COLUMN 1−D 1876
平成24年3月18日・記
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犬山・羽黒・農作業
〜水田は4畝追加で2・6反となりました〜
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心配していた雨は上がりましたが、晴れの予想が曇りです。
まづ第1の事柄は40日前から始まった固形バイオ(ボカシ)の完成です。
一昨日メンバーの一人は急遽上京し、高嶋博士に出来栄えを判定していただきましたところ及第点で、お墨付きを頂きました。
そのボカシを本日初めて手にしたのですが、私にとっては大好きな匂い、香りです。 第1印象はこれで良い作物が収獲出来ると感じました。

風に乗って、10数メートル離れている私の所に、柔らかで・香ばしく・気持ちがホットする香りが飛んでくるのです。
上記の写真はその上に、稲藁を蒔いているところです。
本日をもってジャガイモを50Kgの植え込みを終了しました。 水はけの悪い畑もありますので、出来栄えは予断を許しません。
次は、水田が更に約4畝追加契約することとなりました。 これで水田は2・6反で畑は1・4反です。
今のところは草の生え方もユックリですが、来月からは水田の農作業と重なり、二年目のジンクスではありませんが、メンバーからどのような声が聞けるのでしょうか。それも楽しみです。
偶然現れたのでしょうか、畑2号地の地主さんが顔を出されました。 また共同地主で借地権者の方とも名刺交換しました。 地主と借地権者、そして私たち使用者の関係はなかなか利権問題もあり留意すべきことがありそうです。
お二人と別々にお話しをさせていたがきましたが、使用者=私たちの人柄を一番気にかけているようでした。
『このくらい綺麗に使ってもられるならば、いいわなぁ〜』の一声を頂きました。
メンバーのリーダーに報告すると契約書を昨日交わしてきたからということですので、安心してこれからもできると思います。
COLUMN 1−D 1867
平成24年3月7日・記
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瑞浪・百姓学校は今年6月で卒業
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このコラムNO1859で「私は何を優先順位とするか」を決めなければならないと書きました。
本日瑞浪・百姓学校に行き、本年の6月で卒業させていただくとお話しをしてきました。
昨年の11月に植えたタマネギが他のグループのモノよりも数段状態良くこの冬を乗り越えてくれていました。6月末が収獲です。
と言いますのも、昨年の12月下旬に寒冷紗をした絹さやえんどうが順調に育っているのを見届けていましたが、本日観察すると溶けてしまったと言うのでしょうか、姿が見えません。
今冬の寒さは例年以上でしたので、寒冷紗をしていても凍えてしまったと言うことでしょう。 それ故に、生き生きと育っていた玉ねぎとニンニクの状態を見て嬉しくなってしまいました。
校長に犬山・羽黒の方で田畑を拡大して農業に取り組むとお伝えしますと、「それは良いことだ、歳も歳だから2カ所も出来ないからな」と・・。
8年前に、この百姓学校から8人の方が卒業されてゆかれましたが、皆さんそれぞれに農業を続けられているようです。
12年間に渡りご指導を頂いた瑞浪の百姓学校も6月で一区切りです。
COLUMN 1−D 1864 より
平成24年3月4日・記
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犬山・羽黒・畑2号地のジャガイモ他
〜粘土質の土で三分の一、ヌカルミで〜
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トウヤ、男爵、メークィーン、きたあかり4種のジャガイモの植えつけをしました。各5Kgです。合計20Kg.

同じ畑に、2月19日にトウヤの種芋を植え込みました。
その後、気温が低くしかも霜がありましたので、多分土の中と言えども霜枯れしたのではないかと掘り起こしてみましたら、根は生えておりませんでしたが、芽は生きていました。
ところが、畝づくりをしてゆきましたが、300坪の畑の中央部が粘土質でぬかるんでいます。

↑耕運機が空回りです、一人であったら抜け出せなかったことでしょう。

↑やっと、抜け出しました。 この場所は別の所に予定していたサトイモに変更予定です。 この畑の三分の一がこの土質です。
、土盛りしてあるのですが、多分田圃の土を入れたのではないでしょうか。

土質の良いところに、ホウレンソウ、水菜、人参、大根、甘エンドウの種を蒔きました。

名古屋より2〜3度気温が低いから、少し早いかとは思いましたが、本日はメンバー7人が揃いましたので、月2回農法ですので、一気に蒔いてしまいました。
次回の農作業は3月18日ですが、どれほど芽が出ているのでしょうか。
この日に、固形培養も散布する予定です。
COLUMN 1−D 1852 より
平成24年2月19日・記 |
犬山・羽黒の農作業 2月19日
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先週に続いて畑(3号)の耕運と新たにお借りした田圃の耕運をしました。
本日も今冬2番目(?)の冷え込みとなりましたので、ジャガイモの植え込みは中止しました。 先週に植え込んだモノは果たして発芽するのでしょうか。
これまで中山間部の段々畑で作業をしていました、広くて50坪ほどでした。 犬山は150坪、180坪ですのでいろんな面で見当がつきません。

