平成21年8月15
日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
第二日目 ブエノスアイレス市内観光(4日目に)〜
(イグアス 泊)
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「ブエノスアイレス」アルゼンチンの首都。 48の地区に分かれこの街は、歴史や政治的にも重要なセラート地区、古くからのボヘミアンが集まるところで有名なボカ地区(アルゼンタンゴの発祥の地)が見所。
世界3大劇場の一つ*コロン劇場
メトロポリタン大聖堂
ボカ地区
・観光後、イグアスへ |
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上記のように出発前に予定を書きこんでおきましたが、当初予定が変更になっており、本日はブェノスアイリスからイグアスへ、到着後、ホテルに直行です。
計画は午後の4時とありますが、計画通りに行くんもでしょうか。
中部空港を立って40時間近く経過しています、今夜は早く床に就きたいです。 (以上の入力は機内にて)

↑ アルゼンチン・ブェノアイリスは今が真冬である。 が、本日は最高気温が30度近くになり、最低気温も15度とのこと。
明後日、再びブェノアイリスに戻ってくるが、その時は平常の気温となり、最高が15度、最低は5度となるという。

↑聞き洩らしたというよりは、スペイン語で聞き分けれなかったというのが本当のところです。 アルゼンチンで一番大きなサッカー場とのこと。
集客能力は10万人という。 南米のサッカー人気は大変なものであるから、さぞかし凄い応援合戦が繰り広げられることだろう。

↑ これから行く、イグアスの滝を源流とした全長1300Km(?)のラプラダ川の河口から30Kmのところです。
この辺が一番川幅狭いところだそうですが、それでも45Kmあります。
一番広い所では、確か120キロメートルと言っておられました。
川の深さは深いところで4〜5メートル、川の中に運河が掘られておりそこは12メートルの深さがあるといいます
川の色は泥水という表現が適切でしょう。 川底も泥で埋まっているためにそのような色をしているとのこと。
そのことが上流から栄養豊富な水が流れ下ってきている証拠です。

↑ 川の右岸は国内飛行場です。。
川岸で魚釣りをしていました。見たこともないグロテスクな魚でした。
↑土曜日ということもあるのでしょうか、カウンターは大混雑です。
それでも日本からの観光客は前年の3〜50%減と言っておられました。
そればかりではないでしょうが、アルゼンチンの経済状況は悪く、地元のガイドさんが国内線空港に行くまでの間、注意事項は、置き引き、ひったくり、スリ等に対する心構えばかりで閉口してしまいました。

↑本日のお昼の食事はお弁当でした。 日本食のお弁当です。
日本から持参したナスの醤油漬けも加えて美味しく頂きました。
これで、帰国するまでは日本食にはありつけないでしょうが、日本酒と干物、サケの缶詰を持ってきていますので、体調の管理は十分と思っています。
12時40分発のイグアス行きの便が今のところ1時間遅れということで、入力を始めました。
何といっても南米のこと、あせらず、イライラせず、ユックリと待つことにします。
(以上空港待合にて)
ここからは現地時間8月16日、午前1時半に起床して入力です。
日本時間は8月16日、午後の1時半と、ジャスト12時間の時差です。
持参おつまみとビールで入力を始めます。

↑機内から、空港の上空です。ブェノスアイリス国内線空港。
機内で全盲の方とお隣になりまた。 アルゼンチンの方のようでした。
「どちらから来られましたか」とに問いかけに、「日本から」と答えると、「ま〜、なんとお遠くから。 アルゼンチンの感想はいかがですか」と問いかけてこられました。
「まだ、到着して数時間で分かりません」と答えると、「良い旅でありますように願っています」と、アクセントの強いなまりのある英語の会話でした。
数十分まどろんでいると、機内にクッキーが配られると、お隣の方はコーラーとコーヒーを注文し、箱からクッキーを取り出そうとしている。
その動作はユックリというよりは一つ一つ、隅から隅までを指で確かめられた後から封を開き始めました。
手助けしようかと思いましたが、その動作を眺めていました。
手探りしながら本当に柔らかく・周りを気遣いクッキーの封を開けました。
その手つきは、舞を見ているようでした。 一つのクッキーの封がなかなか開けられなかったので、手助けしますと「ありがとうございます」と丁寧な言葉が返ってきました。
イグナス空港でのお別れ「では、良い旅でありますように」とご挨拶されました時、 左の上腕に大きな傷跡がありました。 事故にでも遭われたのでしょうか。小さな耳たぶの小さなイヤリングが印象的でした。

