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                              平成19年5月4日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 64日目 4月30日

空路、ガラパゴスへ、クルーズ客船レジェンド号乗船
 ”進化の小宇宙、ガラパゴスクルーズ”始まる。



 前夜遅くに(22時30分)、エクアドルのグアヤキル・ホテルに到着。 間の悪い時にはトラブルが発生しやすいものです。 私がトラブルメーカーになってしまい、部屋の手配間違い、何とか入室するも、今度はシャワーがトラブルです。
 それでも、エリトリア以来で、タブにイッパイお湯を入れて首まで浸かりました。

 翌朝、ホテルの近辺を散歩しました。

   
    
    朝も早く人通りが少ないです           近くの公園で

 エクアドルと言う国
 
正式名称はエクアドル共和国。 人口約1300万人(2006年現在)日本との時差14時間。
 が、ガラパゴス諸島は大陸よりも1時間マイナス(15時間)クルーズは大陸時間。
 南北に走るアンデス山脈を境に太平洋(海岸地方)、山岳地帯のシエラ、アマゾン地域のオリエンテの3つに気候区分される。

 グアヤキル(海岸地帯、エクアドル、第二の都市)


 熱帯地方に位置し、一年中蒸し暑く夏服で過ごせる。
フンボルト海流とパナマ海流の影響で1月〜4月・雨季が一番蒸し暑い、7~9月が乾季で涼しい。
 2000年、経済状況が悪化し自国通貨スクレを廃止し、米ドル移行政策を施行。
 今は米ドルのみ流通。 お札が破れていると銀行やお土産屋は受け取らない。偽札多く、厳重にチェック。
 海岸地方のお土産はタグアと言う植物の種を加工して作った人形。
 ガラパゴスはTシャツ、置物、アクセサリー。観光地であり、日本と変わらない。


 朝、専用バスにて空港へ。 空路、約1時間でガラパゴス諸島のバルトラ島へ。
 到着後、シャトルバスにて船着場に移動し、レジェント号に乗船。
 レジェント号チェックイン、船内オリエンテーション、ガラパゴスクルーズへ

 「ガラパゴス」について

 太平洋の東方、赤道直下、南米大陸のエクアドルから約1000Km西方にガラパコス諸島が存在する。 16の島と多数の岩礁が赤道を挟んで南北にまたがるように点在し、その陸地の大部分は南半球側にあります。 四国の半分。内、イザベラ島が総面積の半分を占める。
 ガラパゴスの地質的なお話、溶岩流の光景、火山活動の島々。 最も古いものは東の端・サンクリストバル島及びエスパニョーラ島で、300~500年前と推定。 今も時々噴火する。

 略年表
 1600年代 海賊によるゾウガメの乱獲。
 1700年代 後半頃から海賊により、ガラパゴスの研究が始まる。
 1835年  スペイン人司教トマス・デ・ベルランガがガラパコス発見後、300年)
        チャーチル・ダーウインがガラパコスに到着。 約5週間の滞在・研究・採集が        進化論のきっかけとなる。
 1832年  エクアドルがガラパゴスの領有宣言。 その後、1世紀間は入植者もなく流          刑地として利用された
 1859年   ダーウインの「種の起源」刊行。
 1934年   ガラパゴス内の幾つかの島が保護区に指定される。
 1959年   ガラパゴスが国立公園に指定される。
 1960年代 観光が整備され、1968年にはグアヤキル・ガラパゴス間の空路開設。
 1978年  世界自然遺産第1号に指定された。
 1996年  約6万人の観光客がガラパゴスを訪れた


 ガラパゴス諸島のバルトラ島へ(グアヤキルからバルトラ島へ)

   
     
      この飛行機でバルトラ島へ         ここで入島手続きをしました。

   

  海岸近くに停泊している観光船  この後、パンガに乗るたびにお世話になったライフジャケット
   

  ほとんどの島にはクルーズ客船は接岸できません。 収容人員16人くらいのゾデイアック(スペイン語でパンガと呼ばれるボート)の世話になります。
 4日間のクルージングをした「レジェント号」、「トパーズ号」35000トンに対して、3300トンと約十分の一の大きさです。 大変揺れます。 それでもその後、眠ってしまうのですから、船に慣れてきたのでしょう。


