COLUMN 1−D 1566
平成23年4月3日・記
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瑞浪・百姓学校
〜ひと冬越してきたそれぞれの状況は・・〜
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↑初めて「一寸そらまめ」を手がけています。
初めてのことですし、寒冷地並みの最低気温(マイナス8〜10度)になる瑞浪・深沢ですので、種は一袋しか購入しませんでした。
しかも、種の値段は高かく20粒程でしたので、5メートルの1畝のみのとし寒冷紗のトンネルを被せてひと冬を越しました。
本日トンネルを取り除きますと花芽を発見、もう大丈夫だろうとトンネルを外しました。
さて、口に入るまでに成長してくれるでしょうか。

↑こちらはひと冬越した絹さやえんどうです。
周りの草の方が元気がよいです。
昨年は全滅してしまいました。
写真は撮り忘れてしまいましたが、全部で4グループが玉ねぎの栽培をしていますが、今のところ私たちのグループが一歩先を行っています。
前に紹介しましたように、玉ねぎの苗をダブりで購入した為に1500本の植え込みでした。
玉ねぎも冬を越してきます。 同じように植え込んだつもりでも順調に生育して来るものと、枯れてしまモノもありどうしてだろうと頭を傾げてしまいます。 今のところ7〜8割は残っています。
それに比べて、ニンニクはどのグループのものも順調です。
滋養強壮剤としての働きがあるニンニク自身の強さでしょうか。
イチゴが寒冷紗の御蔭で枯れはしませんでしたが、今持って花は咲いていません。 イチゴにご執心の仲間の一人の思いの結果でしょうか。
今朝の瑞浪・深沢の最低気温は3度だったとのこと、午前中は寒く囲炉裏で暖をとったほどですが、午後からが暖かい日差しを受けて話が弾みました。
COLUMN 1−D 1560
平成23年3月28・記
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3月の遠山藤原学校
〜春の里山農園作業が始まる〜
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↑遠山川の「河津桜」

↑例年ですと満開か、落花盛、時によっては落花後ですが、
今年は例年より2週間は遅れていると地元の方のお話です。
3月26日は朝方、雪が舞ったことでしょう、恵那山トンネルの中津川側は真っ白、遠山郷の入り口矢筈トンネルの温度計は6度でした。
午前10時半、遠山郷・南信濃の木沢地区には雪はほとんどありませんでしたが、旧木沢小学校の校庭は霜が降り、霜柱が鎔けてグチャグチャでした。
3月26日は畑全体の整備とジャガイモ、大根、人参、ホウレンソウの畝作り。
3月27日

↑木沢集落の「三社祭り」でした。
以前は3箇所でそれぞれお祭りが行われていたようですが、10年ほど前に合同し「三社祭り」となったようです。
合同したといっても集落の参加者は17〜8人でした。
八幡神社の周辺のお掃除としめ縄が新しく架けかえられ、11時ころから太鼓の音が聞こえてきました。
その太鼓の音を聞きながら、私たちの観光農園の作業です。
今回は東北関東の大震災も影響してか一般参加者は6名でした。
ところが、その中には被災地茨城県からの参加者の方もおられ、千葉県など関東地方の方もおられました。
東京でお仕事をされて居られる方で、岡山の実家に疎開(?)されて、7時間以上かけて参加された方もいました。
草防止を狙って木屑を畑の通路に敷き詰めました。2トン車2台分です。
昨年、月一の農作業では、大半を草取りの時間に費やさせられてしましたがましたが、今年はその成果が期待できます。

↑その上に「21世紀の肥だめ」と呼び、様々な微生物の働きを促進する複合発酵水(エナジー水と呼んでいます)の散布をしました。
既に、藤原事務所の小田原の農場では効果を発揮しているということですので、期待するところ大です。 先月は電柵の設置もしました。
更に、 仲間の一人がこの3月より農園の隣・遠山に在住です。
東北関東大震災、それに続く原発の問題、大変な犠牲者と計り知れない被害をもたらし、今もって全貌が見えない状況ですが、新しい日本の再生に向けて可能なところから行動を起こさなければと考えます。
秘境とも限界集落とも言われるこの”遠山の地から日本を変える”の原点に立って2011年の遠山藤原学校の春がスタートしました。
COLUMN 1−D 1554
平成23年3月20・記
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絶好の農作業日和でした
〜西高森山の様子〜
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昨日は名古屋地方は最高気温が17度以上となりました。