↑耕運の他には籾殻の代わりをする稲藁の刻みをしました。

↑耕運をし、畝作りをし終えた畑は本当に気持ち良いです。
畑のお隣の御婆さんとお話しをしました。 『昨年までの人と違う顔触れですね』、『はい、今年からです。よろしくお願いします。 草を繁さないようにしますから・・』というと、『そうだね、よろしく』と言われました。
畑の隅の7〜8メートルの高さの木を指差して、「鳥の糞が運んできた物がこんなに大きくなった。 切ってもらえると有難いが・・』と言われましたが、地主さんの了解を頂かない何ともなりませんので、『お話しは承りました』とご返事。
昨年、田植えをした時、隣が休耕田であるから問題ないだろうと一畝はみ出したら、きついお叱りを受けましたので慎重な返事をしました。
一方、犬山・羽黒・3号の畑の耕運をしました。昨年は休耕田でした。
その田圃は2年前に手を入れたそうですが、その隣の田圃が休耕田となっており、田植えをした後,休耕田から田螺が一斉に移動してきて、2度も田植えをし直したが、それでも全て喰われてしまったという。
結果、昨年はギブアップしたという田圃を私たちがお借りすることになりました。 お隣の休耕田も耕運してありますが、今年はどうなりますことやら・・
ただし、カタツムリの抜け殻が異常に散乱しています。これは何か??
この田圃のみ背の高い立ち枯れの草がいっぱいでしたが、ジックリ耕運しますと、それなりの姿になりました。
稲藁を撒きましたがもう1〜2度耕運する必要があります。
ご近所の御婦人方の散歩でしょうか7〜8人で、見かけない顔だなとばかりに何やら語らいながらジロジロと視線を投げかけながら通り過ぎてゆきました。
明日になれば、見かけない顔が田圃を耕運しておったと近所の話題になるだろうと想像しました。
COLUMN 1−D 1847 より
平成24年2月12日・記
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犬山・羽黒、農作業始まる
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2月19日からが本格的な春の農作業スタートとしていましたが、耕地面積も広がり、耕運機は1台ですので一日で田圃と畑の両方は大変と気を揉んでいました。(田圃150坪が残っています、定例は1カ月に2回作業計画)
本日12日、畑の耕運だけでもしましょうということになり、朝の7時に集合となりました。

↑ご覧のように霜が降り、霜柱も立っています。
愛知県といっても直ぐとなりは岐阜県、名古屋より2〜3度気温が低い。
耕運機の到着が遅れましたので、180坪ある畑のうち半分は昨年までの畝を活かして使おうということにし、畝を作りジャガイモを約3キロ植え込みました。

↑この時期に見慣れない奴たちがいると言うことでしょうか、散歩途中の話し好きのおじさんが色々と忠告やアドバイスをしていただきました。
羽黒・畑・2号地180坪の半分を耕転し、羽黒・畑・3号・150坪に移動。
この移動は公道を耕運機を運転して走りました。 その間の距離は1・5キロ、追い抜いてゆく車に手信号で合図しての走行です。

↑こちらの畑の方が民家に囲まれているから、防犯上は良いかな?
と言いながら、耕運機の操作も慣れてきて一気に耕転し終え、ではジャガイモを植えようと言うことになり、約7キロ植え込みました。
これでどれほどのジャガイモの種が必要かの見当が付きました。
あと30キロは必要と計算しました。 これまでこんなに広い畑を相手したことがないので戸惑っています。
この後、羽黒・畑・3号地に移動し、タマネギの草抜きをする。
少しばかりの絹さやエンドウに臨時の支柱で蔓上げの補助とする。

↑昼過ぎ、1時半に自宅に到着、福寿草が開いていました。
COLUMN 1−D 1840 より
平成24年2月5日・記
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名古屋たまり場・農楽倶楽部
固形培養(ぼかし)づくり
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微生物を繁殖させ、無農薬・有機栽培にとり組むために「ぼかし」づくりをしました。
この時期気温が低いために、遠山郷藤原学校のスタッフが他の場所でボカシづくりをされておられますが、温度が上がらず苦労されているようです。 名古屋・農楽倶楽部のメンバーが倉庫を持っておられるのでそこで製造することとなりました。(この倉庫には昨年購入の農機具も置いてあります)

昨年収穫の稲藁を刻み、米糠を混ぜ、ベース菌、発酵鶏糞、糖蜜等を混ぜてシットリとした感触になるまでエナジー水を散布して掻き混ぜる。
当日・12時の倉庫内の気温は14度でしたが、カバーシートを被せ、更にお布団で覆い、夜間には暖房も入れるように用意されていました。
24時間後には40度くらいまでに温度が上がるのではないかと期待しています。 その後、適時攪拌して藁がポロポロになるまで仕込みます。
新たに加わったメンバーと共に、犬山・羽黒の資材置き場の使用ルールの打ち会わせ、まだどれほど収獲出来るのかもわからないのに、収獲物の 販売方法まで話が進みました。
倉庫に北海道より取り寄せた種ジャガイモが20Kgあり、既に1〜2センチ芽が出始めています。↓倉庫内の温度はボカシづくりに適していると思われます。

なお、本日も酒粕を持参し、トロトロの甘酒を作り振る舞いました。
COLUMN 1−D 1835 より
平成24年1月31日・記
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遠山郷(地元、藤原学校)と沖縄の方々の交流会
〜1月28〜30日 IN 沖縄〜
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1月28日
昨年、沖縄から3回団体で遠山郷へお越しいただいた。延べ50人強。
遠山郷藤原学校も12月から2月までは例年遠山郷のスタッフが集まる程度で休校です。 その機会を利用して沖縄に訪問することとなりました。
今年は暖冬ならず寒冬と言われ、1月28日の遠山郷の朝はもちろん零下の気温でした。
曇りか悪くすると雨もあると予報が出ていましたが、この3日間は最高気温が25度で日中は暑いほど、全体としては爽やかで気持ちの良いお天気に恵まれた交流会となりました。

↑沖縄空港の出迎えのお花
中部空港でセーター、コートを車に置いてきましたが、更に遠山から着てきました上着を脱ぐこととなりました。

↑佐喜真美術館
この美術館の屋上から普天間基地が見渡せました。 美術館の敷地は基地との緩衝となった緑地の隣です。
が、、美術館屋上から見える小学校の窓からは訓練中の戦闘機の操縦兵士の姿が見えるとのことでした。当日は土曜日で訓練もないのか静かでしたが、普段はやましく会話もままならないということです。

↑初日の夜、遠山郷の酒豪を迎え、「酒豪酒楽」の悪酔い防止薬準備。
この夜、早寝の私はベットでしたが、繰り出した方々は午前1時を回っていました。
1月29日 平和文化村 読谷めぐり
「やちむんの里」

↑読谷村は県内でも有数な窯どころで50以上の窯元があります。
人間国宝、故・金城次郎さんの窯もあります。

ここで、ガイドさんから面白いお話しを聴きました。 故・金城次郎さんが作成された湯呑茶碗が村役場で使われていました。
人間国宝となったと報道されたとたん、その湯呑茶碗がみんな消えてしまったという事です。

