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COLUMN 1−D 1120
平成21年9月30日・記
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大変革期には「大魚」は生き残れないか。
〜宮滝大池の総ざらえを眺めながら〜
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↑少年自然公園内の散歩道に落葉が敷き詰められだしました。
公園から廻間町の田園に出ると、あと10日もすれば稲刈りだろうと、黄金色の稲穂の波打つ光景を想像したが、 そこに展開されている風景は私の予想を打ち破った。

↑宮滝大池の水は総ざらえされていました
最後の田への給水を終えた池の水は、総ざらえのために池の底までバルブが開かれました。 前回は何時のことだったでしょでうか。 数年前のことです。
散歩道には4〜5の大きなため池があります。 一昨年は一番大きな築水池でした。
そのときも大量の鯉やフナが放水口から流れ出たり、逃げ遅れた大魚が点々と干しあがった池の水嵩の低くなった水路でのた打ち回り、やがて死をむかえていました。

宮滝大池にもシロサギ、アオサギ、数種のカモも飛来し、小魚を啄ばんでいる光景を良く目にします。
その姿が小さくて私の目に捕らえることが出来なかっただけなのかもしれませんが、その後、散歩道の脇の用水路には大量の小魚の姿を見かけましたので、殆どの小魚は放水口から逃げ延びて来たのでしょう。
このあとは、用水路から大谷川〜内津川、そして庄内川へと生き延び、そして同時に成長してゆくのでしょうか。
宮滝大池の放水口付近で打ち上げられた丸々と太った鯉や鮒の無残な姿を眺めながら、今進行している大きな時代変革期にあって、ズルズルと減量経営の名の下に、リストラ策を持ってしか生き残り策がない大企業の姿を眺めている気持ちです。
確かに、満々と充たされた池でサギやカモに襲われてもいましたが、強かに生き延びて
、池の水が干しあがった今、その細く・小さな体の強みを生かして池から素早く退散し、新天地に活路を切り拓こうとする変わり身の速さとエネルギーを感じます。
大転換期です。 こうすれば間違いない、成功するという保障など何処にもありません。
向かう方向を定めて、試行錯誤の連続の中から道が開ける、いや創造するという時代の中に生かされている(修行している)と考えずにはいられません。
これも私たちに与えられた必然のことなのです。 感謝して受け入れることからスタートしたいと考えています。
COLUMN 1−D 1119
平成21年9月29日・記
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創業10周年記念パーティーと中期経営計画発表会
〜30数年前の「不安と期待」と同じ感覚です〜
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少しばかり出入りしている会社の創業10周年記念パーティーが本年11月25日に開催いされることになりました。
この会社のトップは同じく10年前に大型倒産をした会社です。
無一文のところから再スタートをしました。
インターネット関係のビジネスで10年間も継続して経営が行われることは、この業界では稀なことのようです。
しかも、時代が・社会が大変革期のとき上場を目指すと決心され、今回、創業10周年記念パーティー&中期経営計画発表会を開催することになりました。
私が素晴らしいと考えるのは、多くの経営者のこの十数年の経営政策が人減らしの減量経営、あるいはこの機に及んでもあと半年待てば景気が上向くことを期待し、さらなる減量策しか考えていない(自己保身・自分だけ生き延びようとする)中にあって、今後の方向性を明確に打ち出して前進することの決心と覚悟をされたことです。
正社員が十数人しかいない会社はこれまで創業経営者一人のエンルギーでここまで来ましたが、このままでは先行きが見えたと認識されたトップが、今期から新卒社員の採用を始めました。
人の力を借りるばかりではこれまた先行きが見えないと、自前の社員を育成することを始めました。
平成22年度新卒採用も8名の方の採用が終わっており、10月1日からは平成23年度の新卒採用の計画を発表されました。
その間、中途採用も計画されていますが、自前の社員の育成を中心とされています。
今期入社された社員の教育・訓練を自ら先頭に立って実行されています。
それゆえに、教育・訓練内容が不十分であった、行き届かなかったと反省され、早くも来期の新卒者の教育・訓練内容を変更され、来年4月の入社時には即対外的に対応可能な能力を身につけてもらおうと計画しています。
これらと並行して、既存社員の一層のレベルアップを目指して、社内組織の変更、会議体系の変更、業務の進め方のバージョンアップと次々と取り組んでおられます。
私の身近なところでは、会社に出勤することは、針のムシロに座りに行くようなものだと口にされている方が多く見受けられます。
それと比べると雲での差です。
大変革期・大転換期です。 景気が底を打ったとか、金融不安はすぎたとかの報道が見聞きされますが、私は全くそれとは異なる認識をしています。
これから2番底どころか、底割れの状況が進行してゆくと思います。
それは決して暗く・冷たく・将来の見込みのない奈落に突き進んでゆくことではなく、これまでが自然のあるべき方向とは異なる姿を追い求めたことによって、どうしようもない矛盾に満ちた社会、状況を作り出してしまったと考えますので、ここから前向きに努力をする者にとっては温かく・明るい社会の到来の始まりと考えています。
平成20年の年賀状には「”楽園近し”」と書きました。
平成21年の年賀状には「”弥勒の世近し”」と書きました。
平成22年の賀状の文面はまだ決まっていませんが、これまでの延長線からの発想で間違いはないのではないかと思っています。
今こそ、進むべき方向性を示して、試行錯誤の行動の時と考えます。
一発で・しかも一直線に目的地に歩を進めるなどとは考えません。
ぶつかり、倒れ、くじける思いを奮い起こし、道を変更しつつも、試行錯誤で歩み続けることが求められていると考えます。
出入りさせていただいている会社が正に、その見本となるような行動をとられていることに嬉しさと同時に、20数年前の時とは異なりますが、心躍る日々を過ごさせていただいていることに感謝しています。
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COLUMN 1−D 1118
平成21年9月27日・記
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9月の遠山郷の休日
9月26日〜27日
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今回は波動の会のメンバー4人と参加しました。 当日は藤原直哉さん主催の「リーダーシップ研修会の第6回と第7回の卒業生の方の同窓会もあり、総勢35人と、これまでの最高の参加者となりました。