↑アルゼンチン・イグアス空港に近づきました。
下方に光っているのは、イグアス川です。これが下ってラプラダ川となる。

↑翼の下に広がる、森林を見せたかったのです。豊かです。

↑アルゼンチンからブラジルに向かう車窓風景です。
数字に表れた内容の知識は少しはありますが、この自然豊かな大地だけを見ていると、現在のアルゼンチンの経済状況は想像できません。
日本の数倍、いや数十倍の貧富の格差なのでしょう。

↑橋の中央でアルゼンチンとブラジルの国境ですが、流れは何も変わりません。

↑ブラジルの国旗を見上げて、国境を越えたと認識します。

↑バッタ・デ・バッカ」(牝牛の蹄)この花の葉が牛の蹄に似ているところから名づけられたそうです。 ブラジル側の税関の建物横にて。
↓

↑万華鏡にしてみれば、いつもと変わらぬ世界です。
この夜はブラジルのトオモロコシから作りました焼酎でしょうか、「カイパリヤ」というお酒をいただきました。
アルコール度・40度前後の強いお酒ですが、ライムをたっぷりに、お砂糖を入れ、オンザロックです。
ライムをグラスの中で潰し、ストローで飲みます。 スッキリ・甘い飲み口のお酒です。 明日も飲むことになるでしょう。
ほとんど、アルコール分を受け付けない息子ですので、こちらに回ってくるかと思っていましたが、全部飲み干してしまいました。
なお、同じカイパリヤをベースにした、カクテル「ワラナ」も当地ではポピュラーな飲み物のようです。 口当たりよくおいしかった。
入力は終了は8月16日午前3時(現地時間)です。
モーニング・コールまでまだ3時間ありますので、ベットに戻ります。
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平成21年8月16
日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
第三日目 世界遺産 イグアス国立公園
〜アルゼンチン側・イグアスの滝観光〜
〜ブラジル側・イグアスの滝観光〜(イグアス泊)
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・アルゼンチンとブラジル・パラグアイの3カ国にまたがる広大な熱帯雨林は、絶滅の恐れの在る貴重な動植物が生息する自然の宝庫。
公園内にある世界最大のイグアスの滝は、最大落差80メートル、滝幅4Km、大小300もの滝から成る地球のアオシス、驚異的な迫力である。
アルゼンチン側は「悪魔ののど笛」といわれる見学スポット、「滝を見下ろす迫力」が凄い。 滝の上を歩くような感覚は他の滝では経験できない。間近に見ることができる。
ブラジル側は「滝を見上げる迫力」が素晴らしい。
以上の事前情報を持って、まずはブラジル側のホテルからアルゼンチン側に向かいました。
↑ブラジル側の税関の前で早くも仕事始め
↑アルゼンチン側のゲートです。