↑登り窯
「世界遺産 座喜味城跡」

↑沖縄の大地はサンゴ礁でできています。それ故に強度がありません。
そこで、15世紀初めに読谷村按司・護佐丸により築城された、切り石積みの連郭式の城で、アーチ方になっており、土台の天井幅が大変広く、一番広いところは5メートルはありました。

「残波岬」


↑その岬に「泰期像」があります。 彼は進貢使として琉球からは初めて中国に渡った人物。大交易時代を切り開いた。中国を指差している。

↑昼食時間まで時間があり、近くの琉球一の焼き物の前にて。
写真は取りやめますが、昼食時間まで待てなくて、ビール缶が開けられたことをメモしておきます。

↑昼食場所・残波ゴルフクラブの表示モニュメント
ここで藤原先生が午前9時から午後の5時まで、講演をされておられました。
「チビチリガマ」 「シムクガマ」

沖縄戦に置いて米軍の残酷な仕打ちを教え込まれていた避難者約140名に内83名が集団自決をした洞窟(ガマ)

↑ガイドさんの説明・解説に聞き入りました。

↑一方、シククガマに避難していた約1000名は、ハワイに移住していた経験者がおり英語が話せ、米軍の呼びかけに応じて全員が助かりました。

↑シムクガマに徒歩で行く途中、「不発弾調査中」の看板です。
沖縄は今でも戦争の跡が消えたわけではないことを、ここでも教えられました。
「サトウキビ収獲体験」

↑サトウキビの植え込みから収獲までを説明していただく。

↑独特のサトウキビ専用の鎌、鞘を剥きやすくなっています。

↑一日、一人で収獲出来る面積は約100坪とのことでした。
収入は政府の補助がなければ到底生活できません。 ここでも若者が跡を継がず後継者に困っておられました。
「琉球武家屋敷””謝名亭”にて交流会 ”うちなぁー 宴会”

↑敷地内の一角に「謝名亭」があります。

↑正装でお迎えいただきました。

↑これまた、正式(?)なお手前で琉球茶を頂く

↑大きな茶筅で泡を立てます。
うちなぁ―伝統芸能”
かぎやで風

↑慶び事はまずこの舞いから始まるとのこと。
空手演舞

↑琉球武道も披露されました↓(沖縄尚・高校生)

↑学校で必修になっているかと尋ねましたが、「NO」でした。
うちなぁー式 にーびちー余興

↑打って代わって、オリジナル沖縄ダンシングチームです。↓
今回交流会参加のメンバーの方の中から選ばれた様です。
当日ご夫婦で参加されて居られる方もあり、4組ほどが紹介されました。
ここでも、沖縄の方の明るさと大らかさを実感しました。


↑「参った、参った」と藤原先生もおおはしゃぎ。

↑山崎校長もついつい腰を浮かして仲間入り。

↑やんや、やんやの盛り上がり
エイサー カチャーシー

↑そして、締めくくりはこれです。↓

↑沖縄は日本本土に出て行っても、再び戻ってくる人が多いと聞きます。
今回、「沖縄の若者と遠山郷の若者の交流会もしましょう」との提案を受けました。
60歳になっても「若い衆」と呼ばれる遠山・木沢地区ですが、旧南信濃村ならば、何とか20人程の若者が集められるか?

↑私の推測では今回の交流会の企画・運営を担当された「日本人事」のスタッフの面々です。
今回の交流会の参加メンバーは約70人、遠山郷にお出でになり顔見知りの方が約25人程でした。
「今年は行くからね」、あるいは「今年も行くからね」という有難い声が多く聞かれました。
遠山郷の地元の方は「こんな歓待をされては参ったな。今度来られた時にはどうしたものか」と言っておられました。
「沖縄には沖縄の明るく・大らかで・元気で情感こもる歓迎があり、遠山には遠山の飾らない・人情あふれる素朴な受け入れがある」。
両者を体験した私にはそれぞれに捨てがたい良さがあると改めて感じると同時に、それ故両者に何処かに惹きあうものがあるのかなと思いました。
1月30日

↑琉球王国最高の聖地、「斎場御嶽」(せーふぁ うたき)世界文化遺産

↑鍾乳石から聖水が滴る。↓其れを受ける金の壺。



↑三庫理(サングーイ)この奥が拝所(パワースポット)

↑三庫理の東側に琉球開びゃく伝説の島・久高島が望める。
「神の島」と呼ばれる久高島から白砂を運び込み敷き詰められた。

↑沖縄空港のお花ともお別れして・・

↑気温22度の沖縄から9度の中部空港へ

お疲れさまでした。
COLUMN 1−D 1835
平成24年1月31日・記
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遠山郷(地元、藤原学校)と沖縄の方々の交流会
〜1月28〜30日 IN 沖縄〜
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1月28日
昨年、沖縄から3回団体で遠山郷へお越しいただいた。延べ50人強。
遠山郷藤原学校も12月から2月までは例年遠山郷のスタッフが集まる程度で休校です。 その機会を利用して沖縄に訪問することとなりました。
今年は暖冬ならず寒冬と言われ、1月28日の遠山郷の朝はもちろん零下の気温でした。
曇りか悪くすると雨もあると予報が出ていましたが、この3日間は最高気温が25度で日中は暑いほど、全体としては爽やかで気持ちの良いお天気に恵まれた交流会となりました。

↑沖縄空港の出迎えのお花
中部空港でセーター、コートを車に置いてきましたが、更に遠山から着てきました上着を脱ぐこととなりました。

↑佐喜真美術館
この美術館の屋上から普天間基地が見渡せました。 美術館の敷地は基地との緩衝となった緑地の隣です。
が、、美術館屋上から見える小学校の窓からは訓練中の戦闘機の操縦兵士の姿が見えるとのことでした。当日は土曜日で訓練もないのか静かでしたが、普段はやましく会話もままならないということです。

