華人世界ー歴史・相互関係・影響』をテーマに、国家・地域の歴史と社会、コミュニケーションの特徴について概説する。
あわせて、東南アジアや欧米日本に於ける華僑華人の状況について紹介し、(中国大陸も含めた)中国社会の特徴をつかむ。』
今改めて以上2教科を選択した事は適切であったと思っている。
1、アメリカの衰退。(世界の警察官として地位を維持しかねる)
2、特に中東地域からの後退。(自国で石油が採取できることとなり、中東の重要性が低下してもいる。イスラエル、サウジの関係を損ねてまで)
3、ウクライナ問題等でロシアとの緊張状態が続く。
4、国の盛衰をライフスタイルから判断して、一直線に世界第2位の地位まで上がってきた中国。一時の勢いは怪しくなっているが大局で見るならば
今・成長後期に位置しており、まだ成長の余力を持っている。
(このところ不動産バブル崩壊、株価の大幅乱高下と低迷、国民性も絡んでの金の魅力・魔力で踊り狂い、挙句の不満爆発の暴動ありか?)
南シナ海、東シナ海での強引とも思える軍事進出が、国内問題と絡んで
予断を許さない状勢と急激になってきた。
5、アメリカに2方面展開の余力はなく、軸足がアジアに向かれようとしている。 日米安保体制・法制の変化と米軍の動向と日本の役割。
6、そんな中にあって、中華人民共和国と台湾の歴史と経緯と今後。
世界は多極化の方向を更に進めるが、大きくクローズアップされるこの地域を中国人民共和国を中心として勉強してみたい。
COLUMN 1−D 2502 より
平成26年5月27日・記
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何処に・何に関心が有るのだろう?
〜知人・友人からの便りを受けて〜
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知人、友人から世の中のこれからを憂う内容であったり、ご自身のこれまでの生き方やこれからの家族のことなど・・・。、
手紙やメールが届き夜中に目が覚めたのでしょう。
それぞれが移り行く時代の変化の中にあって、様々に感謝の念を書き、また先行きに不安や時には恐怖を口にしています。
そんな便りを受け取ったからでしょうか夜中に私自身は何処に、何に関心が向いているのだろうと自問していました。
自分の事 家族の事 仲間の事、地域社会の事、国の事
思う・
考える 40% 25% 5% 10% 20%
勉強する
行動する 45% 35% 10% 5% 5%
ACTION
↑現状の私でしょうか。 朝、枕元に上記の内容がメモされていました。
本日のNHK朝のテレビドラマ「花子とアン」は4年間家族を置き去りにして、日本の何処かをめぐり渡り歩いていた”おっとう”が突然帰ってきました。
人気映画であった「フーテンの寅さん」も、妹、おいちゃん、おばちゃんの事を思いながら旅していました。
アメリカ・9・11同時多発テロ事件、リーマンショック、3・11北関東大震災
あるいはアメリカの相対的な力の低下を通じ時代の変化・転換が今後も間違いなく続く事でしょう。
右肩上がりの成長至上主義、市場原理主義、デフレ経済下の値下げ・経費削減一辺倒ではこの先の出口が見えないことは見えています。
今一度足元の現実を見つめ直し、身近な家族や仲間、地域とのつながりの関係を再構築する時にあると感じています。
知人・友人からの便りは一層其の事を教えてくれています。
本日は豊橋の姉のところに行きます。
COLUMN 1−D 2501
平成26年5月25日・記
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COLUMN 1−D 2409 より
平成26年2月2日・記
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「波動の会」会場の窓の外のカラス
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ほぼ月に1回開催される「波動の会」は、メンバーの一人が所有している名古屋・伏見の1等地にあるマンショの12階で開催されます。
時には会のメンバー以外も参加されることが有り、賑やかな時もありますが、このところは参加メンバーが固定されることが多い。
予測通りの話題がテーブルに乗りそれぞれの意見や判断そして希望が述べられるが、一時に比べ私の発言は控えめにしているつもり。
本人が其のように思っているだけで、口を開けば長々と持論を述べていることだろうが・・・。
東京都知事選、特に原発問題に関しては脱原発で話は落ち着くのだが、
東京都民は原発に限らず地方のことを理解していないと不満が出る。
郵政民営化問題を初め当時の小泉首相の言動には懐疑的な面が有り、細川ー小泉陣営が果たして委ねられるかとの意見もでる。

↑その間、隣のビルのパラボナアンテナに止まったカラスを眺める。
キョロキョロと辺りを睥睨し餌でも探しているのだろうか?