↑トロッコに乗って出発です。250人乗りで一番列車に乗りました。
↑ このような橋を片道1・2Km歩いて悪魔の喉笛の滝に向かいます。

↑水量が20倍にもなることがあり、その時に破壊された残骸の橋桁

↑このような感じで覗き込んでいます。
↑ 滝の上の端のほうでは、穏やかな流れです。

↑落下する流れの直前の様子です。

↑NHKの世界遺産シリーズで岩ツバメ種アマ燕が滝の中に
あの映像はどこから・どのようにして撮影したのでしょうか。




↑岩ツバメが滝の中に巣を作った意味が理解できます。「黒はげ鷹」が悠々と上空を舞っています.。

↑「鼻クマ」が餌をもとめて、人間を恐れずに近づいてきます。
世界遺産登録後は餌を与えることを禁止しているのですが、ついつい可愛さに乗せられて与えている姿を目にしました。」
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↑「モンデピカ」今はありませんが、黒い実がなる「夢を食する」との名。

↑アルゼンチンの国旗
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↑アルゼンチンの国花で、「イッペ」と言い、紫、黄色、白の3色ある。

↑「酔っぱらいの木」と名付けられました。 雨期に水を貯え、乾期にそれを使用するところから名づけられました。
ヘチマの形をしているところからとの説もおあるそうですが、どう見てもヘチマには見えません。

↑ 酔っ払っているわけではありません。女性陣が買い物に夢中な時に旦那は一休みというところです。(大阪からの別のグループのメンバーです)

↑背丈ほどもある「アメジスト」の購入をせがまれを嫌っての狸寝入り?
ここからはアルゼンチン側からブラジル側に再び渡ります。

新興国「BRIK,s」のひとつブラジル、エントランスからして違います。
↑到底、全景は収まりません、その一部です
ここから、どれほどの数のシャッターを押した事でしょうか。



↑天候に恵まれました、冬というのに昼間は30度近くです。

↑ ほとんど滝の真下までボートが近寄っています。

↑このあとに、オプショナルでこのボートに乗ることになります。
↓その前に、消すには惜しい映像を並べます↓






↑左のエレベーターは4階建分の高さです。
↑このようなジープに乗って原生林の中を川まで下ります.

↑乗り込み場所です。靴を脱ぎ、完全防備の合羽、救命具

両岸はこのような眺めです。↑


. 以下、3枚の写真が持参のカメラで撮影したものです



ここで、カメラは預けられ、防水袋にしまいこまれます。 ほとんどが小型のデジカメです。 私の一眼レフカメラは大きすぎて預けけられません
、持参していたビニール袋のしっかりと仕舞い込みましたが・・・・

↑ このような状況です。 ご想像におまかせしましょう。
完全防備の私でさえ、胸元がシッカリ濡れていました。
服を着たままプールに飛び込んだことをご想像ください。
乗客が悲鳴を上げることにより、滝に近づく突撃サービス度合いは上がるようです。
もうこれで終わりと油断していたときに、帰りの流れの中で大サービスの一撃がありました。 この体験を共有することによって、参加8人の関係が縮まったように感じたのは私だけでしょうか。
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平成21年8月17
日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
第4日目〜ブラジル・アルゼンチン・パラグアイの
三国・国境地点展望台の観光
〜ブエノアイレスよりペルー・リマへ (リマ泊)
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昨夜は数時間、雷がなっていました。
雨の日曜日です。 まずはブラジル、アルゼンチ、パラグアイの3国の国境地点に行きます。

↑特にどうということはない、合流地点です。 3国は川で国境をなしています。 右側から流れてくるのが「イグナスの滝」から流れてきたイグナス川です。
縦の流れがパラナ川で、ここで合流しパナラ川と名称が一つになります。
この3国は戦争したことがあり、パラグアイが負けて、海に面する地を失ったと記憶しています。

↑私はアルゼンチン側に立っており、今回訪問していないパラグアイの遠景を撮影しました。
その後、イグアス空港からブェノスアイリスに飛ぶのですが、再び遅延しており、このあと紹介するブェノスアイリスが駆け足の観光となりました。
ただし、その中でも昼食だけは、人気のレストランでゆっくりいただきました。


↑車窓からの映像です。 茶色のレンガ造りはかってここから穀物等を輸出していた倉庫群でした。 いまはレストランや商店街に変貌しています。
その倉庫群と運河を挟んで、現代的な建物が建設されています。↓