↑気になっていたジャガイモの植え込みをしました。
この後、2度の土寄せ、草取り、施肥をすれば、白い花が咲き6月中旬には7〜8倍になってかえってきます。
2週間前に手当てした、玉ねぎ、ニンニクも背をピイーンとはり、サァーこれからは玉づくりだと勢い込んでいる様に感じました。
西高森山

↑↓マンサクが満開でした。
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↑前回はカシノナガクイムシが穿入りナラが枯れた為に倒木した写真を紹介しました。 散歩の人は多く危険な為だったのでしょう。
西高森山の頂上の周辺は倒木したところもありましたが、ご覧のように水を吸い上げることができず立ち枯れしています。

以前、書斎から見える道樹山、大谷山は冬枯れで1割程度の緑が失われるかと書きましたが、それどころではないという状況です。

↑シダの山です。
陸上植物の中では苔類、蘚類、に続いてツノゴケ類に古い起源をもつという。シダは維官植物に属しツノコゲと同一の起源から進化してきたというから大古の昔から今日に至っているのだろう。
西高森山の数か所にこのようなシダの森があります。
COLUMN 1−D 1542
平成23年3月6日・記
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本年最初の瑞浪・百姓学校
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例年ですと2月の下旬に耕転に行くのですが、雨と寒波襲来でノビノビとなり、本日行ってきました。

↑玉ねぎ、ニンニク、ネギの畑
ご覧の様子です。耕転の前に草抜きから始まりました。
時間の経過とともに這いずり回って草抜きです。

お忘れになったことでしょうが、昨秋玉ねぎの苗をダブって購入したために、1000本以上の植え込みをしました。
寒冷地並みの気温となるこの地では玉ねぎの成長はまだ直径1センチ以下です。
遠山郷でも今年から本格的に取り入れる「21世紀の肥だめ・エナジー水」をここでも散布しました
これからどうなるかもわからない時に、若い仲間(と言っても30代ですが)の一人が収獲のみならず、販売し収入を得ようと考えています。

↑イチゴのトンネルです。
これまでの経験から、この地でイチゴはどうかと考えますが、これまた若い仲間はイチゴに御執心です。 上記のトンネルで越冬はしました。
もっと本格的にやって、来年はイチゴ狩りなどと言っています。
たった10数年先輩だけですが、ついつい保守的な考え方になります。
怖いもの知らずで、色々提案が出ますので結構なことだと喜んでいます。
草抜きの後には、今月末に待っているジャガイモの植え込みのための耕転をしました。 耕運機が思うように操作できません。
、今年初めての本格的な農作業でした。 約3ヶ月間の空白で身体が鈍っていることを思い知らされました。
同時に、年々体力が低下していることも素直に認めなければいけないとも感じました。
COLUMN 1−D 1510
平成23年1月31日・記
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遠山郷・旧木沢小学校の朝
〜「遠山の休日」、今年の計画話し合い〜
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天気予報は再度、再々度の寒波襲来と報道していましたので、スノータイヤの他にチェーンも持ち込みました。
ところが、1月29日は全くその心配はなく順調に到着。
今月と来月は「遠山藤原学校」ではなく、常連のスタッフが集まる「遠山の休日」です。 三々五々午後の5時前にはメンバーが揃いました。
それぞれ持参の食材を料理し、地元の方も交えての恒例の酒盛りが始まりました。
私は早々と7時半にはキャンピングカーに潜り込みました。
翌朝4時ごろに目が覚めました。熟睡したこともありましょうか、キャンピングカーの暖房がストップしていました。
(バッテリーの寿命と判断し、シッカリ掛け布団を掛け直しました)