近頃、都会と言わず、郊外に置いてもスズメの姿がめっきり減った。
人間様の住む家屋の構造(特に屋根)が変化して、巣作りするところが減ったことによるのではないかと言われるが、それに比べて知恵ある(?)、少々悪役のカラスは一向に減った様子がない。
などと、窓の外のカラスを眺めながら、室内の政治論議に耳を傾けていた。
極めつければ安倍自民・枡添(原発再稼働・推進)VS細川・小泉陣営(脱原発・自然エネルギー転換)の戦いと言うことになるのでしょう。
が、どちらが当選しても、多くの課題が山積しておる今の世界、日本では、大難が中難、小難に転換すれば良いのですが、根源的・根本的な解決には至らないと思っています。
このまま進めば、東京に直下型の地震でも起こらない限り、転換は無理なのではないかと口に出してしまいました。

↑カラス君に問いかけてみようと再び外を見ると、今、飛び立った後ろ姿の残影が横切っただけでした。
COLUMN 1−D 2407 より
平成26年1月30日・記
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冷たい雨の一日でした。
〜東京都知事選について〜
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予報通りに雨が降りだした。 本日の農作業の中止は正解だった。
昨夜からの睡眠が十分でなかったのか、パソコンに向かていると書斎の椅子にもたれて2度もウトウトと眠り込んでしまった。
結果、身体が軽くなったように感じる。
階下に向かう時ベランダ越しに庭を眺める。 雨に濡れたロウバイが6分咲きとなっている。

↑本年3度目の登場です。↓

再度パソコンに向かうと2月1日「波動の会」の案内が届いていました。
本年最初の会となります。 例によって様々な話題が登場するだろうが、間違いなく”東京都知事選”のことは取り上げられる。
特に発言しなくても話題は通過してゆくが、口にするしないは別として、私はどのように考え・思っているのだろうかと自問した。

↑目の前、雨に濡れ結露したガラス窓に『道』と指で書く。
政府与党、自民党・安倍,其の思惑を忖度して大メデイアが今回の東京都知事選挙では特に”原発”を取り上げないようにしていると言われている。
また、本日の新聞ではNHK・朝のラジオ番組「朝一番・ビジネス展望」に20年間登場していた、中北東洋大学教授が、NHKからの「脱原発発言を止めて」との要請に、中北教授は番組から降板することとなったと報道。
新しく任命されたNHK籾井会長は最初の記者会見で慰安婦問題の発言をめぐって、その進退が注目されている。
時代の転換期、旧来からの既得権益・利権を有する立場の組織・個人は其の立場を守ろうと、ついつい大きなうねり・流れを見失い逆に其の立場を危うくしていると感じない訳にはいかない。
これまでの秩序や価値観、仕組み、制度が疲労し熟すと、新たな時代の到来を止めることはできないと考えます。
東京都知事選挙の争点は「脱原発か継続・再稼働か」、「直下型震災に対する東京の防災の考え方、同時に3・11の福島原発の問題」、あるいは「高齢者問題を含む暮らし」「教育」等が挙げられているが、究極はこれまでの延長か、それとも新規出直しと言うことの視点の論点に見える。
単純化してしまえば、「突如登場した細川・小泉陣営 VS 右翼化路線を明確化している安倍政権」の戦いと言うことになると判断している。
其のどちらが勝利しようと今の世界、日本が抱えている課題への根本的解決はなされないと考える。
その理由は色々口にするが、結局「MORE&MOREの物的豊かさ」を目指すということならば、それは究極のところ行き詰まる。
物的な豊かさを追い求めるよりも、身近にある日本の歴史、伝統、文化、にもっと目を向け、日本人が持つ勤勉、実直、嘘偽りのない精神、技術、技能に目覚め、活かすことこそこれからの道と考えます。
物的な豊かさはもうこの辺で十分ではなかろうか、それよりもいくら追及しても物的なエネルギーの消費とならない無現の拡がりをもつ限り精神性の豊かさへの充足にもっと重心を移すべき時と考えます。
前にも書きましたが、これは古希を過ぎた者としての戯言でしょうか。
「足るを知る」、朝の拝礼時は素直に手を合わせていますが、その実態は?
夕刻、雨こそ止みましたが、霧に包まれ春日3山は全く見えません。
冷たい雨の一日でしたが、穏やかで・静かな一日でした。
COLUMN 1−D 2402 より
平成26年1月22日・記
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早くも、長い春休みに入りました
〜中部大学・2013年秋期の講義が終了〜
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1月16日に、このコラム・NO2401を書いてからアット言う間に1週間が経過しました。
この間、特別なことが有ったわけではありませんが、ここ十数年、嫌いなこと、嫌なこと、気が進まないこと、納得できないには手を出さない、あるいは退くと決めて日々を過ごしてきましたし、ほぼ可能な日々でした。
が、心ならずもそのような考えや行動で過ごす訳にはいかない状況となり、それなりに考え、行動をしておりましたら1週間が経過していました。
課題が解決されたと言う訳ではなく、今後も継続することになります。
その間も中部大学のオープンカレッジには参加しており、昨日で2014年の秋期が終了しました。
2005年NHKの放送大学と中部大学のオープンカレッジの受講を始めたのですが、NHKの方は3年間で中止、直接生で講義を聞ける中部大学の方は丸9年間が終了したことになります。
今期は近世・江戸時代後期から現代までの経済をベースにした講義内容でした。
アベノミックスまで取り上げるとレジュメには紹介されていましたが、日本の高度成長・その後のバブル崩壊のところで講師は意識して終了されました。
・沖縄の辺野古基地の建設に伴う知事の埋め立て承認、その直後の辺野古市長選による建設反対候補の当選。
・3・11の東北の震災後の復興、それに絡む福島の原子力発電問題。
・2020年に五輪・パラリンピックの東京招致の決定。がそれを推進する任の猪瀬知事の辞任、明日からは後任知事選出の選挙が始まる。
・3本の矢と銘打ったアベノミックスはジャブジャブの金融緩和策で、円安と株価上昇。が、近隣諸国を巻き込む政府主導の危うさを伴う政治情勢。
目先の日本を取り巻く状況に限らず、世界はアメリカも中国もそしてEUも何時何度バブルが弾けてもおかしくない状況です。
このような時に、20代の若い博士がどのような見解を述べるか強い関心を持っていたが、結局取り上げずに最終講義は終了しました。
では、私はどのように考え、行動をするのか?