「ブエノスアイレス」アルゼンチンの首都。 48の地区に分かれこの街は、歴史や政治的にも重要なセラート地区、古くからのボヘミアンが集まるところで有名なボカ地区(アルゼンタンゴの発祥の地)が見所。
世界3大劇場の一つ*コロン劇場 ↓


↑「オペラ」など全くよその世界の話ですが、世界3大オペラハウスとのこと
(フランス・パリ、イタリア・ミラノ(?)、そしてここアルゼンチンです。
ガイドさんが盛んに収容能力が2200名とかで、その世界一を自慢していましたが、今は外壁の修復中で素晴らしい建築物が今一つでした。
5月広場


↑ブエノスアイリスの独立に関する広場であったと思いますが、詳しいことは記憶にありません。 帰宅後調べてみましょう。


↑ハトに餌をあげている方たちが大勢でした。
ボカ地区へ

↑アルゼンチンタンゴ発揚の地、到着と同時に私の肌感覚に合いました。

↑港町の小さな一角の入り口です。

↑歩けば150メートルで小さな港です。 もう少し通りはあるのですが、治安が悪いとのことでここでストップです。

↑ この地の象徴的な建物です。


↑通りのあちこちに絵画や彫刻が展示されています。

↑時間がなく、中には入れませんでしたが、カミニートらしい建物です。
当時の人々が住んでいたのとおなじ、トタンと材木の張り合わせの建物でした。
家に塗るペンキがなく、漁船に塗ったペンキの残りを貰って塗っていたことが、このような建物と色合いになった背景です。


↑通りの風景です。


↑ストリート・パフォーマーにUS1ドルを投げ入れて、パントマイムを

↑ マネキンではありません、生のダンスが店頭で繰り広げられています↓

時間がなく、足早にカミニートを去るのが惜しかったです。
・急いで空港に着けば、飛行機が遅延しているとのこと残念、イグアスへ
平成21年8月18 日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
第五日目
〜空路、クスコへ〜世界遺産クスコ市街観光
(クスコ泊)
カテロダル
サント・ドミンゴ教会
サクサイワマン城塞〜インカ帝国の首都クスコ防衛のために造られた砦。
第9代皇帝インカ・パチャクティが建設に着手し、第10代の皇帝、トゥパク・ユパンキが完成させたという。 インカ独特の精緻な石組みで造られている。
アルマ広場
タンボ・マチャイ
十二角石 (以上の斜め文字は、日本で事前に入力していったものです)


↑ペルー首都(人口800万人)から人口40万万人のクスコへ
周りの様相が一変します。高度3400メートルです。 「高山病」に対する注意と留意事項が何度の何度も告げられます。
その後市内観光へ

↑↓サンドミンゴ教会の展望台からの眺めです


↑次の日「マチュピチュ」からの帰りに、クスコの夜景を撮影する

↑神殿下の広場です。かってはここにも建造物があったことでしょう。
サンドミンゴ教会は1534年、インカ文明・文化の神殿を壊して、その上に建造されたものです。
11世紀にこの地に移り住んできたインカの人々により旧市街地は広げられていった。
15世紀にはいり、第9代皇帝インカ・パチャクティが建設に着手し、第10代の皇帝、トゥパク・ユパンキが完成させたという。 インカ独特の精緻な石組みで造られている。
その王によって周辺地域も支配下にはいり帝国は100年間続きた。
ところが、この王国には文字、鉄、貨幣、車軸がなく、どのようにして発展したのか謎ばかり大きい文化・文明である。
地元ガイド(かなり勉強していると感じられた)の説明は色々ありましたが、定説・通説ががなく、必ず2つ以上の見解が紹介された。
(このことは、翌日のマチュピチュについても同じである)
サンドミンゴ教会の観光なのに、ほとんどインカ時代の名残を残す石組やそこに暮らした人々の話に終始しました。
もちろん、クスコの人口の90%の方がカソリック教徒です。このサンドミンゴ教会は現在も人々の礼拝の場所です。 ガイドさんも来られるそうです。