↑旧木沢小学校の校庭と校舎
長野県は南北に長く、北と中そして南では天候・気候が大幅に異なります。 北が積雪3〜40センチでも、南の遠山郷が数センチです。
今回も同じことでしょう、木沢小学校の校庭は2センチ前後でした。

↑車のドアーの下の氷柱
氷柱を久しぶりに見ることができました。雪は少ないですが、気温はグーンと下がります。
暖房の切れた社内で掛け布団から頭を出していますと、額がジンジンと痛い程です。
(40数年前、仕事で飯田、伊那地域で寝泊まりしたことを思い出しました)
翌朝は今年の計画の打ち合わせをしました。
一般の方を迎えるようになって4年目です。 そして、昨年は各種テレビや新聞、その他で頻繁に遠山郷が紹介されましたので、今年はお客様が増えることが予想されます。
スタッフ・メンバーのうち一人の方が遠山郷へ移住を計画されていることを発表されました。
既に1年以上に渡り足繁くこの地を訪れていますので、勘違いなどはないだろうと安心したり、頼もしく思ったり、期待したりしています。

↑旧木沢小学校の校庭より西の空を眺める。
それにしても、気温が下がり・雪が降った木沢集落の朝は静まり返り、何の気配もしません。
遅い朝日が山々を照らし出す時、「神々がお住まいになる国」と言われることを少しばかり感じることができました。
。
COLUMN 1−D 1462
平成22年12月6日・記
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今週も遠山郷へ行ってきました。
12月5日、午前中、塩の道「地蔵峠」を探索
午後から熊野神社の祭礼へ
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12月5日、午前9時前の木沢(旧木沢小学校校庭から)

↑午前9時前、やっと木沢集落の中心部の霧が晴れ始めました。

↑先週、旧木沢小学校・校門前に、消防車の倉庫が出きまました。
右の塔は消防のホースを乾かす塔とうかがいましたが・・・・
塩の道・旧秋葉街道を探索
前夜、旧木沢小学校で開催の忘年会に参加されていた飯田市の職員の方に、突然旧秋葉街道(塩の道)の探索に行きますが参加されませんかと御誘を受けました。

↑南信濃・上村・大島河原河川公園・オートキャンプ場に集合
秋葉街道を守る会(?)、大鹿村から、地元上村から等に、午前12時まで参加しする遠山藤原学校スタッフの5名、総勢20人。

↑午前9時半過ぎに、スタート口の山間に陽が差し込みました。
探索と紹介しましたが、先週の青崩峠と異なり、踏み固められた道はありませんでした。(微かに、時折往時を忍ばせる道らしきものあり)

↑木地師の屋敷跡を少し登ると木地師の墓がありました。
(菊の御紋が彫られています)

↑数年がかりで、想定路を踏破された方の案内ですが、道らしきものはほとんどありません。 ときどき、道案内用の印・テープを木の枝に縛り付けてゆきます。

↑標高1000メートルから登り始め、200メートル登った所ではご覧のように雪が残っています。足元は滑ります。先頭の方の足跡が頼りです。

↑ソラ峠(秋葉古道)を越えて、沢に下りました。
そこは青崩峠同様に、粘土質で大変崩れやすい土質です。
塩化カリウム(カルシュウム?)を含んでいると言うことで、鹿がこの泥を舐めに来ていました。
ここまで約1時間半でしたので、藤原学校のスタッフは引き返しました。
(他の方たちは4時間半の予定です)
熊野神社の祭礼

↑「気の出る神社」と言うことで、パワースポットして知る人ぞ知る神社。
本日は祭礼でお化粧をしていますので、賑やかに見えますが、この神社の「霜月祭り」は今回が最後に成るかもしれないという状況です。

@

A

B
↑木造の神社の中、土づくりの窯Bで湯がたぎります。(どうなっている)
A窯の上、6方に据えられた御神柱(?)
@屋根から吊るされた御飾(?)