世界も・日本もどのようにやり繰りしても、(ほとんどの場合は金の刷りまくり)問題を先送りしても、既得権益・利権に伴う旧来の仕組み・制度では時間の問題で行き詰まる。
明るく・希望的な観測に立って、このまま・これまでの状態を享受できないかと願わない訳ではないが、先を歩いてきた者としてそんなことが許されるのかと自問し足を止める。
この1週間の思案を改めて考え直すと、危うさやひ弱さを感じない訳ではないが、次の世代=若い人に思い切って託してゆく事が自然な流れであり、筋ではないかと考えています。
が、勉強は怠らず、ボケず・健康で健康保険、介護保険に可能な限り御世話にならないようにと心がけ、身体を動かそうと思っています。
COLUMN 1−D 2400 より
平成26年1月14日・記
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72回目の 誕生日の日に
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中部大学・オープン・カレッジ・2013年度の秋期の講義内容は徳川時代末期から近現代に至る日本経済史の展開を、19世紀半ばにおける近代化の出発と国際経済システムへの対応と反発という観点から再検討するものです。
全15回の講義内容ですが年が明けて2014年1月7日の第13回の講義より、当初の計画が変更され、学生、聴講生も参加する形式で簡単な質問の問いかけが取り入れた内容となりまqした。
先週は「資本主義とは何か?」 現代に至り全てが「カネ、カネ、カネ」となっているが、果たして当初はどのようにして生まれたか?
そして、資本主義社会の当初では考えられなかったものが現代では「擬制商品化したものはどのようなものであるか?
当初は「土地」、「労働」、「資金」が擬制商品化されたが、21世紀になると資源の水、あるいは電子マネー、クレジットが現れた。
あるいは医学における「腹貸し」も擬制商品と言えるのではない。
・「資本主義」と「封建社会」のどちらが良いかの問いかけには、若い学生はほとんど「資本主義社会」と答えた。
が、では「経済学における正義”交換の正義”=市場における自由な交換、機会均を保証する正義=小さな政府
”分配の正義”厳しい自由競争における「結果の不平等」を保証する正義=大きな政府。については意見は分かれた。
そして、本日14回目は「不確実性の時代-- 市場の狂喜とバブル」が取り上げられた。
宝くじで8億円が当たりました。 当たった8億円を貴方ならどうしますか?
「投資」はあなたにとって身近な行為ですか?
「賭け事」は好きですか?将来貴方自身投資家になりますか?
等の質問が続きました。
来週は其の設問に対する学生の全体的な見解が聴けることでしょう。
その前に、自宅に帰り復習していますと、以下の文面に出会いました。
----「興奮したムードが市場に拡がったり、投資の見通しが楽観ムードに包まれるような時や、特別な先見の明に基づく独特の機会がある
という主張がなされるような時には、良識あるすべての人は渦中に入らないほうがよい。
これは警戒すべき時なのだ。
たぶん、そこには機会があるのかもしれない。
紅海の底には、かの宝物があるかもしれない。
しかし、そうしたところには妄想と自己欺瞞があるだけだという場合のほうがむしろ多いということは、歴史が十分に証明している。」
- ジョン・ケネス・ガルブレイス
-------------------------------------------
上記の質問に私も答えています。
改めて、ガルブレイスの言葉をどのように生かすかの時代環境にあると考えています。
自分のことのみでなく、ここまで生かさせていただいたならとそれなりに自問し,自戒してしたためましたが、書いたことと実際の行動はどうであろうかと再び、自問しています。
COLUMN 1−D 2394 より
平成26年1月3日・記
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2014年・初夢
〜年賀状には「パ〜とひらく」と書きました〜
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だいたい夢自体を見る体質では有りません。
年に数回夢見ることはありますが、ほとんどの場合、朝目覚めると≪何か夢を見たようだが・・、どんな夢だったろうかと思い出せない≫
初夢は1月1日の夜から2日の朝にかけてみるというのが通説か?