↑独特な石組の一つです ↑レプリカです。金はすべてスペインへ
要塞「サクサイワマン」

↑「要塞」と言っているのはスペイン人の名付け、真実は分からない。
3000ヘクタールの広大な土地に、インカの政治リーダー・官僚たちが住まいしていただろうし、神殿の跡地でもあったろう。
現在、当時の石の20%が残っているが、ここの石をクスコに運び、新たな建造物に利用されたと考えられている。

↑地震国でもあり、ジグザグ状の石組です

↑ 人間の背丈と比べてください、岩の大きさが分かります。


↑その一角に、当時の支配者の像が立ち、クスコを見下ろしている。

↑ 1ソイ(30円)支払って、撮影しました

↑3765メートルの高地で、土産品を紡ぎながら


↑ 彼らの住んでいる住宅の様子 ↓


↑タンボマチャイ、赤い要塞と言われるが・・(これまた?)

↑不思議だったのは、はげ山なのに水路から水が流れていました。
なぜなのかは、今も解明されていないとのこと・

↑岩山と人の影
↓なぜ、昼間の観光では通り越して、再び「マルコス広場」に陽が沈んでから訪れたことが分かりました。


↑「ペルー、南米のどこの地域にもありますこのような広場は、「武器を格納していた場所」とのことですが、時代を経過したことと、ライトアップされた夜景でそのような面影はありません。

↑、↓、その広場を囲んで商店、そして小さな路地は当時の石積み

↑???? ↑右側はインカ時代、左はスペイン時代
平成21年8月19
日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
第六日目ペルーレイル高原列車で、マチュ・ピチュへ
〜 世界遺産・マチュ・ピチュ歴史保護区観光
(クスコ泊)
”雲の上の天空都市・マチュ・ピチュ”
マチュ・ピチュとは現地語で「老いた峰」という意味。
16世紀半ばインカの人々はマチュ・ピチュを残して忽然と姿を消し、その後400年以上にわたって人目に触れることはなく、アメリカの歴史学者、ハイラム・ビンガム氏により、ほぼ完全な状態で発見され、長い眠りから目覚めた。
ペルーのウルバンバ谷に沿う高い山の尾根(標高2400M)に位置し、山裾からはその存在を確認できない。
わずか、総面積5Kuの峰の小さな頂に、建造物がビッシリ。 全ての建物が石組みで精巧に作られて、建物の総数は約200戸。
マチュ・ピチュの約半分の斜面には3Mづつ上がる段々畑が40段広がり、西の市街地には神殿や宮殿、居住区などの分かれ、周囲は城壁に包まれている。

↑ ↓
サルアンタイ、ペロヌクサンなど600メートル〜5700の山々

↑ 朝4時半に起床、車で峠を超えてオリャンタイタンボ駅に向かう。
途中の峠のところでの撮影。 外気温は6〜7度,車外に出ると寒い。
霜が降ったところもあり。
少し下ると、チンチェ高原と言い平均標高が3600メートル、ジャガイモの産地で、麦も栽培しており、ペルーでは豊かな地域という。
北海道を思い出すほどの広さと・大地の波打であるが、機械化はほどんどされていないという。
地域の共同体組織が活かされ、また、残っており牛の労力を活用している。