↑遠山川・左岸約70メートルの吊橋が架けられています。河合集落。
川を挟んで2つの集落が合同で開催しています。
今年の秋の大雨で小道木集落の2軒の家が大被害に見舞われ、開催方法を巡って幾度も会合が持たれたとお聞きしています。

↑神社下の大岩にしめ飾りが、来年はどうなるのでしょうか。

↑数少ない若い衆(と言っても00年代)が・・・・
前夜(4日)の忘年会は午後の4時から飲み始め、翌日の地蔵峠探索で少しは抜けたと思いきや、その後は再び迎い酒。
祭りのお呼ばれと相成って、どうなっているのでしょうこの肝臓。
畑のこと
4日、到着と同時に見回りに
大根の葉だけがありません。何方かだ葉を千切ってくださったのかと近づいてみますと人間様の仕事ではありません。
どうやら、鹿の仕業のようです。
5日の朝、再び見回りに
少しは残っていた大根の葉が全くありません、しかも、白い部分にまで歯型があります。 前日は食べられていなかった白カブの葉も食われています。
6日の朝、再々度の見回り
大根は全て抜き取られています。食い散らかしの4本しか残っていません。
白カブも全て引き抜かれています。 白菜の葉(十分な玉になり切らず)も食べられています。
チンゲン菜にまで被害が及んでいます。
と言う状況でしたので、残ったものは全て収獲し、少しづつ持ち帰ることとしました。 (東京からの家族のお客様、残りを全てお持ち帰り)
何度も書きましたが、今年は余程山には食べる物がないのでしょう。
今回、忘年会で鹿肉の刺身をいただきました。大変美味しかったです。
回りまわって、いただいているのでしょう。
(ただし、食べすぎの方は少しばかり、お通じが良くなった様です)
COLUMN 1−D 1457
平成22年11月29日・記
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遠山郷藤原学校 11月27〜28日
〜遂に、青崩峠を歩き越えました〜
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遠山郷へは何度も訪れているんですが、青崩峠は未体験でした。
これまでにも計画はされるのですが、天候の関係や道路事情で中止になっていました。 11月28日、朝方は怪しい雲行きでしたが、その後はお天道様も顔を出し、念願の峠を越すことができました。

↑国道152号線車は青崩峠の手前で通行禁止です。
途中まで車で行き徒歩で越えることもできますが、登りとなり大変です。
そこで、信州側(長野県)から遠州側(静岡県)へ兵越峠を迂回します。
兵越峠は青崩峠が地盤が弱く車道を通せずう回路となっています。

↑遠州側から兵越峠(標高1165M)です。 ↑信州側から峠に向かう。

↑戦国武将武田信玄が家康を攻めるときに、通過した峠と言われています。 そこで、毎年北側の飯田市・南信濃商工会と南側は浜松市の水窪商工会が交流親睦を目的に「峠の国盗り綱引き合戦」が開催されています。

↑峠の一角に造成された平地があります。ここで戦われます。

足神神社へ
車は一端、峠を水窪側に下ります。 高速道路規格であったトンネルに歩道をつけ普通トンネル道路とした草木トンネルを越えて、Uタ−ンし旧道を青崩峠の直下に向かいます。 途中に「足神神社」があります。

↑足の神様。湧水で遠くから水汲みに来られるということです。

↑神社裏のスギ林が間伐されていました。

↑大きな社ではありません。


↑願掛け木札がズラリと並んでいました。
塩も道、青崩峠に向かいます。

↑昔のままの石畳でスタートです。

↑足神神社に祈願をしてきた効果てきめんで順調に登ってゆきます。
途中で、武田信玄公御掛の岩に腰掛けて武将気分となる。

↑秋葉街道盛んなころ、盗賊に襲われた若夫婦の屋敷跡

↑落葉し明るい山道、澄み切った美味しい空気をいただきながら頂上へ

↑海抜1082メートル、青崩峠です。

↑峠の片隅の山肌にヒッソリと安全祈願の地蔵さまが。

↑峠の一段小高いと頃から、信州・遠山郷方面を眺める。

↑山崩れの一角です。

↑白く見えるのは崩れた山肌を防護している壁です。
目測で上から下までは300メートルはあるのではないでしょうか。
この峠下にトンネルを掘ることは断念しました。 別なルートげ計画されていますが、果たして、開通するのはいつのことでしょうか。