↑初日の夜、遠山郷の酒豪を迎え、「酒豪酒楽」の悪酔い防止薬準備。
この夜、早寝の私はベットでしたが、繰り出した方々は午前1時を回っていました。
1月29日 平和文化村 読谷めぐり
「やちむんの里」

↑読谷村は県内でも有数な窯どころで50以上の窯元があります。
人間国宝、故・金城次郎さんの窯もあります。

ここで、ガイドさんから面白いお話しを聴きました。 故・金城次郎さんが作成された湯呑茶碗が村役場で使われていました。
人間国宝となったと報道されたとたん、その湯呑茶碗がみんな消えてしまったという事です。

↑登り窯
「世界遺産 座喜味城跡」

↑沖縄の大地はサンゴ礁でできています。それ故に強度がありません。
そこで、15世紀初めに読谷村按司・護佐丸により築城された、切り石積みの連郭式の城で、アーチ方になっており、土台の天井幅が大変広く、一番広いところは5メートルはありました。

「残波岬」


↑その岬に「泰期像」があります。 彼は進貢使として琉球からは初めて中国に渡った人物。大交易時代を切り開いた。中国を指差している。

↑昼食時間まで時間があり、近くの琉球一の焼き物の前にて。
写真は取りやめますが、昼食時間まで待てなくて、ビール缶が開けられたことをメモしておきます。

↑昼食場所・残波ゴルフクラブの表示モニュメント
ここで藤原先生が午前9時から午後の5時まで、講演をされておられました。
「チビチリガマ」 「シムクガマ」

沖縄戦に置いて米軍の残酷な仕打ちを教え込まれていた避難者約140名に内83名が集団自決をした洞窟(ガマ)

↑ガイドさんの説明・解説に聞き入りました。

↑一方、シククガマに避難していた約1000名は、ハワイに移住していた経験者がおり英語が話せ、米軍の呼びかけに応じて全員が助かりました。

↑シムクガマに徒歩で行く途中、「不発弾調査中」の看板です。
沖縄は今でも戦争の跡が消えたわけではないことを、ここでも教えられました。
「サトウキビ収獲体験」

↑サトウキビの植え込みから収獲までを説明していただく。

↑独特のサトウキビ専用の鎌、鞘を剥きやすくなっています。

↑一日、一人で収獲出来る面積は約100坪とのことでした。
収入は政府の補助がなければ到底生活できません。 ここでも若者が跡を継がず後継者に困っておられました。
「琉球武家屋敷””謝名亭”にて交流会 ”うちなぁー 宴会”

↑敷地内の一角に「謝名亭」があります。

↑正装でお迎えいただきました。

↑これまた、正式(?)なお手前で琉球茶を頂く

↑大きな茶筅で泡を立てます。
打ちなぁ―伝統芸能”
かぎやで風

↑慶び事はまずこの舞いから始まるとのこと。
空手演舞

↑琉球武道も披露されました↓(沖縄尚・高校生)

↑学校で必修になっているかと尋ねましたが、「NO」でした。
うちなぁー式 にーびちー余興

↑打って代わって、オリジナル沖縄ダンシングチームです。↓
今回交流会参加のメンバーの方の中から選ばれた様です。
当日ご夫婦で参加されて居られる方もあり、4組ほどが紹介されました。
ここでも、沖縄の方の明るさと大らかさを実感しました。


↑「参った、参った」と藤原先生もおおはしゃぎ。

↑山崎校長もついつい腰を浮かして仲間入り。

↑やんや、やんやの盛り上がり
エイサー カチャーシー

↑そして、締めくくりはこれです。↓

↑沖縄は日本本土に出て行っても、再び戻ってくる人が多いと聞きます。
今回、「沖縄の若者と遠山郷の若者の交流会もしましょう」との提案を受けました。
60歳になっても「若い衆」と呼ばれる遠山・木沢地区ですが、旧南信濃村ならば、何とか20人程の若者が集められるか?

↑私の推測では今回の交流会の企画・運営を担当された「日本人事」のスタッフの面々です。
今回の交流会の参加メンバーは約70人、遠山郷にお出でになり顔見知りの方が約25人程でした。
「今年は行くからね」、あるいは「今年も行くからね」という有難い声が多く聞かれました。
遠山郷の地元の方は「こんな歓待をされては参ったな。今度来られた時にはどうしたものか」と言っておられました。
「沖縄には沖縄の明るく・大らかで・元気で情感こもる歓迎があり、遠山には遠山の飾らない・人情あふれる素朴な受け入れがある」。
両者を体験した私にはそれぞれに捨てがたい良さがあると改めて感じると同時に、それ故両者に何処かに惹きあうものがあるのかなと思いました。
1月30日

↑琉球王国最高の聖地、「斎場御嶽」(せーふぁ うたき)世界文化遺産

↑鍾乳石から聖水が滴る。↓其れを受ける金の壺。



↑三庫理(サングーイ)この奥が拝所(パワースポット)

↑三庫理の東側に琉球開びゃく伝説の島・久高島が望める。
「神の島」と呼ばれる久高島から白砂を運び込み敷き詰められた。

↑沖縄空港のお花ともお別れして・・

↑気温22度の沖縄から9度の中部空港へ

お疲れさまでした。
COLUMN 1−D 1821
平成24年1月15日・記
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誕生日メールありがとうございました。
〜犬山・羽黒、本年の農作業が始まる〜
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昨日は私の誕生日でした。 ファイスブックが世に普及しているからでしょう有難いことに多くの方から「お誕生日おめでとう」のメールを頂きました。
頂いたのは有難いのですが、それに返信をするのが大変でした。
というのも、何処をどのようにすればよいのか判っていないことと、相手様も慣れないのか一度ならず二度目の送信もあり、その内容が少し異なるので、それぞれに反応をしなければならないのかと判断が付きかねました。
返信忘れの方もいるかと思います、その場合は「ごめんなさい、ありがとう」とここで返信の代わりとさせていただきます。
犬山・羽黒の農楽倶楽部のこと。1月15日
本日は現場での最初の集まりです。
『昨年の12月26日に借家で良いから農機具の置き場が欲しいですね、更にもっと積極的に上物の承諾が頂ける借地に小屋を建てるのはどうでしょうか。 』とメンバーにメールを送って置いたのですが、其れが現実化しました。