↑クスコから約2時間かけて、オリャンタイタイボ駅に到着


↑7時45分ペリーレイル501で出発

↑車窓の眺めは豊かさを感じる。 アマゾン川へと注ぐ支流のひとつウルバンバ川と農地の風景。

↑単線のためにポイントを入れ替えてすれ違いです。

↑マチュピチュへの入口アグアスガリエンテスの到着しました。

↑混載バスにて30分、マチュピチュの入口に到着
一日当たりの平均観光客は3000人、年間100万人を超えました。当日は平均的な入場者とのことです。

↑入場ゲートを通過して200メートルお馴染みの山の姿が目に入ります
ワイナピッチュ山です。
。
↑急なこう配の階段を登ります。

↑第1展望地とでも言うのでしょうか、角度を変えて眺めます。

↑誰が撮影しても絵になってしまうシャッターポイントです。

↑少し西側に寄ってみました。西側は一層急な斜面です。


↑更に、西側からの角度です。日本の研究チームの調査によると、年に2センチメートル西側にずれており、この山はいつか崩れるとの報告です。

↑マチュピチュとは「古い山=老いた峰」、この山は若い山の意味「ワイナビッチュ」
ワイナビッチュ山への登頂は一日500名に限られており、朝一番の7時には2〜300人が列をなし、10時に残りの数といつも定員オーバーという。
(写真左の低い山のほうです、住居地域と言われています))
マチュピチュは農業地域と住宅地域、そして石の加工場・倉庫等の3つに区分されています。
15世紀のインカ街・マチュピチュはインカ帝国の勢力が強い時代の街であり、要塞などを造る必要はなかった。この地から武器も出ないし、要塞説は否定されておる。
定説は大王の別荘説で、年間のある時期クスコから10日間以上かけてインカ道を通りここにやってきた。 定住者は300人ほどであった。
今は否定されているが、「太陽崇拝」で少女たちの館、あるいは神官の街とも言われた。
大王の時代は100年のみ、その後400年間埋もれていた。スペインもこの地には踏み込んでいない。
400年後、1911年、アメリカの考古学者リンガンはこの地の農民からインカの話を聞いて、クスコからこの地に入り込んだ。
最初は写真撮影のみで帰国した。その後、発掘したが土器、織物、遺骨のみ発見。 金はなく,すでに荒らされていた。
その後、1930年代から60年代にアメリカとペルーによって、現在も発掘中。 1955年に金のブレスレットが発見されている。

↑段々畑にはカボチャ、ジャガイモ、トウモロコシが栽培されていた
(畑に残されていた花粉から採取し判定された)

↓だんだん畑の石組は、神殿や重要な場所とは異なり、このような石組がなされていた。 年間2000Mlの雨量のあるこの地では、この方式が一番雨を流す方式としてベターであったことだろう。
同時に石は山の石であるが、土はなかった。どこからその土は持ち込まれたのであろうか。 土の成分が同じ事が調査の結果わかったことから、4〜500メートル下の、河原から運び込まれたものであると想像される。

↑、葬儀の場といわれる大岩。表面は平らである。
動物が生贄にされたところであろう。岩の左に穴がある。

↑リヤマはここに生息しているわけではない。草食動物のため、除草のために連れてこられた。 実におとなしくのんびりしている。

↑クスコ等からインカ道を運ばれてきた荷物は作業場、倉庫などにこの門を潜って運び込まれる。

↑その門の向こうにマチュピチュの作業場・倉庫が見える。


↑「太陽の塔」と名付けられた岩山、自然石も組み込まれている。
先ほどの段々畑とは異なり、表面が磨かれて綿密な積み上げとなっている。

↑下の写真、コンドルの岩の下にコンドルの首に彫刻

ここでも↑、自然石が活用されており、左の岩は潜れるようになっている。

↑帰路に入り、再びマチュピチュの全景を見納めとする。

↑サンクチュリアリ・ロッジで昼食、バイキングが3700円とは観光地なら。

↑再び、ペリーレイルでオリャシャンタイタンボに向かう。

↑車内でファッションショウが開催された。大赤字のペリーレイルが民営化され、世界のエクスプレス急行が運営することになり、数々の新しい収入を求めて企画がなされている。
単なるファッションショーではなく、ショウの衣装アルパカの製品の販売を兼ねていた。