↑峠で記念撮影をしました。(御二人はトレッキングに不参加)

↑下ること20分、青崩神社に奉納(?)された面と石地蔵。
更に下って、152号線の工事が中断したところまで降りてきました。

↑アスファルト道路は落葉のジュウタン、カサコソとその感触と音を楽しむように少し足を引きずるように歩きました。

↑突然、道路を大きく塞ぎこんだ土砂崩れです。
粘土質の土で足元が滑ります。

↑紅葉ならず黄葉が目を奪います。

↑「分かりますか?」 防壁が破壊されています。
厚さ30センチメートルもある防壁、山が動き、押し出し破壊しました。
(この青崩峠のみの現象でしょうか。私たちは今「山が動いたように」歴史の断層の上に立っているのかも知れません)
先程の土砂崩れで車の進入が出来ず、この日記記録のトップに掲載しました写真の所まで所要時間約2時間登り・下りしました。
逆のコースを歩いたならば、青崩峠まで歩くことが可能であったでしょうか。
梁木島(はりのきじま)番所
大阪夏の陣、冬の陣で敗走した豊臣方の落人を取り締また関所跡、その後は遠山郷から搬出する木材の取り締まりをしたところに行きました。


↑残念ながら、建物の中を見学することができませんでした。

↑↓切妻の瓦屋根

ということで、念願の青崩峠を越えることができました。
遠山郷を訪れる方に、時折152号線の質問を受けていましたが、未体験の為に御答えが中途半端でしたが、今度からは少しは自信を持って・・。
遠山郷藤原農園のこと
さて、今回の遠山郷での農作業は2か月前にKさんが愛知県から運んでいただいた木屑を畑の通路に敷き詰め、草の防止策を目論んでいます。
何分1カ月に1回の作業日、特に夏場は毎回草取り、草抜きに作業量の半分を費やしていました、来年が楽しみですが、未だ半分しか敷き詰めてありません。 年明けにもう一杯の初仕事に成りそうです。
サトイモの収穫をしました。出来栄えは50点でしょう。
お客様にお持ち帰りをしていただきましたが、味の方も今一つと感じました。今夏の水不足ばかりでなく、地質との関係かとも思います。
チンゲン菜はOK、白菜は十分に巻き込んでいません。 赤カブ、白カブ、大根も及第点とはいっていません。
来年以降、徐々に土づくりの成果が出ることを期待しています。
それにしても、毎回参加される方が短時間ではありますが、農作業に熱心に取り組んでいただけます。楽しそうにも感じています。
その都度、予定道理にはいかないと危惧しても、何とか様になります。
有難いことだと感謝しています。
COLUMN 1−D 1454
平成22年11月24日・記
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11月23日、瑞浪百姓学校
〜本年、最期の収穫〜
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↑前日までの雨は止みました。 カラマツが最期の紅葉です。
が、芋ほりには土が重いです。 芋ほりの前に出来る作業は全て終えました。
当日の朝のことです。、何時ものようにストレッチをしました。 何事もありませんでした。
食卓に着くと同時に、腰の存在を覚えます。2年ぶりのことです。
痛み止めの軟膏を塗って出かけました。 3人体制を予定していましたが、一人お休みです。 サトイモ、ジャガイモ、秋ササゲの収穫一人では負担が大きすぎます。
頑張りました。と、言うよりは腰をかばいつつ、休み休みの作業でした。

↑当日の収穫物、秋ササゲ、人参、白菜、ネギ、ジャガイモ、サトイモ。
さて、11月24日、この日記を入力している状況は前日より問題が小さいです。
前夜の対応が効果あったようです。
このところ調子に乗っていましたので、注意信号でしょう。 有り難い事です
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COLUMN 1−D 1441
平成22年11月8日・記 |
百姓学校・11月7日
購入がダブリ、1500本のタマネギ植え込み
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メール通信の行き違いで、タマネギを1600本植え込むことになりました。