ここにメンバーの一人が2台のコンテナを移動してきて、両架で雨・露を凌げるようにすると言うのです。↑ ↓現地・たまり場が可能です。

思いは通じるものだとはいえ、あまりの早さに驚きです。

↑新・羽黒・5号の6畝の畑です。

↑新・羽黒・6号の4畝の畑です。
更に、昨年から「借りてくれないか」とお話しがあった羽黒4号の6畝の水田も、本日契約に行くこととなりました。
これで水田が2・3反、畑が1・5反です。昨年が水田0・9反、畑がT反でしたので、72%増です。

↑本日はT・1反の1号地に稲藁を押切で裁断し播き、耕転しました。
その時の作業中の会話ですが、押切で裁断し、満遍なく撒き散らすだけなのですが軽く汗がにじみます。
そこで『昨年は耕転し、田植えをし、除草し、稲刈りし、稲架に架け、脱穀をした。そんなにも作業をしたのか』と振り返りました。
同時に、みんなが異口同音に口にしたことは、配布したお米の味のことでした。 自宅で消費した者、近状にお裾分けした者、兄弟に配った者と様々でしたが、『みんな御世辞ではなく美味しいと言った』ということでした。
私自身も美味しいと思いましたし、息子たちも美味しいと言いました。
普段購入しているお米も他の市販のお米と比べても高価なものですが、其れにも勝るとも劣らないと感じていましたので、メンバーのみんなもそのように感じ・思っているのだなと改めて美味しさを確認しました。
やる気は満ちていますが、農業体験もなく参加されて来られた方も2年目となるとどのような反応になるのでしょうか?
また同時に、世の中はどのように変化し、私達の行動にどのような影響を与えるのでしょうか。
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COLUMN 1−D 1793
平成23年12月13日・記
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犬山・羽黒・ジャガイモ掘り他
12月12日の作業
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暖かい12月と言っても当地でも10日の朝は霜が降りました。
瑞浪・百姓学校のジャガイモは12月5日に最後のジャガイモを掘り出してきましたが、犬山は残っていました。
12月12日に出向きました。 茎は残っていましたが、葉は殆ど枯れていました。

↑種芋2Kgの物が土付で約10Kgです。(小粒除く) 3週間前の試し掘りの時よりは大きくなっていましたが、出来栄えとして50点でしょう。
その他の状況

↑玉ねぎの苗を植え込むために、このように草が生えているところへ手抜きでマルチシートを被せたら
↓

↑ご覧のように、穴から見事に草が生え、抜くのに手間取りました。

↑初めに草取りをしてマルチシートをかけた畝です。

↑3年前の絹さやエンドウの種でしたが、芽が出ました。

↑これも残り物のホウレンソウの種をトンネル内に蒔きました。

↑時なし大根、こちらはトンネルなし。

↑時なし大根、こちらはトンネルの中、20%ぐらい成長が早いか?

↑羽黒・2号、稲刈り後に耕転してバラ蒔きをしました。敷き藁なし麦。

↑上記と同じモノに敷き藁をしました麦。

↑刈り取った株の間に、簡単な溝を付けてバラ蒔きしました麦。

↑現在のところ、見た目には全て同じような成長に見えます。
左上の耕転してあるところは、今年は畑だった。来年は田圃を予定。
以上、MIXIへの写真の掲載方法が解りませんので、ここに掲載しました。
COLUMN 1−D 1792
平成23年12月12日・記
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遠山郷・木沢・八幡神社・霜月祭り
12月10〜11日
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今夏・秋の遠山郷へのお客様の増加現象から「寒い・煙い・眠たい」と言われる霜月祭りも多くの観光客の来訪が予測されました。
案の定、旧木沢小学校は仮眠所として20人分を用意していましたが、早々と定員オーバー。
その他,,地区の生活センターでの仮眠所も60人と満員盛況となりました。
予測どうりの盛況ですので、約30坪の舞堂は時間の経過と共に超満員です。 撮影などしている隙間は有りません。
そこで、祭りの準備状況と祭り終了後の後片付けの状況にシャッターを向けました。

↑12月10日、午後1時、地区住民総出(?)で準備が始まりました。
(飾りの切り紙等は1週間前に用意されました)

↑さんま飯のサンマ焼の串を作っています。

↑大しめ縄を作っています。若い衆に指示の掛け声をかけています。
年配者の存在が大きく感じました。↓


↑舞堂の入り口です。

↑舞堂に入ると中央に釜戸がデーンと据えられています。

↑舞堂の奥には御神殿があり、舞いの弦や奉納の諸飾りがあります。

↑舞堂の隅に炊事場があります。 女衆が主役です。

↑「さんま飯」がメインです。御刺身と言って「たくあんの切り身」の時代もあったそうです。 今年は群馬からのお客様が天然ブリを奉納してしていただき、本物の刺身に有りつけたと喜んでおられました。
なを、この祭りは四足は厳禁ですので、魚が中心となります。

↑これがサンマです。 身を解してご飯に混ぜます。

↑一休みした後、日が暮れはじめると神事が始まりました。
これから延々と12時間づきます。太鼓と笛の音が止んだのは午前5時でした
12月11日、祭り終了後の朝・午前9時前から跡片づけ

↑霜で濡れた旗を干しています。

↑祭りで使用の足袋の仕分けです。来年も使うもの、今年で終わりの物。

↑炊事場は最後まで大変です。↓


↑残飯です。

↑舞堂の火も消され、しめ飾りも煤けて真黒です。

↑旧木沢小学校・体育館の控室が仮眠所です。ギッシリ20人分です。
ここに収容しきれず、寝袋で体育館内、あるいは図書館等で過ごされた方も多くおられました。

↑12月11日、午後に木沢を出発すると山頂からテッサク(と私の子供の頃の豊根では言いました)が木を降ろしていました。

『楽しくて そして寂しい 祭りかな」
遠山の霜月祭りも人手不足で続けられない地区が出てきております。
この木沢地区は今のところ心配無用の様子です。又来年も元気な方々とお会いしたいものです。
COLUMN 1−D 1786
平成23年12月5日・記
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瑞浪・百姓学校 本年最後の農作業
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↑段々畑の一番上のカラマツもほとんど葉を落としました。
ここから、暖かった瑞浪・深沢ですが零下7〜8度の朝となります。