↑クスコの帰ってきたときには、40万市の夜景が広がっていました。
平成21年8月20日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
第七日目 空路リマへ天野博物館見学
〜世界遺産・リマ歴史地区観光〜ナスカへ
〜ナスカ、ブレイン時代の遺跡「パチャカマ遺跡観光
(ナスカ泊)
リマ歴史地区〜インカ帝国を滅ぼしたスペインの将軍ピサロによって建設された砂漠の近代都市。
市内は植民地時代の面影が色濃く残る旧市街と、海岸近くに広がる新市街に大別される。
アルマス広場を中心に大統領府、大聖堂などが見所。
リマ歴史地区観光
・大聖堂
・アルマス広場
・大統領府
以上の事前入力をして、リマの歴史地区の観光へ

↑クスコからリマへ1時間半


↑上記写真の3枚はアンデス山脈越え
↑リマ空港

↑凄い自動車の排気の中、交通整理のお巡りさん

↑新車はそれほど見かけない、中古車がほとんど
ここでも日本車は人気(北米産)

↑交差点で車が停車するたびに、物売りの人たちが近づいてくる

↑建設が途中でストップしている

↑海岸線に面した高級住宅街では豊かな人々が・・・


↑車中見学、1821年ペルー独立のリーダー「サンマルティン広場」

↑「アルマス広場」を囲む 王様の街、大統領府

↑ そして、大聖堂

↑民間の建物も立ち並ぶ、黄色は雲に覆われることの多いリマの街を、少しでも明るく感じさせるようにとの配慮からという。

↑広場の中央の噴水池は、年に一度ペルーのお酒が注がれ、市民はそれを飲んで楽しむという。どれほどの酒量なのだろうか。

↑子供たちが社会見学の勉強に来ていました

↑ペルー日本大使館のテロ事件の時の銃弾の跡です。
中の建物はすべて取り壊され、白壁と鉄刺線で約二万坪が高級住宅と各国の大使館・公使館の地区にありました。


↑「愛の公園」のモニュメント、向こう側は太平洋です

↑ 太平洋です。南極からの海流で冷たく泳ぐことは叶わない。
→
↑公園内の花の一つを万華鏡にて

↑ 最終目的地ナスカに向かう途中の「パチャカマ遺跡」に立ち寄りました。
御覧のように何もありません、ペルー政府は観光資源にならないためか
まったくと言っていいほどに手が入っていません。
午後2時にリマを出発、バスで8時間かけて午後の11時過ぎにナスカ着。
平成21年8月21日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
第八日目 世界遺産ナスカと
フマナ平原の地上絵観光
ペルーの首都リマから南へ400Km、アンデス山脈と太平洋に挟まれた砂漠地帯に刻まれた巨大な地上絵。
紀元前200年〜紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたとされる絵は、幾何学模様あり、動植物をかたどった具象図形あり、と様々。
大きい鋳物は数10Mから数10Kmに及ぶものまで、700を越す数の地上絵が確認される。
セスナ機にのって、上空から古代の名画を鑑賞。
古代人の文明か、はたまた宇宙人からのメッセージか、未だ解けぬ謎に迫る。
空港周辺の天候の状況により(特に霧)2~3時間待たされることもあるということで、昨夜ベッドに入ったのは24時をすぎていたが、モーニング・コールは6時半。
お天気は良さそうである。 順調にセスナ機は飛ぶことだろうと安堵する。