 船内オリエンテーション

           
     
島での規則、注意事項を聞いて、その後は避難訓練です。
 
 チャイニーズ・ハット上陸・ウエット・ランデイング

   
 
   
       溶岩で出来た様々な形の島を眺めながら、チャイニーズハットへ

      
     
       
中国人の冠る帽子に似ているところから、名づけられました。

   
  

    二十数年ぶりにシュノーケルをしました。 目の前にはペンギンが居ました。

               

 
若者達は水中カメラを持参しており、パチパチです。私はデジカメでヤット一枚


 船内にてウエルカム・カクテル・パーテイ

   

        

          
日が沈み、「ウエルカム・パーテイー」となりました。

              

     
 旅の疲れと、シュノーケルの疲労で早々と眠りに就きました






 
                           平成19年4月29日と5月4日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 63日目 4月29日

 〜ベネズエラ(ラグアイラ)入港、下船。
   〜空路、グアヤキル(エクアドル)にて宿泊〜   


   

                   

     

  
   

 入港はまだ岸壁に灯りが灯っているころに        薄明かりになって

    
                 朝日に照らし出されました

 岸壁から住宅が建ち並び、山裾から中腹まで建ち並んでいます。

              
 
  写真からは、家々の建築物のレベルは分かりづらいですが、大変質素なものです

                  
 
  首都カラカスの空港前の建築中のビルです。 赤コンクリートブロックの積上げです。

 ここでベネズエラの高地は標高が高いことを思い出しました。 南アメリカ・アンデス山脈の北端がベネズエラのメリダ山脈に続いており、ベネズエラ国内最高峰のピコ・ボリバル(標高5007メートル)をはじめ、4000メートル級の山々が86座も連なっているのです。

              

 昼食をこのようなビーチの眺めのあるレストランで頂きましたが、この辺り一体が停電と言うことで、汗ビッショリの昼食となりました。

 ベネズエラについて

 ベネズエラは下船後、直ぐに空路でエクアドル(グアヤキル)に向かいますが、今、南米で注目の国の一つとなっているベネズエラについて、少し触れておきましょう。
 なお、ベネズエラについては別途、「ラテンアメリカの挑戦」、「新生ベネズエラとチャベス大統領」などの講座の活字化が終わっています。

 ベネズエラ・ボリバル共和国(通称・ベネズエラ)は、南アメリカの国。 北側はカリブ海・大西洋、東側はブラジル、西側はコロンビアと接する。
 ベネズエラ海岸の向こうには、アルバ、オランダ領アンテイル、トリニダード・トバコと言ったカリブの諸国が見える。

 ベネズエラという名は、イタリアのベネツイアに由来する。 
 1499年この地を訪れたスペイン人の探検者、アロンソ・デ・オヘダとベスプッチが、マラカイボ湖畔に並び建つインデイオたちの水上ハウスを水の都ベネチアにみたてて、「ちっぽけなベネチア」と命名したことによる。
 「ボリバル」は、独立運動の指導者シモン・ボリバルのことです.

 歴史
 
1489年、コロンブスが3回目の航海の際、ベネズエラの東部、現在のバリオ半島に上陸。
 スペイン人による南アメリカの最初の恒久的な植民地として1522年建設された。
 ヌエバ・グラナダ副王領に編入、後にカラカスを中心にベネズエラの原型と言うまとまりができる。 その変遷は複雑。
 
 何回かの失敗に終わった蜂起の後、1813年、シモン・ボリバルの指導の下でスペイン軍を打ち破り、ベネズエラ共和国が独立。
 ボリバルが大統領になるも、2年後の1815年にまたもスペインに倒されてしまう。
 その後数年のスペインとの攻防が続き、1821年に完全に独立。
 現在のコロンビア、エクアドル、パナマと共に大コロンビアを形成したが1830年分離。