↑今年も豊作であったサトイモ畑を耕転しました。
夏野菜のところはきつい草が蔓延っており、耕運機で難儀しました。

↑この時期に畝作りをしていましたら、校長が来られ『ここには何を植えるのか?』との問いかけです。
『遠山郷で不耕起農法を学んでいますので、その真似事です』と答えると、「自然循環農法」を唱える校長はわが意を得たりとばかりに、久しぶりに蘊蓄(ウンチク)を聴かされることとなりました。
来春(3月下旬)、ジャガイモを植え込むところから始まりますが、5メートルの畝を13本仕立てました。
仲間がいなくなりましたので、再びひとり作業ですので、全てがジャガイモと言う訳には参りません。

↑ニンニクと玉ねぎは捕植をしていますので100%の活着です。
校長の奥様から今回も御褒めの言葉を頂きました。
エナジー水を散布。

↑本日の収獲の一つジャガイモです。
大きければ良いというものではありませんが、2週前に収獲、味も良し。
2週間後は更に大きくなっていました。中にはパンクしているモノあり。
秋ジャガイモとしてこれまでで一番の出来栄えでした。
本日を持って瑞浪・百姓学校は本年最後の農作業となりました。
2週に一度の行楽と楽しませていただきました。
COLUMN 1−D 1781 より
平成23年11月28日・記 |
11月の遠山郷・藤原学校は
「遠山郷の歴史をたどる」 11月26日〜27日
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↑中央高速道路・飯田ICを降りますと、リンゴが迎えてくれます↓


↑森林鉄道の復活・梨元ていしゃばで線路敷設作業
この週の遠山郷は4つのイベントが重なり地元衆は大忙しです。

↑その2は中学生の旧木沢小学校での野外研修
彼らは小学校5年の時、この旧木沢小学校で野外研修をしました。
中学を卒業して進路がバラバラになる前に、もう一度と言うことで今回の研修となりました。 河原から石を拾ってきて石焼バーベキューや校舎の内外の清掃等2日間を過ごしました。
其の他のイベントは和田地区での御抹茶の会、そして藤原学校です。また、12月から始まる霜月祭りの切り紙の用意と手分けしての対応です。

↑藤原学校観光農園には「エナジー水」製造の複合発酵プラントがバージョンアップして設置されました。
4次発酵までしますと、汚水が水道水と変わらない程に浄化されます。
今年の5月から10名以上で沖縄からの団体客が3度目となります。
今回は若い方が多かった事もあり、最初から雰囲気が異なりました。

↑その一つの表れが宴会の席で藤原先生を囲んで輪が出来ました。↓

↑輪の出来た場所の壁に『前に』という書が掲げられており象徴的・・。。

↑と言いましても、最後は盛り上がりました。
11月27日 「遠山郷の歴史をたどる」

↑秋葉街道・梁ノ木島番所へ

↑遠山谷に陽が射すのは遅く、午前8時半朝霧の中を番所へ
秘境遠山郷のそのまた秘境「梶谷地区」へ

↑急斜面に石積みされ、張り付くように建てられた家、緑は茶畑。
遠山の地元の方も訪れたこともないという「梶谷地区」
この地区は1000年前からの記録が残っております。
(縄文時代からの遺跡も出土すると言うことです)
お母様がこの地で生まれ、育ったというIさんのご案内を受けました。
昭和30年代までは有る製紙会社がこの地の木を切り出す為に1000人ほどが住まわれていたと言うが、今は地区に数軒と言うことです。


この地区の石仏は「神様王国」の遠山・和田地区と姿が異なります。
しかも、素人の手彫りのようです。
山を越え、山から降りてきた人々が開拓した地区ではないかと予測。
京を追われた平家の落人であったり、鎌倉武士に繋がる言い伝えや資料もあると聞きました。

↑梶谷川を挟んだ反対側は石垣も崩れ、家屋の跡地は苔生して・・・↓


↑其の地で鎮魂の神楽を奉納

↑地区の中心地となる「三条神社、関野神社」も御参り

かつての旅籠(民宿)・島畑

↑6年前まで、秘境の御宿としてマスコミに取りり上げられた、秋葉街道・青崩れ峠の入り口で旅籠(民宿)を営業していた「島畑」。
母屋の裏には街道を行き来した馬を繋ぐ厩跡も現存していました。
ここに国道152号線のトンネルが開通するということで、来年には取り壊されると言う。松の大きな梁の御宿、もったいないと感じた。

↑昭和26年に御嫁に来たという奥様のお話しを伺った。
現在「島畑」さんは6年前まで村営宿泊施設であった「やまめ荘」が民営化され、そこに営業移転され多くの御客様を受け入れておられる。(私達が一番お世話になる宿です)
奥様は今も現役で働いておられ、立派な旧民宿にお住まいされている。
『嫁に来た頃は川の流れの音に眠れなかったが、今は子守唄』という。
旧の島畑旅籠から現在の島畑旅館までは山道を歩いて1時間以上かかる、そこまで買い物に出かけたという。『当時は特別のことでもなかった』と語られた。
遠山郷に4年近く出入りしているが今回は初めて経験する場も訪ね、時代の転換期にこの遠山郷から何かが発信されると言う意味合いの一端を感じることが出来ました。
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COLUMN 1−D 1778 より
平成23年11月24日・記
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11月23日、瑞浪百姓学校へ
〜再び、一人での農作業となります〜
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↑このカラマツが紅葉し、葉が落ちますと瑞浪・深沢は冬です。↓