私の初夢は3日・目覚める頃でありました。
その内容は「家電業界、製品」のことでした。
何故、この夢が登場したのか思い当たることがありません。 目覚めたあとに、過去のことや理由を考えてみているのですが・・・。
昭和48年オイルショック後の昭和52(1977)年、高度経済成長下で規模を拡大してきた流通業界も低成長に移行し新たな成長政策が模索されていました。
合併会社であるU社は内部問題の解決を迫られつつ、同時に新たな環境の下、消費者、地域社会からもそれまでの成長戦略からの転換が求められていました。
流通先進国アメリカに学ぶべく、数年に渡り研究派遣されていました。
そこで学び・発見したことは、食品を除き生活必需品全般から、耐久消費財まで扱うGMS(大型量販スーパー)の上位各社の新たな施策が実験されはじめていたことでした。
NO1のシアーズは得意分野の耐久消費財(家電関連)に自社ブランドを中心として一層力を集中していました。
一方、NO2のJ・C・ペニーは 耐久消費関連の家電を縮小し、ファッション衣料関係の売り場にスペースを拡大していました。
其の頃から新たな業態としてディスカウント・センターのKマートが登場してきており、現在世界NO1の小売業としてのウォルマートが地方で密かに成長を始めていました。
また、当時のアメリカではDIY(DO IT YOURSELF)の専門店を初め、おもちゃ玩具の専門店、スポーツ用品の専門店、家電専門店の展開がなされておりました。
当時、私の所属するGMS業種・業界は上記の部門は赤字部門でした。
そこで、今後の営業の方向性として食品と衣料、そして日用品を中心とする軽い住関連の商品以外の取り扱いが課題となりました。
選択した政策はその分野を積極的に拡大することでした。
面積にユトリのある大型店舗の店内に従来の3~5倍の面積と商品投入をした大型専門店舗を新設することでした。
其の中でも家電部門は一番期待された部門でした。
が、結論的にはこの部門は世界で日本の家電製造メーカーが一番強い分野であり、流通経路から価額支配権はメーカー側にありました。
反面、日本の各地で家電大型専門店が徐々に力を付けてきており、それまでのGMSの家電部門に影響を及ぼして来ていました。
結果は今日のように、日本での家電製品(カメラ、電子機器含む)は、上位5社でほとんど日本中を席巻する状況になりました。
それと同時に、世界をリードしていた日本の家電メーカーが韓国を初めとする新興国にシェアーを奪われ、世界のソニー、パナソニックも3年前から窮地に追い込まれ、経営の立て直しが行われている最中です。
思いつくままに一気に入力をしましたが、年代や記載事項に間違いが有ることでしょう。
ここまで入力して考えましたことは、昭和20年代からの奇跡の復興と言われた日本経済は、ここに来てハッキリと一線が引かれたと言うことではないかと改めて実感します。。
その間に組み立てられた戦後の日本社会・経済・政治仕組み・制度。
(1940年代の戦時体制下に計画された施策が戦後の日本の高度経済成長を促したとの説もありますが・・)
1980年代のバブル崩壊、その後に続くデフレ経済・社会はジャブジャブの政府の借金財政=錬金術によって今日に至ったと言えます。
が、 ここに至っても、既得権益を守り、生き残ろうとしている政治家、財界、官僚、ジャーナリスト、御用学者の言動。それを許している大衆・庶民。
最後の破綻、崩壊、破壊の一瞬まで行きつかないことには、自分だけは生き延びられるとの思いで、新たな行動が起こらないのだろうか。
新春の正月番組からは、素晴らしい日本の伝統・技能、自然・文化遺産の数々、これらに目を向ければ一気に「パ〜と、ひらく」と感じるのだが・・。
今年の年賀状には「パ〜と ひらく」と閃いて書きました。↓

泥沼の底に足が着き、一気に飛びあがる時との思いからです。
V字回復とか・成長ということではなく、権力やお金が優先する社会ではない、穏やかで・健やかで・爽やかで・陽気な健康社会のイメージです。
私の初夢は遠くになった昭和の遺物の終わりと20世紀への決別を改めて促したものだったのでしょう。
この夢を見たと言うことは、私自身への諭しと忠告であったのでしょう。
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COLUMN 1−D 2240 より
平成25年9月10日・記
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その後も、脳裏をかすめる2020東京五輪の役割
〜私自身は何処を目指し、実行しているのか〜
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9月8日、2020年の東京五輪、パラリンピックの招致が決定した。
特に、賛成でもなく、反対でもなかったと書き、このことを契機に新たな時代、社会の創出に結びつく切っ掛けになる事を望むと書いた。
また、安倍首相が福島原発問題はコントロール下にあり、解決可能と大見えを切った。 大風呂敷が現実になることを切望するとも書いた。
が、一方数年前より、商業五輪ばかりでなく、世界は資本の論理(世界金融資本)の支配で牛耳られて居るのが現実である。
日本もその支配体制下にあり、さらに悪いことには日本の既得権益者は
その下で目先の自己の利益ばかりを優先している。