↑今回も残念ながら、しらそび高原はご覧の様子です。 高度2000〜3000メートルの山並みですので、午後からでは蒸気が発生して、快晴を望むのは無理です。
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↑「藤姫饅頭」の朝顔です。
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↑同じく藤姫饅頭の店頭のケイトウの花です。
今回の休日の中で、最高に盛り上がりましたのは、26日の夜の2次会です。
3年間の内で一番盛り上がりました。 リーダーシップ研修会の方々ですので、チームワークも良かったからでしょうか。
私も今回は新しくマラカスとボンゴが購入されていましたので、かなりの時間叩いたり・振り回したりで、翌朝右腕に少しばかりの疲労感を感じました。
尚、久しぶりにカラオケで歌いましたが、サッパリメロディーの乗れないのです。
やはり、時には歌わないと鈍るのでしょうか。 この時はカメラを持参していませんでしたので、残念ながら記録写真がありません。

↑27日、朝「いろりの宿・島畑」の前で

↑27日の昼食は、旧木沢小学校の校庭でバーベキューです。
COLUMN 1−D 1117
平成21年9月26日・記
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25年以上活躍のグローブが・・・
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昭和59(1984)年頃に購入したグローブが遂に補修が効かなくなりました。
補修不可能と言っても、グローブの指を繋ぐ革紐が劣化して直ぐに切れてしまう状態ですので、革紐を他の紐で修復してみる積りです。
この25年間・四半世紀の間には色々な事がありました。 このグローブ自体も殆ど手にされることがなかった時期もありました。
ホッタラカシのままで物置に忘れられていたことも何度かです。 その度に、思い出したように取り出し、皮クリームを塗りこんでカサカサの皮を元どうりに戻す作業もしました。
この数年は殆ど毎日、壁あてキャッチボールで活躍していますので、使い勝手が手に馴染んできており、到底新しいグローブへ買い換えることなど念頭にありません。
華やかなプロ野球選手、若さ溢れる甲子園球児、草野球の花形選手の手にされることはなかったこのグラーブですが、 時に私の健康増進、あるいは落ち込んだ気分の転換の友になっていただきました。 改めて「ありがとう」です。
修復して使わせていただきますので、今後ともよろしくお願いします。
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↑9月10日に蒔いたタマネギがやっとここまで成長しました。 発芽率は20%です。
蒔種土が悪かったか、水不足だったでしょうか。 25日、追加の種まきをしました。

↑9月25日も日中は30度を越える夏日でした。 が定点観測の築水池は秋の気配。
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↑稲もズンズン成長して来ました。 手入れの良い田圃の実りです。
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↑遠目には同じように見えますが、近づけばヒエです。
この田は田植え後、主の姿を目にしませんでした。 体調不良なのでしょうか。