農業を体験してみたいと息子の友人がこの地を訪れてから3年経過。
昨日をもって、共同作業は終了しました。

↑昨日の収獲物です。写真の他にネギがありました。
サトイモは試し掘りから2ヶ月間、昨日が最終でした。 まだ、食していませんがやはり今回の収獲物が一番旨みがのっていることでしょう。
ジャガイモは今回が初掘りでした。 普段は男爵、あるいはメークイーンですが、春の出来栄えが悪かったので種芋を農林1号と「でじま」にて実行。
結果としてはまだ葉が青々としていましたが、上記のような出来栄えです。 納得のできましたし、学校長の奥様から御褒めの言葉を頂きました。
最終の掘り上げは12月5日を予定しています。これまた、まだ食していませんが、見たところから判断すると多分大丈夫でしょう。
昨日が最終となる1君に全ての収獲物をタップリ持って帰っていただきました。 『マンション住まいだから仕舞っておくところが大変だ』と言いつつ、芋類は日持ちがするからとドッサリお持ち帰りされました。
3年のことですが、サトイモ、ジャガイモは日陰干しするのだと口添えしなくとも、前回の収獲時で実行しているようです。
これで、瑞浪の百姓学校ではまた一人での農作業と成ります。 とは言え、他のメンバー・グループもいますので、互いに学び合い、出来栄えを心密かに競い合うことになります。。
昨日の農作業
・サトイモ最終掘り上げ
・ジャガイモの初掘り。
・白菜、大根、人参、小松菜、飛騨の紅カブの最終収獲
・玉ねぎ、ニンニク、絹さやエンドウにエナジー水散布、 絹さやに寒冷紗 (絹さやエンドウは昨年、強い冷え込みで成長悪く、今回実施してみた)
・夏野菜の支柱・マルチシートの撤去。」
COLUMN 1−D 1776 より
平成23年11月22日・記
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11月21日、犬山・羽黒にて豆鞘打ち(?)
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今年、初めて、大豆をポットへ蒔き、植え込みをし、途中で枝豆の収獲、
その後、大豆に成長した所で収獲し、稲架に架け、昨日鞘打ち(?)
(?)と書いたのは、本当はどのように表現するのか判らないから・・・
その結果、大豆は収獲後の作業が一番大変だということが判った。

↑稲架に架けてある大豆。前夜の強風でシート捲れている。
大した量でもないから簡単に終わるだろうと思っていたがなかなか・・・
予測し持参した資材、道具は正解であった。 シート、手打ちの木槌、木槌を受ける厚めの板、大きめの竹笊、他には何時も車に積んである道具類です。

↑木槌と台になる厚めの板の持参は大正解。
簡単に終了すると高を括っていた鞘打ち(?)。 収量が11Kで3時間かかった。 そこからがまた大変です、自宅に持ち帰りましたが、鞘等のゴミが混ざっていますし、根に付いた土も混ざっています。
料理するまでに、どのようにしてきれいにするか思案中。

↑11月22日、夜中に思いついた扇風機を活用してのゴミ飛ばしは成功せず、結局一粒づつ拾うこととなる。
拾って見るとゴミばかりではなく、虫に食われたモノ、割れているモノ、腐っているモノを外すと11Kgは10Kg?
メンバーに『このような楽しい作業は自分たちだけで楽しむのは申し訳ない』と相方が言いなさいと言うので、『それもそうだな』と次回には、鞘打ちしたのみの大豆を持参するつもりです。
大豆の店頭価額は色々あるが、地方(例、遠山郷など)で購入すると500gで、500円で購入できる。 (近くのスーパーなら300g,500円?)
と言うことは約T万円の収入と言うことです。
単純に、貨幣換算してはいけないと思いつつ、ついつい今の安易な環境条件の生活と対比してしまう。
この一連の行動、作業こそ何物にも代えがたい価値であり、行楽であり、喜びであり、健康づくりであると思い直しています。
其の他、13日に種まきした麦、大根、ホウレンソウが発芽していた。
秋ジャガイモを試し掘りしたが、数も大きさも満足がいかない出来栄え。
COLUMN 1−D 1769 より
平成23年11月13日・記
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11月13日、犬山・羽黒で農作業
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先週残してしまった羽黒2号の脱穀をしました。
2週続きともならば、順調に進みました。 稲架には羽黒3号から持ってきました大豆を代わりに架けしました。


↑11月7日、自宅に持ち帰りベランダで乾燥させた同じ大豆。
味噌を造りたいと言っていますが、多分大丈夫な豆がとれるでしょう。
本日脱穀の羽黒2号地(2畝)には麦を播きました。 耕転した畝、稲刈り後に軽く鍬を入れた畝、更に敷き藁をした畝と何もしない畝と3種の実験です。
羽黒2号地のこと

↑順番が反対になってしまいましたが、朝一番は玉ねぎを植え込み。
これで合計600本強です。 エナジー水をタップリ播きました。

↑白菜の出来栄えが最高です。私の経験では一番です。
固く巻かれドッシリとした手ごたえですが、外の葉も枯れていません。
本日参加のメンバーは出掛ける前に『今日は白菜を持ち帰る』と奥様に宣言してきたようです。
『キムチ鍋にするには惜しい様な出来栄え』と言いますので、『外側の葉をキムチ鍋として、中は一夜漬けでも良いのでは』と提案。
お一人は「豚肉と白菜の鍋」と決めていたようです。