 19世紀から20世紀初頭は、政治的不安定と独裁政権の支配、革命による政権交代。
 1958年の民主化以後、文民による民主主義によって統治されている。
 
 シモン・ボリバルについて
 
 軍人で政治家。 ベネズエラの名門家庭に生まれ、幼いころ両親をなくしながらも勉学に励み、ヨーロッパの啓蒙思想家らの著作に影響を受ける。16歳にしてスペインに渡る。
 その後、フランス、イタリアへ旅を続け、そこで南米の独立に対する思いを強くする。
 後に、南米北部アンデス諸国(ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、パナマ)をスペイン領から解放した英雄。

 経済
 石油に依存、輸出収入の80%が石油(2003年現在) 石油輸出機構の原加盟国。
 中南米トップクラスの高所得水準(一人当たりGNPは約5000米ドル)を誇る背景は、豊かな鉱山資源。農牧業の生産性低く、半分以上を輸入に頼る。

国民
 多くの人種と民族が合流、現在も移民が流入。 先住民はインデイオのカリブ人、アラワコ人などが住んでいたが、現在先住民の社会を維持しているのは密林の中に住む少数。
 白人は植民地時代のスペイン人が主、植民地社会の上層部。
 独立後は、他のヨーロッパ諸国からの移民が増え、ポルトガルからの流入。
 アフリカ系は奴隷としてつれてこられた子孫。 
 アジア系は他より少ないが、独立後に移民した中国人。日本ほとんどなし。
 最近は中南米諸国、特にコロンビアからの移民が多い。

 世代を重ねての混血、人間集団を区分できない。
 ベネズエラ人の主流の意識はメステイーソとし、ベネゼエラをメステイーソの国とするもの。が、白人が他人種より上という関係が個人間では成り立つわけでなく、下層の白人も中流の黒人もいる。
 
 文化
 ボクシング。最古の国際機構のWBAの本部がある。野球も盛ん。


 ラグアイラについて
 バルガス州、バルガス市にある港湾都市、スペイン統治時代からカラカスの外港。
 1589年スペイン人ンがサンペドロデグアカスの名で町を建設。カラカスから約30Km
の市、カラカスの発展と共に重要性が増した。 カラカスとの間には、アビラ山が聳え立つ、古くはスペイン王道と言う山越えの道が用いられ、後のタカグア沢の谷を回るカラカス、ラグアイラ街道が出来た。
 高架トンネルを多用するカラカス・ラグアイラ自動車道が現在の幹線道路。
 19世紀に鉄道が敷かれたが、今は廃止され存在しない。

 5月4日記
 ・事前の上陸説明会で中南米気質による時間観念のユッタリさを何べんも聞かされておりましたので、特別には驚きませんでしたが、空港で2時間強待たされたのには閉口しました。
 夜食が遅くなることを見越して、腹ごしらえをすることにしました。
 その場で焼き上げ、自分好みのトッピングが出来るサンドイッチを注文したのですが、米ドルは通用せず、両替に行くことになりました。
 スペイン語しか話さない窓口、運よく英語の通じるスタッフが現れて、何とか両替しました。 両替に拇印を押す羽目になりました。

 が、パンがそれほど好きでない私ですが、このサンドイッチはことの外美味しかったです          
            
 
  10米ドルが20000ボリバール札一枚となり、2500ボリバードルの釣りが帰った来ましたが、今もポケットに残っています。

 この日2時間半のチャーター便の遅れの間に、ペルー人の青年に声を掛けられて、話をした。 彼は日本語が話せる、ペルーにやってきた日本人女性と結婚、子供が一人、彼女は現在群馬県に帰国しているので、日本の入国ビザと1年間の滞在許可を取ってスペイン・マドリッド経由で日本に向かっているとき、マドリッドでのトランジットが出来ずに、グアヤキルに戻されてしまった。
 
 日本へは連絡は取れたが、奥さんが悲しがっており、どうしたものかと困っているとの話を聞くことになった。
 費用はかかるし、日本で奥さんが探しておいてくれた仕事もダメになりそうだと、本当にしょげ込んでいた。
 子供の写真を見せてくれたが、実に可愛い顔をしていた。
 


 
                              平成19年4月28日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 62日目 4月28日

 〜チョット、退屈な日になりそうな・・・・〜



   

   
 