10月末に、超早生タマネギを既に100本ほど植え終わっています。
1ヶ月前に、900本ほどの畝は準備していたのですが、マルチ・シートから草が生えてきており、改めてマルチ・シートを剥がして畝作りの再生から始めました。
昨日は他のグループはお休みで、何方も参加されてこられません。
苗をもらっていただくことも出来ず、 そこで、新規に畝建てして、残りの苗を全て植え込みました。
(今朝(11月8日)、心配していました足腰の痛み、疲労はそれほどではありませんが、この年齢になりますと、その又・翌日に症状がでますので、安心していられません)
仲間の一人が『今年は大量生産し、販売をするのだ』と言っていましたが、順調に根付きますと、本当に販売することになるかもしれません。(取らぬタヌキのなんとやら・・)

↑絹さやえんどうが順調に芽を出しました。 と言って、安心も出来ません瑞浪・日吉は
盆地で冬場の気温がマイナス8度になります。 昨年もその時期に枯れました。

↑寒冷紗などしたことはありませんでしたが、今夏、植えつけた大根、白菜、ホウレンソウ、赤カブ、等全て水不足、あるいは虫に食われてしまいましたので、防虫・防霜のトンネルを一部に施すこととしました。
遠山郷・下栗のじゃが芋の試掘りをしました。 下栗特有(?)の小さく・固いじゃが芋ではなく、子供の拳大のモノが掘り起こされました。
今朝、味噌汁の具で頂きましたが、遠山郷で頂いたモノとは異なった味わいでした。
種は同じでも、育つ地が異なると、その地に合わせたモノに変化するのでしょう。
下栗は平均傾斜度40度前後の栄養分が流れ下ってしまう畑です。
瑞浪・日吉は段々畑とは言え、傾斜度はない地で育っています。
11月23日は収穫の最後です。 サトイモが大きくなっていました。
それが終わりますと、 農閑期に入ります。 自然共に1年が過ぎようとしています。
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COLUMN 1−D 1437 より
平成22年11月2日・記
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10月31日(月)の遠山藤原学校は写真教室等
11月1日遠山・しらそび高原から妻籠、馬籠へ
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昨年に続き2010・10・23〜12・12日まで、旧・木沢小学校で「水野秀彦」さんの写真展「祈りの景」が開かれています。
その水野さんにより紅葉の撮影ご指導とその後写真の鑑賞・講評をしていただきました。
さすがプロによる指導です。 数枚の写真はこれまでの私では得られなかった出来映えの映像が発見できました。
本来カメラが持っている機能と当方の技術と知識の不足を改めて痛感しました。
アレコレ教えていただいたのですが、いじくりまわりている間に元に戻らなくなってしまったことも付け加えておきましょう。 (プロがいますので、直ぐに回復しました)
では、私自身が選んだ作品を並べます。
(残念ながら次の予定があり、私の作品は講評・指導していただいていません)


↑この日は生憎雨模様で霧が発生していました。
が、水野さんの言われるには『紅葉を美しく撮るには、晴れているよりは曇りの方が良い』と言うことでした。 光の量が多いよりは様々な映像が得られると言うことです。
明暗を補正する技術を持っているとそのことが可能であることが分かりました。


↑如何でしょうか、これがほぼ同条件下(空模様)でもこのようになりました。
もちろん、霧は上がっていましたが・・・
山道2題


お遊びも付け加えます
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↑鹿の食害防止の網が色々な方法で実験されていました。

↑これは道端にあったホウゾキを拾って、私が配置したものです。

↑しらびそ高原に到着も100%の霧雲です。 この構図は好きなひとつです。

↑突如数分、霧が晴れました。
11月1日、しらそび高原から妻籠・馬籠宿へ
今回は妹夫妻に声を掛けていましたので、再び31日の宿となるしらびそ高原ホテルに向かいました。 午前中のコースとは異なり、更に曲がりくねった細い山道を選びました。
『このコースは何度か通っているのですか?』と質問されました。 多分、怖かったのでしょう。 実際、一度だけですが斜面角度40度の所に建っている一軒家に通じる道に迷い込みました。
11月1日・午前2〜3時は土砂振りで目を覚ましてしまいました。