↑宮滝大池の水位が10%以下となり、泥底が現われました。
青サギが小魚を啄ばんでいました。
(9月26日、午前1時半に起き出して、入力しました)
COLUMN 1−D 1116
平成21年9月24日・記
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本日は飛騨金山に栗拾い
〜例年より1週間は遅れている〜
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話に夢中になっていた訳ではないが、何時もの道から逸れてしまった。
方角さえ間違えなければ何とかなると目指す方向と思える道を進んでいたが、美濃加茂周辺は環状線や東海北陸道の関係で、特に「昭和村」の近くは新しいバイパスや新道が完成しており、最後はカーナビゲーションのお世話になりました。
そのカーナビに導かれて走っていると山の中に入っていくではないか、県道97号線と表示があるので間違いないだろうと思ってはいたが、遂に道幅が4メートルほどとなる。
杉木立の薄暗い山道となった。
舗装はされているので間違いないだろうと思ったり、こんな山の中まで舗装されているのだから、日本は豊かな国だと考えたり、何時までこの舗装道路が整備し続けることが出来るのだろうかと、不安な気持ちを持って峠を越えた。
もう一度同じコースを走れと言われても、さらに迷うことになるだろう。
さて、飛騨金山の栗は例年よりも1週間遅い状況であった。 一番大きな実の栗の木は、昨日ぐらいから毬がはじけだしたところであった。
我が家の庭の栗はマダ落下してない。 やはり1週間は遅れている。

↑栗の木の向こう側は「白川茶」の茶畑です。
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それでも、収穫は14Kg強ありました。
帰宅後早々と、栗ご飯の支度にかかりました。
COLUMN 1−D 1115
平成21年9月23日・記
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9月23日の農作業
〜他のグループに先駆けて、収穫始まる〜
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↑ 秋ジャガイモ。春のジャガイモは芽だしまでに3〜4週間(3月下旬植込み)。
秋ジャガイモは2週間で芽だししました。 気温の違いでしょう。
早く芽だしはしますが、そのためでしょうか春ジャガイモに比べ味は落ちます。

↑9月6日に種まき・大根 ↑8月23日に種まき・大根 ↑8月9日種まき・大根
私は大根の抜き菜の油炒めが好きですので、どちらかと言うと込み入ったバラ蒔きをします。 その分、抜き菜に手間がかかります。
本日、その抜き菜をしましたが、8月23日の種まきは、抜き菜の手間が省けるようにと、間隔をあけ、点蒔きで実施されていました。 確かに、抜き菜の手間は省けました。
これは私が不在の時の作業でした。 今年から参加の新人さんに教えられました。
(但し、ホウレンソも同じ蒔き方していましたが、これは及第点はありません。ホウレンソウはばら蒔きが正解のようです。

↑他のグループの方が参加されていました。取立ての人参の葉、カボチャ、ナス、ピーマン、ミョーガのテンプラをいただきました。
取立て新鮮野菜で、揚げたてのテンプラは美味しかった。

↑毎年、このモミジの紅葉は素晴らしいです。
約2週間毎に、今年の紅葉を掲載します。
その他、本日の収穫はナス、ピーマン。小松菜、水菜、大根抜き菜(一部は大根)
赤カブラ・白カブラ(充分に漬物に成ります。 知人にもお裾分けして、漬物にしてもらいます)
今夜は野菜イッパイの食卓と成ります。
COLUMN 1−D 1114
平成21年9月22日・記
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北海道(函館)の秋色と
高蔵寺の金木犀香り始める。
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楽しく、豊かで、ユッタリした旅と結婚式を満喫してきました。
シャッターを何度押したことでしょうか、押しすぎでカメラがストライキを起し「BUSY]の表示がでたままで写真が処理できずです。
何とかフイルムの種類が異なる一つだけが、パソコンに転送できました。
そこには、松前城の大きな花弁のアジサイが咲いていました。