↑リゾート・ホテルと看板にあるが、何とか2つ星のホテルです。
→
の
↑但し、入り口のブーゲンビリア大きさには驚きました。蔓ではなく木です。

↑さすがに、このサボテンを見上げると、砂漠の中にいることを感じさせます。


↑この朝の風景にリゾート・ホテルを感じさせてくれました。

↑空港ゲートを潜る ↑10分毎に飛び立ってゆきます

↑乗ったセスナ機の離陸です ↑管制塔が眼下に見えます

↑この山の向こうに地上絵があるようです。


↑95%がこのような平地です。 ↑ところどころに、岩山があります
かっては、川だったでしょうか
飛び立ってから10分過ぎた頃に、パイロットが眼下を指差します。 パイロットを含めて6人乗りです。 左右に分れてのっていますので、機体を30度ほど傾けて良く見えるようにしてくらます。
何度シャッターを押したか分かりませんが、カメラに残された映像で使い物になるのは数枚でした。 太陽の反射と、土色の上に彫られた絵を確認するのに時間がかかります。
確認した頃には、機体は通り過ぎています。




↑ 約30分の飛行時間です。降り立つと搭乗証明書と記念撮影

↑飛行場から10分ほどのところに展望台 ↑展望台から南北アメリカ大陸を貫く国道

↑↓帰路の国道からの撮影。不法占拠の場所に木の葉で作られた住まい。

↑木の壁面ならば、上質な住まいです。首都リマから300Km離れています。


↑上記3枚の写真は、既にリマ県(中心部からは約100Km離れている。
ここには電気、水道があり。郵便物も届くといっておりました。
下水はどうなっているか聞き漏らしました。

↑薄雲が立ち込める中、太陽が沈みます。
この後、リマ市内で「日本食」をいただきました。
平成21年8月22日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
第九日目 (機中泊)
リマ空港を8月22日午前1時40分発、LA2604でロスアンゼルスに向かって8時間。
ロスアンゼルス、13時20分発、JL0061で、成田に10時間の飛行。
平成21年8月23日 記
魅力の南米5大世界遺産を巡る
日付変更線通過
第十日目
成田着は予定どうり16時30分。 ここで、他の方々とはお別れです。
成田から中部国際空港へ。 1時間強のフライトで旅を終える。
旅の感想
1、片道飛行時間のみで26時間、乗り継ぎを入れると30時間を超え、まさに地球の裏側という思いを感じました。 お尻が痛くなりました。足がツリました。
2、今回も旅の間中、食事の量を常に控えました。 特に肉類の摂取は最低限としました。 体調管理が効果を発揮し、終始良好な体調を維持できました。
平常でも同じですが、特に水や食べ物が異なる外国では健康第一が楽しいたびの基本 ということを改めて確認しました。
3、添乗員も含めて9人のグループは、まとまりが良かった。 それでも最後まで名前と顔が一致しない人がいたのだから、困ったものだ。
息子との海外旅行は12年ぶり、マダマダ一人旅で行けるが、話し相手と成り、時間や空港での乗り継ぎなどでは楽をさせてもらった。
4、可能な限り、発言を控えて聞き役に廻るように心がけていたが、それでも一言、二言余分な発言をしたのではないかと思う。
今回は専業農家の方が参加されており、強い主体性・自立性をもたれた方の存在で、その発言から考え方、生き方、お金のことについても参考になった。
と同時に、私にも同じようなところがあると感じ、反省の材料となった。
5、たった10日間ではあったが、気温の変化が大きく驚いた。 出発前は散歩をしても、アセびっしょりとなって、シャワーの後のビールが普段の350mlから500ml〜700mlを軽く飲み干していたが、汗の吹き出方も弱く、ビールの消費も少なめである。
6、世界遺産については
・イグアスの滝、特にボートで滝つぼに下まで行き、びしょぬれになったことが強い印象。
・マチュピチュは訪ねた甲斐はもちろんあったが、テレビの映像で何度か視聴しているので、感激が薄かった。
・ナスカの地上絵、〜
・クスコ、リマの市街地の世界遺産〜
7、アルゼンチン・ブェノスアイリス、ペルー・市街地、ペルー・郊外地の人々の暮らしぶりを車窓からであったが、それなりに感じることが出来たことが良かった。
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