そのことが日本で・世界でさらに混迷の度を深めてさせ、破綻、崩壊の道を進み抜き差しならぬところに至ろうとしている。
が、エゴ優先の社会の根本問題解決は必然性としても、また十分条件としても混迷が整ったところでもって崩壊の時に至るとも書いた。
そこまで、行きつかないことには近代社会が生み出した矛盾の真の解決に向けたスタート台には立てないとの思いに至ったとも書いた。
そして、其の事を傍観者として時を過すことなく、またスタート台に立った時に、腰を抜かすことなく行動を起こしている修行僧でありたいとも書いた。
そのことを書いてからも、何処かスッキリしない、喉の何処かに異物が残っているように感じてならなかった。 そして本日のこと。
朝のストレッチとNHKのラジオ体操に合わせて身体を動かしていた時の事です。
グッキッと左太股の筋が切断する様な音がしました。
その後、時間まで体操を続けました。 が、その後の礼拝時にも、このアクシデントは私に何を伝えようとしたのかと考えることになりました。
(時間の経過とともに、痛みを感じだし、サポーターを巻く)
その結果、2020年を漫然と待つのではなく、何かを考え・目標を持って日々を過ごしないないとのシグナルではなかったかと思うに至りました。
自分自身にとって、私の周りにとって、そして日本を訪れる世界の人々、あるいは各種メディアを通じて日本に触れる世界の人々にとって、美しく・気持良くそして幸せと感じてもらえる事・姿とは何であろうかと・・。
それはきっと、金や物では得られないことの具象化であろうと・・・。
「ロハス=LOHAS=健康で持続可能な、また重視する生活様式」の姿の具現化ではなかと・・・。
その一つは「自然環境との共生」と考えます。が現在私たちを取り巻く環境は近代化された、効率視点の開発の結果の見直しではないでしょうか。
見直しの結果、元の姿に戻すべきものはも戻す、消し去るモノは消す、そして新たに造るべきモノは造ることと考えます。
クリエイティブな発想を持ち合わせていませんので、残念ながら進んで進言・提案する能力は有りません。
が、2020年・79歳の自分にとっても、心身共に健康な姿で生活していることの実現は可能と考えます。
自然と共生している社会環境、そこで心身ともに健康で人情ある「おもてなし」の社会を作り上げてお迎えするあるいは、発信する日本の新しい姿。
一般論は以上で良いと脳裏をかすめます。ところで「君は何をするのか。出来るのか、どのような状態を作るのか」と・・。
・可能な限り人様の御厄介にならない。健康保険利用は最小。
・鍬・鎌を手にして、安心・安全な食糧の生産に従事している。
・若者・青少年との接触の場を持ち、交流をしている。
・世界の情勢に関心を持ち、受信し、発信し、時に出向く。
・社会・地域との接点を持ち、お役立ちの一つも実行している。
・人様の長所・強みが見え、嘘や嫌味を言わない日常生活。
COLUMN 2−N No 335
平成25年1月7日 記
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熱帯雨林の再生は人類生存の鍵
次世代の子どたちに〜「美しい地球環境を未来に」「
『VIVO グリーン・ボイス』 NO143号より
・・10年前、20年前に出会えたことに感謝・・
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以下の太字は「VIVO グリーン・ボイス NO143号からの抜粋です。
美しい地球環境を未来の子供たちに残すためにはと考えた結果
人類の生存の鍵、熱帯雨林の再生こそが不可欠だという結論にいたりました。
熱帯雨林の森は、あなたの目の前にあるわけでもなく。地理的には遠い存在ですが、あなたの呼吸する酸素の約半分がそこから来ているのです。
空気は目覚めて起きた瞬間に呼吸をして吸い込むのではなく、生命あるものは常に空気=酸素が必要です。
対価を支払わないで、無料で自然から頂いています。
その半分は熱帯雨林の自然が育むシステムから頂いています。
私たち大人の人間の都合で壊してしまったもと熱帯雨林の森林は、人間が「植林」をして、自然の再生を目指さない限り、自然の復元力で「森」の復活は望めません。
森はあらゆる生命の源です。
たくさんの生き物を育み育て生物の多様性を維持しています。
そんな森をいとも簡単に壊して、そのままにしていては、次世代の子供たちの世界は厳しい環境になってしまいます。
今地球は、その歴史の中で経験したことのないような自然環境の破壊により、人類の生存の危機に直面しています。
生活の向上と文明の発展を目指して、
私たち人類が取り組んできたさまざまなことが、自然を傷つけ、破壊してしまいました。、
我々は、地球上の自然資源が無限であるような錯覚をして、
日々の経済活動や消費生活をして、資源の浪費をしてきました。
“自然資源は、無限ではなく有限なのです”
人間は、「地球の一員として生きている」という一番大切なことを忘れてしまっているのです。
地球の自然が持続可能な形で、いつも豊かでなければ、我々人間は生きては行けないのです。
今こそ、人類は自然に感謝し、私たち人間自身の力で持続可能なシステムをつくり、資源を守り、再生させながら、大切に管理しなければならない時代にきました。