↓ ↓

と思いきや、函館の街路樹のアチコチには「ナナカマドの実」が真っ赤です。

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9月22日、函館空港を飛び立って1時間半、中部国際空港へ、
午後3時には自宅です。
ここくらいの旅の距離と時間は、快適です。
例年より、少し遅れ気味でしょうか、自宅の金木犀はマダですが、植物園の入り口の
金木犀の一番花に振り向きました。
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今夜当たり、我が家の金木犀も夜陰に乗じて忍び込んでくるのでしょうか。
本日より中部大学の講義が始まりました。
1、「比較日本研究」主に、日本とドイツの比較を通じて、家族、男女の役割に関する意識について、日本とヨーロッパの間の共通点と相違を両社会における社会変動の枠組みで学びます。 ドイツ人の教授です。
2、「アジアの歴史」 中国の歴史事実を知り、歴史学的な考え方に慣れることで、現代中国を理解する内容です。
(今春は、中国人の教授によって、中国を中心とする宗教を学びました。)
3、現代社会特殊講義 戦後日本のの思想体系を把握する為に様々な論点を分析し、論及する内容です。
この担当教授の講義は、既に4年間「追いかけ」のように受講しています。
多分、今回も受講希望者が多く、抽選で選ばれています。 私は今回も当選しました。
COLUMN 1−D 1113
平成21年9月17日・記
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秋色を探しに出かけました その8
〜見落としていました「食欲の秋」です〜
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↑ 9月16日、名古屋駅、マリオット・ホテルの52階の「スカイラウンジ・ジーニス」で、
ランチ・ブッシュをいただきました。
1週間前、25年前に新入生で入社してこられた方からの突然の電話でした。 お会いさせたい方がいると言うことで、JR名古屋構内で待ち合わせし、昼食をマリオット・ホテルでとることにしました。

↑大変な人気であると・・・話には聞いていました。
予約なしでは殆ど無理だろうと言うことでしたが、訪ねて見ると「今、ちょうどキャンセルがありました」のでと、案内されてところが、展望の開けた窓際の一等地でした。
なるほど、300席程あるフロアーは満席です。 まったくの幸運と言うことでしょう。
お相手した方は二人ともワーキング・レディーです。 8ヶ月前に事業を縮小し、知人に売却を考えたが、その方に買い取り資金がなく、今もオーナーということです。
さて、今後どのようにしようかと思案中とのこと。
かって、部下であった彼女も色々手を広げたが、今はピアノ教師と家庭教師に絞っているが、時計の針が頂点から少し下りたところで止まってしまっているようで、モヤモヤが晴れないという。
時代も環境も異なります、また男と女を一緒にすることは出来ないでしょうが、私の経験上50歳前後のときが、肉体的にも精神的にもマダマダ意欲満点ですし、それに答えるだけのエネルギーもあります。
そんな彼女達が時代の転換期にあって、これまでの知識や経験を活かして、これからどのように歩を進めるかの踊り場に在るようです。
約3時間、「傾聴」を心掛けているこのごろの私ですが、適時・的確な問いかけに次々と体験や今していること、これからの時代の考え方を口にしていました。
帰宅後、醒め切らぬワインを体内に感じながら、散歩に出かけました。
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↑「柿」です。渋か甘柿かは分かりません。 写真からは渋柿だろう。
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↑「ザクロ」です。
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↑柑橘類ですが、種と名前は分かりません。
*さて、明日から3泊4日で北海道です。 少しばかりお手伝いしている会社の社員の方の結婚式です。 久しぶりの北海道・函館、北海道の秋色はどのようでしょうか。
日記は4日間、お休みです。
COLUMN 1−D 1112
平成21年9月16日・記
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秋色を探しに出かけました その7
〜秋色探しも7日目になると、目に留まるのは〜
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↑クズの蔓がマダ勢い良く絡まって、巻き上がっています

↑メダカ池には「ガマの穂」が、咲き揃(?)っています(フラッシュなし)
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↑ホットドッグを万華鏡に仕上げれば、秋色です。(こちらの写真はフラッシュ有)
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↑ガマの穂の写真を撮るのに気を取れれていましたら、「ヌスビトハギ」が足元に。

↑半ズボンにベッタリ・ビッタリとくっ付きました。

↑夕陽が沈み始め

↑コスモスの散歩道

↑霞みなく、春日井市から名古屋のツイン・タワーまで見えました。
COLUMN 1−D 1111
平成21年9月15日・記
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秋色を探しに出かけました その6
〜我が家の栗の実も日増しに大きくなりました〜
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↑我が家の栗の木、10日後には第1実の落下となるでしょう。
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↑「秋と言えばコスモス」、第一輪目は特に愛おしい

↑この実が分かれば、その道の専門家でしょう。
「マンサク」の実です。 あの早春2月「まんず、咲く」と言うところから名づけられたと言う説もある、マンサクの実です。
毎年、西高森山の頂上に近くに咲くマンサクの木からです、間違いないと思います。

↑皮を剥こうとしたら、それがそれが硬いのです。 寒い時に花をつけるからでしょうか。
写真の手前は、皮を剥く前、向こう側の二粒が種です。
粒を二つに裂くには前歯を何度も押し当てなければ成りませんでした。
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↑そのためでしょうか、花とは異なる万華鏡が現われました。
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