↑午前6時、カーテンを開くと薄明かりではありませんか。

↑目を凝らすと来年の1月2・3日に実施される「大学箱根駅伝」に参加する日本大学の学生さん、朝の高地トレーニングが始まっていました。

↑北側の窓を開けても薄っすらと雲海が開けています。

↑朝食を終えて下り始めますと、陽が射してきました。
何段にも重なた紅葉の山々、しかも180度の展望です。
喜んでいただいたのはもちろんですが、何度も来訪している私自身も初めて出会う景色でした。
その後、矢筈トンネルを抜けて飯田市内、清内路を越えて妻籠に入り、続いて馬籠宿を案内しました。

↑どうしたことか、妻籠・馬籠の写真はこれ一枚しかありません。
予定より早めに中津川を通過しましたので、私が通う瑞浪の「百姓学校」に案内し、午後3時半に高蔵寺駅まで送りました。 午後7時半には千葉の自宅に帰宅していました。
遠山郷だ、日本のチロルだ、限界集落だ、そこで農業だ、”遠山郷から日本を変える”、日本再生だと日本中から遠山藤原学校にやってくる。
あるいは、瑞浪の百姓学校だとメールで送っていてもキット実感が無かったことでしょうが、今度からはこれまでよりは意思の疎通が出来ることになるでしょう。
COLUMN 1−D 1436 より
平成22年11月1日・記
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10月29日(金)から10月31日(月)は遠山郷
11月1日遠山・しらそび高原から妻籠、馬籠へ
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10月29日は大変忙しい一日でした。
翌日30日から10月の「遠山藤原学校」なのですが、台風28号が接近しています。
雨を予想し、29日の内に予定していた作業を終えなくてはなりません。
まずは、土壌の改良の為にシイタケ菌の投入から始まりました。
前日に、小田原から応援にきていただいていた大谷御夫妻がJR東海・飯田線・平岡から2トン車で運び込んでいただいたシイタケ菌を約100坪の畑に道路から運び込みます。
昼食後、落花生の収穫。 サトイモの試掘り、サツマイモの堀上。

↑落花生の堀上げ後、蔓のところを畑にもどした所です。
さて、実の方がどうだったのでしょうか。 殻は見事についているのですが、この後茹でてみたところ、納得行く実は10個に1個という結果でした。
掘り上げているときには、落花生はこの地に適していると喜んでいたのですが・・・
来年、再び挑戦です。

↑翌30日のことですが、「21世紀の肥溜め」と呼んでいる酵素水の実験が始まりました。 昔の肥溜め原理の21世紀版ということでしょうか。
原料の糞尿が最高級の肥やし・栄養素に変化し、地力の強化に貢献し自然環境や虫の被害からも防御すると言うのです。どの様な成果が出るのでしょうか。
秘境とも限界集落とも言われるこの遠山郷から素晴らしい成果をお届けしたいものだと考えています。
サツマイモは蔓の茂りが弱かったので、期待していませんでしたが、以外や以外、結構な出来映えでした。 この写真、時間に追われてありません。

↑タマネギは約500本、植え込みました。翌日は恵の雨でしたので、根付きは良いことでしょう。 茶色に見えるところが、シイタケ菌を敷き詰めた所です。

↑トウガラシが御覧のようです。寒くなる11月からは湯割り焼酎に入れて飲みますと、大変身体が温まります。 「寒い、煙たい、眠いの霜月祭り」にはもってこいです。

↑アイガモを捌きました。
遠山藤原学校のスタッフの吉田さんが長野県・安曇野から持参していただきました。
この2週間のうちに家族、仲間内で8羽を捌いたとうことで息子さんと手際よく。
3匹目は私もカモの足を縛り、口を縛り、竹串で脳震盪を起させ、その後頚動脈に猪を捌く鋭利な刃物で止めを入れました。
何時も頂いているお肉に感謝すると同時に、あらゆる命あるものによって生かされていることを改めて思い起こして両手を合わせました。
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