 
                              平成19年4月27日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 61日目 4月27日

 〜ブリッジタウン(バルバドス)”ジープで島めぐり〜


    

   

 バルバドスは、カリブ海、西インド諸島東端の小アンテイル諸島の島国。
 この諸島で大西洋とカリブ海と区分されています。 島全体がさんご礁で出来ている国。首都はブリッジタウン。
 
 国名は、ポルトガル語のLos Barbados(髭の生えたもの)から来ている。
 この島に生えている木の根は髭のように見えるという説、と、この木に生えた苔が髭のように見えるからという説。 また、木から垂れ下がった蔓草が髭のように見えるという説がある。

 ヨーロッパ人による発見の前には、ネイテイブ・アメリカンによる移住が行われ、最古は4世紀半ばと思われる。
 1536年、ポルトガルのペテロ・カンボスがヨーロパ人として初めてバルバドス島を発見し上陸。 その後、スペインによる奴隷制プランテーション農園が開設されたが、やがて放棄された。
 1620年代、イギリス艦隊が無人化したバルバドスに到着、1627年セントキッツ島から来たイギリス開拓団により植民地を開始。
 1818年、スペイン人がこの島に渡来。 18年間、先住民を奴隷としてイスオアニオラ島で強制労働をさせた
 
 1930年代、イギリス農園主などが独占していた政治に、かっての奴隷の子孫から参加要求高まる。
・イギリス領になったときから、サトウキビ栽培プランテーション大農園には黒人奴隷がつれてこられ、強制労働をさせられた。 島の経済を支えていたが、1834年奴隷制廃止。
 1937年、黒人暴動が起こり、イギリス政府は結社の自由、労働組合を認める。
 1966年、イギリス連邦加盟国として、独立。

 面積、431u(横浜と同じ)島はほとんど平坦。 島の中央に丘陵のヒラビー山(314M)。 
 人口は27・1万人。アフリカ系70%、混血20%、ヨーロッパ系3%、その他インド系等。
 主産業は農業(砂糖)、観光業、水産業(えび)、グレープフルーツ原産国。
 一人当たりのGNPは9270米ドル(2003年、IMF)

 リトル・イングランドと呼ばれるほど、歴史的にイギリスとの関係が深く、独立後も良好な関係、他のカリブ諸国以上にイギリスの文化的影響を受けている。
 バルバドスには16世紀に建てられたセント・ジョンズ教会にコンスタンテイン王国のラストエンペラーの墓があることで知られている。

 「マリブ」(アルコール飲料)とは、バルバドス産のラム酒である。ココナッツ・フレーバーが素晴らしい、夏向きのカクテルに最適。アルコール度は21度。


 バルバドス・ブリッジタウン 入港

   

                 

              

   

     


 では「ジープで島めぐり」に参りましょう。

        
                             
    クリケット会場

 
イギリスと関係が深いバルバドス、今、「世界のクリケット大会」が開催されています。
 ほとんどが、かってイギリス連邦に所属していた国のようです。


               
   
      
         イギリス植民地時代からの「コーラル・ルーククラブ」の入り口


               

          
1900年代の名残が残るといわれるスパニッシュタウン

    
 
                 アーモンド・ビーチ・ビレッジ

          

        海岸を離れて山の方に向かいますと、牛が放牧されています

                 

   

               

   
 
 主要道路は舗装されていますが、(と言っても片側一車線の狭い道です観光スポットに行く道は悪路です。 しかも運転手のサービスでしょうかハンドル操作が大胆です。
 シートベルトの必要性を強く感じました。


       

      

   ピコ・テネリフェ 島巡りの主要地点の一つです。カメラが濡れないように・・・

                 

 再び、山手に入りトイレ休憩です。 モーガン・ルイス風車ですが、観光用です。
 直ぐ隣の納屋には「危険立ち寄るなの看板」が架かっていました。

   

                  バルカルス・ビーチです

   
 
     オーストリアの方が25万本の植林をしたという密林に分け入りました

    

            島の東側を一望出来る断崖からの眺めです

             

     昼食のレストラン、 飛び魚が名物、「から揚げ」は美味しかったです。

   