2004年のノーベル平和賞受賞者、ケニアのアフリカ緑化運動に取り組む女性の活動家、ワンガリ・マータイ女史は、“グリーンベルト運動”という植林計画を展開されました。
彼女の言葉「平和の種を植える」
木を植えたことで、我々は平和と希望の種を植えてきた。
多くの戦争は、資源をめぐって起きる。我々が持続可能な方法で資源を管理すれば紛争は減る。
環境の持つ深い複雑な意味を理解する者は、活動する責任を負っている。決してあきらめてはいけないのだ。
ノーベル賞受賞の知らせを聞いた後、穏やかにそびえるケニア山をみたの・・・・私たちの祖先が崇拝した山が、私の方を見て「助けてくれてありがとう」と言っているように見えました。

↑我が家から眺める採石場、30数年で数倍になりました。
〜10年前、ある切っ掛けでこのビーボ・コーポレーションのことを知りました。
この会社の宮崎社長はかつてインドネシア・東カリマンタン州で主にチーク立木を切り出して日本に出荷する事業に関わられて居られた。
オランウータンの住み家が縮小されてゆく、あるいはこのままでは地球環境が破壊されると考え、立木を伐採する事業からオランダの植民地時代から350年にも及ぶチーク植林の歴史に注目されました。
植民地時代の植林は、木材生産を目的としたプランテーションだった。
そのチークが選ばれたのは、軽くて耐久性に優れ、加工がし易く、収益の上がる素材だったからです。
そこに注目された宮崎社長は、新しい技術を活用し(ゴールデンバイオ)、環境貢献と経済性を同時に達成するWエコシステムを確立し、世の中に参加を呼び掛けたのでした。
2003年に一度資料を取り寄せたのですが、数十万円の現金の手当てが出来ず、其の時は断念しました。
2年後に再度、ご縁が有り申し込むことになり、、2003年からですと10年で満期の今年・2013年7月が近づいてきました。

↑散歩コース、少年自然の家の展望台から春日3山を見る。
この10年間、アッという間に過ぎてしまった「デフレ時代でした」。
グローバリゼ−ションの波は日本を大きく変えました。
バブルが崩壊し超低金利の時代が続いています。
大企業も含め事業封鎖やリストラの嵐、賃金は横ばいのまま、非定期雇用者の増大、若者はアルバイターで時を過しています。
少子高齢化社会は現実のものとなり、様々な苦難の課題が山積です。
加えて、思いもよらなかった3:11の災害の発生、その復興資金の為の増税、そればかりではなく社会保険の行き詰まりで消費税で対応と言っていますが、これまた当座の対応にすぎないと思います。
老後資金の一部になるかと考えたり、地球環境への少しばかりの貢献となればと参加したグリーン・エコ「植林事業」への参加でした。
10年で満期となり、ないより・あるいはなかったよりはましでしょうが、安心にも、信頼にも、不安にも殆ど役にも立ちそうにないのが現実です。
また、1991(平成4)年、緑の少ない香港から帰国した時に、林野庁が実施していた「国有林分収育林」にも、少しの貢献になればと参加しました。
20年強が経過した今、日本の杉、檜は輸入木材に押されて、価額が大幅低下し販売すらできないと言う状況のようです(切り出してくる費用が賄えない)
以上のことは幾ばくかの老後の助けになろうかと姑息な考え方がなかったといえば嘘になります。
でも、自然と関係し、自然を相手とした事業に参加できたことは、今この時になって、何処かで良かった、少しはお返し出来たかなと思ったりしています。
少なくとも、10年前、20年前に目先だけでなく、将来への期待や夢にかけたのですから・・。
さて、ここにきて次の期待や希望、そして夢に向かう時にきました。
元々小額な元金が大幅に減額した涙資金を何処に投下しましょうか。
このような事を考えさせてくれる提案・企画に出会えたことに感謝です。

↑少年自然の家・展望台から「名古屋の駅前の高層ビル群」
自然環境といえば12年前「ベトナムの植林」に5年間参加しました。
(その後、相方が6年間、おばさん看護役としてベトナムへ若い学生(女子大学生が多い)と共に行って居りましたが、昨年で卒業しました)
又、南設楽郡(現・新城市)鳳来町の「森づくり」にも、2001年から2006年ま6年間通ったことを思い出します。
「自然との対話」といえば、2000年の春から岐阜県・瑞浪市で開催された「百姓学校」に参加させていただきました。
その百姓学校も昨年の6月玉ねぎの収獲を持って12年間で卒業させていただきました。
2011年から始まった犬山の田圃・畑とのかけもちでは対応しきれなくなったからです。
今は「自然との対話」はその犬山の田圃と畑、2008年からの飯田市遠山郷の「藤原学校の観光農園」への参加です。
そこで、鍬と鎌を持って元気を頂いています。
COLUMN 1−D 2120
平成25年1月6日・記
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1月5日「今年第1回目の”波動の会”」にて
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昨年12月1日の「波動の会・望年会」から、約1カ月を経過したのみですが、その間に衆議院選挙があったことと、年々歳々心改まることは薄くなったとはいえ、新年と言うことで
挨拶は「おめでとうございます」から始まった。
話題は衆議院選挙の結果から始まる。