↑大豆を収獲した後を耕転しました。 そのままで畝に使えそうだということで、急遽手持ちのホウレンソウと近くのホームセンターで大根の種を購入してきて蒔きました。

↑秋ジャガイモも順調、今朝は露が降りており、肌寒い程でした。
今週か来週末に成ると霜が降り、この青々とした葉も枯れる頃には、丸々したジャガイモが掘り起こせることでしょう。
忘れていました、先週は籾の状態で反当たり8・5俵のお米は、籾すり後は反当たり玄米6俵でした。 クズ米が多かったようです。
それでも一人当たり60Kgで、本日分を含め残りは御世話になった方々へのプレゼントとしようと言うことになりました。
60Kgは私達夫婦二人では1年分に相当します。 近くの農協に精米に行き今晩は新米を味わってみようと思います。
COLUMN 1−D 1763 より
平成23年11月7日・記
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犬山・羽黒3号地の玉ねぎの植え込み
〜身近な散歩道も紅葉が始まりました〜
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昨日は「10日間の体力テスト・実験」などと空元気を発信したが、今朝は少し咳き込み、鼻水が出て、そして微熱がある。
とはいえ、4日に購入した玉ねぎの苗が萎んでゆくから気になって、夜中にまで目覚めることとなった。
相方にもお出ましを願って犬山・羽黒・3号地へ。
マルチシートは敷き詰めてあったが、穴から既に草が生えてきていました。 400本弱を1時間半かけて植え込む。
其の他持参したニンニクと他の畑の残りの絹さやエンドウを播く。
枝豆として食した豆は既に葉を殆ど落として大豆に、今週末の残りの脱穀の時にでも稲架掛けしようと、倒れているものを立ち上げておいた。
体調が十分でないためか、写真を撮るのを忘れてしまった。

↑春日井緑化植物園も紅葉が始まりました。

↑その植物園内の定点観測地点・大久保池のラクショウの紅葉です。
COLUMN 1−D 1762 より
平成23年11月6日・記
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犬山・羽黒1号地の脱穀 11月5日
〜この10日間で、現在の体力テストを終える〜
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本日(11月6日)はいささか疲労感を感じている。
どれほど、体力があるか・もつかとの興味もあり、実験でもありました。
10月29日から31日の遠山郷(農作業は8時間)、11月1日は庭の松剪 定と藤棚の整理(4時間)。
11月3日は、瑞浪;百姓学校で玉ねぎの植え付け500本とサトイモ40Kgを掘りだす(5時間)。
4日は名古屋に2度出向き、2度目は午後11時過ぎに帰宅、昨日は午前6時半集合で脱穀、それで終わらず午後の3時から「波動の会」で名古屋。
帰宅後、セリーグ・クライマックス戦、中日が有利な戦いの為最後までテレビ観戦。
風呂に入りグッスリと思いきや、疲れ過ぎの為か寝つかれず。
とはいえ、今朝は普段道理、朝の日課を終える。
明日はお天気が回復だろうから、犬山・3号地に玉ねぎの植え込み予定。
11月5日 犬山・羽黒の脱穀

↑今年から始めた名古屋たまり場メンバーの「農楽倶楽部」の脱穀。
耕運機、稲刈り機、そして脱穀機と実に値打ちに中古品を手に入れてきました。 田植え機はお借りしました。
お値打ちと言ってもそこは中古機です。何処かに不備はあります。
今回の脱穀機に関しても、Kさんが何度かご自宅で始動実験をしていざ本番となり、 20分ほど順調に始まりました。
が、ここで異常を知らせる警告と微かにゴムの燃える臭いと煙。
購入先に連絡をとると同時に、機械のカバーを取り外し始めました。
私はこんなこともあろうかと予測していましたので驚きません。
と言いますのも、瑞浪・百姓学校の13年前は、ほとんどの農業機器は使用30年以上の物ばかりでしたから・・・・。
脱穀機にいたっては毎年必ずトラブルがおきました。 藁が引っかかる、脱穀した米が詰まる、ベルトが切れるという風です。
今回もカバーを取り外すと、籾がつまり、送り込むモーターが空回りしていました。 もう一回同じことが発生。

↑2度の失敗で、稲束を送りこむ速度、籾の部分から脱穀始めるなど要領が判ってきたところから順調に進みました。
とはいえ、T反1畝の1号地の脱穀は終了しましたが、3号地の2畝は残ってしまいました。 午後からは小雨でしたので来週に。

↑T反1畝の収量は8俵半でした、反当たりにしますと7・7俵です。

↑脱穀を終えた田圃には鳩の群れです。
COLUMN 1−D 1760 より
平成23年11月3日・記
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瑞浪・百姓学校へ
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相棒から10月30日は雨で農作業が出来なかったとメールが入る。
私の今週から来週の日程を見ると空いている日にちがない、そこで急遽、昨日JA愛知・高蔵寺で玉ねぎの苗を購入し出掛けることとしました。
追加情報(11月4日・記)
玉ねぎの苗の価額
・長野県・安曇野からは生きの良い新鮮な苗100本500円
・春日井・高蔵寺農協、問題なし 100本600円
・飯田市のケーヨー・D2ホームセンター 半分枯れて50本480円
値引き交渉をすると380円となった。 (多分根付くとは思うが・・)

2週間の内に↑紅葉、↓ハンの木の紅葉は進んでいました。


↑校長家の自家用の稲の脱穀が始まっています。(この地区では最終)

↑この地で一番おいしい野菜はサトイモです。(と私の私見ですが・・
霜枯れとでもいうのでしょうか、2週間前まではピンと背を伸ばしていた茎
もご覧のように倒れています。 と言うことは芋は更に美味しくなりました。
サトイモは9月23日に「試し掘り」をしました。 10月8日に第1回目の掘りだしで10Kg、10月20日に第2回目の掘りだしで30Kg、本日は40Kg.
後、2畝残っていますので多分、35〜40Kgでしょう。トータル120Kg.。
芋類の収獲はこの地ではサトイモが一番です。 ジャガイモは春と秋の約3ヶ月で二回収獲出来ますが、収量の数・量・質はサトイモには及びません。
但し、サトイモは4月に植え込み収獲が10月に入ってからですから6カ月以上を要します。
更に、種類にもよりますがサツマイモは芳しい成績を上げていません。
カボチャは納得のゆく成果を上げています。
こんな事を書きましたのは、その内に食糧の問題がテーブルに上がるのではないかと考えているからです。

↑何とか白菜が巻き込んでくれました。

↑その他、本日の収獲物です。↓

今週の5日は犬山・羽黒1号地と3号地の初めての脱穀です。
2号地の玉ねぎの植え込みをしなければなりません。
その間をぬって、4日は「個の花倶楽部の勉強会と懇親会」、脱穀の同日は「波動の会」と目白押しです。 嬉しい悲鳴です。
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