    その広いお庭に1920年代の農機具や馬車が無造作に展示されていました


   

 かって奴隷を監視していた塔です  その下のライオンの意味は聞き取れませんでした

    

 接岸しているビーチの向こう側に広がっている風景ですが、再び出かける気が起こらず、撮影してきた写真を整理しました。





 



 
                              平成19年4月26日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 60日目 4月26日

    〜関心・興味の湧く講座が目白押し 〜


 本日も時差が生じ体内時計で起床する。 午前3時45分でした。
 1時間ほどパソコン入力をして、ウオーキングへ。
 船は西へ向かっているはずなのに、東と同様に、西の空も同時に明るくなってきた。

   

            

 薄っすらと虹がかかりました。 と言うことはこちら側が西でしょうか?


 1週間連続の船上の生活はいささか退屈になってきた。 ありがたいことに本日は興味のある講座が目白押しであるので、一日が短くなりそうである。
 @世界を斬る影像〜債務危機のカリブ〜
 A動物惑星 〜藤原 幸一が見てきた世界〜 昨年1年間テレビ放映された作品
 B「戦争をしない国、日本」〜好評につきアンコール上映
 C「本当のラテンアメリカの歴史を知ろう」第3回目
 D地球塾 人々のための政治
 
 〜人間が定住する文明を選んだ後、其処には必ず権力構造が生まれるようになった。
 その頂点に立ってきたのは部族の長老、司祭、王様、教皇、天皇、大統領などであった。 現代においては世界経済を牛耳る財閥や大企業なのかもしれない。
 権力とは何なんだろう。 人々にそれを平等にもたらすことは出来るのか。






 
                              平成19年4月25日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 59日目 4月25日

〜6日間のクルージングで、スッカリ日常生活定着〜


   

                
 
 キャビンでは眠れなかったのでしょうか。 時折、このような姿が後方デッキにあります。

   


 船上新聞”たびごろ”4月25日号より。
 『4月29日に入港する事になっている、今,南米で注目されていますベネズエラ。
 観光客は多くありません。 数百人の外国人が一度にやってくる(ピースボートのこと)というので、現地受け入れのもと、本船の直ぐ前でピース・フェステイバルが行われる。

 政府関係者も来られる予定で、さらにベネズエラの新聞にも告知され、多くの市民が集まる予定だ。
 ピースボートからは空手などのパフォーマンスを行う。』

 では、なぜベネズエラが注目されているのか一端を紹介しましょう。
『19世紀、欧州列強の植民地支配を受けていた中南米の国々は独立を果すものの、今度はアメリカ合衆国の経済的搾取に合う。 
 そして、それぞれの国の内部においても、欧米系を中心とした一部の富裕層が長らく政治を牛耳り、富を独占していた。
 油田が発見されたベネズエラでは、その偏りが特に激しかった。

 そんな中、貧困層の圧倒的な支持をうけたチャベスが98年に大統領に当選した。
 庶民のための政治に着手するが、クーデターによって失脚する。
 が、ベネズエラの大衆の要求により再び大統領として蘇る。

 そして、油田の国有化を実施、アメリカ合衆国とも対立している。
米国の資本家達からの支配を抜け出し、独自の情報網をもって、南米の統合を目指し、テレビ局「テレスール」が開局された。
 中南米パワーでカリスマ的な人気を得ている、ベネズエラ・チャベス大統領です。』



 本日、かなり長めのメールを発信。


 
                              平成19年4月24日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 58日目 4月24日

 〜第56TH 洋上大運動会
      燃えよ青春!! 世代を超えて!!〜 


 大運動会の朝はこんな空で始まりました.日中は気温が上がり、水分補給が大変でした

   

       

      では、船上運動会の様子を時間経過と共に追いかけてみます。

       

             
        お化粧から始まります           勿論、ファッションも・・・・


               

              トランペットのファンファーレで開幕です

 
        
                        
                         団旗入場

    
         春組の団旗              団旗賞となった、秋組の団旗 

               
                        選手宣誓

               
                         玉入れ競争

        

        頭脳レース、数学       と   「サンズイ」の文字を書く


    ・   

            障害物競走は、子供用の三輪車からスタートです。


               