当日の参加者は5名であったが、みんな死票を投じたようである。
『あのような結果になるとは想像していなかった。 小選挙区制のもたらしたものであった』
『私の選挙区は5党の候補者が立候補していたが、誰にも投票する気が起こらず白票を投じた。 後から白票の多かったことを知り、同じような心境の多かった事を知った』
選挙の開票方法に不審な点があると、今もインターネット上で飛び交っている。
『このまま安倍政権人気が続くのであろうか?』の問いかけに、『円安・ドル高、株価の上昇も3月までであろうから、そこで失速することだろう』
『いや、右翼・タカ派の発言や爪を参議院選挙までは隠し続けるだろうから、この状態は続く可能性がある』
『少数野党がどのような連合を組めるかによるが、今の状況を見ていると期待薄いと言わざるを得ない』
私の意見は年が変わったので4年強、基本的に変わりがない。 「一度行き付くところまで行かないことには、根本的な変化はない。」という意見です。
それは為政者やリーダーに期待しても決して変わるものではないと言う認識です。
大衆・民衆が”本当にこのままでは続けられない。行き詰まった”と実感しなければ、事は変化しないと言う見解です。 そこで初めて既存の勢力・権力と転換が起こる。
今回の選挙に置いて優先上位の課題は大衆・民衆も結局のところ自分のこと、足元の事柄で持って判断し・投票行動をしたと判断しました。(あたりまえでしょうが・・・)
それは、「私の様な高齢者(年金満額が目の前に来た団塊の世代も同じこと)は、自分の生ある間は満額年金を手にしたい」というものであり。
「子育て世代は、名称はどうであれ”子供手当”がどれだけ手に入るかであり。
「経営者も、労働組合も国の借金がどうにでもあれ、当面の景気対策であり、それが3:11被災者の実態を正確に把握しての復興支援、事業であるかというよりは、まずは仕事が有ること、当面の生き残り策・手当を望んだ。
それどころか、復興事業に名を借りた、税金を使った企業の支援策であったりです。
選挙結果が判明した12月17日日記に書いた事柄を改めて読み直し、言い聞かす。
その内容は「如何程の認識と覚悟を持って、一票を投じるか?」との自問した後の、自分に言い聞かせた内容です。
1、これまでの為政者やリーダーに頼らない、任せない生き方をする。
2、現在得ている既得権益の削減・解除を受け入れる準備に入る。低エネルギー生活を目指し、物ではなく、精神的・文化的ムダを尊ぶ生活にシフトする。
3、これからの人々に残し喜ばれる社会・地域の繋がりを持てる行動を継続する。
という内容でした。 読み返してみると、大したことを書いているわけではないが、いざ実行しようとすると自分の中にある障壁を感じない訳には行かないと白状です。
昨夜、犬山の畑で育てた大根をぬか漬けにした「たくあん漬け」を持参しました。
どのように、手に取られ、その後次の手が伸びるかと見守っていましたが、持参した「たくあん漬け}は殆ど食べていただき、数切れの残りは行くつけの食堂の店長にお土産とした。
九州出身の気のサッパリした・少しばかり男性的なその店長、九州から送られてきた「たくあん漬け」と言って、一皿出してくれ、「この味とは異なるが、なかなか良い味ではないですか」と、まんざら御世辞でもなく褒めていただいた。
いつものように午後7時半にはその御店を退出、地下鉄に乗る。
先程まで一緒だった仲間の一人が、『田植えは何時頃から始まるのでしょうかね。』、『すると、苗づくりは何時頃から始めるのでしょうか』とまともに訊ねて来られた。
知る範囲のことを答えると同時に、彼が言った『遂にきましたからね、もう・待ったなしですから、始めなければならないと思っています』と。
実家には手に負えない有り余る田圃と畑が遊んでいるようです。 羨ましい限りです。
COLUMN 2−N No 334
平成24年12月24日 記
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『4つの保守路線と日本外交』
ソウル大学国際大学院教授 朴歩(パク チョルヒ)
中日新聞12月23日朝刊 「視座」より
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以下は加藤による要約です。
「安倍総裁が首相の座に返り咲いた。 韓国では朴大統領が選ばれた。
東アジアの指導者が代わり、これからどのように地域の課題に取り組むか注目が集まる。
特に、日本外交の道は東アジアの秩序を左右する要になりそうだ。
現在・日本には4つの保守の流れが拮抗している。
1、伝統的な自民党の保守路線。
同盟国の米国と緊密な関係を維持しながらアジの周辺国とも友好関係を保つ、バランス感覚重視の道。
戦前の脱亜路線や大東亜共栄圏構想が生んだ日本とアジアの悲劇を乗り越え、米国と共に歩みながら日本の特徴を生かす。
「親米・親アジア路線」を実行したのが中曽根康弘元首相、日米同盟を沈まない同盟と位置付け、中国や韓国とも良好な関係を築いた。
2、民主党政権内の保守派が描いた「親米と中韓の戦略的差別化」
米国との良好な関係を前提として、アジア外交に於いては中国と韓国の戦略的差別化、つまり対中国関係も考慮したうえで、価値観と体制の面で共通点の多い韓国を別格として扱う。
実りある結果は出なかったが、日韓自由貿易協定や日韓秘密諜報保護協定などの現れ。