              昼休み休憩後は、お化粧から始まりました


   
           この男性のパフォーマンスはなかなか受けました


         

            おなじみの「チアーガール」のパフォーマンス



    

        春、夏、秋、冬組と分かれての応援パフォーマンスです。


        
              
           後ろの列では、こんなポーズが隠れていました


                 
                  
                  「笑ったら負け」のゲームです。


                  

   

                        縄跳び            

              
                         綱引き


            
 総合優勝は居酒屋「波へい」の10万円         「団旗賞」の秋組

             

     大運動会の実行委員長                 横断幕作成責任者

     

     最後はみんなで記念撮影、乗客約800人中、600人弱が参加しました。
 


 
                              平成19年4月23日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 57日目 4月23日

 〜本日、地球大学ユニット2の「報告会」の開催〜 


 地球大学・ユニット2の『報告会』

 「予告記事が「たびごろ」に掲載されました。
 『約60年続いた日本の平和は、今後も続いて行くと思いますか。 
 45年続いたユーゴスラビアの平和は、20世紀末にいとも簡単に崩れ去りました。 
 私達と変わらない現代的な生活をしていたユーゴスラビアの人々。
 「戦争は決して、どこかの遠い、私達とは関係ない国に起こることではない」これが、地球大学を通じて学んだことの一つです。 

 本日の報告会は、ユーゴスラビアの紛争への歩みを劇を交えながらお伝えします。
 そして、たった4日間でしたが、実際に紛争地「ボスニア・ヘルツエゴビア」に行き、見て、聞いて感じた来たことをお話します。
 最後に、この遠い国ユーゴスラビアで起こった紛争をより身近に感じるために、東アジアに置き換えて議論を展開します。
 「平和は求め続けなければ、続かない」。 この報告会を通じてそんなことを感じていただければと思います。
 19時より、ウインジャマールラウンジにてお待ちしております。』(文・藤間 義人)

              本番の日がやって来ました

           


   

                  最後のリハーサルです
            
              
           
          立ち見客が出るほどにお客さんが入ってくれました

                

                      本番中です

   
                      本番中です


               
                
               最後に、皆さんにお礼を申し上げました


              一気にこんな笑顔に変わりました。↓

   

   

                      

   

          
         
         この後、臨時の打ち上げ会が「波へい」で行われました。
          4月25日に改めて、「打ち上げ会」が行われます。

 3月23日にスタートした、地球大学のユニット2は、終了です。
 
 報告会で彼ら若者の口から何度も何度も出た言葉が、「今までは勉強不足であった。無関心すぎた。 新聞も読んでいなかった。選挙なんかには行かなかった。
 この日常が何時までも続いて行くものだと思って疑っていなかった。
 このピースボートから降りた時に、今の気持ちが持続しているか自信はないが、確実に私は変わったと思う。 この機会を大切にしたい」と



 今朝の日の出

   

              
 

 こんなところで、虫の音が

                    

 昨日の朝、ウオーキングの時、気づいたのですが「空耳」ではないかと確認をしませんでした。
 本日も起床が5時でしたので、暗い内からウオーキングでデッキに出ますと、昨日と同じ場所で虫の音がします。 今度は近寄ってみました。するとピタリと鳴き止みました。
 間違いなく、姿は見えませんが存在しています。 写真はご覧のように、人造木です。
 しかし、ここは毎日真水が散布されますし、オーシャン・バーで食べ残したり、床に 落ちたりしているものがありますので、食糧には不自由をしていないことでしょう。
 誰かが持ち込んだのか、それともどこかの寄港地で乗船したのかは分かりません。
 
 カナリア諸島から大西洋を西へ西へと向かって3日間が経過しました。 
 北回帰線、北緯20度付近を航海しています。 間違いなく気温が上昇してきました。
 長袖のトレーナーでは回周デッキを3回廻ると、汗が滲み出てきます。
 更に、カリブ海に近づけば気温は上がるでしょう。 虫君は生き延びられるでしょうか。
 環境に適応して進化してきた「ガラパゴス」には、あと、6日です。 



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