前原誠司国家戦略相の外交路線がこれに最も近い。
3、冷戦型に近い保守路線。
中国の浮上という現実的な力の移転を背景として、新興大国に対抗する日米同盟を強化し、海洋国家との連携を強める。
その過程で、アジア周辺国家との対立や葛藤はやむを得ないとみなす。
この考え方は、韓国を民主主義国家ではあるものの中国に傾斜している国家と位置付け、歴史・領土問題を掲げた「主張する外交」を通じて日本への自尊心を取り戻すことに重点を置く。
この路線は「親米・反アジア」と言っても過言ではなく、安倍氏の外交路線はこのような要素多く含まれてまれている。
また民主党の中でも、野田桂彦首相の外交路線もこれに近い。
4、「反米、反アジア」の流れ。
米国は敗戦国である日本に憲法を押し付け、戦後、自分達は米国の言いなりになったとの考え方から、米国に「ノー」と言える立場を貫き、憲法改正を含めた日本独自の選択を重視する立場である。
同時に、日本に謝罪や反省ばかりを求めるアジア国家との関係は、自虐史観に基づく弱腰外交に陥らない為にも、ハッキリと日本の立場を主張すべきだと考える。
日本維新の会の石原慎太郎代表が掲げる自主外交の流れ
4つ目の路線への追従は、自主的選択の代償としての閉塞的民族主義から、国際社会における日本の孤立にも繋がり得る。
3つ目の路線は現実味こそあれ、アジアとの葛藤は避けられず、不安定な地域秩序は多くの国々にとって不安要素となる。
2つ目を実行に移すには、歴史・領土問題を棚上げする勇気が必要であるが、そのような政治的判断は困難であろう。
理想的なのは1つ目の路線であろうが、其の遂行には熟練した外交の腕が求められる。
日本はどの道を選ぶのだろうか?』
〜日本の外交政策がどのようなモノであったか、また現在あるかの認識・見識は持ち合わせていなかった。 それ故に、今回上記のように分析されたモノを読むことによって、それに基づく理解をすることとなった。
これまでは、戦後一貫して単純に米国に追従・服従の外交姿勢であり、日本の自主的・主体的な外交・防衛政策はなかった、あるいは、なしえなかったとぐらいの知識、認識でした。
言うならば、経済成長一辺倒の中で、物的豊かさを追い求めていた価値観と行動であったと思います。
20年前、それまでの世界の冷戦構造の崩壊と、その後の米国一極による世界秩序の維持と、支配体制の中で世界は時を過ごしました。
時間の経過と共に、米国の経済を中心とした力は衰え、エネルギーを中心とした資源の確保・獲得の狙いのもとイラク、あるいはアフガン進攻と進んだ。
其の事により隠された意図は時間の経過と共に明白になり、米国への評価と国力を低下させる状況に追い込まれてゆきました。
一方、BRICK,sと言われる、ブラジル、ロシア、インド、中国の新興国の台頭は目覚ましく、それまでのG7からG8へ、そして今やG21と言われるまでに世界の力関係の情勢は変化して行きました。。
その間にも、ここ数年、ヨーロッパの状況は一層これからの世界のあり方・方向性に関して、混迷の度を深めさせています。
限られた知識を寄せ集めても、では日本はどのような思想・価値観を持ち、どのような方向に進めば良いかの答えは持ち合わせていません。
少なくとも、日米同盟や安全保障条約でもって、これまで同様に安定した時代を過すことはできないことは明白ではないかと考えます。
アジアの一国として、対アジアとどのように向かい合うかの見識と今後の行動が求められています。
世界における米国の軍事力は一頭抜け出していることは間違いないことですが、ドルを無制限に発行し続けることはゆるさらない状況にあり、このところの米国は他国への思いやり精神や援助も低下してきています。
今後は自国に有利な条件や国益にかなった政策への転換は明確になってゆくことでしょう。 同盟国日本への要求は一層厳しいモノになると容易に想像できます。
一方、隣りの太国・中国は眠りから覚めて30年、数千年に及ぶ歴史の復興を掛けてのその後の歩みは、近隣国家へ、そして世界への影響力を目指して突き進む姿勢はこれからも変化ないモノと思われます。
が、その過程において中国も国内的には経済的な格差問題、、政治問題が避け通れない状況となり、それが我が国、アジア,そして世界に影響を及ぼして行くことは間違いないと考えます。
これまで、外交・防衛問題に関し、自分自身多くの時間や関心を持たずに来ましたが、国の問題、為政者の考えることという次元ではなく、自分自身の課題として主体的な見解と行動を取らなければと思い、このテーマを取り上げました。
上記の4つの路線のどれかと問われれば、第1の路線と考えます。
この路線は忍耐強く、柔軟で、それでいて強かな手腕が問われると考えます。
一部のリーダーによって事がすすめられるような生易しい時代ではなく、多くの国民の支持と支援なくしては継続し、その道筋を確固たるモノにしてゆくことはできないと考えます。
憲法問題あり、原発問題あり、TPP問題あり、其の上に国民が身近に求める経済・社会保障・生活問題ありです。
出来もしないことを口にして票を獲得しようにも、直ぐにその実態は暴露されます。
間違いなく厳しい状況を正しく国民に公表し、信頼を得るところから始めるべきと考えます。
COLUMN B−6 NO 331
平成24年12月17日・記
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